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ベートーヴェン(1770-1827)

SACD ピアノ・ソナタ第29番『ハンマークラヴィーア』 ヴァレリー・アファナシエフ

ピアノ・ソナタ第29番『ハンマークラヴィーア』 ヴァレリー・アファナシエフ

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    うーつん  |  東京都  |  不明  |  2023年11月26日

    ごつごつとした峻厳たる岩山を登るかのようなハンマークラヴィーアと感じた。  ここに聴けるハンマークラヴィーアは流れも良くなく、至る所で躓かないよう歩みが遅くなる…。これは悪く言っているのではなく、そこにこそアファナシエフのベートーヴェンに対する信条告白があるように思える。音符として残されているメッセージをそれこそ一歩一歩確かめるように、踏みこんでいき、山頂に向け独りで挑んでいるような感覚を覚えた。第3楽章も独りで岩だらけの道を黙々と歩いている時のような集中と忘我の混ざり合った情感を感じた。第4楽章のフーガも岩山の厳しさに気圧されながらも全身を使って這い上るような、もはや岩山と自分自身の闘いであり、一体化にも思える。アファナシエフにとっては、それほどにベートーヴェンの存在が、そしてハンマークラヴィーア・ソナタが他を圧するほど孤高の厳しさを持っているのだろうと推察する。   胸がすくような爽快なハンマークラヴィーアを聴きたい方にはお勧めできないが、ハンマークラヴィーア・ソナタ(そしてベートーヴェン)に対するひとつの考え方がこうして提示されたことをお知らせしておきたい。

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    てつ  |  東京都  |  不明  |  2023年11月25日

    アファナシエフのハンマークラヴィーア、まさに「アファナシエフならでは」である。手元計測だが、第一楽章17:34、二楽章3:34、三楽章22:17、終楽章14:43 合計58:08である。この時間を見てわかるように奇数楽章が特に遅い。第一楽章は冒頭ファンファーレからやはり遅い。そしてそこからがある意味酷いくらい遅い。聴いていると笑うしかないようなテンポ、それも遅いだけでなく、ルバートかけまくり思い切りテンポを揺らす。かろうじて2/2の拍子感は保つものの、縦の線は平気でずらす。どうしてここまでするのか、よくよく聴けば、このテンポによってベートーヴェンが書いたニュアンスがよくわかる。音の絡みが明確になる。特に内声部を浮き彫りにして、この曲を構成する要素全てを聞かせる。特に再現部を聴くとアファナシエフの意図がよくわかる。また、意外に展開部はそれほど遅くない。これは終楽章でも同様なのだが、対位法的部分では、元来曲自体が分析的なために、アファナシエフもそれほどテンポを落とさないでもニュアンスを出せるのである。 第二楽章は曲自体がコラールみたいな構造だから、丁寧に鳴らすことが主眼となる。かと言ってスケルツォらしさも保っているので、少し遅い程度、でありそんな違和感はない。ただし、トリオ部分は凝りまくっていて、主題がエロイカから来ていることを強調し、主部に戻る前の112小節では「いいか、俺は早くクリアに弾くことができるんだぞ」と言わんばかりの快速テンポとなる。 第三楽章ではアファナシエフは端正に、それこそ心を込めて弾く。この楽章の複雑なリズム感を明確にするため、一楽章でやった線をずらすようなことは一切無い。とにかく端正なのである。メーカー資料にある「漆黒の深みを湛える」はちょっと違うと思う。この楽章は従来必要以上に暗く弾かれすぎていた、ベートーヴェンがそんな闇堕ちするような曲を書くわけがない。人を救うような慰めの曲である、とアファナシエフは伝えている気がする。 終楽章は前述の通り、ある意味「本当によくできている楽章です。楽しいですよ」と言っているような感じである。普通よりちょっと遅い程度のテンポというのは第二楽章と同じ。それでも最後はやはり堂々と締めくくる。いつもの通りペダルの音を残して終わるのも彼の流儀通りである。 それにしても、やはりアファナシエフならでは、の演奏である。第一楽章の崩し方が生理的にダメな人には投げ出したくなるようなレベルだし、そもそもこんな演奏、アファナシエフだから許されるのであって、たとえば若手がこんな演奏したら「悪目立ち、炎上目的」としか思われないだろう。アファナシエフは今までそれこそ何十年も遅めのテンポで曲自体が持つニュアンスを炙り出す演奏をずっと繰り広げ、積み重ねてきた。だから我々も「アファナシエフだから」と言うことでこう言う演奏を受容できる。やはり彼ならではの慧眼ではあるものの、これが愛聴盤になるかというとやはり「?」である。あの懐かしいDENONとのブラームスほどの説得力はここにはない。しかし、この演奏は聴く人に「私の解釈をあなたもよく考えなさい。私が何を目指すのか考えることで(これを聴く)あなたにとっても世界が広がるから」というアファナシエフのメッセージが満載であり、我々に思考を強制するというとんでもないディスクである。 説得力に代わり強制力を身に纏ったアファナシエフ、もはや「クラシック界のラスボス」的存在である。

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