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「横須賀とライプツィヒ」

2010年5月28日 (金)

連載 許光俊の言いたい放題 第179回

「横須賀とライプツィヒ」

 クリスチャン・ツィメルマンは、現代を代表する名ピアニストとされている。だが、私にとっては今ひとつつかみどころがない音楽家だった。一見優等生的なようでいて、時々変なことをする。アンコールでジョン・ケージを弾いてみたり、DGで録音した弾き振りのショパンの協奏曲では妙に粘っこかったり。それに、常に高水準を維持しているのではあるけれど、圧倒的な演奏でタジタジにさせられる経験はしたことがなかった。
 ところが、先の3月1日、ショパンの誕生日にパリで開かれたリサイタルは、実にすばらしいものだった。それまで私が聴いたツィメルマンとは、集中力がまったく違う。音色の多彩なこと、変化の繊細なことと言ったら、惚れ惚れするような美しさだった。しかも、思いのほか退廃的な雰囲気を出したかと思うと、情熱的に燃え上がったり、表現の振幅がきわめて広く自由自在である。ポゴレリチやアファナシエフのような悪魔的な暗黒美こそないものの、現代におけるピアノ演奏の最高峰のひとつだということは間違いなかった。ことにスケルツォの第2番にはすっかりやられてしまった。
 そのときと同じプログラムのリサイタルが行われるというので、先日横須賀に行って来た。実は私は神奈川県に住んでいるにもかかわらず、横須賀に行くのも、またそこにあるよこすか芸術劇場に行くのも、それが初めてだった。さすが自他共に認めるオペラ好きの小泉元首相の本拠地だけあって、横須賀にはなんとオペラハウスみたいに馬蹄形型の客席を持つ大ホールがあるのだ。JRの駅を降りると、いきなり目の前には大きな軍艦。海沿いを歩くというと何やらステキだが、要するに軍艦を眺めながらたどりつく音楽ホールやオペラハウスというのも珍しい。
建築家、丹下健三 横須賀市民には悪いが、ああ、こんなところにむやみと立派なホール、やってくれましたねえ、と言いたくなるような公共施設である。最新の舞台設備を誇ると説明されていたが、オペラの上演予定はあまりなさそうである。中に入ると、来年には廃業するという赤坂プリンスホテルみたいな雰囲気だ。
 私がすわったのは4階の横手。一番安いカテゴリーである。この類のホールは、正面にすわると音が散って、聴きにくいことが多い。それに、もともとオペラを上演するための舞台でコンサートを行うと、後ろ側の反響版の具合が悪いことがほとんどだ。よって、舞台に近い横の席が一番無難なのだ。もっとも、観客が落ちないようにか、身を乗り出さないようにか、あとで追加されたらしい手すりはきわめて目障りで、しかもところどころペンキが剥げていて侘びしい。音には関係ないが、こういう補修はマメにしないとダメである。それに2列目は足下が落ち着かない。ホールをよく知らない人が設計しんたじゃないのと疑ってしまう。
 ピアノの音が鳴り出して、軽く驚いた。音がいいのである。よけいな残響がなくて、クリアだ。これなら都内で聴くよりいいじゃないか。しかも、ツィメルマンとはいえ、売り切れにはなっていなかった。2階以上は寂しい限りのすき具合だが、その分快適である。周囲に人がいない場所に移動して、ゆったりと聴いた(案内嬢が、「空席に見えても、実は売れている席かもしれないので、移動しないでくれ」と開演前にいちいち注意するのには驚いた。そんなに神経質になるなよ)。これは意外な穴場かも。
 この日もスケルツォの第2番は圧倒的だった。そして、「舟歌」も抜群だった。危なげない滑らかさ。技巧の快楽もたっぷり。病的ではないショパン演奏としては、最高レベルだ。同じ内容のリサイタルが6月には東京近辺で数回行われる。もう一度聴きに行きたい。

 さて、最近あれこれ聴いたCDの中で、想像以上に楽しめたのは、ブロムシュテットがゲヴァントハウス管弦楽団を指揮したブルックナーの交響曲第6番だった。このオーケストラ、確かに一流楽団に名を連ねてはいるが、では実際にどれほどすごいかと言うと、納得がいかない人も多いのではないか。何せライプツィヒの近辺には、やたらとうますぎるベルリン・フィル、上品かつ濃厚なドレスデン・シュターツカペレがある。それらに対抗するには、いかにも弱い。しかも、登場する指揮者が魅力が薄い。昨今、これはという録音もない。もしかして、全盛期はフランツ・コンヴィチュニーの頃? そんなふうに思ってしまう。
 ところが、このブロムシュテットとの演奏、確実に一級品なのである。冒頭からして重厚かつ滑らかな弦楽器の響き、金管楽器の泰然自若とした風格に感心させられる。全体の音色の統一感もすばらしい。何かが突出するということがなく、まさにひとつの楽器として呼吸しているのだ。ゆっくりめに進行する第1楽章は、引き締まって躍動的な音楽を期待する人には向かないが、じっくりとドイツ的なオーケストラの美しさを堪能したい人にはいい。第2楽章はさらにいい。豊かなハーモニーがたっぷり味わえる。自然ににじみ出る情感といい、伝統の重みを痛感させられる。この人たちの録音では、しばらく前にブルックナーの交響曲第8番を褒めたことがあったが、これも劣らない。録音も快適だ。
 メリハリの強さやダイナミックな刺激を求めてはならないが、私はきわめて楽しく聴いた。もしこんな演奏がナマで聴けるなら、奮発していい席にすわりたいところだ。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 

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