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TOP > My page > Review List of 一人のクラシックオールドファン
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0 people agree with this review 2011/09/25
S.オラモ/RSPOの2010年来日公演のチケットを娘らからプレゼントされ聴きに行ったことがあり、その時のプログラムは諏訪内のヴァイオリンでのブルッフのV協奏曲とマーラー「巨人」交響曲で特に後者曲でRSPOサウンドがこの曲とは違和感を感じつつオラモの意図の明瞭さに感心もしたことがありました。来日に先立ち2009年録音(オラモ44歳頃)された本盤シューマンも性格的にはオーケストラサウンドとは違うのだけれど従来とは異なる光りスポットを当ててくれている様で私は第3番(演奏タイム@9’16A6’22B5’20C5’04D6’02)を聴いておりメモを入れる次第です。先ず全体典雅というのでしょうか・・・それに近い響き(何と言ってもノーベル賞のオーケストラなのですから)でどうしてもややくすみ勝ちなシューマン曲を透明な仕上がりにメリハリをつけ成した事が特記されましょう。第1楽章スタートからその特有の当たりに耳をそばだて速めのソフトなサウンドの新鮮さに面食らいます。緩急ではソフト・ハードを使い分け音の詰めも綿密そのものです。レガートを噛まして進み〆も慌てず堂々さを強調しません。第2楽章は鷹揚な管からスタートし河の流れの水しぶき・粒を各楽器は明瞭に奥行き感で示します。勿論河の滔々感も充分。割とゆったりしたニュアンスを伝えた第3楽章を経た第4楽章は城の陰鬱さを描く楽章ですがもう少し底力が欲しかった気もしますがオラモの首尾一貫性からはちゃんと辻褄が合っているのでしょう。最終楽章は開けた様な明るさの下、管の競奏でファンファーレも決して割れず快くテンポを上げ〆へたどりつきます。本盤収録のもう一つ第4番(同@10’50A4’07B5’10C9’52)は未だ聴いておりませんので★一つ保留させていただきます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
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0 people agree with this review 2011/09/24
いつまでも若いと思っていたムーティも今年70歳なのですね。アバド、シノーポリ、シャーイ等とイタリア系指揮者が続けて録音盤に現れた当時は誰が誰だか私などは迷うばかりでしたが年月を経てその各芸風もどことなく判別出来る様にはようやくなって来たというのが正直な処・・・。そのムーティが丁度今から30年前1981年フィレンツェ五月祭管弦楽団・合唱団を指揮して同じイタリア作曲家ロッシーニの「スターバト・マーテル」を演奏したものが本盤で迎えた独唱者はC.マルフィターノ(S、当時33歳)、A.バルツァ(A、同37歳)、R.ギャンビル(T、同26歳)、G.ホーウェル(B、同43歳)と充実メンバーであります。演奏タイムを各章別に参考までにメモしますと@9’51A6’56B6’42C5’10D5’03E7’47F4’42G4’16H4’33I5’57の10曲、私が聴いた印象ではややゆっくり目かなと思ったのですが最初と最後はその傾向があっても他の楽章は程ほどなのが他指揮者演奏盤と比較してチェック確認した次第です。一口で言うとやはりオペラチックな運びとアリアにおける美しい歌わせぶりが明るめに劇的な演奏に仕上げられたということでしょう。終曲で力強くアーメンコーラスが掛合いオーケストラも全開モードな怒涛が一旦沈静化し弦が静かにクライマックス〆の準備をする処などは中々聴き処、そして開放されるとムーティは結構快速に飛ばして最後のアーメンを堂々と強調します。この楽章だけでも焦らし爆発方向への演出はムーティの独壇場。素晴らしい演奏と申せましょうが小ミサの方は聴いておりませんのでOKランクに留めておきますね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2011/09/23
本盤は廃盤ですが別盤が出ていますので以前同演奏別盤に入れたレビューメモを入れておきます。・・・LPの時から繰り返して聴いてきた盤です。ケンプのバッハは決してテクニックを駆使してのものではありません。1975年の録音というのですからケンプ80歳・・・指運びが危うい処など技術的な衰えは否定出来ません。ただその静かな精神性を聴かせるという姿勢より聴く者が自然とそういう姿勢に結果的になっている、その時間の有難さに感謝・感謝の各トラック(イギリス組曲演奏タイム19’13・・・他)であります。昔からバックハウスよりは編曲を多く手がけていたケンプの自在さは人間の素晴らしさをも味わえます。決して安っぽい「これ見よがし」「これ聴けがし?」ではない盤で遺しておきたいものです。・・・「バッハを弾く」とはなっていますが他にヘンデルのメヌエット(3’58)やグルックの「オルフェオとエウリディーチエ」(3’01+1’39)などにも私は何故かホッとさせられた次第で、これらの演奏で癒されてきた人そしてこれからも癒される人は多い事と思われ最高ランクに躊躇いたしません、是非手元に置かれることをおすすめします。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2011/09/22
ザンデルリングの指揮したブラームス交響曲は本盤1971〜1972年SKDOとの録音および1990年BSOとの録音が全集で聴けます。私は前者の第2番をLP盤で聴いております。1971年録音なのでザンデルリングがまだ還暦前、他の交響曲同様極めて引き締まった指揮の下、重厚かついぶし銀的な音色のSKDOとの共演でこのシリーズでのブラームス交響曲は何れも説得性あるものとなっているようです。さて、この第2番タイム的には@16’25A9’45B5’30C9’40とじっくりと進めております。第1楽章時には縁取りを明瞭にそしてきざむ様に決してダレず結びのゆったりした安らぎ感は何とも言えません。最終楽章も持ち前の造形美を節を明確化することで前面に出し密度が高いです、ただ最後の方へなだれ込む凱歌的勢いは避けております。ザンデルリング自体はタレント性より実力派で勝負という捉え方をしておりますが如何? それはともかく彼のブラームスは何れも造形美が素晴らしいです。第2番の1990年BSO盤はタイム@17’12A10’07B5’59C10’29とややテンポが緩めになっている様ですね。私は第3番の方は未聴ですのでデータだけメモしておきましょう・・・ 第3番→本盤1972年SKDO(タイム@10’56A8’52B6’25C9’04)、1990年BSO(同@15’14A9’53B7’07C9’43)、第1楽章のタイム差は反復演奏の有無によるものであります。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2011/09/21
先日ザンデルリングの訃報に接し十年ほど前に指揮活動を引退していた(引退公演では内田光子とのモーツァルトのピアノ協奏曲を指揮したそうですね)とは言え数々の名演盤で親しんでいただけに寂しく思いました。彼はそのキャリアからロシア物とドイツ物を主レパートリーとしておりブラームスもそれに含まれておりました。ブラームス交響曲第4番もザンデルリング指揮分幾つかあり本盤1972年SKDO録音分(ザンデルリング60歳)について以前のレビューを引用させていただきます・・・私は昔の普通のLP盤を聴いておりますが後年CDリリースされたMPOとの演奏より教会録音なのか年代なのか音の切れは betterと思っております。ザンデルリングは確かBSOとも録音していましたがアプローチ自体は事この3者を比べても(タイムは別にして)大差はないようです。ポイントはやはりライブか否かでの「乗り」の違いであります。ザンデルリング自体はタレント性より実力派で勝負という捉え方をしておりますが如何? それはともかく他のレビューの方が書かれているように「最高」としておきます。このSKDOとの共演盤タイムは@13’05A11’50B6’20C10’50でしてじっくり取り組んだ演奏ともなっております。他盤との比較ポイントはやはりライブか否かでの「乗り」の違いであります。・・・SKDOの重厚ないぶし銀的音色は本盤では仕様も向上され更に期待されましょう。なお他のザンデルリング指揮演奏分は先述の1984年MPO(タイム@13’34A12’33B6’09C11’07)及び1990年BSO(同@15’10A13’11B6’38C11’27)等があり加齢に応じてタイムが長くなっているのも面白いですね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2011/09/20
1972年前後、フレーミヒ(当時59歳の頃)がDPO,DKCを振って独唱陣にこれ又私達の世代では懐かしいP.シュライヤー(T、同37歳)、T.アダム(B、同46歳)その他を迎えてのバッハの小ミサ四曲が入った盤ですね。四曲いずれもキリエとグロリア部において歌詞はすべて共通で定型化されたトータル6曲から成り立ってカンタータからの転用(BWV79,102,179,187等)曲が大方を占めています。演奏タイムはBWV233(6曲27’55)、BWV234(同32’46)、BWV235(同30’30)、BWV236(同28’05)と私自身他の演奏は聴いていないので比較しようがありませんが感触としてこのドレスデン陣も旧東独でのバッハ演奏のスタイル・・・重心の低い本場定着の落ち着いた運びにより古き良き時代を想起させ合唱、独唱陣も手堅く全体としてライプチッヒ陣と似通っている様に思われました。モテット同様ミサ曲(これらはカトリック用)自体はカンタータ(プロテスタント用)の様に途中「語り」レチタティーボが挿入されないだけ分かり易くはあるものの私などは「語り」から「歌唱」へ移る雰囲気が好きなので少し勝手が違いました。以前のバッハの声楽曲の指揮者達はある意味宗教曲専門家に徹していたので余りレパートリーを拡げずリヒターの様な華やかさもチラつかせずその役割を終えひっそり去って行った人が多くフレーミヒもその一人なのでしょう。しかし本盤の様にしっかりした仕事を残した事は銘記されるべきでしょう。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2011/09/19
2003年に次世代指揮者のホープの一人にあげられているハーデイング(録音当時33歳)がMCOを振ってこれ又次世代を担うフランスのヴァイオリニスト カピュソンがメンデルスゾーンとシューマンの協奏曲を収録したもので彼らは長年温めていたプロジェクト「屋根の上の牛」における小品集に続く第二弾の盤らしいです。メンデルスゾーンは演奏タイム@12’43A8’27B6’05とやや最終楽章がせかせかした感じですが演奏自体は全体的には決して突飛なものではなくこの曲のなだらかな面をちゃんと表現しオーケストラもカピュソンが以前務めていたMJOの後輩にあたる為かきちっとポイントを押えております。しかしこのメンバーならではの演奏の面白さインパクトは演奏年齢としては丁度いい時ではあるものの私が鈍いのか感じられませんでした。ややVの音が出しゃばった印象があります。一方シューマンの協奏曲は1939年に再発見された珍曲?でトータル30分以上(→@14’48A6’19B9’58)を要する中々の大曲で私は本盤で初めて聴きました。第1楽章オーケストラがやや悲劇的なテーマを展開して最初はまるでシンフォニー、途中少し和らぎ又先のテーマが再開しヴァイオリンが鋭く切り込みます。旋律線を浮ばせながら速めなテンポではそのテクニカルな面が強調されくっきりとしたVテクニックの冴えは流石です。時折明るめトーンの中をVは縫って行き正しくシューマン・タッチで私は曲自体のこの楽章は気に入りました・・・勿論演奏も・・・。おだやかにVも紛れ込みながら進む中間楽章を経て切れ目無く続く最終楽章は明るくVも歌い舞って移って行きますが反復が執拗で曲自体に冗長さを感じないわけではありませんでした(シューマンのピアノ協奏曲の最終楽章にも感じた感覚・・・)。(先日のTV「題名の無い音楽界」でもあげられていた)ニ短調に始まりニ長調で終わるパターンの曲の一つとしてこれから次第に世間に聴かれる機会が多くなって行くことでしょう・・・曲への健闘も祈りたいですね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2011/09/18
よくカップリングされるグリーグ、シューマンのイ短調ピアノ協奏曲(私の世代ではリパッティ演奏盤が馴染み深いものです)を1974年事もあろうにあの御大マタチッチ(当時75歳)が指揮するMNOO伴奏でのリヒテル(同59歳)の演奏盤で聴く前からキャストから正直少し重すぎるのではと思いました。リヒテルのグリーグの方は本盤意外私は知りません、それだけリヒテルが北欧の透明さと隔たりがあると自他共に認めてはいるのでしょう。演奏タイムとしては@12’38A6’07B9’54と顕著な特徴はありませんが第1楽章の出だしから大きな構えというか他の演奏とは路線を異とする方向性は明らか・・・。続くテーマでのゆっくりした運びがその気迫を伝えようとしています。凄まじいカデンツァでは自然の厳しさを「ほうふつ」させ全体を充分過ぎるロマンチック性で展開しています。逆に中間楽章は変に情に流されずバックもリヒテルの設計通りになっています。最終楽章も第1楽章同様豪快な感じであると共に普段聴き流す処がクローズアップされる等すっかり巨匠演奏ムードになっております。多分リヒテル、マタチッチ両人彼らにとっては珍しいこの曲への対応を熟慮の上のこの演奏結果でそのがっちりした重厚さは我々が持つこの曲へのイメージとは明らかに異なった異世界を提供してくれ一聴是非おすすめします。リヒテル自身この演奏は比較的気に入っていた様です。次にシューマンの方ですがリヒテルは小品を含め結構シューマン作品をこなしており録音盤も多くあります。シューマンのある屈託性が気に入っていたのかピアノ協奏曲も本盤演奏(タイム@14’35A5’06B10’21)の他に1948年ガウク/MSRO、1954年ガウク/MSRO、1958年ロヴィッキー/WPO、1958年ジョルジュスク/USSRSO等が残っておりある意味弾き慣れた曲なのにリヒテルは本盤演奏はグリーグほどには満足していなかったそうですね。第1楽章割と元気よくスタートし伴奏も威勢がよい感じです。分り易く言えば「濃い」味で「切なさ」とはこれ又違う領域です。第2楽章は落ち着いた情感を安らぎのうちに進みますが切れ目無しに続く最終楽章はこの曲の構成上やや執拗な華麗さを更に念押しするが如くの演奏です。スケール感と言ってよいのか分かりませんがその様な事が果たしてシューマンのこの曲に似合っていたのか・・・?、この二人の演奏アプローチからはグリーグ同様避けられない方向性なのですが万全なリヒテルの技巧が分厚いオーケストラに塗され若干考え過ぎた演奏の様に思え正直しんどかったです・・・スミマセン。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)
1 people agree with this review 2011/09/17
1969〜1974年、ロジェストヴェンスキーがロシアの指揮者として多分最初にシベリウス交響曲全集を収録したもので私などはLP時代単発でソ連輸入盤・・・第4番他を買って聴いておりました。あまり期待せず針を下ろしたのですがオーケストラMRSOは決してロシア色一辺倒ではなくこの曲の持つ北欧的なそして内省的なカラーをロジェストヴェンスキーがその知性で上手く引き出した演奏となっておりました。この第4番は1971年の録音で演奏タイムは@10’05A4’56B10’07C9’10と多分他の交響曲も傾向としてテンポは速めな感じがしますが第1楽章最初不気味な低音から深遠に弦が旋律線を描き他の楽器が呼応しシベリウス世界へ導いて行きます。冷えびえした見果てぬツンドラ世界を垣間見せつつ管ファンファーレを機に次第に穏やかさが明るさに結びつきます。各パートの仕分けと〆への昇華は指揮者のコントロールの上手さを物語っています。第2楽章は到ってのんびりムードで「遊び」センス溢れますが途中イチャモンの様なテーマが入り中途半端な感じで次の楽章へ。極めて内省的な第3楽章では引っ張る様な中低音弦が印象的で次第に盛り上がって金管がやっとロシア的に咆哮し更に分厚い弦が鋼鉄の肌合いを感じさせます。パワーフルな処が過ぎると静かな〆へと推移して行きます。終始焦らせる様なタッチの最終楽章はクライマックスさがない分やや不満が残ってしまいますがそれは指揮者の責任ではありません。全体ストレートな男性的勢いのみに結果せず当時40歳のロジェストヴェンスキーの能力が活きた仕上がりとなっています。他の交響曲は未聴ですが録音年と演奏タイムをメモしておきます・・・第1番(1974年、タイム@11’16A9’43B5’29C11’41)、第2番(1969年@9’33A14’55B5’53C14’27)、第3番(1973年@9’40A7’39B9’33)、第5番(1973年@13’24A7’24B8’08)、第6番(1973年@9’47A4’39B3’45C9’21)、第7番(1971年20’54)。意義ある交響曲録音としての位置付けは確固たるものと思います。V協奏曲の方はオイストラフ57歳、ロジェストヴェンスキーが先の交響曲録音時よりもう少し若い34歳・・・1965年の時の指揮でオーケストラはUSSRRSO(ライブ)(タイム@15’04A8’42B7’22)であります(なお、オイストラフのシベリウスV協奏曲はこの演奏の他に1954年エールリンク/SFO、同年(ライブ)フーグシュテット/FRSO、1959年オーマンディ/PPO等の録音盤が残されております)。最初の楽章は冷え冷えとしたVの入りも聴き処ですがややテンポ速めながら終始しっかり語って行くスタンスは技に傾かないという事を訴えている様です。正直もう少し華やかさ要素が加わればという欲にかられようとするとやがてオーケストラ余韻の空白から凄いカデンツァが弾き切られその緊迫感・スケール感に圧倒されました。〆への攻めも同様で「溜め」を作りつつの仕上げは冒頭の冷え冷え感をすっかり熱っぽさに変えてしまいました。中間楽章と最終楽章はタイムとしては普通。中間楽章はシンフォニー的位置付けのこの曲の特徴をオーケストとVの集中一体化においてやはり音楽に魂を吹き込み実に客観的に説得力があります。最終楽章もしっかりオーケストラもやや粘着性を見せながらV 主体の活躍には変わりはありません。未聴分がありますので★一つ保留させていただきます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)
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0 people agree with this review 2011/09/16
チャイコフスキーのオイストラフ演奏盤は何種類かあり夫々名演奏の評価が定着している様です。1939年ガウク/MRSO、1949年サモスード/BTO、1954年コンヴィチュニー/SKDO、1955年クレツキー/SFO、1957年コンドラシン/SSSO、1959年オーマンディ/PPO等の他に本盤1968年ロジェストヴェンスキー/MFOのライブ盤があり聴き比べもされたらとも思います。1968年というとオイストラフ晩年期60歳で指揮のロジェストヴェンスキー僅か37歳の俊英の時期で演奏タイムは@18’41A5’59B9’32でライブ故でもあるのか彼自身の他の演奏は勿論他の演奏家よりテンポは速い印象を持ちましたがとにかく単に最近の若い女性ヴァイオリニストの弾く同曲とは・・・勿論これはこれで魅力的なのですが・・・スケール観というか次元が違うようです。第1楽章オーケストラ前奏はやや急ぎ足で進み逆に序奏のVはしっかり隅ずみまでなぞった様なゆとりがそれもしっとり感を伴いスタート、以降少し骨太にV主導を保ったまま進みます。途中オーケストラ全奏はロシア的に目の粗さがあっても粘ばつき感は低いですね。カデンツァはこの曲へのオイストラフの思い入れが技巧面だけではなくたっぷり雰囲気的にも味わえ引き摺り込まれます。第2楽章のロシア的憂愁さにおいてもオイストラフは決して「狎れ」ずちょっとしたフレージングにも見せる緩急の中に単に美しく弾くに留まりません。最終楽章のVはじっくり入り音楽本来の機能に働きかけます。クライマックスも落ち着いて運びきっちり〆ます。ロストロボーヴィッチの弾く「ロココ主題変奏曲」も幾つか演奏(1968年カラヤン/BPO、1985年小澤/BSOその他・・・)がありますが本盤は1963年ロジェストヴェンスキー/LPSOバックによるものと思われます(「ロココ・・・」については私は未聴ですので本盤★一つ保留させて下さい)。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)
1 people agree with this review 2011/09/15
チャイコフスキー、シベリウスのVCセットのオイストラフ演奏盤は何種類かあり夫々名演奏の評価が定着している様です。1939年ガウク/MRSO、1949年サモスード/BTO、1954年コンヴィチュニー/SKDO、1955年クレツキー/SFO、1957年コンドラシン/SSSO、1959年オーマンディ/PPO等の他に本盤1968年ロジェストヴェンスキー/MFOのライブ盤があり聴き比べもされたらとも思います。1968年というとオイストラフ晩年期60歳で指揮のロジェストヴェンスキー僅か37歳の俊英の時期で演奏タイムは@18’41A5’59B9’32でライブ故でもあるのか彼自身の他の演奏は勿論他の演奏家よりテンポは速い印象を持ちましたがとにかく単に最近の若い女性ヴァイオリニストの弾く同曲とは・・・勿論これはこれで魅力的なのですが・・・スケール観というか次元が違うようです。第1楽章オーケストラ前奏はやや急ぎ足で進み逆に序奏のVはしっかり隅ずみまでなぞった様なゆとりがそれもしっとり感を伴いスタート、以降少し骨太にV主導を保ったまま進みます。途中オーケストラ全奏はロシア的に目の粗さがあっても粘ばつき感は低いですね。カデンツァはこの曲へのオイストラフの思い入れが技巧面だけではなくたっぷり雰囲気的にも味わえ引き摺り込まれます。第2楽章のロシア的憂愁さにおいてもオイストラフは決して「狎れ」ずちょっとしたフレージングにも見せる緩急の中に単に美しく弾くに留まりません。最終楽章のVはじっくり入り音楽本来の機能に働きかけます。クライマックスも落ち着いて運びきっちり〆ます。シベリウスの方は本盤1965年ロジェストヴェンスキーの指揮でオーケストラUSSRRSO(ライブ)(@15’04A8’42B7’22)の他に1954年エールリンク/SFO、同年(ライブ)フーグシュテット/FRSO、1959年オーマンディ/PPO等の録音盤が残されております。最初の楽章は冷え冷えとしたVの入りも聴き処ですがややテンポ速めながら終始しっかり語って行くスタンスは技に傾かないという事を訴えている様です。正直もう少し華やかさ要素が加わればという欲にかられようとするとやがてオーケストラ余韻の空白から凄いカデンツァが弾き切られその緊迫感・スケール感に圧倒されました。〆への攻めも同様で「溜め」を作りつつの仕上げは冒頭の冷え冷え感をすっかり熱っぽさに変えてしまいました。中間楽章と最終楽章はタイムとしては普通。中間楽章はシンフォニー的位置付けのこの曲の特徴をオーケストとVの集中一体化においてやはり音楽に魂を吹き込み実に客観的に説得力があります。最終楽章もしっかりオーケストラもやや粘着性を見せながらV 主体の活躍には変わりはありません。最高ランクに躊躇いたしません。本盤には珍しいシベリウスのユーモレスク(タイム3’30曲と2’12曲)が付録になっています。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)
0 people agree with this review 2011/09/15
0 people agree with this review 2011/09/14
現在販売されていないのですが参考の為メモしておきますのでよろしくお願いします。オイストラフ/コンドラシン/MPOが来日した1967年での東京ライブのブラームスV協奏曲はこのコンビ分で既に収録された他の幾つかある(1965年他)演奏よりテンションが高くテンポも@21’01A8’28B7’30と(他の演奏家と比しても)演奏タイムからもやや速めでありながらたっぷり物語られた印象が残ります。結構自由な足取りで運びカデンツァでは圧倒的な存在感を見せつけます。オイストラフが59歳、コンドラシンが53歳と年齢には不足ありません・・・が、この曲の持っている爽やか要素からは少し異なり、足早?ながらロシア的脂肪のぎらついた面が感じられました。オーケイトラももう慣れたものでコンドラシンの引き締めが効を奏します。時には第1楽章などで白熱したバック盛り上げも面白く聴けました。マスターの関係か一部音の不安定な処はありますがオイストラフの少し別な面を見せた素晴らしい演奏です。バッハのV協奏曲(@3’40A7’05B4’02)では私は以前DGから出ていた演奏を思い出しましたが本盤演奏は特に第2楽章の情緒溢れる演奏が特徴・・・DG盤も昨今のスタイルではなく実にロマンチックな演奏でありました。なお、この来日公演では息子のイーゴリも同伴しバッハでは二重コンチェルトを(DG盤同様)弾いたらしいですね。両曲とも全体やや濃い面はありますが素晴らしい演奏かと思います。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
1 people agree with this review 2011/09/13
シュタルケルはブラームスのチェロ・ソナタを何回か録っており1954年シュタルケル30歳の時ピアノのA,ボージンとの盤から晩年1992年P.ブッフビンダーのピアノで録った演奏(タイム第1番@14’17A5’18B6’49、第2番@9’41A7’30B7’09C4’53)盤の他に本盤演奏ピアノがJ.シュベックと1959年録音したものがあります。この二人は出身も年齢も似通っていますが演奏の方は何となく付かず離れずと言った処でしょう。第1番(@13’46A5’25B6’30)で第1楽章からブラームスの若さを保ちつつ落ち着いた運びであります。この楽章の例のヒロイックなテーマはもうちょっと強調して欲しくはありましたが・・・。穏やかな中間楽章を経て最終楽章はフーガ技法を明確にそのラインを示します、ただひたすら直截に時には激しさも見せますが決して乱れずに〆に追い込みます。余計な事は言わずに仕上げた感じでもあります。そして第2番の方(タイム@9’35A7’31B7’14C4’33)はブラームス自身第1番から約二十年経っているだけに作品の持つスケール感をどう表現してくれるかが聴き処。第1楽章では晦渋さも薄く伸びやかな力強さが印象的ですね。ピチカートでスタートする続く楽章は線の太い歯切れの良さが余韻を持った〆と対照さを増長させます。やや急かす様なスタートをする第3楽章での後段の見得切りでの太い音質感は素晴らしいです。第4楽章は個人的には少し付け足し的な先入観もあり独立曲として捉えて私自身久しいのですがジプシー的に動機を交えて結構活気があり後段見得切りのピチカートは先の楽章同様のシュタルケルの特徴が出ている様です。本盤演奏での伴奏との「付かず離れず」を物足りないと思われる方もいるかもしれませんが私は程ほどな距離感で評価出来ました。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2011/09/12
本盤は廃盤ですが別の盤が出ておりますのでメモを入れておきますね。シュタルケルはブラームスのチェロ・ソナタを何回か録っており1954年シュタルケル30歳の時ピアノのA,ボージンとの盤から晩年1992年P.ブッフビンダーのピアノで録った演奏(タイム第1番@14’17A5’18B6’49、第2番@9’41A7’30B7’09C4’53)盤の他に本盤演奏ピアノがJ.シュベックと1959年録音したものがあります。この二人は出身も年齢も似通っていますが演奏の方は何となく付かず離れずと言った処でしょう。第1番(@13’46A5’25B6’30)で第1楽章からブラームスの若さを保ちつつ落ち着いた運びであります。この楽章の例のヒロイックなテーマはもうちょっと強調して欲しくはありましたが・・・。穏やかな中間楽章を経て最終楽章はフーガ技法を明確にそのラインを示します、ただひたすら直截に時には激しさも見せますが決して乱れずに〆に追い込みます。余計な事は言わずに仕上げた感じでもあります。第2番(@9’35A7’31B7’14C4’33)の方はブラームス自身第1番から約二十年経っているだけに作品の持つスケール感をどう表現してくれるかが聴き処。第1楽章では晦渋さも薄く伸びやかな力強さが印象的ですね。ピチカートでスタートする続く楽章は線の太い歯切れの良さが余韻を持った〆と対照さを増長させます。やや急かす様なスタートをする第3楽章での後段の見得切りでの太い音質感は素晴らしいです。第4楽章は個人的には少し付け足し的な先入観もあり独立曲として捉えて私自身久しいのですがジプシー的に動機を交えて結構活気があり後段見得切りのピチカートは先の楽章同様のシュタルケルの特徴が出ている様です。本盤演奏での伴奏との「付かず離れず」を物足りないと思われる方もいるかもしれませんが私は程ほどな距離感で評価出来ました。メンデルスゾーンの方は未聴であり取りあえずOKランクにしておきます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
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