ヴェルディ(1813-1901)
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ヴェルディ(1813-1901) プロフィール

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  • 1813年10月10日、ジュゼッペ・フォルトゥニオ・フランチェスコ・ヴェルディ(Giuseppe Fortunio Francesco Verdi) は、カルロ・ヴェルディの10番目の子供として、ブッセート近郊レ・ロンコーレに誕生。この頃は政情が不安で、翌年1月には同地にロシア軍が侵攻しています。生家は旅館兼居酒屋を営み、宿泊客の旅芸人の音楽に幼少から惹かれていたとのこと。
  • 1821年、父親からスピネットを買ってもらい、やがてピエトロ・バイストロッキにオルガンの奏法も習います。
  • 1823年、ブッセートに移り、父の友人の靴商人ブナッタの家に居住。土地の有力者、で楽友協会会長でもあるアントニオ・バレッツィの援助を受けるようになります。司祭ドン・ピエトロ・セレッティからラテン語を学んだのもこの頃です。
  • 1824年、レ・ロンコーレの教会のオルガニストとしてブッセートとの間を往復。
  • 1825年、大寺院の合唱長、フィルディナント・プロヴェージに師事。
  • 1826年、ブッセート・フィルハーモニーに参加。
  • 1827年、フィルハーモニーで写譜などをしながら勉強する一方、バレッツィの娘、マルゲリータにピアノと声楽のレッスンを始めます。
  • 1828年、ブッセート・フィルハーモニーのために『セビリアの理髪師』序曲など編曲。バリトンとオーケストラのためのカンタータ『サウルの錯乱』、ピアノ協奏曲、歌曲など作曲。
  • 1829年、ソラーニャ管区教会のオルガニストに任命。
  • 1831年、バレッツィの推薦でモンテ・ディ・ピエタ奨学金を申請。
  • 1832年、バレッツィの手紙の効果もあって奨学金申請に許可が出たものの、ミラノ音楽院の入学試験には落ちてしまいます。このことはヴェルディの心に傷を与え、同音学院が、1898年にヴェルディに対し、音楽院名にその名を冠することを希望した際にも強く拒否しているほどです。結局、ヴェルディは仕方なく自分で個人教授を探し、人望篤い指揮者で作曲家、名教育者でもあったヴィンチェンツォ・ラヴィニアを師とすることにし、対位法などを学びます。
  • 1833年、ミラノのフィロドラマティチ劇場で、ハイドンの『天地創造』の伴奏を担当し、マッシーニに認められます。12月26日、ドニゼッティの『ルクレツィア・ボルジア』に接し衝撃を受けます。同年、恩師プロヴェージと、妹のジュゼッパが逝去。
  • 1834年、ブッセートに帰還。市の音楽監督をめぐる争いを好まずミラノに戻ります。
  • 1835年、モンテ・ディ・ピエタからフェッラーリとの競演を命ぜられ、ブッセートに再び帰還。
  • 1836年、パルマでフェッラーリとの競演が行われ勝利を収め、ブッセート市音楽監督に就任します。同年5月4日、マルゲリータ・バレッツィと結婚。
  • 1837年、処女作『サン・ボニファチオ伯爵オベルト』を完成。上演をパルマの劇場から断られます。3月26日、長女ヴィルジニア誕生。れず失敗。
  • 1838年、ゲーテほかの詩によるベッリーニ風な声楽作品『六つのロマンス』をミラノのカンティ社から出版。7月11日、長男イチリオが誕生しますが、8月、長女ヴィルジニアが亡くなります。
  • 1839年、チャンスを求め、家族と共にミラノに出発。10月22日、長男イチリオが死去。11月17日、ミラノ・スカラ座で『オベルト』初演。
  • 1840年、6月18日、妻マルゲリータが脳膜炎で亡くなり、結局、4年の間に家族を全員失ってしまいます。9月5日、オペラ第2作『王国の一日(にせのスタニスラオ)』をスカラ座で初演しますが大失敗に。
  • 1841年、『ナブッコ(1844年までの呼び名はナブコドノゾール)』完成。
  • 1842年、3月9日、スカラ座で『ナブッコ』は初演され、歴史的な大成功を収めます。当時ミラノはオーストリア領だったため、総譜はオーストリアのアデライーデ公妃に献上。
  • 1843年、2月11日、スカラ座で『十字軍のロンバルディア人』初演。政治情勢もあって大成功に。
  • 1844年、3月9日、ヴェネツィアからの依頼によるオペラ『エルナーニ』がフェニーチェ座で初演。11月3日、バイロン原作『二人のフォスカリ』をローマのアルジェンティーナ劇場で初演。
  • 1845年、2月15日、スカラ座でシラー原作のオペラ『ジャンヌ・ダルク』初演。8月12日、ナポリのサン・カルロ劇場で『アルツィラ』を初演。
  • 1846年、3月17日、ヴェネツィアのフェニーチェ座で『アッティラ』を初演。夏、健康を害しレコアーロ温泉で飲用療法を実施。同年、ロンドンからシラーの『群盗』と、フィレンツェからシェイクスピアの『マクベス』という2つの作曲依頼が舞い込みます。
  • 1847年、3月14日、フィレンツェのペルゴラ劇場で『マクベス』を初演。6月、パリ経由でロンドンに到着。7月22日、『群盗』初演。11月、『第一次十字軍のロンバルディア人』のフランス語版改作『エルサレム』をパリのオペラ座で上演。
  • 1848年、10月25日、トリエステで『海賊』初演。不成功。
  • 1849年、1月27日、アルジェンティーナ劇場で『レニャーノの戦い』初演。成功。12月8日、ナポリのサン・カルロ劇場で『ルイザ・ミラー』初演。成功。
  • 1850年、11月16日、トリエステで『スティッフェリオ』初演。失敗。
  • 1851年、3月11日、ヴェネツィアのフェニーチェ座で『リゴレット』初演。かつてない大成功を収め21回の続演を記録。6月28日、母親がなくなります。
  • 1852年、2月2日、パリでアレクサンドル・デュマの『椿姫』初演を見て感動。5月、フェニーチェ座と『椿姫』の作曲を契約、台本をピアーヴェに依頼して『ラ・トラヴィアータ』と改題。
  • 1853年、1月19日、アポロ座で『トロヴァトーレ』初演。大成功。3月6日、フェニーチェ座で『ラ・トラヴィアータ』を初演。失敗。
  • 1855年、6月13日、パリのオペラ座でフランス語のオペラ『シチリア島の夕べの祈り』初演。大成功。
  • 1856年、3月、フェニーチェ座で『ラ・トラヴィアータ』を再演、大成功。8月、パリのイタリア座を作品の勝手な上演を理由に訴えるものの敗訴。
  • 1857年、スカラ座で『リダ』(『レニャーノの戦い』の改訂版)上演。不成功。1月、パリのオペラ座で『トロヴァトーレ』のフランス語版『トルヴェール』を上演。3月12日、フェニーチェ座で『シモン・ボッカネグラ』初演。不成功。8月16日、リミニのテアトロ・ヌオーヴォで『スティッフェリオ』の改作『アロルド』上演。
  • 1859年、2月17日、アポロ座で『仮面舞踏会』初演。8月29日、ジュゼッピーナ・ストレッポーニと正式に結婚。
  • 1860年、9月、ガリバルディがナポリに進軍。12月、首相カヴールから国会議員に出馬するよう依頼されます。
  • 1861年イタリア国家樹立。ヴェルディは第一回国会議員選挙で国会議員に。
  • 1862年、ロンドンの万国博覧会のために『諸国民の讃歌』を作曲。11月10日、ペテルブルグ帝室劇場で『運命の力』を初演。大成功。ロシア皇帝から聖スタニスラス十字勲章を贈られる。12月、ペテルブルグを出発。
  • 1864年、パリのリリーク劇場から『マクベス』改訂の依頼。
  • 1865年、4月21日、パリのリリーク劇場で『マクベス』のフランス語改訂版上演。同年、ブッセートの劇場を『ヴェルディ劇場』と命名することに同意。
  • 1866年、9月、『ドン・カルロ』完成。
  • 1867年、1月14日、父親カルロ死去。3月11日、パリのオペラ座で、ナポレオン三世やユージェニー皇妃臨席のもと『ドン・カルロ』初演。7月21日、義理の父アントニオ・バレッツィ死去。
  • 1868年、8月、ブッセートのヴェルディ劇場落成。
  • 1869年、2月27日、スカラ座で『運命の力』改訂版上演。成功。12月、ボローニャで『ローエングリン』を観劇。11月1日、カイロのイタリア・オペラ座、フランツ・ヨーゼフ皇帝とユージェニー皇妃臨席のもと、『リゴレット』で柿落とし。
  • 1870年、12月半ば、『アイーダ』完成。。
  • 1871年、ナポリ音楽院院長への就任要請を拒否。12月24日、スエズ運河開通記念式典で『アイーダ』初演。大成功。
  • 1872年、2月8日、スカラ座で『アイーダ』ヨーロッパ初演、大成功。
  • 1873年、1月、唯一の室内楽作品、弦楽四重奏曲ホ短調を作曲。4月1日、同曲初演。5月23日、アレッサンドロ・マンゾーニ死去。深い弔意から『レクイエム』を作曲。
  • 1874年、5月23日、ミラノのサン・マルコ教会でヴェルディ自身の指揮により『レクイエム』初演、続いてスカラ座で3度再演されます。12月8日、イタリア王国上院議員に任命。
  • 1875年、4月、パリのオペラ・コミーク座で『レクイエム』連続7回上演、5月からはロンドンのアルバート・ホールでも連続3回上演。さらに6月、ウィーンの宮廷歌劇場でも上演。
  • 1877年、5月21日、ケルンの低地ライン音楽祭で『レクイエム』指揮。
  • 1879年、6月29日、スカラ座で洪水の犠牲者たちのために『レクイエム』を指揮。
  • 1880年、4月18日、スカラ座で『主の祈り』『アヴェ・マリア』初演。
  • 1881年、3月14日、スカラ座で『シモン・ボッカネグラ』改訂版上演。音楽教育改革委員会の委員就任要請を辞退。
  • 1883年、2月、ワーグナー死去。『オテロ』作曲に着手。
  • 1884年、1月、スカラ座で『ドン・カルロ』四幕改訂版初演。
  • 1886年、11月、『オテロ』改訂。
  • 1887年、2月5日、スカラ座で『オテロ』初演。大成功。『ドン・カルロ』イタリア語五幕版完成。
  • 1888年、『聖衣への賛歌』作曲
  • 1890年、11月、『ファルスタッフ』の作曲を発表。
  • 1892年、『ファルスタッフ』完成。
  • 1893年、11月、スカラ座で『ファルスタッフ』初演。4月、ローマ初演、国王ウンベルト一世に拝謁し、「ローマ名誉市民」の称号を授与。
  • 1896年、ボーイトにより「音楽家やすらぎの家」設計。
  • 1897年、11月14日、妻ジュゼッピーナ死去。
  • 1898年、4月7日、パリ・オペラ座で『聖歌四篇』初演。5月、トリノでトスカニーニの指揮により再演。
  • 1899年、スカラ座でトスカニーニ指揮により『ファルスタッフ』上演。12月31日、『音楽家やすらぎの家』設立が法的に認可。
  • 1900年、7月29日、国王ウンベルト一世暗殺。
  • 1901年、1月21日 ミラノのホテル・グランデでヴェルディ卒中の発作。1月27日死去。葬儀はまずヴェルディの要望通り、親族のみでしめやかにとりおこなわれ、一ヵ月後の2月27日、ヴェルディの葬列は、想像を絶する大群集に取り囲まれて、ミラノの中心街をねり歩くことになります。遺体はミラノの記念墓地に埋葬されます。3月、スカラ座でトスカニーニにより追悼演奏会が開催。
  • 1902年、2月「音楽家やすらぎの家」に改葬。


  • 【歌劇】  アイーダ | 運命の力 | エルナーニ | 王国の一日 | オテロ | オベルト | 海賊 | 仮面舞踏会 | 群盗 | シチリア島の夕べの祈り | シモン・ボッカネグラ | ジャンヌ・ダルク | 十字軍のロンバルディア人 | スティッフェリオ | 椿姫 | トロヴァトーレ | ドン・カルロ | ナブッコ | ファルスタッフ | 二人のフォスカリ | マクベス | リゴレット | ルイザ・ミラー | レニャーノの戦い | アリア集
    【声楽曲】  歌曲集 | レクイエム | 聖歌四篇
    【管弦楽曲】  序曲集
    【室内楽&器楽】  弦楽四重奏曲

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