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ビートルズを語る! ピーター・バラカン氏 特別インタビュー 【前編】 2ページ目

2009年8月24日 (月)

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interview

Peter Barakan

--- その時の熱狂ぶりというのは憶えていますか?

もうあの曲はイギリスで1位になってたかな?「ラヴ・ミー・ドゥ」は爆発しなかった。少し話題になったけど、「プリーズ・プリーズ・ミー」はいきなり大ヒットだから。もうその頃には毎週のようにテレビやラジオに出てたと思う。「プリーズ・プリーズ・ミー」はアルバムも多分春ぐらいに出てるんですよね、63年の。だから全国ですごい話題ですよ。イギリスとヨーロッパはすでにもの凄い盛り上がりで、アメリカはそこから一年ぐらいかかりましたね。

--- アメリカでブレイクしたのは…

「抱きしめたい(アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド)」です。あれは、イギリスでは63年の12月ぐらいですか?64年に入ってすぐに大ヒットしたんですけど。たしか同じく64年の初め頃じゃないかな?アメリカでドカーンと売れたのは。

--- そして、エド・サリヴァン・ショー(※16)に出演と。

そうです。そのエド・サリヴァン・ショーの何がきっかけになったかというと、つい2、3日前に知った話なんですが。先日92歳で亡くなったウォルター・クロンカイト(※17)が62年頃にCBSのニュースキャスターになったんですね。それで当時イギリスで大きな話題になっていたビートルマニア(※18)を紹介する特集が撮影されていて、編集も終わり、もう「今晩やる」っていう予定が63年11月22日だったんです。

それがケネディ大統領が暗殺された日で、その日のメニューが全部飛んじゃったんですよ。それでビートルズの特集も飛んじゃったんだけど、クロンカイトは「これはもったいない」って思ってね。1ヶ月後だったかな、63年の終わり頃だったと思いますが、ニュースに入れて放送したんですね。そうしたら、その放送をエド・サリヴァンが見ていて、終わった後にクロンカイトに電話して「今ニュースに出てたイギリスのバンドは、何て言うんだ!?」って言って。(笑)

--- へぇ〜。

「彼らはビートルズだ」って言うと、「これは是非出さなきゃ!」って。その直後にビートルズはアメリカに来てエド・サリヴァンに出た、と。なるほど、こういうこともあったんだなって思って。

--- 「アメリカ上陸」というのはポップス史において重要なターニングポイントと言えそうですよね?

当時のアメリカではイギリスのレコードが売れない時代ですからね、基本的に。ただ、例外的に時々あるんですけどね。子供だったジョンとポールにギターをやるきっかけを与えたのがロニー・ドネガン(※19)の「ロック・アイランド・ライン」という曲なんですね。その曲が非常に珍しいことにアメリカでも大ヒットしたんです。

あと、ビートルズの少し前にイギリスで大ヒット、ブームになっていたいわゆる「トラッド・ジャズ(※20)」。そのバンド・リーダーの一人、アカ・ビルク(※21)の「ストレインジャ・オン・ザ・ショア」という曲がアメリカでもヒットしました。でもね、イギリスのものでアメリカでヒットするっていうのは片手の指で挙げられる、しかもまだ余裕があるぐらいの感じだったと思うんですよ。だからビートルズがあそこまでアメリカを制覇するってことはきわめて異例のことですね。(ちょっといい話 4)

--- アメリカで特に受け皿に変化があった、という感じではないのでしょうか?

むしろ、ビートルズが変化させたということでしょう。世界的に話題が大きくなった、ということが一つ、アメリカの大手のメディアが動いた。そして、やっぱり一番がエド・サリヴァンです。全国放送で、しかもエド・サリヴァン・ショーって何から何までやるバラエティ番組だからみんなお茶の間で確実に毎週見ている、一番の高視聴率番組だったわけだから。

あれで取り上げたからブレイクしたようなものだと思います。多くの若者が見たという点で。ロックンロールのような危険な匂いがするスリル、ああいうものを一度若者たちが忘れた・・・というかちょっと穴が空いたその時に、スリルをもう一度味わわせたのがビートルズだったんだと思いますよ。(ちょっといい話 5)

--- 特に初期の2枚(『プリーズ・プリーズ・ミー』『ウィズ・ザ・ビートルズ』)には、リズム&ブルースやブルーズの黒人音楽のカヴァーが多いというのも顕著ですよね。黒人音楽にローリング・ストーンズ(※26)がアプローチする仕方と、ビートルズがアプローチする仕方には違いがありましたか?

全然違いますね。ビートルズはもちろんロックンロールがベースになっているグループなんですけど、ポップな作り方を目指してますし、初期のロックンロールとかもちろんチャック・ベリーのようなものもあるんですけど、ガール・グループの曲もやってるし、随分ポップなフィルターもかかっていると思うんですね。本人たちの意識の中でも。ストーンズは完全にマニアックなブルーズ・バンド。基本的にはね。

--- ストーンズに関しては、「アレクシス・コーナー(※27)直伝の」という感じでしょうか?

アレクシス・コーナーもありますね。ミックとキースはアレクシスに出会う前から聴き始めてると思うんですけど、当時のイギリスではブルーズをやってる人はほんとに少なかったですからね。それでロンドンの端のイーリングという割と辺鄙なところで、彼がブルーズ・クラブを始めたんですね。そこで週に1回、毎日ではないと思いますが、ライブをやってて。たくさんのブルーズ好きがみんなそこに集まってくるわけですよ。

で、チャーリー・ウォッツがいたり、ミックとブライアンがいたり。おそらくキースもいたんでしょうね。まだローリング・ストーンズになってないんですよ、あの頃ね。それでアレクシスの影響で結局ローリング・ストーンズを組むことになると思うんですね。みんな、あそこに毎週集まってるうちに。とにかく、もの凄いマニアなんですよ。あれだけのブラック・ミュージックを知ってるっていうだけでもね、あり得ない。普通だったら。(ちょっといい話 6)(ちょっといい話 7)

--- すいません、ストーンズの話になってしまって(笑)・・・

でも同じ時代ですからね。重要なことだと思いますよ。

--- 『フォー・セール』の数曲に関しては、ボブ・ディラン(※28)の影響下にあるような印象も受けるのですが。

ビートルズとディランが64年に出会っていますから。ディランもビートルズの影響をメロディとか、エレクトリック・ギターを使う辺りで受けてるし、ビートルズに限らずね、あの時代の人たちでディランの影響を受けていない人はいないと思います。ビートルズも当然歌詞の感じが少しずつ変わってきますけどね。でも、みんなそうなんですよ。

--- 当時は、どのミュージシャンもお互いに共鳴し合っていた感じなんですね。

それはとても大きかったと思います。64年ぐらいになるとビートルズがアメリカで売れ出したことでイギリスのビートブームにも勢いが更についたと思いますね。それまでももちろん63年の間にストーンズもデビューするし…、でもまだ少なかったんですよ、63年は。ホリーズ(※29)なんかはデビューしてたかな。ジェリー&ザ・ペースメーカーズ(※30)も出てたし、ビリー・J・クレイマー(※31)も出てた。でもね、64年になると一段と色んなビート・グループ(※32)が出てくるんですね。シーンの勢いはかなり変わってきます。

--- それはビートルズがデビューして、というのが発火点になったのでしょうか?

もちろんそうですよ。ビートルズがあれだけ爆発したからレコード会社としても他のグループも出そう、っていう風になるんですね。それまでは自作自演のグループを抱えるなんてありえないですから。ビートルズはそういう意味で誰の影響が一番強いかって言えばバディ・ホリーですね。彼は自分でもクリケッツ(※33)というグループを持ってて、曲は全部自分でメンバーと一緒に作ってるんですよね。彼もアメリカでは割と珍しいパターンだったかもしれない。(ちょっといい話 8)



続きは9/9アップの後編にて!


注釈
(※16) (The Ed Sullivan Show / 1948年6月〜1971年6月、毎週日曜日:現地時間午後8時放映)エド・サリヴァン(1902年9月28日〜1974年10月13日)がホスト役を務める米CBS放映の人気バラエティー番組。ビートルズは1964年2月9日から3週間連続で出演。その登場一回目は72%という高視聴率だった。(▲戻る)

(※17) (Walter Cronkite / 1916年11月4日〜 2009年7月17日)1962年から1981年にかけてアメリカ3大テレビネットワークの一つとなるCBSの看板ニュース番組『CBS Evening News』のアンカーマンを務め、人気を博した。(▲戻る)

(※18) 一般にティーンエイジャー女子ファンからのビートルズへの熱狂、またはそのファン自体を示す言葉。1964年、ビートルズの「アメリカ上陸」近辺がその現象のピークだったといえる。(▲戻る)

(※19) (Lonnie Donegan / 1931年4月29日〜2002年11月3日)50年代にイギリスで大流行したスキッフル・ブームの第一人者。1955年発表の「ロック・アイランド・ライン」が大ヒットを記録。ビートルズをはじめ後続に大きな影響を与えた。(▲戻る)

(※20) 20世紀初頭にアメリカで生まれたニューオリンズ・ジャズや、ディキシーランド・ジャズのことをトラディショナル(伝統的な)の略を冠してそう呼ぶことがある。あるいは1940年代後半にイギリスで起こったそれらのリヴァイヴァル現象を指す。(▲戻る)

(※21) (Acker Bilk / 1929年1月28日〜)イギリス・サマーセット州生まれのクラリネット奏者・バンドマスター。1958年にパラマウント・ジャズ・バンドを結成、ニューオリンズ・スタイルのトラッド・ジャズ・ブームにのって人気を博した。1961年に「Stranger on the Shore(邦題:白い渚のブルース)」が全英、全米で大ヒット。(▲戻る)

(※22) (Paul Anka, 1941年7月30日〜)カナダ出身のポップス系シンガー・ソングライター。1957年に自作曲「ダイアナ」でデビュー。同曲で全米1位を獲得したほか、「You Are My Destiny(邦題:君は我が運命)」、「Lonely Boy」などをヒットさせた。(▲戻る)

(※23) (Neil Sedaka, 1939年5月13日〜)アメリカNY州出身のポップス系シンガー・ソングライター。1958年、コニー・フランシスが歌った「Stupid Cupid(邦題:間抜けなキューピッド)」の楽曲提供で注目を集め、その後「Oh! Carol」、「Calendar Girl」、「Happy Birthday Sweet Sixteen(すてきな16才)」などをヒットさせる。(▲戻る)

(※24) (Connie Francis / 1938年12月12日〜)60年代初頭を代表するアメリカン・ポップスの歌姫。代表曲に「Who's Sorry Now? 」、「Vacation」、「Where The Boys Are(邦題:ボーイハント)」、「Lipstick On Your Collar(カラーに口紅)」など。「Pretty Little Baby(可愛いベイビー)」など日本独自のヒット曲もある。(▲戻る)

(※25) (Fabian / 1943年2月6日〜)ディック・クラーク司会のTV番組「アメリカン・バンドスタンド)」出演などで人気を博した男性アイドルR&Rシンガー。1959年「Tiger(邦題:タイガー・ロック)などがヒット。(▲戻る)

(※26) (The Rolling Stones)説明不要か?1963年シングル「カム・オン」でデビュー、以降現在まで活動を続けるイギリス・ロンドン出身の大物ロック・バンド。60年代当時、ビートルズとライバル関係(?)にあった。(▲戻る)

(※27) (Alexis Korner / 1928年4月19日〜1984年1月1日)1960年前後にブルース・インコーポレイテッドを結成。出入りの激しいグループは、のちにローリング・ストーンズやクリームを結成することになるアーティスト達を受け入れるなどして、多くのミュージシャンを育てていくことになる。その功績から、「ブリティッシュ・ブルースの父」とも呼ばれる。(▲戻る)

(※28) (Bob Dylan / 1941年5月24日〜)説明不要?アメリカを代表する偉大なシンガーソングライター。1962年デビュー以来、多大なる影響を各国の人々、各世代の人々に与えてきた。もちろんビートルズにも。(▲戻る)

(※29) (The Hollies)1963年デビュー。アラン・クラークとグレアム・ナッシュによる独特のハーモニーで人気を博したマンチェスター出身のグループ。グレアム・グールドマン作曲の「バス・ストップ」などがヒットした。(▲戻る)

(※30) (Gerry & The Pacemakers)ジェリーとフレディのマーズデン兄弟を中心としたリヴァプール出身のグループ。「How Do You Do It(邦題:恋のテクニック)」、「Ferry Cross The Mersey(マージー河のフェリー・ボート)」などがヒット。(▲戻る)

(※31) (Billy J. Kramer & The Dakotas)ビリー・J・クレイマーとそのバックバンド、ダコタスは、1963年頃、「Bad To Me」 、「I'll Keep You Satisfied」、「From a Window」などレノン=マッカートニー楽曲の提供を受け人気を博したグループ。(▲戻る)

(※32) 60年代、ビートルズ成功後、イギリス各地に出現したグループ群の総称。日本では「リバプール・サウンド/マージー・ビート」という呼称が広く使われたため、マージー河の河口にある港町リバプール出身以外のビートグループも「マージー・ビート」と呼ぶことが多かった。(▲戻る)

(※33) (The Crickets)バディ・ホリーの項参照。昆虫の名前、クリケッツ(コオロギ)をグループ名にするというアイディアはビートルズ(カブト虫)に影響を与えたと言う説もある(当初バディ・ホリーらのバンド名の案としてBeetlesというのが挙がっていたというエピソードもあるらしい)。(▲戻る)

profile

1951年ロンドン生まれ。
ロンドン大学日本語学科を卒業後、1974年に音楽出版社の著作権業務に就くため来日。
現在フリーのブロードキャスターとして活動、「CBSドキュメント」(TBSテレビ)、「ビギン・ジャパノロジー」(NHK総合テレビ)、「ウィークエンド・サンシャイン」(NHK-FM)、「バラカン・ビート」(OTONaMazuインターネットラジオ)などを担当。
著書に『魂(ソウル)のゆくえ』(アルテスパブリッシング)、『ロックの英詞を読む』(集英社インターナショナル)、『ぼくが愛するロック名盤240』(講談社+α文庫)などがある。

Peter Barakanちょっといい話 4

ロニー・ドネガンの「ロック・アイランド・ライン」 あれは56年に大ヒットしたの。イギリスで爆発的にヒットしてね。ロカビリーというかあれはイギリスで言うスキッフル。スキッフル・ブームが一夜にして巻き起こり、国中の若者がギターを手に取るようになったんです。

ちょっといい話 5

当時のアメリカで、50年代のロックンロールが下火になった後、エルヴィスが軍隊に入って、チャック・ベリーが刑務所に入って、リトル・リチャードが牧師になって、バディ・ホリーが死んじゃって、エディ・コクランも死んじゃって、初期のロックンロールのヒーローたちが誰もいなくなった。それでポール・アンカ(※22)やニール・セダカ(※23)やコニー・フランシス(※24)やフェイビアン(※25)や、ああいうアイドル的なこぎれいな感じのポップアイドルばかりの天下に一度なったんですね。

ちょっといい話 6

イーリングという街について ロンドンの地下鉄が、東京みたいに線がいっぱいあるんですけど、セントラル・ラインという、丸ノ内線みたいなやつで荻窪に行くようなものです。荻窪にあたる、セントラル・ラインの一番西の端まで行ったところなんですけど、普通だったら行かないんですよ。僕、いまだにイーリングには行ったことがない。

Peter Barakanちょっといい話 7

アレクシス・コーナーについて 歌も上手くない、楽器も上手くない、ミュージシャンとしての評価は多分それほど無いと思うんですね。でも、彼がいなければイギリスのブルーズ・シーンは存在しなかった、といっても過言ではないと思う。性格の良さ、それと自分の知ってることを人に伝えたい、という熱意。これは凄かったみたいですね。自分がそんなに出しゃばるタイプの人じゃなくて、とにかくブルーズの素晴らしさを聴いてくれる人に誰にでも伝えたいという気持ちを持っていてたようです。

ちょっといい話 8

1人の歌手以外のアーティストと言えば、当時のイギリスでビートルズ以前で言えば、シャドウズぐらいなもんじゃないですか。それもクリフ・リチャードのバックバンドでしょ。彼らのインストのヒット曲は沢山あるんだけど、それもほとんどが誰かが作曲しているものを彼らが演奏してるだけだから。