CD 輸入盤

レクィエム ジュリーニ&フィルハーモニア、サザーランド、コッソット、他(1960 モノラル)(2CD)

ヴェルディ(1813-1901)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
SBT21494
組み枚数
:
2
レーベル
:
:
Europe
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明

ヴェルディ・レクィエム
ジュリーニ&フィルハーモニア
サザーランド、コッソット、他
1960年エディンバラ音楽祭ライヴ


ヴェルディ・レクィエムの偉大な解釈家として知られるジュリーニにはEMIとDGへの2つのセッション録音のほか、いくつかのライヴ音源が知られていますが、今回、TESTAMENTから登場するのは、1960年にエディンバラ音楽祭でおこなわれた演奏会のライヴ録音となります。
 音楽祭の初日を飾った46歳のジュリーニによる気合いの入った指揮とフィルハーモニア管弦楽団と合唱団の熱演、サザーランドにコッソットほかの優秀なソリスト陣による歌唱の素晴らしさはモノラルという条件を超えて聴き手に迫ります。

【収録情報】
・ヴェルディ:レクィエム [84:53]

 ジョーン・サザーランド(ソプラノ)
 フィオレンツァ・コッソット(メゾ・ソプラノ)
 ルイジ・オットリーニ(テノール)
 イヴォ・ヴィンコ(バス)
 フィルハーモニア管弦楽団&合唱団
 カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮)

 録音時期:1960年8月21日
 録音場所:イギリス、エディンバラ、アッシャー・ホール
 録音方式:モノラル(ライヴ)

【解説書より抄訳】
ジュリーニとヴェルディのレクィエム
カルロ・マリア・ジュリーニ[1914–2005]がこの作品を最初に指揮したのは、1957年オランダ音楽祭のことであった。数年後、同作品をヴェネツィアにて、フィオレンツァ・コッソット、イヴォ・ヴィンコとともに演奏している。その後40年に渡りヴェルディのレクィエムは彼の最重要レパートリーで有り続けた。
 当時、ジュリーニは世界中のどこよりもロンドンで演奏する機会が多かったのだが(エディンバラ音楽祭にも3回出演している)、パリやベルリン、ストックホルム、シカゴ、ロサンジェルス、ニューヨークといった場所でもこの作品は彼の名刺代りであった。ジュリーニ最後の同曲の演奏は、1998年1月、トリノとパリでのことである。ジュリーニはこのレクィエムを2度録音している。1回目は1963年ロンドン2回目は1989年ベルリンでの録音である。
 録音技術上の数々の問題にも関わらず、1963年のロンドン録音は他の追随を許さない絶対的銘盤とされてきた。この盤に比べるとやや見劣りするとされるが、なお伝説的なのが1960年8月21日のエディンバラ音楽祭での演奏である。エディンバラでの演奏は、ある意味1963年録音への充電とも言えるもので、アルトゥーロ・トスカニーニやヴィクトル・デ・サーバタが培ってきた演劇的な演奏習慣の持つ長所短所どちらもが考慮されている。先輩達に敬意を払いながらも、作品のもつ精神的な広がりはジュリーニならではの視点が加えられている。
 1983年出版のプラシド・ドミンゴの自伝「My First Forty Years」の中に次のような記述がある。「ジュリーニ以外に、優しさと激しさを兼ね備えた音楽家と出会うのは難しいであろう。彼の音楽活動はどれも極めて洗練されている。‘怒りの日’では、神を審判の日の天帝として表現しているように思える。大げさ過ぎることや尊大な身振りは一切感じられない。驚くほどの高みにおいて、彼は純粋に音楽と一体化したのである。正しく優しい方法でそのようなパワーを表出することができる人間を目の前にしたのは衝撃的な事件であった。」
「怒りの日」でヴィクトル・デ・サーバタが両手に指揮棒を持ち、まるで死刑執行人が使う斧のように振り下ろしたということが言い伝えられているが、ジュリーニの「怒りの日」でのバトンさばきはこれを遥かに上回り‘大鎌’といった様相だ。他の部分でも、テンポは異常なまでに感情的である。ジュリーニが1950年代に歌劇場で培ってきた技量が存分に発揮されている。

ルイジ・オットリーニ
全体の激しさからいうと、テノールのルイジ・オットリーニ(1925-2002)のあまりに美しく絶妙なフレージングが唐突過ぎる感もある。オットリーニはまさに熟練したテノール歌手ではあるがスター歌手というわけではなかった。それでも、ジュリーニがレクィエムに起用したいと思える最上の歌手であったことには違いない。

フィオレンツァ・コッソット&イヴォ・ヴィンコ
バスのイヴォ・ヴィンコ(b.1927)とメゾ・ソプラノのフィオレンツァ・コッソット(b.1935)はどちらもキャリアをスタートしたばかりの若手歌手であった。(この二人は1958年に結婚し夫婦となっている。)当代のイタリアを代表するメゾ・ソプラノであるコッソットは、1957年ミラノ・スカラ座で、フランス革命期に殉職した修道女を描いたプーランクのオペラ《カルメル派修道女の対話》に出演しプロとしてデビューを果たした。翌年ウェックスフォード・オペラ・フェスティヴァルにてドニゼッティの《アンナ・ボレーナ》でジェーン・シーモアの役を歌ったのが世界デビューになる。驚くばかりの声の持ち主で、低いイ音から高いハ音までの広い音域を駆使することができた。しかもコントロールは大変緻密である。デビュー当初から、スコア(特に強弱記号)を厳密に読み込むことで知られていた。彼女の技量を持ってすれば、楽譜をそのまま歌唱へと変換することが出来た。「絶えざる光を」への導入小節は非常に特徴的であり多くが要求される難所であるが、このエディンバラでのライヴにおけるコッソットの歌唱がいかに彼女の能力が突出しているかを示す好例である。さらに、コッソットの丸味を帯びた声質や意思の強い表現力はレクィエムに適している。この作品においてメゾ・ソプラノが宗教的主役を務めることを考えると、これらは極めて重要である。4年前のトゥリオ・セラフィンの同じEMIのレコーディング(Testament SBT2140)に参加していなければ、コッソットはジュリーニの1963年EMI録音にも間違いなく起用されていた。後には、カラヤン(アンリ=ジョルジュ・クルーゾーが監督した有名なミラノ・スカラ座での映像)、バルビローリともこの作品を録音している。コッソットとジョーン・サザーランドの組み合わせはもうひとつの音楽的成功の要因といえる。

ジョーン・サザーランド
サザーランドは1959年2月にコヴェントガーデンで《ランメルモールのルチア》のタイトル・ロールを歌い一躍楽界の注目を集めたとされるが、ロンドンの音楽ファンは1950年代中頃からサザーランドがいかに素晴らしいかを熟知していた。(コッソットの《カルメル派修道女》の例と似ている。)ジュリーニとの初共演は1959年秋、今や伝説ともなったモーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》のEMI録音の時である。ここで、サザーランドは壮麗でありながらドラマティックなドンナ・アンナを務めている。このエディンバラでのレクィエムでも聴けるように、彼女の歌唱の美点は美しさと求心力を併せ持っているところである。ヴェルディが記した「ベン・レガート、ラルゴ、ペザンテ」などの楽想表記への入りの部分にこの美質が顕著に現れている。エディンバラでの演奏は、フィルハーモニア合唱団とドイツ生まれの才能ある合唱指揮者ヴィルヘルム・ピッツにも大勝利をもたらした。この合唱団は1957年にウォルター・レッグにより、すでに名声を得ていたフィルハーモニア管の合唱部分を補完する形で創設された。国際的な音楽祭デビューは、この録音の前の9月のルツェルン音楽祭のことで、サー・トーマス・ビーチャムのもとヘンデルのメサイアを歌っている。ここでは、本拠地ともいえるエディンバラで大いに演奏に貢献している。ある評論家は、「体験し得る完全性にほぼ近い」と絶賛している。半世紀を経ても、この評価に異を唱えるのは難しい。(©RichardOsborne,2014 訳:堺則恒)

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ヴェルディ(1813-1901)

1813年10月10日、ジュゼッペ・フォルトゥニオ・フランチェスコ・ヴェルディは、カルロ・ヴェルディの10番目の子供として、ブッセート近郊レ・ロンコーレに誕生。この頃は政情が不安で、翌年1月には同地にロシア軍が侵攻しています。生家は旅館兼居酒屋を営み、宿泊客の旅芸人の音楽に幼少から惹かれていたとのこと。1821年、父親からスピネットを買ってもらい、やがてピエトロ・バイストロッキにオルガンの奏法も習

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