ああ、南米

2021年05月17日 (月) 19:15 - HMV&BOOKS online - クラシック

連載 許光俊の言いたい放題 第289回


コロナのせいで、あんなに簡単だった旅行が不可能になった。近場のアジアだって難しいのだもの、ましてや南米など・・・。行っておけばよかったと思う。もっともそれを言うなら、国内の地方都市に行って飲み屋を深夜まではしごすることすら夢となってしまったわけだが。
ブラジルの作曲家、ヴィラ・ロボス(1887−1959)の交響曲全集を時間があるとき、くたびれているときに少しずつ聴いている。この作曲家、実はなんと交響曲を第12番まで書いているのだ。交響曲とは言っても、独自の論理を追い求めたようなシベリウスやショスタコーヴィチとは違う。
あたたかくなった季節に緩徐楽章を聴いていると気分がいい。安らげる。癒される。たとえば、交響曲第6番は1944年の作品。ヨーロッパでは戦争がいよいよ悲惨な時期に差し掛かっていた。が、そこから遠い南米では、そんなことは考えさせない音楽が書かれていた。陽気というわけではない。超然とした感じの、なんだかミステリアスな自然の響きのような音楽なのである。広い平原に漂う空気のような音楽、と言うと何だか類型的だが、実際そういう感じなのだ。メロディアスのようでいて、東欧の音楽のように情緒が濃いというわけではない。粘らない。不思議なバランスである。20世紀音楽だが、現代音楽っぽくない。適度にモダン。聴きやすい。
知る人ぞ知る実力派指揮者、イサク・カラブチェフスキ(え、もう70代後半か)がサン・パウロ交響楽団を指揮している。長い木管のソロなど、ヨーロッパのオーケストラだとそれらしく表情が付いてしまうだろう。だけど、たぶんこうやってあっさりやるのがオーセンティックな感覚なのだと推測される。ナクソスの録音は、ブラジルで録音しても音の抜けがよくて、透明感がある。だから、もたれない。仰々しくならない。かといって軽薄でも騒がしくもない。涼やかである。整理整頓された響きが耳にやさしい。

さて、そのヴィラ・ロボス、実は交響曲全集もよいのだけれど、一般的に驚けるのは、同じくナクソスから出ている合唱編曲集ではなかろうか。何しろ原曲は、バッハの「平均律」、メンデルスゾーン「無言歌」、シューマン「トロイメライ」、ショパンのワルツ、ラフマニノフの「鐘」、あげくベートーヴェンの「月光」・・・。
えええ、そんな曲に歌詞をつけてしまったのか? 収録されている曲目を見て、一瞬肝をつぶす。いったいどんな歌詞を?
いやいや、そんなことはありません。あー、おー、ららー、という案配ですから。遠き山に日が落ちたりはしない。意味が追加されたりはしないのだ。無伴奏合唱で聴くバッハのフーガなど、まことに美しいものである。「月光」はしみじみ。ラフマニノフのバス声部は笑ってしまうくらいおもしろい。昨今はヘンゲルブロックのバルタザール・ノイマンのような小編成で異常に精密な合唱団が存在する。それに比べると粗いのだけれど、この素朴さも味かもしれない。歌っている人は楽しそう。炭酸の効いたお酒といっしょにどうぞ。

さて、南米と言えば、今日すぐに名前が出てくるのは、ヴィラ・ロボス以上にピアソラではないか。すべてを追いきれないほどたくさんCDが出てくるピアソラだが、ナクソスのピアソラ集は、やはりこのレーベル独特の見通しのいい録音のせいもあって、楽しめる。バンドネオンはピアソラの生前を知る人だが、こういう音の録り方だと、あっさりしてくる。また、ナッシュヴィル交響楽団、失礼ながら、案外レベルが高い。
「シンフォニア・ブエノスアイレス」は珍しい。30歳のときの作品だが、第1楽章は妙にショスタコーヴィチみたいな音がする。そういう音楽を書きたいという気持ちがあったのだろう。バンドネオンも出てくるが、まじめというか、ほかの楽器と同じような扱いというか。ゆっくりした第2楽章は一転、ピアソラらしい夜の音楽の雰囲気だが、湿度は上がらない。これまたなんかプロコフィエフかショスタコみたいな。ピアソラですら、同時代の大作曲家からの影響は免れがたかったということか。
交響曲以外でも、バレエ音楽「ウイラプルー」というのも魅力的な作品だ。


だがそれ以上に驚きだったCDがクセーニャ・シドロワのピアソラ集。ヘンゲルブロックの新譜は最近ないのかなあと検索したらこれが出てきたので、細かいチェックもせずに注文したのである。手にして、あれれ。ヘンゲルブロックはおまけか。いかにもビジュアル系の、芸能ニュース的クラシック演奏には興味ゼロの私向きではなさそうなCD。どうせ・・・なんでしょ。
が、再生して驚いた。私はピアソラ作品については、基本的には自演のもの以外満足できないのだが、これはいい。すばらしくセンスがいい。きれがいい。それ以上に、音ひとつ伸ばしただけで納得させるすごい才能。音ひとつで、音楽がぴたりと決まる。バンドネオンが自由自在に歌っている。猫のしっぽみたいに柔軟。だけど、くっきり。高音域のまるでベルカントみたいな切なくエロティックな美しさには度肝を抜かれた。吸い込まれそうな弱音。野性味と洗練、両方がある。いちいち音符に書かれていない音楽が奏でられている。ピアソラはこうでなければいけない。鮮やか。ちょっとした音のニュアンスのすさまじき生々しさ。簡単にこっちの心臓をわしづかみ。もし私が高校生で、こんな音楽をやる先輩がいたら、激しく憧れます。恋します。崇拝します。奴隷になります。すてきすぎる。かっこよすぎる。
共演しているヴァイオリンのシトコヴェツキーも、ピアソラ自演盤のような甘みがある。小手先のテクニック、小手先の上手さでない、音楽らしい音楽。
ピアソラ作品ではないが、ロッフィの「ノクターン」が圧倒的な名演奏。宇宙的雄大。
「悪魔のロマンス」はすがりつくような切なさではなくて、もうちょっとさわやか。濃くても軽い。でも、本当にしみじみ。静か。旋律を支える和音のやさしさ。
昭和的、20世紀的でない新しさ。冷たいわけじゃないが、汗っぽさはない。ようやくというか、やっとというか、とうとうというか、そういうピアソラ演奏が聴けることに感慨。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

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