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「SACDと菅野沖彦」

Tuesday, January 29th 2013

連載 許光俊の言いたい放題 第216回

「SACDと菅野沖彦」

 もう何年になるだろう、激安CDセットが立て続けに発売され、かつて名盤と呼ばれたものやオペラの組物がまさに一山いくらといった感じで買える時代になった。世の中で言っているデフレどころではない。特に初心者や若い人にとってはありがたいことだろう。
 しかし、おもしろいもので、その値段に慣れてしまっても、あえて高めの値段を出して買いたくなるCDもあるのである。3000円で新譜1枚か、それとも激安10枚組か。普通に考えれば勝負にならないはずなのだが、それでも買いたくなる新譜は存在するのである。
 おまけに最近は、予想外にSACDの人気が高まっているようだ。いくら音質がよいとは言っても、これまた激安CDとの価格差は大きい。しかしながら、好きな演奏はよりよい音で聴きたくて、ついついSACDで買い直してしまうのである。
 そうした消費者の心理をくすぐるかのように、最近は材質を変えたりいろいろ工夫した高音質版が発売されている。特にEMIの国内版SACDの発売量は尋常ではない。バルビローリのマーラー交響曲第5番については昨年末に少し触れたが、いやはや第6番はさらに強烈だ。正直な話、この演奏がここまですさまじいとはまったく思っていなかった。オーケストラのまさに狂気のような鳴り方といい、音程が狂ったり不揃いでも突き進むド迫力といい、テンシュテットも驚くデモーニッシュかつ破壊的な演奏である。圧倒的なカタルシスをもたらす。バルビローリは、単に野蛮に燃えるだけの演奏家ではなかったのだ。安っぽい感情移入だけの人でもなかった。もっと大きなうねりがある。これはSACDになってはっきりわかった。この飽和に飽和を重ねる誇大妄想と陶酔の強度を伝えるためにはSACDの音質が必要だったのだ。論より証拠、1度聴けば度肝を抜かれるはずだ。
 マーラーの5番と6番にすっかり驚いて、シベリウスの第2番も聴いてみたが、これまた同様の路線である。シベリウスの演奏としてどうなのかという疑問はあるけれど、音楽としての説得力は強い。というわけで、2013年は私にとってはまったく意外にもバルビローリのミニ・ブームで始まったのである。
 ついでに言うと、テンシュテットのマーラー6番のほうもSACDになった。ホールでもこう鳴っていたのだろうと想像できるのが嬉しい。テンシュテットの指揮ぶりが見えるようだ。スタジオ録音ながら、演奏者たちがライヴさながらの白熱状態というか、一線を踏み越えた異様な精神状態にあったことがよくわかる。ここぞというときのエネルギーの濃縮感がCDとは桁違いなのだ。その一方で静謐な部分のニュアンスもはるかに多彩。だから、聴きはじめたら止められない。確かにこれを知ったら普通のCDには戻れない。この調子でテンシュテットもどんどんSACDにしてほしいものだ。
 一点だけ問題点を指摘するなら、SACDはもっと長時間収録ができるのではなかったか。マーラーの交響曲は、やはり1曲が1枚に入っているほうが快適である。

 ところで、かつては音質といえばデッカがすばらしく、EMIは地味というかキレがないというか明快さで劣るというのが衆目の一致するところだった。しかしながら、そんな簡単なものではないのである。EMIは会場で鳴る音響を自然に収録した録音で、細部をサービス精神豊かに強調したりしないから、一見地味なだけである。だから、SACD化でぐっと精彩を帯びる。
 それにしても不思議なものである。私たちが録音を聴くのは、音楽を聴くためだ。ところが、どういうわけか、音楽そのものとどう関わりがあるのか今ひとつ釈然としないが、演奏家がすぐそこで演奏してくれているように聞こえると妙な快感がある。
 年末に発売された「菅野沖彦レコーディング・コレクション」というセットは、その手の快感が好きな人にとっては猫にマタタビであろう。録音エンジニアというかプロデューサーというか、その名前がCDセットのタイトルになり、それどころかボックスに写真が大きく載るなど前代未聞だろうか。特殊な機械を使ったわけではないというのに、演奏者の呼吸が聞こえてくる、緊張が伝わってくるくらい、現実感があるのである。
 シュタルケルの1枚が演奏の点でも一番すばらしい。無伴奏の「パガニーニの主題による変奏曲」は、オーディオ関係の人が絶賛するのも当たり前で、まさにチェリストが目の前にいるようだ。そんな生々しさで緊張感に溢れた演奏が展開されるのだから、たまらない。ボーナスで入っているコダーイは、音質的には少し劣るが演奏のクオリティ自体はとても高い。
 パイプオルガンの1枚は、ホールが音で溢れている感じがいかにもそれっぽい。オルガンの大きな音はとてつもない。それはホールを、教会をいっぱいにし、場合によってはうるさすぎるという感じがするときだってある。そのオルガンならではの過剰な感じがよく伝わる。一般的にオルガンの録音は、その飽和感や歪みを嫌って、クリアに作りすぎる傾向があると思う。が、これはそうではない。虚心坦懐にホールで聴けば、オルガンとはこういうものだという感じがする。
 このように、チェロ、オルガンもよいが、全体にピアノの録音が特にナチュラルで見事だ。残酷な話だが、それゆえに演奏の質に不満が募ってしまう。
 もし現代のサントリーホールやオペラシティでの演奏がこのように録音されたらどのように聞こえるのだろう。菅野沖彦の後継者はいないのだろうか?

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)


評論家エッセイ情報
* Point ratios listed below are the case
for Bronze / Gold / Platinum Stage.  

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