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Review List of つよしくん 

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  • 2 people agree with this review
     2011/07/01

    バーンスタインが史上最大のマーラー指揮者であることは論を待たないところだ。バーンスタインは、DVD作品を含めて3度にわたってマーラーの交響曲全集を録音した唯一の指揮者でもあるが(最後の全集は残念ながら一部未完成)、そのいずれもが数多くのマーラーの交響曲全集が存在している現在においてもなお、その輝きを失っていないと言えるだろう。本盤におさめられたマーラーの交響曲全集は、バーンスタインによる最初のものに相当する。録音は1960〜1975年という15年の歳月にわたってはいるが、その殆どは1960年代に行われており、バーンスタインがいまだ50歳代の壮年期の演奏ということが可能であると言える。オーケストラは、当時音楽監督をつとめていたニューヨーク・フィルを軸として、第8番はロンドン交響楽団、「大地の歌」についてはイスラエル・フィルが起用されている。このようなオーケストラの起用の仕方は、1970年代によるDVDによる2度目の全集がウィーン・フィルの起用を軸としつつも第2番においてロンドン交響楽団、「大地の歌」においてイスラエル・フィルを起用したこと、3度目の全集においては、ウィーン・フィル、コンセルトへボウ・アムステルダム、そしてニューヨーク・フィルの3つのオーケストラを起用したこととも共通していると言える。バーンスタインのマーラー演奏は極めてドラマティックなものだ。変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、そして猛烈なアッチェレランドを駆使するなど、その劇的な表現は圧倒的な迫力を誇っており、聴いていて手に汗を握るような興奮を味あわせてくれると言えるだろう。こうしたバーンスタインのマーラー演奏のスタイルは最晩年になってもいささかも変わることがなかったが、晩年の3度目の全集では、より一層表現に濃厚さとスケールの大きさ、そして楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さが加わり、他の指揮者による演奏を寄せ付けないような至高の高みに達した超名演に仕上がっていたと言える。本盤におさめられた演奏は、50代の壮年期のバーンスタインによるものであるだけに、3度目の全集のような至高の高みには達してはいないが、前述のようなドラマティックな表現は健在であり、とりわけトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な迫力においては、2度目や3度目の全集をも凌駕しているとさえ言えるだろう。ストレートで若干荒削りな演奏と言えなくもないが、スコアに記された音符の表層をなぞっただけの洗練された美を誇る演奏などに比べれば、よほど本演奏の方がマーラーの本質を捉えていると言えるとともに、我々聴き手に深い感動を与えてくれると言えるだろう。いずれにしても、本全集は、稀代のマーラー指揮者であったバーンスタインによる最初の全集として、今後ともその存在価値をいささかも失うことがない名全集と高く評価したい。録音は、従来盤が今一つ冴えない音質であったが、数年前にマルチチャンネル(3チャンネル)付きのSACD盤が発売され、信じ難いような鮮明な音質に生まれ変わったところである。当該SACD盤は分売でしか手に入らないが、バーンスタインによる至高の名全集でもあり、少々高額でもSACD盤の方の購入をおすすめしておきたいと考える。

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  • 13 people agree with this review
     2011/07/01

    今年はベームの没後30年に当たる。にもかかわらず、それを記念したCDの発売は、今月末発売のユニバーサルからのシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤3点の発売以外には見当たらないところだ。それでも、我が国においては今もなお熱心なベームファンは存在しているが、本場ヨーロッパでは殆ど忘れられた存在であると聞いている。生前はオーストリアの音楽総監督やウィーン・フィルの名誉指揮者の称号が与えられ、世代はかなり違うものの当時のスーパースターであったカラヤンのライバルとも目された大指揮者であったにしては、今日の知る人ぞ知る存在に甘んじている状況は極めて不当で残念と言わざるを得ない。このように、ベームの存在がますます忘れられつつある中においても、おそらく今後とも未来永劫、その価値を失うことがないと思われるCDが存在する。それこそは正に、本盤におさめられたベルリン・フィルとともにスタジオ録音(1959〜1968年)を行ったモーツァルトの交響曲全集であると考える。ベームは、モーツァルトを得意とし、生涯にわたって様々なジャンルの楽曲の演奏・録音を行い、そのいずれも名演の誉れが高いが、その中でも本全集は金字塔と言っても過言ではない存在であると言える。近年では、モーツァルトの交響曲演奏は、小編成の室内オーケストラによる古楽器奏法や、はたまたピリオド楽器の使用による演奏が主流であり、本演奏のようないわゆる古典的なスタイルによる全集は、今後とも二度とあらわれないのではないかとも考えられるところだ。同様の古典的スタイルの演奏としても、ベーム以外にはウィーン・フィルを指揮してスタジオ録音を行ったレヴァインによる全集しか存在しておらず、演奏内容の観点からしても、本ベーム盤の牙城はいささかも揺らぎがないものと考える。本全集におけるベームのアプローチは、正に質実剛健そのもの。重厚かつシンフォニックな、そして堅牢な造型の下でいささかも隙間風の吹かない充実した演奏を聴かせてくれていると言えるだろう。ベームの指揮は、1970年代後半に入ると、持ち味であるリズム感に硬直が見られ、テンポが極端に遅い重々しい演奏が増えてくるのであるが(最晩年にウィーン・フィルと録音したモーツァルトの後期交響曲集はこうした芸風が顕著にあらわれている。)、本演奏においてはいまだ全盛期のベームならではの躍動的なリズム感が支配しており、テンポも中庸でいささかも違和感を感じさせないのが素晴らしい。ベルリン・フィルも、この当時はいまだカラヤン色に染まり切っておらず、フルトヴェングラー時代の名うての奏者が数多く在籍していたこともあって、ドイツ風の音色の残滓が存在した時代でもある。したがって、ベームの統率の下、ドイツ風の重心の低い名演奏を展開しているというのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。このような充実した重厚でシンフォニックな演奏を聴いていると、現代の古楽器奏法やピリオド楽器を使用したこじんまりとした軽妙なモーツァルトの交響曲の演奏が何と小賢しく聴こえることであろうか。本演奏を、昨今のモーツァルトの交響曲の演奏様式から外れるとして、大時代的で時代遅れの演奏などと批判する音楽評論家もいるようであるが、我々聴き手は芸術的な感動さえ得られればそれでいいのであり、むしろ、軽妙浮薄な演奏がとかくもてはやされる現代においてこそ、本演奏のような真に芸術的な重厚な演奏は十分に存在価値があると言えるのではないだろうか。いずれにしても、本全集は、モーツァルトの交響曲全集の最高の超名演であるとともに、今後とも未来永劫、その存在価値をいささかも失うことがない歴史的な遺産であると高く評価したい。録音は、従来盤でも十分に満足できる音質であるが、本全集のうち、後期6大交響曲についてはリマスタリングがなされるとともに、第40番及び第41番についてはSHM−CD化がなされ、更に、今月末にはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われるとのことである。いずれにしても、ベームによる歴史的な超名演であり、他の主要な交響曲についてもシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化への取組を是非ともお願いしておきたいと考える。

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  • 15 people agree with this review
     2011/06/30

    本盤におさめられたブルックナーの交響曲全集は、カラヤンによる唯一のものである。当該全集に含まれた交響曲のうち、第1番〜第3番と第6番については、カラヤンとしてもコンサートで一度も採り上げたことがない楽曲であることから、カラヤンは本全集を完成させるためにのみ演奏を行ったことになる。カラヤンが指揮するブルックナーについては、最晩年のウィーン・フィルとの第7番(1989年)や第8番(1988年)を別とすれば、音楽評論家の評価は必ずしも芳しいものとは言い難い。とりわけ、とある影響力の大きい音楽評論家が、カラヤンと同い年の朝比奈やヴァントの演奏を激賞し、カラヤンの演奏を内容空虚と酷評していることが、今日におけるカラヤンのブルックナー、とりわけ本全集の低評価を決定づけていると言えるのではないだろうか。私としても、朝比奈やヴァントによるブルックナーについては、至高の超名演と高く評価している。特に、1990年代後半の演奏は神がかり的な名演であるとさえ言える。しかしながら、朝比奈やヴァントの演奏様式のみが、ブルックナーの交響曲の演奏様式として唯一無二であるという考え方には反対だ。とある影響力の大きい音楽評論家は、ブルックナーとシベリウスは指揮者を選ぶなどということを言っておられるようであるが、私としては、両者の音楽がそれほど懐の狭いものであるとは考えていない。それこそ、ベートーヴェンなどの交響曲と同様に、ブルックナーやシベリウスの交響曲も、様々な演奏様式に耐え得るだけの懐の深さを有していると考えているところだ。本全集は、1975年から1981年にかけてのスタジオ録音であり、これはカラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代。本全集完成の翌年にはザビーネ・マイヤー事件が勃発して、両者の関係が修復不可能にまで悪化することに鑑みれば、本全集はこの黄金コンビによる最後の輝きであるとさえ言えるだろう。それにしても何と言う凄まじい演奏であろうか。一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントなブラスセクションの咆哮、桁外れのテクニックを示す木管楽器群、そして分厚い弦楽合奏、大地が轟くかのような重量感溢れるティンパニのド迫力、これらが一体となったベルリン・フィルの超絶的な演奏に、カラヤンは流麗なレガートを施し、正にオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していると言える。かかる演奏に対して、前述の影響力の大きい音楽評論家などは内容が空虚であるとか、精神性の欠如などを云々するのであろうが、カラヤン&ベルリン・フィルが構築したかかる圧倒的な音のドラマは、そのような批判を一喝するだけの桁外れの凄みがあると言えるところであり、これは他の指揮者が束になってもかなわない至高の水準に達しているとさえ考えられる。いずれにしても、本演奏にはカラヤン&ベルリン・フィルが創造し得た究極の音のドラマが存在していると言えるところであり、私としては、本全集を至高の超名演で構成された名全集と評価するのにいささかも躊躇するものではない。なお、第7番や第8番については、最晩年のウィーン・フィルとの演奏の方を、その独特の味わい深さからより上位の名演に掲げたいと考えるが、当該演奏は自我を抑制して、楽曲にのみ語らせる演奏になっているところであり、カラヤンらしさという意味においては、本全集に含まれた演奏の方を採るべきであろう。録音は、従来盤でも十分に満足できる音質であったが、数年前にカラヤン生誕100年を記念して発売されたSHM−CD盤による全集が現時点での最高の音質であったと言える。もっとも、現在ではSHM−CD盤が入手難であるが、カラヤンによる至高の名全集であることもあり、今後はSHM−CD盤の再発売、そして可能であればシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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  • 8 people agree with this review
     2011/06/30

    本盤におさめられたチャイコフスキーの後期三大交響曲集は、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルが、当時、鉄のカーテンの向こう側にあった旧ソヴィエト連邦から、西欧諸国への演奏旅行中に、ロンドン(第4番)、そしてウィーン(第5番及び第6番)においてスタジオ録音された演奏である。録音は1960年であり、今から50年以上も前のものであるが、現在でもチャイコフスキーの後期三大交響曲集の様々な指揮者によるあまたの演奏にも冠絶する至高の歴史的な超名演と高く評価したい。ムラヴィンスキーによるこれら後期三大交響曲集については、本演奏以外にも数多くの録音が遺されており、とりわけ第5番については本演奏よりもより優れた演奏も存在しているが、スタジオ録音であることによる演奏の安定性や録音面などを考慮すれば、本盤こそがムラヴィンスキーの代表盤であるということについては論を待たないと言えるところだ。本盤の各曲の演奏においては、いずれも約40分弱という、史上最速に限りなく近い疾風の如き快速のテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一環しているとも言える。他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。また、特に、第5番第2楽章のブヤノフスキーによるホルンソロのこの世のものとも思えないような美しい音色は、抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物であり、第4番の終楽章や第6番の第3楽章の弦楽器の鉄壁な揃い方はとても人間業とは思えないような凄まじさだ。これだけの歴史的な超名演だけに、初CD化以降、これまで幾度となくリマスタリングが繰り返されてきた。数年前にはSHM−CD盤が発売され、更にはルビジウム・カッティング盤が発売され、当該両盤がCDとしては甲乙付け難い音質であると考えてきたものの、かつてLPで聴いた音質には到底及ばないような気がしていた。ところが、昨年、ESOTERICからSACD盤が発売されついに長年の渇きが癒された。これこそ究極の高音質SACDであり、全盛期のムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる超絶的な名演を心行くまで満喫することが可能になったと言える。正に、歴史的遺産とも言うべき究極のSACD盤とも言えるだろう。もっとも、当該SACD盤は現在では入手難であるが、可能であれば中古SACD店などで購入されることを是非ともおすすめしたい。

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  • 6 people agree with this review
     2011/06/30

    数年前に惜しまれつつ解散をしてしまったアルバン・ベルク弦楽四重奏団(ABQ)であるが、ABQはベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集を2度に渡って録音している。最初の全集が本盤におさめられた1978年〜1983年のスタジオ録音、そして2度目の全集が1989年に集中的に行われたライヴ録音だ。このうち、2度目の録音についてはライヴ録音ならではの熱気と迫力が感じられる優れた名演であるとも言えるが、演奏の安定性や普遍性に鑑みれば、私としては最初の全集の方をABQによるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の代表盤と評価したいと考える。それどころか、あらゆる弦楽四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の中でも、トップの座を争う至高の名全集と高く評価したい。本演奏におけるABQのアプローチは、卓越した技量をベースとした実にシャープと言えるものだ。楽想を徹底して精緻に描き出して行くが、どこをとっても研ぎ澄まされたリズム感と緊張感が漂っており、その気迫溢れる演奏には凄みさえ感じさせるところである。それでいて、ABQがウィーン出身の音楽家で構成されていることに起因する独特の美しい音色が演奏全体を支配しており、とりわけ各楽曲の緩徐楽章における情感の豊かさには抗し難い美しさが満ち溢れていると言える。すべての楽曲がムラのない素晴らしい名演であると言えるが、とりわけABQのアプローチが功を奏しているのは第12番以降の後期の弦楽四重奏曲であると言えるのではないだろうか。ここでのABQの演奏は、楽曲の心眼を鋭く抉り出すような奥深い情感に満ち溢れていると言えるところであり、技術的な完成度の高さとシャープさ、そして気宇壮大さをも併せ持つこれらの演奏は、正に完全無欠の名に相応しい至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。録音は、初期盤でもEMIにしては比較的良好な音質であると言えるが、これほどの名演であるにもかかわらず、いまだにHQCD化すらなされていないのは実に不思議な気がする。今後は、とりわけ第12番以降の後期の弦楽四重奏曲だけでもいいので、HQCD化、可能であればSACD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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  • 5 people agree with this review
     2011/06/30

    カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代は1960年代及び1970年代というのが大方の見方だ。1982年になって、いわゆるザビーネ・マイヤー事件が勃発すると、両者の関係は修復不可能にまで悪化し、カラヤン自身の健康悪化も多分にはあると思うが、この両者による演奏に全盛時代の輝きが失われるようになったというのは否めない事実であると言える(中には優れた味わい深い演奏も存在している。)。本盤におさめられたハイドンのパリ交響曲集とロンドン交響曲集は、1980年代に入ってからの演奏ではあるが、ザビーネ・マイヤー事件勃発前のものであり、いまだ両者の関係に亀裂が走っていない時期の録音である。したがって、全盛期に比肩し得るような両者による素晴らしい演奏を堪能することが可能であると言える。一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、木管楽器やホルンなどの卓越した桁外れの技量を駆使しつつ、カラヤン一流の優雅なレガートが施された演奏は、正にオーケストラ演奏の極致とも言うべきものであり、ハイドンの交響曲演奏としてもこれ以上の絢爛豪華な演奏は空前にして絶後であるとも言えるだろう。したがって、カラヤンがとりわけ深く愛した交響曲第104番「ロンドン」については、ウィーン・フィルとのスタジオ録音(1959年)の方が、第103番も含めて、より颯爽とした爽快な演奏に仕上がっており、ハイドンの交響曲に相応しい名演とも言える。また、第104番に、第83番、第101番をカプリングしたベルリン・フィルとのスタジオ録音(1975年)も優れた名演であった。しかしながら、本盤におさめられた演奏は、いわゆる音のドラマとしては最高峰の水準に達していると言えるところであり、聴き終えた後の充足感においては、前述の過去の名演にもいささかも引けを取っていないと考える。このような重厚でシンフォニックな本演奏に接すると、近年主流となっている古楽器奏法や、ピリオド楽器を使用した演奏が何と小賢しく聴こえることであろうか。録音は従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、数年前にカラヤン生誕100年を記念して発売されたSHM−CD盤は、音質の鮮明さといい、音場の広がりといい、素晴らしい水準の音質であると言える。もっとも、カラヤン&ベルリン・フィルによる至高の名演でもあり、今後はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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  • 3 people agree with this review
     2011/06/29

    本盤には、モーツァルトによるセレナードを除くとバロック音楽の有名な小品がおさめられているが、いずれも至高の超名演と高く評価したい。名演の前に超を5つぐらい付してもいいのかもしれない。本盤においてカラヤンが指揮しているのはベルリン・フィルであり、ソロは基本的にベルリン・フィルの有名スタープレイヤーで占められている。カラヤン&ベルリン・フィルは、クラシック音楽演奏史上でも最高の黄金コンビの一つであると考えるが、その蜜月時代は1960代及び1970代というのが一般的な通説だ。1980年代に入るとザビーネ・マイヤー事件が勃発し、このコンビに修復不可能な亀裂が走ることになった。そこで、まずは本盤の録音が、そうしたザビーネ・マイヤー事件が両者の関係により深刻な影を落とし始めた1983年9月の録音であるのに着目したい。というのも、本盤におさめられた演奏を聴く限りにおいては、前述のように素晴らしい名演に仕上がっており、演奏の水準にはいささかも支障が生じていないということである。音楽以外の局面ではいかに醜い争いを行っていたとしても、カラヤンも、そしてベルリン・フィルも真のプロフェッショナルとして、音楽の面においては、最高の演奏を構築すべく尽力をしていたことが伺えるのだ。本演奏においても、全盛期のこのコンビを彷彿とさせるような圧倒的な音のドラマを聴くことが可能だ。アルビノーニのアダージョやバッハのG線上のアリアなどにおける分厚い弦楽合奏、パッヘルベルのカノンとジーグ等における弦楽による鉄壁のアンサンブルなど、あまりの凄さに圧倒されるばかりだ。カラヤンの指揮も、聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりが際立っており、例えばグルックの精霊の踊りなどのような抒情的な箇所における耽美的な美しさには身も心も蕩けてしまいそうだ。録音は、本盤でも十分に満足できる音質ではあるが、先日発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが音質に鮮明さを増すとともに音場がより広がったと言える。カラヤン&ベルリン・フィルによる超名演を、できるだけ良好な音質で聴きたいという方には、SHM−CD盤の方の購入をおすすめしたい。

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  • 3 people agree with this review
     2011/06/29

    バーンスタインはマーラーの交響曲全集をDVD作品を除くと3度にわたって録音した唯一の指揮者であると言える。本盤におさめられた全集はその3度目のものであると言えるが、正確に言うと、バーンスタインは本全集を完成する前に惜しくも鬼籍に入ってしまったところだ。というのも、第8番、「大地の歌」そして第10番の新録音を果たすことができなかったからであり、それ故に、第8番については没後発見されたザルツブルク音楽祭でのライヴ録音(1975年)、「大地の歌」については本盤には未収録、そして第10番は2度目のDVDによる全集中の演奏(1974年)をCDに焼き直したものがおさめられているところである。このような若干の未完成というハンディはあるものの、本全集こそは、あまた存在する様々な指揮者によるマーラーの交響曲全集に冠絶する至高の超名全集と高く評価したい。バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚な表情づけの演奏をするようになった。それは本全集においても例外ではなく、その演奏は、これまでの1度目、2度目の全集と比較してもテンポの遅さや濃厚さが際立っていると言える。しかしながら、他の作曲家による楽曲は別として、マーラーの交響曲や歌曲においては、こうしたゆったりとしたテンポによる濃厚さがすべてプラスに作用していると言えるだろう。そして、バーンスタインのアプローチは、ゆったりとしたテンポや濃厚な表情づけを基軸としつつ、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、そして大胆なアッチェレランドを駆使してこれ以上は求め得ないようなドラマティックな演奏を行っていると言えるところだ。マーラーの交響曲のテーマは、楽曲によって一部に例外はあるものの、基本的には死への恐怖と闘い、そしてそれと対置する生への妄執と憧憬であると考えるが、バーンスタイン以上にそれを音化し得た演奏は、テンシュテットによる最晩年の演奏以外には存在しないと言っても過言ではあるまい。こうした渾身の大熱演が我々聴き手の肺腑を打つのであり、前述のように、第8番や第10番など、1970年代の録音も一部に含まれてはいるが、本全集の各演奏こそは、史上最大のマーラー指揮者であったバーンスタインがその最晩年になって漸く成し得た究極の名演奏と言っても過言ではあるまい。マーラーに縁があった3つの超一流のオーケストラを起用したのも特徴であり、奥行きのある深沈とした表現が必要不可欠な第9番には北ヨーロッパの楽団ならではのくすんだいぶし銀の音色が魅力のコンセルトへボウ・アムステルダムを起用したり、壮麗な迫力を必要とする第2番にニューヨーク・フィルを起用するなど、各オーケストラの使い分けも実に考え抜かれた最善の選択がなされていると評価したい。第4番の終楽章ではボーイソプラノを起用するなど、若干のやり過ぎの感も否めないところではあるが、本全集全体の評価を貶めるほどの瑕疵があるわけではないものと考える。録音は、第10番を除くとすべてライヴ録音であり、とりわけ1970年代の録音である第8番や、本全集の本来の最初の録音であった第9番など、やや冴えない音質のものも存在していると言える。数年前には、本全集全体のSHM−CD盤が発売されたが、リマスタリングされたものが第5番に限られており、音質改善効果がさほど見られなかったのは残念であった。いずれにしても、史上最高のマーラーの交響曲全集であり、今後はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化をしていただくなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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     2011/06/29

    バーンスタインならではの至高の超名演と高く評価したい。「子供の不思議な角笛」は、マーラーが同名の民謡詩集から選んで作曲した歌曲集であるが、同歌曲集を構成する各歌曲が有する諧謔や皮肉、そしてユーモアに満ち溢れた独特の内容は、交響曲第2番〜第4番のいわゆる角笛交響曲にも通底するものと言えるのかもしれない(「さかなに説教するパトバのアントニオ」や「原光」の旋律については、第2番に活用されている。)。バーンスタインのアプローチは、同歌曲集においても、これら角笛交響曲で行ったアプローチと何ら変わるところはない。その表現は濃厚さの極みであり、緩急自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、粘ったような進行や猛烈なアッチェレランドの駆使など、考え得るすべての表現を駆使して、曲想を濃密に、そしてドラマティックに描き出していく。各歌曲毎の描き分けも見事に行っており、あたかも歌曲集全体が一大交響曲のような雄大なスケール感を有しているのが素晴らしい。バーンスタインがこれだけ自由奔放な指揮を行っているにもかかわらず、歌曲集全体に纏まりがあるというのは驚異的であり、これは、生粋のマーラー指揮者であるバーンスタインだけが成し得た圧巻の至芸と言えるだろう。そして、このようなバーンスタインの壮絶な指揮に適度な潤いと奥行きを与えているのが、コンセルトヘボウ・アムステルダムによる名演奏と言うことになるだろう。同オーケストラは、シャイーが音楽監督になってからはその音色が随分と変化したとも言われているが、本盤の録音当時は、北ヨーロッパのオーケストラならではのいぶし銀の深みのある音色を誇っており、ここでもそうした同オーケストラの持ち味を活かした好パフォーマンスを発揮しているのが見事である。独唱のポップとシュミットも最高の歌唱を行っていると言えるところであり、この諧謔と皮肉、そしてユーモアに満ち溢れたマーラーの歌曲の独特の内容を見事に表現し尽くしている点を高く評価したい。

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     2011/06/29

    ハイティンクほど評価が分かれる指揮者はいないのではないか。長年に渡ってコンセルトへボウ・アムステルダムの音楽監督をつとめ、ポストカラヤン争いでも後継者の候補の一人と目されベルリン・フィルの団員にも愛された指揮者であり、そして現在ではシカゴ交響楽団の音楽監督をつとめるという輝かしい経歴の持ち主であるにもかかわらず、ハイティンクの名声が揺るぎないものとは言い難い状況にあると言える。それは、音楽之友社から発売の「名曲名盤300選」などを紐解いても、ハイティンクによる演奏が上位を占めている楽曲は殆どない点にもあらわれていると言える。ハイティンクは全集マニアとして知られ、数多くの作曲家の交響曲全集を録音している。いずれも決して凡演というわけではなく、むしろいい演奏ではあるが、他の指揮者による演奏にも勝るベストの名演を成し遂げているとは言い難いのではないだろうか。このように、ベターな演奏を成し遂げることが出来てもベストの名演を成し遂げることができないところに、ハイティンクという指揮者の今日における前述のような定まらない評価という現実があるのかもしれない。もっとも、ハイティンクが録音した数ある交響曲全集の中でも、唯一ベストに近い評価を勝ち得ている名全集がある。それは、完成当時はいまだ旧ソヴィエト連邦が存在していたということで、西側初とも謳われたショスタコーヴィチの交響曲全集(1977〜1984年)である。これは、ハイティンクに辛口のとある影響力の大きい有名音楽評論家さえもが高く評価している全集だ。本演奏におけるハイティンクのアプローチは直球勝負。いずれの演奏においても、いかにもハイティンクならではの曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、英デッカによる高音質も相まって、ショスタコーヴィチがスコアに記した音符の数々が明瞭に表現されているというのが特徴であると言える。したがって、ショスタコーヴィチの交響曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、どの演奏も水準以上の名演であると言えるだろう。もっとも、決して奇を衒ったり、踏み外しを行ったりすることのない演奏であることから、各交響曲に込められた粛清への恐怖や粛清された者への鎮魂、独裁者への激しい怒りなどを抉り出していくような鋭さにおいては、後述のように第13番を除いては必ずしも十分とは言い難い面があり、個々の交響曲のすべてがベストの名演というわけではないことにも留意しておく必要がある。その意味では、最大公約数的に優れた名全集と言えるのかもしれない。私見では、第1番〜第3番、第9番、第11番についてはゲルギエフ&マリインスキー劇場管による演奏、第4番についてはラトル&バーミンガム市響やチョン・ミュンフン&クリーヴランド管、そしてゲルギエフ&マリインスキー劇場管による演奏、第5番及び第6番、第8番、第12番、第15番についてはムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる演奏、第7番についてはスヴェトラーノフ&ソヴィエト国立響による演奏、第10番についてはカラヤン&ベルリン・フィルやムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる演奏、第14番についてはクルレンツィス&アンサンブル・ムジカエテルナによる演奏がベストの名演であり、これらの名演と比較すると、ハイティンクによるこれらの交響曲の演奏はどうしても見劣りすると言わざるを得ない。また、ハイティンクは、ロンドン・フィルとコンセルトへボウ・アムステルダムの両オーケストラを使い分けているが、どちらかと言えば、コンセルトへボウ・アムステルダムを起用した演奏の方がより優れていると言える。そのような中で、コンセルトへボウ・アムステルダムと演奏した第13番だけは、何故に同曲だけなのかよくわからないところであるが、楽曲の心眼を鋭く抉り出していこうという彫の深さが際立っており、同曲の他の指揮者による様々な演奏にも冠絶する至高の超名演と高く評価したいと考える。いずれにしても、本全集は、ショスタコーヴィチの交響曲全集をできるだけ良好な音質で、なおかつすべての交響曲を一定の水準以上の名演奏で聴きたいと言う者、そして第13番の最高の超名演を聴きたいと思う者には、安心してお薦めできる名全集であると言える。

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     2011/06/29

    ハイティンクほど評価が分かれる指揮者はいないのではないか。長年に渡ってコンセルトへボウ・アムステルダムの音楽監督をつとめ、ポストカラヤン争いでも後継者の候補の一人と目されベルリン・フィルの団員にも愛された指揮者であり、そして現在ではシカゴ交響楽団の音楽監督をつとめるという輝かしい経歴の持ち主であるにもかかわらず、ハイティンクの名声が揺るぎないものとは言い難い状況にあると言える。それは、音楽之友社から発売の「名曲名盤300選」などを紐解いても、ハイティンクによる演奏が上位を占めている楽曲は殆どない点にもあらわれていると言える。ハイティンクは全集マニアとして知られ、数多くの作曲家の交響曲全集を録音している。いずれも決して凡演というわけではなく、むしろいい演奏ではあるが、他の指揮者による演奏にも勝るベストの名演を成し遂げているとは言い難いのではないだろうか。このように、ベターな演奏を成し遂げることが出来てもベストの名演を成し遂げることができないところに、ハイティンクという指揮者の今日における前述のような定まらない評価という現実があるのかもしれない。もっとも、ハイティンクが録音した数ある交響曲全集の中でも、唯一ベストに近い評価を勝ち得ている名全集がある。それは、完成当時はいまだ旧ソヴィエト連邦が存在していたということで、西側初とも謳われたショスタコーヴィチの交響曲全集(1977〜1984年)である。これは、ハイティンクに辛口のとある影響力の大きい有名音楽評論家さえもが高く評価している全集だ。本演奏におけるハイティンクのアプローチは直球勝負。いずれの演奏においても、いかにもハイティンクならではの曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、英デッカによる高音質も相まって、ショスタコーヴィチがスコアに記した音符の数々が明瞭に表現されているというのが特徴であると言える。したがって、ショスタコーヴィチの交響曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、どの演奏も水準以上の名演であると言えるだろう。もっとも、決して奇を衒ったり、踏み外しを行ったりすることのない演奏であることから、各交響曲に込められた粛清への恐怖や粛清された者への鎮魂、独裁者への激しい怒りなどを抉り出していくような鋭さにおいては、後述のように第13番を除いては必ずしも十分とは言い難い面があり、個々の交響曲のすべてがベストの名演というわけではないことにも留意しておく必要がある。その意味では、最大公約数的に優れた名全集と言えるのかもしれない。私見では、第1番〜第3番、第9番、第11番についてはゲルギエフ&マリインスキー劇場管による演奏、第4番についてはラトル&バーミンガム市響やチョン・ミュンフン&クリーヴランド管、そしてゲルギエフ&マリインスキー劇場管による演奏、第5番及び第6番、第8番、第12番、第15番についてはムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる演奏、第7番についてはスヴェトラーノフ&ソヴィエト国立響による演奏、第10番についてはカラヤン&ベルリン・フィルやムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる演奏、第14番についてはクルレンツィス&アンサンブル・ムジカエテルナによる演奏がベストの名演であり、これらの名演と比較すると、ハイティンクによるこれらの交響曲の演奏はどうしても見劣りすると言わざるを得ない。また、ハイティンクは、ロンドン・フィルとコンセルトへボウ・アムステルダムの両オーケストラを使い分けているが、どちらかと言えば、コンセルトへボウ・アムステルダムを起用した演奏の方がより優れていると言える。そのような中で、コンセルトへボウ・アムステルダムと演奏した第13番だけは、何故に同曲だけなのかよくわからないところであるが、楽曲の心眼を鋭く抉り出していこうという彫の深さが際立っており、同曲の他の指揮者による様々な演奏にも冠絶する至高の超名演と高く評価したいと考える。いずれにしても、本全集は、ショスタコーヴィチの交響曲全集をできるだけ良好な音質で、なおかつすべての交響曲を一定の水準以上の名演奏で聴きたいと言う者、そして第13番の最高の超名演を聴きたいと思う者には、安心してお薦めできる名全集であると言える。本全集の初期盤は36400円という高価であり、私も学生時代にアルバイトして貯めたお金で何とか購入したが、現在では7858円という約5分の1の低価格で手に入るというのは、何と言う羨ましいことであろうか。

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     2011/06/29

    本盤にはショルティがロンドン・フィルを指揮して演奏したR・シュトラウスの歌劇「ナクソス島のアリアドネ」がおさめられているが、素晴らしい名演と高く評価したい。ショルティほど、賛否両論ある指揮者はいないのではないだろうか。確かに、ショルティはその晩年に至るまで、拍が明瞭でアクセントはやや強めの正確無比とも言えるような演奏を展開していた。もちろん、1980年代後半になると、そのような演奏の中にも奥行きの深さが付加されてくるのであるが、それ以前の演奏では、呼吸の浅い浅薄な演奏も多々見られたところである。もちろん、マーラーの交響曲やお国もののバルトークの管弦楽曲や協奏曲などでは比類のない名演を聴かせてくれたが、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」を除いては、高い評価を得ている名演が少ないというのも否定し得ない事実であるところだ。しかしながら、本演奏においては、ストーリー展開の複雑さやオーケストレーションの巧みさを旨とするR・シュトラウスの歌劇「ナクソス島のアリアドネ」だけに、ショルティの正確無比なアプローチが見事に功を奏していると言えるのではないだろうか。ショルティの精緻に楽想を描き出して行くという指揮が、同曲の複雑な展開や楽想を明瞭に紐解き、聴き手が同曲の魅力をわかりやすく味わうことが可能になった点を高く評価すべきであろう。しかも、比較的小編成のオーケストラ演奏を主体とするオペラであることもあり、本演奏当時(1977年)のショルティによる他の楽曲の演奏において時として聴かれる力づくの無機的な音が殆ど聴かれないというのも素晴らしいと言える。ショルティの確かな統率の下、決して一流とは言い難いロンドン・フィルが持ち得る実力を最大限に発揮した名演奏を繰り広げているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。キャスティングは見事であると言えるが、とりわけバッカス役のルネ・コロとプリマ・ドンナ、アリアドネ役のレオンティン・プライス、そしてツェルビネッタ役の若きエディタ・グルベローヴァの名唱は秀逸である。また、音楽教師役のヴァルター・ベリーや作曲家役のタチアーナ・トロヤヌス、幹事長役のエーリッヒ・クンツなどによる巧みな歌唱も素晴らしい。録音は英デッカならではの極上の高音質録音であり、オペラ録音としては最高の水準を誇っていると高く評価したい。

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     2011/06/28

    ワルターは最晩年にコロンビア交響楽団を指揮して、自らのレパートリーの数々のステレオ録音を行ったが、その中にはブラームスの交響曲全集も含まれている。当該全集の中でもダントツの名演は、本盤におさめられた第4番ということになるのではないだろうか。ワルターによるブラームスの交響曲の名演としては、ニューヨーク・フィルを指揮した第2番の豪演(1953年)がいの一番に念頭に浮かぶが、今般の全集中の第2番にはとてもそのような魅力は備わっておらず、本演奏の優位性は揺るぎがないと言える。第4番はブラームスの晩年の作品であることもあって、孤独な独身男の人生への諦観や枯淡の境地をも感じさせる交響曲であると言える。本演奏におけるワルターのアプローチは、何か特別な解釈を施したりするものではなく、むしろ至極オーソドックスなものと言えるだろう。しかしながら、一聴すると何の仕掛けも施されていない演奏の端々から滲み出してくる憂愁に満ち溢れた情感や寂寥感は、抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。これは、人生の辛酸をなめ尽くした巨匠が、その波乱に満ちた生涯を自省の気持ちを込めて振り返るような趣きがあり、かかる演奏は、巨匠ワルターが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地にあるとも言っても過言ではあるまい。いずれにしても、本演奏は、ブラームスの第4の深遠な世界を心身ともに完璧に音化し得た至高の超名演と高く評価したい。小編成で重厚さに難があるコロンビア交響楽団ではあるが、ここではワルターの統率の下、持ち得る実力を最大限に発揮した最高の演奏を披露しているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。本演奏は至高の超名演であるだけに、これまでリマスタリングを何度も繰り返すとともに、Blu-spec-CD盤も発売されたりしているが、ベストの音質はシングルレイヤーによるSACD盤であると考える。当該SACD盤は現在でも入手可であり、ワルターによる超名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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     2011/06/28

    本盤におさめられたブルックナーの交響曲全集は、世界的なブルックナー指揮者として名を馳せたヴァントによる唯一のものである。本全集の完成以降、ヴァントは手兵北ドイツ放送交響楽団やベルリン・フィル、ミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団などとともに数多くのブルックナーの交響曲の演奏・録音を行っているが、新たな全集を完成させることはなかったところだ。また、本全集を完成して以後の演奏・録音は、第3番以降の交響曲に限られていたことから、本全集におさめられた交響曲第1番及び第2番は、ヴァントによる唯一の録音してきわめて貴重な演奏であると言える。また、本盤におさめられた各交響曲の演奏は1974〜1981年にかけてのものであり、ヴァントがいまだ世界的なブルックナー指揮者としての名声を獲得していない壮年期の演奏である。したがって、1990年代における神々しいばかりの崇高な名演が誇っていたスケールの大きさや懐の深さはいまだ存在していないと言えるところであり、本盤の演奏をそれら後年の名演の数々と比較して云々することは容易ではある。しかしながら、本盤の演奏においても、既にヴァントのブルックナー演奏の特徴でもあるスコアリーディングの緻密さや演奏全体の造型の堅牢さ、そして剛毅さを有しているところであり、後年の数々の名演に至る確かな道程にあることを感じることが可能だ。また、本盤の演奏においては、こうした全体の堅牢な造型や剛毅さはさることながら、金管楽器を最強奏させるなど各フレーズを徹底的に凝縮化させており、スケールの小ささや金管楽器による先鋭的な音色、細部に至るまでの異常な拘りからくるある種の神経質さがいささか気になると言えるところではあるが、それでも違和感を感じさせるほどでもないというのは、ヴァントがブルックナーの本質を既に鷲掴みにしていたからにほかならないと考えられる。そして、このようなヴァントの剛毅で緻密な指揮にしっかりと付いていき、持ち得る能力を最大限に発揮した名演奏を披露したケルン放送交響楽団にも大きな拍手を送りたい。いずれにしても、本全集は、世界的なブルックナー指揮者として世に馳せることになる後年の大巨匠ヴァントを予見させるのに十分な素晴らしい名全集と高く評価したい。

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     2011/06/28

    ヨッフムは、ブルックナーの交響曲全集を2度にわたってスタジオ録音している。この記録は、朝比奈が1990年代に3度目の全集を録音するまでは破られることがなかったものであるが、いずれにしてもこれはブルックナーの権威でもあったヨッフムの面目躍如とも言うべき立派な業績であると考えられる。両全集ともに素晴らしい名全集であると言えるところであり、両者の優劣を比較することは困難を極めるが、二度目の全集(1975〜1980年)がEMIによる決して万全とは言い難い音質であることを考慮に入れると、私としては1958〜1967年にかけて録音が行われた本盤の最初の全集の方をわずかに上位に掲げたいと考えている。本全集の各交響曲の演奏におけるヨッフムのアプローチは、1990年代になってヴァントや朝比奈が確立した、悠揚迫らぬインテンポによる荘重な演奏とは大きく異なっていると言える。むしろ、驚くほどテンポの変化を加えており、旋律もたっぷりと情緒豊かに歌わせるなど、ロマンティシズムの色合いさえ感じさせるほどだ。ブラスセクションなどの最強奏は、後年のヴァントや朝比奈にも通じるものがあるが、壮絶にしてドラマティックな要素をも兼ね備えているのが独特であると言える。したがって、ヴァントや朝比奈の演奏に慣れ親しんだ耳で聴くと、いささかやり過ぎの印象を与えるとともに、スケールがやや小型であるというきらいもないわけではないが、それでいてブルックナーの音楽の魅力を十分に描出するのに成功しているというのは、ヨッフムがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならないと言える。どの交響曲も水準以上の名演であると言えるが、とりわけ第1番、第2番は素晴らしい超名演であるとともに、第6番については、同曲の演奏史上でも今なおトップの座を争う至高の超名演と高く評価したいと考える。というのも、これらのブルックナーの交響曲の中でも比較的規模が小さい交響曲においては、前述のようなヨッフムのアプローチがすべてプラスに働いていると言えるからである。他方、第7番や第8番については、より壮大なスケール感が欲しいという気もするが、それはあくまでも高い次元での問題であり、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。第9番も、さすがに同曲最高の名演とは言い難いが、それでもベルリン・フィルの強力なブラスセクションを十二分に活かした壮絶な表現は、後年のヨッフムのシュターツカペレ・ドレスデン(1978年)やミュンヘン・フィル(1983年)との演奏をはるかに凌駕する圧倒的な迫力を誇っており、現在でもなお十分に存在感を誇る名演に仕上がっていると高く評価したい。録音も、ベルリン・イエス・キリスト教会やミュンヘン・ヘルクレスザールの豊かな残響を効果的に活かした素晴らしい音質を誇っており、前述のように後年のEMIの録音をはるかに凌駕していると言える。もっとも、ヨッフムによる最も優れたブルックナーの交響曲全集でもあり、今後は第1番、第2番及び第6番だけでも構わないので、SHM−CD化、そして可能ならばSACD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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