CD 輸入盤

アタウルフォ・アルヘンタの芸術(22CD)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
SC815
組み枚数
:
22
レーベル
:
:
Europe
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


アルヘンタの芸術(22CD)

スペインの指揮者、アタウルフォ・アルヘンタのボックス・セットがイギリスのスクリベンダムから登場。アルヘンタといえば、その実力にシューリヒトとアンセルメが惚れ込み、さらにうるさ型のチェリビダッケまで褒めていたというほどの人物ですが、その生涯は44年という短いもので、遺された録音もあまり多くありません。
 今回のセットには、アルヘンタの珍しい音源も含まれているのが朗報で、ハイドン交響曲第92番『オックスフォード』、バッハのブランデンブルク協奏曲第4番、アルベニス『イベリア』組曲をスイス・ロマンド管弦楽団とのライヴ録音で聴くことができます。また、有名な『ファウスト交響曲』も、バリバリのステレオ状態で収録されるなど、アルヘンタに関心のある方には見逃せない内容となっています。
 ボックス・デザインも秀逸で、昔のスペイン国旗よろしく、黄金を象徴する黄色と、血を象徴する赤、ヨハネの鷲を象徴する黒という配色に加え、20世紀スペインの激動ぶりを想起させるデザインの性格もあって、アルヘンタへのオマージュにふさわしい雰囲気を醸し出しています。


アルヘンタと音
アルヘンタはスペイン内戦中に、友人の運営する小さなラジオ局でピアノを弾いたり、ときには歌ったりして早くから放送と関わっており、反乱軍に徴兵された際にもモールス信号など通信技術を勉強して通信部隊に配属されるなど、通信や音に関する技術にはこだわりがあったようです。ちなみに軍務に就いて1年後には、政府軍側の占拠するマドリードで暮らしていたフィアンセに対して、ベルギー経由で検閲を回避した手紙で連絡をとり、セゴビアのミゲル教会で結婚式を挙げています。アルヘンタ、豪快です。


 第2次大戦の際には、スペインが中立から枢軸側に転じたのち、ドイツに行き、シューリヒトから教えを受けて本格的に指揮者に転身、ドイツ各地の放送局のオーケストラを指揮する機会にも恵まれ、音に関する知識と経験を深めてもいます。
 1943年にスペインが連合国側にも協力するようになるとドイツを去らざるを得なくなりますが、帰国後は経験を生かしてさっそく放送オーケストラを立ち上げたりもしていました。

アルヘンタとレコーディング
1958年1月に44歳で突然死したアルヘンタの人生は短いものでしたが、若くして人気指揮者となっていたため、実用化されて間もないステレオ方式によるセッション録音の対象アーティストになっていたのは幸いでした。
 特にデッカでステレオ録音されたものは元々のクオリティが高く、1955年の『ファウスト交響曲』など、ステレオ最初期のものでありながら、生々しくよく分離した迫力サウンドを楽しむことができます。
 アルヘンタは地元でスペイン国立管弦楽団などと録音をおこなう際には、スペイン・コロンビアと契約していましたが、当時のスペイン・コロンビアはデッカと提携しており、デッカのスタッフと機材がスペインまで移動してレコーディングをおこなうことも珍しくなく、そのため、アルヘンタのスペイン物音源には、鮮明なサウンドのものが数多く存在します。
 また、フランスで活動することも多かったアルヘンタは、フランスの会員制レーベル「ル・クラブ・フランセ・デュ・ディスク」でもアルバムを制作。パリの音楽家たちによって編成されたレコーディング専用オーケストラ「チェント・ソーリ管弦楽団」を指揮したシューベルトの『グレート』をステレオで録音するなどしていました。
 アルヘンタは音にこだわりがあったせいか、モノラルで制作されたセッション録音のクオリティも非常に高く、各楽器のソノリティが十分に保たれたサウンドは往年のオーケストラの個性的な響きを伝えてくれるという意味でもたいへん貴重です。デッカffrr方式の優秀さは特に印象的ですが、「ル・クラブ・フランセ・デュ・ディスク」もモノラル録音の音質には素晴らしいものがあります。
 レコード会社がセッションを組んでおこなった一連のレコーディングのほか、アルヘンタには少なからぬライヴ・レコーディング、放送用レコーディングも遺されています。それらはすべてモノラル録音で、マイクロフォン設置の制約や、客席吸音効果などから、セッション録音に較べれば音質そのものは落ちますが、1950年代という時代を考慮すれば、恵まれたものが多いとも言えますし、なにより、アルヘンタの人気を支えた実演での姿を、実際の音で確認できるのが嬉しいところです。



【年表】


1163年
◆アルヘンタの生まれたカストロ・ウルディアレスは、ビスケー湾に面した港町ですが山も近く、大航海時代の造船や漁業、鉄鉱石の採掘で栄えた古くからの歴史があり、中世の1163年には、カスティーリャ王のアルフォンソ8世[155-1214](↓)により町として認定されていたものの、16世紀末のペスト大流行で人口が激減してしまいます。



1813年
◆ペスト大流行から約200年を経て再建されたカストロ・ウルディアレスは、今度はスペイン独立戦争[1808-1814]に巻きこまれて破壊。1813年5月、マクシミリアン・セバスティアン・フォワ将軍[1775-1825]率いるナポレオン軍に侵略され、激しい戦闘の末にスペイン軍は敗走して町は陥落(↓)。
 このイタリア人とフランス人から成るナポレオン軍の部隊により、避難せずに町に残っていた女性たちは年齢に関わらず強姦され、多くの男性住民は虐殺、教会や住民の財産も盗みだされるという、残虐なナポレオン軍としても酷いもので、地元では200年以上経った現在でもその過酷な侵略ぶりを、毎年、お祭りでソフトに再現するなどして人々の記憶に刻み続けています。



1879年
◆カストロ・ウルディアレスに鉄道が開通(↓)。1814年にナポレオン軍がスペイン軍によって掃討されたのち、住民たちは町の再建に努め、65年後の1879年には港まで鉄道が開通し、人口・経済ともに急激に拡大。鉄鉱業に外資も入るようになり、イギリスとオランダに向けた輸出を主軸に、第1次大戦もなんとか乗り切り、世界恐慌までの半世紀に渡って町は栄えていました。



1907年
●アルヘンタの父、フアン・マルティン・デ・アルヘンタがカストロ・ウルディアレスに転居。マドリードで暮らしていたフアン・マルティンは、最初の妻を亡くして落胆、豪華なカストロ・ウルディアレス駅の駅長職を獲得すると心機一転、新たな街での生活を開始します。ちなみにフアン・マルティンの父(アルヘンタの祖父)ヴィセンテ・マルティンは、薬学の教授で科学者、ジャーナリストで作家という人物で、スペインのほか、ベルギーでも活動していました。

1908年
●アルヘンタの父と母、結婚。



1909年
◆7月25日〜8月2日、バルセロナなどで「悲劇の一週間」と呼ばれる労働者とスペイン軍の衝突事件が発生。労働者たちは武装し、教会を破壊して財産を盗み、聖職者を殺害したほか、市民も殺し、兵士にまで襲い掛かりますが、やがて軍と治安警察によって鎮圧。背景には無政府主義運動家らによる労働組合の組織暴力化があり、教会側が投資などの手段によって蓄えた財を狙っていました。ちなみに当時のスペインの教会の蓄財は大規模で、スペインの資産の3分の1は教会にあったとも言われています。
◆12月18日、スペイン国王アルフォンソ13世[1886-1941](↑)により、スペイン王国の北部、「カストロ・ウルディアレス」に「市」の称号が与えられます。



1913年(0歳)
●アルヘンタ、
●11月19日、アタウルフォ・アルヘンタ、スペイン王国北部の都市カストロ・ウルディアレス市のホセ・マリア・ペレダ通り(↑)近くで誕生。父は地元の駅(↓)の駅長フアン・マルティン・デ・アルヘンタ、母はラウラ・マサ・アングロ(子供は生涯に2人)。
 アタウルフォ・アルヘンタはスペイン人なので、本名はスペインで一般的な、父方姓と母方姓にファースト・ネームとクリスチャン・ネームを組み合わせたものとなり、「アタウルフォ・エクスペリオ」+「マルティン・デ・アルヘンタ」+「マサ」で、アタウルフォ・エクスペリオ・マルティン・デ・アルヘンタ・マサとなっていますが、ふだんはアタウルフォ・アルヘンタで通していました。



1923年(10歳)
◆9月、スペイン王国で軍事独裁政権が発足。バルセロナ総督で陸軍大将のプリモ・デ・リベラ[1870-1930]のクーデターによるもので、軍・教会・富裕層の支持を得ての成功。プリモ・デ・リベラはスペイン国王により首相に任じられ、各地で起こっていた労働組合運動、民族主義運動を弾圧。国王アルフォンソ13世は「私のムッソリーニ」と呼んでプリモ・デ・リベラを信頼。

1925年(12歳)
●アルヘンタ、カストロ・ウルディアレス市のカトリック団体で、ソルフェージュ、ピアノ、ヴァイオリンを勉強。
●アルヘンタ、カストロ・ウルディアレス市で最初の演奏会出演。

1927年(14歳)
●アルヘンタ、カストロ・ウルディアレスでヴァイオリニストとして最初の演奏会。
●アルヘンタ家、マドリードに転居。
●アルヘンタ、王立マドリード高等音楽学校に入学。フェルナンデス・アルベルディ(ピアノ)、コンラード・デ・カンポ(和声・作曲)らに師事。

1928年(15歳)
●アルヘンタ、マドリード・ミサ合唱団に入団。ほどなく監督のラファエル・ベネディトから補佐的な仕事を任されます。



1929年(16歳)
◆5月20日、バルセロナ万博(↓)(〜1930年1月15日)。


●アルヘンタ、マドリード・ミサ合唱団で、のちに妻となるフアナ・パリャレスと出会います。愛称はフアニータ。

1930年(17歳)
●アルヘンタ、ピアノ科で首席を獲得して卒業。

1931年(18歳)
●1月、父フアン・マルティン・デ・アルヘンタが急性肺炎のため死去。
●アルヘンタ、クリスティーナ・ニルソン賞を受賞。
●アルヘンタ、生活のためダンスホールや酒場でピアノを演奏。スペイン国立西部鉄道(のちにスペイン国鉄[レンフェ]に統合)にも助手として勤務。ピアノも売却。
◆4月14日、第二共和政が成立し、スペインは王国から共和国へと変貌。国王アルフォンソ13世は、共和政成立直前にローマに亡命。王族は国外追放。
●10月、アルヘンタ家、リエージュに転居。母の姉の経営する市内のホテルに滞在して勉強。
●アルヘンタ、リエージュ王立音楽院で、ジャンドゥ・シャスタン(ピアノ)と、アルマン・マルシック(和声・作曲)に師事。

1932年(19歳)
●アルヘンタ、スペインに帰国。
●アルヘンタ、ピアノ三重奏団を結成し、マドリードでコンサートを開催。ヴァイオリンはエドゥアルド・エルナンデス・アシアイン、チェロはリカルド・ヴィーヴォ。

1933年(20歳)
◆11月、スペインで女性に参政権が認められ、初めて投票に参加。
◆11月、総選挙でスペイン自治右派連合が勝利。

1934年(21歳)
◆10月、アストゥリアス革命勃発。スペイン北部のアストゥリアスで鉱山労働者たちが社会主義者と共産主義者に扇動されて武装蜂起、フランコ将軍率いる共和国陸軍や治安警察により2週間後に鎮圧。2千人近い死者、3万人近い逮捕者という結末。
●10月、アルヘンタ、スペインの有名テノール歌手、ミゲル・フレータの要請で、古都サラゴサのピラール・フィエスタに同行し、ピアノを担当。ヴァイオリンは、カルロス・セダノでした。
●アルヘンタ、マドリード音楽院の学生オーケストラを指揮してマリア・ゲレーロ劇場に出演。曲目は、メンデルスゾーン『イタリア』、シューベルト『未完成』、ほか。

1935年(22歳)
●アルヘンタ、カルデロン劇場と練習指揮者(コレペティトア)として契約。

1936年(23歳)

◆親共産主義の人民戦線内閣が成立
2月、スペイン共和国の選挙で、不正が疑われながらも社会主義の連合政権である「人民戦線」内閣が成立。「人民戦線」内閣は、共和主義者のほか、無政府主義者や共産主義者と親密な社会主義政権で、3月にはさっそく、当時の共産主義運動の常套手段である「盗みと暴力(→ゴロワノフが遭遇したケース)」によって共産化に着手しています。

・カトリック教会から財産を盗み、建物は破壊、教会関係者は弾圧。
・富裕層から財産を盗んだうえで弾圧。
・知識人・保守層を弾圧。
・知識は邪魔ということで学校を破壊。教師も弾圧。
・信心深い農民や労働者も弾圧。

こうした暴力によって、多くの農民・労働者の共感を得、行動協力も得るものの、共産化を嫌う人も多く、陸軍を含めた大きな勢力が、政府による共産主義運動に抵抗し、不安定な状態が継続。ちなみに当時2千5百万人ほどの人口のスペインは超格差社会でもあり、国民の非識字率は実に30%以上に達していました。


●3月13日、アルヘンタはマドリード音楽院に向かっている途中で、カトリック教会が黒煙を上げて炎上している場面に遭遇。衝撃を受けたアルヘンタは、翌日、カトリック労働組合に加入し、要請があれば音楽家として仕事をすることを約束。
●7月11日、アルヘンタ、スペイン西端の高級リゾート、バルネアリオ・デ・モンダリスで、カトリック労働組合の仕事で演奏、約1か月の契約でした。

◆スペイン内戦勃発
7月17日、共産主義に抵抗する反乱軍の蜂起によりスペイン内戦が勃発。スペイン陸軍の将軍たちによるクーデターが端緒。共産主義を推進する政府軍側と、共産主義に抵抗する反乱軍陣営の戦いですが、諸外国が参加して戦闘規模が拡大、両陣営の兵士と民間人合わせて50万人近いとも言われる犠牲者が出てスペイン国内が荒廃します。

 政府軍陣営の支援国・団体は以下の通り。

・ソ連(技術者3,015名派遣+兵器の供与+NKVD)。スターリンによる有償援助。
・コミンテルンの派遣した国際旅団(義勇兵59,380名派遣)。各国共産主義者たち。
・メキシコ。革命を実施し、トロツキーを受け入れたカルデナス大統領の支援。

ちなみにソ連に関しては支援は有償ということで、政府側陣営は、当時世界第3位の保有高と言われたスペイン銀行の金(金塊と金貨)のうち70%以上にあたる500トン(約5億6千3百万ドル相当)をソ連に渡してしまい、さらに主導権奪取を狙ったソ連から、粛清実行集団であるNKVDを送り込まれ、幹部の逮捕・処刑を繰り返されて内部に大きな混乱が生じるようになります。しかしちょうど同じ時期にソ連国内でエジョフNKVD長官による「大粛清」が始まったため、ソ連の支援・干渉は尻すぼみ状態になって行きます。

 反乱軍陣営の支援国・団体は以下の通り。

・イタリア(兵士78,500名派遣+兵器供与+68億リラの経済援助)
・ドイツ(兵士19,000名派遣+兵器供与+5億4千万マルクの経済援助)
・ポルトガル(兵士8,000名派遣)
・ヴァティカン市国

内戦の前から政府側によって大規模なカトリック弾圧がおこなわれていたことから、ローマ教皇ピウス11世は、反乱軍を「十字軍」として称えていました。
 政府側の人々は、財産を盗んだうえで教会を破壊し、司祭を拷問、修道女を凌辱、ときには虐殺するなどしてカトリック信者の反感を買い、戦いは次第に市民も巻き込んだ大規模なものとなって行きます。
 ちなみに政府側に虐殺された司教は13人、司祭は6,539人、修道士は約3,000人、修道女が約300人、破壊された教会関連施設は実に2万を超えるということで、懺悔室も野ざらしにして信者を侮辱し、さらに墓から大量の遺体を掘り出して町中にまき散らし、「死者を冒涜」することで宗教的風習そのものも破壊するなど、期間の短さを考えれば、本家ソ連も真っ青の凄惨さでした。
 また、政府側による盗みや攻撃の対象は教会や富裕層だけにとどまらなかったため、反乱軍側の「治安警察」の主導で、高額美術品の疎開などはある程度実施され、大きな盗みの被害は免れていたようです。
 一方で、スペイン内戦には、ソ連の戦闘機ポリカルポフ、ドイツの戦闘機メッサーシュミットや、爆撃機のユンカース、ハインケル、イタリアの高速爆撃機サヴォイア・マルケッティなど、各国最新の兵器が投入された近代戦の側面もありました。
 また、南米の膨大な犠牲もあって世界第3位の備蓄を誇ったスペインの金(金塊と金貨)の70%が、政府軍側によってソ連に持ち出される一方で、反乱軍側には、ドイツから5億4千万マルク、イタリアからはその2倍の68億リラの経済援助が寄せられるなど経済戦争の側面もありました。ちなみに政府軍側がソ連に渡してしまった金(金塊+金貨)500トン(約5億6千3百万ドル相当)が戻されることはありませんでした。


◆7月20日、反乱軍将軍ホセ・サンフルホ[1872-1936]、飛行機事故で死亡。
●8月15日、アルヘンタはマドリードに戻ろうとしますが、鉄道が動いておらず、道路も危険だったため、共演者のアグスティン・マタヤーナの自宅に10月まで滞在することにします。場所はマドリードの北西約150キロ、標高約900メートルのところにあるペニャランダ・デ・ブラカモンテという山村。滞在中、アルヘンタは近くの古都サラマンカでチャリティー・コンサートなどに出演。サラマンカでは反乱軍と治安警察によって、政府側共産主義勢力はすでに逮捕されていました。
◆10月1日、フランシスコ・フランコ[1892-1975]将軍が反乱軍の総司令官に指名。もうひとりの有力候補、エミリオ・モラ将軍は、ファランヘ党やドイツとの関係が良くなかったため、フランコに決定。
●10月、アルヘンタは山村を出て古都セゴビアに移動し、以前、ピアノ三重奏団で活動していた時のヴァイオリニストの兄弟であるアントニオ・エルナンデス・アシアイン宅を訪問。アシアインはアルヘンタの衣食住をサポートし、さらに自分の運営する民間ラジオ局にアルヘンタがピアノ演奏で出演できるよう配慮。
●アルヘンタ、セゴビア滞在中に、反乱軍から徴兵。未亡人の一人息子のため、本来は徴兵免除でしたが、人手不足のため、後方支援部門での軍務を要請。アルヘンタは急遽モールス信号を勉強し、兵器を使わない可能性の高い通信部隊に入ることができ、移動先でもピアノを探し出して練習するという生活が続くこととなります。
◆11月25日、日本とドイツの間に「防共協定」が結ばれ、ほどなくイタリアも加盟、1939年にはスペイン、ハンガリー、満州、1941年には、ブルガリア、ルーマニア、デンマーク、スロヴァキア、クロアチア、フィンランド、中華民国南京政府が参加。コミンテルンによる国際共産主義運動に対抗する協定です。

1937年(24歳)
◆政府軍側へのソ連の支援の減少傾向が継続。これは前年秋にNKVD長官に就任したニコライ・エジョフ[1895-1940]による「大粛清」で、軍人も大量に処刑されていたためです。
◆1月19日、反乱軍側によりスペイン国立放送が設立。これは政府軍側陣営が51の中波放送局を管理下に置いていたのに対し、反乱軍側の中波放送局は16しかなく、そのためスペインの至るところで、虚実まじえた共産主義プロパガンダ放送がおこなわれるという状況になっていたため、反乱軍側も報道宣伝に本腰を入れるということです。
◆6月3日、反乱軍将軍エミリオ・モラ[1887-1937]、飛行機事故で死亡。
●10月13日、アルヘンタ、セゴビアの聖ミゲル教会でフアナ・パリャレスと結婚。

1938年(25歳)
◆3月、ドイツがオーストリアを併合(アンシュルス)。
●11月14日、アルヘンタの長女、アナ・マリアが誕生。

1939年(26歳)
◆1月、バルセロナ陥落。
◆3月27日、マドリード陥落。
◆3月31日、スペイン全土を反乱軍が制圧し、政府側共産主義勢力を一掃。
◆4月1日、フランコ将軍により内戦終結が宣言。
◆8月8日、スペインで国家元首法制定。緊急立法権など強大な権限を持ったフランコによる国家の再建が開始。
◆9月1日、ドイツがポーランドに侵攻。
◆9月3日、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告。
◆9月、スペイン、中立宣言。
◆9月17日、ソ連がポーランドに侵攻。
●アルヘンタ、スペイン国立管弦楽団に入団。ピアノやチェレスタなどの鍵盤楽器を担当。
●アルヘンタ、サルスエラの「ハシント・ゲレーロ・カンパニー」のピアニストとして活動。

1940年(27歳)
◆6月、フランス、ドイツと46日間戦ったのち休戦協定を締結。大枠で見るとフランス北部がドイツの占領統治、南部が「ヴィシー政権」による統治で、例外が長年の係争地であるエルザス=ロートリンゲン(アルザス=ロレーヌ)地方となります。
同地方はドイツに割譲という形になったため、1938年に併合したオーストリアと同様、ドイツ政府による統治とし、他のドイツ・オーストリア地域と同じく「大管区」に組み込まれ、徴兵なども実施されることとなります(エルザス=ロートリンゲン地域からの徴兵数は約10万人)。
◆6月10日、スペイン、中立宣言を撤回し、非交戦宣言。準枢軸国となります。
●アルヘンタ、ドイツのピアニスト、ヴィンフリート・ヴォルフと交流。

1941年(28歳)
●5月、アルヘンタ、奨学金を獲得してドイツに転居。ピアノをヴィンフリート・ヴォルフに師事。
●7月22日、アルヘンタの次女、マルガリータが誕生。
●アルヘンタ、ドイツでのピアノの勉強を延長。カッセル音楽院で教育的な仕事もおこない、リサイタルも開催。

1942年(29歳)
●アルヘンタ、カール・シュリヒト[1880-1965]、フランツ・フォン・ヘスリン[1885-1946]から指揮の指導を受けます。
●2月9日、アルヘンタ、指揮者としての最初の公式コンサート。
●3月、アルヘンタ、カッセル音楽院で助手として雇用。

1943年(30歳)
●アルヘンタ、ベルリン、ハンブルク、フランクフルト、シュトゥットガルト、バーデンバーデン、ミュンヘン、ドレスデンのオーケストラに客演。
◆9月8日、イタリア、無条件降伏。
◆9月、スペイン、非交戦宣言を撤回。親ドイツのムッソリーニ政権ではなく、連合国側のバドリオ政権を承認したため、ドイツはグランデス将軍を擁立してフランコ政権を打倒するプランのほか、侵攻も検討しますが、多方面で作戦展開中だったため断念。以後、フランコ政権はアメリカからの石油調達の都合もあり、枢軸国と連合国のあいだを揺れ動く政策を次々に打ち出していきます。
●12月6日、アルヘンタ、ドイツからスペインに帰還。

1944年(31歳)
●3月31日、アルヘンタの三女、アンヘリネスが誕生。
●カール・シューリヒトがマドリードに客演。恩師との再会。

1945年(32歳)
●1月、アルヘンタ、新たに創設されたマドリード室内管弦楽団の指揮者に就任。創設者は、スペインの貴族で銀行家、外交官、音楽学者であもるルイス・ウルキーホ[1899-1975]。
◆5月9日、ドイツ降伏。2週間後、デーニッツ逮捕により臨時政府解散。
●7月4日、アルヘンタの長男、フェルナンドが誕生。4人目の子供となります。
●10月10日、アルヘンタ、スペイン国立管弦楽団に客演。ウェーバー、バッハ、ブラームス、ドビュッシー、トゥリーナを指揮。
●アルヘンタ、マドリード・アルベニス劇場で『アイーダ』を指揮。カニーリア、ジーリ、スティニャーニ、ネーリという豪華キャスト。



1946年(33歳)
●8月31日、アルヘンタ、スペイン国立管弦楽団の第2指揮者に任命。音楽監督はベテランのバルトロメ・ペレス・カサス[1873-1956]
●アルヘンタ、スペイン国立管弦楽団、ナルシソ・イエペス[1927-1997]と『アランフエス協奏曲』で共演。イエペスは当時19歳でこれが公式デビューでした。
●アルヘンタ、バレンシア市管弦楽団に客演。

1947年(34歳)
●1月2日、アルヘンタ、スペイン国立管弦楽団の音楽監督に就任。1940年から音楽監督を務めるバルトロメ・ペレス・カサスとの共同監督。アルヘンタは1年間に100公演以上指揮し。カサスは1949年に引退。


●アルヘンタ、バルセロナのビルバオ交響楽団に客演。

1948年(35歳)
●アルヘンタ、ロンドン交響楽団に客演。ピアニストのホセ・イトゥルビとの共演。
●アルヘンタ、スペイン国立管弦楽団、サンタンデール、セビリアで公演。

1949年(36歳)
●アルヘンタ、スイス・ロマンド管弦楽団に客演。
●11月25日、スペイン国立管弦楽団の音楽監督、バルトロメ・ペレス・カサスが引退し、アルヘンタが単独の音楽監督になります。

1950年(37歳)
●1月22日、アルヘンタ、マドリード交響楽団に客演。
●3月、アルヘンタ、パリ音楽院管弦楽団に客演。
●5月6日、アルヘンタ、スペイン国立管弦楽団、パリ公演で成功。
●アルヘンタ、ボルドー音楽祭で、フランス国立放送管弦楽団とパリ音楽院管弦楽団を指揮。フランスでの人気が急上昇。
●6月23日、アルヘンタの四女、クリスティーナが誕生。5人目の子供となります。

1951年(38歳)
●3月、アルヘンタ、スペイン国立管弦楽団、ティボーと共演。
●アルヘンタ、サンタンデル・フェスティヴァルに出演。


●11⽉、アルヘンタ、ハーグのレジデンティ管弦楽団を指揮。同団⾸席指揮者のウィレム・ファン・オッテルロー[1907-1978]との交換客演でした。

1952年(39歳)
●アルヘンタ、グラナダ・フェスティヴァルに出演。
●アルヘンタ、サンタンデル・フェスティヴァルに出演。初のプラサ・ポルティカーダ公演。

1953年(40歳)
●アルヘンタ、スイスとドイツ、オーストリアに客演ツアー。
●5月18日、アルヘンタ、ポルトガル公演。
●6月、アルヘンタ、グラナダ・音楽と舞踊の祭典で、バレエ・ダンサーのマーゴ・フォンテイン[1919-1991]と共演。


●アルヘンタ、サンタンデル・フェスティヴァルで、プラサ・ポルティカーダに出演。

1954年(41歳)
●4月、アルヘンタ、ナポリとトリノに客演。
●5月、アルヘンタ、ミラノとヴェネツィアに客演。
●5月、アルヘンタ、スペイン国立管弦楽団のセヴィリア公演を指揮。
●アルヘンタ、出血、高熱を伴う腸の疾患で休養。
●8月15日、アルヘンタ、スペイン国立管弦楽団を指揮。
●アルヘンタ、ブザンソン音楽祭でフルトヴェングラーと交流。


●アルヘンタ、エディンバラ音楽祭に出演。
●アルヘンタ、ベルリン、ウィーン、ローマに客演。
●アルヘンタ、グルダと共演。


●11月、アルヘンタ、パリ音楽院管弦楽団とスイス・ロマンド管弦楽団に客演。
●12月、アルヘンタ、バーゼルとウィーンに客演。

1955年(42歳)
●アルヘンタ、何ヶ月もの休息が必要な深刻な病気。
●アルヘンタ、グラナダ音楽祭でカール・シューリヒトと交流。


●8月、アルヘンタ、ルツェルン音楽祭で、カラヤン、クーベリックらと交流。


●9月、アルヘンタ、ルツェルン音楽祭で、セゴビアと交流。アルフォンソ13世の妃、ヴィクトリア・エウヘニアと会食。



1956年(43歳)
●4月9日、アルヘンタ、王立アカデミー会員に選出。
●4月27日、アルヘンタ、パラシオ・デラ・ムジカで公演。
●6月24日、アルヘンタ、メニューインと共演。猛烈なブラームス。


●アルヘンタ、パウル・クレツキと交流。クレツキはアルヘンタのブラームスを称えます。



1957年(44歳)
●11月24日、アルヘンタ、パリ音楽院管と、ドイツ・レクィエム。ピラール・ローレンガー、キム・ボルイの独唱に、オルフェオン・ドノスティアラ合唱団が出演。
アルヘンタ、イタリア、モナコ、ドイツ、ベルギー、イギリス、スイス、オランダ、オーストリアに客演。
●アルヘンタ、アンセルメをサンタンデル音楽祭に招聘。



1958年(45歳)
●1月17日と19日、アルヘンタ、スペイン国立管、オルフェオン・ドノスティアラ合唱団とヘンデル『メサイア』。
●1月20日、妻フアニータが、脊椎の外科的治療をスイスの専門医から受けるため、アルヘンタは空港まで送ります。長女のアナ・マリアも妻に同行。
●1月20日、アルヘンタ、空港からリハーサル会場に向かい、午前中いっぱい、スペイン国立管弦楽団と翌週のプログラムを練習。シューマン交響曲第3番『ライン』などのほか、作曲者も同席してアルフテルの『ティンパニと弦楽オーケストラのための2つの楽章』をリハーサル。
 午後はマドリードの自宅に戻ってインタビューを受け、夜8時、マドリードから北西に40キロほど離れた標高1,000メートルの山村ロス・モリノスの別荘に、置いてきた楽譜を取りに、愛車オースティンA90シックス・ウェストミンスター・デラックス(↓)を運転して出かけます(ちなみにカラヤンはオースティンA90アトランティックに乗っていました)。


●1月21日早朝、ロス・モリノスの別荘の使用人が、ガレージ内の車の運転席に座って亡くなっているアルヘンタを発見。
 死因は一酸化炭素中毒。扉を閉めたガレージで、車内暖房のためにアイドリング状態にしていたことが原因。ロス・モリノスの1月の平均最低気温はマイナス3度ほどなので、山荘が温まるまで車の中で暖をとっていたのかもしれません。
 なお、助手席に同乗者がいたという説もあります。その人物は一命をとりとめていたので、同じ車内でも一酸化炭素濃度の違い、あるいは体力の差が命運を分けたものと思われます。
 ちなみにその同乗者は、当時23歳のフランス人ピアニスト、シルヴィ・メルシエ(↓)とも言われています。1958年にデッカからプレイエルを弾いたショパンの10インチ盤をリリースしたピアニストで、前年にはケンプのベートーヴェン・ゼミナールに、若手ピアニストのひとりとして、エリック・ハイドシェック(下の左の写真の右端)、イェルク・デムス(下の左の写真の左端)、ピエール・バルトロメー(下の左の写真の右から2番目)らと参加していました。アルヘンタとケンプは知り合いでもあります。


●1月21日、妻フアニータは、スイス・ロマンド管弦楽団の楽員たちに見送られて飛行機に乗り、マドリードに到着。
●1月23日、マドリードのアルムデナ墓地で関係者により葬儀・埋葬。


●アルヘンタの業績に対して、アルフォンソ10世賢王勲章と、カストロ・ウルディアレス・ゴールド・メダルが授与。

1961年
●アルヘンタの彫像が、生地カストロ・ウルディアレスの庭園に設置。彫刻家、ラファエル・ウェルタ制作によるもの。
●1月31日、聖ヘロニモ教会(↓)で一般向け葬儀。何千人もの人が訪れてアルヘンタの死を悼みます。スペイン国立管弦楽団がバッハのカンタータ第140番のコラールを演奏。


【収録情報】



CD1
●チャピ:サルスエラ『ムシカ・クラシカ』〜前奏曲
グラン・オルケスタ・シンフォニカ

●チャピ:サルスエラ『グラナダの宮廷』〜セレナータ
●チャピ:サルスエラ『レヴォルトーサ(人騒がせな娘)』〜前奏曲
●チャピ:サルスエラ『レヴォルトーサ(人騒がせな娘)』〜間奏曲
グラン・オルケスタ・シンフォニカ

●ソウトゥーリョ:サルスエラ『くちづけの伝説』〜前奏曲
スペイン国立管弦楽団

●ソウトゥーリョ:サルスエラ『くちづけの伝説』〜間奏曲
●ヴィヴェス:サルスエラ『ボヘミオス』〜間奏曲
●ヴィヴェス:サルスエラ『ボヘミオス』〜前奏曲
●ルナ:サルスエラ『女王の士官候補生ユダヤの子』〜間奏曲
●ルナ:サルスエラ『いたずらな粉屋の女房』〜間奏曲
グラン・オルケスタ・シンフォニカ

●ルナ:サルスエラ『ユダヤ人の少年』〜前奏曲
スペイン国立管弦楽団

●チュエカ:サルスエラ『グラン・ヴィア通り』〜前奏曲
グラン・オルケスタ・シンフォニカ

●チュエカ:サルスエラ『グラン・ヴィア通り』〜イントロダクション
スペイン国立管弦楽団

●チュエカ:サルスエラ『果樹園の愉しみ』〜パッサカリア
●トローバ:サルスエラ『ルイサ・フェルナンダ』〜第3幕イントロダクション
●リェオ:サルスエラ『ファラオの宮廷』〜ワルツ
グラン・オルケスタ・シンフォニカ

CD2
●ヒメネス:サルスエラ『アロンソの結婚式』〜前奏曲
●ヒメネス:サルスエラ『アロンソの結婚式』〜間奏曲
●ヒメネス:サルスエラ『金の塔』〜間奏曲
●ヒメネス:サルスエラ『ルイス・アロンソの踊り』〜間奏曲
●アロンソ:サルスエラ『ラ・カレセラ』〜パッサカリア
●カバリェーロ:サルスエラ『おばあちゃん』〜前奏曲
●カバリェーロ:サルスエラ『伍長』〜前奏曲
●ブレトン:サルスエラ『パロマの前夜祭』〜前奏曲
●ブレトン:サルスエラ『忘却の歌』〜前奏曲
グラン・オルケスタ・シンフォニカ

●トゥリーナ:交響詩『ロシオの巡礼祭』
●トゥリーナ:交響詩『トレロの祈り』
スペイン国立管弦楽団

●チャピ:サルスエラ『擲弾兵の太鼓』〜前奏曲
●グリーディ:サルスエラ『農場』〜第2幕前奏曲
グラン・オルケスタ・シンフォニカ



CD3
●グリーディ:『10のバスクの旋律』
スペイン国立管弦楽団
録音:1957年(ステレオ)

●ブレトン:『アンダルシアの風景』
●ブレトン:『アルハンブラにて』
●ブレトン:『演奏会用ボレロ』
●ブレトン:『ラ・ドロレス』
グラン・オルケスタ・シンフォニカ
録音:1957年(ステレオ)

CD4
●ロドリーゴ:『アランフエス協奏曲』
ナルシソ・イエペス(ギター)
スペイン国立管弦楽団
録音:1957年(ステレオ)

●ロドリーゴ:『夏の協奏曲』
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
フランス国立放送管弦楽団
録音:1951年4月4日(ライヴ)

●ファリャ:『スペインの庭の夜』
ゴンサロ・ソリアーノ(ピアノ)
スペイン国立管弦楽団
録音:1957年(ステレオ)

CD5
●ラヴェル:『道化師の朝の歌』
●ラヴェル:組曲『マ・メール・ロワ』
●ラヴェル:『スペイン狂詩曲』
●ラヴェル:『亡き王女のためのパヴァーヌ』
チェント・ソーリ管弦楽団
録音:1956年(モノラル)

●ドビュッシー:『管弦楽のための映像』
スイス・ロマンド管弦楽団
録音:1957年5月(ステレオ)

CD6
●グラナドス:『アンダルーサ』(スペイン舞曲第5番)
ロンドン交響楽団
録音:1956年12月、1957年1月(ステレオ)

●グラナドス:『ゴイェスカス』
ロサリオ:コンスエロ・ルビオ(ソプラノ)
ペーパ:アナ・マリア・イリアルテ(メゾソプラノ)
パキーロ:マヌエル・アウセンシ(バリトン)
フェルナンド:ヒネス・トラノ(テノール)
マドリード・シンガーズ
スペイン国立管弦楽団
録音:1953-1956年(モノラル)

CD7
●ファリャ:『ペドロ親方の人形芝居』
J.ベルメヨ(ソプラノ)
R.トレス(バリトン)
C.ムングイア(テノール)
スペイン国立管弦楽団
録音:1958年(ステレオ)

●ファリャ:チェンバロ協奏曲
ロベール・ヴェイロン=ラクロワ(チェンバロ)
スペイン国立管弦楽団
録音:1958年(ステレオ)

●ファリャ:『恋は魔術師』
アナ・マリア・イリアルテ(メゾ・ソプラノ)
パリ音楽院管弦楽団
録音:1951年1月(モノラル)



CD8
●シャブリエ:狂詩曲『スペイン』
ロンドン交響楽団
録音:1956年12月、1957年1月(ステレオ)

●ファリャ:『恋は魔術師』(Concerto version)
スイス・ロマンド管弦楽団
録音:1957年8月29日(ライヴ)

●ファリャ:『三角帽子』
スペイン国立管弦楽団
録音:1958年(ステレオ)

●モシュコフスキ:『スペイン舞曲集』第1巻 Op.12
ロンドン交響楽団
録音:1956年12月、1957年1月(ステレオ)

CD9
●R.シュトラウス:『交響詩「ティル・オレインシュピーゲルの愉快ないたずら』 Op.28
スイス・ロマンド管弦楽団
録音:1957年(ライヴ)

●リスト:『ファウスト交響曲』S108 (初期ヴァージョン)
パリ音楽院管弦楽団
録音:1955年1月(ステレオ)



CD10
●リスト:ピアノ協奏曲第1番変ホ長調 S124
●リスト:ピアノ協奏曲第2番イ長調 S125
ジュリアス・カッチェン(ピアノ)
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1957年1月(ステレオ)

●リスト:交響詩『レ・プレリュード』
スイス・ロマンド管弦楽団
録音:1955年5月(モノラル)

●R.シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』Op.20
スペイン国立管弦楽団
録音:1956年6月24日(ライヴ)

CD11
●ベルリオーズ:『幻想交響曲』
パリ音楽院管弦楽団
録音:1957年11月(ステレオ)

●リムスキー・コルサコフ:『スペイン奇想曲』Op.34
ロンドン交響楽団
録音:1956年12月、1957年1月(ステレオ)

CD12
●スメタナ:『売られた花嫁』序曲
スイス・ロマンド管弦楽団
録音:1957年8月29日(ライヴ)

●ウェーバー:『オベロン』序曲
スペイン国立管弦楽団
録音:1956年6月24日(ライヴ)

●ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調 Op.55『英雄』
スペイン国立管弦楽団
録音:1957年5月24日(ライヴ)

CD13
●ブラームス:交響曲第2番ニ長調 Op.73
フランス国立放送管弦楽団
録音:1951年4月4日(ライヴ)

●ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.77
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
スペイン国立管弦楽団
録音:1956年6月24日(ライヴ)

CD14
●チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調 Op.36
スイス・ロマンド管弦楽団
録音:1955年5,10月(ステレオ)

●チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.35
アルフレード・カンポーリ(ヴァイオリン)
ロンドン交響楽団
録音:1956年12月(ステレオ)

CD15
●トゥリーナ:『幻想舞曲集』Op.22
パリ音楽院管弦楽団
録音:1953年10月(モノラル)

●トゥリーナ:『セビリヤ交響曲』
スペイン国立管弦楽団
録音:1958年(ステレオ)

●アルベニス:組曲『イベリア』
パリ音楽院管弦楽団
録音:1953年10月(モノラル)

CD16
●エスクデロ:『バスク協奏曲』
マルティン・イマス(ピアノ)
バイエルン放送交響楽団
録音:1951年5月4日(ライヴ)

●アルベニス:『ナヴァラ』
スペイン国立管弦楽団
録音:1953-1956(ステレオ)

●アルベニス:組曲『イベリア』
スイス・ロマンド管弦楽団
録音:1956年3月7日(ライヴ)

●ファリャ:『三角帽子』より3つの舞曲
ウィーン交響楽団
録音:1954年12月8日(ライヴ)

CD17
●モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調 K.378
アルテュール・グリユミオー(ヴァイオリン)
アタウルフォ・アルヘンタ(ピアノ)
録音:1955年9月6日(ライヴ)
使用マスターの問題で音圧レヴェルが低くなっています。

●ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第8番ト長調 Op.30
アルテュール・グリユミオー(ヴァイオリン)
アタウルフォ・アルヘンタ(ピアノ)
録音:1955年9月6日(ライヴ)

●ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ イ長調 Op.100
アルテュール・グリユミオー(ヴァイオリン)
アタウルフォ・アルヘンタ(ピアノ)
録音:1955年9月6日(ライヴ)

CD18
●R.シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』Op.20
ウィーン交響楽団
録音:1954年12月8日(ライヴ)

●シューベルト:交響曲第9(8)番ハ長調 D944『グレート』
チェント・ソーリ管弦楽団
録音:1957年11月8日(ステレオ)

CD19
●ハイドン:交響曲第92番『オックスフォード』
スイス・ロマンド管弦楽団
録音:1956年3月7日(ライヴ)

●メンデルスゾーン:交響曲第3番イ短調 Op.56『スコットランド』
ウィーン交響楽団
録音:1953年5月6日(ライヴ)

CD20
●バッハ:ブランデンブルク協奏曲第4番
スイス・ロマンド管弦楽団
録音:1957年12月4日(ライヴ)

●ストラヴィンスキー:『プルチネッラ』組曲
フランス国立放送管弦楽団
録音:1951年4月4日(ライヴ)

●アルフテル:シンフォニエッタ ニ長調
スペイン国立管弦楽団
録音:1957年(ステレオ)



CD21
●オアナ:オラトリオ『イグナシオ・サンチェス・メヒアスへの哀歌』(ガルシア・ロルカの詩による)
マウリシオ・モジョ(ナレーター)
ベルナール・コトレ(バリトン)
チェント・ソーリ管弦楽団&合唱団
録音:1954年(モノラル)

●オアナ:クラヴサンと管弦楽のためのサラバンド
デニス・グアルヌ(クラヴサン/プレイエル)
チェント・ソーリ管弦楽団
録音:1954年(モノラル)

CD22
●チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調 Op.36
スイス・ロマンド管弦楽団
録音:1957年8月29日(ライヴ)




【商品説明:年表シリーズ】
指揮
オッテルロー
ガウク
カラヤン
クイケン
クーセヴィツキー
クチャル
クラウス
クレツキ
クレンペラー
ゴロワノフ
サヴァリッシュ
シューリヒト
ターリヒ
チェリビダッケ
ドラティ
バーンスタイン
パレー
フェネル
フルトヴェングラー
メルツェンドルファー
モントゥー
ライトナー
ラインスドルフ
ロスバウト

鍵盤楽器
カークパトリック
カサドシュ
デムス
ニコラーエワ
ユージナ
ランドフスカ

弦楽器
カサド
シュナイダー四重奏団
パスカル弦楽四重奏団
ハリウッド弦楽四重奏団
ブダペスト弦楽四重奏団
ヤニグロ
リッチ

作曲家
アンダーソン
ヘンツェ

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