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Review List of 村井 翔 

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  • 2 people agree with this review
     2013/09/10

    オペラの読み替え演出はジグソー・パズルのピースを本来は入るはずのない場所に押し込むようなものだから、すべてのピースが見事に嵌まった奇跡的な成功例を見せられると(まだソフト化されていないものではグート演出のスカラ座、『ローエングリン』。ヘアハイム演出、バイロイトの『パルジファル』など)「凄いものを見せてもらった」と大感激することになるが、当然ながら失敗のリスクも高い。今回は残念ながら失敗。第1幕フィナーレの乱交パーティー(オッターヴィオとマゼットのキス!)、ツェルリーナの「薬屋の歌」、オッターヴィオの「恋人を慰めて」(普段は何て事もないアリアだけど)など秀逸なシーンもなくはないが、全体としては早くもエルヴィーラ登場のアリア、カタログの歌あたりから無理無理感が募って、見るのが辛い。演出家は家父長制に対する反逆者としてのドン・ジョヴァンニ像を強調しようとして、こういう設定にしたようだが、それって大昔からさんざん言われた話じゃない? 三人の女性たちもレポレッロもジョヴァンニが大好きなのだが、彼の流儀では生きられないからエンディングでは秩序(一夫一婦制)の世界に戻るしかない。これも昨今の演出では定番通りの結末だ。指揮はかなり煽り気味のピリオド・スタイルだが、直線的でヤーコプスのような芸の細かさは期待できないし、歌手たちも、演技にエネルギーを割かれた結果、万全の歌唱とは言い難い。普通の『ドン・ジョヴァンニ』が見たいと思ってこれを買う人はいないだろうけど、演出の特殊なシチュエーションにうまく乗れなければ、他にはあまり見どころ、聴きどころがない。 

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  • 5 people agree with this review
     2013/09/07

    別のところでジョーンズ演出をけなしたので、これだけは誉めておこう。スカラ座来日公演の予習で9種類の『ファルスタッフ』映像を見たが、演出・演奏ともに現状ではこれを凌ぐものがないというのが私の結論(ベヒトルフ演出/ガッティ指揮のチューリヒ版が二番手)。演出は「1946年」という特定の年に時代を設定している。こんど日本に来るカーセン演出は1950年代、ベヒトルフ演出も同じぐらいだから追随者がたくさん現われたわけだが、頭の固い旧世代ブルジョワ(フォード氏)と若者たち(ナンネッタ/フェントン)の葛藤を描くにはこの辺がふさわしいし、最終場の大騒ぎには「戦勝」直後の開放感も影響していよう。1946年を実際に経験した人はもう少ないと思うけど、現地のイギリス人なら思わずニヤリとするような、小ネタも盛り込まれているようだ。演出はそんなに特別なことをしているわけではなく、笑いのネタも定番通りのものばかりなのだが、笑わせられるところでは必ず「がめつく」笑いを取りにくる。第2幕の終わりではファルスタッフが窓から落ちる様を、第3幕の頭では彼がテムズ河から引き揚げられる様をちゃんと見せる、など細部へのこだわりも楽しい。最後の「仮装大会」での各キャラの扮装も秀逸だし、フーガぐらいは歌手たちに突っ立ったまま歌わせてやりたいと思うが、演出は終わりまで手抜きなし。
    ユロフスキの指揮が圧倒的に素晴らしい。シャープかつ繊細、こんなに生命力のはちきれんばかりに詰まった指揮は、バーンスタインの録音以来だ。強弱、緩急の幅も非常に大きいが、鉄壁のアンサンブルは崩れない。歌手陣もスーパースターこそいないものの、全く隙のないアンサンブルをみせる。女声陣のなかでナンネッタが一番太っていたりすると、それだけで見る気が失せるものだが(ロンコーニ演出のフィレンツェ版のこと)、全員がぴったりと適材適所にはまっている。

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  • 0 people agree with this review
     2013/09/03

    最も印象に残ったのは指揮者パッパーノの強力な統率ぶり。一昔前までのコヴェントガーデンのオケはかなり頼りなく、音色のニュアンスなんてまるで期待できなかったが、パッパーノの治世も10年を超え、楽員の世代交代も進んできたのだろう。見違えるほどいいオケになってきた。歌手陣ではガッロが『外套』のミケーレ、『ジャンニ・スキッキ』の題名役という対照的な二役を一晩のうちに演じるのが目玉だが、後者の方がベター。ゴッビ(音だけ)やヌッチ(スカラ座での録画がある)と比べなければ、という条件付きだが。ミケーレの方はウェストブローク/アントネンコという重量級コンビに(体重だけでなく声も)押され気味だ。さて、問題は新国立の『ムツェンスクのマクベス夫人』、スカラ座の『ピーター・グライムズ』、ミュンヒェンの『ローエングリン』、どれも感心したことがないリチャード・ジョーンズの演出。今回もあまり芳しい出来とは言えない。まず三作とも舞台が現代(少なくとも20世紀)に移されているが、読み替えの積極的意義が感じられない。現代のフィレンツェ人に「遺言書偽造がバレたら、手を切られて追放」なんて脅しても無意味だと思うけど、これがいつものジョーンズ流儀なので仕方がない。なかでは『ジャンニ・スキッキ』が比較的まし。いかにもイタリアの大家族らしい雰囲気が出ているし、イギリスの演劇人はやはりこういうのはうまい。ほとんど演出家がいじる余地のない『外套』は可もなし不可もなし。最悪は『修道女アンジェリカ』。主演ヤオの熱演、長身でクールなラーションの存在感など見どころは多い舞台だが、リアルとはいえ何の救いもないエンディングは私には受け入れられない。

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  • 3 people agree with this review
     2013/09/03

    ジョセフ・カーマン著『ドラマとしてのオペラ』は(音楽ではなくドラマとしての)『トスカ』がいかにくだらないかを力説しているが、確かにサルドゥの原作戯曲などは後世に残るはずもない三文芝居に過ぎない。プッチーニの音楽がすべてを変えてしまったのだ。しかし現代の演出家としては、このオペラのストーリー自体のチープさを何とかして救ってやろうと考えるのも当然。カーセンのこの演出はかなりのところまで健闘したものと言えるだろう。第1幕は教会ではなく、椅子が並べられた開演前の劇場の中。第1幕の終わりで幕が開くが、そこには1800年風の額縁舞台の中央にトスカの姿が。テ・デウムで讃えられる神とはディーヴァ・トスカだったという趣向だ。既にここまででカーセン得意の「あれ」かと察しのつく人も多いだろうが、第2幕は宮殿内の一室ではなく、劇場の舞台裏。第3幕はついに、予想通りの場所で演じられる。第2幕でのトスカ対スカルピアのやりとりがいわばゲーム的で一段と芝居がかっているところなど(トスカは自ら服を脱ぎ、スリップ姿になってスカルピアを誘ったりする)、従来の演技の型を破ろうとする演出家の意欲を感じることができるが、じゃあ劇中劇化したことによってどんな新しい局面が見えたのよ、と問われると少々苦しい演出。完全に論理が通っているとも言えず、オケピットに飛び降りたトスカはどうなった? 劇中で殺されたカヴァラドッシは本当は死んでない? などツッコミどころ満載ではある。
    マギーは声だけならさほどでもないが、持ち前の演技力を生かして、この演出に限れば大変面白い。ハンプソンもよくあるお下劣中年男ではなく、貴族性と知性を感じさせる役作り。これも演出に合っている。カウフマンはキャラとしてはふさわしいし、演技が上手いので(どんな演出にも対応できる柔軟性もある)、世界中どこでもカヴァラドッシになってしまうのだろうが、旧三大テノールのような輝かしい声は望めない。

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  • 5 people agree with this review
     2013/09/01

    普通とちょっと違う『ボエーム』が見たいけど、単に舞台を現代に移しただけの読み替え(そう言えば2012年夏のザルツブルクでもそんなのありましたね)は御免だという人に強くお薦めしたい、素晴らしいプロダクション。いかに良くできているかを自分の目で見て実感していただきたいので、細部のネタバレは避けたいが、基本構想は解説しないわけにいくまい。この演出では冒頭シーンでミミが死んでいる。19世紀パリのボヘミアン達の物語は彼女の死を受け止められないロドルフォが逃げ込んだ妄想の世界というのが大枠。しかし、一貫して妄想が続くのではなく、ファンタジーは繰り返し繰り返しリアルに引き戻されてしまう。このあたりの配合の絶妙さは(ネーデルランド・オペラの『エウゲニ・オネーギン』でも感嘆したけど)まさしくヘアハイムの天才のあかし。ミミがかつらを取るシーンがファンタジー/リアルの転換点として繰り返し現われるが、彼女がスキンヘッドなのは抗ガン剤の副作用。つまり、彼女の命を奪う病気はもはや結核ではなく癌である。妄想、現実逃避というと後ろ向きのイメージを抱く人が多いかもしれないが、ここでのファンタジーはロドルフォが現実のミミの死を受け止め、フロイトの言う「喪の仕事」を始めるためのセラピーになっている。さらに、それはオペラという架空の物語にわれわれはどうしてこんなに惹かれるのか、そこにはどんな有用性があるのか、という問いに対する演出家からの答えでもある。『ボエーム』をこんなメタオペラにしてしまうとは、ヘアハイムのインテリジェンスには感服するしかない。他にも同一歌手が演ずる某四役の見事な使い回しなど、書きたいことは山盛りあるが、まずは見てのお楽しみ。

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     2013/08/31

    今やドイツ・リート界を席巻するF=ディースカウ門下のバリトン歌手たちのうちで、ヘンシェルは今のところ一番、「独自のカラー」を打ち出し損ねているように見える。今や「ミクロ的な」歌詞の表情づけ、それを可能にする表情の引き出しの豊富さ、そのいずれでも彼はディースカウを凌ぐほどなのだが、そうであればあるほど「偉大な師匠」の影が背後に見えてしまうのは、ヘンシェルにとって悩ましい事態なのかもしれない。しかし、このディスクは彼にとってもブレイクスルーとなるような、めざましい傑作。その要因はもちろん、伴奏者にベレゾフスキーを迎えたからである。最初の「死んだ鼓手(レヴェルゲ)」がまず圧倒的に凄い。カーネギーホールで一度だけ実現したF=ディースカウとホロヴィッツの『詩人の恋』を思い出したが、これはまさに声とピアノによる協奏曲。ピアニストの圧倒的なヴィルトゥオジティと表現への積極的な関与が曲の様相を一変させている。他にもリアルとファンタジーの交錯する「歩哨の夜の歌」の描き分け、「地上の生活」のクラスター音楽風ですらある(ショパンのピアノ・ソナタ第2番の終楽章みたいな)焦燥感、「美しいトランペットの鳴り渡るところ」のむしろ訥々とした寂寥感、そして再び「高い知性への賛歌」での冴えた名技など、ピアノはいずれも秀逸。ヘンシェルもこれに応じて多彩な表情を繰り出し、最高の歌唱を聴かせる。

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     2013/08/31

    2番までは非常に冷徹、クールな振り方だった(特に2番は指揮のジェスチュアも抑え目で、体調が悪いのではないかと心配になるほどだった)インバルも、ナマの印象ではこの3番から一気に爆演モード。しかし、視覚的印象を外してCDで音だけ聴いてみると、基本的にはこれまでのクール、冷徹路線とあまり違わないようだ。確かに第1楽章展開部後半の畳みかけ方などは凄いし、ミクロな部分でのメリハリの付け方は堂に入ったものだが、全体としては速いテンポで非常に凝集力の強い、引き締まった演奏。3番は交響曲としては相当に破格な、悪く言えば組曲に近いような奔放な作品だが、インバルの指揮はこれを立派な交響曲として聴かせてしまう、と言えば分かりやすいだろうか。前回、2010年の録音は多少粗いところはあってもライヴの感興を生かそうというやや爆演寄りのアプローチだったのに対し、今回はより精度が高く、スクウェアな演奏だ。終楽章冒頭のアダージョ主題なども「情念」をのせるというよりは、ポリフォニックな対位旋律が克明に表出されて、むしろベートーヴェン後期の弦楽四重奏曲のような器楽的なアプローチがされている。ちなみに、管楽器の難所山盛りの曲ゆえ、さしもの都響もナマでは無傷とはいかなかったが、CDでは明らかな傷はきれいに修正されている。文句なしに世界的水準の高橋敦のポストホルン・ソロ以下、オケは素晴らしい出来ばえ。ただし私が3番にどうしても求めたい「アナーキーさ」と「開放感(のびやかさ)」がどちらも全く満たされないことから、残念ながら私にとっては徹頭徹尾、相性の悪い演奏ではある。

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     2013/08/18

    待望のシューベルト・シリーズ(おそらく)最終巻。8CDのこのシリーズ開始前に録音されていたイ短調 D.845を加えれば、シューベルトの主要ピアノ作品がこれで網羅されたことになる。最終巻ではニ長調 D.850の堂々たる演奏(しかし終楽章はまことに繊細可憐)もさることながら、焦点はやはり最後に置かれた変ロ長調 D.960のソナタだろう。この第1楽章はト長調 D.894と並んで、ソナタ・アレグロと歌謡楽章を融合させた画期的な傑作だが、メジューエワは予想通り、主旋律に偏った甘口の歌には陥らない。絶妙な転調による音色の変化には細かいペダリングで対応し、左手のトリルも実に強靱だ。さらに彼女のここでの大きな武器は、休符の積極的な活用。思い切ってパウゼを長く取ることによって、深淵を覗き見るような不気味な世界を現出させる。すでに数多くの名盤があるこの曲のディスクの中でも、十分に独自性を主張できる素晴らしい出来ばえだ。

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     2013/08/18

    一昔前はディスクの数も貧弱だったシューベルトの初期交響曲。レコード業界不況の昨今でもジンマンの全集録音以下、マナコルダ、ノリントン、ダウスゴーと新譜が絶え間なく出てくる。今やみんなピリオド様式だけど。そんな中でも、とびっきり生きがいいのがこの一枚。強音で始まる楽章では、必ずその前に指揮者が思いっきり息を吸い込む音がしっかり録音されているのはご愛敬だけど、ジャケ写真のイメージと合わせて「気合」の入った演奏のほどは、ご想像の通り。「ロッシーニ風」と評されることもある第3番は快速テンポ、強烈アクセントのピリオド流儀で簡単に畳んでしまえるので、その点では一筋縄ではいかぬ第4番「悲劇的」のほうが面白い。この曲だってゴリゴリのピリオド・スタイルで押し切ることもできるはずだが、そうはしないのだ。まず第1楽章の序奏、アダージョ・モルトがピリオド派としては随分遅い。第2楽章もノン・ヴィヴラートではあるが、意外なほどのしっとり味。不釣り合いなほど短い第3楽章は2分台で片づけられることも多かったが、この演奏では遅めのテンポ(3分28秒)で特徴あるリズムと音型を克明に表出する。この遅めの「メヌエット」とコントラストをなす終楽章は予想通りの疾風怒濤だ。不思議な軽さと風通しの良さが独特な味わいで、何とも魅力的。

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  • 1 people agree with this review
     2013/08/05

    前作『ドン・ジョヴァンニ』同様、2012年7月のバーデンバーデンにおける演奏会形式上演とその前のリハーサルから編集した録音。歌手陣は前作以上に強力だ。6人すべてが適材適所だが、まずパーションは既に二種類の映像ディスクでこの役をつとめている通り、フィオルディリージに最適な歌手。彼女の歌の清潔だがちょっと冷たい感触は、この時代錯誤なほど貞操の固い(18世紀なら普通とも言えるが、第1幕の大アリアでは明らかにからかわれている)キャラクターに実にふさわしい。情熱的なロマンティストのフェランドはモーツァルトのテノール役の中でもビリャソンに最もふさわしいし、かつてのアルフレード・クラウスなどに比べると、モーツァルト様式への適合も申し分ない。この二人の競演で、このオペラのクライマックスであるフィオルディリージとフェランドの二重唱(第29番)は聴きごたえ十分なものとなった。男に対してもはや幻想を抱かない、わけ知りのおばさんという従来のイメージよりはずっと若い役作りだが、エルトマンのデスピーナもとても達者で面白い。
    ただし、指揮に関しては前作に比べて不満が大きい。『コジ』は一面では古典的なフォルムを持ったオペラだが、その実態は非常にデリケートな心理劇であり、まさにそれがオペラ500年の歴史の頂点に位置する大傑作たる所以なのだが、ネゼ=セガンの例によってピリオド・スタイルの指揮は、このデリケートな部分を即物的に割り切りすぎているように思える。たとえば第2幕フィナーレ最後の楽段「Fortunato l’uom che prende(こう考える人は幸せ)」のテンポはこれで良いと思うが、その直前の部分は速すぎる。この部分はドン・アルフォンソに元の鞘に戻れと言われても、もはや収拾のつかなくなった二組の恋人たちの途方に暮れた様を表現しているからだ。この解釈だと先の二重唱(第29番)でオペラのストーリーは終わってしまっており、第2幕フィナーレは念押しのドタバタ劇に過ぎないように聴こえてしまう。

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     2013/08/01

    二つの「夜曲」楽章を含めて、非常にテンポの速い演奏。ほぼ一年前に録音されたノット/バンベルク響と比べても、全体で6分ほど短い。たとえばスケルツォのトリオなど、たいていの指揮者はこの種の音楽のクリシェ(定番)に従って、大きくテンポを落とすものだが、シュテンツはさほどはっきりとした落差をつけない(確かに楽譜にもそういう指示はないのだが、オーボエの主旋律とコントラストをなすフルートとヴァイオリンの走句に「ピウ・モッソ」とあるのはテンポが落ちることを自明の前提としているとも考えられる)。こうした姿勢は全曲を通して一貫していて、ロマンティックな音楽にありがちな「ため」を排して、音楽をどんどん先に駆り立てるため、きわめてモダンな、あるいは躁状態の、ハイテンションな印象を受ける。下手をすれば「せかせかした」「無機的な」演奏とも取られかねないが、なかなか挑戦的な試みではある。かつてのショルティ/シカゴのようにオケの威力で曲をねじ伏せようというタイプの演奏ではないにしても、五日間を要したスタジオ録音で、オーケストラの精度も相当に高い。

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     2013/06/18

    チョン・ミョンフンはやはりソウル・フィルを振る時が一番、自分の音楽性を素直に発揮できるようだ。これもまさしく会心の名演。遅めのテンポの両端楽章と速いテンポで意図的に軽みを狙った中間楽章のコントラストが鮮やか。さすがに現代の指揮者、遅めのテンポといってもバーンスタイン最後のDG録音のような濃厚・強烈な表現は持ち込まないが、それでも聴き手の受ける印象の強さはバーンスタインに優るとも劣らない。数十名のオーケストラが完全に指揮者の表現に同調して、まるで声を合わせるようにして嘆き、うねるからだ。終楽章冒頭の、まるであえぎ声のような両ヴァイオリン・パートの表情など圧巻。軽めに仕上げられた第2楽章でも、最後にトリオの旋律が回顧されるところで、はっとするような表情のえぐりを見せる。第3楽章はカラヤン/ベルリン・フィルの1971年録音を上回る速さだが、威圧的なベルリン・フィルと違って、ソウル・フィルからはむしろ俊敏さを感じる。しかもミョンフンは楽章末尾でさらに一段のアッチェレランドをかけるのだ。付け合わせの「ヴォカリーズ」も絶妙の選曲。『悲愴』終楽章に続けられる音楽といったら、これか「トゥオネラの白鳥」ぐらいしか思いつかない。

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     2013/06/17

    大好きなオペラ『利口な女狐の物語』にまたひとつ優れた映像ディスクが登場。ユロフスキーの精彩ある指揮と、女性演出家スティルの細やかな配慮の行き届いた演出で見応えのある舞台になった。まず動物たちの衣装が秀逸。着ぐるみではない。狐たちはふさふさの尻尾をお尻に付けるのではなく、手に持っている。雌鳥たちのエロい出で立ちはHMVレビューの写真をご覧あれ。中央には「生命の木」(その根元に狐の巣穴がある)が据えられ、ビストロウシュカは本来、出番のない居酒屋の場面でもこの木の上から人間たちの営みを見ている。これは動物と人間の世界を分断しないようにした、とてもいいアイデア。また冒頭シーンでビストロウシュカの母親を演じたダンサーが一貫して彼女の「分身」として、ダンス・シーンではビストロウシュカ役を担当する。歌手陣では渋いおじいさんになったレイフェルクス(20年前、彼の演ずるイヤーゴが大好きだった)の森番が実にいい。この役では最高の適任者かもしれない。題名役のルーシー・クロウも熱演で悪くない。欲を言えば、見た目がもう少し若く見えればなお良かったが。

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  • 9 people agree with this review
     2013/06/17

    こういう演奏になるのは、最近のこのコンビの傾向からして覚悟しておくべきだったのだろうが、ブリュッヘンもオーケストラも老いてしまった。各楽章とも前回録音に比べて大幅にテンポが遅くなり、完全な老境様式の演奏。尖鋭さという点ではトーマス・ファイの録音が極め尽くしてしまったので、別の道を探る余地があるのではないかとも思ったが、クレンペラーのような深沈たる味わいには至らなかった。加えて録音がホールトーン重視の録り方なので、金管やティンパニも全体の響きに埋もれてしまって、平板という印象は否めない。ベートーヴェンならともかく、メンデルスゾーンでこれは辛い。かつては大好きな指揮者だっただけに、いたく失望。

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  • 2 people agree with this review
     2013/06/17

    2010年6月のブルックナー・ツィクルスからの映像ディスク化第2弾。ブルックナーの交響曲中でも、きわだって非ロマンティックな第5番は普通に考えるとバレンボイム向きではないように思えるのだが、これまでの2回の録音、特にベルリン・フィル盤は惚れ惚れするような快演だった。あまり右顧左眄する余地がなく、終楽章に見間違えようのないクライマックスのある作品なので、演奏者としては表現のポイントを絞りやすいのだろう。今回の映像もベルリン・フィル盤に劣らぬ素晴らしい出来。特に今回は前半二楽章のテンポがやや速めで、軽めに仕上げることを意識しているので、終楽章の克明さが一層きわだつ結果になっている。「素朴派」ブルックナー信徒の皆さんは、これでも「あれこれ音楽をいじりすぎる」と不満を抱かれるかもしれないが、表現はきわめて見通しよく、終楽章の対位法ネットワークの中でも目的地を見失うことはない。ゴシックの大聖堂と言うよりは鉄骨とガラスで出来た現代の高層ビルのような印象。ジャケットに使われた現代のアート写真は、まさに演奏の印象にふさわしい。壮麗無比なクライマックスに至るまでの演奏の精度とスピード感、さらにニュアンスの豊富さは、やはり聴き手を黙らせずにはおかぬものがある。

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