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TOP > My page > Review List of ポルツマン
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0 people agree with this review 2010/08/02
この本、タイトルがずばり『御馳走帖』なものだから、さぞ美味いものを喰ったという話が続くのかと思いきや、美味いものを食い損ねたとか、美味いはずがまずかったと言う話もちょくちょく混ざっていて、滑稽なエッセイ集です。 たとえば、子供の頃に薄汚い色をした沢庵を食べさせられ嫌いであったがしばらく食べないでいると逆になんだか食べたくなり、そんな気持ちでいたところたまたま京都でそういう薄汚い沢庵に出会い嬉しがっていたら、手土産にどうぞと3本ばかしその沢庵を箱に入れたのを渡され寝台列車で帰途に着いたのだが、乗員がベッドメーキングのとき、よりによってその沢庵を暖房機の上に置いたものだから、箱の中の沢庵が蒸されてすさまじい臭気が客室内に立ち込め、自分も臭くていやになったし、他人も迷惑だろうと気が気でなかっただとか、そういう短いエッセイが、ざっと見たところ50本くらいあるでしょうか。 たいへん面白く楽しいです。お勧めです。
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水の特性や高分子とのかかわり,イオンとの相互作用,遺伝,免疫,代謝との関係などが定性的ながらも詳細に記述されています.細胞の中の話ではありますが,物理学や化学の知識やイメージが無いとしっかり読み取れない内容だと思います.逆にそのぶん,この分野にも興味を持つ物理屋や化学屋にはそれなりに刺激的だと思います. 残念なのは翻訳.原著はフランス語らしいのですが,こう言っては申し訳ないけど,とにかつ拙い.この分野の研究者でフランス語翻訳ができる人の数が少ないのは想像できますが,もうちょっと適当な訳者はいなかったのでしょうか.そこだけが悔やまれます.
ジャムの煮詰め具合の判定法(その名もコップ法)など,身近で親しみを感じるトピックスが満載です.たしかに素人のぼくが読んでも分かりやすく,しかも教科書としての使用に耐えられるだけの厳密性を保っていて,実に好ましい専門書です. 果実の薀蓄(うんちく)をひけらかしたい方,自家果実園をお持ちの方やジャムや果実酒,干し柿を作るのが趣味の方で,もう一歩進んだ知識を求めている方などにお勧めです.
アルツハイマー症が発見されてから100年たつ今もなお,この病気の原因は定かでなく、世界中の研究者が必死になって原因や機序の解明、治療法や特効薬の開発に取り組んでいますが、この病気の克服にはまだまだ時間がかかりそうです。 と,そんな暢気なことを言ってられるのは身内にアルツハイマー病患者がいないからに他ならず、もしいたとしたら、これはまさに大問題なのです。 なにが問題かといって、とにかく、患者にどう接するかが、最初に、そして最後まで目の前に立ちはだかる問題であるような気がします。それを解決する糸口を与えてくれると思われるのが阿保順子著『痴呆老人が創造する世界』です。これは痴呆症をわずらう人たちの行動を観察し、その深部を洞察しようという試みの成果です。 おそらく日本中の老人福祉施設で毎日のように繰り広げられているであろう日常の仕草や会話を見続けることで初めて彼らの心の奥底を窺い知ることができる。そして、それは、まったくでたらめなのではなく、われわれも理解できる相応の因果性があるのであり、周りの人たちはその思考の奇跡をなぞることで互いに負担の少ない(不幸の少ない)介護ができるのではないでしょうか。本書を読んだあと、そんな感じがしました。 いまはなんでも「理解できぬ」「あいつが悪い」とばっさり切り捨ててしまうのがひとつの流儀のように広まってしまっているような気がしてならないですが、やはり人の気持ちなんて、ぼんやりしてちゃ理解できるわけがなく、努力してこそ理解できるのであり、その努力を惜しまない人こそ、本当にやさしい人なのだと思います。
全11章からなり、その最後の章は「音楽における民族性」と題されています。これは伊福部先生のいちばん重要なポリシーと密接にかかわる問題で、要するに、「伝統を意識した思考によってのみ、はじめて国際的な訴えをもつ作品が生まれる」というのが先生の主張です。
これはアイヌの少女がアイヌの謡「ユーカラ」の内、神に関するもの13編をローマ字でおこし、さらに日本語訳を与えて併載した本です。 この本が成立した背景はまことに悲惨であり、それを知ってなにも感じない人などひとりもいないでしょう。知里さんは自分の民族が滅び、文化が消え去るのは時間の問題だと危惧し、せめて資料のような形にでもして残そうとしたのです。彼女は才女でしたが病気のため19歳にして亡くなった。この本は彼女の絶筆です。序文は「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。」との一文から始まります。「けれど・・・・・・愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。」ぼくはこれほど感動的な序文を読んだことがありません。また、13編の謡のあとにはアイヌ語研究の第一人者であった金田一京助博士の文が載せてあります。金田一博士は知里さんの才能を讃え、「か弱い婦女子の一生を捧げて過去幾百千万の同族をはぐくんだこの言葉と伝説とを、一管の筆に危く伝え残して種族の存在を永遠に記念しようと決心した乙女心こそ美しくもけなげなものではありませんか。」と述べています。まったく同感、そして合掌。
著者が指摘するように、大多数の日本人はスイスのことをよく知らない。永世中立国とかスイス銀行とかアーミーナイフとかレマン湖とか、キーワードは思いつくけど、それらについても、単語以上の知識をほとんど持ち合わせていないというのが大方ではないでしょうか。 それらを、駐スイス大使として現地で暮らした國松孝次さんが明快に解説してくれたのが本書『スイス探訪』であります。 ウィリアム・テルの話から説き起こし、どんどんとスイスと言う国家の本質に迫っていく。手並みも鮮やかだし、例示されるトピックスも興味深く、最後まで退屈することなく読みきれました。 著者は、知ってのとおり、あのオウムに撃たれた警察庁長官で、長官を退官後、どこだったかに理事長として天下ったあと、スイスへ大使として赴いたのですが、いかにも警察出身者だなと感心してしまうような鋭い洞察力が発揮されていたり、警察のトップだったということにひっかけたユーモアもちりばめられていて、この人でなければ書けないスイス紀行文に仕上がっています。
朝永振一郎先生はノーベル賞を授賞された物理学者なわけですが,文筆のほうもなかなか達者で,専門の教科書以外にも啓蒙書や随筆集をいくつか出されました.ここに収められたそれぞれの随筆には朝永先生のお人柄がよく現われていて,親しみを感じます.堅苦しさは感じず,ひょうきんな印象を受ける文章がいくつもあって,非常に楽しい本です.最後に収載されているエッセイ「訪英旅行と女王さま」は学士会の会誌に掲載されたもので,学士会のホームページで同じものが読めますので,ご購入の参考にしてください.ぼくはここに書かれているノーベル賞授賞式の欠席理由を読んでですっかり朝永ファンになってしまいました.
日本の偉大な科学者の中から16人を選んでその生涯をさらりと俯瞰した内容でして、ぼくは最後のほうの3人、高木貞治先生、増本量先生、久保亮五先生のところを読みたくて買いました。 とくに久保先生。 大学の3年か4年のときに授業の参考書として久保亮五先生が書かれた『統計力学』(共立全書)を読んで、ほとんど理解できず統計物理そのものの修得は諦めたが、「この久保亮五という先生はなんだか凄い人のようだな」という印象を強く受けたのを今でも覚えています。 たとえばこの名。リョーゴ。そこはかとなく威厳を感じさせる名前じゃありませんか。この本によると、久保先生のお父様は中国文学者の久保天随で、第5子であったので亮五としたとあります。 大阪(帝国)大学の伏見康治先生は素粒子論の湯川、物性論の久保と評したほどだったそうで、やはりぼくが著書を通じて感じとったとおり破格の天才だったようです。 久保亮五先生ご提案の「老人研究所」(老人を研究する所ではなく、老人が研究する所)や増本先生の増本式省エネ術など、大先生たちのユーモアや変人ぶりも興味深いです。 著者は上山明博というノンフィクション作家・科学ジャーナリストで、ちょっと気に入らない記述も散見されますが、それらを補うに充分な発見がありました。
小柴先生がご自身の研究人生を振り返り,研究者として大成する助けになった要素はなんだったかを挙げていくような感じで,動機が大切,それを与えてくれる周りの人も大切.金も大切な動機付けだし,人脈も大切.智慧も要るし,ヤマカンも要る.考えに考え抜くことも大事で,もしアイディアをすぐに実行できるような状況でなかったとしても,それを捨てず,諦めず,じっと頭の中で暖めておくことも大切. つまり,結局は,とても多くの大切な要素があって,研究成果はこれらの複合作用の結果だったということであります.それでもとにかく,ここぞとおもったら精一杯やれということ.一説によると,ノーベル賞を受けるような学者はかなりの確率でその師匠もノーベル賞級の学者であり,ゆえに大学者になりたければ大学者の下について勉強するのがよろしいという.しかし,小柴先生の場合,朝永振一郎先生とは交流があったが「(小柴先生に)物理学は教えなかったが酒は教えた」と朝永先生がおっしゃったそうで,このことから考えるに,大先生と交わるメリットというのは,勉強を教わるという形式どおりの師弟関係より,もっと心情的なものが大きいのではないか.もちろん,人事の面倒を見てくれるとか,研究資金をもってきてくれるとかいうのもあって,小柴先生もずいぶんそういう面で援助を受けたようだが,大学者の凄さを感じると同時に研究に対する厳しい姿勢を目の当たりにし,またさらに人間味をも感じ取り,敬愛の念を覚える.凄さや厳しさを感じることは著書を読めば可能だし,同時代の人なら講演を聞いたって出来る.だけど人間味と言うのはむずかしい.その真髄はきっと「酒は教えた」の中にある.このレビューを読んでいる人の中に,研究者を目指す(或いは目指そうかどうか迷っている)大学院生がいればお勧めしたいし,研究なんかとは縁の無いビジネスマンでも職人さんでも,今やっている仕事を続けていくモチベーションを再構築したいと言う方にも良い本かも知れません.
要するに、表面の美しさはどうでもいいとか、「これが良いということになっている」という慣習に安心してしまってはいけないというような、そういうことを強く訴えかける内容です。 たとえば、富士山。日本中、どこに行っても判で押したように富士山の意匠があちこちに見られる。たとえば蕎麦屋にいけば暖簾にも額縁にもどんぶりにも割り箸の袋にも富士山の「へ」の字形が描かれている。それがきれいだということがこの日本社会で決定しているので、それを描いておけば安心なのだ。だけど、そんなことをしてたってちっとも美の本質には迫れないよ、ということです。 岡本太郎先生は、なにせ話し方があんなんでしたから、晩年は大衆のおもちゃみたいな扱いを受けて、絵が達者な変人くらいにしか思われなかった節もありますが、このひとこそ本当の教養人だとぼくは思います。昔、片岡鶴太郎が岡本先生のものまねをして笑いをとってましたが、岡本先生が鶴太郎の絵を見たら、きっと「これは割り箸の袋に最適だ」と言うような気がします。
最近の日本語のこういう使い方がきになるだとか,この言葉は昔はこういう意味だったとか,この語とこの語は元をただせば同源であるとか,そういった手の本は数あって,ぼくも嫌いじゃないので本屋で見かければ手に取り,さらに,しばしば買って読むのですが,この本の特色としては,著者が学者でなく,むしろ,語弊がありそうなことを承知で言えば,中流ないし下流階層側に立つひとであるということでしょうか. もとは浅草のストリップ劇場の前座のコメディの台本を書いたりしてて,その後,放送作家となりひょうたん島などを手がけた著者ですから,本の内容はさほど高尚でなく,「もうちょっと工夫すれば笑えるのに」とか,「こういう言葉の端々に感覚のずれが見え隠れするねえ」というような話が主です.話を起こす材料として新聞の記事やなんかを数行引用して,その後に数ページのエッセイが続くという形式です. ほとんどの内容は「へー!そうだったんですか!!」というより,「ハハ,そりゃそうだわな.ヘヘ」というような感想を抱くものです.巷の話題や浅草時代の渥美清さんの話なんかは充分に楽しく読めます.だけれど,政治家や役人の言葉遣い(および彼ら自身)に対する批判は,後半になってくるとちょっと食傷気味.野球選手を褒めすぎなところも,野球嫌いのぼくにとっては退屈でした.
志ん生師匠の回想を編集者が口述筆記したもので,若い頃の放蕩,女遊びと結婚,貧乏と子育て,修行と戦争,終戦と自殺未遂,帰国後の穏やかな暮らしについて,ほぼ時系列で語られています. まあともかく,どこもかしこもなにもかも出鱈目.呑む,打つ,買うのなかでは,順番どおり呑むがいちばん好きだといい,酒にまつわる話もたくさん出てきます.それから,関東大震災後のある時期に住んでいたナメクジだらけの貧乏長屋,名づけて「なめくじ長屋」の描写なんかは気持ち悪いような滑稽なような. あとがきによると,初出版当時,この本が落語関係の本の出版ブームの引き金になったそうで,たしかに読後はまた1冊なにか落語の本を読みたい気持ちになりました.
国立天文台に勤める天文ファンの教育学者が書いた天文学の啓蒙書というか広報というか,そういう内容の本です.最初に日本人の天文学者や宇宙物理学者数名の紹介があって,そのあとは天文学・宇宙物理学の概説,その次には宇宙教育,とくに初等教育における現状の問題点や生涯教育としての取り組みなどを述べています. 世間のひとが学者という存在をどう捉えてるのか知りたくて,その手がかりになりそうだと思って買ってみたものの,まあ,この人も結局は内部の人で,しかも天文学者本人ではないぶん余計にステレオタイプな見方で見ているような嫌いがあってやや不満.天文学や宇宙物理学の説明は,専門家でないために言葉の使い方などがちょっと危なっかしい.それから,著者はきっと小学校の理科でもっと天文学を教えるべきだということを主張したかったんだと思いますが,なぜ天文学を学ぶことが大切なのかという説明が足りていない. 結論としては,天文学者全般がどうかは分からないが,“この著者はロマンティストだ!”.
仮名遣いを改めているせいもあるけれど、さほど時代を感じさせないほど親しみやすい文章だというのがまず最初に驚く点。構成は27章あって、各章がさらに数項に分かれている。それぞれの章が読者である青年らに対する人生訓であるが、ただ「あーせー、こーせー」というのではなく、むしろ命令口調は全くなくて、僕はこうしたらしくじった、こうしたほうが良かった、孔子もそういっていたよね、という感じで、自分の肝っ玉の小ささを告白したり、冷や汗かいた経験を披瀝して、そこからある種の真理を素直な文脈で導き出して見せていることにたいへん好感が持てます。たとえば、悪口を言われたらどうするか。受け流すのがいいよ、弁解にエネルギーを使うことはないよ、「ああ、そうかい」と言っておけばいいよ、いずれ皆ちゃんとわかってくれるから。でも、その前提として、普段から品行方正でなきゃいけないよ、という具合。ほかに、「どれくらいやれば一人前の仕事を為したということになるのか」とか、「怖気づいたときにどうすればそれを克服できるか(新渡戸先生がはじめて英語でスピーチしたときのエピソードがある)」とか、「強がらずにに柔和に生きると人生の本当を味わえる」とか。
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