1976年11月25日
米カリフォルニア州サンフランシスコのウインター・ランドで行われた
ザ・バンド、16年にわたる演奏活動に終止符を打った
ラスト・コンサート「ラスト・ワルツ」。
当日は、感謝祭の日であったこともあり、
客席に花が配られ、最初の1時間はワルツを踊ったという。
ゆえの「ラスト・ワルツ」。
当時「タクシー・ドライバー」を発表したばかりの
マーティン・スコセッシがメガホンをとり、
1978年に公開された映画「ラスト・ワルツ」は、
コンサート本編の映像とインタビューを組み合わせたかたちで構成されています。
インタビューでは、ザ・バンドの生い立ちから解散に至るまでの歴史が、
それぞれのメンバーによって語られます。
インタビュアーは、監督のマーチン・スコセッシ自らが担当しています。
「一夜の夢」として伝説化した華々しいコンサートとは裏腹に、
その舞台裏には、グループの分裂を絵に描いたような諸事情が多くあったようです。
まずこのイベントは、ザ・バンドのリーダーであり、ギタリストであったロビー・ロバートソンが、
ツアー生活に疲れたため、豪華なゲストを招いたライブを行い、
そのライブをもってライブ活動を終了し、
今後は、レコーディング活動のみを行っていきたいと独断で決断したことに端を発します。
もちろん、他のメンバーはこれに同意できず、
これにより生じた確執は、後の再結成時に「ロビー不在」という形で表面化しました。
ゲストにメンバー全員の憧れの存在であった、
マディ・ウォーターズを呼ぶことで事なきを得たと、
後日談としてリヴォン・ヘルムも語っております。
つまりは、そんなお家事情を補って余りある
豪華ミュージシャン達との競演が、
本コンサートを伝説たるものにしている、
このことは言及するまでもないでしょう。
ザ・ホークス名義以来、バックバンドとして長年活動したザ・バンドへの
ディランによる粋な計らいとでも云える「連れてってよ」は、
当初予定していた2曲(「I Shall Be Released」、「いつまでも若く」)を
メドレー形式でつないだ急場のサプライズ曲だったこと。
コンサートにヴァン・モリソンが出演することを知り、
喜んで監督を引き受けたというマーティン・スコセッシは、
誰よりもこのライブを楽しんでいたということ。
「Helpless」でその勇姿を見せたニール・ヤングは、
実は、コ○インでヘロヘロだったこと。
何より、ゲスト・ミュージシャンは、全員ノーギャラでの出演をOKしたということ。
コアなリスナーには、百も承知な事実ばかりを列挙しましたが、
あらためて、これらのトピックをアタマに見返してみると・・・
ザ・バンドがアメリカン・ロック・シーンに残した大きな軌跡、
そして、1つの時代=ウッドストック時代の終焉、
コンサート・フィルムとしての秀逸性、
・・・様々なものが見えてくるかと思います。
公開から30年経った今も、
多くのロック・ファンの間で語り継がれている
「ラスト・ワルツ」。
ザ・バンドと仲間たちが素晴らしい演奏を繰り広げ、
スコセッシがその瞬間をフィルムに収めたとき、
それは、永遠のものとなったのでした。