Hi Quality CD

平均律クラヴィーア曲集 第1巻 トレヴァー・ピノック(チェンバロ)(2CD)

バッハ(1685-1750)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
UCCG40101
組み枚数
:
2
:
日本
フォーマット
:
Hi Quality CD

商品説明

トレヴァー・ピノック/バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第1巻

古楽界のレジェンド、ピノックが鍵盤の旧約聖書『平均律クラヴィーア曲集』を初録音!
 現在のピリオド演奏の隆盛の礎を築いた一人、オリジナル楽器によるオーケストラ、イングリッシュ・コンサートを設立し、アルヒーフ・レーベルに数々の名盤を残した巨匠が、遂に平均律クラヴィーア曲集を録音しました。(メーカー資料より)

内容詳細

古楽界の重鎮ともいえるピノックによる、意外にも初の平均律。もともと鍵盤楽器奏者として出発したピノックが、なぜ平均律を録音してこなかったかは不明だが、これこそ、満を持しての録音と言えるだろう。(CDジャーナル データベースより)

収録曲   

ディスク   1

ディスク   2

ユーザーレビュー

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長年聴き続けていると気づかないうちに固執...

投稿日:2022/12/15 (木)

長年聴き続けていると気づかないうちに固執観念が結びついてくるものだが、平均律第1巻の場合には、四季の季節感が表象されているように思えてならない。No.1は清冽な早春の息吹、No.2は吹きすさぶ真冬の嵐、No.3は真夏の海に照り映える燦々たる陽光、No.4は晩秋の夕暮れ時の沈思と祈り・・・というように。ここでは、長調・中庸速(春)、短調・急速(冬)、長調・急速(夏)、短調・緩徐(秋)といった性格の4曲の組合せが(季節との対応はともあれ)、曲集を通じて程度の差はあれ繰返されているように思う。全24曲が6曲組×4組になっているという論もあるが、下記のような平均律第1巻の成立過程から見ても4曲組×6組の枠組で見た方がよりしっくりするのではないだろうか。 「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィア小曲集」には、平均律第1巻全24曲のうち、No.1〜6、8〜12の11曲のプレリュードの原形が残されている。Praeludium 1〜7は、平均律のNo.1ハ長調、No.2ハ短調、No.6ニ短調、No.5ニ長調、No.10ホ短調、No.9ホ長調、No.11ヘ長調のプレリュードの原曲であり、主調が順次上昇する(以下、ハ長調の)近親調に属している。続く4曲は単にPraeludiumとなっていて番号がなく、平均律のNo.3嬰ハ長調、No.4嬰ハ短調、No.8変ホ短調、No.12ヘ短調のプレリュードの原曲となっている。これら4曲は調号(#/♭)が4〜7個と多い遠隔調で、先の近親調7曲の隙間を埋めるように追加されていることがわかる。ここから推測されるのは、当初バッハは手近な調からなる小プレリュード集(インヴェンションとシンフォニアのような)を作ろうとしたのだが、途中で方針を変更してタイトルの曲番も振り直し、新たに24のすべての長短調を網羅した曲集に拡充しようとしたのではないかということだ。あとは対位法技法の充実を図って各曲にフーガを追加し、繋ぎなどを加筆修正して完成度を高め、後半部の12曲を新たに作編曲し、さらに調律法に対する調整を考慮し・・・といった手順で平均律クラヴィア曲集の完成に向っていったのだろう。問題はこの追加4曲に遠隔調が残されたことに関係すると思われる。No.3嬰ハ長調には、黒鍵上を駆け巡る快速プレリュードのタイプを当てはめるとすれば、ちょうど4曲ごとに現れる他の短調3曲(No.4、8、12)には、タイプの異なる規模の大きな緩徐楽章とすることによって他の曲にない重みと落着きがもたらされる。さらにプレリュードに見合った重厚なフーガとのカップリング後には、それぞれ4曲組を締めくくるフィナーレのような様相を呈してくる。平均律の後半でも、No.16、20、24はむしろ近親調であるにもかかわらず、重厚で規模の大きい短調曲をもってきたことから見て、このような枠組が維持されていると感じられる。その結果、24曲からなる曲集に、季節感とは言わずとも多様性や色彩感とともに、振れ幅の大きな構造の感覚がもたらされたのではないだろうか。 前置きが長くなったが、トレヴァー・ピノックの演奏は、上記のような各曲の多彩な性格とともに曲集の構成感をもたらすような、非常によく考えられた演奏となっているように思う。上に触れたNo.4、8、12を聴いてみると、プレリュードではどれも和声的、歌唱的な柔らかさを持ち、アルペジオや装飾音に富む、いかにもチェンバリスティックな演奏を聴かせる。対してNo.4のフーガでは、コラール「来たれ、異教徒の救い主よ」冒頭の十字架音形に始まる3重フーガがあたかも受難曲の冒頭合唱かのように展開されるが、ピノックの演奏も訴求的主情的なものとなっている。一方No.8のフーガの主題はコラール「われらの救い主イエス・キリストは」を修飾したものと思われるが、曲のスタイルはロ短調ミサ曲のコンフィテオルのようにグレゴリオ聖歌風の定旋律を用いた古様式の合唱曲を志向している。それに見合うように、演奏はあくまで客観的観照的態度に徹している。装飾音の入れ方も、主題末尾、主題提示部末尾などに厳格に限定されているのが特徴的で、終盤74小節に電撃の走るようなトリルが奏されるが、これはバッハオリジナルのものだ。またNo.12のフーガは、マタイ受難曲のアルトアリアBuss und Reuを思い起させる半音階的主題によるが、プレリュードともども情緒深く美しいカンタービレの演奏を聴かせる。このようにこの3曲は特徴のある大規模な声楽のスタイルを志向していると思われるが、その結果としてこの平均律クラヴィアの世界を一気に拡大する原動力となり、No.24までの後半部を含め一つのミクロコスモスにまで成長させるキーとなったとも言えるだろう。以前にはブラヴーラな印象の強かったトレヴァー・ピノックが、その小宇宙を開示する祭司者としてこれほど相応しい演奏を聴かせてくれるとは、それまではほとんど想像できなかったことだった。

六里庵 さん | 京都府 | 不明

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昨年春、輸入盤発売後すぐ入手して以来、ほ...

投稿日:2021/03/03 (水)

昨年春、輸入盤発売後すぐ入手して以来、ほぼ1年間、折りにふれ繰り返し聴いてきました。自分にとってTrevor PinnockのJ.S.Bachは、デビュー当時の鮮やかなイタリア協奏曲、そしてあのBach演奏史に残る記念碑的名盤「チェンバロ協奏曲全集」の、それまでの演奏すべてを過去に追いやってしまうような生命力に溢れた鮮烈な演奏の数々のイメージが強烈でした。一方で比較的初期に録音されたGoldberg変奏曲や、パルティータ全集の旧盤は、新鮮であってもすでにある諸名演と比較すると、やや単調で構造把握の深みに欠ける印象が否めず、Bach音楽への適合性の良さは明らかでも未だ若いのかな、というのが正直な感想でした。その後、Trevor Pinnockは、English concertとほぼすべてのJSBach管弦楽作品を録音、複数のアーティストと室内楽作品も録音しましたが、パルティータの再録音(涙がでるほどの名演!)を除いて、鍵盤独奏曲の録音は長い間みられませんでした。CDに付されたPinnock自身のライナーを読むと、10代の頃に初めて平均律に出会ってから現在まで半世紀以上にもわたって、演奏機会をうかがってきた ー しかも、決して常に平均律の近いところにいたわけでなく、彼自身の音楽的思考?から少し平均律のようなBach作品からやや距離を置いていたところもあったようです。非常に単純化して言えば、一時期平均律を ー「パルティータ」などの作品に較べー やや苦手と考えていたようなニュアンスが、Pinnock自身の文章から読み取れるようにも思われます。ただそういった時期でも平均律を意識していなかったわけでなく、ラモーやL.クープラン、ヘンデルなど、幾多の作曲家たちの演奏を通じて、チェンバロ奏者としての研鑽を続け名演奏もいくつも生み出してきたのは、Pinnockにすればこの平均律に取り組むためのどうしても必要な道程であったのかも知れません。CD解説でPinnockがいま平均律に取り組む事を「自分の生涯の残された時間のすべてを捧げる仕事」と宣言し、満を持してこのCDを公にしてきた行為が、その証ではないでしょうか。前置きが長くなって恐縮ですが、肝心の演奏、ある意味ちょっと類を見ないタイプの演奏と言えましょうか。なによりこれがあの鮮烈なBachの数々を生み出してきたPinnockか、という位に全く思い入れや熱気といったものから遠い、徹頭徹尾楽譜に書かれたもの以外実現する気がない、とでも言うような平静で客観的な演奏です。この演奏に較べたら、Gilbert, Rousset, Belderなどは大なり小なり主観的、ロマン的に聞こえるほどで、どこまでもあっさりした印象。なんら新しいことはしておらず、どうかすると一度聴いたくらいでは全く印象に残らない。決して技術的に難があるという訳ではなく、その割に見事とか鮮やかという印象が一切残らないくらい、自我を抑制していると言えるでしょう。しかしながら、繰り返し聴くにつけ、この空前絶後に醒めた熱気のない演奏が逆に非常に気になってくる。もちろん、これを単に平凡なつまらない演奏と感じる方がたくさんいても不思議はないでしょうが(S.Richterなどがお好きな方はたぶん!)、逆にあれだけ広範囲な歴史的音楽を演奏してきたPinnockがこれだけ、徹底的に楽譜の再現以外に全く一歩もでないような印象のある意味厳しい演奏を出してきたことは不気味ですらある。おそらくPinnockは長い長い熟考の末にこのような余分な付加が一切ない、水のようにピュアな平均律を出してきたのでしょう。もちろんPinnock自身も言っているように、この演奏がこれで最終回答とは思われず、今後も変貌していくに当たっての出発点なのでしょうが、だとすればこのどこまでも基本的な平均律はこれ以上ないスタートラインなのかもしれません。評価は今後のPinnockの活動にもよるのかも知れませんが、歴史的楽器の演奏による平均律としては、この希代のBach演奏家の非常に興味深い、かけがえのない一里塚と言えるのではないでしょうか。

mimi さん | 兵庫県 | 不明

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J.S バッハは好きで平均律もピアノの様々な...

投稿日:2020/07/25 (土)

J.S バッハは好きで平均律もピアノの様々なディスクを聞いて来ましたが、本来正統たるチェンバロは正直苦手で殆ど聴いた事がありませんでした。当盤はレコ芸やオーディオ誌の高評価レビューに誘われ、余り期待せずに購入しましたが、冒頭のプレリュードを一聴してビックリ。清楚かつ神聖な演奏に取り憑かれ、二枚を一気に聴き終えてしまいました。チェンバロの一音一音をクリアに捉えた録音の良さもあり、ディスクの価値を高めていると思います。 好奇心から近くにあった、ポリーニの平均律を比較試聴してみましたが、高貴かつ深遠さではピノック盤が遙か上にあり(ポリーニさん御免なさい)、また技術進化が著しい最新録音のメリットも感じました。 殆ど音楽的なコメントの無い、主観的かつ雑駁なレビューですが、予期せぬ素晴らしい感動を与えて頂いた事に敬意を表したいと思います。

ギマロ さん | 東京都 | 不明

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バッハ(1685-1750)

1685年:アイゼナハで誕生。 1700年:リューネブルクに移り、修道院付属学校の給費生として生活。 1703年:ヴァイマルの宮廷楽団に就職。 1707年:ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会オルガニストに就任。同年、マリア・バルバラ・バッハと結婚。 1708年:ヴァイマルに移って宮廷オルガニストに就任。 1714年:楽師長

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