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2006年12月1日 (金)
特別寄稿 許光俊の言いたい放題 第19回『ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番』
私は普段オーケストラ音楽を聴いていることが多いが、ピアノも好きである。特にメランコリーが深い秋はピアノの季節だ。
11月に行ったアファナシエフのリサイタルはとてもよかった。ベートーヴェンの最後のソナタを3つ弾いた日も、リストばかりを弾いた日も(こちらは半分しか聴いていないが)。この人は、こんなに「ピアニスト」だったのかと変に感心した。ベートーヴェンの第32番のソナタでは高音がキラキラと光って、目の前に天上界が開けた。その形容しがたい美しさは、かつて三軒茶屋で聴いたホロヴィッツの音色を思い出させた。あのリストも聴いたことがないような音色で鳴っていた。
アファナシエフはここ数年、以前ほどテンションが高くなく、ピアノに興味を失っているようにすら見えていた。それだけに嬉しい誤算だった。今回のアファナシエフは、指揮者としてもシューベルト「未完成」、ブルックナー交響曲第9番と、最後の最後で天上に到達する曲ばかりを演奏した。ベートーヴェンの最後のソナタも正しく同一線上にある演奏だったのだ。
その追体験がしたくて、家にあるだけのCDを引っ張り出してみたが、みな物足りない。しょせん地上の音楽でしかないのだ。欲もあれば煩悩もある人間が弾く音楽でしかないのだ。ああ、またアファナシエフで聴きたいとウズウズしてたまらなかったところ、たまたま同曲を含むニコラーエワのCDが出た。1987年、ザルツブルクでのライヴである。
これがなかなかいい。もう老人になってからの演奏だから、若手みたいにパリっとしてはいない。しかし、ゆっくりした部分は、老演奏家ならではのしみじみ感が堪能できる。最初に置かれたバッハの「リチェルカーレ」からして、実にきれいに歌う。大げさなものは何もないが、清水が喉にしみこむように清々しい。弱音には吸い込まれそうだ。
「フランス組曲」第4番の頭の曲は、雲のように柔らかい響きのくせに、色彩が濃い。ロマンティックに歌いつつ、優しい気品がある。売れ線アーティストゆえHMVが気を悪くするので名を秘すが、人気ピアニストのAもBも(イニシャル)、てんで問題にならないくらい美しいバッハだ。
ベートーヴェン第32番ではやはりアリエッタ楽章が聴きもの。清潔と節制と抒情が好ましいバランスで溶け合っている。アンコールでは同じくベートーヴェンのソナタ第25番のアンダンテも弾いていて、溜め息ものの絶品。
それと、偶然ながら、やはりミケランジェリが第32番を弾いたライヴ盤も出た。1961年、ロンドンでの演奏だ。典型的なミケランジェリと言うとひとことで終わってしまうが、こちらも非常にいい。ニコラーエワが、音響として美しいにしても、結局は精神を問題にしているのと正反対で、ミケランジェリはあくまで感覚、つまり外見にこだわる。その明晰さは異常である。すべての音の運動がX線写真のように写っている。唖然としているうちに曲が終わってしまう。第2楽章の10分過ぎからの響きは信じがたい。いつもながらミケランジェリ以外では絶対に聴けない光のような音である。
スカルラッティもクレメンティも、これまたいつも通りに冷たい美を発散している。しかしショパンのソナタ第2番は、妙に暗い響きで開始され、ロマンティックな香りを放っている。意外だ。
私がピアノ演奏の批評をあまり書かない理由は簡単だ。ミケランジェリとかリヒテルとか、圧倒的な巨人が誰なのかが、はっきりしすぎるほどはっきりしているからだ。そして、彼らはすべての曲を自分流儀で弾くのである。指揮者のようにオーケストラによって、状況によって、音楽が大きく変わるということがあまりない。そういう点で語り甲斐がないのである。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学助教授)
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