「96年には俺にとってのベスト・アルバムがリリースされた。2 PACの『All Eyez On Me』さ。このアルバムは今でも俺にとってのマスターピースだし、2 PACはマジで最高のラッパーだと思うよ。」
--- まずは日本のファンに自己紹介をお願いします。
ARDUZ(以下A) HHHEEEY WASSUP WASSUP WASSUP MY HOMIES!俺はARDUZ、ファットなG-ファンク・ビーツにヤバいライムを乗せるイタリアのMCだぜ!
--- イタリアのどんなところに住んでるんですか?
A オレのホームタウンはロヴィーゴ(ROVIGO)っていうイタリアの北東部の街さ。ヴェニスやヴェローナ、ヴィチェンツァ(VICENZA)辺りの大都市の近くだね。ガキの頃から俺はロヴィーゴをレペゼンしてるんだ。R-Oシティ(ロヴィーゴ)の連中に俺のことを聞いてみてくれ、みんなそう思ってるはずさ!
--- ヒップホップに出会ったキッカケや、その頃に好きだったアーティストについて教えて下さい。
A オレがヒップホップに興味を持ったのは1991〜92年くらい、11歳の頃のことだね。オレが初めて買ったCDはRUN DMCの『Down With The King』なんだけど、マジでハンパなかったね!それからPUBLIC ENEMYやKRS ONEのようなイーストコーストのオールドスクール・ヒップホップだったり、N.W.A.やSOUTH CENTRAL CARTELのような初期のギャングスタ・ラップを掘り下げ始めたんだ。
93-94年頃にはDEATH ROWやWARREN G、SPICE 1、TOO SHORTのようなウエストコーストのサウンドを聴き始め、そして96年には俺にとってのベスト・アルバムがリリースされた。2 PACの『All Eyez On Me』さ。このアルバムは今でも俺にとってのマスターピースだし、2 PACはマジで最高のラッパーだと思うよ。
俺は彼の全てのアルバムやシングル、ブートレグなんかを手に入れ、彼について書かれている書籍も手に入れた。2 PACは、ヒップホップにおいて最初に俺へ影響を与えてくれた人物だと言えるよ。
あとはソウルやファンクも大好きだね、60年代後期から70年代、80年代のサウンド…BOBBY WOMACKやAL GREEN、MARVIN GAYE辺りからも影響を受けたし、MUSIQ SOULCHILDのようなネオ・ソウルと呼ばれるアーティストからも俺の音楽は影響を受けてるんだ。
--- あなたの名前のARDUZの由来を教えて下さい。
A
俺の本名はARDUINOっていうんだけど、小さい頃にママや姉貴たちがARDUZって呼んでたんだ。ARDUZの方が短くて呼びやすいしね。だから変なトコから付けた名前じゃないぜ。
--- UNDERWORLD 805からデビューしたキッカケを教えて下さい。
A 2005年にデモを送ったんだけど、それをCEOが気に入ってくれたんだ。CEOのトーマスは父親みたいな存在さ。彼は俺やイタリアのルーツやカルチャーをチカーノ・ラップのシーンに紹介してくれたし、ビジネスのことやメンタルのこと、パーソナルなことまで色んなことの相談に乗ってくれたんだ。どのようにこのラフなヒップホップ・ゲームをサヴァイヴすべきかってことを教えてくれたし、BIGG HOMIEのトーマスにはすごく感謝してるね。
--- それではCONTINUORILASSOについて教えてもらえますか。
A CONTINUORILASSOは俺のグループで、他のメンバーに会う以前のデモにCONTINUORILASSOって名前を俺が付けていたし、俺のライフスタイルだったから「CONTINUORILASSO FOR LIFE」って胸にタトゥーを入れていたんだ。05年か06年頃にUNDERWORLD 805からのCONTINUORILASSOとしての唯一のアルバム『No Hablar Con Extranos』をリリースしたんだけど、CONTINUORILASSOとしては01年にもう2枚のアルバムと04年に1枚のアルバムを作ってるんだ。
--- そしてあなたのソロ・アルバム『Son Italiano』がリリースされるんですよね。
A 『Son Italiano』は俺の最初のソロ・アルバムだ。カリフォルニアでこの中の幾つかの曲をレコーディングし、幾つかはイタリアの俺のスタジオで録った。このアルバムはかなりラフな内容になっていて、オレは大好きなんだ。今聴きなおしてみて思うんだけど、またこんなアルバムが作れるかどうか解からないね。
--- それではなぜUNDERWORLD 805を離れたのですか?
A ビジネスはビジネスさ、誰もビジネスに専念させてくれなかったからね。
--- UNDERWORLD 805時代のことをどう思いますか?
A 俺の心に残ってるUNDERWORLD 805との日々は、まるで夢のような生活だったし、夢がかなってるみたいだったね。805のHOMIEたちとカリフォルニアで過ごした日々は色んなコトがありすぎて、全てを語ることは出来ないよ・・・俺はトーマスから多くを学んだってコトさ!彼はマジでマフィアのドンみたいなもんだね!ビッグアップ、UNDERWORLD 805!
--- それでは新作『Ride Till I Die』について聞かせてください。まずはアルバムのタイトルに込めた意味を教えてもらえますか。
A タイトルにはオレが今、心に誓ってる思いを込めたんだ。人生や愛、野心、政治、マフィア、ヘイター、パーティ・・・そして多くはビジネスに関してのコトだね。毎朝目覚めて考えなきゃいけないコト・・・金のコトや女のコト、子供のコト、家庭のコトとか色々あるだろ。『Ride Till I Die』ってのは心の状態のコトなんだ。たぶん俺が今までに作ったアルバムの中で最もアダルトな作品だと思うよ。
--- アルバムの中で特にプッシュしたい曲はありますか?
A どの曲も好きなんだよな・・・「Ride Till I Die」がフェイヴァリットかな。この曲では生活の中でのラフでハードな出来事を語ってるんだ。「Summertime」も夏向けのボムって感じで大好きだね!「U Better Ask Somebody」も好きな曲だね、オレのケツばっか追っかけてるヘイターが居るってのは知ってるだろ?ヤツらのことをラップしてんだ!「It Ain't Eazy」はヒップホップ・ゲームの中で生き残るのがどれだけハードかってコトをラップしてる。そんな感じでアルバムのどの曲も俺は好きだね(笑)。
--- 今作はどのように制作を進めたんでしょうか。
A プロデューサーがトラックをくれて俺がスタジオで曲を完成させる。俺はリリックを書くのがマジで早いんだぜ、連中に聞いてみろよ(笑)。大体50曲ぐらいを今作用に作って、そこからベストなものを選んだのさ。
--- 今作にはDJ AKが参加していますが、フランスのシーンとは近い関係なんでしょうか?
A フランスのシーンとは特に近いってワケじゃないんだけど、何人かのアーティストは知っているよ。友達が居ないってワケじゃないぜ。でも、たぶんDJ AKはミスをやらかしちまってんだ・・・ヤツはリスペクトが足りないね。なぜかはヤツ自身が知ってることさ。まぁとにかく俺は日本の全てのファンに言いたいんだ、オレは人のスタイルをパクるヤツは好きじゃない、ってね。だからオレはオリジナルなスタイルで在り続けてるのさ。
--- CALIFORNIA FUNK MUSICについて教えてもらえますか?
A CALIFORNIA FUNK MUSICってのは俺とLA MONPHEのレーベルさ。俺らはギャングスタじゃないけどG・ファンクやファンク、ソウル、R&Bが大好きで、単なるG・ファンクじゃないサウンドを自分らでやり始めたんだ。似てるけど俺ら独自のサウンドさ。
--- イタリアのヒップホップ・シーンはどのような感じですか?
A イタリアのシーンはマジで小さいし、殆どが俺の好きなモンじゃないね。
--- 今後のプランがあったら教えて下さい。
A 幾つかあるぜ。まずは俺の作品の中からベストな曲を選んだベスト盤のリリースを考えている。そして2010年くらいには新作を出そうと思ってレコーディングを既に開始してるんだ。たぶんタイトルは『Musical Mafia』になると思うよ。
--- 最後に何かメッセージをお願いします。
A 全ての日本のHOMIEたちに贈りたいのは、STAY TRUE AND LET LOVE DRIVES YOUR LYRICS!ってこと!CFGのクルーや世界中のHOMIEたちに感謝してるぜ!