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7 people agree with this review 2011/05/08
本盤には、パイヤールが得意とするバロック音楽の小品(モーツァルト、ハイドンの作品を除く)がおさめられているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。現在は、ピリオド楽器の使用や現代楽器を使用した古楽器奏法などが一般化している時代である。バッハやヘンデルなどのバロック音楽の演奏はもとより、そうした演奏様式の波は、ハイドン、モーツァルト、そしてベートーヴェンなどの古典派音楽にまで及び、ついにはシューベルトやシューマンなどのロマン派音楽にまで広がって来ていると言える。しかしながら、そうした古楽器奏法やピリオド楽器による演奏は広範に普及しつつあるものの、芸術的な感動を覚える演奏というのはまだまだ少数派であると言えるのではないか。要は、内容が伴っていないということであり、音楽学者にとっては歓迎すべきことであるのかもしれないが、真に芸術的な感動を求める我々聴き手からすれば、嘆かわしい事態に陥っていると言わざるを得ない。アルビノーニやバッハ、ヘンデルなどによる楽曲は、かつてはクレンペラーやフルトヴェングラー、カラヤンなどの大指揮者が、それこそ大編成のオーケストラを活用して、重厚な演奏を繰り広げていたのだ。そうしたかつての重厚長大な演奏を、大時代的であるなどと批判する者が高名な音楽評論家の中にもおられるようであるが、仮に時代考証学的には問題があっても、芸術的な感動を覚えることができるのであれば、そのような問題は実に些末なことと言えるのではないだろうか。私としては、音楽を聴くということは、芸術的な感動を得たいがためであり、音楽を研究することが目的ではないことをあらためて銘記しておく必要があるのではないかと考えている。パイヤールが指揮するバロック音楽は、正に、かつての錚々たる大指揮者による演奏に連なるシンフォニックな演奏ということが可能だ。そして、パイヤールはフランス人であるだけに、重厚さ一辺倒ではなく、音楽に独特の洒落たセンスが満ち溢れており、いい意味での硬軟バランスのとれた名演に仕上がっている点を高く評価したい。また、本盤で素晴らしいのは、XRCDによる極上の超高音質録音である。本盤の録音は1975年であるが、今から約35年以上のものとは思えないような鮮明な音質に生まれ変わっているのは殆ど驚異的であるとさえ言える。パイヤールによるシンフォニックでセンス満点の名演を、現在望み得る最高の音質で味わうことができることを大いに喜びたい。
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1 people agree with this review 2011/05/08
本盤の売りは何よりもXRCDによる極上の高音質録音ということになるのではないだろうか。本盤におさめられた演奏は1965年の録音であるが、約50年近く前の録音とはとても思えないような鮮度のある高音質に生まれ変わっており、あらためてXRCDの潜在能力に驚き入った次第である。XRCDのポリシーとしては、マスターテープに刻み込まれた原音を忠実に再現するということであり、いかに約50年近く前と言えども、マスターテープには良好な音質が記録されている証左であるとも考えられる。現在においても、1960年代に録音された演奏をおさめたCDが大量に流通しているが、SACD化されたものは別格として、本盤のような水準に達した高音質のCDは非常に少ないと言える。1960年代は、ワルターやシューリヒト、クナッパーツブッシュが最後の輝きを見せるとともに、クレンペラーなどの往年の大指揮者がなお活躍していた時代である。これらの大指揮者による名演のうち、SACD化されたのは現時点ではワルターやクレンペラーによる一部の録音に限られており、その他の大半の録音はいまだに音質の抜本的な改善が図られているとは言い難い状況にある。今後は、マスターテープに刻み込まれた原音を忠実に再現すべく、XRCD化や、あわよくばSACD化を行うことによって、かつての名演の再生につとめていただきたいと考えている。本盤におさめられた演奏は、若き日のプレヴィンによるショスタコーヴィチの第5だ。プレヴィンは、クラシック音楽のみならず、多種多様な音楽のジャンルでも活躍する万能型のミュージシャンと言える。それ故に、プレヴィンのアプローチは、楽曲の聴かせどころのツボを心得た非常にわかりやすいものと言えるだろう。本演奏においても、プレヴィンはいささかも深刻には陥ることなく、起承転結が明快な演出巧者ぶりを発揮している。他方、ショスタコーヴィチが同曲に込めた粛清への恐怖や、それと裏腹の強制された歓喜などとは無縁の演奏でもあり、苦悩から歓喜へという単純な図式に基づいて外面的な効果を狙った演奏に陥っているとも言えなくもない。しかしながら、本演奏の録音当時はショスタコーヴィチがなお存命であり、その評価が定まっていない時期であったことや、プレヴィンが本演奏に示した類稀なる音楽性の豊かさ、そして前述のXRCDによる素晴らしい高音質を加味して★4つの評価とさせていただきたい。
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4 people agree with this review 2011/05/08
若きプレヴィンによる素晴らしい名演と高く評価したい。プレヴィンは、本演奏の13年後にウィーン・フィルとともに交響組曲「シェエラザード」を録音(1981年)しており、それも円熟の名演とも言えるが、楽曲の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫や力強い生命力においては、本演奏の方が数段勝っており、両演奏ともに甲乙付け難いと言ったところではないだろうか。プレヴィンは、クラシック音楽の指揮者としてもきわめて有能ではあるが、それ以外のジャンルの多種多様な音楽も手掛ける万能型のミュージシャンと言える。したがって、そのアプローチは明快そのもの。楽曲を難しく解釈して峻厳なアプローチを行うなどということとは全く無縁であり、楽曲をいかにわかりやすく、そして親しみやすく聴き手に伝えることができるのかに腐心しているように思われる。したがって、ベートーヴェンなどのように、音楽の内容の精神的な深みへの追及が求められる楽曲においては、いささか浅薄な演奏との誹りは免れないと思うが、起承転結がはっきりとした標題音楽的な楽曲では、俄然その実力を発揮することになると言える。交響組曲「シェエラザード」は、そうしたプレヴィンの資質に見事に合致する楽曲と言えるところであり、前述のような若さ故の力強い生命力も相まって、素晴らしい名演に仕上がったと言っても過言ではあるまい。聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりは心憎いばかりであり、プレヴィンの豊かな音楽性が本演奏では大いにプラスに働いていると言える。クラシック音楽入門者が、交響組曲「シェエラザード」をはじめて聴くに際して、最も安心して推薦できる演奏と言えるところであり、本演奏を聴いて、同曲が嫌いになる聴き手など、まずはいないのではないだろうか。いずれにしても、安定した気持ちで同曲を味わうことができるという意味においては、第一に掲げるべき名演と評価したい。併録の歌劇「サルタン皇帝の物語」からの抜粋2曲も同様のアプローチによる名演だ。そして、さらに素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質録音である。本盤の録音は1968年であるが、とても40年以上も前の録音とは思えないような鮮明な高音質に仕上がっていると言える。プレヴィンによる素晴らしい名演を、現在望み得る最高の音質で味わうことができることを大いに歓迎したい。
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2 people agree with this review 2011/05/07
シューベルトは、歌曲の分野だけではなく、室内楽曲の分野においても数多くの作品を遺した。かかる室内楽曲の中でも傑作とされるのは、弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」や弦楽五重奏曲などが掲げられると思うが、最も有名で親しみやすいのは、衆目の一致するところ本盤におさめられたピアノ五重奏曲「ます」と言えるのではないだろうか。そうした超有名曲であるだけに、古今東西の弦楽四重奏団が、有名ピアニストと組んでこぞって録音を行ってきているが、その中でも極上の美しさを誇っているのは、本盤におさめられたスメタナ弦楽四重奏団による第1回目の録音であると考えられる。とにかく、往年のスメタナ弦楽四重奏団による演奏は、美しさの極みであると言える。そして、スメタナ弦楽四重奏団の美演に見事に溶け込んでいるパネンカのピアノも負けず劣らず至純の美しさを誇っており、本演奏には、正にピアノ五重奏曲を聴く真の醍醐味があると評価したい。本演奏におけるアプローチにおいては、聴き手を驚かせるような特別な個性などはいささかも見られない。曲想を精緻に丁寧に描き出していくというオーソドックスなものであるが、表面上の美しさを磨くだけにとどまることなく、どこをとってもコクがあり、豊かな情感に満ち溢れているのが素晴らしい。ピアノ五重奏曲「ます」の近年に成し遂げられた名演としては、アマデウスSQ&ギレリスによる演奏(1975年)、クリーヴランドSQ&ブレンデルによる演奏(1977年)、ボロディンSQ&リヒテルによる演奏(1980年)、ハーゲンSQ&シフによる演奏(1983年)、カルミナSQ&田部京子による演奏(2008年)など、個性的な名演が目白押しではあるが、本盤のような情感豊かな美しい演奏を聴くと、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになる聴き手は私だけではあるまい。そして、何よりも素晴らしいのは、XRCDによる極上の高音質録音であると言える。本盤は1960年の録音ではあるが、とても50年前の録音とは思えないような、そして弦楽器の弓使いまでが聴こえてくるような鮮明な高音質に生まれ変わったのは殆ど驚異的ですらある。いずれにしても、スメタナ弦楽四重奏団とパネンカによる極上の美演を、望み得る最高の音質で味わうことができる本XRCDの登場を大いに歓迎したい。
2 people agree with this review
これは素晴らしい名演だ。極上の美演と言っても過言ではないのではないだろうか。モーツァルトのフルートとハープのための協奏曲とクラリネット協奏曲をカプリングした名盤としては、トリップ(フルート)、イェリネック(ハープ)、プリンツ(クラリネット)の各ソロ奏者とミュンヒンガー&ウィーン・フィルによる演奏(1962年)が存在している。当該演奏に対して、本演奏はすべてフランス人音楽家たちによる演奏。録音年も1963年でありほぼ同じ時期。あらゆる意味で対照的な名演が同時期に生み出されたというのも、実に興味深いと言える。前述のミュンヒンガー盤がドイツ風の重厚さの中にもウィーン風の優雅さを兼ね備えた素晴らしい名演であったが、本演奏は徹頭徹尾フランス風の名演。ランパルのフルート、そしてランスロによるクラリネット、ラスキーヌのハープのいずれもが、フランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいに満ち溢れていると言える。加えて、パイヤール指揮のパイヤール室内管弦楽団も、これら各奏者の演奏を巧みに引き立てつつ、実に洒落た味わいの優美な演奏を展開している。確かに、ミュンヒンガー盤にあった重厚さにはいささか欠けているきらいがないとは言えないが、演奏全体に漂うフランス風の洒落た味わいには抗し難い魅力が満ち溢れており、その味わい深さ、エレガントとも評すべき気品の高さにおいては、本演奏の方に若干軍配が上がると言っても過言ではあるまい。とりわけ、フルートとハープのための協奏曲については、本演奏はミュンヒンガー盤と並んで2強の一角を占める超名演と評価し得るところであり、今後とも、この2強を超える演奏を成し遂げるのは至難を極めると言えるだろう。録音は、今から50年近く前の録音であるにもかかわらず従来盤でも比較的満足できる音質であったが、先般、ESOTERICより待望のSACD盤が発売された。これによって、ランパルのフルートをはじめ各ソロ奏者の極上の美演をより鮮明な音質で味わうことが可能になったと言えるところであり、多少高額であるとは言えるが、可能であれば当該SACD盤の入手を是非ともお奨めしたいと考える。
3 people agree with this review 2011/05/07
本盤にはモーツァルトのピアノ協奏曲第23番及び第26番がおさめられているが、いずれも素晴らしい名演だ。それどころか、様々な指揮者による両曲の演奏の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。グルダとアーノンクールという、いずれも個性的な演奏を繰り広げる鬼才ピアニストと鬼才指揮者の組み合わせであり、聴き手を驚かすような特異な演奏を展開するのと思ったが、意外にも基本的にはいささかも奇を衒うことがない真摯な演奏を繰り広げていると言える。鬼才どうしが本気を出すとどのように凄い演奏をするのかの最たる例とも言えるところであり、自己の録音には厳しい評価をしてきたグルダでさえもがこの演奏に満足し、このコンビによる演奏のシリーズ化を切望するほどの名演奏に仕上がったと言えるほどだ(グルダは、モーツァルトのピアノ協奏曲では本演奏と、アバド&ウィーン・フィルと組んだ第20番及び第21番(DG)にも満足していたとのことである。当該DG盤については既にレビューに記したのでそちらを参照されたい。)。グルダのピアノは、ゆったりとしたテンポによって演奏を進めていくが、その表現はむしろ即興的とも言うべき自由奔放なもので躍動感に満ち溢れた演奏とも言える。それでいて、両曲の緩徐楽章における繊細な抒情の歌い方は静謐ささえ感じさせるほどの美しさを誇っており、グルダの桁外れの表現力の幅の広さを感じることが可能だ。両曲の終楽章においては、強靭な打鍵から繊細なピアニッシモに至るまで彫琢の限りを尽くした明晰さが際立っているが、愉悦性や情感の豊かさ、そして流麗な美しさをいささかも失うことがないのが素晴らしい。グルダは、このように真摯な姿勢で演奏に臨むとともに、アーノンクールともども心から楽しんで演奏しているような趣きもあり、あまりの感情移入のためにグルダが歌っている声さえ聴こえるほどだ。アーノンクールの指揮も、全体としては前述のように奇を衒わない真摯な指揮ぶりと言えるが、各楽器の響かせ方などにおいてはこの指揮者ならではの個性的な表現が聴かれるなど、必ずしも一筋縄ではいかない側面もある。コンセルトヘボウ・アムステルダムのいぶし銀の音色も、本名演に適度の潤いと温もりを与えている点も忘れてはならない。録音は、従来盤でも比較的良好な音質であったが、先般、ESOTERICより待望のSACD盤が発売された。これによって、グルダのピアノをより鮮明な音質で味わうことが可能になったと言えるところであり、多少高額であるとは言えるが、可能であれば当該SACD盤の入手を是非ともお奨めしたいと考える。
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7 people agree with this review 2011/05/05
同時発売のショパンのピアノ協奏曲第1番及び第2番と同様に、バレンボイムのDGへのデビュー第1弾となるCDの登場だ。本盤には、ショパンの幻想曲やピアノ・ソナタ第2番を軸として、ポロネーズ「英雄」や子犬のワルツ、舟歌と言った有名な小品が収録されている。これらの演奏は、いずれも、ショパン生誕200年を記念してワルシャワで行われたコンサートのライブ録音であり、このコンサートは、バレンボイム自身の演奏活動60年を記念するものでもあったとのことだ。バレンボイムは、近年では指揮者としての活動が中心であり、ピアニストとしても、ベートーヴェンやモーツァルトなどの独墺系の作品をレパートリーの中心に掲げてきている。したがって、バレンボイムのショパンというのはぴんと来ないというのが正直なところであるが、前述のような記念となるコンサートの曲目としてショパンを選んだところに、バレンボイムのショパンへの深い理解と愛着を感じることが可能だ。それにしても、バレンボイムのピアニズムは重厚で彫が深い。あたかも、ベートーヴェンのピアノ・ソナタに接するのと同様のアプローチで、ショパンに接していると言えるだろう。したがって、ショパンのピアノ曲に特有の愉悦やユーモアと言った側面にはいささか欠けると言わざるを得ないが、各楽曲の本質に潜んでいる寂寥感や人生への絶望感などに切り込んで行く鋭さには無類のものがあり、いわゆる音楽の内容の根底にある精神的な深みの追及に関しては、他のピアニストの追随を許さないような奥深さがあると言える。かかる演奏は、ショパンの音楽を陳腐なサロン音楽と見做す考え方に対する強烈なアンチテーゼとさえ言えるだろう。このような重いショパンは願い下げという聴き手もいるとは思うが、私としては、ショパンの音楽を、それこそベートーヴェンの音楽の高踏的な次元にまで引き上げることに成功した素晴らしい名演と高く評価したい。録音もSHM−CDによる鮮明な高音質であり、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
バレンボイムのDGへの移籍第1弾となったCDの登場だ。本CDにおさめられた曲目は、生誕200年を記念したショパンのピアノ協奏曲第1番及び第2番である。バレンボイムと言えば、ピアニストとしてはベートーヴェン弾きやモーツァルト弾きのイメージが強く、しかも近年では指揮者としての活動(それもドイツ音楽がレパートリーの中心)が目立っていることから、DGへの記念すべきデビュー盤がショパンの楽曲であるというのは、ショパンイヤーであることに鑑みても、大変意外であるというのが正直なところであった。確かに、本演奏で聴くショパンは、他のピアニストによる同曲の演奏とは一味もふた味も異なっていると言える。ある意味では、ベートーヴェン風の重厚なドイツ風のショパンと言えるところであり、一音一音を揺るぎない力強い打鍵で弾き抜いていくピアニズムは、あたかもベートーヴェンのピアノ協奏曲を弾いているような趣きがあると言っても過言ではあるまい。それでいて、両曲の緩徐楽章における情感の豊かさは美しさの極みであり、表現力の桁外れの幅の広さは、さすがはバレンボイムであると言える。いずれにしても、本演奏はショパンのピアノ協奏曲の演奏としては異色の部類に入る演奏ではあると言えるが、立派さにおいては比類がない演奏でもあり、ショパンの音楽を陳腐なサロン音楽と批判する者に対しては、強烈なアンチテーゼとなる演奏であるとも考えられる。私としては、ショパンの音楽をベートーヴェンの音楽の次元にまで高めることに成功した素晴らしい名演と高く評価したい。そして、バレンボイムの重厚なピアニズムをしっかりと下支えしているのが、気鋭の若手指揮者であるネルソンスと、バレンボイムの手兵でもあるシュターツカペレ・ベルリンによる名演奏だ。このコンビによる爽快ささえ感じさせる演奏は、とかく重厚で重みのあるバレンボイムのピアノ演奏に、適度なあたたかみを与えていることを忘れてはならない。録音もSHM−CDによる非常に鮮明な高音質であり、本演奏の価値を高めるのに大きく貢献していると言える。
8 people agree with this review 2011/05/05
キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲チクルスの第2弾の登場だ。第1弾のマンフレッド交響曲も名演であったが、本盤の悲愴も素晴らしい名演と高く評価したい。旧ソヴィエト連邦の時代から現在に至るまで、数多くの世界的なロシア人指揮者が活躍してきたが、いずれの指揮者も、祖国の大作曲家チャイコフスキーを深く崇敬し、チャイコフスキーの交響曲を数多く演奏・録音してきた。ムラヴィンスキーを筆頭として、コンドラシン、スヴェトラーノフ、ロジェストヴェンスキー、フェドセーエフ等々、そして現代のヤンソンスやゲルギエフ、プレトニョフなどに至るまで、いずれもチャイコフスキーの交響曲を数多く演奏・録音してきている。そして、ここからは私見であるが、かつての旧ソヴィエト連邦時代に活躍した指揮者による演奏は、ムラヴィンスキーは別格として、どちらかと言うと、ロシア風の民族色を強調したあくの強い演奏が多かったように考えている。当時の旧ソヴィエト連邦時代のオーケストラにおける金管楽器などのヴィブラートを利かせた奏法などに独特の特色があったことも、そうした演奏の性格に一役を買っていたのかもしれない。ところが、近年では、ゲルギエフにはややあくの強さの残滓が見られなくもないが、ヤンソンスやプレトニョフなどは、かなり洗練された演奏を行ってきているように思われる。キタエンコも、かつてのモスクワ・フィルの音楽監督時代はかなりあくの強い演奏を行っていたが、ドイツに拠点を移し、フランクフルト放送交響楽団やケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団などを指揮するようになってから、その演奏も随分と洗練されてきたように思われる。前回のマンフレッド交響曲もそうであったが、本盤の悲愴でも、キタエンコは楽曲を精緻に描き出していくという純音楽的なアプローチを施しており、全体的には従来よりは比較的洗練された装いが支配していると言える。もっとも、テンポはややゆったりとしたものとなっており、スケールは雄渾の極み。そして、ここぞと言う時のトゥッティにおけるパワフルな演奏(特に、第1楽章中間部、第3楽章、終楽章の終結部)は、いかにもロシアの悠久の大地を感じさせるような壮大な迫力を誇っており、ドイツに拠点を移してもキタエンコに今なお息づくロシア人としての熱き魂を感じることが可能だ。第1楽章の第2主題や第2楽章などにおける心を込め抜いたロシア風のメランコリックな抒情の表現にもいささかの不足もなく、終楽章の遅めのテンポによる彫の深い慟哭の表現は濃厚の極みであり実に感動的だ。また、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の重心の低いドイツ風の重厚なサウンドも、本演奏に奥行きと深みを与えている点を忘れてはならない。さらに素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の鮮明な高音質録音であり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献していると言える。
8 people agree with this review
4 people agree with this review 2011/05/05
古希を迎えた小林研一郎がチェコ・フィルとともに開始した、ベートーヴェンの交響曲チクルスの第2弾の登場だ。今回は、第2と第5の組み合わせであるが、前回のエロイカと同様に、素晴らしい名演と高く評価したい。特に、第5は、いかにも「炎のコバケン」の面目躍如たる圧倒的な豪演と言える。第1楽章の冒頭からして、凄まじい緊迫感に満ち溢れている。その後も畳み掛けていくような気迫と力強さが漲っており、トゥッティに向けて遮二無二突き進んでいく推進力は、圧巻の迫力を誇っていると言える。第2楽章は変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化を駆使して、誰よりもドラマティックな表現を行っているのが素晴らしい。副旋律の響かせ方について工夫を凝らしたりするなど個性的な表現が連続するが、他方、むせ返るような情感の豊かさは、小林研一郎の熱き心を体現していて実に感動的だ。第3楽章の低弦の響かせ方も楽曲の心眼に切り込んでいくような凄みがあると言える。そして、終楽章は、本演奏の白眉。楽曲の頂点に向けて、溢れんばかりの生命力で盛り上っていくような力感のある演奏を繰り広げ、小林研一郎のうなり声とともに圧倒的なクライマックスのうちに全曲を締め括っている。第2も素晴らしい名演だ。冒頭から切れ味鋭いテンポと彫の深い表現で聴き手を魅了する。とりわけ第2楽章は、小林研一郎の熱き歌心が結集しており、その至純の美しさには抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。そして、小林研一郎による切れば血が出てくるような灼熱のような指揮に、適度の潤いと奥行きの深さを与えているのが、チェコ・フィルによる名演奏と言えよう。ホルンをはじめとする管楽器の技量には卓越したものがあり、弦楽器の重厚で深みのある音色も実に魅力的というほかはない。いずれにしても、両演奏ともに小林研一郎とチェコ・フィルの抜群の相性の良さを感じさせる名演であり、今後のベートーヴェンの他の交響曲の演奏に大きな期待を抱かせるものと言える。録音は、SACDによる極上の高音質であり、小林研一郎&チェコ・フィルによる素晴らしい名演を望み得る最高の鮮明な音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
4 people agree with this review 2011/05/02
カラヤンは、R・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」を3度スタジオ録音している。ベルリン・フィルの芸術監督に就任して間もない頃の1959年盤(DG)、そして本演奏(1974年(EMI))、更に最晩年の1985年盤(DG)の3種類あり、いずれもオーケストラはベルリン・フィルとなっている。いずれも素晴らしい名演と高く評価するが、この中で最もカラヤンの個性が発揮された演奏は、紛れもなく本盤におさめられた演奏であると言えるのではないだろうか。というのも、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビの全盛時代は1960年代及び1970年代であり、本演奏はまさしくその真っ只中に録音されたからである。本演奏においても、そうした全盛期のこの黄金コンビの演奏の凄さを味わうことが可能だ。ベルリン・フィルは、一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、金管楽器の朗々たる響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器の響き、分厚い弦楽合奏、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニの迫力などが一体となり、正にオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な名演奏を繰り広げていると言える。カラヤンは、流麗なレガートを施すことによって、楽想を徹底的に美しく磨きあげており、シュヴァルベのヴァイオリンソロの美しさも、抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。おそらくは演奏だけをとれば、カラヤン&ベルリン・フィルが構築し得た最高の音のドラマと言えるだろう。ジャケットのデザインも含め完全無欠とも言うべき本演奏は、同曲演奏史上究極の名演との評価もあながち言い過ぎではないと考えられる。しかしながら、好き嫌いでいうと、私としては、カラヤンの統率力に綻びが見られるとは言え、後年の1985年の録音の方が好みである。というのも、1985年盤には、カラヤンの自省の念も込められた枯淡の境地が感じられるからであり、演奏の味わい深さという意味では、1985年盤の方をより上位に掲げたいと考える。録音は従来盤でも比較的満足できる高音質であったが、HQCD化によって音質はさらに鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。いずれにしても、カラヤンによる完全無欠な超名演をHQCDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
4 people agree with this review 2011/05/01
英国のローカルな作品の地位に甘んじていたホルストの組曲「惑星」を、クラシック音楽を代表する世界的な名作として広く認知させるのに貢献した歴史的な超名演と高く評価したい。本演奏の録音は1961年であるが、この当時は、同曲の録音は、ホルスト自身による自作自演盤や、同曲の初演者であるボールト盤しか存在しなかった。ところが、本カラヤン盤の登場によって、同曲が瞬く間に世界中に知られることになり、様々な指揮者による多種多様な演奏が行われるようになったのである。カラヤンの伝記などを紐解くと、当初はカラヤンも、そしてウィーン・フィルも、同曲の演奏には相当に難儀したとのことである。しかしながら、カラヤンとウィーン・フィルがその難儀を克服して要領を掴んだ結果、素晴らしい演奏が成し遂げられることになったのだ。本演奏における壮年期のカラヤンの指揮は、冒頭の火星からして、前のめりになって進んでいく気迫溢れる力強さが漲っており、そのパワフルな演奏は圧巻の迫力を誇っていると言える。また、金星などにおける情感の豊かさは美しさの極みであり、木星における崇高さは、雄渾なスケールを誇っていると言える。海王星における神秘的な雰囲気が漂う消え入るような繊細さは、カラヤンだけが描出し得る至純の世界と言えるのかもしれない。カラヤンの統率の下、ウィーン・フィルも最高のパフォーマンスを示していると言えるところであり、とかく華麗で賑々しくなりがちな同曲の演奏に、適度な潤いと奥行きの深さを与えている点も忘れてはならない。カラヤンは、本盤の20年後にベルリン・フィルを指揮して同曲を再録音(1981年)しているが、音のドラマとしては圧倒的な素晴らしさを誇ってはいるものの前述のような華麗で賑々しく感じられる箇所が随所に散見されるところであり、とても本演奏のような魅力はないと言える。いずれにしても、本演奏は、その後に登場した様々な指揮者による多種多様な名演にも、今なおいささかも引けを取らない至高の超名演と高く評価したい。録音は、英デッカならではの鮮明な高音質であるが、これまでのところでは、数年前に発売されたSHM−CD盤がベストの音質であった。もっとも、歴史的な超名演であることもあり、今後は、SACD&SHM−CD化を望みたいと考える聴き手は私だけではあるまい。
9 people agree with this review 2011/05/01
本盤におさめられたドヴォルザークの交響曲第8番の演奏は、セルが亡くなる直前の録音であり、セル&クリーヴランド管弦楽団による二度目のスタジオ録音ということにもなる。本演奏は、前回の演奏(1958年盤)を上回るのみならず、一世を風靡したこのコンビによる最高の名演の一つであり、古今東西の同曲の数ある名演の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。私見ではあるが、本名演に比肩できるのは、クーベリック&ベルリン・フィル盤(1966年)とカラヤン&ウィーン・フィル盤(1985年)だけではないかと考えている。セルは、クリーヴランド管弦楽団を徹底的に鍛え抜き、セルの楽器と称されるほどの超一流の楽団に仕立て上げたことで知られている。したがって、このコンビによる全盛時代の演奏は、特定の楽器が目立つということは殆どなく(これは、セルが最も嫌ったことであった。)、オーケストラ全体が一つの楽器のように聴こえるような精密なアンサンブルによる精緻な演奏を誇っていた。その残滓は、後継の音楽監督のマゼール時代にも色濃く存在しており、私も、マゼールに率いられて来日した際のコンサートにおいて、クリーヴランド管弦楽団の鉄壁のアンサンブルに驚嘆したのを今でもよく覚えている(確か、曲目はストラヴィンスキーの3楽章の交響曲であったと記憶している。)。ただ、あまりの演奏の精密さ故に、スケールもやや小型であり、いささか融通の利かないメカニックとも言うべき演奏も多々見られたと言わざるを得ないところだ。そのようなセルも最晩年になると、鉄壁のアンサンブルを維持しつつも、クリーヴランド管弦楽団の各団員により自由を与え、伸びやかな演奏を行うようになってきたところであり、それに併せて演奏のスケールも大きくなっていった。本名演は、そのような一連の流れの頂点にある演奏と言えるのではないかと考えられる。セルは本演奏においても曲想を精緻に描いてはいるが、フレージングが実に伸びやかである。そして、どこをとっても情感の豊かさに満ち溢れており、スケールも雄渾の極みと言える。これは正に、ドヴォルザークやスメタナ、ヤナーチェクなどのチェコ音楽を心から愛した巨匠が最晩年になって漸く到達し得た至高。至純の境地であると言えるのではないだろうか。併録のスラヴ舞曲第3番及び第10番も、ドヴォルザークの第8と同様の素晴らしい完熟の名演だ。録音は従来盤でも十分に満足し得る高音質であったが、HQCD化によって、若干ではあるが音質に鮮明さが増すとともに音場が幅広くなった。これほどの歴史的な名演であり、可能であればSACD化を望みたいところではあるが、HQCD盤による鮮明な高音質で味わうことができることを大いに歓迎したいと考える。
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2 people agree with this review 2011/05/01
モントゥーによるチャイコフスキーの三大交響曲の演奏は、ほぼ同時期に録音されたムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの歴史的な超名演(1960年)と比較すると、知る人ぞ知る存在に甘んじていると言わざるを得ない。このうち、交響曲第4番については、ムラヴィンスキーの演奏があまりにも凄い超絶的な名演であるために、他の演奏は不利な立場に置かれていると言わざるを得ないが、私としては、ムラヴィンスキーの名演は別格として、それに次ぐ名演としては、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1971年)と本演奏を掲げたいと考えている。このうち、カラヤンの演奏は、ベルリン・フィルの卓越した技量を駆使したオーケストラ演奏の極致と言うべきもので、これにライブ録音を思わせるようなドラマティックな要素が付加された圧倒的な音のドラマであったと言える。これに対して、モントゥーによる本演奏は、同曲にこめられた、運命に翻弄される作曲者の苦悩や絶望感、そして生への憧憬などを徹底的に追及するとともに、それを音化することに成功した彫の深い演奏に仕上がっていると言える。極論すれば、カラヤンの演奏が音のドラマであるのに対して、本演奏は人間のドラマと言った趣きがあるとも言えるところである。全体としては、ムラヴィンスキーの演奏と同様に、早めのテンポ(ムラヴィンスキーより快速の39分で全体を駆け抜けている。)による引き締まった造型が印象的であるが、かかる堅固な造型の中において、モントゥーは、細部に至るまで彫琢の限りを尽くしたドラマティックな演奏を展開していると言える。トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力強い生命力は、圧倒的な迫力を誇っており、とてもスタジオ録音とは思えないような壮絶の極みとも言える劇的な演奏を展開している。第2楽章のロシア風のメランコリックな抒情の歌い方にも、格調の高さが支配しており、高踏的な美しさを誇っているのは、モントゥーだけに可能な圧巻の至芸であると言えるだろう。モントゥーの確かな統率の下、圧倒的な名演奏を繰り広げているボストン交響楽団にも、大きな拍手を送りたい。録音は、従来盤が50年以上前のものということもあってややデッドで音場が広がらないという問題があったが、数年前に発売されたSHM−CD盤によって、比較的良好な音質に改善されたと言える。しかしながら、本XRCD盤はさらに鮮度の高い音質に生まれ変わっており、50年以上も前の録音とはとても思えないような高音質に大変驚かされた。既にSACD化された第6よりも音圧があると言えるところであり、いずれにしても、モントゥーによる至高の超名演をXRCDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
3 people agree with this review 2011/05/01
マーツァルは、チェコ・フィルとともにマーラーの交響曲全集の録音を行っている途上にあるが、第8と大地の歌、第10を残したところで中断してしまっている。その理由は定かではないが、既に録音された交響曲の中では、本盤におさめられた第5と第3が特に素晴らしい超名演に仕上がっていると言えるところであり、他の交響曲の演奏の水準の高さからしても、是非とも全集を完成して欲しいと考えている。さて、この第5であるが、これが実に素晴らしい名演なのだ。第5の名演と言えば、いの一番に念頭に浮かぶのがバーンスタイン&ウィーン・フィルによる超名演(1987年)だ。これは変幻自在のテンポ設定や、思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使したドラマティックの極みとも言うべき濃厚な豪演であり、おそらくは同曲に込められた作曲者の絶望感や寂寥感、そしてアルマ・マーラーへの狂おしいような熱愛などを完璧に音化し得た稀有の超名演であると言える。これに肉薄するのがテンシュテット&ロンドン・フィル(1988年)やプレートル&ウィーン響(1991年)の名演であると言えるだろう。ところが、マーツァルの演奏には、そのようなドラマティックな要素や深刻さが微塵も感じられないのだ。要は、マーラーが試行錯誤の上に作曲した光彩陸離たる華麗なオーケストレーションを、マーツァルは独特の味わい深い音色が持ち味のチェコ・フィルを統率してバランス良く音化し、曲想を明瞭に、そして情感を込めて描き出していると言える。正に純音楽に徹した解釈であると言えるが、同じ純音楽的な演奏であっても、ショルティ&シカゴ響(1970年)のような無慈悲なまでの音の暴力にはいささかも陥っていないし、カラヤン&ベルリン・フィル(1973年)のように耽美に過ぎるということもない。第5をいかに美しく、そして情感豊かに演奏するのかに腐心しているようであり、我々聴き手も聴いている最中から実に幸せな気分に満たされるとともに、聴き終えた後の充足感には尋常ならざるものがあると言える。いずれにしても本演奏は、前述のバーンスタイン盤などのドラマティックな名演とはあらゆる意味で対極にあるものと言えるが、第5の魅力を安定した気持ちで心行くまで堪能させてくれるという意味においては、素晴らしい至高の超名演と高く評価したい。このような純音楽的な名演において、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音は実に効果的であり、本名演の価値を更に高めるのに大きく貢献している点も忘れてはならない。
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