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ビートルズを語る! ピーター・バラカン氏 特別インタビュー 【前編】

2009年8月24日 (月)

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interview

Peter Barakan

英国ロンドンに生まれ育ち、The Beatlesを62年のデビューからリアルタイムで体感しているピーター・バラカンさんにインタビュー!

バラカンさんが体験された The Beatles、また当時の音楽環境等の変化について、 たっぷりお聞きしました。まずは前編をご覧ください(2009/9/9 後編アップ!)


--- まずは、ビートルズ作品との出会いということで、最初に買ったのは、やはりドーナツ盤シングルやEP(※1)なのでしょうか?

イギリスでシングル盤はドーナツじゃないんですよ。センタ−ホールが大きいのは、アメリカ盤だから。イギリスは、LPでもEPでもシングル盤でもみんな穴が小さいんですよ。我が家になかったビートルズのレコードは、リアルタイムに発売されたものでは『オールディーズ』(※2)っていうアルバムだけ。

後から出たニューヨークのシェイ・スタジアムのライブなんかは持っていなかったけど、当時の普通のアルバムは、イギリス盤で全部持っていました。『オールディーズ』は1曲だけ、「バッドボイ」という未発表曲があったんだけど、どうせ他の曲全部シングル盤で持っているから、子供としてはそこまでお金に余裕があるわけじゃないから買わなかったんです。

--- お母様は完全に「ビートルズ肯定派」だったとお聞きしたのですが。当時の親世代の人たちからは所謂「不良」のようなレッテルを貼られている中で。

うん、肯定派でした。ビートルズがデビューした直後に、僕と弟に対して「二人とも髪伸ばせば」って言ってたぐらいだから(笑)。

--- ビ−トルズのデビュー当時、イギリスで世間一般的な評判はどんな感じだったのでしょうか?

よく語られていることなんですけど、一部ではそういう「不良」云々…「不良」っていうかね、「不良」じゃないね。「髪が長い」とかそういうことに対するものはあったけどね。

--- それまでエルヴィス・プレスリー(※3)とかチャック・ベリー(※4)とかが持っていたロックンロールのイメージとはまた違ったものだったのでしょうか?

エルヴィスがRCAからデビューしたのが、僕が5歳の時ですからね、よくは憶えていないんですよ。まだうちにレコード・プレイヤすら無い時代に、ラジオを聴き始めたのがたぶん8歳とかそれぐらいだと思うんだけど、その頃エルヴィスは時たまラジオでかかることはあったんだろうけど、僕が主に聴いていたのは子供向けのラジオ、リクエスト番組だったから…。エルヴィスはそんなにかかってないと思うんですよ。チャック・ベリーはね、当時のイギリスでは誰も知らない。

--- そうなんですか!?

レコードはある程度出てはいたんです。ただね、あのころのイギリスで、チャック・ベリーのレコードを買っている人はどういう人だったかな・・・・極めて少なかったはずです。50年代のロックンロールは、それでもエルヴィスのベスト盤は家にあったなぁ・・・ビートルズを知る前からだったかも知れない。あと、バディ・ホリー(※5)のベスト盤はなぜかあったな。(ちょっといい話 1)

--- エディ・コクラン(※6)などは?

エディ・コクランのLPは持ってなかったんですけど、友達が4曲入りのEPを持っててね。それでギターでね、「カモン・エヴリバディ」と「サマタイム・ブルーズ」の両方とも「E」と「A」と「B7」だけで弾ける曲だから、それを教えてもらってね。確かまだ小学生のうちにそれを弾いてたのを覚えてるから、多少は知っていましたね。

--- ビートルズ以前の「ロックンロール原体験」となると、そのエディ・コクランだったり、バディ・ホリーだったりするんですね?

あとは子供向けのリクエスト番組で、コースターズ(※8)が時々「チャーリー・ブラウン」とか「ヤケティ・ヤック」ていうね、子供が聴いておもしろがるような曲をやっていたんですよ。変な声出したりとか。ああいうのはね、良くかかった。リクエストする人が多かったんだろうね。案外それが一番良く知ってたものかも。「チャーリー・ブラウン」と「ヤケティ・ヤック」の2曲だけですよ。コースターズの他の曲は、かなり後になって聴くようになった。大人になってからかも知れない。

--- その辺りでいくと、コントゥアーズ(※9)なんかも?

コントゥアーズは知らなかった。コントゥアーズなんて70年代に入ってからですよ。MOTOWN(※10)というのもビートルズがいつも「MOTOWNがかっこいい」って、メアリー・ウェルズ(※11)のことを言ってたりとかね。曲は知ってるけど、MOTOWNという概念はまだ全然ない、その頃はね(ちょっといい話 2)

--- その後、イギリスには「ノーザン・ソウル」(※12)シーンというダンス・ムーヴメントも出てきますが。

「ノーザン・ソウル」は・・・あれも70年代の現象ですね。「ノーザン・ソウル」の「ノーザン」は「イギリス北部」という意味ですから。アメリカ北部じゃなくて。「ノーザン・ソウル」は、ソウルを誰も知らないマニアックなもので、もうちょっとアップテンポの踊りやすいものをコレクターが好む世界ですからね。ソウルがある程度盛り上がった後の話。

--- そのパーティーにはいらしてたんですか?

あれはイギリスの北部でやっている、当時は北部だけのデカいダンスホールに集まるような人たちの現象だったんです。僕はロンドンの生まれ育ちで、北の方に未だに行ったことが無いんですよ。(ちょっといい話3)

--- 63年の「プリーズ・プリーズ・ミー」発表当時、バラカンさんは12歳ですよね?

僕は51年生まれだけど8月だから、「プリーズ・プリーズ・ミー」が出たのは63年のはじめなんでね、まだ11歳ですね。



注釈
(※1) 直径7インチ、45回転のアナログ盤シングルレコード。片面約5分の長時間録音・再生が可能なものがEP盤。特に米国ではジュークボックス等での再生向けに中心の穴が大きくあいているシングルが主流だったため、それらはその姿からドーナツ盤とも呼ばれた。(▲戻る)

(※2) (A Collection Of Beatles Oldies)ビートルズが1963年〜66年に発表したシングル曲、アルバム収録曲から選曲されたコンピレーション。1966年12月リリース。未だCD化されておらず今回のリマスターでもCD化はならなかった。(▲戻る)

(※3) (Elvis Presley / 1935年1月8日〜1977年8月16日)米国ミシシッピ州〜テネシー州出身の「キング・オブ・ロックンロール」。1950年代半ば、「黒人のように歌える白人歌手」として見出されたエルヴィスは、ロックンロールを世界的規模に広める重要な役割を果たした。特に徴兵されるまでの1956〜58年のあいだ「ハートブレイク・ホテル」、「ハウンド・ドッグ」、「監獄ロック」などで全米ナンバーワンヒットを連発。もちろんビートルズにも大きな影響を与えた。(▲戻る)

(※4) (Chuck Berry / 1926年10月18日〜)米ミズーリ州セントルイス出身のロックンロール・シンガー/ギタリスト。リトル・リチャード、ジェリー・リー・ルイス、バディ・ホリーらと並ぶロックンロールの創始者。その特徴的なギター・リフによる音楽スタイルは、後のロックに多大な影響を与えた。(▲戻る)

(※5) (Buddy Holly 1936年9月7日〜1959年2月3日)米国テキサス州出身。ロックンロール黎明期に活躍。バディ・ホリーが組んだザ・クリケッツのギター2本とベースとドラムスというコンボ編成のスタイルは、のちのビートルズはじめロック・バンドの原型に大きな影響を与えた。デビュー曲「ザットル・ビー・ザ・デイ」のほか、「イッツ・ソー・イージー」「ペギー・スー」などがヒット。1959年飛行機事故により死去。(▲戻る)

(※6) (Eddie Cochran / 1938年10月3日 - 1960年4月17日)50年代後半に人気を博したロックンローラー。代表曲は「サマータイム・ブルース」、「カモン・エヴリバディ」など。その粗削りな感触ともいえる独特のサウンドは、のちの数多くのロック・ミュージシャンに影響を与えた。1960年、不慮の自動車事故により死去。(▲戻る)

(※7) (Little Richard / 1932年12月5日〜)米ジョージア州出身。激しい唱法、ステージ・アクションで知られるロックンロール・ジャイアンツのひとり。1955年デビュー。「トゥッティ・フルッティ」、「のっぽのサリー」などのヒットを飛ばす。1957年、人気絶頂期に突如引退を発表し、牧師となるが、その後62年にロックンロール歌手として復帰したりしている。(▲戻る)

(※8) (The Coasters)50年代後半からノヴェルティ的なドゥワップで人気を博したグループ。名作曲家チーム、ジェリー・リーバー&マイク・ストーラーが提供した「Searchin'」、「Young Blood」、「Yakety Yak」、「Poison Ivy」といったナンバーをヒットさせた。(▲戻る)

(※9) (The Contours)1959年ミシガン州デトロイトで結成されたR&Bグループ。「ドゥ・ユー・ラヴ・ミー」が62年に全米で大ヒットを記録。(▲戻る)

(※10) 米国ミシガン州デトロイト生まれのベリー・ゴーディ・ジュニアが設立したレコードレーベル。1959年の設立当初からスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズやダイアナ・ロスが在籍したシュープリームスなど数多くの才能を輩出、ヒットを生んだ。”The Sound of Young America”のスローガンを標榜しながら、才能ある作曲家・演奏家チームにより作られた、そのキャッチーで大衆的な音は「モータウン・サウンド」と呼ばれた。(▲戻る)

(※11) Mary Wells / 1943年5月13日〜1992年6月26日)1964年のナンバーワン・ヒット「マイ・ガイ」などで知られる黒人女性R&B歌手。60年代のモータウンを彩った。(▲戻る)

(※12) イギリス北部の労働者階級の若者が好んだアメリカのR&B/ソウルの総称。Invictus/Hot Waxレーベルのアーティストなど、アップテンポで8ビートなソウルサウンドが代表的な特徴。(▲戻る)

(※13) イングランド北西部、マージーサイド州の中心都市。産業革命期には貿易港として栄えた。ビートルズを生んだ街として有名。サーチャーズ、ジェリー&ザ・ペースメイカーズなどもリバプール出身の60年代ビート・グループ。(▲戻る)

(※14) イングランド北西部に位置する都市。かつての産業革命では中心的な役割を担った。60年代にはホリーズ、ハーマンズ・ハーミッツ、フレディ&ザ・ドリーマーズらを輩出。70年代パンク・ムーヴメント以降もジョイ・ディヴィジョン〜ニュー・オーダー、ザ・スミス、ザ・ストーン・ローゼズ、オアシスなど数多くのバンドを生み出した。(▲戻る)

(※15) イングランド、ウェスト・ミッドランド州の工業都市。(▲戻る)


profile

1951年ロンドン生まれ。
ロンドン大学日本語学科を卒業後、1974年に音楽出版社の著作権業務に就くため来日。
現在フリーのブロードキャスターとして活動、「CBSドキュメント」(TBSテレビ)、「ビギン・ジャパノロジー」(NHK総合テレビ)、「ウィークエンド・サンシャイン」(NHK-FM)、「バラカン・ビート」(OTONaMazuインターネットラジオ)などを担当。
著書に『魂(ソウル)のゆくえ』(アルテスパブリッシング)、『ロックの英詞を読む』(集英社インターナショナル)、『ぼくが愛するロック名盤240』(講談社+α文庫)などがある。

Peter Barakan ちょっといい話 1

僕らの世代は圧倒的に、チャック・ベリーの曲をビートルズの2枚目(『ウィズ・ザ・ビートルズ』)で「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」、ストーンズのデビュー曲「カモン」、そういう風にしてチャック・ベリーのことを知りましたね。リトル・リチャード(※7)にしても「ロング・トール・サリー」ですよね、ビートルズのカヴァーした。それがリトル・リチャードの初体験ですから。

ちょっといい話 2

イギリスでまだ「TAMLA MOTOWN」になる前、
「STATESIDE」というレーベルで出していた時代だね。

Peter Barakanちょっといい話 3

東京生まれの人が、山形のマニアの音楽シーンがあってもわざわざ山形まで出かけないですよね。大学生になってもロンドン大学だし、卒業した後日本に来ちゃったから。イギリス国内ではリヴァプール(※13)にも行ったこと無いし、マンチェスター(※14)にも行ったこと無いし、バーミンガム(※15)にも行ったこと無い。だからたぶん「東京生まれの日本人が大学卒業した後にロンドンに移住しちゃった」、みたいなひと。「ずっと東京で過ごしてたから青森行ったことが無い、仙台行ったことが無い、山形行ったことが無い、新潟も行ったことが無い」。行ってなくてもそんな不思議なことじゃない。それと同じなんですよ(笑)。