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「宇野功芳 VS 礒山雅?」

Wednesday, February 25th 2009

連載 許光俊の言いたい放題 第160回

「宇野功芳VS礒山雅?」

 たまたまバッハ学者、礒山雅氏の『マタイ受難曲』(東京書籍)を読んでいたのである。あの傑作に含まれる1曲1曲についてあれこれ解説を加えた本だ。とはいえ、一般読者を想定して、語り口は平易。『マタイ』好きなら、持っていてよい1冊だ。特にバッハがキリスト教をどう自分のものにしていたかということが詳しく触れられているのが私には興味深い。
 この本の最後のほうでは、約40種類の録音について著者の意見が記されている。これがなかなかおもしろい。高く評価されているのは、たとえばレオンハルトやショルティ。この組み合わせには、えっと思う人もいるかもしれない。その反面、かねてより名演奏と誉れ高かったクレンペラー、カラヤン、そしてメンゲルベルクには冷たい。そして、古楽系でもコープマンには否定的。氏の判断基準ははっきりしている。彼らが個性的な指揮者だとは認めたうえで、作品そのものの表現や力や性格を無視しているのがダメだと言うのだ。クレンペラーについては、かつて若き日に愛聴したものと記したうえで、問題点が指摘されている。メンゲルベルクに対してはことのほか厳しい。「この演奏に感動して涙する若い聴き手がいると聞くのだが、そういう人はどうやって耳の抵抗を克服しているのか、知りたいものである」「聴いていて途方に暮れる」「うんざりする」のだそう。もっとも、その理由はきちんと記されているし、もし自分が聴衆のひとりだったら、圧倒されるだろうとも記されているが、何だか大人の配慮というか、言い訳っぽい。
 ちょうどこの本を読んでいたら、そのメンゲルベルクの新たな復刻(オーパス蔵)が送られてきた。開いてみると、解説書の中で宇野功芳氏が大絶賛している。「われらの宝」「バッハ時代のスタイルを金科玉条のものとし、この演奏に感動できない人の、なんと哀れなことか」。礒山氏の意見とはあまりにも見事に正反対なので、笑ってしまった。はいはい、礒山氏は哀れなわけね。
 この場合、どちらの意見もそれなりに正しいというしかないだろう。メンゲルベルクならではの演奏様式が平気な人にとっては、一回限りの燃えるライヴの魅力が味わえようし(特に合唱の没入ぶりはすさまじい)、生理的に我慢できないという人には、論外な演奏だろう。ただし聴いているうちに慣れてきて、抵抗感が薄まる可能性は高い。音質のほうも聴いているうちに徐々に慣れてくる。手元にあるフィリップスのCDと比べたら、ノイズをカットしていない分、音質は明瞭。この演奏が好きなら、買い換えてもいいだろう。
 とはいえ、初めてこの曲を聴くなら、まずはもっと新しい音で聴いたほうがいい。古楽ならレオンハルトの演奏がよいけれど、オランダ系古楽の常でドラマ性が薄く、残忍、残酷、血の匂い、要するに生々しさが足りない。古楽系は、最後まで聴いてもカタルシスがなく、。あの終曲があまりにもあっさりしてしまうのだ。私が一番好きなのは、リヒターの最後の録音である。昔から褒められている最初の演奏より、いっそうドラマティックで濃厚である。

 バッハと言えば、今年のラ・フォル・ジュルネはバッハ関係である。例によって小さなホールの公演はあっという間に完売になるのが困ったものだ。それに、せっかくコルボが「マタイ」をやるのに、とてもクラシック向けとは言えない巨大ホールが会場というのも困る。コルボ自身はPAを気にしないというが、聴くほうはそうではない。せっかくの催しだけれど、毎年あのホールだけは何とかならないかと思う。幸いコルボは、「ロ短調ミサ」のほうはまだしもまともなほうのホールで演奏してくれる。ちなみに、礒山氏はコルボの「マタイ受難曲」は「厚化粧の美女」みたいと言っている。いいじゃん、厚化粧の美女。嫌いですか。
 「ロ短調ミサ」では、最近ミンコフスキのCDが出た。これがなかなかいいのである。この人が出てきた当初、私は「どうせまたいつもの、軽やかさわやか系古楽なんだろ」と気にもとめなかった。ところが、ミンコフスキを追いかけて世界中で聴いているという知り合いがいるのだ。これは尋常ではない。そこまでする人がいるなら、一度ナマで聴いてみるかと、昨年だったか、フランクフルトで聴いたら、なんとこれが実にまともな指揮者であることがわかった。いやはや、現役の指揮者では稀にみるまともさなのである。フレージングをきっちり作り、各楽器のバランスを取り、常に明快で、無理な感じがしない。ルーヴル音楽隊もきっちりと手なずけられている。こういうのはナマで聴くと一発でわかるのだが、録音だとわかりにくいときがある。例によってやたら威勢がいいばかりの音楽家とばかり思っていたのだ。何せ、最初はオッフェンバックで売り出したわけだし。この人の名前、普通にフランス語風に読めばマンコウスキになるところだろうが、フランス人に読ませたら、意外にもミンコと読んでいた。明らかにスラヴ風なので、そう読むのだそう。
 「ロ短調ミサ」の演奏は、明るく軽やかだ。だが、エネルギーが有り余っている若者がスポーツで発散しているみたいな気配がゼロなのがいい。バロックの過剰さ、表現性よりも、端正な美しさに傾斜した演奏と言えるだろう。基本的に私はスマートな美しさが好きである。ここしばらくいろいろなバロック演奏家が登場した。そのすべてを聴いたわけではないけれど、スマート、優雅、余裕といった言葉を思い起こさせる人は、ミンコフスキ以外知らない。
 私はミンコフスキがだいぶ気に入ったので、3月にはパリで「フィガロの結婚」とストラヴィンスキーの「プルチネッラ」を聴くつもりでいる。どちらもいたって快適な音楽になるだろう。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 

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