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0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2021/04/10
個人的には、現在連載されている日本漫画の中で最も続きが気になって仕方ない作品の一つです。 ジークのエレンへの、コルトのファルコへの、マルセルのポルコへの、という三つの兄の弟を思う気持ちが交錯して、悲劇的な結末へと収束する119話「兄と弟」でも改めて感じたことなのですが、作者の諫山創さんは積み上げた人間関係や事柄の因果を、丁寧にそしてドラマチックに回収するのがやはり上手いです。 特に122話「二千年前の君から」では、残酷だが美しい世界が叙事詩のように描かれており、1話のタイトルとも相まって、まるで本作で起こる全ての出来事が、進撃の巨人でいうところの「道」で繋がっているようにも感じさせられました。 (また、同じく122話において、なぜ作中現代における巨人の継承がカニバリズム的に行われるのか、巨人が何故人間を喰らうのか、という細かい部分の辻褄わせが為されているのもすごいです。) そして、これまで登場した九つの巨人の中でも、目立った特徴がないために最弱なのではないかと思われ続けてきた「進撃の巨人」の能力(特性)が本巻で明かされるわけですが、それと同時に、クルーガーが発したループめいたセリフの伏線もとうとう回収されました。 22巻89話における壁上での継承の際に、グリシャが困惑した「ミカサやアルミンみんなを救いたいなら」というクルーガーのあの言葉は、未来での継承の際にグリシャ自身が息子エレンに投げかける言葉そのものだったんですね。 不戦の契りを打ち破るジークや、記憶から過去を追体験させる始祖の力などの件は、唐突だったような気もしますが…まあ納得できる範囲だったと思います。 それにしても、物語の冒頭で、エレンに地下室を見せると約束した時のグリシャの目線にも、伏線が張られていたなんて… 確かに単行本を見直すと、1巻1話のグリシャの目線は隠されていますし、エレンが記憶を回想する3巻10話のグリシャの目線は、1巻の同場面と照らし合わせてみても、幼き<Gレンには向けられていないことがわかります。 このように、物語を破綻させることなく、数多の伏線とその回収の積み重ねを処女作でやってのける作者、本当に凄すぎます。 (追記) 2018年11月18日放送の情熱大陸で進撃の巨人の最終話のラストネームが公開されていますが、それは単なるネタバレではなく、読者に「進撃の巨人」の能力を追体験させようという意図で行われたものだと考えたら、余計に面白いですね。
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この巻を読んでいて、疑問に思ったことがあります。それは、エレンがユミルの民全員に対して語りかけるシーンです。パラディ島の人々を守るために、壁外人類を虐殺することは、(倫理的にはどうであれ)納得できます。しかし、虐殺を行うにあたって、全てのユミルの民へ知らせる必要はあったのでしょうか。 エレンの目的が、本当に壁外人類を滅ぼすことならば、それを事前に伝えることは、矛盾しているように思います。巨人が来るまでの時間を、敵に与えることになるからです。実際に作中では、エレンの声を聴いたユミルの民が、巨人の侵攻を訴えるシーンが描かれていました。 また、行進する大型巨人たちの上空を、飛行船が飛んでいるコマがあります。このコマが表すのは、空に逃げてしまえば、「地ならし」からは生き延びることができるという事実です。たとえ飛行船に乗れるだけの人数が生き残っても、大した脅威にならないとは思いますが、エレンの目的の支障になるはずです。 エレンが語りかけるシーンで、「オレの名は エレン・イェーガー」と、わざわざ名乗ったことにも違和感がありました。これから虐殺を行う相手に対して、自らの名前を言う理由が不明確です。 アルミンやジャンが、エレンの行動について「らしくない」と指摘していたように、エレンには別の考えがあるように思います。私は、エレンが世界の恨みを一挙に背負って、倒される結末になるのではないかと考えています。そうすると、エレンが名前を名乗ったことや、「地ならし」をする前に、猶予を与えたことが納得できます。 123話でのエレンのセリフ「ちょうどよかった…」もまた、その結末を見越してのことではないでしょうか。104期生と戦争難民の宴会は、エレンなりの仲間との別れ、決別の意図があったのだと考えます。時系列順にみると、エレンはこの時以降、独断を繰り返し、果てにはミカサやアルミンを傷つける言動をとっています。エレンは巨人の能力で未来を知っていたため、この時が仲間と楽しく騒げる最後の機会であると知っていたのではないでしょうか。 作者の諌山先生は、(良い意味で)読者の予想を裏切ってくれるため、どのような結末に持っていくのかが、とても楽しみです。 32巻は、エレンの母のセリフに対して、シャーディス教官が答えた一冊になったと考えています。特別でなければだめなのか、生まれてきてくれただけでよい、というセリフです。シャーディスは、特別な存在にはなれませんでしたが、エレンの母親の思想を受け継いで、訓練兵たちを生存させることを選びました。 アルミンは、自らを犠牲にして兵団を導いたエルヴィンのように、コニーの母親に喰われようとしました。その結果、ガビとファルコを味方につけることに成功しています。 上記のような、死んでいったキャラクターの意志や思想が、生き残ったキャラクターに受け継がれていることの描写は、非常に優れていると思います。
恐らくこの巻辺りから、アルミン達旧調査兵団の行動が理解できない人が出てくると思います。 一部では恐らく、「”エレンと対立するかつての仲間たち”という構図を作りたかっただけなのでは?」「やっと自由が得られるのになぜ?」「アルミン達は変わってしまった」「ただの理想主義」と思う方がおられると思います。 そもそも、彼ら旧調査兵団は、一体”何”と戦っていたのか。ここが理解できると、アルミン達の行動も理解出来ると思います。 はじめに言っておきますが、現調査兵団の人間とと、旧調査兵団の人間は、属性が全く違います。 アルミン達旧調査兵団がずっと戦ってきた敵は”この世の不条理”であり、フロック含めそれ以降の現調査兵団は”マーレと世界”です。 旧調査兵団は元から理想主義者の集まりで、常に「そんなのできっこない」と戦ってきました。 「壁外遠征?税金の無駄だ!」と市民から後ろ指刺されていました。 しかし現調査兵団はフロックを含め、勝ち目が出たから入団しただけの、いわゆる現実主義者なわけです。 「何で俺は特別だって思っちまったんだ」とフロックは言っていましたね。 そして、今調査兵団が抱えている問題は、我々のリアルな世界でも未解決な問題です。いわゆる我々読者から見ても、「そんなのできっこない」ヤツです。 今まで応援出来たのは、「漫画だから」「主人公は勝つから」「なんだかんだ勝つから」というメタ視点が根底にあり、解決可能であるから応援出来たわけです。 しかしここへきて、人種差別、戦争、不平等という、現実世界と地続きの問題に直面すると、アルミン達に共感出来なくなります。 読者が彼らの価値観についていけなくなったのです。 もはや読者は、アルミン達を”漫画のキャラ”ではなく、”いち人間”として認識しているという裏返しでもありますね、 今の我々読者は、当時壁の中で調査兵団を”税金泥棒”と馬鹿にしていた市民と似ているのかもしれません。 最後になりますが、ここまで読者に説得力を持たせる世界を描いた作者は、本当に天才だと思います。 これが”漫画”であれば平和の道はあるだろうとおもってしまいますが、”進撃の巨人”だと果たしてあるのかと思ってしまいます。 もはや歴史の一端を見ているような作品です。
この漫画の一番凄いところは、最初から最後までエレンの軸がほとんどブレていない点だと思う。 読者のウケなんて気にせずに、徹底して作者が書きたい主人公を貫き通す姿勢には頭が下がる。 本来ならばこんな世間一般に人気が出るような作風ではない 一部の熱狂的支持者にカルト的人気が出るだけの漫画だったはずだ しかしアニメの出来が予想外に良過ぎた事や、壁と立体起動装置等の秀逸な設定により、国民的人気漫画の一つになってしまった。 これでは現在の展開(主人公が大量虐殺を行う)に異を唱える者が多く出るのも自然な流れだと思う。 しかし、進撃の巨人という作品は初めから、 大多数の一般読者を気持ち良く満足させるようなシロモノでは無いのだ エレンという強烈な個性を持った主人公が作者の頭の中で産み出されてから、作者は「エレンだったらきっとこうするだろう」という声に従ってきただけだ。 エレンの行動理念は只一つ自分および家族の幸福を最優先し、それの障害になるものは何であろうと排除する。 最初からそう一貫している。 「そんなのただの自己中じゃないか」「そんな主人公、好きになれない」 そう思うかもしれないが、自分の遺伝子を保存する事を最優先するのが全生命体の本質である。 そういう意味では、彼はあまねく生命体の本質を最も忠実に体現していると言える。 私はそういう意味で、生命体の本質を純粋に力強く体現するエレンをカッコいいと思うし、憧れを感じる 自分には決して真似できない生き方だから 結局のところ、エレンを好きになれない読者がこの作品の本当の良さを味わう事は、難しいのである。
ヴィランの話がいらないと言ってる人達は 何も分かっていない。 物語の敵について描くか描かないかで 物語の深さ面白さは全く違う。 最後はヴィランVSデク達という構図になると思うが それぞれの陣営が何を思って何故戦うのか そういう事が分かってるのと分かっていないのでは 物語の完成度は変わってくる。 同じジャンプ作品のワンピースで興行収入歴代 トップはワンピースフィルムZだが なぜあの作品がトップなのか? それはゼットという敵を鮮明に描いたからだ。 最後の戦闘シーンの面白さは 敵を描いたからこそ栄えたのだ。
今のジャンプの王道漫画です。 恐ろしいくらい天才的なストーリー、たまりません。 作者様の各キャラクターへの愛がストーリーに組み込まれています。 白黒の平面な漫画を読んでいるだけなのにその作品に入り込んでいるかのような錯覚に陥るくらい人を惹きつけ魅了する作品だなと思います。
ヴィラン側に感情移入しつつミルコやホークスの活躍にわくわくして一気に読み進めた前巻とはうって変わり、死柄木の圧倒的な力が描かれギガントマキアも目覚め、不安とともにページを捲ることになった今巻。だからこそ、ヒーローのかっこよさが胸を打つ。 満身創痍でありながらカプセルを壊すミルコ、サムズアップするクラスト、ここぞという場面にさらりと現れるグラントリノ。 最後の出久と爆豪もめちゃくちゃかっこいい! でも、この巻で最もかっこいいのは、死柄木がちゃんと教えてくれてます。 『本っ当かっこいいぜイレイザーヘッド』
この作品を「少年漫画」として見た時、何が正解で何が間違いなのかを語る口を自分は持たない。それは自分よりもう20歳ほど若い人たちに委ねたい。少年漫画の有るべき形、をいい歳した大人が語ることほど、少年たちにとって滑稽なことは無いだろう。 それでも時々、この作品を読んでいて、「この作品を学生の時分に読んでいたとしたら、今ほど身につまされるような思いにはならなかっただろうに」と考えてしまう。少なくとも、この作品に滲む人間という生き物のままならなさがたまらなく愛おしく思えるのは、平々凡々ながら30年以上の歳月を生きてきた自分の人生あってこそだと。 今巻に描かれるヒーロー側の仕掛けた大規模作戦は、“正々堂々”などという言葉からは懸け離れたものだ。数にモノを言わせた、不意打ちによる一網打尽。一方的な状況にあるいは応戦し、あるいは逃げ惑うヴィランたち。積年の研究成果を悉く破壊されるドクターの描写は、あくまで滑稽に描かれてはいるものの気の毒にさえ思えてしまうほどである。そして何と言ってもトゥワイスとホークスの対峙。鋭い眼光以外、表情の一切を描かれないホークスの描写に象徴的なように、今巻は過剰なまでに、ヒーロー側の非情を演出した巻であった。アンパンチが暴力と非難され、プリキュアの肉弾戦が封印される時代にあって、ヒーロー側の暴力的な行為をオブラートに包むことなく、むしろヴィランにとってはこんなに酷いことなんだと言わんばかりに強調して描く。暴力に頼らず、話し合えばわかりあえる筈、という道は、トゥワイスとホークスの会話で丁寧に丁寧に塗りつぶしていく。自責の念に駆られながらも最期の瞬間まで仲間を守る一人のヴィランの姿が、読了後も脳裏に焼き付いて離れない。それがこの27巻であった。 言うまでも無いことだが、こうした描写の数々は、ただ格好良いヒーローたちの活躍を伝えたいだけならば避けるべきである。ヴィランが他者や社会を脅かす存在であること自体は間違いなく、同情の余地などない。それでもこの作品は、ただただヒーローであることを理由にヒーローを善しとはせず、ただただヴィランであることを理由にヴィランを悪とはしない。この作品に描かれているのは、ヒーローと呼ばれる「人間」と、ヴィランと呼ばれる「人間」。そこに同等で同質の「人間」という生き物がいることを描いているだけだ。 自身の情に殉じたトゥワイスであったが、彼と対峙したホークスもまた、「ヴィランと対峙するヒーロー」である以前に、一人の人間であるが故に、情を捨て去ることなど出来はしなかった。ホークスの中に、トゥワイスをヴィランだと認識する“理”だけがあったのなら、どんなにか事は簡単だっただろう。トゥワイスを自分と同じ人間だと見てしまう“情”の存在が無かったのなら。 若い時分には、大人になれば理と情はコントロールできるようになり、痛みも後悔も減っていくものだと漠然と思っていた。非合理を憎み、失敗を嫌った。そういうものではないのだと知った今でも、人間という生き物のままならなさに時に辟易してしまう。それが不思議と、この作品の登場人物たちに触れていると、人間という生き物のままならなさがたまらなく愛おしく思えてしまう。中心となるのは学生の登場人物たちだが、大人の人物たちもまた、失敗と痛みと後悔を重ねていく。今巻はとりわけ大人たちの様相が味わい深い巻であった。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2021/04/09
このボリュームそしてこの紙質で800円とか?マジで?値段設定おかしすぎん?実質無料やんこんなの。 そんなふうに驚くほどにカバーそして本体ともに紙質がいい…そしてほら、カバー裏がなんと!色見本代わりのポスター!!いやいやこんな豪華な色見本とか…ないわーびっくりするわー。 ほとんどが劇場版無限列車までの内容からの抜粋なので、柱は煉獄さん、しのぶさん、義勇さんで他は集合絵がちょろっと。でもこれ今後さらに塗り絵が発売されるってことじゃない?楽しみだわー! もう色塗ったらバチが当たりそうなので線画集として楽しみます…いやほんと…買って良かった…。
もう最高です!!!!! 定価1500円(税抜き)とは思えない程のボリュームとクオリティ! 大きな版型で見るカラーイラストで鼻血ブー。血圧も上昇。 どのイラストも、思わずガン見してしまう程の熱量ハンパないです。 モノクロイラストも手抜きが一切無く、印刷が良いのか、線がくっきりしてて美しい。 やはり、『鬼滅の刃』は凄い。ぶっ飛んでいる。他の追随を許さない唯一無二の漫画。 今まで、膨大な量の漫画を読んできたけれど、こんなに高揚感、そして興奮を感じる。 作品はオールタイムベストワン『鬼滅の刃』に尽きます。 とにかくこの画集は原作を愛する全ての人達への、吾峠呼世晴先生からの最高の贈り物です。 吾峠先生、ありがとう!
こんなにも作品を愛し、関わる方へ感謝を述べ、読者への励ましを伝えてくれる作者が居たか。鬼滅の刃の物語が大好きですが、その礎を築いたワニ先生の人柄が一等好きです。蛇足なんて表現している方を見かけましたが、物語は過去現在未来様々な側面から見れるものだと思います。それを紡げるのは作者だけです。またいつか彼等に会える日を楽しみに、これからも鬼滅の物語、キャラクターを愛していきます。
何かの試験などで心理学を学んだ人なら、 知っている心理学用語が数多く出てきており、 心理分析をするというよりは心理学用語の紹介のような本だった。 私自身はこの本のタイトルだけを見た時は、 鬼滅の好きなキャラが何かによって、読者の心理分析をするのかと 思ったがそうではなかった。 心理学の用語はカタカナ語が多いので、覚えにくい。 もし、資格試験や大学の試験などで心理学が絡む方なら、 この本と鬼滅のイメージで用語理解はたやすくなるだろう。 また鬼滅ファンの方であれば、 新しい鬼滅の見方がこの本を読んだあとに体験できるかもしれない。
「あれ、まだいる」 桜木の才能に目を奪われる日本高校バスケ界屈指のセンター・河田。 「お前を超える逸材がここにいるのだ・・・」 同じく、桜木の才能に驚愕し身を震わせながら亡き教え子に話しかける安西。 この描写が鳥肌モノです。 後半の沢北の活躍も見どころではあります。
余裕をかなぐり捨てた山王と懸命に立ち向かう湘北の総力戦。 かつておミソだった花道がチームにとって不可欠な存在になったことを赤木が実感するくだりには、 これまで花道の成長をずっと見てきた読者としても思わずじーんとせずにいられません。 かつては晴子に近づくための手段に過ぎなかったバスケットボール。 そのバスケットボールをいつの間にか心の底から好きになっていた自分に気づく花道。 彼がケガを押して必死に戦う姿が疲れ切ったチームメイトを奮い立たせる・・・! 山王戦は全部通して読まなきゃダメです!
ファンならぜひ買っておきたい本ですね。 ビジネス書として気軽に読めますし組織論としても読めるので、 ファンブックとしても含めれば、1冊で3度は楽しめます。 個人的には「結果ではなく過程にフォーカスする」だったかな…。 この部分が意外に思えましたが、印象に残りました。 結果は自分の力が及ばない部分も多々ありますが、 過程であれば違いますしね。大いに納得です。 現代の若者の適正に向いている指導法だと感じました。
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