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ブルックナー (1824-1896)

CD 交響曲第9番 アバド&ルツェルン祝祭管弦楽団

交響曲第9番 アバド&ルツェルン祝祭管弦楽団

商品ユーザレビュー

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    harekazuya  |  東京都  |  不明  |  2014年07月12日

    9番の演奏の定評のあるものでは、ヴァントは織り成す音が綾となり いつしか永遠とつながっているようでした。 チェリビダッケは、ペルシャ絨毯のような極彩色の音を延々と紡ぎ、 美とは何かを訴えます。 ジュリーニは、圧倒的な表現力に情緒をからませて祈りを感じさせ ます。 アバドのこれまでの演奏はそうした音楽に思想や主張をこめるの を拒み、今生きる悦びを感じさせるものでした。 彼岸的でなく、極めて現世的でそうした意味でとても個性的なも のと感じでいましたが、もうひとつもの足りなさもありました。 今回の演奏会の様子が伝わってきていますが、明らかに衰え、とて も辛そうだったといいます。 けれど音楽からは弛緩や滞りはまったく感じられません。 そしてダイナミックな音色や心の行き届いた表現が続くのに、ど こにも作為や力みが感じられません。 この作品をよりよく演奏しようとか、人によく分かってもらおうという 親切と裏腹なお節介もありません。 ただ淡々と作品に向き合い、それが自然に音となって現れ、それが ひたすら美しいのです。 3楽章の全宇宙の星がいっせいにきらめくような瞬間で、他の指 揮者はそこに全エネルギーを集中して感動を誘うのに、アバドは ひそやかにしっとりと音をつむぎます。 それがまた、いっそう感動的なのです。 私がブルックナーを聴くのは主に秋で、迷走神経がぴりぴりとして いる時に、毒をもって毒を制すという感じで使っています。 けれどここには毒はありません。 ふつうは一曲聴くとぐったりと疲れてしまうブルックナーなのですが、 これは何度でも続けて聴け、その度に新しい発見と心に沁みる歌 を感じます。 癒しという言葉には手垢がつき、感覚のごまかしのようなニュアンス を感じるので、安らぎという言葉に託します。 季節や天候の疲れだけでなく、世の中の様々なこと、老いや死 といった現実など、のりこすことが困難なことが多くあり、真っ向から 突き当たることも目をそらすこともできませんが、そうした時の心の 支えとして、芸術ができることの最高のことのひとつがここにある と感じます。

    13人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • ★★★★★ 

    no music no life  |  奈良県  |  不明  |  2015年01月04日

    何という純粋で優しく慈愛に満ちた音楽なのだろうか! ブルックナーの音楽がかくも神、祈り、救い、栄光、宇宙の真理、大自然といった過去の名演が当然に包含していた一筋の光とは全く一線を画したアプローチで、異次元の浮世離れした美しさで表現された例を私は知らない。 再弱音から開始される冒頭から既に永遠への入口に何の衒いもなくスーッと惹き込まれ、何の力技も恣意的な意図も存在しない極めて純度の高い、清澄で静謐な世界が描き出される。 即物的な現代音楽や、矛盾に満ちた破壊的な美しさマーラー演奏を熱心に表現してきたアバドが、80歳の最期に生き着いた境地が、先の作品が示した虚無でも破綻でもなく、このように比類なく純粋であり音楽的でありどこか温かく、感謝、優美、慈愛の境地であったことに身震いするほどの凄みを感じ、素直に感動した。  同様に異次元の雰囲気を放っていた同日の「未完成」の演奏がカップリングされなかったのが非常に残念であったが、ヴァントと同じく最晩年にこの2曲の未完成の交響曲を選びながら全く別の世界観を描き出し、その双方が極限に高度に昇華してしまったことに、改めて畏敬の念を覚えます。ルツェルン祝祭管は、もはやどの奏者の音もアバドの魂と不可分、一心同体となり皆がアンサンブルを聴き合い、感じ合い、共感し切っていてその統一感、緊張感、世界観は1分の隙も無く持続しアバドのこの世への最期のFarewellを見事に体現してしまっている。 このような美しい音楽を最後に遺してくれたアバドに、心から感謝したい気持ちです。Vielen Dank, Maestro Abbado!!

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  • ★★★★★ 

    ケロヨン  |  福井県  |  不明  |  2014年06月29日

    初めてジャケットを見た時は「どうしてこんな老人丸出しの写真を使うんだ?しかも、カラーでなくモノクロ?」と怪訝に感じた。しかし、演奏を聴き終えてから改めて見ると「何て素晴らしいジャケットなんだ!」に変わっていた。この演奏の前週のベト3の映像を見ると、アバドの体調は芳しくなさそうで弱々しくさえ見える。このブル9を振る時の体調は更に悪化していたと予想される。にも関わらず演奏の何と素晴らしいことか。指揮者の体調不良など微塵も感じさせない。オーケストラと指揮者の相互理解が十二分になければ、決してこのような演奏は出来ないと思う。HMVの紹介コメントに「楽員たちのアバドへの献身を聴くことができる」とあるが、「献身」ではなく、むしろ「信頼」ではなかろうか。指揮者と楽員の信頼関係の完成形がこの演奏で、達成感に満ちたアバドの優しい笑顔がきっとあのジャケットに違いない。アバドの偉大さを感じずにはいられない1枚です。

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  • ★★★★★ 

    SH  |  佐賀県  |  不明  |  2016年11月10日

    このブル9は音楽という枠を超えている。大宇宙の果てまでを見通すことでただ描いたような演奏。色即是空のように此岸から彼岸へ。アバドはこの宇宙を描き自らの寿命を終え大宇宙の中へ自ら溶け込んで姿を消した。悟ろうとしてきた晩年のコルトレーンが太陽や月・星をくっきりとテーマづけ「動」として描いたのに対し、アバドは本作で、その間を占める「静」の領域さえも描写し成功している。大宇宙そのものを悟っていたのだ。いまは私たちを見守るのだろうか?神は全てに宿るという言葉はアバドにも相応しいのかもしれない。

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  • ★★★★★ 

    ヒューブーン  |  静岡県  |  不明  |  2015年08月14日

    文章では、微妙に形容しがたいブルックナーです。とりたててブルックナーらしくもなく、とりたててアバドらしくもない。ライブ録音のせいか、徹頭徹尾一貫した主張というのも、少なくとも外面的には感じられない。その意味では、ディスクとしての完成度は、同曲を振ったウィーンpo盤の方が高いと言うべきでしょう。ただウィーンpo盤を「優秀な商品」だと例えるなら、このルツェルン盤は「伝えたいことを無心になって伝えようとしている私的な作品」というような位置づけになります。 なにかしら「意図」して演奏している風でもなく、その瞬間瞬間に感じたことがそのまま音になっているような、同曲他の演奏では 聴けそうで聴けない独特の個性が全編を覆っております…そして後半に行くにしたがって、その個性は強くなり、第3楽章に至っては「こんなブルックナー演奏がありえたのか?」と今更思わせるような、意外なツボを突かれている自分に気づきます。 「中庸」を美徳とした指揮者の辞世の言葉なのでしょうか?しかし「辞世の言葉」という特別性すら感じないほどの中庸性も感じられます。この演奏がどんな演奏なのか?は、とにかくジックリ聴いてみるしかないです。

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  • ★★★★★ 

    ハッチ  |  愛知県  |  不明  |  2021年03月11日

    アバドが迫りくる死を前にして遺言に選んだのが、ルツェンでのブルックナー。ブルックナー未完の「白鳥の歌」に込められた美しすぎる演奏。 最後に到達するのがブルックナーの世界なのかもしれない。

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  • ★★★★☆ 

    林檎太郎  |  長野県  |  不明  |  2021年01月15日

    終楽章など冒頭から末尾まで、1本の旋律線で歌い抜こうとする指揮者の強い意志が、無国籍のオーケストラの隅々まで浸透した、きわめてユニークなブルックナー像が打ち立てられた。 孤高の指揮者の独白のようなこの音楽から喚起されるのは、人間の孤独だ。功成り名遂げた大指揮者の晩年からこのようなモノローグが語られるとは予想もしていなかった。

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