―― 出身はLAですか?
Carlos Nino: そう、僕はもともとロサンジェルス出身で、バックグラウンドがコロンビア系なんだ。サンタモニカ生まれだよ
―― 音楽に興味を持つようになるのに何か特別な過程があったのでしょうか?
Carlos Nino: 自然に惹かれたんだよ。別に音楽を勉強したわけじゃない。幼い頃から、僕は人生に使命感を感じていた。僕が音楽でやっている全ての仕事で、その使命を果たすことができた。ラジオの仕事はもう12年間やっている。16歳の頃からボランティアとしてラジオに関わって、同じ頃からパーティーも開いている。様々なアーティストが出演するイベントをやってきたよ。まずは、音楽ファンという立場からスタートしたんだ。最初はヒップホップやサンプリングの世界から始まったんだ。
―― 以前はインターネット・ラジオ、ダブラブのメンバーとして活動し、今はKPFKでラジオ番組をやっていますが、そもそもラジオに興味を持ったのはなぜですか?
Carlos Nino: ラジオは僕にとってすごく大事だし、とてもシリアスに取り組んでいる。人々と音楽を分かち合って、リスナーが聴いたことのない音楽を聴かせるチャンスだし、僕にとっても音楽を聴くチャンスになるんだ。僕が最初にインスピレーションを受けたDJは、ロブ・ワン。彼はもう亡くなってしまったけど、Fly ID Showという素晴らしい番組をやっていた。マイケル・ミクソン・ムーアも死んでしまったけど、彼はKCRWでMilitant Mastermixという素晴らしい番組をやっていた。90年代初期の番組だったけど、彼はよく知られているラディカルなミックスとコラージュDJだった。マーク・ナードーンは今でもラジオで活躍しているけど、彼も好きだよ
―― 独学のあなたがどうやってジャズ・ミュージシャンのプロデューサーになったのでしょうか?
Carlos Nino: ビジョンをもっていて、勇気をもっていれば、物事を形にできる。いいものは、何でもそうやって実現するんだ。目的を果たすためにやらなければいけないことは、何でもやるようになる。やりながら学ぶし、周りの人からも学ぶんだ。アモン・コンタクトの名前はもう使わないことを決めたんだけど、あのプロジェクトのパートナーだったファビエンとは今でも制作は続けている。アモン・コンタクトとしては5年間活動して、最後にリリースしたのは『With Voices』だった。ほぼ全曲にボーカリストをフィーチャーして、あのプロジェクトにとっていいエンディングになったと思う。今は、ビルド・アン・アーク、ライフ・フォース・トリオに集中しているし、ミゲル・アットウッド・ファーガソンとも密接に活動している。そして、アルファ・パップから親しい友人のギャビー・ヘルナンデスとのコラボレーション作品もリリースする。彼女はビルド・アン・アークとその他のプロジェクトにも参加しているよ。
―― 『フィル・ザ・ハート・シェイプド・カップ』のコンセプトを教えてください。
Carlos Nino: このアルバムのコンセプトは、“自分の心を象徴するハート型のコップに、ポジティブな変化をもたらす感情を注いで、溢れるようにしたい”ということなんだ。そして、アルバムのジャケットに掲載されている僕の詩は全て愛をテーマにしている。詩は昔から書いていたんだけど、この1〜2年よく書くようになったね。
―― 共演のミゲル・アットウッド・ファーガソンを紹介していただけますか?
Carlos Nino: クラシックの教育を受けたセッション・ミュージシャンで、あらゆるタイプの音楽をやっている。実は、『フィル・ザ・ハート・シェイプド・カップ』に参加した後に、ドクター・ドレに拾われて、彼のストリングス・アレンジャーに選ばれたんだ。ミゲルはまだ27歳だけど、最も素晴らしい楽器奏者で作曲家だよ。彼とは10くらいのプロジェクトを一緒に進めているんだ
―― ダディ・ケヴと彼のレーベル、アルファ・パップとはどうやって繋がったのでしょうか?
Carlos Nino: 僕が15歳のときに、Urbマガジンに手紙を書いてそれが雑誌にも掲載されたんだ。高校を卒業する前から、雑誌で記事を書いていてね。LA WeeklyやRap Pagesで書いていた。当時のRap PagesではB+がフォト・エディター、ブレント・ローリンズがアート・ディレクター、ego tripのゲイブリエル・アルヴァレズが編集者、今はVibeのシーナ・レスターが編集者だった。当時のRap Pagesのチームは本当に最高だったし、雑誌で働くのに最高の時代だった。ケヴもUrbで働いていたから、当時はその繋がりで会ったんだ。そんなに深い関係ではなかったけど、デイデラスや他の仲間から、いつもアルファ・パップの話を訊いていて、当初自主で出そうと思っていた『フィル・ザ・ハート・シェイプド・カップ』のリリースを、ケヴに持ちかけたんだ。
―― ケヴたちがやっているパーティ、ロウ・エンド・セオリーをどう思いますか?
Carlos Nino: LAは、MCの世界的な中心なんだ。フリースタイル、ギャングスタ・ラップなど、あらゆるタイプのクリエイティヴなラッパーがいる。マイカ・ナインからイージー・Eまで、幅広いラッパーがいた。昔から、誰もがMCになりたがった。90年代中頃から、ヒップホップの商業化に対抗して、バックパッカー・ヒップホップが台頭して、インディ・レーベルが増えた。でも、昔はデフ・ジャムなどの初期のヒップホップ・レーベルはどこもインディーだった。のちに、モ・ワックス、ニンジャ・チューン、デフ・ジャックスなどのインディ・ムーヴメントがあった。こういった歴史的背景があり、90年代半ばにDJシャドウが『Endtroducing』をリリースしたのは、ヒップホップにおける最も重要な現象の一つだよ。なぜ今多くの人がビートを作っていて、なぜインスト・ヒップホップが普及しているのかを理解する上で、これは不可欠な現象だよ。『Endtroducing』はDJが作ったアルバムなわけだったけど、彼はサンプルだけでアルバムを作り上げた。それは重要な作品だったし、あのアルバム以降の音楽の歴史では、MCの重要性が減ってきた。インストのトラックを作ることが普及し、そこからロウ・エンド・セオリーの流れが生まれたんだ。ダディ・ケヴがその進化を見てきた。ロウ・エンド・セオリーはいわば、ビートメイカーたちのフリースタイル・セッションなんだ。ビートメイカーたちは、わざわざロウ・エンド・セオリーでリスナーにビートを聴かせるために、ビートを作ってきているんだ。昔からLAにこういうイベントはあったけど、ロウ・エンド・セオリーはこういう表現にとって不変のイベントになるだろうね。
―― ありがとうございました!