『ハーレム 黒い天使たち』 完全復刻

2010年6月30日 (水)


ハーレム

 黒人スラム街にともに暮らし、黒人たちを撮り続けたフォトジャーナリスト吉田ルイ子――1960年代~1970年代初期の貧困・麻薬・売春・差別に象徴されるニューヨーク・ハーレムで、人間が人間であることを取り戻すことに目覚めた黒い肌の輝きを、女性の感覚とカメラを通してた眼で捉えた異色の写真集。初版は昭和49年に発売され現在では、入手困難(高価本)を極める吉田ルイ子の唯一の写真集が36年の月日を経て待望の完全復刻。現在活躍する多くのアーティストに影響を与えた彼女のエッセイ「ハーレムの熱い日々」(講談社)は、あまりにも名著。

 
 
ハーレム [黒い天使たち]
 
 ハーレム [黒い天使たち]
  Todoroki NLP Inc.   2010年7月10日発売予定
 1972年の名著『ハーレムの熱い日々』の翌々年に発売された吉田ルイ子唯一の写真集『ハーレム 黒い天使たち』の完全復刻版。1960年代〜70年代ニューヨークのハーレムで彼女は何を見て、何を感じたのか? 被写体を通して映し出される彼女自身の生様。     写真:吉田ルイ子/文:木島始

  版型:縦22.5cm × 横:25.3cm (112頁)

※ 初版のみビニール・カヴァー付き





 1960年代のアメリカ・ニューヨーク、ハーレム。黒人差別の撤廃を求める公民権運動、泥沼化するベトナム戦争に異を唱える反戦運動、各地で勃発する暴動・・・俯瞰して捉えることができる今でこそ、音楽やアートなどとの結び付きの中から多角的且つ歴史主義的にその激動期を捉え語えることはできても、その時代、まさにその渦中にいた人間にとっては、凡そ自らの考えもまとまらないまま肉体と精神を翻弄されてしまうのかと、愚かな固定観念の中でネガティヴな想像を張り巡らせてしまっていたのだが・・・  

 黒人居住区・ハーレム。そこには下町の風情にも似た、人肌温かく活気に満ちた生活があったという。ニューヨークのコロンビア大学大学院・放送ジャーナリズム科に入学した吉田ルイ子は、同じ大学院で学ぶアメリカ人青年と結婚し、大学そばにあるハーレムの公営アパートに住居を構えた。もともと、一切の偏見や先入観を持たずにハーレムに住みはじめた彼女は、すぐに隣近所にも溶け込んだ。ある日、たまたま隣に住む小さな女の子を何気なくカメラに収めたところ、その女の子と母親は大喜び。それまでカメラや写真に関する知識が皆無に近かった彼女が、この1枚をきっかけにして、カメラを片手に世界中を飛び回り、現場の躍動を写真の力で雄弁に語るフォトジャーナリストとしての道を歩むことになる。

 ニューヨークのハーレムにとどまらず、吉田ルイ子は、戦争終結間近のベトナム、まだアパルトヘイト下にあった南アフリカ、インド、パキスタン、さらには、ニカラグア、キューバ、ジャマイカといったカリブ海に浮かぶ国々に赴き、シャッターを切る。そこにはありのままの現実だけではなく、被写体を通した吉田自身の生き方が映し出される、彼女自らがそう答えている。あの日のハーレムでカメラに収めた女の子の瞳には、吉田の丸裸の心模様が映し出されていたのだろう。

 独善的な第三世界への擁護論がメディアを徘徊する。日進月歩の科学技術は、三人称を歓喜させるも、一人称のこころをひどく締め付けたりもする。 結果、高飛車にそれを「ハーレム」 「ゲットー」と呼ぶのは容易いが、自分自身をそこに対峙させるのは、本当に困難で勇気がいることかもしれない。それまでの人生で培ってきたものを総動員させないと、およそ立っていることすらできない畏怖の念に襲われてしまうだろう。吉田ルイ子がファインダー越しに覗いた世界には、希望と絶望、どこにでもある表裏一体の日常で、生きることに飢えた魂がうようよしている。高尚なアートでも学術論でもなく、そこにある世界と、そこにいる自分自身。彼女にとっての全ての幸福は、ここ「ハーレム」から始まったのだと思う。






       


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吉田ルイ子 プロフィール

吉田ルイ子

1938年、北海道室蘭市生まれ、慶応義塾大学法学部卒。
NHK国際局、朝日放送アナウンサー勤務後、1962年にフルブライド交換留学生として渡米。そこでユージン・スミスの写真に出会い、ハーレムの人々の写真を撮り始める。 1971年に帰国。1972年から沖縄、ベトナム、韓国、キューバ、ジャマイカ、イラン、リビア、南アフリカ等を取材しており、1989年にはJCJ(日本ジャーナリスト会議)特別賞を受賞した。 1997年、年齢を重ねて美しく輝く日本の女性を撮り始める。2003年には北海道東川町の第19回国際写真フェスティバルにおいて「華麗な女たち」で東川特別賞を受賞。 2004年、インド・ラダックを取材しているが、その他にも北米、南米、東南アジア、中東、アフリカ等の世界約70か国を巡り、人々の生活や感情に思いを寄せた視点で写真を撮り続けている。



7月上旬より、下記サイトにて「吉田ルイ子 フォトTシャツ」を取扱い予定!

Wax Poetics Japan オフィシャルサイト




ハーレムの熱い日々   南アフリカの新しい風   アパルトヘイトの子どもたち   小河修子・著 フォトジャーナリスト 吉田ルイ子   華齢な女たち




waxpoetics


Wax Poeticsはニューヨークにて企画・編集され、世界中で最も信頼される音楽誌(隔月発刊)。世界の名だたるアーティストや、日本で活躍している有名アーティストから絶賛されている本国版Wax Poeticsだが、昨年10月にようやくその日本版が発刊された。取り上げられる音楽はソウル、ジャズ、ファンク、ヒップホップ、レゲエ、ラテンなどのブラック・ミュージックを軸に展開され、本物思考のミュージック・ファンから絶大な信頼を得ている。昨今の多くの情報メディア(雑誌、WEB 、フリーペーパーなど)とは違い、何度も読み返さずにはいられない記録補完的な紙媒体であり、ゴミとして捨てられることのない、愛され続けるマガジンである。

Wax Poetics Japan オフィシャルサイト


  waxpoetics JAPAN No.10

これまで、有名無名に関わらず本物のブラック・ミュージックを“追求”し続け、世界中の真の音楽好きから最も信頼される音楽誌の日本版第10号。
仕様:B5変型 無線綴じ 定価:¥1,238(税抜)/¥1,300(税込)
表紙:Fela Kuti 

No.10 Fela Kuti :アフロビートの創始者であり、ナイジェリアの英雄であるフェラ・クティ。アメリカ本国へ渡ったフェラ・クティ本人が受けた衝撃や葛藤を事細かく物語の様に記載。マルコムXの影響や、どのようにアフリカ回帰をしたのか、この記事を読めばわかる。85年に出版された有名なフェラ・クティに関しての書籍「This Bitch of a Life」からの抜粋。

Style Wars :ヒップホップムービーの中でもトップに君臨しているスタイル・ウォーズ。フィルムメーカーであるヘンリーとトニー・シルヴァー、そしてグラフィティ界のレジェンドであるラメルジー、フロスティ・フリーズ、レディ・ピンク、DEZが集まり、インタビューを行った。

Tony Allen / 12×12: The Breaks / Incognito / ヴァイナル駅伝 / Rich Medina / Style Wars / Marcos Valle / Funk Archaeology / GURU / Saravah Soul / The 45 Adaptors / MUTE BEAT / Jeb Loy Nichols / 12inch Laboratory等

HMV渋谷がFlagship Shop に!

HMV SHIBUYA Flagsship Shop
前号に引き続き、『waxpoetics JAPAN』のNo.10発売に合わせ、waxpoetics JAPANのFlagship ShopがHMV渋谷にオープン!

『waxpoetics JAPAN』のバックナンバーはもちろんのこと、US版のバックナンバーやWax Poeticsのオリジナル・ポスター、Tシャツ、本、ヴァイナル等を取り扱っております。

また、店舗スタッフはオリジナルのFlagship Shop Tシャツを着用しております。バックプリントにはWax Poeticsファンにはお馴染みのUltimate Break & Beatsに収録されている曲名が記載されているので、気になる方はぜひともスタッフの背中をチェックしてみてください!
詳しくはお店にGo!! →  HMV渋谷店舗情報

  waxpoetics JAPAN No.10 Index

Fela Kuti
アフロビートの創始者であり、ナイジェリアの英雄であるフェラ・クティ。アメリカ本国へ渡ったフェラ・クティ本人が受けた衝撃や葛藤を事細かく記載。マルコムXの影響や、どのようにアフリカ回帰をしたのか。85年に出版された有名なフェラ・クティに関しての書籍「This Bitch of a Life」からの抜粋。「1963年にイギリスから帰国したあと、俺はナイジェリアのラジオ局NBCにプロデューサーとして就職した。ひどい仕事だった。でもその傍ら、俺はレコードに没頭し、アフリカの音楽を聴きまくったり、バンドを結成して活動していた」
Style Wars
1973年1月にニューヨークに移住したヘンリー・シャルファントは、もともと彫刻家として活動していた。彼はアップタウンにあるアパートからソーホーのグランド・ストリートにあるダウンタウンのスタジオまで通勤することが日課だった。電車で毎日、グラフィティが進化していく様子を目の当たりにし、次第にグラフィティの世界に夢中になった彼は、初歩的なタグが、ホール・カー、トップ・トゥ・ボトム、キャラクターといった作品へと変貌していく過程を目撃して魅了された。
Tony Allen
ロンドンに到着したトニー・アレンは「こんなところに来た記憶はないね」と言った。アレンが訪れた50年前のロンドンは散々増幅された現在のこの街とは全くの別世界だったろう。悲鳴を上げるこの街のスピードとスケール感。我々がここに来た目的を示すかのように「ビジネスのためだけの街さ」とアレンは語る。アフロビートをかじった程度の人には“フェラ・クティのドラマー” としてのみ知られる彼は、ラゴスのナイトクラブに響いた壮絶な音楽の作家であり大ベテランである。
Rich Medina
リッチ・メディーナは90年代前半から、アフリカ音楽の収集家だった。しかしその頃はこの音楽がなかなか受け入れてもらえなかったと、メディーナは思い出す。「クラブの客をドン引きさせてたね。(自分が)チャカ・カーン、ジョージ・ベンソン、アース・ウィンド&ファイアなんかをかけると盛り上がって、お互いに酒をかけ合ったりしてはしゃいでいた客が、(フェラの)“Shakara” をかけた途端に……まるでゴキブリでいっぱいの部屋で明かりをつけたみたいになった」。
MUTE BEAT
“MUTE BEAT”と聞いてまず思い出したのは、2008年、REBELレゲエ誌Riddim の25周年/300号記念に際して恵比寿リキッドルームにて行われた、約20年ぶりの“一夜限り” の再結成ライブ。とはいえ、そのライブさえも見逃した75年生まれの自分に、80年代を駆け抜け解散してしまった、日本が誇るライブDUBバンドの全貌を知る方法は、残された作品群を聴き、当時を知る方々のお話を読み聞きするしかない。まず、その再結成を仕掛た張本人、OVERHEAT代表、石井“EC”志津男氏を訪ねた。
Don Letts
クリエイティヴ・アートにルネッサンスをもたらした男、ドン・レッツ。ジャマイカ人キャストのみを招き、全撮影をジャマイカで敢行した『Dancehall Queen』の監督として最も良く知られる彼は、自身のヴィジョンを多彩な分野で実現させてきた。ただし、型にはまらない音楽に関わり続ける、という点でその才能は常に一貫している。ドン・レッツは、禁断の恋を描いたキマーニ・マーリー主演の『One Love』を共同監督したほか、ミュージック・ビデオを数百本ほど手掛けてきた。
Guru
あの声。ザラザラして耳につく、聴けばすぐに彼だとわかるあの声。ぶっきらぼうでありながらも情熱を宿したあの声……。本当にたくさんのヒップホップ・ファンにとって、あの声こそがグールーの個性そのものだった。
Teddy Pendergrass
ワックス・ポエティックス・ジャパンNo.09に掲載されたテディー・ペンダーグラスのインタビューのときは対立的な関係になってしまい、「取材した日、彼は機嫌でも悪かったのかい?」と読者によく言われることがあった。
Saravah Soul
現在進行形ファンク・シーンを牽引するUKのTru Thoughtsの中でも、サラヴァ・ソウルは異彩を放つバンドだ。ブラジルの血を引くリーダーのオットーを始め、彼らは多国籍バンドで、それがサウンドにも明らかに表れている。
Jeb Loy Nichols
現在、ジェブ・ロイ・ニコルズはウェールズの片田舎に住んでいる。聞くところによると自宅にはネット環境もないそうで、ちょっとした連絡を取るためには近くの町までわざわざ出向かないといけないらしい。
Incognito
インコグニート。昨年結成30年を迎えたこのバンドを、90年代のアシッド・ジャズ期に生まれたグループだと思っている人は多いのではないか。私もその1人だった。彼らがキャリアの集大成とも言える渾身の新作を完成させた。
Funky DL
ファンキーDLが日本でデビューしたのは、キャリア4作目『When Love Is Breaking Down...』の日本盤が発売された2000年のこと。10年前の話だ。この10 年間に彼は着々と作品を作り続け、リスナーの心を常に満たしてきた。
Soft
まるでヴードゥーの祭儀のようなアフロ・パーカッションの、その呪術的かつ恍惚とした響きから始まるライブ・アルバム。京都を拠点に15年以上も活動を続けるバンド=SOFTの、最近のライブ模様を切り取ったドキュメントだ。
Marcos Valle
いまでも忘れられない。マルコスが私の記憶に焼きついて離れない。1995年、一緒にリオのスタジオで仕事をしたときのことだ。その朝、息子を学校に送った彼はその足でサーフィンをするため海岸に向かう途中だった。
Flowering Inferno
Tru Thoughtsの看板アーティストとして活躍し、ファンクやブレイクビーツに軸足を置いた作品作りを続けてきたクァンティック。彼の作品が世界各地で高く評価されてきたことは、あえてここで強調するまでもないだろう。
12×12: The Breaks
2006年初頭、グランドマスター・フラッシュがスミソニアン国立アメリカ史博物館のヒップホップ常設展示へ寄贈を求められた時、彼はミキサーとカンゴール・ハットと共に、使い込んだ2枚の12インチ・シングルを選んだ。
The Five Corners Quintet
2004年のフィンランドにおいて、クラブ・ジャズという世界から飛び出してきたファイヴ・コーナーズ・クインテットだが、今ではクラブ・ジャズという限定的な枕詞をつけることなく、ジャズ・バンドとして評価されている。
Jay Rodriguez
過去2回、グラミー賞にノミネートされたこともあるジェイ・ロドリゲスはサックス、フルート、クラリネットをはじめ、キーボード、パーカッションを演奏するマルチ・ミュージシャンであり、作曲家、編曲家である。
The 45 Adapters
45アダプター。この発明品よりも便利で上品でシンプルなものはあまりない。たいていの人はアダプターも7インチ盤の中にそのままはめておくので、かなりたくさんこの小さくて薄い円盤状のものがたまっていることになる。
12inch Laboratory
こんにちは! 今回から気分も新たにこのコーナーのデザインも一新され、より読み易くするべく枚数も8枚から6枚と更に厳選してのご紹介。当分の間はテーマ性を持たず、自由気ままに色んな性格の12inchを紹介して行きます。
ヴァイナル駅伝
今号の特集がフェラ・クティとトニー・アレンということで、ワールドカップも含め。今ノリにノッているアフロ・ファンクにスポットを当てて、母なる大地をアベベばりに突っ走ってみたいと思います(もちろん、裸足で)。
Funk Archaeology
1970年代中盤、ザンビア共和国は苦境の時代を迎えていた。同国の初代大統領、ケネス・カウンダと同氏率いる統一民族独立党は、イギリスの植民地支配から既に脱していたが、紛争が内陸国ザンビアの四方を囲っていた。


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