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TOP > My page > Review List of 村井 翔
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1 people agree with this review 2025/10/28
カーチュン・ウォン/日本フィルのマーラーは最初の5番のみナマで聴いていないが(その代わりCDがある)、4番、3番、9番、2番、6番と聴いて、すべて感心した。指揮者がこの世代随一の才能であることは疑う余地もないが、このコンビの良さは現時点で是非ともやりたいこと、今は先送りしてもよいことの見定めがちゃんとできている点だと思う。たとえば第9番の第3楽章。オケがベルリン・フィルならキリル・ペトレンコのような爆速テンポをとったかもしれないが、今はそれは諦めて、やや遅めのテンポでポリフォニーの絡みを丁寧に表出することに専念している。 さて、そこでこのディスク。拍手入り一発ライヴで、音の録り方に少し不満があるのだが、久しぶりに聴くハレ管は大編成の音量で圧倒するという感はなく、かなり細身の印象。それでも指揮者のシャープな解釈は若きマーラーの意欲作にぴったり。(作曲者も言葉による詳細な指示をつけている)第1楽章冒頭主題のこだわりのフレージングから始まって、面白い箇所が山盛りだ。これまで埋もれていた声部がちゃんと聞こえるスコアの冴えた読みは、どの曲でも聴かれるこの指揮者の美質だが、第1楽章コーダ、葬送行進曲でのフルート・パートなどは、とりわけ美しい。サラ・コノリーの歌う『原光』も的確だし、最後の盛り上げも堂に入ったもの。個人的好みとしては、無伴奏での出だしはもっと音量を抑えてほしいが、合唱団も健闘している。
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0 people agree with this review 2025/09/26
グリゴリアンが主役を演ずる『ルサルカ』の映像には2023年のロイヤル・オペラ版もあるが、あらゆる点でこちらの方が上。舞台は劇場入り口のホールとおぼしき場所で、ヒロインは足を怪我して松葉杖をついているバレリーナ。イェジババ(この演出では母親?)に足を治してもらう代わりに声を失うという設定。素人考えでもこんな読み替えは無理だろうと思うのだが、むしろ整合性を説明しないことで、この設定を成立させてしまうのは驚き。グリゴリアンはバレエの経験もあるということだが、トウシューズを履いてポワント(爪先立ち)できるのは、さすが。もちろん歌、演技ともに圧巻だが、特に声を失ってから自分の苦しみをマイムだけで語るところは、この演出の白眉。王子役のカトラーも松葉杖をついているのは、直前に怪我をしたせいで演出の仕様ではないようだが、まさに怪我の功名。主役二人の同質性、彼も(『白鳥の湖』の王子のように)普通の女を愛せない男性であることを明らかにする結果になっている。かつてのドラマティック・ソプラノ二人、マッティラとダライマンの出演も豪華。シンフォニーではどうも弱腰に聞こえるボルトンもすこぶる的確な指揮で、劇場人としてのセンスを披露してくれている。
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0 people agree with this review 2025/09/23
シャーガーのヘルデンテノールとしてのピークは、2018年のチェルニャコフ/バレンボイム版だったと思うが、さらに年を経て陰影が濃くなった。まだまだ第一人者。ニールンドはリリックな声による優しいイゾルデ。かつてのニルソン、マイアーにはあった「魔女」的な趣きは皆無。二人で声を揃えて歌う部分では、確かにトリスタンの声に押されているが、無理に声を張り上げていないせいだろう、ほぼ一発ライヴ+パッチ・セッション(必要があれば)という収録にも関わらず、最後までスタミナが衰えないのはさすが。グロイスベックのマルケ王も良い。前の世代(カタリーナ・ワーグナー演出 2015年)のツェッペンフェルトのような露骨な悪役ではないが、かといってただの温和な老人でもなく、彼も深刻な葛藤を抱えた人物であることが良く分かる演唱。激しい怒りと嘆きの様からは、家臣たち(その一人はまぎれもなくトリスタンだが)の忠言に乗って後妻を迎えたりせず、誰よりも愛する(ほとんど同性愛に近い)甥のトリスタンに王位を譲っておけば良かったという後悔が聞き取れる。 指揮は微妙。やや遅めのテンポで打ち寄せる波のようにうねる音楽からは、なるほどスケールの大きさが感じられるが、その代わり細部の精妙さはだいぶ犠牲になっている。第1幕幕切れや第2幕第2場終わりなど、クライマックスでの盛り上げにいまひとつ切れが感じられないのは、そのせいか。「モーツァルトのセンスでワーグナーを振る」と評されたベーム以来、『トリスタン』も造形の明晰さを獲得したが、ビシュコフの指揮はベーム以前に先祖返りしてしまったように感じる。 演出は全体としては凡庸と言わざるを得ないが、幾つか面白いところもある。全3幕をすべて船の中に設定して、閉塞感を強調したのが、まず特徴−−第2幕ではイゾルデが松明を消すと、逆に明るくなって舞台が船倉であることが分かるのには、思わず笑ってしまうが。いちばん面白かったのは、以下の点。第1幕、イゾルデ姫を締めつける、大きく広がった花嫁衣装はポネル演出のパクリだが、その衣装には沢山の文字が書かれており、イゾルデ自身もさらに文字を書き込んでゆく。第3幕でのトリスタンの服と身体にも多くの文字が書かれている。これは言語、概念が人間を縛っているということ。イゾルデを縛っているのは「Rache復讐」、トリスタンを縛っているのは「Ehre名誉」とも言えそうだ。恋人たちが目指すのは、この概念から逃れること−−物語ではその方策は「Sterben死」(トリスタンが自分の腕に書く言葉)しかないのだけれど。恋人たち、第1幕では「死の薬」(媚薬のはずだが)を飲まないが、第2幕の終わりではトリスタンが飲んで倒れる(イゾルデも飲もうとするがメロートに妨げられる)、第3幕、「愛の死」の前についにイゾルデが飲む、といった仕様も面白いが、どうもアイデアが行き当たりばったりで、すべてを統一するポリシーが見出せないのが弱点。
0 people agree with this review 2025/09/15
近年、協奏曲録音が多い、ネルソンスとの共演も多いユジャ・ワンの録音の中でも出色の一枚。ショスタコの6つの協奏曲はすべて特定の独奏者のために宛書きされたもので、ピアノ協奏曲第1番は自分で弾くため、第2番は音楽院在学中の息子マクシムのための曲。作曲者と個人的にもそれなりに親しい関係だったらしいスヴャトスラフ・リヒテルのためにピアノ協奏曲が書かれれば、壮大な作品になったかもしれないが、残念ながらその機会はなく、ピアノ協奏曲は2曲とも軽快で洒脱な作品。もっとも2曲の性格はかなり違っていて、たとえば第1番はアルゲリッチのオハコ曲だが、彼女が第2番も弾くことはないだろう。ユジャは2曲ともうまく、シャープな切れ味ではヴィニツカヤ(2014年、ALPHA)の方が上としても、洒脱さと抒情の配合がいい−−第2番の第2楽章は皇帝協奏曲のパロディだけど。ナカリャコフのような名手を起用すると、第1番は二重協奏曲になりがちだが、ボストン響の首席ロルフスは前に出すぎない、ちょうど良いバランス。フィルアップの曲も面白く、「24の前奏曲とフーガ」はそもそも抜粋で弾かれるのは稀な曲集だが、何と第5番と第8番はプレリュードしか弾いてない。それでも重い曲を意図的に避けているせいもあるが、すべてがちゃんとユジャの音楽になっているのはさすが。
0 people agree with this review 2025/08/03
ビシュコフは3番を得意にしているようで、2002年にはケルン放送響と録音、翌年の来日公演でもこの大曲を披露していた。今回の再録音も基本的には同じアプローチと感じられ、人が言うほど私はこの指揮者が「成熟した」「巨匠になった」とは感じないが、5曲が録音されているチェコ・フィルとのマーラー・シリーズで一番良い出来なのは確か。ホール・トーン多め、あまり個々の楽器をピックアップしない録音−−同じオケによるマーツァル指揮の録音(EXTON)とは対照的−−のせいもあって、こせこせしない鷹揚な持ち味の演奏。曲想にも合っていると言えるが、今やこの曲については、細かいところにこだわった新しいアプローチが聴きたいので、こういう方向の演奏では満足できない。統計をとったわけではないが、おそらく世界でも最も頻繁にマーラーが演奏されている都市の一つである東京では、ここ数年に限ってもカーチュン・ウォン/日本フィルを筆頭に、アレクサンダー・ソディ/都響、ユライ・ヴァルチュハ/読響など、新鮮な秀演が幾つも聴かれた。
1 people agree with this review 2025/07/15
すこぶる強力な歌手を二人揃えたことで注目される演奏。けだるそうな表情で第2楽章「マラゲーニャ」を歌い始めるグリゴリアンは、それぞれのキャラクターになりきったようなオペラティックな歌唱。キャラクターへの憑依の度合いではオポライス(ネルソンス盤)と双璧か。一方、今やバスの声に全く違和感のなくなったゲルネは理知的な歌唱。激烈な第8楽章でも踏み外しは慎重に避けられている。フランクの指揮は明晰で打楽器の鳴らし方もうまく、新ウィーン楽派風の実験作品である「5つの断章」とのカップリングも秀逸。クルレンツィス以後では最も注目すべき録音と言えるが、あと一歩の印象。バルシャイやロストロポーヴィチ、あの初演世代の「狂気」をここに求めても無駄なことは分かっているんだけどね。
3 people agree with this review 2025/07/05
祝・全集完結! 近年のシベリウス全集と言えば、総譜をそのまま音にした「かのような」−−演奏はまぎれもなく解釈行為であり、譜面をそのまま音にするなんて幻想に過ぎないけれど−−マケラのピュアな録音との比較になろうが、私は断然、どんな部分にも自分らしさの刻印を押そうとするロウヴァリの方が好きだ。この最終巻では個人的に3番以降の交響曲で最も好きな第6番が素晴らしく演奏されているのが高評価の理由。第1楽章から旋律が奔放に歌われ、この時期のシベリウスのスタイルである短いモティーフが展開されつつ発展してゆく様が克明に聞き取れる。第3、第4楽章におけるテンポの駆動力、いわゆる「ノリの良さ」もロウヴァリらしい。これに比べると第7番は遥かに慎重なアプローチで、あまり彼らしさは聞き取れない。最後の部分など、もう少し粘っても良かったのでは。『テンペスト』は独唱、合唱を含む全曲盤も持っているが、とても渋い、枯れた音楽で、私にはこの曲の良さがまだ分からない。作曲者の霊感はすでに失われてしまったとしか思えないのだ。
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1 people agree with this review 2025/06/14
1997年にボストリッジがEMIに録音した最初のシューマン歌曲集は「リーダークライス」Op.24と「詩人の恋」を中心とするハイネの詩による歌曲を集めたものだった。今回は若さが求められるハイネ歌曲とは違って、アルバムの題名通り「たそがれ」の美に浸された、よりロマンティシズムの深いアイヒェンドルフの詩による「リーダークライス」Op.39と渋いが味わい深い「ケルナーによる12の詩」Op.35を中心とするプログラム。尖鋭な細部拡大趣味が刺激的ではあるが、時としてやり過ぎでもあったシューベルト三大歌曲集とは違って、今回はいつもながらの繊細な表情はそのままに、ジョルジーニのピアノに乗っておおむね心地よさげに歌っている。もちろんOp.39では緩急の思い切ったコントラストに彼らしさがうかがえるけど。抑えた表現のなかに心情があふれ出すようなOp.35の最後の3曲「ひそかな涙」から「古いリュート」には特に心打たれる。これはボストリッジ58歳の時の録音だが、急速に声を失って塩辛声になってしまったパドモアの凋落とは違って、彼が歌手として「幸福な晩年」を迎えられたことを祝いたい。
4 people agree with this review 2025/06/14
オペラハウスの標準レパートリーとなっているワーグナー・オペラ10作の中では、最初の『さまよえるオランダ人』こそ最もHIPスタイルと相性が良いと考えられてきたし、実際ミンコフスキによるパリ初稿版の録音もあった。しかし、使われている楽譜は、序曲や全曲の幕切れが「救済のモティーフ」で終わるごく標準的な版ではあるが、今回のガードナー指揮ほどHIPの精神を生かした録音はこれまでなかったと言って良い。「ゼンタのバラード」冒頭のように思い切って遅いテンポを取ることもあるが、全体は快調な快速テンポで進められており、ティンパニや金管を強めに押し出す響きのバランスは、まさしくHIPのセンス。第3幕第1場、例の合唱バトルの最後のホルンのゲシュトップト音など、随所で「薬味」も効かせている。オペラの舞台となった国、つまり「地元」のオケであるノルウェー国立歌劇場管弦楽団も素晴らしい好演。ロンドン・フィルの首席指揮者も兼務するガードナーだが、ほぼ同時に発売されたベルゲン・フィルとの『サロメ』全曲も見事で、オペラ指揮者としてもますます目が離せない。 もちろん圧倒的な声の持ち主だが、時として大味なこともあるダヴィドセン。しかし今回は、精神的に不安定な人が多いワーグナー・ヒロインの中でもとびきりのヤンデレ娘を渾身の力演で演じきっている。フィンリーの題名役は理知的な歌唱で、根源的な「暗さ」に不足するが、まあこれも悪くない。
4 people agree with this review
いわゆる6大交響曲のうち、まだ未録音であった『ハフナー』とアンナ・プロハスカのアリア集を組み合わせたもの。最後の締めはコンサート・アリアK.505。プロハスカはまだ彼女のレパートリーではないと思われる『コジ・ファン・トゥッテ』の痛烈なパロディ・アリア「岩のように動かずに」、『イドメネオ』からの極めてドラマティックなエレットラ最後のアリア「オレスト、アイアース」まで歌っているが、技術的にも表情の美しさという点でも完璧。何よりもミナージ指揮の伴奏が恐ろしく「濃い」。こうなると是非とも彼の指揮によるモーツァルトのオペラ全曲録音を期待したくなってしまう。『ハフナー』交響曲ももちろん凄い。やや遅めの第1楽章ではティンパニや金管の盛大な鳴りっぷりはもとより、何度も繰り返されるリタルダンド→ア・テンポによる迫力更新が圧巻。緩徐楽章では一部、印刷譜(全集版)と違う譜読みがあるが、ペルトコスキのような旋律装飾には手を出さない。一気呵成の終楽章における最後のアッチェレランドもお見事。
0 people agree with this review 2025/06/10
フランクフルト時代に番号つきの9曲を録画しているパーヴォだが、録音はN響との6番についで2曲目。確かにアルファ・レコードにはまだマーラー全集がないし、ブレーメン(ドイツ・カンマーフィル)での録音かと思われたメンデルスゾーン全集をここで作ってしまうなど、トーンハレとの関係も良好のようだが、まさかここで全曲録音に乗り出すとは思わなかった。テンポの特徴としては第1、第4楽章がやや速めで(後者は近年のトレンドだけど)、どちらも後続楽章の導入部として扱われていること。第3楽章のオブリガート・ホルンはフランクフルトでの録画やN響時代の演奏と同じく、左に位置するホルン群の反対側から聴こえてくる。全体としてはスコアの細部の工夫が良く聴こえる丁寧な演奏。確かにこの緻密さはN響には望めぬものだろう(しかもパーヴォが去ってから腕が落ちたことを、今年のアムステルダム・マーラー・フェスティヴァルの演奏で痛感した)。けれども反面、やや地味、強烈なインパクトに欠けるのは事実。ネット上にはマケラ/シカゴ響(2023年2月収録、音だけ)の鮮烈なライヴがあって、それと比べると残念だが、聴き劣りする。
1 people agree with this review 2025/05/17
ミュンヒェンの『こうもり』と言えば、クライバー指揮の録音と録画(シェンク演出)が忘れがたいが、あれを永遠のマイルストーンとするならば、これはいかにも今風にアップ・トゥ・デイトされた『こうもり』。序曲での「こうもりダンス」からしてバリー・コスキーの才覚は早くも明らかだが、第1幕がペラペラの書き割りで作られたウィーンの街並み(一夫一婦制というタテマエの世界)の前で演じられるのに対し、第2幕の舞踏会は書き割りの裏側、すなわち本音=無意識の世界。そう、「誰もがその趣味に従う」と主張するドラアグ・クイーンのオルロフスキー公(カウンターテナーが演ずる)が主催するのは、カラフルなLGBTQの人々のパーティーなのだ。ゆえに第2幕終盤の「兄弟姉妹に私たちはなりましょう」というアンサンブルは一層心に沁みる。そして第2幕終わりでは書き割りが完全に剥がれて、枠組み(本音)だけの世界になる。それが刑務所というわけ。 コメディエンヌとして既に定評あるダムラウ以下、ニグル(アイゼンシュタイン)、コンラーディ(アデーレ)、ヴィンクラー(フランク、この人の名前がジャケ表に大きくクレジットされている理由は見れば分かる)と歌手陣はすべて適材適所。6人のフロッシュたちも好演。劇場人らしいセンスのあるユロフスキーの指揮も快調で、ほんのひととき、クライバーを忘れられる。
2 people agree with this review 2025/05/10
ハンマー3回の演奏。中間楽章はスケルツォ/アンダンテの順(ラインホルト・クービクの楽曲解説が性懲りもなくアンダンテ/スケルツォの「正しさ」を主張しているのは笑える)。全体として緩急の思い切った切り換えにこの指揮者らしい個性が感じ取れる演奏。「軽快な」(腹に響くリズムの重さが感じられない)第1楽章第1主題に対し、第2主題は端麗。カウベルの響く挿入部が遅いのに対し、コーダのアッチェレランドは鮮やか。アンダンテは比較的簡素にまとめるのが近年のトレンドなのに対し、この演奏は基本テンポが遅く(17:17)、しかもクライマックスはテンポを上げて大いに盛り上げるというバーンスタイン流。終楽章も第1主題群(イ短調)と第2主題(ニ長調/イ長調)のコントラストが克明につけられている。特徴的なのは再現部で、第2/第1主題の逆順再現、騎行のリズムと続いて、第2主題がまた主導権を奪い返した後の部分。ほんらい第2主題が最後の「凱歌をあげる」ように聴こえる部分だが、ここが極端に遅く、響き自体も脱力したように感じる。意図的な解釈だとしたら、「主人公」の敗北は第3の打撃(タムタム+大太鼓)と第3ハンマー以前に確定してしまっているように聴こえる。これはなかなか面白い。オケの技量に不満はないが、これまで通り、響きの厚みが感じられないのが最大の弱点。
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1 people agree with this review 2025/04/10
ライザー&コーリエ演出の『蝶々夫人』には2017年に収録されたヤオ主演、パッパーノ指揮の映像ディスクがあるが、グリゴリアンが歌うということで、再演時に二度目の録画が実現。演出はすでに定評あるもので、何の読み替えもないが、ポリシーは明確。すなわち、今回はスズキ、ゴローを中国、台湾出身の歌手が歌っているとはいえ、演出は全くリアリズムを目指すものではなく、舞台は現実の長崎ではなく、あくまで西洋人のオリエンタリズム幻想の中の日本というアンチリアルな仕様。こういう路線の演出では、メトのミンゲラ演出と双璧だと思うが、余計なことをしない、歌の邪魔をしないという点では一枚上手か。 前の録画で歌っていたエルモネラ・ヤオも非常に優れた題名役だったと思うが、グリゴリアンの存在感はさすが。もちろん日本人にも十五歳にも見えないが、彼女の演じる蝶々さんを見ていると、人間の男を愛してしまった妖精、ルサルカか人魚姫のように見えてくるから不思議。一見、彼女好みのキャラクターではなさそうな蝶々さんを各地で好んで歌っている理由が分かったような気がした−−全幕ほとんど出ずっぱりのプリマドンナ・オペラだから、ソプラノとして歌い甲斐のある役なのは当然だけど。ピンカートンは2018年のグラインドボーンの映像もあったゲレーロ。この人が演ずる人物は、誰もどこか自信なさげに見えるけど、この軽薄無責任男にはぴったり。逆にヴァサール演じるシャープレスは(名前に反して)意外にしっかりした男に見える。唯一、惜しまれるのは指揮。丁寧なのはいいけど(パッパーノより全曲で10分ほど長い)、ここぞという所での盛り上がりが不発。「花の二重唱」など、もっと速いテンポが欲しいし、20世紀初頭の音楽らしい表現主義的な(だから当時のイタオペの観客には前衛的過ぎた)幕切れも、もう少し盛り上げてほしい。
1 people agree with this review 2025/04/09
スカラ座初演時の稿による演奏ということで、「歌に生き、愛に生き」の末尾、第3幕幕切れなどに出版稿と若干の違いがあるが、『蝶々夫人』のようにスカラ座初演版と改訂版の間に決定的な違いがあるわけではない。でも、シャイーがこの稿の方が良いというのなら、確かにそうなのでしょう。指揮はいつもながら周到で、文句を付けるところはない。ネトレプコ、メーリ、サルシの主役三人も全くお見事。かなり身体の重そうなネトレプコは、演技に関してはトゥーランドットのような、あまり動かない役の方が今後は良いかなと思うけれど、細やかな歌の表情の美しさは声が重くなっても少しも変わらない。 指揮よし、歌よしでどこにけなす余地があるのかと思う人が多いだろうが、やはり演出は物足りない。両端幕は回り舞台を駆使したデコラティヴな装置で、第2幕もファルネーゼ宮の内部を忠実に再現しているらしい。でも、基本的には何の読み替えもない演出。第1幕では投影された黒髪の聖母像と金髪のマグダラのマリア像を入れ換えたり、第2幕でも装飾画の人物が動く、幕切れでトスカがナイフを振りかざす自分のフラッシュバックを見る、そして第3幕終わりの「フライイング」シーンなど、演出家は細かい部分にこだわってみるしか芸がない。そして残念ながら明らかになるのは『トスカ』というオペラは、まともに上演しようとすると、現代の観客にはもはや「金のかかった学芸会」にしか見えないという残酷な事実だ。サルドゥの原作戯曲自体が、プッチーニの音楽なしでは後世に残るはずもない、安っぽい三文芝居に過ぎなかったわけだから、今となっては演出家が何の策も講じないと、もう現代人の鑑賞に耐えるオペラではないのだ。ウィーンのマルティン・クーシェイ演出については、別のところで誉めたが、歌手が一段落ちるものの、アムステルダムのバリー・コスキー演出もとても良い。これぐらいのことをしないと、もはやまともに見られるオペラではない、ということだ。
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