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『さむくないかい』 根本敬 インタビュー 【2】

2010年3月3日 (水)

interview
根本敬


映像夜間中学が10周年を迎えた今年、1996年に制作された『さむくないかい』が21世紀初のパートカラーとしてDVDで甦る。しかも、ユダヤジャズ相馬大氏によって制作された『しおサイケデリック』との2枚組で。10年前から映像夜間中学を根本敬氏と共に育んできた、アップリンク 倉持氏のご協力の下に、根本氏に直接、お話を伺う機会を頂いた。『さむくないかい』について、”因果力”について、89歳現役ラッパー 坂上弘氏がまもなく、忌野清志郎氏の「スローバラード」お披露目になるかもしれない・・・について、『しおサイケデリック』について、「しおさいの里」で産声を上げた「でも、やるんだよ!」誕生の瞬間について、映像夜間中学について、カスバの女 緑川アコ氏にまつわる”廃盤笠地蔵”について、勝新太郎氏曰くの”偶然完全”について・・・。根本氏のお話はリズムやテンポが心地よく、繰り広げられる内容に落語を聞いているような気分になった。当日は雨が降る寒い中、外に出てサービス撮影に!「さむくないかい」的ニュアンスのポーズをカメラに向けてして下さり、(PSYCHEDELICシールをフードに付けるという遊び心も忘れず!)、根本氏自ら、イイ顔!根本語録に彩られた”因果力”インタビューをおたのしみ下さい。INTERVIEW and TEXT and PHOTO: 長澤玲美

傍目にはどんなにしょうがなく見えてる人間でも「失望しないで、たとえ妄想でも、夢だけは持っていよう」っていうのが、俺の中の人生の結論の中の1つでもあるんですよ。


--- では、お話を変えまして・・・『さむくないかい』の制作期間はどのくらいだったんですか?

根本 大まかには・・・まあ、とにかく一番何にお金がかかるかっていうと、女優さんを押さえるっていうことなんですよね。実際にはほとんど使ってないんですけど、女優さんを1日拘束するとそれにかなりのお金がかかるんですよ。ですから、AV制作の人と女優さんを押さえたちゃんとした撮影っていうのは2日間くらいで、キャメラマンはこっちの身内で、あとはもうその前後に折りに触れて撮っていたものを付け足してという感じで。で、途中でね、「この話とこの話をつなぐにはこの雨がいいな」っていうのがあったりすると、亀一郎を呼び出すなり、亀一郎の家に行ったりして。とにかく、撮影現場は知ってる雑誌の編集部とか亀一郎の家とか路上とかだったりするので。交番のシーンだってね、おまわりさんが道を教える時にね、一瞬手を突き出すのを撮ったりとか、終わりの方で、銀座の高級クラブみたいなところでね、「じゃあ、ママ、また」って言ってる人を遠くから撮って、別の時にそういうママみたいな人に「銀座の駅はどこですか?」とかって聞いて、その画に「じゃあ、ママ、また」っていう音だけを入れたりとかして(笑)、そうやって作っていきましたね。

--- 『さむくないかい』という、このものすごくイイタイトルの由来についてもお聞かせ頂けますか?

根本 これはですね、その時は「何かタイトル、イイのないかなあ」っていうことで、タイトルは一番最後に考えたと思うんですよ。で、その時に平やんが実は将来作詞家になりたいという夢があって、劇中でも作詞家ですけど、この映像を撮ってる96年の時点での10年前に「さむくないかい」っていうタイトルが浮かんで、「いつかはそれに詞を付ける」っていう風に10年間ずっと思ってた。それは今も思っていて、たぶんそこから全然、一行も詞は進んでないと思うんですけど(笑)、とりあえずその時何か、その「さむくないかい」っていう名前を「これは頂いちゃえ」って思って(笑)。

--- 平やんが発言した言葉だったんですね。

根本 そうです。ただ、この『さむくないかい』も後付けなんですけど、例えば、ボブ・ディランの「Like A Rolling Stone」に当てはめるとね、昔、金があってイイ思いをしてた奴が乞食に金を恵んでたりしてね、周りの人間を見下していたような奴がだんだんだんだんね、加齢とともに落ちていって、そしてやがてね、毎日の生活費に困るようになり、食べ物がなかったり・・・で、問われるわけですよ、ディランに。「How Does It Feel?」「どんな気がする?どんな気がする?」って。「食べる物がないということは、誰にも注目されないということは、帰る家がないということは・・・どんな気がするか?」って。

でもそれってね、今の若い人はちょっとわからないけれども、昔の若いうちはギラギラしていて、ちょっとした成功で脚光とかを浴びるとイイ気になったりとかね、まあ、どこの世界に限らず。でも、それは歳を取っていくといろんなものの重みを背負いますよね?で、だんだんだんだん・・・頂上は同じなんですけど、登らなきゃならない山登りがいつの間にか積み重ねられていくと。で、その果てにね、ちょっと自分を振り返ってみたり気が付いてみると、「人生こんなはずじゃなかったな」っていうような、そういう結果になってる人っていうのがやっぱり、圧倒的に多数なんですよね。人生50年生きて周りを見渡してみると、それをみんな思ってるんで、だから、「「さむくないかい」って「Like A Rolling Stone」で言う、「How Does It Feel?」、あれだな」って思って(笑)。『さむくないかい』に何か洋題を付けようっていうことにもなってたんで、それで「How Does It Feel?」って付けて。「No Direction Home」とかじゃなくて、「Like A Rolling Stone」なんですよね。

人間とにかくそういうわけで、やっぱり振り返れば「さむくないかい」って捉えて、それはすごいいたわりの言葉でもあるかもしれないけれど、それと同時に場合によっては残酷な言葉でもあるっていうか。みんな、自分をちゃんと客観的にね・・・まあ、世の中には死ぬまで自分の都合のイイところしか見ないっていう、そういう上手い仕組みに脳みそが出来てる人間はいますけれども、たいていの人間はそういう風に問われればどこかに絶対後ろめたいところ・・・男女関係でも家族に対しても親戚に対しても、あるいは仕事上に対しても何でも、絶対後ろめたさ、さむいところはあるわけで。そこを上手く付いている言葉だと思いますねえ。で、そこを突かれるとね、絶対みんなさむいんですよ。そこで、「それは確かに寒いよ?」でも、誰かがコートをかけてくれようとしても「いやいやいや」、毛布をかけてくれようとしても「いやいやいや。俺はこのくらいの寒さでちょうどイイから」って言って、まあ、せめて、そのくらいのところ・・・絶壁まで1メートル半くらいあるところくらいまでは歩いていく、その程度の努力はやっぱりしたいなと思います(笑)。とにかくみんなさむいんですよ、本当は。

--- すごくイイお話をありがとうございます。平やんが思い付いたというその「さむくないかい」という言葉を劇中でも平やんが言いますよね?

根本 ええ。実際に平やんが言いますね。どこかで使おうと思ってあそこで使ったんですけど、でもね、あれから14年経って振り返ってみると、平やんがあそこで吉田佐吉に「さむくないかい」って言うのは、映像の外に飛び出たレベルでもすごい的確だったんで(笑)。

--- 坂上弘さんとの出会いについてもお聞かせ頂けますか?

根本 出会いは元々、川西杏さん・・・まあ、映像夜間中学でも映像でも何回か登場してますけど、そこのカラオケ教室で出会ったんですよね。坂上さんと初めて会ったのは68歳の時なんですけど、今年89歳なんで、もう21年前・・・本当やんなっちゃうなあ(笑)。


※川西杏 幾多の「悪いエロ」や巨額の横領(25年で2円50銭を3人で山分け)他で現在、同盟は現在10数度目の勘当をされている、 放蕩息子ならば、川西杏(在日朝鮮・韓国人2世・シンガーソングライター他)は永遠に超えようのない偉大な父。

--- 長いお付き合いですよね(笑)。

根本 いやあ、あの人はね、すごいと思いますよ。だって、73歳の時に川西(杏)さんのカラオケ教室を飛び出して、自主制作で「交通地獄」を出して、88歳の去年、ようやくビクターからデビューしてCDが出ましたからね。しかも、一青窈がコーラスに関わってね(笑)。でね、前から忌野清志郎が坂上さんのことを気に入ってて、CSの自分の番組に撮りは1回ですけど、ゲストで2回くらい坂上さんを呼んで、「交通地獄」のセッションとかをしてるんですよ。

--- へえええ(笑)。

根本 清志郎は坂上さんのこと、「兄貴、兄貴」って言ってて(笑)。メジャーじゃなくて、半インディーズのP-VINE RECORDSから最初に出したカセットテープから12年くらい経ってからようやく、尾崎豊の「卒業」のカバーと一緒にCDになるんですけれども。で、まあ、その時もね、清志郎が帯のところにコメントを寄せてますし。でね、清志郎が去年死にましたよね?坂上さんという人はこだわりがあって、「生きてる人の歌は出来るだけ歌いたくない」って言うんですね。で、清志郎が去年亡くなったんで、「坂上さん、忌野清志郎の追悼で「スローバラード」を歌ったらイイんじゃないですか?」って聞いたらさ、「うーん」って言いながら譜面を見て、「この曲は難しいから、マスターするまで2年はかかるから、あと2年待って下さい」って、それを88歳の時に言ってましたから、90歳の時に「スローバラード」が聴けるかもしれないという(笑)。

--- 坂上さんヴァージョンの「スローバラード」、ものすごく聴きたいです(笑)。

根本 イイと思いますよ。たぶん聴けると思いますよ。だってね、あの人、死ぬっていうつもりが全くないんで(笑)。

--- ディスク2の『しおサイケデリック』に関してもお聞かせ頂きたいのですが、映像と音を駆使して即興演奏を行なうユダヤジャズこと相馬大さんが制作されたそうですね。

根本 ええ。俺が思う相馬くんのイメージとは急に合わない話を彼が最初のミーティングの席で始めたんですけど、それは何かと言うと、「自分は山下達郎が好きだ」という告白から(笑)。「え、何でそんな話?」って言ったらさ、実は山下達郎の3rdアルバム「GO!AHEAD」に「潮騒」っていう曲が入ってて、それのサビの部分っていうのが溜めに溜めて(実際に歌いながら)「♪さっむっくふううぅなふぁあっいひぃぃくぅあいかあああああヒィいぃかっいぃ〜」っていう。で、それを相馬くんが俺達に実際に聴かせてくれたから、サビの部分をそうやって歌う場面を知ってね。で、「潮騒」と言えば、「しおさいの里」、犬を500匹飼ってるというあの。で、最後ね、「しおさいの里」に行って、最後は女装して、ある種魔女でもあり、ある意味客引きでもある謎の・・・要するに女装した佐川(一政)さんが出て来ますよね?で、3万円払って女を買う、それは犬なんだけど、亀一郎にはその犬が女に見えて、それと荒野でセックスをした後にちょっと空いて、再び「しおさいの里」に行ってというあのシーンで、バックにかかってるあの音楽はマーラーの「交響曲第1番:巨人」なんですよ。マラ、巨人・・・っていう(笑)。で、それをバックに亀一郎が10連続千摺りをかいて。まあ、「50歳で10連続千摺りが出来れば何でも出来る」という勘違いが起きるところですよね(笑)。

だから、全く別の意味で10連続千摺りを達成したから、「俺は何でも出来る」ってさ、獲得したのは夢なんだけど、じゃあ、「具体的にどういう方法で何をやりたいか」っていうのも全くないし、何のプランもビジョンもないし、方法論も全く何にもないんだけれども、ただ、夢だけはあれで獲得したんですよ。

--- 夢だけは・・・。

根本 そう。だから、傍目にはどんなにしょうがなく見えてる人間でも「失望しないで、たとえ妄想でも、夢だけは持っていよう」っていうメッセージも込められているんですよね。それって、すごくシビアで残酷なことかもしれないけど、俺の中の人生の結論の中の1つでもあるんですよ。「夢はやっぱり大事だ」って。妄想でも本人の勘違いでも夢を持ち続けるっていう限りはそれがあったらやっぱりね、人間は・・・もしね、亀一郎とかから夢を完璧に取られちゃったら生きて行く気力が何もないと思うんですよ。それは結構ね、残酷でシビアだけれども、やっぱり、「DREAMS COME TRUEなんだよ」っていう、そういうメッセージも入ってます(笑)。ドリカムも達郎も入ってます。

--- すごくいろいろ満載ですね(笑)。

根本 そうそう(笑)。それでね、いろんなものを混ぜて、それを夢の中の世界で・・・夢ってその日にあったとか過去にあったとか時系列を取っ払って、あるいは本人の無意識でも言ってることとか、そういうものがごっちゃごちゃになったものが夢だとするじゃないですか?で、あれを視覚化して音を付けたのがディスク2だと思って下さい。

--- その言葉を胸にもう一度観直してみます(笑)。その「しおさいの里」が冒頭に出て来ますが、最後の方に土とかを耕している・・・。

根本 本多さんね。あれの裏話をするとね、本多さんはいつもあんなに愛想がイイわけじゃなくて、あの時はとにかくね、SUNTORYか何かのだるまくらいの大きさのボトルでそれも透明のやつ。それの外側に3千円くらいぱっと張り付けて目立つようにして、あとはあらん限りの1円玉を真ん中に詰め込んでその周りに所々、50円玉、100円玉がちらちらするように入れて、トータルだと4千円くらいなんですけど、1万円以上入ってるように見せかけて、「本多さーん、本多さーん」って言いながら、そのボトルを持って行って(笑)。そしたら、本多さんが俺の顔見た次の瞬間にそのボトルを見たんですね。その時は本当にひさしぶりだったんで、前に会った時の記憶なんて飛んでるはずなのに、「いやあ、ひさしぶりー」みたいなああいうフレンドリーな態度を取ってくれたのはね、「早くこれくれないかな」っていうそれがあるからなんですよね。でも、後でそのボトルを受け取ってね、あれだけサービスしたのに中を数えてみたら5千円もいかなかったっていうのは、がっかりしたと思いますよ(笑)。しかもね、犬1匹、あれで失明させてるんですからね。

--- 失明ですか?

根本 あそこには映ってないんですけど、最初の方にまず、火を付けられた「しおさいの里」の母屋が映りますよね?あの火を付けたのも実は本多さんの自作自演っていう噂があるんですけどそれはいいとして(笑)、ライトバンの中で暮らしてるんですが、ケースの中に生れたばっかりの子犬達がいたことがあったんですよ。まだ、生れたばっかりなんで、目もあんまり見えないような状態ですよ。で、俺がお金をかざして「本多さーん、本多さーん」って言った時に本多さんがサービスして、(ジェスチャーをしながら)こんなでっかいものすごい明るくなる懐中電灯をさ、「おう、よちよちよちよちー。もうそろそろ目が開くんじゃないかな。まだ見えないかな?そろそろ開くんじゃないかな」って、その懐中電灯を子犬の前でカチって付けたら、その瞬間ね、その子犬の中の1匹の瞳孔が開いた状態でぱーってなったんですよ。それで「ああ、この子犬はもう失明しちゃった」って(笑)。だからね、そのためにあの時、犬1匹失明させちゃったんですけれどもね。

倉持 パフォーマンスのために。

根本 パフォーマンスのために(笑)。まあ、本多さんはさあ、別に犬も猫も好きなわけじゃなくて、献金が好きなんだから(笑)。映画の前は「仲間達とともに長編小説を書く」って言ってたんですけれどもね(笑)。山岡荘八の影響の下に徳川家康に見立ててオーバーラップさせてね。それがいつの間にかその後ね、週刊誌で攻撃されたりとか、近隣の人からいろいろとひんしゅくを受けてね、「小説じゃ飽き足らない。自ら脚本・主演・監督で映画を作って見返してやる」って言ったのが映像夜間中学やる前、『さむくないかい』の題材作った頃ですからね、14年くらい前か。そこからまだ完成したっていう話は聞かないですから(笑)。いや、何だったらお手伝いしに行こうかなって思ってるんですけどね、場合によっちゃあね。『さむくないかい』がものすごく売れたらねえ、我々が制作スタッフになってね。だって犬達じゃね、カメラ持ったりマイク持ったり、ロケハンしたり出来ないですからね。

倉持 最終的に僕達がやるべき仕事はそれだと思いますよね。

根本 ね。だってもう、スタッフはみんな揃ってる。

倉持 相馬大という新しい力強い仲間も加わったことですし。

根本 そうそうそうそう。で、1日で撮れますからね。ただ、ボランティアで犬の世話もしなきゃなんないですけど。何かそれでみんなそれぞれ、皮膚病とか2〜3種類もらってさ(笑)。

--- 『しおサイケデリック』の最後は、その本多さんが語る主演・脚本・監督という言葉で終わってましたしね。もしかしたら映画が実現するかもしれないということになると、それもたのしみの1つとして。

根本 それは昔からね、実現させたいし、実現出来る可能性もね、本当にこの『さむくないかい』が生きればね。

倉持 役者は揃ってますからね。

根本 揃ってますからね。

--- 「しおさいの里」は「でも、やるんだよ!」の発祥の地なんですよね?(笑)。

根本 そうですね。ボランティアに来てるっていうのは便宜上で、あそこにいる奴らはみんな多分ね、いろんな事情のあるワケありの男達が集まってて。本多さんをはじめみんなね、寄付金を狙ってるんですよ。実際、ボランティアの男達って言っても、40代後半から50代の・・・その中で一番癖のありそうな男が本多さんなんですけど、その頃はまだ本多さんイコール犬の面倒を見る、動物愛護の善良な人っていうことになってましたから(笑)。工事現場のコンクリートを溶かす容器がありますよね?あの中に周辺のコンビニとかね、食堂から出た残飯を係の人が集めてきて、その残飯を捏ねて、それをまた別のバケツにいくつかに分けていく作業があるんですよね。「しおさいの里」は、地元の地主が持ってる、結構広大な土地でその周辺でも他に査定を見ない、何も使いようのない土地に囲いがあって、犬達がいるんですよ。そこを回って犬達に餌をやる係、資材部長っていうか、食料部長みたいなそういう役割りで。で、本多さんがその餌を捏ねて振り分けた後にその容器をぴかぴかに磨くんですよ、まるで修行僧のように。その時に言うんですよ。「こんなの磨いたってどうせすぐ汚れるのにそれをまたぴかぴかにするんだよ。こんなことやっても意味がないと思うだろ?無駄なことだと思うだろ?俺だってそう思うよ。でも、やるんだよ!」って。そこでね、蝶を網で捕らえるように、心の網でその言葉を掬って、「これはもう頂き」って(笑)。

その頃はね、結構、本多さん良い者扱いで、本多さんを追跡とかあるいは、一日ボランティアで手伝いとかね、ちょっとした週刊誌とかワイドショーでブームだったんですよね。

倉持 美談として紹介をするみたいな。

根本 そう、まだ美談の状態だったんですけれども。その後は前科とかね、着服とかで週刊誌に出ちゃったりしたんですけど。その日、僕ともう一人、当時「ベストカー」って雑誌で隔週でいろんなところに行って、そこをレポートするっていう作業をしてたんですけど、他の人達が通り一遍の本多さんのキレイごとを載せて、写真を撮ったりして帰ったその後が勝負だと思ったんで、とりあえず、1日黙って距離を置いて本多さんの姿を見てて。

でね、ボランティアの人達がいなくなった後、本多さんに「冷えてきましたね」って言ってさ、また乱暴な奴がその辺の木を集めてきて、ガソリンとかかけてさ、火を付けるんですよ。そうするとね、キャンプファイヤーみたいな大きな火がぼわーって燃えてさ、ものすごい焚き火(笑)。それにぽかぽかぽかぽか当てられてるとね、ちょっとね、妙なハイな気分になってきちゃう、テンション上がってくるんですよ。で、気持ちよーくね、こちらはジェイム・ジェマーソンやPパラディーノみたいなベース相槌。自己主張は駄目、ジャコ・パステリアスみたいな。そうするとね、ボーカルとリードギターの本多さんがどんどんノッてきてね、イイソロをするわけです。そこでまた違う奴がね、「「でも、やるんだよ!」のあの男・・・アイツだって一癖ある奴でね、どうせここの金を狙ってるんだ」っていうような悪口が始まってきて。で、そこで本多さんは、「自分が尊敬してるのは山岡荘八って言いましたけど、徳川家康です」と。「家康のようにわたしはなりたい。そのための無限の大事業として・・・無限の大事業、わかるでしょ?徳川家康に出てくるでしょ?わたしはこういう可愛そうな犬達を引き取ってね、何の見返りもない無限の大事業に出ているわけです」ってね。

周りは真っ暗なんですよ。犬はワンワン吠えてるしさ、火がぼおぼお燃えてるところにいるわけだからさ。(裸の)ラリーズのライブの高揚感につながるところがありましたね(笑)。下手するとね、手とか焼けちゃうような感じね、そういう状態のところで。でもね、明治維新とかでも儀式の時に火を焚いたりするようにね、やっぱり、火っていうのはね、人を高揚させるものがありますよね。

倉持 キャンプファイヤーでもそうですもんね(笑)。

根本 キャンプファイヤーでもね。しかもね、周りは真っ暗でね、星しか見えなくてね、あとは犬の鳴き声だけでね。だからね、まさに『しおサイケデリック』なんですよ、それが。

--- それが『しおサイケデリック』!(笑)。

根本 ええ、ええ(笑)。その『しおサイケデリック』っていうタイトルはね、相馬くんが言ったんですけど、「それだ!」って言って。山下達郎の話もあったしね、「『しおサイケデリック』でやってくれ」って。最初は40何分だったんですけど25分に絞って。

--- それは根本さんからのご提案で?

根本 いや、締め切りの24時間を切った段階で相馬くんの家に行って、「現時点ではこんな感じです」っていうのを見せてもらって、「じゃあ、もうこの方向性でOKだから、あとは2010年2月7日、ユダヤジャズ自宅ライブで行ってくれ」と。

--- 自堕落ライブ?

倉持 自堕落ライブでもいいですけどね(笑)。

根本 自堕落ライブでもいいね(笑)。でも、自宅ライブで。そしてね、我々は完成のぎりぎりまで作業して、同日夜にみんなで鑑賞して。で、あの映像が全部終わった後、真っ暗になるんですよね。何にも見えない。あれを我々は“残響“と呼んでますけれど、あそこがやっぱりポイントですね。

--- “残響“・・・。

根本 ええ。元ネタは別にあるんですけど、スティーブン・キングのインタビューでもね、「やっぱり、小説っていうのは残響の中に全てがある」と。あとね、ジョージ・ダニング監督の『イエロー・サブマリン』のインタビューでもね、「映画っていうのは鑑賞を超えて体験じゃなきゃダメだ」と。それをそのまま相馬くんに言いました(笑)。で、後から、元ネタも伝えましたけどね。ですから、そういう意味でとりあえずディスク1をざっと観て頂いて、その後で初めてディスク2を観て頂くと、どれだけ今言ったような意味において優れたものなのかがわかる。だからまさに、対になっているっていうことですね。

--- DVDは何度でも観れるので、『さむくないかい』と『しおサイケデリック』を行ったり来たりして頂きたいですね。

根本 そうですね。みなさんお好きなように編集して頂ければと(笑)。



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profile

根本敬(ねもとたかし/ねもとけい)NEMOTO TAKASHIE(仏語で「糞をしろ!」の意も有)

1958年生まれ。東京都目黒区出身。81年、故・長井勝一氏編集発行人の月刊漫画誌「ガロ」でデビュー。自称・特殊マンガ家、蛭子劇画プロダクション・チーフ。

他に文筆・映像・デザイン・講演・出版プロデュース(「KEI チカーノになった日本人」「死なない限り問題はない」(東京キララ社))等、多岐に渡り活動する。現在、東京キララ社等の特殊顧問(本人曰く人口肛門)を務める。

また、「幻の円盤開放同盟」として廃盤歌謡曲復刻の尖兵を切り昭和歌謡ブームの礎を築く。苦節(?)四世紀半にして、第11回みうらじゅん賞を受賞。

代表作は「生きる」「怪人無礼講ララバイ」「亀ノ頭のスープ」(いずれも青林工藝舎)、93年「因果鉄道の旅」(KKベストセラーズ)を皮切りに、「人生解毒波止場」(洋泉社)で漫画以上の新たな読者層を生む。又、前書より、「でも、やるんだよ!」「俺たち手に職持ってっかんなァ」と云った言葉に励まされたという人が近年続々名をあげている。

映像作品に『さむくないかい』(96年当時の青林堂)や出所後の奥崎謙三主演のドキュメント・ハードコア・思想ポルノ『神様の愛い奴』の撮影現場で陣頭指揮をとる。08年、クレイジーケン・バンド『亀』のビデオクリップも話題に。近刊は、第11回みうらじゅん賞受賞の「真理先生」(青林工藝舎)。その副読本ともなる受賞第一作が「映像夜間中学講義録 イエスタデー・ネヴァー・ノウズ」である。

因みに「G・U・F・Tシリーズ」第三弾は、根本敬の見た「そのまんま金嬉老」。注目されたし。

また、他に「特殊まんが -前衛の-道」(発行:東京キララ社 発売:河出書房新社)等がある。そして、大電氣菩薩「峠」をも超えんとす。現在18年前、100頁で筆を止めた精子三部作完結篇「未来精子ブラジル」再始動へ向かう!

2010年は96年に制作された『さむくないかい』が21世紀初のパートカラー作品として鮮やかに甦り、「でも、やるんだよ!」出典となったKKベストセラーズから93年に出た「因果鉄道の旅」を一切図版をなしで幻冬社から文庫で出版(文字だけで読むとまたちょっと別物を見ているような錯覚に陥るとは、根本敬氏談)。そして、青林工藝社から書き下ろしが約10本ほど入った新作、20年振りの「生きる2010」と約20年くらいずっと絶版で品切れ状態だった「豚小屋発犬小屋行き」が新装版で甦る。

そして、今年で10周年を迎えた映像夜間中学も毎月末の金曜に「暗黙の了解の密室の秘め事」アップリンク・ファクトリーで心気開校中!