(こちらは新品のHMVレビューとなります。参考として下さいませ。中古商品にはサイト上に記載がある場合でも、封入/外付け特典は付属いたしません。また、実際の商品と内容が異なる場合がございます。)
マーラー10番史上最高に耽美的で充実したサウンド!
ハーディング&ウィーン・フィルの名演名録音!
以前は第1楽章のアダージョのみの録音が多かったマーラーの交響曲第10番は、ここ数年全曲版の録音が相次いで登場し、多くの謎と未解決の問題を孕むこの未完の大作が広く一般に聴かれるようになってきました。特にサイモン・ラトルがベルリン・フィルを指揮した録音の登場は、この作品が他のマーラーの交響曲と同様に、レパートリーとしての不動の地位を確立したことを強く印象づける画期的な出来事と言えるものでした。
最も代表的なデリック・クック[1919〜76]による補筆完成版の他に、カーペンター版やマゼッティ版、ホイーラー版など、マーラーが残したスケッチや資料に基づく独自の分析と研究、それに豊かな想像力を加えた様々なヴァージョンが数多く存在するのもこの作品の特徴であり、ファンにとってはますます興味の尽きない状況となっています。
マーラーが交響曲第10番に本格的に着手したのは1910年夏のことで、その年のうちに作品の骨格にあたる全5楽章の略式総譜を書き上げ、第1楽章全体と第2楽章、および第3楽章の一部はスケッチの形でオーケストレーションも施されました。 この年の7月から9月にかけてのマーラーの身辺は波乱に満ちたもので、第10番の作曲に取り掛かった直後の7月に愛妻アルマの不倫が発覚し結婚生活最大の危機を迎え、マーラーは精神的に不安定な状態に陥り、そのため8月末には精神分析の創始者として有名なフロイトを訪ねて診察を受けています。
また9月にはミュンヘンで交響曲第8番『千人の交響曲』(この作品はアルマに捧げられています)の初演を指揮し、作曲家マーラーとして空前絶後の大成功を収めますが、これが最後の自作の初演となりました。
このような時期に作曲が進められた第10番は、それまでの作品以上にマーラーの個人的な生活の影響が色濃く反映されているように感じられ、特にアルマへの愛と苦悩が交錯した複雑な感情が大きな影を落としていると言えるでしょう。第10番のスケッチにはアルマに向けられたと思われるマーラーのメッセージが数多く残されている事実でも明らかです。
1911年5月18日にマーラーはこの世を去り、第10番は未完成のまま残されました。その後多くの作曲家や研究者たちの手によって紆余曲折を経ながら、この作品の補筆完成の試みが続けられ現在に至っているわけですが、最初の録音はウィン・モリス指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団によって、デリック・クックの「最終改訂版」である第3稿の第1版を用いておこなわれています(この版は彼らによって1972年10月に初演が行われています)。
クック版第3稿は1976年に第1版が出版され、同年クックも亡くなっているので「最終改訂版」と言われていますが、1989年には、クックと共同作業を進めていたゴルトシュミットとマシューズ兄弟がさらに改訂を加えた第3稿第2版が出版されています。ラトル&BPO盤はこの第3稿第2版によっています。ちなみに第2稿にはオーマンディのセッション録音とマルティノンのライヴ録音がありますが、第1稿は完全な全曲ヴァージョンではないというこもあってか録音がありません。海外のサイトなどでは、
■クック版第2稿=COOKET
■クック版第3稿第1版=COOKEU
■クック版第3稿第2版=COOKEV
という表記もあり、実際、この方がわかりやすいとも思えますが、ここでは通常の名称で記していくことにします。
いくつかある全曲ヴァージョンの中で、一般的なのは、クック版第3稿第1版=COOKEUの演奏で、録音もモリス、ザンデルリング、レヴァイン、ラトル&ボーンマス響、シャイー、ギーレンなどがありますが、独自の改訂を加えたものが多く、それぞれ同じヴァージョンとは思えないほどの違いがあるので、あまり呼称にこだわっても仕方ないとも思えてきます。
クック版について、ギーレンはこんな意味のことを語っています。
「驚くべきことに、ファクシミリスコアに目を通して得た私の最初の印象は正反対に変化した。つまり、最初に見たときよりもはるかに多くのマーラー的なものがここにはあると感じられるのだ。かつては要らないとまで考えていたフィナーレが、今ではとても普通でないくらいに焼きついている。明らかにクックの仕事はマーラーの精神によって引き起こされたものだった!」
そしてギーレンは素晴らしい録音をおこないましたが、ハーディングもこの作品への愛着には並々ならないものがあります。しかもオーケストラは内声部まで充実した豊かな響きのウィーン・フィルなので、少々薄めのオーケストレーションの部分が多いクック版にはまさにピッタリ。
ハーディング自身も指揮していて驚いたという楽団員のルバートの絶妙なセンスと濃厚な音色、響きの実在感が、この作品ではかつて聴いたことの無い複雑な味わいに満ちた美しさをもたらしているのが印象的。ヴァイオリン両翼型配置も第2ヴァイオリンが大活躍するこの作品では非常に効果的であり、厚みがありながらも立体感に富み、なおかつ精妙で耽美的という凄いサウンドをこころゆくまで味わうことが可能です。
ちなみに、この時期のハーディングとウィーン・フィルは、10月20日と21日にヴェーベルンの管弦楽のための6つの小品とシューベルトの交響曲第3番、そしてマーラーの『大地の歌』を演奏、さらに26日には、シューベルトの交響曲第3番とバルトークの弦楽のためのディヴェルティメント、シューベルトの5つのドイツ舞曲、ヴェーベルンの管弦楽のための6つの小品、シュトラウスの芸術家の生涯を演奏しており、コミュニケーションも十分に深まっていたと考えられます。
使用楽譜はクック版第3稿第2版です。これまで10番全曲演奏で最も人気があったのは、1976年に刊行されたクック版第3稿第1版で、1989年に刊行された第2版については、まだ新しいということもあってか、ラトル盤とノセダ盤しかありませんでしたが、そのラトル盤は変更箇所も多かったので、今回のハーディング盤は第2版に忠実な2つ目のCDということになります。
以下、金子建志氏の著書「マーラーの交響曲・2」により、両ヴァージョンの目立った相違ポイントを簡単にまとめておきます。
■第2楽章コーダのシンバル
第1版:無し 第2版:有り
■第4楽章冒頭部分の小太鼓とシロフォン
第1版:有り 第2版:無し
■第4楽章451小節からの主旋律
第1版:ヴィオラ 第2版:イングリッシュ・ホルン
■第4楽章最後の大太鼓
第1版:ff 第2版:f
■第5楽章冒頭の大太鼓
第1版:sf(sempre ff)→sf 第2版:sf→sf
■第5楽章72小節からの大太鼓
第1版:fff→fff 第2版:sf→sf
以上の点をハーディング盤でチェックするとこうなります。
■第2楽章コーダのシンバル
第2版:有り
■第4楽章冒頭部分の小太鼓とシロフォン
第2版:無し
■第4楽章451小節からの主旋律
第2版:イングリッシュ・ホルン
■第4楽章最後の大太鼓
第2版:f
■第5楽章冒頭の大太鼓
第2版:sf→sf
■第5楽章72小節からの大太鼓
第2版:sf→sf
・マーラー:交響曲第10番嬰へ長調
(デリック・クック校訂版第3稿第2版)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ダニエル・ハーディング(指揮)
録音:2007年10月23-27日
ヴァージョン別録音リスト
【クック版第1稿】
なし
【クック版第2稿(COOKET)】
オーマンディ&フィラデルフィア管
マルティノン
【クック版第3稿第1版(COOKEU)】
モリス&ニュー・フィルハーモニア管
ザンデルリング&ベルリン響
レヴァイン&フィラデルフィア管
ラトル&ボーンマス響
シャイー&ベルリン放送響
インバル&フランクフルト放送響
ウィッグルスワース
ギーレン&南西ドイツ放送響
【クック版第3稿第2版(COOKEV)】
ラトル&ベルリン・フィル
ノセダ&BBCフィル
ハーディング&ウィーン・フィル
【バルシャイ版】
バルシャイ&ユンゲ・ドイチェ・フィル
【カーペンター版】
ファーバーマン&フィルハーモニア・フンガリカ
リットン&ダラス響
【マゼッティ版】
スラトキン&セント・ルイス響
ロペス=コボス&シンシナティ響
【ホイーラー版】
オルソン&ポーランド放送響
【サマーレ&マッツーカ版】
ジークハルト&アーネム・フィル
年表
【1910】
作曲開始
【1911】
マーラー死去。10番については、4段譜表による全曲の略式総譜、つまり作品の骨格がすでに完成されており、うち、第1楽章と第2楽章、および第3楽章の最初の30小節はオーケストレーションを施したスケッチもなされていました。
【1924】
後に娘のアンナの夫となる作曲家、エルンスト・クルシェネクにアルマが完成を依頼。ほどなく、第1楽章草稿をほぼそのまま演奏譜に直し、第3楽章スケッチにオーケストレーションを施した2楽章版が完成する。ただし、スケッチの読み違いなども多く、その後1951年に刊行されるまでには、シャルクやツェムリンスキーによってかなり修正されることとなります
10月14日、シャルクの指揮により上記クルシェネク版、ウィーンで初演。次いで11月にはメンゲルベルクがオランダ初演、12月にクレンペラーがベルリン初演、同じく12月にはツェムリンスキーがプラハ初演。
ウィーンのパウル・ソルナイ(のちのアンナの夫)により、スケッチのファクシミリ版刊行(一部に欠損あり)
【1935】
フリードリヒ・ブロックによるピアノ4手版完成
【1942】
ジャック・ディーサーは作品完成に向け、レニングラードでショスタコーヴィチを招いて打診するものの断られます
【1946】
アルマはジャック・ディーサーをビヴァリー・ヒルズの自邸に招きシェーンベルクに打診するよう依頼するものの、シェーンベルクからは断られます
アメリカのクリントン・カーペンター、自らの補筆完成版にシカゴで着手
【1951】
ニューヨークのアソシエイテッド・ミュージック・パブリッシャーからクルシェネク版刊行
【1952】
ヘルマン・シェルヘンがアダージョを初録音(←バルシャイが若き日に影響を受けた録音)。
【1953】
イギリスのジョー・ホイーラー、自身の完成版にロンドンで着手。
【1954】
ドイツのハンス・ヴォルシュラーガー、補筆完成版に着手
【1955】
ホイーラー版の完成。ホイーラー第1稿と呼ばれます
【1957】
ホイーラー版の一部、ロンドンで試演
【1959】
ホイーラー第3稿完成。
BBCがマーラー生誕100年際を企画。デリック・クック が補筆完成版に着手
【1960】
12月19日、BBC放送にて ベルトルト・ゴルトシュミット による クック全曲版 初演(第2楽章と第4楽章に一部欠落あり)。
アルマが放送を知り、演奏を禁止。
【1963】
ハロルド・バーンズ、ジャック・ディーサー、ジェリー・ブラックがニューヨークのアルマを訪れ、BBC放送の演奏を聴かせ、演奏禁止措置を解除させることに成功。
アンナ・マーラー と アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュ によって40ページのスケッチが発見され、ジャック・ディーサーによってカーペンターとホイーラーらにページを送付。
【1964】
8月13日、上記発見ページによる補完を経た クック第2稿 が、ゴルトシュミット指揮によりプロムスで初演される。
ウニフェルザールの全集版に第1楽章のみ取り入れられます。
【1965】
改訂を経たホイーラー第3稿 が、アーサー・ブルーム指揮によってニューヨークで初演されます。
11月、オーマンディがクック第2稿 により、フィラデルフィア管弦楽団を指揮してレコーディング。(SONY、廃盤)
21:35+11:13+03:40+11:32+21:22=69:22
【1966】
カーペンター版完成。
5月、 ジャン・マルティノン が、 クック第2稿 を用い、シカゴ交響楽団を指揮して演奏。のちにCD化されますが現在は入手不可。
20:55+10:00+03:57+10:41+20:29=66:02
【1966】
11月、ホイーラー第4稿(最終完成稿)が ジョネル・ペルレア指揮マンハッタン音楽学校管弦楽団によりニューヨークで初演。
【1972】
10月、ウィン・モリスが クック第3稿第1版 により、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮して初演とレコーディングを実施。(PHILIPS)
21:52+12:15+04:23+13:20+27:52=79:42
【1974】
ヴォルシュラーガー、完成版創作を中止。
【1975】
6月、ジャン・マルティノン が、クック版を用い、ハーグ・レジデンティ管弦楽団を指揮して演奏。
21:00+10:21+03:55+09:57+20:22=65:35
【1976】
ニューヨークのアソシエイテッド・ミュージック・パブリッシャーから クック第3稿 刊行。デリック・クックのほか、ベルトルト・ゴルトシュミット、コリン・マシューズ、デイヴィッド・マシューズの協力により完成しています。
【1979】
11月、クルト・ザンデルリングが、自身による第4・5楽章の大幅な改訂とゴルトシュミットの改訂を含んだ クック第3稿第1版 により、ベルリン交響楽団を指揮してレコーディング。(ETERNA)
23:30+13:15+04:05+11:20+22:08=74:18
【1980】
1月、 ジェイムズ・レヴァインが、 クック第3稿第1版 により、フィラデルフィア管弦楽団を指揮してレコーディング。(RCA)
24:38+11:50+04:12+12:37+28:30=81:47
6月、サイモン・ラトルが、ゴルトシュミット承認のもとにおこなった自身の改訂を含む クック第3稿第1版 により、ボーンマス交響楽団を指揮してレコーディング。(EMI)
23:53+11:26+04:03+11:54+24:07=75:23
【1983】
カーペンター版 の初演がゴードン・ピータース指揮シカゴ市民管弦楽団により行われる。
【1983】
レモ・マゼッティ・ジュニア が自身のヴァージョン制作に着手。
【1986】
マゼッティ版 の3つの楽章が ガエタノ・デローグ によってオランダで初演。
10月、リッカルド・シャイーが、 クック第3稿第1版 により、ベルリン放送交響楽団を指揮してレコーディング。(DECCA)
20:48+11:49+04:22+11:26+25:04=73:29
【1989】
クック第3稿第2版 、マシューズ兄弟、ゴルトシュミットによる編集を経て刊行(クック自身は第3稿第1版刊行直後に死去)。
【1989】
マゼッティ版完成。 デローグにより初演。
【1992】
1月、エリアフ・インバルが、 クック第3稿第1版 により、フランクフルト放送交響楽団を指揮してレコーディング。(DENON)
22:50+11:04+03:58+11:04+21:53=70:49
【1993】
11月、 マーク・ウィッグルズワース が、 クック第3稿第2版 により、ウェールズBBCナショナル管弦楽団を指揮して演奏。雑誌BBC MUSICの付録としてCD化。
22:24+11:27+04:08+11:26+23:56=73:21
【1994】
レナード・スラトキンが、マゼッティ版により、セントルイス交響楽団を指揮してレコーディング。(RCA)
24:28+11:38+03:48+11:06+24:02=75:02
【1995】
ハロルド・ファーバーマン が、 カーペンター版 により、フィルハーモニア・フンガリカを指揮してレコーディング。(GOLDEN STRING,廃盤)
【1996】
指揮者のロバート・オルソンが、レモ・マゼッティとオランダの研究者、フランス・ボウマンの協力を得てホイーラー第4稿の改訂に着手。
【1997】
オルソン、マゼッティ、ボウマンの3人により完成したホイーラー第4稿の改訂版が、ロバート・オルソン指揮コロラド・マーラー・フェスティヴァル管弦楽団により初演。音楽祭事務局によりCD化。
【1999】
9月、サー・サイモン・ラトルが、クック第3稿第2版 により、ベルリン・フィルを指揮して演奏、CD化。(EMI)
25:03+11:16+03:53+12:04+24:34=76:50
【2000】
2月、すでに自らのヴァージョンを完成していたマゼッティが、1997年のコロラド・マーラー・フェスティヴァルにおけるホイーラー第4稿改訂作業に参加した際に、自らのヴァージョンの改訂を思い立ち、完成した第2稿をロペス=コボス&シンシナティ響が初演。レコーディングもTELARCによって、ただちに実施され、同年11月には早々とリリース。
10月、シュタットルマイヤー&クレメラータ・バルティカによる弦楽合奏用編曲で、クレーメルとクレメラータ・バルティカが第1楽章アダージョをレコーディング。
【2001】
5月、DELOSレーベルでマーラー全集進行中のアンドルー・リットン&ダラス交響楽団により、カーペンター版を使用したコンサートが催されライヴ収録。
9月、ベルリンでバルシャイが自身のヴァージョンによりレコーディング。
9月、イタリアのペルージャでサマーレ&マッツーカ版が、ジークハルト指揮ウィーン響により初演。
【2002】
6月、コロラド・マーラー・フェスティヴァルでホイーラー第4稿改訂版を演奏した、ロバート・オルソンが、ポーランド国立放送響を指揮して同ヴァージョンをレコーディング。商業録音としては初のホイーラー版の登場。
26:15+12:03+04:30+12:15+23:53=78:56
【2004】
12月、ダニエル・ハーディングがロサンジェルス・フィルを指揮して、クック全曲版でマーラーの10番をとりあげます。
12月、ダニエル・ハーディングがウィーン・フィル・デビューに際し、クック全曲版でマーラーの10番をとりあげます。
【2005】
3月、クック全曲版に批判的だったミヒャエル・ギーレンが、考えを変え、同ヴァージョンによりマーラーの10番を録音します。
【2007】
8月、ジャナンドレア・ノセダがBBCフィルと、クック全曲版でマーラーの10番をCHANDOSにレコーディング。
10月、ダニエル・ハーディングがウィーン・フィルを指揮して、クック全曲版でマーラーの10番をDGにレコーディング。
12月、サマーレ&マッツーカ補筆完成版をジークハルトが初レコーディング。
ハーディングについて
2006年4月に東京フィルハーモニー交響楽団にマーラーの『復活』で客演(6日・8日)し、10月にはマーラー・チェンバー・オーケストラ、2007年春には首席客演指揮者を務めるロンドン交響楽団とも来日が予定されているダニエル・ハーディング。日本の音楽ファンに鮮烈な印象を与えたマーラー・チェンバー・オーケストラとの語り草の来日公演から二年半、クラウディオ・アバドが「天才」と呼び、サイモン・ラトルが「同世代の最も偉大な才能」と賞賛を惜しまない、弱冠30歳のマエストロの動向に注目が集まることは必至と言えるでしょう。
ダニエル・ハーディング(Daniel Harding)は1976年イギリス生まれ。音楽高校在学中の1993年から94年にかけてサイモン・ラトルのアシスタントを務め、1994年にバーミンガム市交響楽団を指揮してデビューを飾った早熟ぶりは既に有名で、このデビュー演奏会がロイヤル・フィルハーモニック協会の「ベスト・デビュー賞」を受賞、1995年から96年のシーズンにはクラウディオ・アバドのアシスタントを務め、1996年ベルリン芸術週間においてベルリン・フィルを指揮、そのキャリアは早くもひとつのピークを迎えます。
ロンドン夏の名物「プロムス」には、「プロムス」史上最年少指揮者として1996年にデビュー。ザルツブルク音楽祭には2003年に登場し、2004年にはマーラーの交響曲第10番でウィーン・フィルにデビューと、まさに破竹の勢いと言わざるを得ない活躍で、その他、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)には定期的に客演、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ロッテルダム・フィル、フランクフルト放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団の常連でもあります。
その他に客演した公演としては、ベルリン・フィル、ミュンヘン・フィル、リヨン国立交響楽団、オスロ・フィル、ロンドン・フィル、ロイヤル・ストックホルム・フィル、ローマ・サンタチェチーリア音楽院管弦楽団とワールド・ワイドで、アメリカとカナダではフィラデルフィア管弦楽団、ロスアンジェルス・フィル、アトランタ交響楽団、ボルティモア交響楽団、ヒューストン交響楽団、トロント交響楽団を指揮しています。エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団とシャンゼリゼ管弦楽団という古楽器オーケストラへの客演は、いわゆる時代考証にも精通したハーディングの面目躍如といったところでしょう。
オペラ指揮者としても、ピーター・ブルックによる新演出の『ドン・ジョヴァンニ』、リュック・ボンディ演出の『ねじの回転』、イリーナ・ブルック演出の『エフゲニー・オネーギン』をエクサン=プロバンス音楽祭で指揮。ウェールズ国立オペラではケイティー・ミッチェル演出の『イェヌーファ』を、ロイヤル・オペラハウスではデボラ・ウォーナー演出の『ねじの回転』でデビュー。また、バイエルン歌劇場では『後宮からの誘拐』で、2004年にはエクサン=プロヴァンス音楽祭で『椿姫』新演出、エクサン=プロヴァンス音楽祭、パリ・オペラ座とウィーンでの『コジ・ファン・トゥッテ』新演出と、常に新たなプロジェクトが目白押しの状態。とりわけ、エクサン=プロヴァンス音楽祭での活動はヨーロッパ楽壇のトピックスとして常に注目を集め、この功績により、フランス政府はハーディングに芸術文化勲章シュヴァリエを与えています(2002年)。
常任ポストとしては、これまでにノルウェーのトロンヘイム交響楽団の首席指揮者(1997-2000)、スウェーデンのノールショピング交響楽団(1997-2003)の首席指揮者を歴任、1997-2003年にはドイツ・カンマーフィル・ブレーメンの音楽監督を務め、2003-04年のシーズンからは、マーラー・チェンバー・オーケストラ(MCO)の初代音楽監督に就任。また2006-07年シーズン初めからロンドン交響楽団の首席客演指揮者に、2007年からスウェーデン放送交響楽団の音楽監督に就任することも発表されています。
1860年:オーストリア領ボヘミア、イーグラウ近郊のカリシュト村で、グスタフ・マーラー誕生。
1875年:ウィーン楽友協会音楽院に入学。
1877年:ウィーン大学にてアントン・ブルックナーの対位法の講義を受講。
1883年:カッセル王立劇場の副指揮者に就任。
1885年:『さすらう若人の歌』を完成。プラハのドイツ劇場の
プロフィール詳細へ