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Review List of 一人のクラシックオールドファン 

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     2011/04/05

    当初私も混同したのですがコンチェルト・ケルンはムジカ・アンティカ・ケルンとは異なり常任指揮者を置かない1985年設立の小編成古楽器オーケストラで割りと早くからバロック以外の曲もこなす様になってはおり本盤はモーツァルト・イヤーに向けて2005年録音したモーッアルト小品集であります。中には珍しいバレエ音楽「レ・プティ・リアン」・・・私などオールド・ファンはミュンヒンガー盤で聴いた事があるといった程度の曲なのですが・・・がモーッアルト以外の作曲分も含めて収録されています。演奏特徴を語るには矢張り分り易いのはK525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(演奏タイム@7’27A4’47B1’44C4’46)がテンポの速さと共にドライな表現さが新鮮に聴こえはしました。反復演奏込みの第1楽章から小刻みなテンポは所謂優美なモーッアルトとは一線を画します。その速さは特に第2楽章で顕著でこの楽章での中間トリオでは勿論であります。ただこのメリハリ感というか軽快感は第3楽章にはちょっと活きては来ず相殺気味になりました。最終楽章は更に鋭い切り込みが途中の「間」効果を活かせ〆はドラマチックでさえあります。兎に角颯爽と従来のこの曲の演奏を洗い替えしたタイプの演奏となりましたが私には果たして作曲当時本当にこの様な演奏(チェンバロも参加?していることから)だったのか、他との演奏差別化からして編曲含めて何でも有りではないのか・・・とかいった思念も過ぎった演奏盤であります。ジャケットデザインも何か新宿辺りにモーッアルトが現れたシーンを思わせる奇抜なものですね。なお、本盤は現在販売されておらず再登場には正念場かもしれません。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/04/04

    「蝶々夫人」は日清戦争が始まる頃(1904年?)の時代設定で長崎を舞台とした没落士族の娘 蝶々さんとアメリカ海軍士官 ピンカートンとの悲恋物語で現地妻となった蝶々さんの純愛がピンカートンに踏みにじられ、ピンカートンの新妻に子供だけ引き取られたものの、当然蝶々さんは捨てられ父親の形見刀で自決してしまうという悲しい物語でマァ話しは単純ではあります。長崎のグラバー邸にはかつての蝶々夫人の名歌手 三浦環が子供を脇にした立像がありますね。その三浦環と同様少し先輩である芸能人 川上貞奴と1902年パリ万博で会ってのイメージから作曲したとも言われるプッチーニの当時の理解レベルでの日本女性を題材にしたオペラは一世紀の年月を経て彼の代表的作品の一つに成長して行ったわけです。三浦環は海外で「蝶々夫人」の公演を何度も行い彼女自身が有名アリア「ある晴れた日に」を1910年代後半に吹き込んだという盤(タイム4’28)もあるそうです。殊に日本では曲中に様々な日本旋律(越後獅子、君が代、さくらさくら、お江戸日本橋、ギッチョンチョン節、宮さん宮さん、かっぽれ節、推量節など)やアメリカ国歌が導入されてより親しく身近に聴かれていったものと思います(これら日本旋律はプッチーニが当時駐イタリア大使夫人から収集したものらしいです)。第1幕途中などの改宗場面では神仏混同も止むを得ないのでしょう。さて、従って本盤は本作品作曲からトスカニーニによる初演を経た概ね半世紀後1955年の演奏録音でありモノラルながら更に半世紀以上その地位を維持し現在でも代表盤として愛聴されているのはやはりM.カラス(S,当時32歳)の名唱がイタリア物を独墺系のカラヤン(同47歳)が乗り込んで?イタリア地元のOCTSMを振っての雄弁なサポートで聴けるからではないでしょうか。演奏タイムは第1幕51’21,第2幕第1場52’26,同第2場34’18で中でもあの有名アリア「ある晴れた日に」は4’38で結びに向かうにつれての迫力は凄いです・・・このアリアについてはこの録音の前年セラフィン/PHOとの共演分(4’34)も有名オペラアリア集盤などに入っております。私たち日本人の感覚ではカラスにとて日本の純情な十代女性を(勿論誰が歌っても)百パーセント満足の演技を期待するわけには行きませんが可憐な心情・心模様を抜群の安定した音程声色で前半十代女性をやや化け物的ではあってもコントロールしそして後半母親的強さを迫真にこなした処が聴きものであります(そのカラスも確か1975年頃の日本でのコンサートが最後だったと記憶しております)。ピンカートンを演ずるN.ゲッダ(T,当時30歳)も少しノーテンキな性格を上手く健闘しているかと思いました。他の独唱陣もそれぞれ頑張っております。第1幕終盤のカラヤン側は先にも触れた様にカラスの威力に相伴するかの如くドラマチックに時としてその高まりを緊張感で増長させ素直さ・爽やかさがねちっこさに挟まってまだカラヤンにはあった事の証しでもあります。各場での前奏と最終場後奏(日本旋律を葬送的に強調しています)でのオーケストラコントロールは勿論、第1幕SとTとの甘い会話やりとりからの感情の高ぶり場面や第2幕第2場でのピンカートン、シャープレス(M.ボリエルロ、B)、スズキ(L.ダニエリ、MS)等夫々の立場で悩む場面などオーケストラの上手いフォローが印象的であります。カラヤンは後年1974年VPOと組んでフレーニ、パヴァロッテイ他によるCD、同年同オーケストラでフレーニ、ドミンゴ他によるDVD盤を収録しておりますが息の長さでは本盤演奏・・・これにも他に様々な異盤があります・・・には届けないのでは。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/04/04

    ショルティはその出身地にも拘わらず英国での約十年の活動経歴からか同国の作曲家エルガー作品を結構残しており例えばエニグマ変奏曲は1974年CSO(本盤)、1979年LPO(DVD盤)、1996年VPOといった具合に収録されております。私は今回本盤CSO演奏盤(タイムトータル28’42)とVPO盤(タイムトータル29’00)を比べて聴いたのですがやはり先ず両者期間的に20年以上経過している・・・つまりショルティがそれだけ若く1974年当時62歳の生来彼の持っているある種の頑固さ・強引さがオーケストラの違い・・・何と言っても対照的とも思われますね・・・と相俟って結果そのものが多分異なって来た感じなのです。CSOの強力管楽器陣が印象的であることと比較的音楽のストリームを重視した様なVPO盤(以前VPO盤レビューでは「『角』がとれた」と表現しました)より各変奏曲の性格付けがストックとして区分色分けされ直球勝負的ではっきりしています。(あくまでVPO盤と比べての話しで)トップの主題の扱いがCSO盤では幾分長めにきっちりしていますが最終第13変奏曲・・・例の誰をイメージしたのか不明のメンデルスゾーンの序曲から借用したテーマ変奏部・・・から最終第14変奏曲にかけては余り引き摺らないであっさりしているので繰り返しになりますが曲の流れ的にはちょっと頼りなく感じました(この二つの変奏曲でCSO盤はタイム7’14に対してVPO盤は7’42とじっくり傾向)。本盤に含まれている行進曲「威風堂々」5曲と序曲「コケイン」は英国オーケストラLPOとの1976年の収録で前者はショルティの持つ頑固さが上手く威厳に結びついた様な演奏です。後者(タイム14’12)は私は初めて聴いたのですが「コケイン」というのはロンドン子、ロンドン街といった意味あいで確かにロンドンの街の喧騒ぶりとか人々の行き交う様子が描かれ曲想としては威風堂々的なフレーズや恋人たちを扱ったと思われるテーマではチャイコフスキーのロメオ&ジュリエット的な曲想が現れたりし最後は堂々ティンパニーを伴っての〆で楽しめました。両曲ともLPO自家薬籠の曲なのでしょう、ジャケットデザインも面白いですね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2011/04/03

    「蝶々夫人」は日清戦争が始まる頃(1904年?)の時代設定で長崎を舞台とした没落士族の娘 蝶々さんとアメリカ海軍士官 ピンカートンとの悲恋物語で現地妻となった蝶々さんの純愛がピンカートンに踏みにじられ、ピンカートンの新妻に子供だけ引き取られたものの、当然蝶々さんは捨てられ父親の形見刀で自決してしまうという悲しい物語でマァ話しは単純ではあります。長崎のグラバー邸にはかつての蝶々夫人の名歌手 三浦環が子供を脇にした立像がありますね。その三浦環と同様少し先輩である芸能人 川上貞奴と1902年パリ万博で会ってのイメージから作曲したとも言われるプッチーニの当時の理解レベルでの日本女性を題材にしたオペラは一世紀の年月を経て彼の代表的作品の一つに成長して行ったわけです。三浦環は海外で「蝶々夫人」の公演を何度も行い彼女自身が有名アリア「ある晴れた日に」を1910年代後半に吹き込んだという盤(タイム4’28)もあるそうです。殊に日本では曲中に様々な日本旋律(越後獅子、君が代、さくらさくら、お江戸日本橋、ギッチョンチョン節、宮さん宮さん、かっぽれ節、推量節など)やアメリカ国歌が導入されてより親しく身近に聴かれていったものと思います(これら日本旋律はプッチーニが当時駐イタリア大使夫人から収集したものらしいです)。第1幕途中などの改宗場面では神仏混同も止むを得ないのでしょう。さて、従って本盤は本作品作曲からトスカニーニによる初演を経た概ね半世紀後1955年の演奏録音でありモノラルながら更に半世紀以上その地位を維持し現在でも代表盤として愛聴されているのはやはりM.カラス(S,当時32歳)の名唱がイタリア物を独墺系のカラヤン(同47歳)が乗り込んで?イタリア地元のOCTSMを振っての雄弁なサポートで聴けるからではないでしょうか。演奏タイムは第1幕51’21,第2幕第1場52’26,同第2場34’18で中でもあの有名アリア「ある晴れた日に」は4’38で結びに向かうにつれての迫力は凄いです・・・このアリアについてはこの録音の前年セラフィン/PHOとの共演分(4’34)も有名オペラアリア集盤などに入っております。私たち日本人の感覚ではカラスにとて日本の純情な十代女性を(勿論誰が歌っても)百パーセント満足の演技を期待するわけには行きませんが可憐な心情・心模様を抜群の安定した音程声色で前半十代女性をやや化け物的ではあってもコントロールしそして後半母親的強さを迫真にこなした処が聴きものであります(そのカラスも確か1975年頃の日本でのコンサートが最後だったと記憶しております)。ピンカートンを演ずるN.ゲッダ(T,当時30歳)も少しノーテンキな性格を上手く健闘しているかと思いました。他の独唱陣もそれぞれ頑張っております。第1幕終盤のカラヤン側は先にも触れた様にカラスの威力に相伴するかの如くドラマチックに時としてその高まりを緊張感で増長させ素直さ・爽やかさがねちっこさに挟まってまだカラヤンにはあった事の証しでもあります。各場での前奏と最終場後奏(日本旋律を葬送的に強調しています)でのオーケストラコントロールは勿論、第1幕SとTとの甘い会話やりとりからの感情の高ぶり場面や第2幕第2場でのピンカートン、シャープレス(M.ボリエルロ、B)、スズキ(L.ダニエリ、MS)等夫々の立場で悩む場面などオーケストラの上手いフォローが印象的であります。カラヤンは後年1974年VPOと組んでフレーニ、パヴァロッテイ他によるCD、同年同オーケストラでフレーニ、ドミンゴ他によるDVD盤を収録しておりますが息の長さでは本盤演奏・・・これにも他に様々な異盤があります・・・には届けないのでは。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/04/03

    アーノンクール57歳の1986年収録モーッアルトの二つの宗教曲で有名な方つまりK317「戴冠ミサ」を切り口に少しコメントを入れさせていただきます。演奏タイムはHMVレビューにもある様に@2’57A4’37B6’18C1’51D3’38E6’46と全体少し速い感じはしますがアーノンクールなら当然という印象。「キリエ」序奏段取り重々しく切れ々な処に抵抗感がありましたがS(J.ロジャーズ、当時30歳)の恰幅ある出だしが素晴らしく若干T(J.プロチュカ、42歳)がその分弱く感じました、続く「グローリア」でのメリハリあるオーケストラは合唱、四重唱(前記二名に加えA(E.マグナス、32歳)とB(L.ポールガール、40歳))がピタリ。「クレド」は戴冠式というイメージから遠く華やかさが抑制気味、それでもBの存在感はばっちり。「サンクトス」での古色蒼然さが前楽章より更に上乗せ、無難に「ベネディクトス」を過ぎて最終「アニュイス」は比較的開放感を放つのではなくセーブして終結部へ運びます。演奏自体が勿論古楽器使用なので少しピッチ上の差もあろうかと思うし全体としてはアーノンクールは正しいのかも知れませんがかつてから聴いているこの曲に抱く楽しみ・・・華麗さ・・・は本演奏では私には印象薄いものでありました。K339「ヴェスペレ」(証聖者の盛儀(荘厳)晩課)(タイム@5’44A5’12B5’18C4’16D4’42E6’29)(モーッアルトはもう一曲「ヴェスペレ」K321を作曲しているらしいです)の方が成功している評価もある様です。多分聴き慣れていない分有利に働いたのかも知れませんね。シェーンベルク・アーノルド合唱団とアーノンクールは長く仕事を以降年も続けており本盤ではもう一つの合唱団と共に中々健闘しております。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/04/02

    以前LPでチャイコフスキーとシベリウスのセットのオイストラフ/オーマンディによるヴァイオリン協奏曲を聴いていました。ある意味当時は定番で前者はロシア物、後者は当時シベリウス演奏には定評のあったオーマンディという物でした。本盤久しぶりにそのカップリングでの登場CDですね。本盤チャイコフスキーの協奏曲は1959年収録(オイストラフ51歳の頃)・・・ハイフェッツ、スターン、ミルシィティン等々ロシア出身のヴァイオリニストが米国で特に1950年代に入って積極的に収録され始めた時期・・・でタイム的には@18’49A6’39B9’39とその演奏と共にバランスのとれた仕上がりになっております。第1楽章骨太なバックの下余裕たっぷりにゆったり音も豊穣に鳴ります、途中オーケストラの華やかな「山」の後やや単調な処も見受けられますが大満足。カデンツァも重みがありじっくり攻めて行きます。第2楽章美しい音色にロシアの土俗性が共存します、そして最終楽章はもう少しバックは興奮して欲しい気もありますがヴァイオリンの方は大きく時にはアクセントをつけ節目をつけて結びへ・・・。とにかく単に最近の若い女性ヴァイオリニストの弾く同曲とは・・・勿論これはこれで魅力的なのですが・・・スケール観というか次元が違うようです。オイストラフの同曲演奏盤はこれ以外にも結構あって1954年コンヴィチュニー/SKDO、1955年クレツキー/SFO、1957年コンドラシン/SSSO、1968年ロジェストヴェンスキー/MFO等夫々の共演盤があり聴き比べもされたらとも思います。シベリウスのヴァイオリン協奏曲(タイムは@14’52A8’22B7’25)も1959年の録音、オイストラフの充実期・・・第1楽章はやや速く進めますがやっぱり王道的。第2楽章もヴァイオリン、バックオーケストラ共に立派な押し出し・・・スバリこの曲に合っているかは疑問で安定した演奏ですが欲を言えばもう少し切羽詰った緊迫感も欲しいとは思いました。最終楽章でのリズム感で通常少し上ずる処をオイストラフは流石しっかりしていますね。その他のオイストラフによるシベリウスVCには1954年エールリンク/SFO、同年(ライブ)フーグシュテット/FRSO、1965年ロジェストヴェンスキー/MRSO(@15’03A8’41B7’23)などがあります。さて、本盤トータルとして私は最高ランクにおきたいです。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2011/04/01

    「蝶々夫人」は日清戦争が始まる頃(1904年?)の時代設定で長崎を舞台とした没落士族の娘 蝶々さんとアメリカ海軍士官 ピンカートンとの悲恋物語で現地妻となった蝶々さんの純愛がピンカートンに踏みにじられ、ピンカートンの新妻に子供だけ引き取られたものの、当然蝶々さんは捨てられ父親の形見刀で自決してしまうという悲しい物語でマァ話しは単純ではあります。長崎のグラバー邸にはかつての蝶々夫人の名歌手 三浦環が子供を脇にした立像がありますね。その三浦環と同様少し先輩である芸能人 川上貞奴と1902年パリ万博で会ってのイメージから作曲したとも言われるプッチーニの当時の理解レベルでの日本女性を題材にしたオペラは一世紀の年月を経て彼の代表的作品の一つに成長して行ったわけです。三浦環は海外で「蝶々夫人」の公演を何度も行い彼女自身が有名アリア「ある晴れた日に」を1910年代後半に吹き込んだという盤(タイム4’28)もあるそうです。殊に日本では曲中に様々な日本旋律(越後獅子、君が代、さくらさくら、お江戸日本橋、ギッチョンチョン節、宮さん宮さん、かっぽれ節、推量節など)やアメリカ国歌が導入されてより親しく身近に聴かれていったものと思います(これら日本旋律はプッチーニが当時駐イタリア大使夫人から収集したものらしいです)。第1幕途中などの改宗場面では神仏混同も止むを得ないのでしょう。さて、従って本盤は本作品作曲からトスカニーニによる初演を経た概ね半世紀後1955年の演奏録音でありモノラルながら更に半世紀以上その地位を維持し現在でも代表盤として愛聴されているのはやはりM.カラス(S,当時32歳)の名唱がイタリア物を独墺系のカラヤン(同47歳)が乗り込んで?イタリア地元のOCTSMを振っての雄弁なサポートで聴けるからではないでしょうか。演奏タイムは第1幕51’21,第2幕第1場52’26,同第2場34’18で中でもあの有名アリア「ある晴れた日に」は4’38で結びに向かうにつれての迫力は凄いです・・・このアリアについてはこの録音の前年セラフィン/PHOとの共演分(4’34)も有名オペラアリア集盤などに入っております。私たち日本人の感覚ではカラスにとて日本の純情な十代女性を(勿論誰が歌っても)百パーセント満足の演技を期待するわけには行きませんが可憐な心情・心模様を抜群の安定した音程声色で前半十代女性をやや化け物的ではあってもコントロールしそして後半母親的強さを迫真にこなした処が聴きものであります(そのカラスも確か1975年頃の日本でのコンサートが最後だったと記憶しております)。ピンカートンを演ずるN.ゲッダ(T,当時30歳)も少しノーテンキな性格を上手く健闘しているかと思いました。他の独唱陣もそれぞれ頑張っております。第1幕終盤のカラヤン側は先にも触れた様にカラスの威力に相伴するかの如くドラマチックに時としてその高まりを緊張感で増長させ素直さ・爽やかさがねちっこさに挟まってまだカラヤンにはあった事の証しでもあります。各場での前奏と最終場後奏(日本旋律を葬送的に強調しています)でのオーケストラコントロールは勿論、第1幕SとTとの甘い会話やりとりからの感情の高ぶり場面や第2幕第2場でのピンカートン、シャープレス(M.ボリエルロ、B)、スズキ(L.ダニエリ、MS)等夫々の立場で悩む場面などオーケストラの上手いフォローが印象的であります。カラヤンは後年1974年VPOと組んでフレーニ、パヴァロッテイ他によるCD、同年同オーケストラでフレーニ、ドミンゴ他によるDVD盤を収録しておりますが息の長さでは本盤演奏・・・これにも他に様々な異盤があります・・・には届けないのでは。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/04/01

    延原武春氏(以下敬称略 )の指揮・演奏には私は学生時代から彼が大阪出身故か1963年創設したテレマン・アンサンブルの活動を通じて比較的よく接しておりました。そのアンサンブルは当初はちょっとしたサロンや小ホールでのマンスリー・コンサート形式の演奏会だったのが次第に組織も大きくなって私のよく通った夙川教会や大阪倶楽部などでのコンサートはバッハ・カンタータやヨハネ受難曲等もプログラムに載る様になりました。今はすっかり彼も禿げてしまっていますが私が聴き始めた頃はまだ髪もフサフサ?でオーボエを吹いていたのを覚えており、時折 曲の解説を分り易く大阪弁でしてくれたのも親しみ感を持てる所以でもありました。彼自身は指揮・演奏に多分あるこだわりを持ってもおり決して中央楽壇に派手に進出するタイプではなかったもののさすがその実力たるやレパートリーにモーッアルト、ベートヴェンを加えて行き交響曲等を演奏、CD録音するに到ってクローズアップされ出したというのが注目度からは近い処かと思います。2008年録音のテレマン室内管弦楽団を振ってのベートーヴェン交響曲などもベストとは言えないものの一定の成果を出している様です。さて、本盤演奏は2010年(延原67歳頃)ブラームス交響曲第1番を日フィルを振ってのライブでしかも第2楽章が初稿版とこだわりぶりと言うか珍味が味わえます。演奏タイムとしては@15’19A8’55B4’26C16’18(拍手はこの後続く・・・)と反復を入れての第1楽章が長め、初稿版の第2楽章が普通の改訂版イメージからは短めとなっているのが特徴的。全体はピリオド・アプローチなのですがその第1楽章、速めスタートから早速ティンパニーの周期的アクセントに意表をつかれ大きく波を打たせながら展開部ではちょっとした「間」とテンポ律動を対比させいろいろ挑発して来ます。途中のピークでのティンパニーの強弱をつけた鋭さも面白いですね。いよいよ第2楽章では冒頭の主題の後にすぐオーボエ・ソロのフレーズが登場し聴く側が迷っているうちに引続く旋律は予想ラインをはずれもうすっかり初稿・・・勿論私は初めて聴きます・・・モード。延原自身は「うす味」の第2楽章と表現しておりました。これはこれで続く楽章と照らし合わせて見るとそんなに違和感がないのも不思議ですね。最終楽章でのあの歓喜テーマの流れは速めで軽い感じ、そして音色構成が明確でここでもフレージングのアップダウン仕掛は見事であります。何でも有りとは確かに異なる「こだわり」世界なのでしょう。〆の競り上がりも映えます。得てしてこの様な演奏は初見は面白いけれど云々・・・とコメントをつけたくなりがちな演奏が種々の仕掛をユトリで長く楽しみながら聴ける演奏に化けたのかもしれません(保守的演奏から見ると軟体動物的な感じ?)。この曲の一般的な演奏では勿論ありませんがOKランク以上は確保したいですね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2011/03/31

    同盤に入っているモーッアルト「戴冠ミサ」K317は確かとは聴いていない・・・というのは1985年VPOを振ったものであればヴァチカンでの曲途中でいろいろ典礼文、読誦が当然セレモニーなので挿入されているものでこれについては以前知人からCDを借りて聴いてはおりマァ、儀式なのでゆったりとしたライブ然してしかも華麗さが・・・カラヤン打ってつけ?・・・印象的であった事くらいしか覚えておらないのが現状であります・・・要は聴きかじりで終わっているということです。本盤はその曲部分のみ抽出して演奏タイム@キリエ3’24Aグローリア4’23Bクレド7’17Cサンクトゥス2’08Dベネディクトス3’24Eアニュイスディ7’49前後としたものという前提でメモしておきますね。カラヤンの正式?な戴冠ミサは1975年BPOを振っての演奏(タイム@3’15A3’58B6’39C1’58D3’17E6’40)盤が割りと身近ではありました。ブルックナー「テ・デウム」は周知の様にブルックナー自身が交響曲第9番最終章への転用を認めたもので比較的派手な宗教曲なのかカラヤンには合っている感じがします。カラヤンの演奏CD盤には1952年VPOライブ、1960年VPO、1972年VPO、1975年BPOそして本盤1984年(カラヤン76歳)VPOなどがあります。同一キャスト・演奏で実演後の改めての収録らしいです。演奏タイムは@7’09A2’53B1’47C7’06D7’13で第1楽章は力強く出だして以降持続する如何にもブルックナーらしい伴奏に支えられ微妙な転調、動静を織り込みながらティンパニーの合図で〆に向かう手はずはカラヤンの設計通り。第2楽章はG.ヴィンベルイ(T,41歳)が敬虔的というか官能的と言うのか中々好調である宗教的陶酔境へと誘い所々挟まれるヴァイオリンの甘さが続く第3楽章の壮大な合唱と対比されます。最終楽章序奏を経て最後の圧倒的とも思われる大合唱とVPO全奏は交響曲第7番にも散見されるテーマですっかりブルックナーの威厳的世界へと導きカラヤンの指揮ぶりはお釣りが来るくらい壮麗堂々たる〆であります。長年起用しているウィーン楽友協会Cとのぴったりの呼吸も聴き処。VPOも少しいつもと異なるサウンドを引き出しております。他の独唱陣はマァマァ。前述した様に「戴冠ミサ」について詳細を私自身詰められないので当面本盤OKランクとしておきますね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2011/03/30

    「蝶々夫人」は日清戦争が始まる頃(1904年?)の時代設定で長崎を舞台とした没落士族の娘 蝶々さんとアメリカ海軍士官 ピンカートンとの悲恋物語で現地妻となった蝶々さんの純愛がピンカートンに踏みにじられ、ピンカートンの新妻に子供だけ引き取られたものの、当然蝶々さんは捨てられ父親の形見刀で自決してしまうという悲しい物語でマァ話しは単純ではあります。長崎のグラバー邸にはかつての蝶々夫人の名歌手 三浦環が子供を脇にした立像がありますね。その三浦環と同様少し先輩である芸能人 川上貞奴と1902年パリ万博で会ってのイメージから作曲したとも言われるプッチーニの当時の理解レベルでの日本女性を題材にしたオペラは一世紀の年月を経て彼の代表的作品の一つに成長して行ったわけです。三浦環は海外で「蝶々夫人」の公演を何度も行い彼女自身が有名アリア「ある晴れた日に」を1910年代後半に吹き込んだという盤(タイム4’28)もあるそうです。殊に日本では曲中に様々な日本旋律(越後獅子、君が代、さくらさくら、お江戸日本橋、ギッチョンチョン節、宮さん宮さん、かっぽれ節、推量節など)やアメリカ国歌が導入されてより親しく身近に聴かれていったものと思います(これら日本旋律はプッチーニが当時駐イタリア大使夫人から収集したものらしいです)。第1幕途中などの改宗場面では神仏混同も止むを得ないのでしょう。さて、従って本盤は本作品作曲からトスカニーニによる初演を経た概ね半世紀後1955年の演奏録音でありモノラルながら更に半世紀以上その地位を維持し現在でも代表盤として愛聴されているのはやはりM.カラス(S,当時32歳)の名唱がイタリア物を独墺系のカラヤン(同47歳)が乗り込んで?イタリア地元のOCTSMを振っての雄弁なサポートで聴けるからではないでしょうか。演奏タイムは第1幕51’21,第2幕第1場52’26,同第2場34’18で中でもあの有名アリア「ある晴れた日に」は4’38で結びに向かうにつれての迫力は凄いです・・・このアリアについてはこの録音の前年セラフィン/PHOとの共演分(4’34)も有名オペラアリア集盤などに入っております。私たち日本人の感覚ではカラスにとて日本の純情な十代女性を(勿論誰が歌っても)百パーセント満足の演技を期待するわけには行きませんが可憐な心情・心模様を抜群の安定した音程声色で前半十代女性をやや化け物的ではあってもコントロールしそして後半母親的強さを迫真にこなした処が聴きものであります(そのカラスも確か1975年頃の日本でのコンサートが最後だったと記憶しております)。ピンカートンを演ずるN.ゲッダ(T,当時30歳)も少しノーテンキな性格を上手く健闘しているかと思いました。他の独唱陣もそれぞれ頑張っております。第1幕終盤のカラヤン側は先にも触れた様にカラスの威力に相伴するかの如くドラマチックに時としてその高まりを緊張感で増長させ素直さ・爽やかさがねちっこさに挟まってまだカラヤンにはあった事の証しでもあります。各場での前奏と最終場後奏(日本旋律を葬送的に強調しています)でのオーケストラコントロールは勿論、第1幕SとTとの甘い会話やりとりからの感情の高ぶり場面や第2幕第2場でのピンカートン、シャープレス(M.ボリエルロ、B)、スズキ(L.ダニエリ、MS)等夫々の立場で悩む場面などオーケストラの上手いフォローが印象的であります。カラヤンは後年1974年VPOと組んでフレーニ、パヴァロッテイ他によるCD、同年同オーケストラでフレーニ、ドミンゴ他によるDVD盤を収録しておりますが息の長さでは本盤演奏・・・これにも他に様々な異盤があります・・・には届けないのでは。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/03/29

    結果的にはクレンペラーはシューマンの交響曲全集を録った事になるのですが第4番はオーケストラはPOで1960年の録音、これ以外は1964年改組されたNPOを振っての録音であり本盤第1,2番は1966年クレンペラー81歳の頃となっております。最近こそ採り上げられる機会も徐々に増えてきた第2番(なにしろ日本での初演は1963年らしいです)はタイム@14’11A7’57B8’36C10’29とやや晦渋なこの曲を殊更遅い運びで演奏しており今でも私自身そう食い込めないのか曲想と演奏の相互の空振り的な感じの程度しかとらえられないのは自分自身歯がゆい思いであります。シューマン気に入りのバッハ「音楽の捧げ物」主題の引用第3楽章もなお重く聴こえた次第です。第1番の方(@12’33A7’26B6’09C9’30)もアプローチは全く同じですがタイムのわりにはテンポ感はそう遅くは感じません。しかし全体は分厚いハーモニーで内包するエネルギーの爆発が何時なのか気にしながら聴きました。そういうわけでゆっくりスタートの第1楽章は少し「春」からするとゴシゴシし過ぎでそれだけに男性的造形感は味わえます。シューマン・ロマンにスケール感もあわせ技の第2楽章そして重心を更に低く管弦が太く描く第3楽章。最終楽章は決して軽やかではない出だしながら途中管楽器による小鳥の囀りがこうした中微笑ましく曲自体少し脈絡密着度の弱い部分左右の音色の補完で収支をとった按配。そして〆へは小爆発でつっかけて行く・・・あくまで単純明快ではないクレンペラーの存在感がたっぷり。なお、第1番には同指揮者、同オーケストラで改組時期にかかるややこしい時の録音もあるらしいのですが一般には出回っていないのではないでしょうか。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/03/28

    「蝶々夫人」は日清戦争が始まる頃(1904年?)の時代設定で長崎を舞台とした没落士族の娘 蝶々さんとアメリカ海軍士官 ピンカートンとの悲恋物語で現地妻となった蝶々さんの純愛がピンカートンに踏みにじられ、ピンカートンの新妻に子供だけ引き取られたものの、当然蝶々さんは捨てられ父親の形見刀で自決してしまうという悲しい物語でマァ話しは単純ではあります。長崎のグラバー邸にはかつての蝶々夫人の名歌手 三浦環が子供を脇にした立像がありますね。その三浦環と同様少し先輩である芸能人 川上貞奴と1902年パリ万博で会ってのイメージから作曲したとも言われるプッチーニの当時の理解レベルでの日本女性を題材にしたオペラは一世紀の年月を経て彼の代表的作品の一つに成長して行ったわけです。三浦環は海外で「蝶々夫人」の公演を何度も行い彼女自身が有名アリア「ある晴れた日に」を1910年代後半に吹き込んだという盤(タイム4’28)もあるそうです。殊に日本では曲中に様々な日本旋律(越後獅子、君が代、さくらさくら、お江戸日本橋、ギッチョンチョン節、宮さん宮さん、かっぽれ節、推量節など)やアメリカ国歌が導入されてより親しく身近に聴かれていったものと思います(これら日本旋律はプッチーニが当時駐イタリア大使夫人から収集したものらしいです)。第1幕途中などの改宗場面では神仏混同も止むを得ないのでしょう。さて、従って本盤は本作品作曲からトスカニーニによる初演を経た概ね半世紀後1955年の演奏録音でありモノラルながら更に半世紀以上その地位を維持し現在でも代表盤として愛聴されているのはやはりM.カラス(S,当時32歳)の名唱がイタリア物を独墺系のカラヤン(同47歳)が乗り込んで?イタリア地元のOCTSMを振っての雄弁なサポートで聴けるからではないでしょうか。演奏タイムは第1幕51’21,第2幕第1場52’26,同第2場34’18で中でもあの有名アリア「ある晴れた日に」は4’38で結びに向かうにつれての迫力は凄いです・・・このアリアについてはこの録音の前年セラフィン/PHOとの共演分(4’34)も有名オペラアリア集盤などに入っております。私たち日本人の感覚ではカラスにとて日本の純情な十代女性を(勿論誰が歌っても)百パーセント満足の演技を期待するわけには行きませんが可憐な心情・心模様を抜群の安定した音程声色で前半十代女性をやや化け物的ではあってもコントロールしそして後半母親的強さを迫真にこなした処が聴きものであります(そのカラスも確か1975年頃の日本でのコンサートが最後だったと記憶しております)。ピンカートンを演ずるN.ゲッダ(T,当時30歳)も少しノーテンキな性格を上手く健闘しているかと思いました。他の独唱陣もそれぞれ頑張っております。第1幕終盤のカラヤン側は先にも触れた様にカラスの威力に相伴するかの如くドラマチックに時としてその高まりを緊張感で増長させ素直さ・爽やかさがねちっこさに挟まってまだカラヤンにはあった事の証しでもあります。各場での前奏と最終場後奏(日本旋律を葬送的に強調しています)でのオーケストラコントロールは勿論、第1幕SとTとの甘い会話やりとりからの感情の高ぶり場面や第2幕第2場でのピンカートン、シャープレス(M.ボリエルロ、B)、スズキ(L.ダニエリ、MS)等夫々の立場で悩む場面などオーケストラの上手いフォローが印象的であります。カラヤンは後年1974年VPOと組んでフレーニ、パヴァロッテイ他によるCD、同年同オーケストラでフレーニ、ドミンゴ他によるDVD盤を収録しておりますが息の長さでは本盤演奏・・・これにも他に様々な異盤があります・・・には届けないのでは。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/03/27

    現在販売されていない演奏盤ですがセルブリエール/RSNOによるグラズノフ交響曲シリーズの確か先頭をきった2004年録音のもので余り今まで馴染みの薄かったグラズノフ交響曲では比較的とっつき易い第5番です。ストコフスキーの弟子で最近は自作自演物も出しているセルブリエールが66歳の頃の演奏はマァ曲自体がそんなに深く意味合いするものではないけれど全体として明るめでオーケストレーションの素晴らしさを満喫出来る仕上がりになっています。グラズノフは他の多くの作曲家同様第九交響曲を中途で断念してしまいますがその前の第8番も本盤第5番同様傑作となっておりグラズノフの門下メッテルに習った朝比奈隆はその第8番を収録していたはずです。さて、本盤演奏タイムは@11’40A4’54B9’24C6’45と少し最終楽章が頼りない感じもしますがその最終楽章は活発な中に時折クリスマス・ソングを連想させるフレーズがあり最後フィナーレはティンパニーを大いに伴って管の引き伸ばしで堂々の〆を迎えます。戻って第1楽章は重々しいコラール風のユニゾンから管が挟まれ荒々しい広大さ的な処がロシア国民楽派らしいですね。第2楽章は管とチャイム打楽器でチャイコフスキーの人形劇音楽を思い出します。懐かしいし比較的西側のセンスが聴かれる第3楽章。何れにしても各楽章脈絡こそ見られないもののセルブリエールはきちっとその性格毎に描き出します。バレエ音楽「四季」の方は昔から私も他の演奏盤も聴いているのですがタイムは@冬9’25A春5’08B夏11’15C秋11’50(なお、トラックはもっと細かく分かれています)と若干長めには感じました。しかし全体若々しい運びでロシア々しておらずこれもセンスの良い演奏であります、RSNOが映画音楽も扱う所以も何となく分かる気がしました。私などは夏の情緒的テーマや秋の漁船が波を乗り越え大洋に漕ぎ出す感じが好きでもう小学校の時からTVニュースBGMに使われていたのを懐かしく思い出します。グラズノフ交響曲全集としてもありいつかは又再登場すべき素晴らしい演奏盤と思います。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/03/25

    ブラームス「ドイツ・レクイエム」はドイツ語によるレクイエムでプロテスタントだったブラームスが新旧訳聖書から歌詞をピックアップしたものらしいです。「ドイツ・レクイエム」は他のレクイエムにもあるように7楽章から成り真ん中の第4楽章を中心に対称的になって人生への肯定的な明るさと力強さを謳いあげます。本盤演奏1983年カラヤン(75歳)/VPO録音のものは演奏タイムが@11’15A15’07B11’07C5’29D7’31E13’11F11’31と私の感じでは過不足ないと思うのですが・・・。独唱は当時売出中(TVコマーシャルにも)のB.ヘンドリックス(S,当時35歳)とJ.D.ダム(B,43歳・・・彼は前回録音でも登場)でドイツ出身でない処はひっかかりつつ・・・その様な事を言ったらキリがありませんね。そして長年カラヤンが起用している合唱団・・・ウィーン楽友協会Cは時としてアヤフヤに落ちそうでも一応彼の指揮に、そしてVPOは慣れたもので結構締まった演奏を聴かせます。そう言えばカラヤンはこの曲を結構扱っておりHMVカタログだけでも1947年VPO、1957年VPO、1964年BPO、1976年BPOそして本盤演奏の各CD盤があり私は本盤と1976年BPO演奏分しか聴いてはいないのですがこの曲へのカラヤンの姿勢が晩年宗教曲へのウェイトを若干かけて行っただけに何か油抜けされた面も見る思いで聴きました。第1楽章美しい合唱「悩める者は幸せ」からカラヤンのレガート臭い節々はブラームスのまだ若いロマン性を安らかに表現します。VPOの管楽器の美しさが終わりにハープに支えられます。第2楽章は重々しくはせずマーチ風合唱を執拗なティンパニーがフォロー。中間は一条の光りが見え後半はアレグロに転じ荘厳な合唱が先のティンパニーをより戻しつつ〆に。第3楽章は先ず以前にもカラヤンの下でこの曲収録に経験あるJ.D.ダム(B)が求心力のある落ち着きぶりを発揮します。勿論大フーガが本命でそのコントロールぶりは見事! ピチカート風な弦をバックに平穏に流れ中程での軽いフーガの後は又平穏に戻って充分引っ張って4楽章は〆。第5楽章はB.ヘンドリックス(S)が合唱と違う歌詞で歌う処ですが無難に終わり第6楽章は交替にJ.D.ダム(B)が彷徨う様な合唱に取っ掛かりを入れ全奏「怒り」へ・・・。区切る様にハ短調独特の押し強さをカラヤンは管楽器をアクセントとして強調します・・・この辺りは流石上手いものですね。最終楽章「死に行く者は幸せ」は曲目自体ちょつと付け足し的な印象を私は持っているのですが第1楽章を断片的に循環し最後は持ち上げる様にハープとともに終わります。全体からは派手には違いないのですが先述の様にカラヤン脱脂されたカラヤン晩年の内なる声の演奏ともとれるのですが・・・。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2011/03/24

    ブラームス「ドイツ・レクイエム」はドイツ語によるレクイエムでプロテスタントだったブラームスが新旧訳聖書から歌詞をピックアップしたものらしいです。「ドイツ・レクイエム」は他のレクイエムにもあるように7楽章から成り真ん中の第4楽章を中心に対称的になって人生への肯定的な明るさと力強さを謳いあげます。本盤演奏1976年カラヤン(68歳)/BPO録音のものは演奏タイムが@11’12A14’58B11’15C5’28D7’51E13’12F11’35と私の感じでは過不足ないと思うのですが・・・。独唱はA.T.シントウ(S,当時35歳)とJ.D.ダム(B,36歳・・・彼は後年録音にも登場)でドイツ出身でない処はひっかかりつつ・・・その様な事を言ったらキリがありませんね。そして長年カラヤンが起用している合唱団・・・ウィーン楽友協会Cは彼の指揮に、そしてオーケストラBPOは艶やかな演奏を聴かせます。そう言えばカラヤンはこの曲を結構扱っておりHMVカタログだけでも1947年VPO、1957年VPO、1964年BPO、本盤1976年BPOそして1983年VPOの各CD盤があり私は本盤と1983年VPO演奏分しか聴いてはいないのですがこの曲へのカラヤンの姿勢が晩年宗教曲へのウェイトを若干かけて行った事に何か気がつかされた思いはしております。二つの演奏盤比較からなのですが本盤の方は特に合唱とオーケストラが全体生々しいというかグラマラスな印象を受けそれだけに起伏感(静謐な祈りと劇的な盛り上がりのコントラスト)もあり分り易い出来上がりになっています。第1楽章美しい合唱「悩める者は幸せ」から少し大仰な重厚っぽさはカラヤン臭いのですがブラームスのまだ若いロマン性を安らかに且つ艶っぽく表現します。第2楽章もややすると重々しい葬送行進風合唱を執拗なティンパニーがフォロー。中間は一条の光りが見え後半はアレグロに転じ荘厳な合唱が先のティンパニーをより戻しつつ〆に。重要な第3楽章は先ずJ.D.ダム(B)が落ち着いた表情で語り始めます。(途中ドヴォルザークのチェロ協奏曲で聴いたフレーズもばら撒きながら)やがてしなやかな大フーガでのカラヤンコントロールぶりは見事!最後はウーンと引っ張って終わります。 ピチカート風な弦をバックに合唱が平穏に流れ中程での軽いフーガの後は又平穏に戻って充分引っ張って4楽章は〆。第5楽章はA.T.シントウ(S)が合唱と違う歌詞で歌う処ですが無難に終わり第6楽章は交替にJ.D.ダム(B)が彷徨う様な合唱に取っ掛かりを入れ全奏「怒り」へ・・・。区切る様にハ短調独特の押し強さをカラヤンは管楽器をアクセントとして強調します・・・この辺りは流石上手いものですね。合唱にも覇気が感じられ〆は充分引っ張ります。最終楽章「死に行く者は幸せ」は曲目自体ちょつと付け足し的な印象を私は持っていたのですが本盤演奏は説得力がある様に思えました。第1楽章を断片的に循環し最後は持ち上げる様にハープとともに終わります。全体からは後年演奏には無い派手さ、分かり易さが特徴となり・・・やゝはしゃぎ過ぎの感で宗教曲でまとめきれない要素を孕んではいると思いました。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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