ピアノ協奏曲は冒頭からハイテンションのライヴ録音
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番、ピアノ・ソナタ第2番、コレッリ変奏曲
リトヴィンツェヴァ、マルディロシアン指揮北西ドイツ・フィル
2011年からドイツを拠点に活動するピアニスト、リトヴィンツェヴァによるラフマニノフ・アルバム。ロシア帝国時代のピアノ協奏曲第1番(1891年)とピアノ・ソナタ第2番(1913年)、およびスイスで書いたコレッリ変奏曲(1931年)を収録。協奏曲とソナタは、ラフマニノフがのちに手を加えて更新した現行版楽譜を使用。
協奏曲の共演はマルディロシアン指揮北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団で、ピアノもオケも個々の素材を明確に示しながら作品構造を浮き彫りにしており、緩んで平板になったり甘ったるくなったりすることがないのがさすがです。
ピアノ・ソナタ第2番とコレッリ変奏曲はスタジオ録音で、旋律や動機の形が崩れること無く完璧に示された見事な仕上がりです。
なお、名前はロシア語読みではイェカチェリーナ・リトヴィンツェワですが、ドイツ在住が長く、ふだんのコミュニケーションもドイツ語と英語が主体ということなので、エカテリーナ・リトヴィンツェヴァとしておきます。
ブックレット(英語・12ページ)には、アルフレード・イノチェンティによる解説などが掲載。
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演奏家情報
エカテリーナ・リトヴィンツェヴァ
1986年、カムチャツカに近い港湾都市マガダンに誕生。1990年、4歳の時にピアノの勉強を開始。1994年、マガダン(北緯59度33分)の北東約1500kmでほぼ北極圏に位置し、オーロラがさらに美しいいチュクチ自治管区の都市アナディリ(北緯64度44分)に転居し、同地の音楽学校で勉強。ロシア最北東端都市の厳しくも豊かな自然の中で過ごしたのち、2001年、15歳のときに一家はモスクワに転居。2002年、モスクワ国立ショパン音楽学校に入学し、イリーナ・ガブリエロヴァに師事。卒業後、2006年にマイモニデス・クラシック・ピアノ・アカデミーに入学し、ヴィクトール・デレヴィアンコ、アレクサンダー・ムンドヤンツ、エカテリーナ・デルジャヴィーナらに師事、卒業後、2011年にドイツに移住し、ケルン音楽舞踊大学で学び、2013年に修士号を取得して卒業後、ヴュルツブルク音楽大学でも学んでいます。
以後、ベルリンのコンツェルトハウス、シュトゥットガルトのリーダーハレ、ボンのベートーヴェンハレ、ニュルンベルクにあるマイスタージンガーハレ、ハノーファーのNDRフンクハウス、ハンブルクのムジークハレといったドイツの有名な会場などで演奏。

北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団
1946年、先代の「北西ドイツ・フィルハーモニー」が結成。ドイツ北西部を統治していたイギリス占領軍政府のプロイセン解体により誕生した「ニーダーザクセン州」の支援も受け、温泉保養地バート・ピルモントで、同地で指揮者をしていたヴァルター・シュテーヴァーらの主導により設立。メンバーは、「ライヒス=ブルックナー管弦楽団」元楽員と、「プラハ・ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団」元楽員、及び占領地域のフリーランス音楽家(ライヒス=ブルックナー管弦楽団はリンツ・ブルックナー管弦楽団とは無関係)。
1946年、「ヘルフォルト交響楽団」が結成。指揮者のハインツ・シュリューターにより集められた36名から成る楽団。本拠地は、イギリス占領軍政府による合併で誕生したドイツ最大人口州「ノルトライン=ヴェストファーレン州」のヘルフォルト。
1949年、前年に占領軍政府(米英仏)により実施された通貨改革により、西ドイツが深刻な経済難となり、ニーダーザクセン州から先代の「北西ドイツ・フィルハーモニー」への資金援助が打ち切りとなり存続の危機に。
1950年、先代の「北西ドイツ・フィルハーモニー」と「ヘルフォルト交響楽団」が合併し、「都市同盟交響楽団」が誕生。名前の由来は、オーケストラを運営するために、ヘルフォルト、デトモルト、パーダーボルン、レムゴー、バート・ザルツフレン、バート・リップシュプリンゲ、バート・エーンハウゼンの各都市などによる後援協会が設立されたことによるものです。本拠地はヘルフォルト。これが現在の「北西ドイツ・フィルハーモニー」の設立となります。初代首席指揮者はアルメニア系ドイツ人指揮者のロルフ・アゴップ[1908-1988]で、最初のコンサートはシュッツェンホーフで実施。
1951年、「都市同盟交響楽団」が先代と同じ「北西ドイツ・フィルハーモニー」に改名。
1959年、西部ドイツ放送とブレーメン放送が定期的な音楽放送を開始したのに伴い、オーケストラは放送録音にも乗り出し、西部ドイツ放送だけで約2,000件の録音を実施。ブレーメン放送のためにも約600の放送録音をおこなっています。
レコーディングにも積極的で、豊富な経験によりどんなレパートリーでも演奏できることからすでに制作数は200を超えています。
ヴァハン・マルディロシアン(指揮)
1975年、アルメニアのエレヴァンに誕生。1993年にパリに移住。1996年にパリ音楽院を優秀な成績で卒業。指揮者、ピアノ・ソリストとして活躍。長年、フランスのカーン交響楽団の首席指揮者、アルメニア国立室内管弦楽団の音楽監督を務め、2019年より香港室内管弦楽団の首席指揮者を務めています。マルディロシアンは、ヨーロッパとアジアで定期的に客演指揮者として招かれており、これまでに、プラハ放送響、ロワール国立管、アルメニア・フィル、プラハ・フィル、チェコ室内管、レバノン・フィル、アマルガム管、トゥーロン歌劇場管、ノヴォシビリスク・フィル、東京フィル、N響、日本フィル、ブルガリア国立管、ウクライナ国立フィル、関西フィル、ロシア・フィル、新日本フィル、九州響などを指揮。2017年にはピアニストとしてカーネギー・ホールでピアノリサイタルを開催。
CDは、Brilliant Classics、Intrada、Transart、Skarbo、Warner、Cypres、Quadrigaなどから発売。

トラックリスト (収録作品と演奏家)
CD 67'41
セルゲイ・ラフマニノフ [1873-1943]
ピアノ協奏曲第1番 嬰ヘ短調 Op.1 [1890-1891、1917] 29'38
01. 第1楽章 ヴィヴァーチェ〜モデラート 14'17
02. 第2楽章 アンダンテ 6'33
03. 第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ 8'48
エカテリーナ・リトヴィンツェヴァ(ピアノ)
北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団
ヴァハン・マルディロシアン(指揮)
録音:2021年11月5日、ドイツ連邦共和国、ノルトライン=ヴェストファーレン州ヘルフォルト、シュタットパルク・シュッツェンホーフ(ライヴ録音。終演後の拍手入り)
ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 Op.36 [1913、1931] 19'22
04. 第1楽章 アレグロ・アジタート 7'47
05. 第2楽章 ノン・アレグロ・レント 6'06
06. 第3楽章 リステッソ・テンポ - アレグロ・モルト 5'29
コレッリの主題による変奏曲 Op.42 [1931] 18'26
07. 主題 アンダンテ 0'58
08. 第1変奏 ポコ・ピウ・モッソ 0'48
09. 第2変奏 リステッソ・テンポ 0'40
10. 第3変奏 テンポ・ディ・メヌエット 0'38
11. 第4変奏 アンダンテ 1'03
12. 第5変奏 アレグロ(マ・ノン・タント) 0'21
13. 第6変奏 リステッソ・テンポ 0'23
14. 第7変奏 ヴィヴァーチェ 0'31
15. 第8変奏 アダージョ・ミステリオーゾ 1'02
16. 第9変奏 ウン・ポコ・ピウ・モッソ 1'09
17. 第10変奏 アレグロ・スケルツァンド 0'39
18. 第11変奏 アレグロ・ヴィヴァーチェ 0'23
19. 第12変奏 リステッソ・テンポ 0'36
20. 第13変奏 アジタート 0'34
21. 間奏曲 ア・テンポ・ルバート 1'16
22. 第14変奏 アンダンテ(コモ・プリマ) 0'56
23. 第15変奏 リステッソ・テンポ 1'24
24. 第16変奏 アレグロ・ヴィヴァーチェ 0'30
25. 第17変奏 メノ・モッソ 1'02
26. 第18変奏 アレグロ・コン・ブリオ 0'33
27. 第19変奏 ピウ・モッソ、アジタート 0'31
28. 第20変奏 ピウ・モッソ 1'07
29. コーダ アンダンテ 1'22
エカテリーナ・リトヴィンツェワ(ピアノ)
録音:2023年3月27日、11月6日、オランダ王国、ユトレヒト州、フェーネンダール、ストゥディオ・ファン・スクッペン
Track list
SERGEI RACHMANINOFF 1873-1943
PIANO CONCERTO NO.1 · PIANO SONATA NO.2 · CORELLI VARIATIONS OP.42
Piano Concerto No.1 in F sharp minor Op.1
1 I. Vivace – Moderato* 14'17
02 II. Andante* 6'33
03 III. Allegro vivace* 8'48
Piano Sonata No.2 in B-flat minor Op.36 (Revised version, 1931)
04 I. Allegro agitato 7'47
05 II. Non allegro-Lento 6'06
06 III. L'istesso tempo – Allegro molto 5'29
Variations on a Theme of Corelli, Op.42
07 Theme. Andante 0'58
08 Variation 1. Poco piu mosso 0'48
09 Variation 2. L'istesso tempo 0'40
10 Variation 3.
Tempo di Minuetto 0'38
11 Variation 4. Andante 1'03
12 Variation 5.
Allegro (ma non tanto) 0'21
13 Variation 6. L'istesso tempo 0'23
14 Variation 7. Vivace 0'31
15 Variation 8.
Adagio misterioso 1'02
16 Variation 9.
Un poco piu mosso 1'09
17 Variation 10.
Allegro scherzando 0'39
18 Variation 11. Allegro vivace 0'23
19 Variation 12.
L'istesso tempo 0'36
20 Variation 12. Adagio 0'34
21 Intermezzo, A tempo rubato 1'16
22 Variation 14.
Andante (come prima) 0'56
23 Variation 15. L'istesso tempo 1'24
24 Variation 16. Allegro vivace 0'30
25 Variation 17. Meno mosso 1'02
26 Variation 18.
Allegro con brio 0'33
27 Variation 19. Piu mosso.
Agitato 0'31
28 Variation 20. Piu mosso 1'07
29 Coda. Andante 1'22
Ekaterina Litvintseva piano
Nordwestdeutsche Philharmonie* · Vahan Mardirossian conductor*
Live-recording: November 5, 2021, Stadtpark Schützenhof, Herford, Germany (Track 1-3)
Recording: March 27, 2023, and November 6, 2023, Studio van Schuppen, Veenendaal,
The Netherlands (Track 4-29)
ラフマニノフ年表
1873
1874
1875
1876
1877
1878
1879
1880
1881
1882
1883
1884
1885
1886
1887
1888
1889
1890
1891
1892
1893
1894
1895
1896
1897
1898
1899
1900
1901
1902
1903
1904
1905
1906
1907
1908
1909
1910
1911
1912
1913
1914
1915
1916
1917
1918
1919
1920
1921
1922
1923
1924
1925
1926
1927
1928
1929
1930
1931
1932
1933
1934
1935
1936
1937
1938
1939
1940
1941
1942
1943
1873年/明治6年 (0歳)
◆ 4月1日、ノヴゴロド州のセミョノヴォに誕生。父は陸軍将校でアマチュア・ピアニストのヴァシリー・アルカディエヴィチ[1841-1916]、母は将軍の娘でアマチュア・ピアニストのリュボフ・ペトロヴナ[1853-1929]。ラフマニノフ家は15世紀まで辿れる家系で、祖父アルカジ・アレクサンドロヴィチ・ラフマニノフ[1808-1880]は、ノクターンの創始者ジョン・フィールドの弟子。ラフマニノフは6人兄弟の次男(長女エレナ、長男ヴラジーミル、次女ソフィヤ、三男アルカディ、三女ヴァルヴァラ)。
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1874年/明治7年 (0〜1歳)
◆
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1875年/明治8年 (1〜2歳)
◆
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1876年/明治9年 (2〜3歳)
◆
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1877年/明治10年 (3〜4歳)
◆ 母リュボフによるピアノのレッスンが開始。
◆ 5月26日、ナターリヤ・アレクサンドロヴナ・サーチナ、ノヴゴロドで誕生。将来の妻。
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1878年/明治11年 (4〜5歳)
◆ ピアノのレッスンを継続。
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1879年/明治12年 (5〜6歳)
◆ ピアノのレッスンを継続。
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1880年/明治13年 (6〜7歳)
◆ ピアノのレッスンを継続。
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1881年/明治14年 (7〜8歳)
◆ ピアノのレッスンを継続。
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1882年/明治15年 (8〜9歳)
◆ ラフマニノフ家が財政破綻。領地は競売にかけられ、ペテルブルクに転居。
◆ サンクトペテルブルク音楽院の幼年学校に入学。ヴラジーミル・デリャンスキーに師事。
◆ 姉のソフィヤが12歳で死去。
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1883年/明治16年 (9〜10歳)
◆ ペテルブルク音楽院在学。
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1884年/明治17年 (10〜11歳)
◆ ペテルブルク音楽院在学。
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1885年/明治18年 (11〜12歳)
◆ モスクワ音楽院に転入。ピアニストの従兄アレクサンドル・ジロティ[1863-1945]の推薦。アントン・アレンスキー(和声)、セルゲイ・タネーエフ(対位法)、ジロティ(ピアノ)、ステパン・スモレンスキイ(正教会聖歌)らに師事。
◆ モスクワ音楽院のピアノ教師、ニコライ・ズヴェーレフ[1832-1893]の家に寄宿。
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1886年/明治19年 (12〜13歳)
◆ モスクワ音楽院在学。
◆ ズヴェーレフ家に滞在。
◆ チャイコフスキーとズヴェーレフ家で交流。
● チャイコフスキーのマンフレッド交響曲をピアノ編曲。
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1887年/明治20年 (13〜14歳)
◆ モスクワ音楽院在学。
◆ ズヴェーレフ家に滞在。
● 管弦楽のためのスケルツォ ニ短調
● ピアノのための4つの小品
● ピアノのための3つの夜想曲
● ピアノのための無言歌 ニ短調
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1888年/明治21年 (14〜15歳)
◆ モスクワ音楽院在学。
◆ ズヴェーレフ家に滞在。
◆ ジロティのクラスに入り、スクリャービン[1872-1915]と同級になります。
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1889年/明治22年 (15〜16歳)
◆ モスクワ音楽院在学。
◆ ズヴェーレフ家から退去。
◆ 父の妹ヴァルヴァラ[1851-1941]の嫁ぎ先である弁護士のアレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・サーチン[1844-1926]の家に滞在開始。サーチン家の子供は5人で、長男のアレクサンドルはラフマニノフと同年齢、長女のナターリヤは4歳若い12歳、次女のソフィヤは6歳若い10歳といった感じで、16歳のラフマニノフには気楽な環境でした(ナターリヤとは後年結婚)。
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1890年/明治23年 (16〜17歳)
◆ モスクワ音楽院在学。
◆ サーチン家に滞在。
● 6手ピアノのための「ワルツ」
● チェロとピアノのためのロマンス ヘ短調
● 歌曲「聖なる修道院の門の傍らに」
● 歌曲「君には何も語るまい」
● 歌曲「心よ、お前はふたたび目覚めた」
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1891年/明治24年 (17〜18歳)
◆ モスクワ音楽院ピアノ科を首席で卒業。次席はスクリャービンで、共に金メダルを授与されています。
● ピアノ協奏曲第1番 嬰ヘ短調 Op.1(初稿)
● 6手ピアノのための「ロマンス」
● 2台のピアノのための「ロシアの主題による狂詩曲」
● 交響詩「ロスティスラフ公」
● ピアノのためのフーガ ニ短調
● ピアノのための前奏曲 ヘ長調
● 歌曲「四月、春の祭の日」
● 歌曲「夕闇は迫り」
● 歌曲集「君は覚えているだろうか、あの夕べを」
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1892年/明治25年 (18〜19歳)
◆ モスクワ音楽院作曲科卒業。卒業制作のオペラ「アレコ」により金メダルを授与。
◆ 前奏曲「鐘」が電気博覧会で初演され大成功。
● チェロとピアノのための2つの小品 Op.2
● ピアノのための幻想的小品集 Op.3
● 歌劇「アレコ」
● 悲しみの三重奏曲第1番 ト短調
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1893年/明治26年 (19〜20歳)
◆ オペラ「アレコ」初演。
◆ 10月12日、恩師ズヴェーレフ、モスクワで死去。
◆ 11月6日、恩師チャイコフスキー、サンクトペテルブルクで死去。
● 歌曲集「6つのロマンス」 Op.4
● 2台ピアノのための組曲第1番「幻想的絵画」Op.5
● ヴァイオリンとピアノのための2つの小品 Op.6
● 交響的幻想曲「岩」Op.7
● 歌曲集「6つのロマンス」 Op.8
● 悲しみの三重奏曲第2番 ニ短調Op.9
● 歌曲「失望した男の歌」
● 歌曲「花はしぼんだ」
● 合唱聖歌コンチェルト「祈祷に眠らざる生神女」
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1894年/明治27年 (20〜21歳)
● 管弦楽のためのジプシーの主題による奇想曲 Op.12
● 2台ピアノのための6つの小品 Op.11
● ピアノのためのサロン的小品集 Op.10
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1895年/明治28年 (21〜22歳)
● 交響曲第1番 ニ短調 Op.13
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1896年/明治29年 (22〜23歳)
● 歌曲集「12のロマンス」 Op.14
● 6つの合唱曲 Op.15
● 楽興の時 Op.16
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1897年/明治30年 (23〜24歳)
◆ 交響曲第1番初演。
◆ モスクワのマモントフ・オペラの指揮者として契約。
◆ バス歌手シャリアピン[1873-1938]と交流。生涯の友に。
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1898年/明治31年 (24〜25歳)
◆ マモントフ・オペラの指揮者。
◆ シャリアピンと演奏旅行。公演先のヤルタでチェーホフと交流。
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1899年/明治32年 (25〜26歳)
◆ ロンドンに演奏旅行。
● 歌曲「君はしゃっくりをしなかったかい、ナターシャ」
● 幻想的小品 ト短調
● ピアノのためのフゲッタ ヘ長調<
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1900年/明治33年 (26〜27歳)
◆ 当時パリで流行し、ロシアでも人気となっていた催眠療法をニコライ・ダーリ[1860-1939]が数回実施。
● ピアノ編曲:ビゼー:「アルルの女」第1組曲より「メヌエット」
● 歌曲「夜」
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1901年/明治34年 (27〜28歳)
● ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op.18
● チェロ・ソナタト短調 Op.19
● 2台ピアノのための組曲第2番 Op.17
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1902年/明治35年 (28〜29歳)
◆ 4月29日、ナターリヤ・サーチナと結婚。
● カンタータ「春」Op.20
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1903年/明治36年 (29〜30歳)
◆ 長女イリーナ、イヴァノフカで誕生。
◆ ピアノ協奏曲 第2番 Op.18、初演。
● ショパンの主題による変奏曲 Op.22
● 10の前奏曲集 Op.23
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1904年/明治37年 (30〜31歳)
◆ ボリショイ劇場の指揮者に就任。
● 歌劇「けちな騎士」 Op.24
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1905年/明治38年 (31〜32歳)
◆ ボリショイ劇場の指揮者在任。
● 歌劇「フランチェスカ・ダ・リミニ」 Op.25
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1906年/明治39年 (32〜33歳)
◆ 2月25日、恩師アレンスキー、ロシア帝国領フィンランドのペルキャルヴィで結核により死去。44歳。
◆ 秋、ドレスデンに長期滞在開始。
● 歌曲集「12のロマンス」 Op.21
● 歌曲「スタニスラフスキーへの手紙」
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1907年/明治40年 (33〜34歳)
◆ 次女タチアーナ、イヴァノフカで誕生。
◆ 5月10日、兄ヴラジーミル・ヴァシリエヴィチ、死去。35歳。警察署長でした。
● 交響曲第2番 ホ短調 Op.27
● ピアノ・ソナタ第1番 ニ短調 Op.28
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1908年/明治41年 (34〜35歳)
◆ 2月8日、交響曲第2番、自身の指揮でサンクトペテルブルクで初演。
● ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 Op.30
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1909年/明治42年 (35〜36歳)
◆ 8月2日、恩師スモレンスキー、ヴァシリスルスクで死去。60歳。
◆ ロシア音楽協会副会長に選出。
◆ アメリカに演奏旅行。
● 交響詩「死の島」Op.29
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1910年/明治43年 (36〜37歳)
● 聖金口イオアン聖体礼儀(聖ヨハネ・クリソストモスの典礼) Op.31
● 13の前奏曲集 Op.32
● 練習曲集『音の絵』Op.33
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1911年/明治44年 (37〜38歳)
● ピアノ編曲:V.R.のポルカ(フランツ・ベーア「笑う小娘」)
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1912年/明治45年/大正元年 (38〜39歳)
◆ 自動車を購入。
● 歌曲集「14のロマンス」 Op.34
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1913年/大正2年 (39〜40歳)
◆ ローマに滞在。
● 合唱交響曲『鐘』Op.35
● ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 Op.36
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1914年/大正3年 (40〜41歳)
◆ 4月27日、友人スクリャービン、モスクワで死去。42歳。
◆ 6月19日、恩師タネーエフ、ズヴェニゴロドで死去。58歳。
◆ イギリスに演奏旅行。
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1915年/大正4年 (41〜42歳)
● 徹夜禱 Op.37
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1916年/大正5年 (42〜43歳)
◆ イワノーフカ滞在。
◆ 父ヴァシリー・アルカディエヴィチ・ラフマニノフ、死去。75歳。
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1917年/大正6年 (43〜44歳)
◆ ロシアで最後のコンサート出演。
◆ 12月、ストックホルム公演。
● 練習曲集『音の絵』Op.39
● ピアノ協奏曲第1番 嬰ヘ短調 Op.1(改訂稿)
● 前奏曲 ニ短調
● ピアノのための「オリエンタル・スケッチ」
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1918年/大正7年 (44〜45歳)
◆ ピアニスト活動を本格化。
◆ コペンハーゲンに滞在。
◆ アメリカから3件の出演要請があるものの辞退。
◆ アメリカに移り住むことを決意。
◆ 12月、アメリカでコンサートに出演。
● ピアノ編曲:アメリカ合衆国国歌「星条旗」
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1919年/大正8年 (45〜46歳)
◆ アメリカ各地へ演奏旅行。
◆ サンフランシスコに居住。
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1920年/大正9年 (46〜47歳)
◆ ビクター・トーキング・マシン(後のRCA)とレコーディング契約を締結。
● ピアノ編曲:クライスラー:「愛の喜び」
● ピアノ編曲:クライスラー:「愛の悲しみ」
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1921年/大正10年 (47〜48歳)
◆ ニューヨークに居住。
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1922年/大正11年 (48〜49歳)
◆ ロンドン公演。
◆ 秋からアメリカ公演を集中的に実施。カナダやキューバも訪問。
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1923年/大正12年 (49〜50歳)
◆ 前年秋から初夏までのシーズンで71公演を実施。カナダやキューバも訪問。体の負担が大き過ぎたため、この年の秋からのシーズンは公演数を削減。
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1924年/大正13年 (50〜51歳)
◆ 秋、資金難で破綻寸前だったロングアイランドのシコルスキー社を訪れ、社長の亡命ロシア人技術者、イーゴリ・シコルスキー[1889-1972]に対し、返済期限なしとしたうえで5千ドルの小切手を手渡します。シコルスキーは感謝の印としてラフマニノフに同社の第1副社長に就任するよう要請してラフマニノフは承諾。これが宣伝効果を発揮してシコルスキー社は窮地を脱し、1928年には飛行艇S-38をパンアメリカン航空が一気に39機も購入して大躍進。翌1929年にラフマニノフに返済しています。
● ピアノ編曲:自作歌曲「ひなげし」Op.38-3
● ピアノ編曲:ムソルグスキー:「ゴパーク」
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1925年/大正14年 (51〜52歳)
◆ ヨーロッパでピアニスト活動を再開。
◆ 夏、パリに滞在。
◆ パリで自身の出版社「タイア」を設立。社名は娘のタチアーナのTAとイリーナのIRを繋げたもの。
● ピアノ編曲:シューベルト:「何処へ」
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1926年/大正15年/昭和元年 (52〜53歳)
● ピアノ協奏曲第4番 Op.40
● 3つのロシアの歌 Op.41
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1927年/昭和2年 (53〜54歳)
◆ 夏、ドレスデンにしばらく滞在。
◆ 夏、スイスに滞在。
◆ 秋、アメリカに帰還。
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1928年/昭和3年 (54〜55歳)
◆ 1月8日、ホロヴィッツと共にスタインウェイ本社でピアノ協奏曲第3番を演奏。ホロヴィッツはニューヨークに到着したばかりでした。
◆ 夏、ノルマンディーに滞在。
◆ 夏、ドレスデンに滞在。
◆ 年末までヨーロッパ・ツアー。
● ピアノ協奏曲第4番 Op.40、改訂のうえで出版。
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1929年/昭和4年 (55〜56歳)
◆ パリのクレアフォンテーヌに家を借り、夏の別荘とします。
◆ 母リュボフ・ペトロヴナ、死去。76歳。
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1930年/昭和5年 (56〜57歳)
◆ ルツェルン湖畔のヘルテンシュタインに別荘「ヴィラ・セナール」と公園を建設することを計画し、土地を購入。ルツェルンの建築家、アルフレート・メーリとカール・フリードリヒ・クレープスに別荘と敷地内の建築物の設計を依頼。
● ピアノ・ソナタ第2番を改訂。
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1931年/昭和6年 (57〜58歳)
◆ ルツェルン湖畔のヘルテンシュタインに別荘と公園を建設することを計画。
◆ アメリカでソ連政権に抗議する書簡に署名したことにより、モスクワのマスコミにより攻撃。
● ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 Op.36(改訂稿)
● コレッリの主題による変奏曲 Op.42
● ピアノ編曲:リムスキー=コルサコフ:「くまばちは飛ぶ」
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1932年/昭和7年 (58〜59歳)
◆ 別荘のためにヘルテンシュタインの土地約2万uを購入。岩だらけの土地だったので、ケルンの建築家からは山小屋風の別荘を提案されますがラフマニノフは拒否。岩を爆破して整地することで庭園とし、ルツェルンの建築家、アルフレート・メーリとカール・フリードリヒ・クレープスにバウハウス様式の別荘と、敷地内の教会などの建築物の設計を依頼。
◆ 10月、50回の公演をおこなうシーズンが開始。ラフマニノフのピアニスト生活40周年が各地で祝われますが、世界大恐慌の影響はまだ深刻でした。
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1933年/昭和8年 (59〜60歳)
◆ ルツェルン湖畔の別荘「ヴィラ・セナール」のためにモーターボートを購入。
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1934年/昭和9年 (60〜61歳)
◆ ルツェルン湖畔の別荘が完成。名前の「VILLA SENAR」は、ラフマニノフのSERGEYからSEとR、妻ナターリヤのNATALIAからNAをとって繋げたもの。この別荘のために通常より1メートル長い巨大なスタインウェイを特注したほか、リンカーンも購入。
● パガニーニの主題による狂詩曲 Op.43
● ピアノ編曲:メンデルスゾーン:「スケルツォ」
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1935年/昭和10年 (61〜62歳)
◆ 夏、「ヴィラ・セナール」に滞在。
● 交響曲第3番の作曲に着手。
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1936年/昭和11年 (62〜63歳)
◆ 夏、「ヴィラ・セナール」に滞在。
● 交響曲第3番 イ短調 Op.44
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1937年/昭和12年 (63〜64歳)
◆ 夏、「ヴィラ・セナール」に滞在。
◆ パガニーニの主題による狂詩曲を使用したバレエについてフォーキンと打ち合わせ。
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1938年/昭和13年 (64〜65歳)
◆ 4月12日、友人シャリアピン、パリで死去。65歳。
◆ 夏、「ヴィラ・セナール」に滞在。
● ピアノ協奏曲第4番 Op.40、大改訂(改訂版=最終稿、1944年に出版)。
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1939年/昭和14年 (65〜66歳)
◆ 3月、イギリス公演。
◆ 夏、「ヴィラ・セナール」に滞在。
◆ 6月、「ヴィラ・セナール」で転倒して負傷し、フォーキンのバレエ鑑賞を断念。
◆ 8月11日、ルツェルン国際音楽祭(現ルツェルン音楽祭)に出演。アンセルメとベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番とパガニーニ狂詩曲で共演。
◆ 8月23日、アメリカに向けて出航。以後、ヨーロッパに戻ることはできませんでした。
◆ 9月1日、ドイツがポーランドに侵攻。第2次大戦開戦。
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1940年/昭和15年 (66〜67歳)
◆ ロングアイランドのオーチャード・ポイントで「交響的舞曲」を作曲。
● 交響的舞曲 Op.45
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1941年/昭和16年 (67〜68歳)
◆ 6月22日、ドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵攻。ほどなくラフマニノフは祖国支援のための活動を開始。
◆ 12月、改訂したピアノ協奏曲第4番をオーマンディと録音。
● ピアノ協奏曲第4番 ト短調 Op.40(決定稿)
● ピアノ編曲:自作歌曲「ライラック」Op.21-5
● ピアノ編曲:チャイコフスキー:「子守唄」Op.16-1
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1942年/昭和17年 (68〜69歳)
◆ 夏、カリフォルニアに滞在。ビヴァリー・ヒルズのエルム・ドライヴに家を購入。
◆ 8月22日、フォーキン、ニューヨークで死去。62歳。
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1943年/昭和18年 (69〜70歳)
◆ 2月17日、テネシー州ノックスヴィルで最後のコンサート出演。
◆ 体調悪化によりロサンジェルスの病院を受診。
◆ 3月28日、悪性黒色腫によりビバリーヒルズの自宅で死去。69歳。
◆ 6月1日、ニューヨーク州ヴァルハラのケンシコー墓地に埋葬。1951年1月17日にナターリヤ未亡人が73歳でマンハッタンで亡くなると同所に埋葬されています。

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商品説明詳細ページ一覧
【複数作曲家】
◆
女性作曲家たち
◆
オランダのピアノ協奏曲集◆
イタリアのヴァイオリン・ソナタ集
◆
イタリアのチェロ・ソナタ集
【バロック作曲家(生年順)】
◆
バード [c.1540-1623]
◆
スウェーリンク [1562-1621]
◆
モンテヴェルディ [1567-1643]
◆
カッツァーティ [1616-1678]
◆
ルイ・クープラン [1626-1661]
◆
クープラン一族
◆
ブクステフーデ [1637-1707]
◆
ムルシア [1673-1739]
◆
グリューネヴァルト [1673-1739]
◆
ダンドリュー [1682-1738]
◆
J.S.バッハ [1685-1750]
◆
スタンリー [1713-1786]◆
ヨハン・エルンスト・バッハ [1722-1777]
【古典派&ロマン派作曲家(生年順)】
◆
ハイドン [1732-1809]
◆
ミスリヴェチェク [1737-1781] (モーツァルトへの影響大)
◆
ボッケリーニ [1743-1805]
◆
モンジュルー [1764-1836] (ピアノ系)
◆
ベートーヴェン [1770-1827]
◆
クラーマー [1771-1858]
◆
ジャダン [1776-1800] (ピアノ系)
◆
リース [1784-1838]
◆
ブルックナー [1824-1896]
◆
マルトゥッチ [1856-1909]
◆
マーラー [1860-1911]
◆
トゥルヌミール [1870-1939]
◆
ルクー [1870-1894]
◆
レーガー [1873-1916]
◆
ラフマニノフ [1873-1943]
【近現代作曲家(生年順)】
◆
レーバイ [1880-1953] (ギター系)
◆
マルティヌー [1890-1959]
◆
ミゴ [1891-1976] (ギター系も)
◆
サントルソラ [1904-1994] (ギター系も)
◆
ショスタコーヴィチ [1906-1975]
◆
ラングレー [1907-1991] (オルガン系)
◆
アンダーソン [1908-1975]
◆
デュアルテ [1919-2004] (ギター系)
◆
プレスティ [1924-1967] (ギター系)
◆
ヘンツェ [1926-2012]
◆
坂本龍一 [1952-2023]
【指揮者(ドイツ・オーストリア)】
◆
アーベントロート
◆
エッシェンバッハ
◆
カラヤン
◆
クナッパーツブッシュ (ウィーン・フィル、
ベルリン・フィル、
ミュンヘン・フィル、
国立歌劇場管、
レジェンダリー)
◆
クラウス
◆
クリップス
◆
クレンペラー (VOX&ライヴ、
ザルツブルク・ライヴ、
VENIASボックス
◆
サヴァリッシュ
◆
シューリヒト
◆
スイトナー (ドヴォルザーク、
レジェンダリー)
◆
フリート
◆
フルトヴェングラー
◆
ヘルビヒ (ショスタコーヴィチ、
マーラー、
ブラームス)
◆
ベーム
◆
メルツェンドルファー
◆
ヤノフスキー
◆
ライトナー
◆
ラインスドルフ
◆
レーグナー (ブルックナー、
マーラー、
ヨーロッパ、
ドイツ)
◆
ロスバウト
【指揮者(ロシア・ソ連)】
◆
アーロノヴィチ
◆
ガウク
◆
クーセヴィツキー
◆
ゴロワノフ
◆
ペトレンコ
◆
マルケヴィチ
【指揮者(アメリカ)】
◆
クーチャー(クチャル)
◆
スラトキン(父)
◆
ドラゴン
◆
バーンスタイン
◆
フェネル
【指揮者(オランダ)】
◆
オッテルロー
◆
クイケン
◆
フォンク
◆
ベイヌム
◆
メンゲルベルク
【指揮者(フランス)】
◆
パレー
◆
モントゥー
【指揮者(ハンガリー)】
◆
セル
◆
ドラティ
【指揮者(スペイン)】
◆
アルヘンタ
【指揮者(スイス)】
◆
アンセルメ
【指揮者(ポーランド)】
◆
クレツキ
【指揮者(チェコ)】
◆
ターリヒ
【指揮者(ルーマニア)】
◆
チェリビダッケ
【指揮者(イタリア)】
◆
トスカニーニ
【指揮者(イギリス)】
◆
バルビローリ
【指揮者(ギリシャ)】
◆
ミトロプーロス
【指揮者(日本)】
◆
小澤征爾
【鍵盤楽器奏者(楽器別・生国別)】
【ピアノ(ロシア・ソ連)】
◆
ヴェデルニコフ
◆
グリンベルク
◆
ソフロニツキー
◆
タマルキナ
◆
ニコラーエワ
◆
ネイガウス父子
◆
フェインベルク
◆
フリエール
◆
モイセイヴィチ
◆
ユージナ
【ピアノ(フランス)】
◆
ウーセ
◆
カサドシュ
◆
ティッサン=ヴァランタン◆
ハスキル
◆
ロン
【ピアノ(ドイツ・オーストリア)】
◆
キルシュネライト
◆
シュナーベル
◆
デムス
◆
ナイ
◆
レーゼル (ブラームス、
ベートーヴェン)
【ピアノ(ハンガリー)】
◆
ファルナディ
【ピアノ(南米)】
◆
タリアフェロ
◆
ノヴァエス
【チェンバロ】
◆
ヴァレンティ
◆
カークパトリック
◆
ランドフスカ
【弦楽器奏者(楽器別・五十音順)】
【ヴァイオリン】
◆
オイストラフ
◆
コーガン
◆
スポールディング
◆
バルヒェット
◆
フランチェスカッティ
◆
ヘムシング
◆
リッチ
◆
レビン
【チェロ】
◆
カサド
◆
シュタルケル
◆
デュ・プレ
◆
トルトゥリエ
◆
ヤニグロ
◆
ロストロポーヴィチ
【管楽器奏者】
【クラリネット】
◆
マンツ
【ファゴット】
◆
デルヴォー(ダルティガロング)
【オーボエ】
◆
モワネ
【歌手】
◆
ド・ビーク (メゾソプラノ)
【室内アンサンブル(編成別・五十音順)】
【三重奏団】
◆
パスキエ・トリオ
【ピアノ四重奏団】
◆
フォーレ四重奏団
【弦楽四重奏団】
◆
グリラー弦楽四重奏団
◆
シェッファー四重奏団
◆
シュナイダー四重奏団
◆
ズスケ四重奏団
◆
パスカル弦楽四重奏団
◆
ハリウッド弦楽四重奏団
◆
バルヒェット四重奏団
◆
ブダペスト弦楽四重奏団
◆
フランスの伝説の弦楽四重奏団
◆
レナー弦楽四重奏団