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Review List of つよしくん 

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  • 4 people agree with this review
     2011/09/10

    本盤におさめられたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、ムターによる約20年ぶりの2度目の録音である。最初の録音は、ムターがいまだハイティーンの時代の演奏(1979年)であり、バックは、ムターのパトロンでもあったカラヤン、そしてオーケストラはベルリン・フィルという超豪華な布陣によるものであった。当該演奏は素晴らしい名演として現在においても燦然と輝いてはいるものの、演奏の主導権はカラヤン&ベルリン・フィルが終始握っており、ムターはその土俵の上で懸命に演奏しているという印象が拭えないところだ。もちろん、ムターも精一杯の渾身の演奏を行ってはいるのだが、いまだハイティーンということもあって、その個性を全面的に発揮するまでには至らず、いささか線の細さを感じさせずにはいられなかったとも言える。したがって、旧演奏はムターの個性というよりはむしろカラヤン&ベルリン・フィルによる重厚な演奏がトレードマークの名演と言えるが、これに対して、本演奏は、旧演奏から約20年の歳月を経て円熟の境地に達しつつあるムターが、その個性を全面的に発揮させた演奏と言えるのではないだろうか。本演奏においては、旧演奏においていささか気になった線の細さなどはいささかも感じられず、近年のムターならではの骨太の力強い演奏を聴くことが可能である。例によって、心を込め抜いた熱きロマンティシズムや変幻自在のテンポの変化、思い切った強弱の付加など、自由奔放とも言うべき個性的な演奏を繰り広げてはいるが、それでいて格調の高さをいささかも失うことがないのはムターの類稀なる豊かな音楽性と円熟の賜物であると考えられるところだ。卓越した技量においても申し分がないところであるが、ムターの場合は巧さを感じさせることがなく、いわゆる技巧臭よりも音楽そのものの美しさのみが際立っているのが素晴らしいと言える。こうしたムターの円熟のヴァイオリン演奏を下支えしているのがマズア&ニューヨーク・フィルであるが、さすがにカラヤン&ベルリン・フィルと比較すると、重厚さや技量においていささか分が悪いのは否めないところだ。もっとも、楽曲が重厚な分厚い演奏を必要とするブラームスのヴァイオリン協奏曲ではなくベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ということもあり、必ずしも不満を感じさせるというほどではなく、むしろムターのヴァイオリン演奏を引き立てるという意味においては、過不足のない名演奏を行っていると言えなくもない。いずれにしても、本演奏はムターの円熟の個性的な名演奏を存分に味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。併録のヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第1番&第2番も、ヴァイオリン協奏曲と同様のアプローチによる素晴らしい名演だ。音質は2002年のスタジオ録音ということもあって十分に満足できるものであり、SHM−CD盤などはさらに素晴らしい音質であると言える。もっとも、数年前に発売された本マルチチャンネル付きのSACDハイブリッド盤は更に素晴らしい高音質であり、その臨場感溢れる鮮明な高音質は、ムターのヴァイオリン演奏の素晴らしさを更に認識させるのに十分であると言える。従来盤やSHM−CD盤と比較するとやや高額ではあるが、可能であれば本SACD盤の方の購入をおすすめしておきたいと考える。

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  • 3 people agree with this review
     2011/09/10

    本盤におさめられたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、ムターによる約20年ぶりの2度目の録音である。最初の録音は、ムターがいまだハイティーンの時代の演奏(1979年)であり、バックは、ムターのパトロンでもあったカラヤン、そしてオーケストラはベルリン・フィルという超豪華な布陣によるものであった。当該演奏は素晴らしい名演として現在においても燦然と輝いてはいるものの、演奏の主導権はカラヤン&ベルリン・フィルが終始握っており、ムターはその土俵の上で懸命に演奏しているという印象が拭えないところだ。もちろん、ムターも精一杯の渾身の演奏を行ってはいるのだが、いまだハイティーンということもあって、その個性を全面的に発揮するまでには至らず、いささか線の細さを感じさせずにはいられなかったとも言える。したがって、旧演奏はムターの個性というよりはむしろカラヤン&ベルリン・フィルによる重厚な演奏がトレードマークの名演と言えるが、これに対して、本演奏は、旧演奏から約20年の歳月を経て円熟の境地に達しつつあるムターが、その個性を全面的に発揮させた演奏と言えるのではないだろうか。本演奏においては、旧演奏においていささか気になった線の細さなどはいささかも感じられず、近年のムターならではの骨太の力強い演奏を聴くことが可能である。例によって、心を込め抜いた熱きロマンティシズムや変幻自在のテンポの変化、思い切った強弱の付加など、自由奔放とも言うべき個性的な演奏を繰り広げてはいるが、それでいて格調の高さをいささかも失うことがないのはムターの類稀なる豊かな音楽性と円熟の賜物であると考えられるところだ。卓越した技量においても申し分がないところであるが、ムターの場合は巧さを感じさせることがなく、いわゆる技巧臭よりも音楽そのものの美しさのみが際立っているのが素晴らしいと言える。こうしたムターの円熟のヴァイオリン演奏を下支えしているのがマズア&ニューヨーク・フィルであるが、さすがにカラヤン&ベルリン・フィルと比較すると、重厚さや技量においていささか分が悪いのは否めないところだ。もっとも、楽曲が重厚な分厚い演奏を必要とするブラームスのヴァイオリン協奏曲ではなくベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ということもあり、必ずしも不満を感じさせるというほどではなく、むしろムターのヴァイオリン演奏を引き立てるという意味においては、過不足のない名演奏を行っていると言えなくもない。いずれにしても、本演奏はムターの円熟の個性的な名演奏を存分に味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。併録のヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第1番&第2番も、ヴァイオリン協奏曲と同様のアプローチによる素晴らしい名演だ。音質は2002年のスタジオ録音ということもあって十分に満足できるものであり、本SHM−CD盤などはさらに素晴らしい音質であると言える。もっとも、数年前に発売されたマルチチャンネル付きのSACDハイブリッド盤は更に素晴らしい高音質であり、その臨場感溢れる鮮明な高音質は、ムターのヴァイオリン演奏の素晴らしさを更に認識させるのに十分であると言える。もっとも、当該SACD盤は現在では入手難であるが、可能であれば中古CD店などで購入されることを是非ともおすすめしておきたいと考える。

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     2011/09/09

    本盤には、バーンスタインがツィマーマンと組んでライヴ録音したブラームスのピアノ協奏曲第2番がおさめられているが、素晴らしい名演と高く評価したい。バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、とてつもない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏が目白押しであったように思われる。本盤の演奏とほぼ同時期に、バーンスタインはウィーン・フィルとともにブラームスの交響曲全集をライヴ録音(1981〜1982年)しており、当該演奏もどちらかと言えば疑問符を付けざるを得ない点も散見されるところであるが、ウィーン・フィルの懐の深い音色が演奏を浅薄なものに陥るのを避けるための大きな防波堤になり、少なくとも佳演との評価は可能な演奏に仕上がっていると言える。一方、本盤の演奏においても、基本的には交響曲全集の場合と同様であり、いかにもバーンスタインの晩年の芸風が色濃く反映された演奏に仕上がっている。第1楽章冒頭の超スローテンポによる開始には殆ど閉口させられるが、その後も極めて遅いテンポ、ゲネラルパウゼの多用、粘ったような曲想の進行、濃厚さの極みとも言うべき表情過多な表現などが駆使されており、これ以上は考えられないような濃密な音楽が構築されている。したがって、いわゆるドイツ正統派のブラームス演奏とは百八十度異なる異色の演奏であり、バーンスタインがマーラーの交響曲の演奏で垣間見せるヒューマニティ溢れる熱き心で満たされているとさえ言えるだろう。正に、バーンスタインの体臭がふんぷんとしている演奏と言えるところであり、これは好き嫌いが明確に分かれる演奏であるとも言えるところだ。もっとも、本盤の演奏では、ツィマーマンのピアノが清新さに満ち溢れた名演奏を展開していることから、バーンスタインの体臭芬々たる濃厚な演奏が若干なりとも中和されていると言えるところであり、交響曲全集ほどの違和感を感じさせることがないと言える。そして、ウィーン・フィルによる懐の深い美演が、演奏全体に独特の潤いを与えているのを忘れてはならないところだ。いずれにしても、以上の点を総合的に勘案すれば、本盤の演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。音質は、本従来盤でも十分に満足できるものであるが、先日発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。バーンスタイン、そしてツィマーマンによる素晴らしい名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。

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     2011/09/09

    本盤には、バーンスタインがツィマーマンと組んでライヴ録音したブラームスのピアノ協奏曲第2番がおさめられているが、素晴らしい名演と高く評価したい。バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、とてつもない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏が目白押しであったように思われる。本盤の演奏とほぼ同時期に、バーンスタインはウィーン・フィルとともにブラームスの交響曲全集をライヴ録音(1981〜1982年)しており、当該演奏もどちらかと言えば疑問符を付けざるを得ない点も散見されるところであるが、ウィーン・フィルの懐の深い音色が演奏を浅薄なものに陥るのを避けるための大きな防波堤になり、少なくとも佳演との評価は可能な演奏に仕上がっていると言える。一方、本盤の演奏においても、基本的には交響曲全集の場合と同様であり、いかにもバーンスタインの晩年の芸風が色濃く反映された演奏に仕上がっている。第1楽章冒頭の超スローテンポによる開始には殆ど閉口させられるが、その後も極めて遅いテンポ、ゲネラルパウゼの多用、粘ったような曲想の進行、濃厚さの極みとも言うべき表情過多な表現などが駆使されており、これ以上は考えられないような濃密な音楽が構築されている。したがって、いわゆるドイツ正統派のブラームス演奏とは百八十度異なる異色の演奏であり、バーンスタインがマーラーの交響曲の演奏で垣間見せるヒューマニティ溢れる熱き心で満たされているとさえ言えるだろう。正に、バーンスタインの体臭がふんぷんとしている演奏と言えるところであり、これは好き嫌いが明確に分かれる演奏であるとも言えるところだ。もっとも、本盤の演奏では、ツィマーマンのピアノが清新さに満ち溢れた名演奏を展開していることから、バーンスタインの体臭芬々たる濃厚な演奏が若干なりとも中和されていると言えるところであり、交響曲全集ほどの違和感を感じさせることがないと言える。そして、ウィーン・フィルによる懐の深い美演が、演奏全体に独特の潤いを与えているのを忘れてはならないところだ。いずれにしても、以上の点を総合的に勘案すれば、本盤の演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。音質は、従来盤でも十分に満足できるものであったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。バーンスタイン、そしてツィマーマンによる素晴らしい名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。

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     2011/09/07

    ベームは終生に渡ってモーツァルトを深く敬愛していた。ベルリン・フィルと成し遂げた交響曲全集(1959〜1968年)や、バックハウスやポリーニと組んで演奏したピアノ協奏曲の数々、ウィーン・フィルやベルリン・フィルのトップ奏者との各種協奏曲、そして様々なオペラなど、その膨大な録音は、ベームのディスコグラフィの枢要を占めるものであると言っても過言ではあるまい。そのようなベームも晩年になって、ウィーン・フィルとの2度目の交響曲全集の録音を開始することになった。しかしながら、有名な6曲(第29、35、38〜41番)を録音したところで、この世を去ることになってしまい、結局は2度目の全集完成を果たすことができなかったところである。ところで、このウィーン・フィルとの演奏の評価が不当に低いというか、今や殆ど顧みられない存在となりつつあるのはいかがなものであろうか。ベルリン・フィルとの全集、特に主要な6曲(第35、36、38〜41番)については、リマスタリングが何度も繰り返されるとともに、とりわけ第40番及び第41番についてはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化もされているにもかかわらず、ウィーン・フィルとの録音は、リマスタリングされるどころか、国内盤は現在では廃盤の憂き目に陥っているという極めて嘆かわしい現状にあると言える。確かに、本盤におさめられた第40番及び第41番の演奏については、ベルリン・フィルとの演奏(1961年)と比較すると、ベームならではの躍動感溢れるリズムが硬直化し、ひどく重々しい演奏になっていると言える。これによって、モーツァルトの交響曲に存在している高貴にして優美な愉悦性が著しく損なわれているのは事実である。しかしながら、一聴すると武骨とも言えるような各フレーズから滲み出してくる奥行きのある情感は、人生の辛酸を舐め尽くした老巨匠だけが描出し得る諦観や枯淡の味わいに満たされていると言えるところであり、その神々しいまでの崇高さにおいては、ベルリン・フィルとの演奏をはるかに凌駕していると言えるところである。いずれにしても、総体としてはベルリン・フィル盤の方がより優れた名演と言えるが、本演奏の前述のような奥行きのある味わい深さ、崇高さにも抗し難い魅力があり、本演奏をベームの最晩年を代表する名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。音質については、従来盤でも十分に満足できる音質であるが、今後は、リマスタリングを施すとともにSHM−CD化、更にはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなどによって、本名演のより広い認知に繋げていただくことを大いに期待しておきたい。

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     2011/09/07

    ベームは終生に渡ってモーツァルトを深く敬愛していた。ベルリン・フィルと成し遂げた交響曲全集(1959〜1968年)や、バックハウスやポリーニと組んで演奏したピアノ協奏曲の数々、ウィーン・フィルやベルリン・フィルのトップ奏者との各種協奏曲、そして様々なオペラなど、その膨大な録音は、ベームのディスコグラフィの枢要を占めるものであると言っても過言ではあるまい。そのようなベームも晩年になって、ウィーン・フィルとの2度目の交響曲全集の録音を開始することになった。しかしながら、有名な6曲(第29、35、38〜41番)を録音したところで、この世を去ることになってしまい、結局は2度目の全集完成を果たすことができなかったところである。ところで、このウィーン・フィルとの演奏の評価が不当に低いというか、今や殆ど顧みられない存在となりつつあるのはいかがなものであろうか。ベルリン・フィルとの全集、特に主要な6曲(第35、36、38〜41番)については、リマスタリングが何度も繰り返されるとともに、とりわけ第40番及び第41番についてはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化もされているにもかかわらず、ウィーン・フィルとの録音は、リマスタリングされるどころか、国内盤は現在では廃盤の憂き目に陥っているという極めて嘆かわしい現状にあると言える。確かに、本盤におさめられた第40番及び第41番の演奏については、ベルリン・フィルとの演奏(1961年)と比較すると、ベームならではの躍動感溢れるリズムが硬直化し、ひどく重々しい演奏になっていると言える。これによって、モーツァルトの交響曲に存在している高貴にして優美な愉悦性が著しく損なわれているのは事実である。しかしながら、一聴すると武骨とも言えるような各フレーズから滲み出してくる奥行きのある情感は、人生の辛酸を舐め尽くした老巨匠だけが描出し得る諦観や枯淡の味わいに満たされていると言えるところであり、その神々しいまでの崇高さにおいては、ベルリン・フィルとの演奏をはるかに凌駕していると言えるところである。いずれにしても、総体としてはベルリン・フィル盤の方がより優れた名演と言えるが、本演奏の前述のような奥行きのある味わい深さ、崇高さにも抗し難い魅力があり、本演奏をベームの最晩年を代表する名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。音質については、従来盤でも十分に満足できる音質であるが、今後は、リマスタリングを施すとともにSHM−CD化、更にはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなどによって、本名演のより広い認知に繋げていただくことを大いに期待しておきたい。

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     2011/09/06

    本盤には、カラヤンがウィーン・フィルを指揮して演奏したドヴォルザークの交響曲第9番及びスメタナの交響詩「モルダウ」がおさめられている。両曲ともにカラヤンは十八番としており、これまでに何度もスタジオ録音を繰り返し行っている。交響曲第9番については、手兵ベルリン・フィルとの4つの演奏(1940年、1957年、1964年及び1977年)、交響詩「モルダウ」についても、同じく手兵ベルリン・フィルとの3つの演奏(1958年、1967年、1977年)が存在している。いずれ劣らぬ名演であると言えるが、これらの名演の中でとりわけカラヤンの個性が発揮された演奏は、ベルリン・フィルとの全盛期の1970年代の演奏であったと言える。この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていたと言える。カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。したがって、両曲についても、いずれも1977年盤においてかかる圧倒的な音のドラマが健在であると言えるが、この稀代の黄金コンビも1982年のザビーネ・マイヤー事件の勃発を契機として、大きな亀裂が入ることになった。加えて、カラヤン自身の健康悪化もあり、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏にもかつてのような輝きが失われることになったところだ。そのような傷心のカラヤンに温かく手を差し伸べたのがウィーン・フィルであり、カラヤンもウィーン・フィルに指揮活動の軸足を動かすことになった。本盤の演奏は、そのような時期(1985年)のカラヤンによる演奏であり、ここには1977年盤のようなオーケストラを圧倒的な統率力でドライブして音のドラマを構築したかつてのカラヤンの姿はどこにも見られない。ただただ音楽そのものを語らせる演奏であるとさえ言えるだろう。したがって、カラヤンの個性の発揮という意味においては1977年盤と比較していささか弱いと言わざるを得ないが、演奏が含有する独特の味わい深さや奥行きの深さという意味においては、本演奏の方をより上位に掲げたいと考える。特に、交響曲第9番の第2楽章。有名な家路の旋律をカラヤンは情感豊かに演奏するが、中間部は若干テンポを落として心を込めて歌い抜いている。この箇所の抗し難い美しさはこれまでの他の演奏からは決して聴けないものであり、これこそカラヤンが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。ウィーン・フィルも、名誉指揮者であるカラヤンに心から敬意を表して、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の大熱演を披露しているのが素晴らしい。いずれにしても、本演奏は、重厚さと優美さ、ドヴォルザークやスメタナならではのボヘミア風の抒情、そして、カラヤンが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地とも言うべき独特の味わい深さと言ったすべての要素を兼ね備えた、正に完全無欠の超名演と高く評価したい。音質は、リマスタリングがなされたこともあって本盤でも十分に満足できるものであると言えるが、SHM−CD盤の方が若干ではあるが、音質がやや鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。もっとも、カラヤンによる至高の超名演でもあり、今後はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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     2011/09/06

    本盤には、カラヤンがウィーン・フィルを指揮して演奏したドヴォルザークの交響曲第8番及び第9番がおさめられている。両曲ともにカラヤンは十八番としており、これまでに何度もスタジオ録音を繰り返し行っている。第8番で言えば、数年前にESOTERICがSACD化して話題となったウィーン・フィルとの演奏(1961年)、そして手兵ベルリン・フィルとの演奏(1979年)があり、第9番については、手兵ベルリン・フィルとの4つの演奏(1940年、1957年、1964年及び1977年)が存在している。いずれ劣らぬ名演であると言えるが、これらの名演の中でとりわけカラヤンの個性が発揮された演奏は、ベルリン・フィルとの全盛期の1970年代の演奏であったと言える。この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていたと言える。カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。したがって、両曲についても、特に第9番については1977年盤、第8番については1979年盤においてかかる圧倒的な音のドラマが健在であると言えるが、この稀代の黄金コンビも1982年のザビーネ・マイヤー事件の勃発を契機として、大きな亀裂が入ることになった。加えて、カラヤン自身の健康悪化もあり、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏にもかつてのような輝きが失われることになったところだ。そのような傷心のカラヤンに温かく手を差し伸べたのがウィーン・フィルであり、カラヤンもウィーン・フィルに指揮活動の軸足を動かすことになった。本盤の演奏は、そのような時期(1985年)のカラヤンによる演奏であり、ここには1977年盤(第9番)や1979年盤(第8番)のようなオーケストラを圧倒的な統率力でドライブして音のドラマを構築したかつてのカラヤンの姿はどこにも見られない。ただただ音楽そのものを語らせる演奏であるとさえ言えるだろう。したがって、カラヤンの個性の発揮という意味においては1977年盤(第9番)や1979年盤(第8番)と比較していささか弱いと言わざるを得ないが、演奏が含有する独特の味わい深さや奥行きの深さという意味においては、本演奏の方をより上位に掲げたいと考える。特に、第9番の第2楽章。有名な家路の旋律をカラヤンは情感豊かに演奏するが、中間部は若干テンポを落として心を込めて歌い抜いている。この箇所の抗し難い美しさはこれまでの他の演奏からは決して聴けないものであり、これこそカラヤンが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。第8番の第3楽章の名旋律の清澄な美しさにも枯淡の境地を感じさせるような抗し難い魅力があると言える。ウィーン・フィルも、名誉指揮者であるカラヤンに心から敬意を表して、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の大熱演を披露しているのが素晴らしい。いずれにしても、本演奏は、重厚さと優美さ、ドヴォルザークならではのボヘミア風の抒情、そして、カラヤンが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地とも言うべき独特の味わい深さと言ったすべての要素を兼ね備えた、正に完全無欠の超名演と高く評価したい。このような完全無欠の超名演を2曲カプリングしたCDというのは、野球の試合に例えれば、ダブルヘッダーで両試合とも完全試合を達成したようなものであるとさえ言えるだろう。音質は、リマスタリングがなされたこともあって従来盤でも十分に満足できるものであると言えるが、SHM−CD化によって若干ではあるが、音質がやや鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。もっとも、カラヤンによる至高の超名演でもあり、今後はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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     2011/09/05

    本盤には、キーシンがピアノ演奏を行ったチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番がおさめられている。協奏曲は、ピアニストだけでなく、指揮者があってこそはじめて成り立つことも考慮に入れれば、指揮者が異なるこのような演奏どうしのカプリングについては大いに問題があると言えるところであり、敢えて苦言を呈しておきたい。いずれも名演であり、キーシンの個性があらわれているのはプロコフィエフの方であろうが、より優れた名演はチャイコフスキーの方であると考える。それは、何よりも、バックをカラヤン&ベルリン・フィルがつとめたというのが大きいと言える。本盤の演奏は、カラヤンのベルリンでの最後のコンサートとなったジルヴェスターコンサート(1988年12月31日)の直前に収録されたものとされている(加えて、ベルリン・フィルとのラスト・レコーディングにも相当する。)。もっとも、CDにはライヴ・レコーディングと表記されており、演奏終了後の拍手が収録されていることから、ジルヴェスターコンサートでの実演をベースにしつつ、一部にゲネプロでの演奏が編集されているのではないかとも考えられるところだ。当時のカラヤンとベルリン・フィルの関係は決裂寸前。そして、カラヤンの健康も歩行すら困難な最悪の状況であり、コンサートが行われたこと自体が奇跡でもあった。それだけに、本演奏にかけるカラヤンの凄まじいまでの執念は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を有していると言える。1960年代や1970年代のカラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の演奏のような、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマはもはや本演奏においては殆ど聴くことができない。そして、カラヤン自身の統率力にも衰えが見られるなど、演奏の完成度という意味においては随所に瑕疵が散見されると言わざるを得ないが、前述のような本演奏にかける凄まじいまでの執念と、そしてキーシンという若き才能のあるピアニストを慈しむような懐の深い指揮が、本演奏をして至高の超名演たらしめているのであると考える。テンポは極めてゆったりとしたものであるが、これはカラヤンが自らの波乱に満ちた生涯を、そしてベルリンで行った数々の演奏会を自省の気持ちを込めて振り返るような趣きもあると言えるところであり、本演奏は、カラヤンが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地にあるとも言えるであろう。他方、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番は、バックがアバド&ベルリン・フィルだけに、キーシンの個性が全開であると言える。卓越した技量をベースとして、強靱な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現力の幅は桁外れに広く、いかにもキーシンならではの堂々たるピアニズムを展開している。アバド&ベルリン・フィルの演奏も、前述のカラヤンによる演奏と比較すると、長いトンネルを抜けたような軽妙さであると言えるが、キーシンのピアノの引き立て役としては申し分のない名演奏を繰り広げていると評価したい。音質は従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、キーシンのピアノタッチがより鮮明に再現されるとともに、音場が幅広くなったように思われる。いずれにしても、キーシンによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。そして、可能であれば、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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     2011/09/05

    本盤には、キーシンが最晩年のカラヤン&ベルリン・フィルと組んで行った唯一の演奏であるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番がおさめられているが、至高の超名演と高く評価したい。それは、何よりも、バックをカラヤン&ベルリン・フィルがつとめたというのが大きいと言える。本盤の演奏は、カラヤンのベルリンでの最後のコンサートとなったジルヴェスターコンサート(1988年12月31日)の直前に収録されたものとされている(加えて、ベルリン・フィルとのラスト・レコーディングにも相当する。)。もっとも、CDにはライヴ・レコーディングと表記されており、演奏終了後の拍手が収録されていることから、ジルヴェスターコンサートでの実演をベースにしつつ、一部にゲネプロでの演奏が編集されているのではないかとも考えられるところだ。当時のカラヤンとベルリン・フィルの関係は決裂寸前。そして、カラヤンの健康も歩行すら困難な最悪の状況であり、コンサートが行われたこと自体が奇跡でもあった。それだけに、本演奏にかけるカラヤンの凄まじいまでの執念は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を有していると言える。1960年代や1970年代のカラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の演奏のような、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマはもはや本演奏においては殆ど聴くことができない。そして、カラヤン自身の統率力にも衰えが見られるなど、演奏の完成度という意味においては随所に瑕疵が散見されると言わざるを得ないが、前述のような本演奏にかける凄まじいまでの執念と、そしてキーシンという若き才能のあるピアニストを慈しむような懐の深い指揮が、本演奏をして至高の超名演たらしめているのであると考える。テンポは極めてゆったりとしたものであるが、これはカラヤンが自らの波乱に満ちた生涯を、そしてベルリンで行った数々の演奏会を自省の気持ちを込めて振り返るような趣きもあると言えるところであり、本演奏は、カラヤンが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地にあるとも言えるであろう。キーシンのピアノ演奏も、カラヤンに対していささかも引けを取っておらず、卓越した技量をベースとして、強靱な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現力の幅は桁外れに広く、いかにもキーシンならではの堂々たるピアニズムを展開していると評価したい。併録のスクリャービンのピアノ曲も、キーシンならではの豊かな表現力が発揮された素晴らしい名演に仕上がっていると言える。音質は従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、先日発売されたSHM−CD盤(カプリングが、アバドとのプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番に変更されている。)は、若干ではあるが、キーシンのピアノタッチがより鮮明に再現されるとともに、音場が幅広くなったように思われる。いずれにしても、いまだ未聴で、カラヤン、そしてキーシンによる至高の超名演を、できるだけ良好な音質で聴きたいという者には、SHM−CD盤の方の購入をおすすめしておきたい。そして、可能であればシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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     2011/09/04

    本盤におさめられたブラームスの交響曲全集は、カラヤン&ベルリン・フィルによる3度目の、そして最後のスタジオ録音である。それだけでなく、数多くの様々な作曲家に係る交響曲全集のスタジオ録音を行ってきた、史上最高のレコーディング・アーティストであるカラヤンによる最後の交響曲全集にも相当する。3度にわたるカラヤン&ベルリン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも、最もカラヤンの個性が発揮されているのは、1977〜1978年に録音された2度目の全集であると考えられる。というのも、この当時はカラヤン&ベルリン・フィルの全盛期であったと言えるからだ。分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていたと言える。カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。当該2度目の全集においても、かかる圧倒的な音のドラマは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンドに覆い尽くされた圧巻の名演に仕上がっていたと言える。これに対して、本盤の3度目の全集においては、カラヤンの統率力の衰えは隠しようもないと言える。1982年に勃発したザビーネ・マイヤー事件によって、カラヤンとベルリン・フィルの間には修復不可能な亀裂が入るとともに、カラヤン自身の著しい健康悪化も加わって、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏に、1970年代以前のような輝きが失われるようになったからだ。したがって、いわゆるカラヤンの個性が全開であるとか、はたまたカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマの構築と言った観点からすれば、第1番などには全盛期の豪演の片鱗が感じられなくもないが、前述の1977〜1978年の2度目の全集と比較するといささか劣っていると言わざるを得ない。しかしながら、本演奏には、死の1〜3年前の演奏ということもあって、枯淡の境地を感じさせるような独特の味わいがあると言えるところであり、このような演奏の奥深い味わい深さと言った点においては、カラヤンによるこれまでのいかなる演奏をも凌駕していると言えるだろう。このような奥行きのある味わい深さは、カラヤンが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地であったと言えるのかもしれない。もっとも、本盤においては、何故か交響曲第4番について1988年の録音ではなく、1977〜1978年の2度目の全集中の録音を採用している。演奏自体は1977〜1978年の演奏もきわめて優れてはいるのであるが、全集の構成としてははなはだ疑問を感じずにはいられない。最近になって、最後の全集が輸入盤で発売はされたが、このような疑問を感じさせるカプリングについては、早急にあらためていただくようにユニバーサルに対して要望しておきたい。音質は、従来盤でも十分に満足できるものであると言えるが、数年前にカラヤン生誕100年を記念して発売されたSHM−CD盤がより良好な音質であった。もっとも、カラヤンによる最晩年の至高の名演でもあり、今後はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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     2011/09/04

    本盤におさめられたブラームスの交響曲全集は、カラヤン&ベルリン・フィルによる3度目の、そして最後のスタジオ録音である。それだけでなく、数多くの様々な作曲家に係る交響曲全集のスタジオ録音を行ってきた、史上最高のレコーディング・アーティストであるカラヤンによる最後の交響曲全集にも相当する。3度にわたるカラヤン&ベルリン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも、最もカラヤンの個性が発揮されているのは、1977〜1978年に録音された2度目の全集であると考えられる。というのも、この当時はカラヤン&ベルリン・フィルの全盛期であったと言えるからだ。分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていたと言える。カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。当該2度目の全集においても、かかる圧倒的な音のドラマは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンドに覆い尽くされた圧巻の名演に仕上がっていたと言える。これに対して、本盤の3度目の全集においては、カラヤンの統率力の衰えは隠しようもないと言える。1982年に勃発したザビーネ・マイヤー事件によって、カラヤンとベルリン・フィルの間には修復不可能な亀裂が入るとともに、カラヤン自身の著しい健康悪化も加わって、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏に、1970年代以前のような輝きが失われるようになったからだ。したがって、いわゆるカラヤンの個性が全開であるとか、はたまたカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマの構築と言った観点からすれば、第1番などには全盛期の豪演の片鱗が感じられなくもないが、前述の1977〜1978年の2度目の全集と比較するといささか劣っていると言わざるを得ない。しかしながら、本演奏には、死の1〜3年前の演奏ということもあって、枯淡の境地を感じさせるような独特の味わいがあると言えるところであり、このような演奏の奥行きのある味わい深さと言った点においては、カラヤンによるこれまでのいかなる演奏をも凌駕していると言えるだろう。このような奥行きのある味わい深さは、カラヤンが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地であったと言えるのかもしれない。音質は、従来盤でも十分に満足できるものであると言えるが、数年前にカラヤン生誕100年を記念して発売されたSHM−CD盤がより良好な音質であった。もっとも、カラヤンによる最晩年の至高の名演でもあり、今後はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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     2011/09/04

    カラヤンは4度にわたってベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音しているが、その中でも最もカラヤンの個性があらわれた演奏は、1975〜1977年に録音された3度目の全集であると言えるのではないだろうか。この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビは正に全盛期を迎えていた。分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていたと言える。カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。とりわけ、3度目の全集においてはかかる音のドラマは健在であり、中でも当該全集の掉尾を飾る本盤の交響曲第9番の演奏は、おそらくは同曲のスタジオ録音史上でも最高峰の音のドラマが構築されていると言っても過言ではあるまい。そして、このような卓越した音のドラマは、フルトヴェングラーなどによる音楽の内容の精神的な深みを徹底して追及した名演とはあらゆる意味で対極にある演奏であると言えるが、私としては、演奏芸術の在り方は多様であるべきと考えており、そもそも次元が異なる両名演の優劣を云々するのはそもそもナンセンスであると考えている。なお、昨年、1977年にカラヤン&ベルリン・フィルが来日した際の普門館でのライヴ録音が発売され、中でも第9番はカラヤン自身が演奏の出来に満足したこともあって圧倒的な超名演に仕上がっており、演奏の質だけをとれば本演奏よりもより上位に掲げるべきであるが、音質やオーケストラの安定性などを総合的に勘案すれば、本演奏も当該普門館ライヴ盤に十分に比肩し得る至高の超名演と高く評価したい。独唱は、ソプラノのアンナ・トモワ=シントウ、メゾ・ソプラノのアグネス・バルツァ、テノールのペーター・シュライアー、そしてバリトンのジョゼ・ヴァン・ダムという、いわゆるカラヤンの旗本とも言うべき超豪華歌手陣の揃い踏みであるが、本演奏でもその名に恥じない圧倒的な名唱を披露してくれているのが素晴らしい。そして、いささか技量に問題があるウィーン楽友協会合唱団も、本演奏ではカラヤンの卓越した指揮に導かれて、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の熱唱を展開しているのが見事である。また、本盤は、マルチチャンネル付きのSACD盤で発売されているのが何よりも魅力であり、カラヤンによる至高の超名演を臨場感溢れる高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。また、本盤を聴いて、3度目の全集におさめられたその他の交響曲の演奏もSACD盤で聴きたいと思った聴き手は私だけではあるまい。

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     2011/09/04

    これは素晴らしい名演だ。若き日のバーンスタインによる傑作の一つと言っても過言ではあるまい。バーンスタインは、1980年代に入ると、演奏のテンポが大幅に遅くなるとともに、濃厚でいささか大仰な演奏を行うようになった。マーラーの交響曲・歌曲集など、極めて優れた円熟の名演もある一方で、かかる晩年の芸風が大きくマイナスに働き、ウドの大木の誹りを免れないような凡演も多かったというのも否めない事実であったと言える。しかしながら、ニューヨーク・フィルの音楽監督(1958〜1970年)をつとめていた時代の若き日のバーンスタインの演奏は、こうした晩年の芸風とは正反対であり、若武者ならではの爽快で溌剌とした快演を数多く行っていたところだ。ある意味ではヤンキー気質丸出しの演奏と言えるところであり、オーケストラにも強引とも言うべき最強奏させることも多々あったが、それ故に音楽内容の精神的な深みの追及など薬にしたくもない薄味の演奏も多かったと言えるところだ。もっとも、自ら作曲も手がけていたという類稀なる音楽性の豊かさは顕著にあらわれており、自らの芸風と符号した楽曲においては、熱のこもったとてつもない名演を成し遂げることも多かったと言える。例えば、この時代に完成されたバーンスタインによる最初のマーラーの交響曲全集(1960〜1975年)は、後年の3つのオーケストラを振り分けた全集(1966〜1990年)とは違った魅力を有していると言える。そして、本盤におさめられたガーシュウィンの有名な2大名曲についても、当時のバーンスタインの芸風と符号しており、爽快で圧倒的な生命力に満ち溢れたノリノリの指揮ぶりが見事であると言える。とりわけ、ガーシュウィンのラプソディ・イン・ブルーにおいては、バーンスタインが指揮のみならずピアノまで受け持っているが、その才気が迸った情感のこもったピアノ演奏は、本名演の価値をさらに高めることに大きく貢献しているのを忘れてはならない。円熟という意味では後年の演奏(1982年)を採るべきであるが、圧倒的な熱演という意味においては本演奏もいささかも引けを取っていないと考える。また、パリのアメリカ人は、あたかもこれからヨーロッパに進出していくバーンスタインの自画像を描いているような趣きがあり、自らに重ね合わせたかのような大熱演は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っていると言える。音質は、今から約50年前のものであり、必ずしも満足できるものではなかったが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるSACD盤は、DSDリマスタリングも相まって見違えるような高音質に生まれ変わったと言える。もっとも、当該SACD盤は現在では入手難であり、その場合は現在でも入手可能なBlu-spec-CD盤がベターな音質であると言える。前述のDSDリマスタリングによって、少なくとも従来盤とは別次元の鮮明な音質に生まれ変わっており、若きバーンスタインによる名演を味わうには十分に満足できる高音質であると評価したい。

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     2011/09/04

    これは素晴らしい名演だ。若き日のバーンスタインによる傑作の一つと言っても過言ではあるまい。バーンスタインは、1980年代に入ると、演奏のテンポが大幅に遅くなるとともに、濃厚でいささか大仰な演奏を行うようになった。マーラーの交響曲・歌曲集など、極めて優れた円熟の名演もある一方で、かかる晩年の芸風が大きくマイナスに働き、ウドの大木の誹りを免れないような凡演も多かったというのも否めない事実であったと言える。しかしながら、ニューヨーク・フィルの音楽監督(1958〜1970年)をつとめていた時代の若き日のバーンスタインの演奏は、こうした晩年の芸風とは正反対であり、若武者ならではの爽快で溌剌とした快演を数多く行っていたところだ。ある意味ではヤンキー気質丸出しの演奏と言えるところであり、オーケストラにも強引とも言うべき最強奏させることも多々あったが、それ故に音楽内容の精神的な深みの追及など薬にしたくもない薄味の演奏も多かったと言えるところだ。もっとも、自ら作曲も手がけていたという類稀なる音楽性の豊かさは顕著にあらわれており、自らの芸風と符号した楽曲においては、熱のこもったとてつもない名演を成し遂げることも多かったと言える。例えば、この時代に完成されたバーンスタインによる最初のマーラーの交響曲全集(1960〜1975年)は、後年の3つのオーケストラを振り分けた全集(1966〜1990年)とは違った魅力を有していると言える。そして、本盤におさめられたガーシュウィンやグローフェ、そして自作についても、当時のバーンスタインの芸風と符号しており、爽快で圧倒的な生命力に満ち溢れたノリノリの指揮ぶりが見事であると言える。とりわけ、ガーシュウィンのラプソディ・イン・ブルーにおいては、バーンスタインが指揮のみならずピアノまで受け持っているが、その才気が迸った情感のこもったピアノ演奏は、本名演の価値をさらに高めることに大きく貢献しているのを忘れてはならない。円熟という意味では後年の演奏(1982年)を採るべきであるが、圧倒的な熱演という意味においては本演奏もいささかも引けを取っていないと考える。また、パリのアメリカ人は、あたかもこれからヨーロッパに進出していくバーンスタインの自画像を描いているような趣きがあり、自らに重ね合わせたかのような大熱演は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っていると言える。グローフェの組曲「グランド・キャニオン」の各場面の描き分けの巧みさは心憎いばかりであるし、自作自演でもあるプレリュード、フーガとリフは、ジャズ界の大御所でもあるベニー・グッドマンの見事なクラリネット演奏と相まって、これ以上は求め得ないような圧倒的な名演奏を仕上がっているのが素晴らしい。音質は、今から約50年前のものであり、必ずしも満足できるものではなかったが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるSACD盤は、DSDリマスタリングも相まって見違えるような高音質に生まれ変わったと言える(自作自演のプレリュード、フーガとリフはおさめられていない。)。もっとも、当該SACD盤は現在では入手難であり、その場合は現在でも入手可能なBlu-spec-CD盤がベターな音質であると言える。前述のDSDリマスタリングによって、少なくとも従来盤とは別次元の鮮明な音質に生まれ変わっており、若きバーンスタインによる名演を味わうには十分に満足できる高音質であると評価したい。

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