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「パイタのワーグナー万歳」

Friday, December 9th 2011

連載 許光俊の言いたい放題 第199回

「パイタのワーグナー万歳」

 更新を怠っているうちに、もう年末になってしまった。これから数回に分けて、2011年に私が特に驚かされたり感心したりした製品について述べよう。

 これまでいろいろ音楽を聴いてきて、ガッカリさせられた経験ももちろんたくさんある。その最たる例のひとつはバイロイト音楽祭、いや、バイロイト祝祭歌劇場である。ワーグナーが好きな人なら誰でも一生に一度は行きたい聖地。だが私はかつてここを訪れたとき、その予想外の響きにガッカリし、もう二度とここには来なくていいとまで思ってしまったのだ。
 問題はかの有名な、洞窟のように深いオーケストラ・ピットである。確かに独特と言われる音響はその通りで、いいぐあいに溶け合った管弦楽の響きは独特の美しさを持つ。音量も抑えられ、なるほど、これなら歌手たちに殺人的なストレスをかけずにすむことは大いに納得がいった。しかし、洞穴の奥で演奏しているようなものだから、迫力には決定的に欠けるのだ。ワーグナーならではのオーケストラの雄大さがまったく感じられない。私は決してショルティの大ファンではないが、昔彼がここの音響に業を煮やして蓋を取っ払ってしまい、結果として大ひんしゅくをかったというのもよくわかる。この場合、私はショルティの肩を持つ。蓋なんかされてしまったら、オーケストラの表現力は半減だ。ショルティのシャープで瞬発力のある音楽にはここの音響は百害あって一利なしなのだ。
 こんな音響だから、私は、バイロイトではクナッパーツブッシュが別格的にすごかっただのという体験談を聞いても素直にうなずくことができない。どうせオーケストラの表現力の半分しか客席には届いていなかったはずだ。劇場としてのよしあし、音楽劇としての効果はまた別の話である。オーケストラが出している響きを正確に聴き取ることができないという点だけはどうにも否定できないはずだ。

 長くなるので、この話はここまでにしておくが、どうしてこんなことを思い出したかというと、最近カルロス・パイタのワーグナー集を聴いてこれぞワーグナー!と大満足したからだ。以前発売された盤の再編集ものなのだが、絶対無視したくない、というより溺愛リストに加えたい法外な演奏なのだ。
 アルゼンチン生まれの指揮者パイタを初めて聴いたのは、かれこれ二十年くらい前か。パイタは当時少なくとも日本ではまったくと言ってよいほど無名だった。以来、ずいぶんごぶさたしていたが、やはりこの人、狂気の指揮者だったのだ。久しぶりに彼の音楽を聴いて、まさに血湧き肉躍り、大興奮した。少なくとも私は、バイロイトで欲求不満になるよりも、これを家でガンガン鳴らしたほうが幸せになれる。
 きわめてゆったりした速度で開始される、大巨匠のような風格がある「ラインへの旅立ち」からして驚きだ。やがて濃密な弦楽器が重なり合って、雄大な風景が開ける。このあたりでたいがいの人が、「もしかしてクナッパーツブッシュよりすごいんじゃ?」と自分の耳を疑うこと間違いなし。そして、ヴァイオリンが歌う甘い愛情、勇ましい金管楽器に表れた気持の高ぶり。ジークフリートの勇姿を眼前に彷彿とさせる鮮烈さ、生々しさは何度聴いても消えない。
 「ジークフリートの葬送行進曲」では、冒頭からして克明をきわめるが、特に恐るべき超遅いテンポでふくれあがっていく様子が正真正銘ものすごい。これほどまでに陶酔的なワーグナー演奏は、戦前のフルトヴェングラー以来かもしれない。これこそワーグナーしか書けなかった、あまりにも危険な音楽なのである。もしあなたが強力なエンジンを備えた車を持っているのなら、ドライブ中にこれを聴いてはならない。私なら、周囲の車がみな虫けらのように感じられてしまい、アクセルを底までふみつける誘惑に抗えなくなるだろう。時速200キロ以上で飛ばす、何かあれば一瞬で死んでしまう、死に臨むスリルの世界。誇大妄想の幸福。自己破壊の誘惑。破壊的恍惚。この音楽以外のすべてが下らないことのように感じられてくるという強烈な薬物的効果。パイタの演奏ではこれが満喫できるのだ。これこそがルートヴィヒ2世やヒトラーを狂わせたワーグナー最強の毒なのである。まさに大ロマン主義の極致であり、こういう演奏でなくて、何がワーグナーかと思う。
 「神々の黄昏」の大詰めシーンでも、まったく同様の危険な音楽に浸ることができる。私が思うに、天上の城が燃え上がり、洪水が起こり、すべてを呑み込んでしまうというこれ以上に壮大な音楽は、いまだかつて書かれたことがない。ここでワーグナーが頭の中で描いた情景は、いかなる視覚の技術を用いても、とうていリアルに表現することはできない。ただ想像力の中に存在するのみだ。パイタはその桁外れに巨大スケールな音楽を力業で鳴らし切る。全曲ではなく、最後の数分間だけで圧倒的なカタルシスを実現するパイタの力業には畏怖すら覚える。まったく信じがたいことだが、これに比べると、テンシュテットがママゴトに聞こえてしまうのだ。
 このあたりまで聴き進めた人は、おそらく気づくだろう。演奏自体が破天荒なうえに、常識では考えられないことに、このCDでは、音量やバランスが人為的にコントロールされている。どう見てもピアニッシモのはずなのにフォルティッシモ化されていたりすることもしばしばなのだ。局所的に楽器がクローズアップされるシーンも見受けられる。確かに変ではある。真面目なクラシック・ファンなら、これだけでも論外だと拒否反応を示しててしまうであろう。だが、私は支持する。どうせ録音は人工的なものだ。いくらでもコントロールされているものだ。私ならつまらない事実ではなく、心理的な真実を選ぶ。このパイタ盤を許せないなら、カラヤンだってグールドだって、それどころかいかなる録音も聴いてはならないはずだ。ここが聴かせたい、こう聴かせたいと意志は非常に明確である。演奏家がこういうふうにコントロールしたいという気持は痛いほどわかる。だいいち家で、弱音が聞こえなかったらボリュームを上げ、うるさいと思ったら下げない人はいないだろうに。
 「トリスタン」前奏曲は演奏自体が極端に粘っこく、陶酔的だ。ボリューム変化も駆使されているのだが、これが不思議に効果的なのである。いわば、通常の遠近感が崩れ、非日常空間にはまりこんだかのような気持がしてくるのだ。「トリスタン」とは昼の秩序をウソだと断罪し、価値を転倒させ、夜を賛美する物語でもある。ならば、これはこれでよいではないか。この非日常的な酩酊感覚は一度味わう価値がある。
 「愛の死」の甘美きわまりない高揚、とりわけ終わり方には驚きと感嘆のうめき声が思わず漏れそう。もともとこの「トリスタン」の入っていたワーグナー・アルバムはかつてフランスでレコード賞を受賞しているそうである。フランスは、世界でもっとも早くワーグナー狂を生み出した国のひとつである。やはりパイタを聴いて、ただならぬ演奏に度肝を抜かれた人たちがいたのである。
 フィルハーモニック交響楽団なるオーケストラは、ロンドンの主たる楽団からメンバーを集めて録音用に編成したもののようだ。ゆえに技量的には問題ない。時々やや焦点が甘くなるし、常設楽団のような緊密さは望むべくもないが、「とりあえず満足できる」レベルよりずっと高い。このオーケストラの力量があってこそパイタの爆発的演奏が実現したことは間違いない。
 とにかくワーグナーの毒、ロマン主義の狂気をこれでもかと感じさせる演奏である。ワーグナー演奏には理性を吹っ飛ばすような異様な力が必要なのだが、それを感じさせる演奏は実際にはあまりにも少ない。パイタは例外中の例とも言うべき、予想を超えた大奇観なのである。ワーグナーのハイライト集として間違いなく五本の指に入る。もっともっと多くの人に聴かれるべきだ。
 この指揮者もすでに70歳を超えた。ああ、一度ナマで聴いてみたい。見るからに呪われた芸術家の異常な雰囲気を放射していたのではないか。
 なお、本来「神々の黄昏」は声入りで録音・発売されたが、今回は声が消えているというミステリアスな製品らしい。が、私はその過去の盤を持っていないので何とも言えない。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 


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* Point ratios listed below are the case
for Bronze / Gold / Platinum Stage.  

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Orchestral Works: Paita / Po, Netherlands Radio.po

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Orchestral Works: Paita / Po, Netherlands Radio.po

Wagner (1813-1883)

Price (tax incl.): ¥3,069
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Release Date:25/November/1994

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