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TOP > My page > Review List of つよしくん
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1 people agree with this review 2011/09/04
これは素晴らしい名演だ。若き日のバーンスタインによる傑作の一つと言っても過言ではあるまい。バーンスタインは、1980年代に入ると、演奏のテンポが大幅に遅くなるとともに、濃厚でいささか大仰な演奏を行うようになった。マーラーの交響曲・歌曲集など、極めて優れた円熟の名演もある一方で、かかる晩年の芸風が大きくマイナスに働き、ウドの大木の誹りを免れないような凡演も多かったというのも否めない事実であったと言える。しかしながら、ニューヨーク・フィルの音楽監督(1958〜1970年)をつとめていた時代の若き日のバーンスタインの演奏は、こうした晩年の芸風とは正反対であり、若武者ならではの爽快で溌剌とした快演を数多く行っていたところだ。ある意味ではヤンキー気質丸出しの演奏と言えるところであり、オーケストラにも強引とも言うべき最強奏させることも多々あったが、それ故に音楽内容の精神的な深みの追及など薬にしたくもない薄味の演奏も多かったと言えるところだ。もっとも、自ら作曲も手がけていたという類稀なる音楽性の豊かさは顕著にあらわれており、自らの芸風と符号した楽曲においては、熱のこもったとてつもない名演を成し遂げることも多かったと言える。例えば、この時代に完成されたバーンスタインによる最初のマーラーの交響曲全集(1960〜1975年)は、後年の3つのオーケストラを振り分けた全集(1966〜1990年)とは違った魅力を有していると言える。そして、本盤におさめられたガーシュウィンの有名な2大名曲についても、当時のバーンスタインの芸風と符号しており、爽快で圧倒的な生命力に満ち溢れたノリノリの指揮ぶりが見事であると言える。とりわけ、ラプソディ・イン・ブルーにおいては、バーンスタインが指揮のみならずピアノまで受け持っているが、その才気が迸った情感のこもったピアノ演奏は、本名演の価値をさらに高めることに大きく貢献しているのを忘れてはならない。円熟という意味では後年の演奏(1982年)を採るべきであるが、圧倒的な熱演という意味においては本演奏もいささかも引けを取っていないと考える。また、パリのアメリカ人は、あたかもこれからヨーロッパに進出していくバーンスタインの自画像を描いているような趣きがあり、自らに重ね合わせたかのような大熱演は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っていると言える。音質は、今から約50年前のものであり、必ずしも満足できるものではなかったが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるSACD盤は、DSDリマスタリングも相まって見違えるような高音質に生まれ変わったと言える。もっとも、当該SACD盤は現在では入手難であり、その場合は現在でも入手可能なBlu-spec-CD盤がベターな音質であると言える。前述のDSDリマスタリングによって、少なくとも従来盤とは別次元の鮮明な音質に生まれ変わっており、若きバーンスタインによる名演を味わうには十分に満足できる高音質であると評価したい。
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2 people agree with this review 2011/09/04
これは素晴らしい名演だ。若き日のバーンスタインによる傑作の一つと言っても過言ではあるまい。バーンスタインは、1980年代に入ると、演奏のテンポが大幅に遅くなるとともに、濃厚でいささか大仰な演奏を行うようになった。マーラーの交響曲・歌曲集など、極めて優れた円熟の名演もある一方で、かかる晩年の芸風が大きくマイナスに働き、ウドの大木の誹りを免れないような凡演も多かったというのも否めない事実であったと言える。しかしながら、ニューヨーク・フィルの音楽監督(1958〜1970年)をつとめていた時代の若き日のバーンスタインの演奏は、こうした晩年の芸風とは正反対であり、若武者ならではの爽快で溌剌とした快演を数多く行っていたところだ。ある意味ではヤンキー気質丸出しの演奏と言えるところであり、オーケストラにも強引とも言うべき最強奏させることも多々あったが、それ故に音楽内容の精神的な深みの追及など薬にしたくもない薄味の演奏も多かったと言えるところだ。もっとも、自ら作曲も手がけていたという類稀なる音楽性の豊かさは顕著にあらわれており、自らの芸風と符号した楽曲においては、熱のこもったとてつもない名演を成し遂げることも多かったと言える。例えば、この時代に完成されたバーンスタインによる最初のマーラーの交響曲全集(1960〜1975年)は、後年の3つのオーケストラを振り分けた全集(1966〜1990年)とは違った魅力を有していると言える。そして、本盤におさめられたガーシュウィンやグローフェ、そして自作についても、当時のバーンスタインの芸風と符号しており、爽快で圧倒的な生命力に満ち溢れたノリノリの指揮ぶりが見事であると言える。とりわけ、ガーシュウィンのラプソディ・イン・ブルーにおいては、バーンスタインが指揮のみならずピアノまで受け持っているが、その才気が迸った情感のこもったピアノ演奏は、本名演の価値をさらに高めることに大きく貢献しているのを忘れてはならない。円熟という意味では後年の演奏(1982年)を採るべきであるが、圧倒的な熱演という意味においては本演奏もいささかも引けを取っていないと考える。また、パリのアメリカ人は、あたかもこれからヨーロッパに進出していくバーンスタインの自画像を描いているような趣きがあり、自らに重ね合わせたかのような大熱演は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っていると言える。グローフェの組曲「グランド・キャニオン」の各場面の描き分けの巧みさは心憎いばかりであるし、自作自演でもあるプレリュード、フーガとリフは、ジャズ界の大御所でもあるベニー・グッドマンの見事なクラリネット演奏と相まって、これ以上は求め得ないような圧倒的な名演奏を仕上がっているのが素晴らしい。音質は、今から約50年前のものであり、必ずしも満足できるものではなかったが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるSACD盤は、DSDリマスタリングも相まって見違えるような高音質に生まれ変わったと言える(自作自演のプレリュード、フーガとリフはおさめられていない。)。もっとも、当該SACD盤は現在では入手難であり、その場合は本Blu-spec-CD盤がベターな音質であると言える。前述のDSDリマスタリングによって、少なくとも従来盤とは別次元の鮮明な音質に生まれ変わっており、若きバーンスタインによる名演を味わうには十分に満足できる高音質であると評価したい。
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6 people agree with this review 2011/09/03
2011年秋よりラハティ交響楽団の新しい芸術監督に就任したオッコ・カムが、待望のシベリウスの管弦楽曲集の録音を開始した。第1弾は、劇付随音楽「テンペスト」や交響詩「タピオラ」を軸とした管弦楽曲集であるが、交響曲が含まれるのかどうかなど今後のシリーズの行方には興味が尽きないところだ。いずれにしても、今後のこのシリーズの継続、そして充実をこの場を借りて祈念しておきたい。オッコ・カムは若手指揮者の登竜門と言われたカラヤンコンクールで優勝(1969年)し、カラヤンによるシベリウスの交響曲全集を録音(DG)する際に、第1番〜第3番の演奏を任されたという輝かしい経歴を有している。その後、ヘルシンキ・フィルを率いて1982年に来日(当時35歳)を果たしたが、その際のライヴ録音もTDKより発売されている。その演奏は、北欧の新世代を代表するような颯爽としたものであったと言えるが、そうした芸風は、若干の円熟味を加えつつも本演奏においてもなお健在と言えるだろう。要所においては強靭な迫力も有しているものの、演奏全体としてはいささかも暑苦しくない、北欧の大自然を彷彿とさせるような清涼感に満ち溢れており、このような演奏を聴いていると、これぞ本物のシベリウスという気がしてくるから実に不思議だ。全体としては爽快でフレッシュな息吹を感じさせるような演奏と言えるが、それでいてスコアに記された音符のうわべだけをなぞっただけの薄味な演奏にはいささかも陥っておらず、どこをとっても北欧の雄大な大自然を彷彿とさせるような豊かな情感に満ち溢れているのが素晴らしい。劇付随音楽「テンペスト」におけるドラマティックで聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりも心憎いばかりであり、あらためてオッコ・カムの類稀なる才能を感じさせられたところだ。いずれにしても、本盤の演奏は、今や北欧を代表する円熟の大指揮者となりつつあるオッコ・カムによる清新さを感じさせる名演であり、今後のシリーズの続編への大きな期待を持てる名演とも言えるだろう。そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると言える。特に、交響詩「タピオラ」や交響詩「吟遊詩人」などにおける弦楽器の最弱音の再現には、かかる臨場感溢れる高音質は大きなアドバンテージと言えるところであり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
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5 people agree with this review 2011/09/03
ゲルギエフ&ロンドン交響楽団によるマーラーチクルスもついに大詰めを迎えることになった。既に第1番から第8番の8曲が発売されているが、ついにマーラーの最高傑作である第9番が登場することになった。本盤におさめられたマーラーの交響曲第9番の演奏は、本年3月のライヴ録音とのことであるが、それに先立って昨年末での東京での演奏会などでも同曲を採り上げており、ゲルギエフとしても満を持してこの最高傑作の録音に臨んだということなのであろう。それだけに、本演奏も、ゲルギエフによる並々ならぬ意欲を感じさせる圧倒的な名演に仕上がっていると言える。第1楽章からして、ゲルギエフのテンションは全開であり、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫、そしてトゥッティにおける強靭な迫力など、前のめりになって演奏するゲルギエフによる、切れば血が噴き出てくるような圧倒的な熱き生命力を感じることが可能だ。テンポの緩急や思い切った強弱の変化、そしてアッチェレランドの駆使など、ありとあらゆる表現を用いることによって、マーラーが同曲に込めた死への恐怖や闘いを的確に描出し、ドラマティックの極みとも言うべき豪演を展開しているのが素晴らしい。第2楽章もゲルギエフならではの躍動感溢れる演奏が光っており、テンポといい、リズム感といい、これ以上は求め得ないようないい意味での緻密な演奏を展開していると言える。第3楽章は、緻密さの中にも荒々しさを感じさせるような強靭さが際立っており、終結部に向けての猛烈なアッチェレランドは我々の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っている。そして、終楽章は、中庸のテンポで滔々と美しい音楽が醸成されていくが、各フレーズに対する心の込め方には尋常ならざるものがあり、マーラーが同曲に込めた生への妄執と憧憬を情感豊かに濃密に描き出していると言えるだろう。いずれにしても、本演奏は、ゲルギエフ&ロンドン交響楽団によるこれまでのマーラーチクルスの中でも飛び抜けた内容を誇る名演と高く評価したい。ゲルギエフ&ロンドン交響楽団によるマーラーチクルスも、ついに残るは「大地の歌」と第10番のみとなったが、特に第10番についてはアダージョのみとするのか、それともクックなどによる全曲版を使用するのか、大変に興味深いと言えるところだ。音質は、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質であり、その臨場感溢れる鮮明な高音質は、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
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5 people agree with this review 2011/09/02
エルガーのチェロ協奏曲は、悲劇のチェリストであるデュ・プレの代名詞のような楽曲であったと言える。エルガーのチェロ協奏曲とともに2大傑作と称されるドヴォルザークのチェロ協奏曲については、ロストロポーヴィチをはじめ数多くのチェリストによって録音がなされ、あまたの名演が成し遂げられている。ところが、エルガーのチェロ協奏曲に関しては、近年では若手の女流チェリストであるガベッタによる名演(2009年)なども登場しているが、デュ・プレの名演があまりにも凄いために、他のチェリストによる演奏が著しく不利な状態に置かれているとさえ言えるだろう。かのロストロポーヴィチも、デュ・プレの同曲の名演に恐れをなして、生涯スタジオ録音を行わなかったほどである(ロストロポーヴィチによる同曲のライヴ録音(1965年)が数年前に発売された(BBCレジェンド)が出来はイマイチである。)。デュ・プレは同曲について、本盤のスタジオ録音(1965年)のほか、いくつかのライヴ録音を遺している。テスタメントから発売されたバルビローリ&BBC響との演奏(1962年)なども素晴らしい名演ではあるが、演奏の安定性などを総合的に考慮すれば、本演奏の優位はいささかも揺らぎがないと言える。本演奏におけるデュ・プレによる渾身の気迫溢れる演奏の力強さは圧巻の凄まじさだ。本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の病を患い、二度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような凄みのあるチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り付かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせると言える。もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロを鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、切れば血が出てくるような圧倒的な生命力と、女流チェリスト離れした力感、そして雄渾なスケールの豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分であると言える。それでいて、エルガーの音楽に特有の人生への諦観や寂寥感、深遠な抒情の表現においてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、涙なしには聴くことができないほどのものだ。このような演奏を聴いていると、同曲はデュ・プレのために作曲されたのではないかとの錯覚さえ覚えるほどであり、さすがのロストロポーヴィチも、同曲のスタジオ録音を諦めた理由がよく理解できるところである。デュ・プレのチェロのバックの指揮をつとめるのはバルビローリであるが、ロンドン交響楽団を巧みに統率するとともに、デュ・プレのチェロ演奏のサポートをしっかりと行い、同曲の数々の抒情的な旋律を歌い抜いた情感豊かな演奏を繰り広げているのが素晴らしい。併録のディーリアスのチェロ協奏曲も、デュ・プレの情感豊かなチェロ演奏が際立った名演であり、バックをつとめたサージェント&ロイヤル・フィルもイギリスの詩情に満ち溢れた素晴らしい演奏を展開していると評価したい。音質は、1965年のEMIによるスタジオ録音であり、従来盤では今一つ冴えないものであったが、数年前にHQCD化されたことによって、音場が広がるとともに音質もかなり鮮明に改善されたところだ。もっとも、当該HQCD盤は現在では入手難である。いずれにしても、本演奏はデュ・プレによる圧倒的な超名演でもあり、今後は最低でもHQCD盤の再発売、そして可能であればSACD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。
3 people agree with this review 2011/09/01
デュリュフレのレクイエムは、三大レクイエム(モーツァルト、ヴェルディ、フォーレ)に次ぐ名作とされているにもかかわらず、録音の点数が多いとは必ずしも言い難い。そのような中で、フォーレのレクイエムにおいて素晴らしい名演を成し遂げているミシェル・コルボが、同曲のスタジオ録音を行っているのは何と言う嬉しいことであろうか。本盤におけるコルボによる演奏は、そのような期待をいささかも裏切ることがない素晴らしい名演に仕上がっていると言える。清澄な美しさを誇る同曲であるが、コルボの指揮は、これ以上は求め得ないような繊細な表現を駆使して、精緻に同曲を描き出している。それでいて、繊細であるが故に薄味になるということはいささかもなく、どこをとってもコクがあり、加えて豊かな情感に満ち溢れるのが素晴らしい。そして、各フレーズの端々から滲み出してくるフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいには抗し難い魅力があると言える。また、同曲は、フォーレのレクイエムと比較すると、時折ドラマティックな振幅も散見されるが、そうした箇所においてもコルボはいささかも力づくの無機的な演奏には陥らず、常に懐の深い崇高さを失うことがないのが素晴らしい。独唱陣も極めて豪華なキャスティングであると言えるだろう。メゾ・ソプラノのテレサ・ベルガンサとバリトンのホセ・ファン・ダムという超豪華な布陣は、本演奏でもその名声に恥じない素晴らしい歌唱を披露していると評価したい。コロンヌ管弦楽団と同合唱団も、コルボの確かな統率の下、最高のパフォーマンスを発揮していると言える。いずれにしても、コルボによる本演奏こそは、同曲演奏の理想像の具現化であると言えるところであり、録音から約30年近くが経っているにもかかわらず、現在でも同曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。併録のグレゴリオ聖歌の主題による4つのモテットも、デュリュフレのレクイエムがグレゴリオ聖歌を使用していることを踏まえてのカプリングであると考えられるが、演奏も清澄な美しさを誇る素晴らしい名演に仕上がっていると言える。音質は、パリのトリニテ教会やノートルダム・デュ・リバン教会の豊かな残響を効果的に活かした鮮明なものであり、従来盤でも十分に満足できる高音質であると言えるが、とりわけレクイエムは同曲演奏史上最高の名演の一つでもあり、今後はSHM−CD化、そして可能であればSACD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。
3 people agree with this review
5 people agree with this review 2011/08/31
本盤におさめられたバルトークのピアノ協奏曲全集は、近年においては円熟の境地に入りつつあるハンガリー出身のピアニストであるシフと、バルトークの様々な楽曲において比類のない名演を成し遂げている同じくハンガリー出身のイヴァン・フィッシャー&ブダペスト祝祭管という現代最高の組み合わせによる演奏であるが、聴き手の期待をいささかも裏切らない素晴らしい名演と高く評価したい。ハンガリー出身のコンビによるバルトークのピアノ協奏曲全集の名演としては、ゲザ・アンダとフリッチャイ&ベルリン放送響(1960、1961年)による同曲演奏史上でもトップの座に君臨する歴史的な名演が名高い。さすがに、本演奏は当該名演には敵わないと言えるが、それでも新時代の名演として高く評価してもいいのではないだろうか。シフは、本演奏の当時は45歳であったが、若手ピアニストの演奏に聴かれがちな、畳み掛けていくような気迫や力強い生命力でひたすら遮二無二突き進んでいくような演奏を行っているわけではない。むしろ、バルトークのスコアの徹底したリーディングを行ったことに基づく精緻な表現を行っていると言える。そして、シフは一音一音を蔑ろにすることなく、透明感あふれるタッチで曲想を明瞭に描き出して行くことに腐心しているようにさえ感じさせる。それでいて、単なるスコアに記された音符の表層をなぞっただけの薄味の演奏には陥っておらず、各旋律の端々からはシフのバルトークへの深い愛着に根差した豊かな情感から滲み出してきているところであり、いい意味での知情兼備のピアニズムを展開していると言える。こうしたシフのピアノをしっかりと下支えするとともに、同曲の深層にあるハンガリーの民族色豊かな味わい深さを描出することに貢献しているのが、イヴァン・フィッシャー&ブダペスト祝祭管による名演奏であると考えられる。同曲には、バルトークが盟友コダーイとともに採取したハンガリー民謡を高度に昇華させて随所に取り入れているが、イヴァン・フィッシャーはそれを巧みに表現するとともに、雄渾なスケールによる懐の深い演奏でシフのピアノを引き立てているのが素晴らしい。音質は、1996年のスタジオ録音でもあって音質的には全く問題はないが、シフとイヴァン・フィッシャー&ブダペスト祝祭管が組んだ素晴らしい名演でもあり、今後はSHM−CD化、そして可能であればSACD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。
6 people agree with this review 2011/08/30
アバドは若手の才能のある音楽家で構成されているモーツァルト管弦楽団とともに、モーツァルトの主要な交響曲集やヴァイオリン協奏曲全集などを録音しており、お互いに気心の知れた関係であると言える。今後は本盤におさめられたホルン協奏曲集を皮切りとして、管楽器による協奏曲を3回にわたって録音するとのことであり、管楽器による協奏曲集の続編に大いに期待したいと考える。そして、第1弾である本盤のホルン協奏曲集であるが、モーツァルトのホルン協奏曲の全曲録音は、意外にもアバドにとっては本盤が初めてのことであるが、そのようなことを微塵も感じさせないような素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。本演奏においてホルンを吹いているのは、アレッシオ・アレグリーニというアバドと同様のイタリア出身の若手ホルン奏者。イタリア随一のオーケストラでもある聖チェチーリア音楽院管弦楽団の首席奏者のみならず、モーツァルト管弦楽団を含めたアバドが指揮するオーケストラの首席奏者をつとめるなど、アバドとともにホルン協奏曲を演奏するには申し分のない逸材であると言える。アレッシオ・アレグリーニのホルンは、卓越した技量をベースとしつつ、あたかも南国イタリアを思わせるような明朗で解放感に溢れたナチュラルな音色が持ち味であると言える。そして、その表現は濃密で、歌謡性豊かでロマンティシズムの香りさえ漂っているところであり、モーツァルトのホルン協奏曲のこれまでの様々な演奏と比較しても、濃厚な表情づけという意味においては最右翼に掲げられる演奏と言っても過言ではあるまい。もちろん、心を込め抜いた濃厚なロマンティシズムと言っても、音楽全体の造型がいささかも弛緩することがないというのは、アレッシオ・アレグリーニの類稀なる才能と音楽性の賜物であると考えられる。アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督の退任間近に大病を患い、その大病を克服した後は彫の深い凄みのある表現をするようになり、今や現代を代表する大指揮者であると言えるが、気心の知れたモーツァルト管弦楽団を指揮する時は、若き才能のある各奏者を慈しむような滋味豊かな指揮に徹していると言える。本演奏でも、アバドの滋味豊かな指揮ぶりは健在であり、アレッシオ・アレグリーニの心を込め抜いた濃厚なホルン演奏を下支えするとともに、演奏全体に適度の潤いと温もり、そして清新さを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質も、特にSHM−CD仕様などが施されているわけではないが、十分に満足できる鮮明な高音質であると高く評価したい。
8 people agree with this review 2011/08/29
バッハの無伴奏チェロ組曲はあらゆるチェリストにとっての聖典とも言うべき不朽の名作であり、本盤のカザルスによる演奏を嚆矢として、錚々たるチェリストが数々の演奏を遺してきていると言える。カザルスによる本演奏は1936〜1939年のSP期の録音であり、その後に録音された他のチェリストによる演奏と比較すると音質は極めて劣悪なものである。そして、単に技量という観点からすれば、その後のチェリストによる演奏の方により優れたものがあるとも言えなくもない。演奏スタイルとしても、古楽器奏法やオリジナル楽器の使用が主流とされる近年の傾向からすると、時代遅れとの批判があるかもしれない。しかしながら、本演奏は、そもそもそのような音質面でのハンディや技量、そして演奏スタイルの古さといった面を超越した崇高さを湛えていると言える。カザルスの正に全身全霊を傾けた渾身のチェロ演奏が我々聴き手の深い感動を誘うのであり、かかる演奏は技量や演奏スタイルの古さなどとは別次元の魂の音楽と言えるところであり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みがあると言えるだろう。その後、様々なチェリストが本演奏を目標として数々の演奏を行ってはきているが、現在においてもなお、本演奏を超える名演を成し遂げることができないというのは、カザルスのチェロ演奏がいかに余人の及ばない崇高な高峰に聳え立っていたのかの証左であると考える。いずれにしても、カザルスによる本演奏は、バッハの無伴奏チェロ組曲を語る時に、その規範となるべき演奏として第一に掲げられる超名演であるとともに、今後とも未来永劫、同曲演奏の代表盤としての地位を他の演奏に譲ることはなく、普遍的価値を持ち続けるのではないかとさえ考えられる。前述のように、本演奏は音質面のハンディを超越した存在である言えるが、それでも我々聴き手としては可能な限り良好な音質で聴きたいというのが正直な気持ちであると言える。私としても、これまで輸入CD盤やリマスタリングされた国内CD盤(EMI)、さらにはナクソスやオーパスなどによる復刻など、様々な盤で本演奏を聴いてきたが、これまでのところ最も優れた復刻は本オーパス盤と言えるのではないだろうか。本盤は、以前発売されていた同じオーパス盤よりも更なる音質改善(2010年に行われた新たなリマスタリング)されているようであるが、当該リマスタリングによって若干ではあるがかなり聴きやすい音質に生まれ変わったと言える。そして、ノイズの低減を最小限とすることによって、カザルスのチェロの低音が生々しく再現されるのが、他の復刻CDとは次元が異なる素晴らしい音質と言えるところであり、本オーパス盤こそが、現時点での最も優れた復刻CDであると高く評価したいと考える。
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6 people agree with this review 2011/08/28
本盤にはブラームスの交響曲第4番とハイドンの主題による変奏曲がおさめられているが、スクロヴァチェフスキ&読売日響は、既にブラームスの交響曲第1〜3番を録音していることから、本演奏は正にスクロヴァチェフスキ&読売日響によるブラームスの交響曲全集の完結編ということになる。また、スクロヴァチェフスキは、ハレ管弦楽団とともにブラームスの交響曲全集をスタジオ録音(1987年)しており(それ以前の録音があるのかどうかは、私は承知していない。)、本盤を持って2度目の全集の完成ということになるが、演奏内容については、今般の2度目の全集の方がダントツの素晴らしさと言えるだろう。そして本盤の第4番の演奏も、スクロヴァチェフスキによる2度目のブラームスの交響曲全集の掉尾を飾るに相応しい至高の圧倒的な超名演に仕上がっていると高く評価したい。ブラームスの交響曲第4番のこれまでの他の指揮者による名演としては、シューリヒトやムラヴィンスキーなどによる淡麗辛口な演奏や、それに若さを付加したクライバーによる演奏の評価が高く、他方、情感溢れるワルターや、さらに重厚な渋みを加えたベームによる名演、そして本年に入ってSACD化が図られたことによってその価値が著しく高まったドラマティックなフルトヴェングラーによる名演などが掲げられるところだ。これに対して、スクロヴァチェフスキによる本演奏の特徴を一言で言えば、情感豊かなロマンティシズム溢れる名演と言ったことになるのではないだろうか。もっとも、ワルターの演奏のようなヒューマニティ溢れる演奏とは若干その性格を異にしていると言えるが、どこをとっても歌心に満ち溢れた豊かな情感(感極まって、例えば第1楽章などスクロヴァチェフスキの肉声が入る箇所あり。)を感じさせるのが素晴らしい。それでいて演奏全体の造型は堅固であり、いささかも弛緩することはない。加えて、第3楽章の阿修羅の如き快速のテンポによる畳み掛けていくような気迫溢れる豪演など、86歳の老巨匠とは思えないような力感が演奏全体に漲っているが、それでも各楽章の緩徐箇所においては老巨匠ならではの人生の諦観を感じさせるような幾分枯れた味わいをも有しているところであり、その演奏の彫の深さと言った点においては、これまでの様々な大指揮者による名演にも比肩し得るだけの奥行きのある深遠さを湛えていると言える。また、すべてのフレーズに独特の細やかな表情付けが行われており、終楽章のゆったりとしたテンポによる各変奏の巧みな描き分けも含め、演奏全体の内容の濃密さにおいても出色のものがあると言えるだろう。いずれにしても、本演奏は、現代最高の巨匠指揮者スクロヴァチェフスキが最晩年になって漸く成し得た至高の超名演と高く評価したい。ハイドンの主題による変奏曲は、正に老巨匠ならではの職人技が際立った名演奏。各変奏の描き分けの巧みさは、交響曲第4番の終楽章以上に殆ど神業の領域に達していると言える。加えて、各フレーズの端々に漂う豊かな情感においても、そしてその演奏の彫の深さにおいても、同曲の様々な指揮者による名演の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したいと考える。読売日本交響楽団も、崇敬する巨匠スクロヴァチェフスキを指揮台に頂いて、その持ち得る実力を十二分に発揮した渾身の名演奏を展開しているのが見事である。ホルンなどのブラスセクションや木管楽器なども実に上手く、弦楽合奏の豊穣さなど、欧米の一流のオーケストラにも匹敵するほどの名演奏とも言えるだろう。なお、本盤で更に素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると言える。各楽器の位置関係までもが明瞭に再現される臨場感溢れる鮮明で豊穣な高音質は、本超名演の価値をより一層高いものとしていることを忘れてはならない。
2 people agree with this review 2011/08/28
ラトルは若き頃より近現代の作曲家による作品を数多く採り上げてきており、シェーンベルクの管弦楽作品についてもその例外ではない。本盤におさめられたシェーンベルクによる作品(編曲を含む。)も、映画の一場面への伴奏音楽ははじめての録音になるが、その他の2曲(ブラームスのピアノ四重奏曲第1番のオーケストラ編曲バージョン及び室内交響曲第1番)については既に録音等を行った、ラトルにとっても自己薬籠中の作品であると言えるだろう。冒頭のブラームスのピアノ四重奏曲第1番は、シェーンベルクによって編曲されたオーケストラバージョンによるものであるが、ラトルは1972年にも同曲を既に録音しており、DVD作品を除くと本演奏は二度目の録音に該当するところだ。本演奏の特徴は、何と言ってもベルリン・フィルによる卓抜した技量を駆使した演奏の素晴らしさ、そして重厚で豊穣たる響きの美しさであると言える。終結部の強靭さも圧倒的な迫力を誇っており、我々聴き手の度肝を抜くのに十分であると言えるところだ。ラトルも、ベルリン・フィルの芸術監督就任後数年間は、プライドの高い団員の掌握にも相当に苦労し、凡演の山を築いていたが、数年前にマーラーの交響曲第9番を演奏・録音(2007年)して以降は、現代を代表する指揮者の名に相応しい名演の数々を成し遂げるようになった。アバド時代に、カラヤン時代以前に特徴的であった重厚な音色が影をひそめ、音の重心が軽やかになっていたベルリン・フィルも、ラトルが数年の苦節を経て漸く掌握するようになってからは、再びかつての重厚さを取り戻してきたような印象を受けるところである。本演奏においてもそれが顕著にあらわれており、正にベルリン・フィルであるからこそ可能な豊麗な名演に仕上がっているとさえ言っても過言ではあるまい。映画の一場面への伴奏音楽は、前述のようにラトルにとっては初録音となり、不協和音がさく裂する楽曲ではあるが、シェーンベルクを得意としてきたラトルならではの聴かせどころのツボを心得た見事な名演に仕上がっていると高く評価したい。そして、本盤のトリを飾るシェーンベルクの室内交響曲第1番であるが、ラトルは同曲を原典版(15のソロ楽器による小編成によるもの)により、バーミンガム現代音楽グループとともに録音(1993年)しているが、本演奏では、シェーンベルクが同曲を作曲してから8年後にオーケストラ用に編曲したいわゆる管弦楽版によるものである。それだけに、本演奏でもベルリン・フィルの重厚で豊穣な響きが見事にプラスに作用しており、おそらくは同曲の演奏史上でも重厚さと美しさの両方を兼ね備えた稀有の名演に仕上がっていると高く評価したい。こうして、シェーンベルクに関わる3曲を聴いてあらためて感じたのは、ラトルとベルリン・フィルの関係がますます深まり、いよいよこのコンビの黄金時代に入ったということである。この黄金コンビは、最近ではマーラーの交響曲第2番(2010年)など、圧倒的な名演の数々を生み出しつつあるが、今後ともラトル&ベルリン・フィルの更なる発展・飛躍を大いに期待したいところだ。音質はSACDによる驚天動地の鮮明な高音質であると言える。高弦が艶やかに再現されるなど、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、ラトル、そしてベルリン・フィルによる至高の名演を、現在望み得る最高の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。
5 people agree with this review 2011/08/28
近年のアバドは素晴らしい。ベルリン・フィルの芸術監督に就任した頃は、かつてのロンドン交響楽団の音楽監督時代のような力強さが影を潜め、借りてきた猫のように大人しい演奏に終始しアバドもこれまでかと思っていたが、大病を克服した後は不死鳥のように生まれ変わった。その後の演奏には、かつてのアバドにはなかった凄みと深さが加わり、今や現代最高峰の指揮者と言っても過言ではないほどの偉大な存在になりつつあるところだ。本盤におさめられたベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」も、正にそのような偉大な指揮者による素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。アバド&ベルリン・フィルによるベートーヴェンの交響曲の演奏(特に、最初の全集のうちの第1番〜第6番)については、そのあまりの軽妙さにいささか違和感を感じずにはいられなかったが、本演奏では同じベートーヴェンの楽曲であってもそのような違和感など微塵も感じさせない。持ち前の豊かな歌謡性と音楽の核心に切り込んでいこうという鋭さ、そして、各場面の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強さなど、どこをとってもこれ以上は求め得ないような卓越した表現力で、スケール雄大な音楽を構築しているのが素晴らしい。このような素晴らしい名演を聴いていると、アバドこそは現代における世界最高のオペラ指揮者であることをあらためて認識させられるところだ。冒頭の序曲の躍動感溢れる演奏の見事さ、第1幕終結部の囚人の合唱のこの世のものとは言えないような美しさ、第2幕冒頭の「神よ」の効果的な強調(これは、ヨナス・カウフマンの名唱を褒めるべきであるが)、そして、第2幕のフィナーレの囚人と人民の合唱等の壮麗さなど、実に感動的であると高く評価したい。オーケストラはルツェルン祝祭管弦楽団であるが、アバドが手塩にかけて育て上げている若きマーラー室内管弦楽団のメンバーも多数参加しているということであり、本演奏にいても、アバドと息の合った気迫溢れる熱演を展開しているのが素晴らしい。歌手陣は、先ずはレオノーレ役のニーナ・ステンメの迫力ある歌唱が我々聴き手の度肝を抜くのに十分であり、フロレスタン役のヨナス・カウフマンやロッコ役のクリストフ・フィシェサー、そしてドン・ピツァロ役のファルク・シュトルックマンの名唱も見事という他はない。その他の歌手陣やアルノルト・シェーンベルク合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質については、ルツェルン音楽祭のオープニングコンサートのライヴ録音であるが、演奏会形式であることもあって音質は極めて鮮明と言えるところであり、更にSHM−CD化によって音場が輸入盤と比較して若干ではあるが幅広くなっている点も高く評価したい。
3 people agree with this review 2011/08/27
クラシック音楽界が長期的な不況下にあり、ネット配信が隆盛期を迎える中において、新譜の点数が大幅に激減している。とりわけ、膨大な費用と労力を有するオペラ録音については殆ど新譜が登場しないという嘆かわしい状況にある。そのような中で、パッパーノが、一昨年のプッチーニの歌劇「蝶々夫人」に引き続いて、本盤のロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」を録音するなど、オペラ録音の新譜が細々とではあるが発売されるというのは、実に素晴らしい快挙であると言える。これは、パッケージ・メディアが普遍であることを名実ともに知らしめるものとして、かかるメーカーの努力にこの場を借りて敬意を表しておきたい。さて、本盤であるが、そもそもロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」はの録音自体が極めて珍しいと言えるが、その数少ない録音の中で最も優れた名演は、パヴァロッティやフレーニなどの豪華歌手陣を起用したシャイー&ナショナル・フィル盤(1978〜1979年)とザンカナロ、ステューダーなどの歌手陣を起用したムーティ&スカラ座管盤(1988年)であると言える。同曲は、ロッシーニが作曲した最後のオペラであり、その後のイタリア・オペラにも多大な影響を与えた傑作であるにもかかわらず、歌劇「セビリアの理髪師」などの人気に押されて、今一つ人気がなく、序曲だけがやたらと有名な同作品であるが、ジュリーニやアバド、シノーポリなどと言った名だたるイタリア人指揮者が録音していないのは実に不思議な気がする。したがって、現時点ではシャイー盤とムーティ盤のみが双璧の名演であると言えるだろう。そのような長年の渇きを癒すべく登場したパッパーノによる本演奏の登場は先ずは大いに歓迎したい。そして、演奏も非常に素晴らしいものであり、前述のシャイー盤やムーティ盤に肉薄する名演と高く評価してもいいのではないかと考える。パッパーノのオペラ録音については、イタリア・オペラにとどまらず、ワーグナーやR・シュトラウス、モーツァルトなど多岐に渡っているが、本演奏ではそうした経験に裏打ちされた見事な演出巧者ぶりが光っていると言える。とにかく、本演奏は、演奏会形式上演のライヴということも多分にあるとは思うが、各曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力強さには、圧倒的な生命力が漲っていると言えるところであり、同曲を演奏するのに約3時間半を要するという長大なオペラ(パッパーノは一部カットを行っているが、演奏全体にメリハリを付加するという意味においては正解と言えるのかもしれない。)であるにもかかわらず、いささかも飽きを感じさせず、一気呵成に全曲を聴かせてしまうという手腕には熟達したものがあると言えるところである。これには、俊英パッパーノの類稀なる才能と、その前途洋々たる将来性を大いに感じた次第だ。歌手陣も、さすがにシャイー盤のように豪華ではないが優秀であると言えるところであり、とりわけウィリアム・テル役のジェラルド・フィンリーと、パッパーノが特に抜擢したアルノルド・メルクタール役のジョン・オズボーンによる素晴らしい歌唱は、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団や同合唱団も、パッパーノの指揮の下最高のパフォーマンスを示していると評価したい。音質は、特に国内盤についてはHQCDによる良好なものであり、輸入盤に対するアドバンテージとして、かかる高音質化の取組は大いに歓迎したいと考える。
5 people agree with this review 2011/08/27
本年5月にEMIがアルゲリッチの名盤(5点)のSACD化に踏み切ったのに引き続き、今月はユニバーサルがアルゲリッチの名盤(3点)のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を行った。様々な意見はあろうかとも思うが、アルゲリッチこそは史上最高の女流ピアニストと言えるのではないだろうか。かつてのリリー・クラウスやクララ・ハスキル、近年では、ピリスや内田光子、メジューエワ、グリモー、アリスなど、綺羅星のごとく輝く女流ピアニストが数々の名演を遺してはいるが、それでもアルゲリッチの玉座を脅かす存在はいまだ存在していないのではないかと考えられる。本年5月末に発売されたオリヴィエ・ベラミー著の「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」によると、アルゲリッチは日本、そして日本人を特別に愛してくれているということであり、我が国において数々のコンサートを開催するのみならず、別府音楽祭を創設するなど様々な活動を行っているところだ。アルゲリッチには、今後も様々な名演を少しでも多く成し遂げて欲しいと思っている聴き手は私だけではあるまい。本盤には、アルゲリッチが1960年代にスタジオ録音したショパンの有名曲がおさめられているが、いずれも素晴らしい名演だ。いずれの演奏においても、ショパン国際コンクールの覇者として、当時めきめきと頭角をあらわしつつあったアルゲリッチによる圧倒的なピアニズムを堪能することが可能であると言える。アルゲリッチのショパンは、いわゆる「ピアノの詩人」と称されたショパン的な演奏とは言えないのかもしれない。持ち前の卓越した技量をベースとして、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまでの桁外れの表現力の幅広さを駆使しつつ、変幻自在のテンポ設定やアッチェレランドなどを織り交ぜて、自由奔放で即興的とも言うべき豪演を展開していると言える。ある意味では、ドラマティックな演奏ということができるところであり、他のショパンの演奏とは一味もふた味もその性格を大きく異にしているとも言えるが、それでいて各フレーズの端々からは豊かな情感が溢れ出しているところであり、必ずしも激情一辺倒の演奏に陥っていない点に留意しておく必要がある。そして、アルゲリッチのピアノ演奏が素晴らしいのは、これだけ自由奔放な演奏を展開しても、いささかも格調の高さを失うことがなく、気高い芸術性を保持しているということであり、とかく感傷的で陳腐なロマンティシズムに陥りがちなショパン演奏に、ある種の革新的な新風を吹き込んだと言えるのではないだろうか。そのような意味において、本盤の演奏は、今から40年以上も前の録音であるにもかかわらず、現在においてもなお清新さをいささかも失っていないと評価したいと考える。音質については、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきたこともあって、従来盤でも十分に良好な音質であったが、今般発売されたシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでとは次元の異なる圧倒的な高音質に生まれ変わったと言える。いずれにしても、アルゲリッチによる清新な超名演を、現在望み得る最高の高音質SACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
4 people agree with this review 2011/08/27
本盤にはプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番とラヴェルのピアノ協奏曲がおさめられているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。それどころか、録音から40年以上が経過しているにもかかわらず、現在でもなお両曲の様々な演奏の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。アルゲリッチのピアノは、実演においてもスタジオ録音においても、灼熱のように燃え上がる圧倒的な豪演を展開するが、それは本盤におさめられた演奏においても健在。その卓越した技量は超絶的でもあり、とても人間業とは思えないような強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現の幅は桁外れに広く、変幻自在のテンポ設定や猛烈なアッチェレランドを駆使するなど、自由奔放で即興的とも言うべき圧倒的なピアニズムを展開していると言える。それでいて、アルゲリッチの素晴らしいのは、どれだけ自由奔放な演奏であっても、いささかも格調の高さを失うことがないという点であると言える。要は、どのように大胆な表現を行っても、芸術性を損なわないということであり、プロコフィエフでは同曲特有の独特のリズム感と叙情性を巧みに表現しているし、ラヴェルのピアノ協奏曲では、同曲が含有するフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいにおいてもいささかの不足はないと言える。このような圧倒的なピアニズムを展開するアルゲリッチに対して、アバドの指揮も一歩も引けを取っていない。当時のアバドは次代を担う気鋭の指揮者として上昇気流に乗りつつあったが、本盤の演奏においても、畳み掛けていくような気迫や力強さ、そして持ち前の豊かな歌謡性を駆使した、いい意味での剛柔バランスのとれた名演奏を行っている点を高く評価したい。オーケストラにベルリン・フィルを起用したのも功を奏しており、さすがにこの当時はポストカラヤンなどは問題にもならなかったであろうが、気鋭の指揮者に敬意を表して最高の演奏を披露したベルリン・フィルにも大きな拍手を送りたい。なお、アルゲリッチは、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番についてはデュトワ&モントリオール交響楽団(1997年)とともに、ラヴェルの協奏曲については、アバド&ロンドン交響楽団(1975年)、デュトワ&モントリオール交響楽団(1997年)とともに再録音を行っており、それらも素晴らしい名演ではあるが、本盤の演奏にはそれら後年の演奏にはない若さ故の独特の瑞々しさがあると言えるところであり、本盤の演奏の方をより上位に置きたいと考える。音質については、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきたこともあって、従来盤でも十分に良好な音質であったが、今般発売されたシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでとは次元の異なる圧倒的な高音質に生まれ変わったと言える。いずれにしても、アルゲリッチ、そしてアバドによる歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質SACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
4 people agree with this review
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