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2 people agree with this review 2011/06/20
ルービンシュタインのショパンは、どの演奏も実に素晴らしい。本盤におさめられたピアノソナタ第2番及び第3番もその例外ではなく、いずれも至高の超名演と高く評価したい。ルービンシュタインのショパンが素晴らしいのは、私見ではあるが、ルービンシュタインがショパンに成り切っている(ショパンの化身と化している)からと言えるのではないだろうか。同郷の作曲家という側面もあるとは思うが、ショパンの音楽そのものがルービンシュタインの血となり肉となっているかのような趣きがあると言える。例えば、バーンスタインとマーラーの関係と同様であり、バーンスタインのマーラーが何故にあれほどの名演であり、人を惹きつけるのかと言えば、バーンスタインがマーラーの化身と化しているような演奏を行っているからにほかならない。本演奏におけるルービンシュタインのピアノも、何か特別なことをしているようには思えない。おそらくは、誠実にショパンの音楽に向き合っているだけであり、楽想を真摯に弾き抜いているに過ぎないのではないかと考えられる。にもかかわらず、すべての音には奥深い情感がこもっているとともに、ショパンの絶望感に満ちた心眼に鋭く切り込んでいくような彫の深さもごく自然に描出されていると言える。あたかも、ルービンシュタインがショパンの化身と化してピアノを弾いているかのようであり、これぞ作曲者と演奏家の幸福な出会いと評価すべきであると考える。ルービンシュタインによるショパンの楽曲の演奏は、他のどのピアニストによる演奏よりも安心して聴けるというのは、このような点に起因していると考えられるところであり、ここには、例えば何某かの個性的な解釈を施している他のピアニストによるショパン演奏などとは大きく次元が異なる大人(たいじん)の至芸があると言えるだろう。録音は1961年のスタジオ録音であり、今から50年も前のものであるが、今般のXRCD化によって見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。ルービンシュタインの至高のピアノ演奏を、XRCDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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10 people agree with this review 2011/06/20
本盤におさめられたブルックナーの交響曲全集は、世界的なブルックナー指揮者として名を馳せたヴァントによる唯一のものである。本全集の完成以降、ヴァントは手兵北ドイツ放送交響楽団やベルリン・フィル、ミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団などとともに数多くのブルックナーの交響曲の演奏・録音を行っているが、新たな全集を完成させることはなかったところだ。また、本全集を完成して以後の演奏・録音は、第3番以降の交響曲に限られていたことから、本全集におさめられた交響曲第1番及び第2番は、ヴァントによる唯一の録音してきわめて貴重な演奏であると言える。また、本盤におさめられた各交響曲の演奏は1974〜1981年にかけてのものであり、ヴァントがいまだ世界的なブルックナー指揮者としての名声を獲得していない壮年期の演奏である。したがって、1990年代における神々しいばかりの崇高な名演が誇っていたスケールの大きさや懐の深さはいまだ存在していないと言えるところであり、本盤の演奏をそれら後年の名演の数々と比較して云々することは容易ではある。しかしながら、本盤の演奏においても、既にヴァントのブルックナー演奏の特徴でもあるスコアリーディングの緻密さや演奏全体の造型の堅牢さ、そして剛毅さを有しているところであり、後年の数々の名演に至る確かな道程にあることを感じることが可能だ。また、本盤の演奏においては、こうした全体の堅牢な造型や剛毅さはさることながら、金管楽器を最強奏させるなど各フレーズを徹底的に凝縮化させており、スケールの小ささや金管楽器による先鋭的な音色、細部に至るまでの異常な拘りからくるある種の神経質さがいささか気になると言えるところではあるが、それでも違和感を感じさせるほどでもないというのは、ヴァントがブルックナーの本質を既に鷲掴みにしていたからにほかならないと考えられる。そして、このようなヴァントの剛毅で緻密な指揮にしっかりと付いていき、持ち得る能力を最大限に発揮した名演奏を披露したケルン放送交響楽団にも大きな拍手を送りたい。いずれにしても、本全集は、世界的なブルックナー指揮者として世に馳せることになる後年の大巨匠ヴァントを予見させるのに十分な素晴らしい名全集と高く評価したい。価格も2690円という考えられないような廉価であり、水準の高い名演で構成されたブルックナーの交響曲全集をできるだけ廉価で購入したいという聴き手には、第一に購入をお薦めしたい名全集であると考える。
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3 people agree with this review 2011/06/19
本盤は、一昨年末、1967年11月14日に行われたコンサートにおけるライブ盤(アルトゥス)が発売されたことから、若干その価値を下げたと言えるが、演奏の安定性と言う意味では優れている面も多々あり、現在においても、ミュンシュを代表する超名演の座を譲ってはいない。前述のコンサートに臨む前に、数日間かけてスタジオ録音された演奏ではあるが、とてもスタジオ録音とは思えないような圧倒的な生命力を感じさせる豪演だ。第1楽章から終楽章まで、ミュンシュの指揮は阿修羅の如き突進で燃えに燃えまくっており、聴いていて手に汗を握るほどだ。創設されたばかりのパリ管弦楽団も、これだけの快速のテンポであるにもかかわらず、一糸乱れぬアンサンブルを保っており、管楽器も弦楽器も最高の技量を示していると言える。ミュンシュ&パリ管弦楽団の黄金コンビが遺した録音は、本盤を含め4枚のCDのみであり、これらの演奏の質の高さに鑑みて、ミュンシュのあまりにも早すぎる死を残念に思う聴き手は私だけではあるまい。これだけの歴史的な超名演だけに、これまで様々な高音質化の取組がなされてきたが、本HQCD盤にしても今一つ音場が拡がらない、そして音がクリアに鳴り切らないという問題が解消されなかったというのは否めない事実である。しかしながら、先日、ついに待望のSACD盤が発売された。これは、マスターテープを下にしたということもあって、そもそも従来盤とは次元が異なる高音質であり、音場の拡がりも音質の鮮明さにおいても全く申し分がなく、おそらくは究極の高音質SACDと高く評価したい。
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4 people agree with this review 2011/06/19
ミュンシュはライブ録音においては当然のこと、スタジオ録音でも灼熱のように燃え上がる圧倒的な熱演を披露した。本盤におさめられたブラームスの交響曲第1番は、最晩年にミュンシュがパリ管弦楽団とともにスタジオ録音を行った4点の録音のうちの1点に相当するが、死を10か月後に控えた指揮者とは思えないような力強くも情熱に満ち溢れた圧倒的な豪演に仕上がっていると言える。冒頭の序奏からしてひたすら音楽を前進させようという強靭な意思が漲っている。その後は、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化などを駆使して、ドラマティックの極みとも言うべき劇的な演奏を展開する。とりわけ第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧倒的な迫力を誇っていると言える。第2楽章などにおける心を込め抜いた歌い方は、豊麗な情感に満ち溢れており、切れば血が噴き出てくるようなミュンシュの熱き歌心がひしひしと伝わってくるなど実に感動的だ。パリ管弦楽団も、火の玉のような燃え上がったミュンシュの壮絶な入魂の指揮に必死でついていっており、アンサンブルが乱れる寸前のところで踏みとどまっているかのようなスリリングな演奏が、本演奏の圧倒的な迫力に更なる拍車をかけているのを忘れてはならない。いずれにしても、本演奏は、ミュンシュが成し遂げた様々な名演の中でも、同時期に録音された幻想交響曲(1967年)と並んで最上位に掲げられる超名演であると高く評価したい。ただ、ブラームスの第1の演奏としては、例えば「名曲名盤300選」などで多くの音楽評論家がトップに推薦しているように本演奏が絶対的かつ理想的な名演と言えるかと言うと、一つの方向性としてはあり得るとは思うが、何か違うのではないかと言わざるを得ない。ましてや、とある影響力の大きい音楽評論家が本演奏について、「フルトヴェングラー以上にフルトヴェングラーらしいドイツ的な名演」などと評しているが、これほどフルトヴェングラーを、そしてミュンシュを冒涜する言葉はないだろう。それは、フルトヴェングラーによる同曲の様々な録音を聴けば容易に理解し得るところであるし、これはあくまでもミュンシュによる演奏なのだ。私としては、本演奏が至高の超名演であることを十分に認めはするものの、同じように熱演であっても、剛毅にして重厚さを保ちつつ早めのインテンポで一気呵成に全体を巧みに纏め上げたベーム&ベルリン・フィルによる超名演(1959年)の方によりブラームスを感じるということを、この場を借りて指摘をしておきたい。録音は従来盤が全く冴えない音質で大きな問題があったが、数年前に発売されたHQCD盤では、相当程度音質は改善されたように思われる。ただ、同時期に録音された幻想交響曲がESOTERICによってSACD化され、信じがたいような鮮明な音質に蘇ったことに鑑みれば、まだまだ不十分であると言わざるを得ない。今後は、EMIでもESOTERICでもいいので、是非ともSACD化を行っていただくなど更なる高音質化を大いに望んでおきたい。
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6 people agree with this review 2011/06/19
カラヤンは悲愴を7度もスタジオ録音したほか、昨年発売された死の前年の来日時のライブ録音、N響とのライブ録音など、数多くの録音が残されている。この中からベスト3を選ぶとすれば、ベルリン・フィルとの71年及び76年の録音と、本盤におさめられたウィーン・フィルとの84年の録音ということになるだろう。71年盤はライブのようなドラマティックな名演、76年盤は完成度の高いオーソドックスな名演であるのに対して、84年盤は、カラヤンの晩年ならではの荘重で深遠な名演である。序奏はあたかも死の淵にいるかのような絶望的な響きであるし、第2主題の天国的な美しさももはやこの世のものとは思えない。カラヤンの代名詞であった圧倒的な統率力にはいささか綻びが見えているが、それを補って余りあるほどの巨匠ならではのオーラに満ち溢れている。これは、世紀の巨匠であるカラヤンですら晩年になって到達した至高・至純の境地と言えるだろう。第2楽章の流れるような優美なレガートもカラヤンならではのものだし、第3楽章の圧倒的なド迫力は、間近に迫る死に対する強烈なアンチテーゼと言ったところか。終楽章の深沈たる響きの美しさには、もはや評価する言葉が追い付かない。ベルリン・フィルとの関係が決裂状態になり、傷心のカラヤンに寄り添って、見事な名演を成し遂げたウィーン・フィルにも喝采を送りたい。
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8 people agree with this review 2011/06/19
英国のローカルな作品の地位に甘んじていたホルストの組曲「惑星」を、クラシック音楽を代表する世界的な名作として広く認知させるのに貢献した歴史的な超名演と高く評価したい。本演奏の録音は1961年であるが、この当時は、同曲の録音は、ホルスト自身による自作自演盤や、同曲の初演者であるボールト盤しか存在しなかった。ところが、本カラヤン盤の登場によって、同曲が瞬く間に世界中に知られることになり、様々な指揮者による多種多様な演奏が行われるようになったのである。カラヤンの伝記などを紐解くと、当初はカラヤンも、そしてウィーン・フィルも、同曲の演奏には相当に難儀したとのことである。しかしながら、カラヤンとウィーン・フィルがその難儀を克服して要領を掴んだ結果、素晴らしい演奏が成し遂げられることになったのだ。本演奏における壮年期のカラヤンの指揮は、冒頭の火星からして、前のめりになって進んでいく気迫溢れる力強さが漲っており、そのパワフルな演奏は圧巻の迫力を誇っていると言える。また、金星などにおける情感の豊かさは美しさの極みであり、木星における崇高さは、雄渾なスケールを誇っていると言える。海王星における神秘的な雰囲気が漂う消え入るような繊細さは、カラヤンだけが描出し得る至純の世界と言えるのかもしれない。カラヤンの統率の下、ウィーン・フィルも最高のパフォーマンスを示していると言えるところであり、とかく華麗で賑々しくなりがちな同曲の演奏に、適度な潤いと奥行きの深さを与えている点も忘れてはならない。カラヤンは、本盤の20年後にベルリン・フィルを指揮して同曲を再録音(1981年)しているが、音のドラマとしては圧倒的な素晴らしさを誇ってはいるものの前述のような華麗で賑々しく感じられる箇所が随所に散見されるところであり、とても本演奏のような魅力はないと言える。いずれにしても、本演奏は、その後に登場した様々な指揮者による多種多様な名演にも、今なおいささかも引けを取らない至高の超名演と高く評価したい。録音は、英デッカならではの鮮明な高音質であるが、これまでのところでは、数年前に発売されたSHM−CD盤がベストの音質であった。もっとも、歴史的な超名演であることもあり、今後は、SACD&SHM−CD化を望みたいと考える聴き手は私だけではあるまい。
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7 people agree with this review 2011/06/19
ベームはモーツァルトを心から愛した指揮者として知られているが、モーツァルトのオペラの中でも特に愛していたのは歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」と言えるのではないだろうか。それは、遺された録音の数からも理解できるところであり、1962年のスタジオ録音(EMI)のほか、多数のライヴ録音が遺されている。その中でも抜きんでた名演は、衆目の一致するところ、前述の1962年盤と本盤におさめられたザルツブルク音楽祭でのライヴ録音である1974年盤であると考えられる。ところが、この両者の比較が実に難しい。旧盤はシュヴァルツコップ、クリスタ・ルートヴィヒ、ジュゼッペ・タディ、ヴァルター・ベリーなどといった豪華歌手陣を揃えており、キャスティングにおいては全く穴がないと言える。これに対して、本演奏も、ヤノヴィッツ、ファスベンダー、シュライアー、プライ、パネライと言った超豪華布陣であり、キャスティングにおいてはほぼ互角と言えるだろう。オーケストラは旧盤のフィルハーモニア管弦楽団に対して、本演奏はウィーン・フィルであり、オーケストラの同曲への適性としては本演奏の方が上。ただし、本演奏はベームが80歳の時の演奏であり、全盛期にあった旧盤の時と比較すると、ベームの指揮の特徴でもある躍動的なリズム感にほんのわずかにではあるが硬直性が見られるところであり、ベームの指揮に関しては旧盤の方が上出来と言える。このように、両名演ともに一長一短あるところであるが、所詮は高いレベルでの比較の問題であり、両演奏ともに、至高の超名演であることには変わりがないところだ。本演奏におけるベームの指揮は実にシンフォニックで重厚なものであり、近年の古楽器奏法やピリオド楽器を使用した軽妙な演奏に慣れた耳からすると、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになるのは私だけではあるまい。それでいて、モーツァルトの音楽特有の気品溢れる優美さにもいささかも不足しておらず、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっている点を高く評価したい。ベームの重厚でシンフォニックな指揮に適度な潤いとあたたかみを付加したウィーン・フィルによる好パフォーマンスも、本名演に大きく貢献している点を忘れてはならない。前述の豪華歌手陣やウィーン国立歌劇場合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。
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0 people agree with this review 2011/06/19
素晴らしい名演だ。名演となった理由は2つあると思われる。1つ目は、小澤自身がチャイコフスキーを得意のレパートリーとしている点だ。小澤は、最近ではブラームスなどのドイツ音楽でも名演奏を聴かせてくれているが、もともとはフランス系の音楽やロシア音楽を十八番としていた。特に、チャイコフスキーは、かつての手兵であったボストン交響楽団とともに、交響曲第5番やバレエ音楽「白鳥の湖」などの名演を生み出しているし、近年の大病復帰後のサイトウ・キネンとの復帰コンサートに選んだ曲は、弦楽セレナードであったことなどからして、小澤としても、かなりの愛着と自信を有しているものと考えられる。2つ目は、ベルリン・フィルの気迫溢れる名演奏だ。当時のベルリン・フィルは、カラヤンとの関係が決裂寸前の状態にあり、カラヤンの高齢もあって、ポストカラヤンが現実味を帯びていた。そのような状況の下、カラヤンの後継者たる可能性のある指揮者の下では、カラヤンへの対抗意識もあって、圧倒的な名演を成し遂げることが多かった。本盤など正にその最たる演奏の一つであり、一糸乱れる精緻なアンサンブル、重量感溢れる低弦の厚み、金管楽器や木管楽器の卓抜した技量、ティンパニの圧倒的な迫力など、カラヤン全盛時代にも比肩し得るような圧巻の演奏を行っていると言える。このように、チャイコフスキーを深く愛するとともに自家薬籠中にする小澤と、超絶的な気迫溢れる名演奏を繰り広げるベルリン・フィルの絶妙の組み合わせによる演奏が、名演にならないわけがない。いずれにしても、本演奏は、小澤としても、ベストの状態にあった史上最高のオーケストラを得て行った会心の名演と言っても過言ではあるまい。
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本盤におさめられたプッチーニの歌劇「蝶々夫人」は、カラヤンによる二度目のスタジオ録音ということになる。前回の録音は1955年のモノラル録音ではあったが、蝶々夫人にマリア・カラス、ピンカートンにニコライ・ゲッダを据えるという豪華布陣で、ミラノ・スカラ座管弦楽団や合唱団の好演もあって、今なお色褪せることがない名演であると言える。したがって、前回の録音の方を好む聴き手もいることはよく理解できるが、私としては、本盤におさめられた二度目の録音の方をより上位に置きたい。そして、本演奏こそは、カラヤンによるプッチーニの歌劇「蝶々夫人」の随一の名演にとどまらず、古今東西の様々な指揮者による同曲のあらゆる名演に冠絶する至高の超名演と高く評価したい。先ずは配役が素晴らしい。もちろん前述のように、前回の録音における配役も豪華であったが、本演奏における配役もいささかも引けを取っていない。フレー二による瑞々しい美声は正に純情な蝶々夫人の当たり役と言えるし、パヴァロッティ(同時期に作成されたDVD作品ではドミンゴが演じているが、パヴァロッティの方が適役と言えるのではないだろうか。)も、女たらしではあるが優柔不断で憎み切れないピンカートン役に相応しい見事な歌唱を披露している。加えて蝶々夫人の召使役のスズキをクリスタ・ルートヴィヒが演じるという超豪華布陣であり、あらためてカラヤンによるキャスティングの抜群のセンスの良さを感じさせられるところだ。そして、カラヤン指揮のウィーン・フィルの演奏は重厚にしてシンフォニック、加えて実に緻密であり、同作品の持つ抒情性を最大限に引き出すとともに、これ以上は求め得ないようなセンス満点の美演を繰り広げているのが素晴らしい。有名なアリア「ある晴れた日に」は当然のことであるが、お江戸日本橋をはじめとする日本的な旋律の数々を、カラヤン&ウィーン・フィルは美しさの極みとも言うべきムード満点の美演を展開していると言える。終幕の悲劇における重厚さは圧倒的な迫力を誇っており、あらためてカラヤンのオペラ指揮者としての偉大さを感じることが可能である。ウィーン国立歌劇場合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、英デッカによる鮮明な高音質録音も本盤の大きな魅力の一つであることを忘れてはならない。
1 people agree with this review 2011/06/19
ライナーはR・シュトラウスを得意としており、手兵のシカゴ交響楽団とともに数多くの録音を遺している。交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」も、シカゴ交響楽団と二度にわたって録音しているが、本盤におさめられたのはその二度目の録音ということになる。一般的に名演の誉れが高いのは旧録音(1954年)の方であるが、本演奏は、演奏の凝縮度においてさすがに旧録音ほどの出来とは言えないものの、ライナー&シカゴ交響楽団の黄金コンビの名に恥じることがない素晴らしい名演と評価したい。ライナーのアプローチは、華麗なるR・シュトラウスのオーケストレーションをいかに巧みに音化するのかに主眼を置いているように思われる。そのためには、技量が高いオーケストラが必要不可欠であり、その意味でもシカゴ交響楽団の存在は極めて大きいものであったと言える。鉄壁のアンサンブル、ブリリアントな金管楽器の響きなど、当時スーパー軍団として世に馳せていたシカゴ交響楽団の技量を最大限に発揮させているところであり、本演奏は正にオーケストラ演奏の極致とも評価し得ると考えられる。技量だけに着目すれば、カラヤン&ベルリン・フィルによる名演にも比肩し得る演奏ということが可能であろう。ただ、オーケストラの音色の味わい深さにおいては、この当時のシカゴ交響楽団の音色には艶やかさはあったものの、ベルリン・フィルの方に一日の長があると言えるのではないだろうか。また、カラヤンの指揮の方が適度に流麗なレガートを駆使するなどより官能的な味わいがあり、私としては、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏の方を圧倒的な音のドラマとしてより上位に置きたいと考える。もっとも、これは非常にレベルが高い名演どうしの比較であり、本演奏の評価自体を貶めるものではないことに留意しておく必要がある。そして、本盤でさらに素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質であると言える。本演奏は、今から50年近くも前の録音であるが、XRCD化によって信じ難いような鮮度の高い音質に生まれ変わったところであり、あらためてXRCDの潜在能力の高さを認識させられたところである。いずれにしても、ライナー&シカゴ交響楽団による名演をXRCDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。
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2 people agree with this review 2011/06/19
ミュンシュはフランス人ではあるが、ドイツ語圏にあるストラスブールの出身であり、ドイツ系の音楽を得意としていた。例えば、ブラームスの交響曲第1番(1968年)は同曲演奏史上でもトップの座を争う名演との評価を勝ち得ているし、メンデルスゾーンの交響曲第4番及び第5番(1957〜1958年)もかのトスカニーニの超名演にも肉薄する名演であったとも言えるところである。そのようなミュンシュにしてみれば、フランクの交響曲ニ短調においても名演を成し遂げないわけがないと言える。フランクの交響曲ニ短調は、他のフランス系の作曲家による交響曲と比較すると、フランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいよりはむしろ、全体の堅固な造型や形式を重視した楽曲である(フランクはフランス人ではなく、ベルギー人であることにも留意する必要がある。)。循環形式という独特の手法を編み出したのも同曲においてであり、当該形式は、その後のサン・サーンスやショーソンなどにも大きな影響を与えることになった。このような確固たる造型や形式を有した交響曲であるが故に、クレンペラーやフルトヴェングラー、カラヤンなどの独墺系の指揮者による重厚な名演が数多く生み出されているものと考えられる。ミュンシュの演奏も、こうした独墺系の指揮者による重厚な名演に近い側面が多々あり、全体の造型はきわめて堅固であるとともに、重厚さにおいてもいささかも欠けるところがないと言える。それでいて、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強さや、とりわけ緩徐箇所においてはフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいが随所に感じられるところであり、いい意味での硬軟バランスのとれた名演に仕上がっているものと評価したい。録音は1957年のスタジオ録音であり、今から50年以上も前のものであるが、今般のXRCD化によって、あたかも最新録音であるかのような鮮明な音質に生まれ変わったところである。あらためて、XRCDの潜在能力の高さを思い知った次第であるが、ミュンシュの素晴らしい名演をXRCDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
シューベルトが作曲した数多くの室内楽曲の中での最高傑作としては、いろいろな考え方はあろうかとも思うが、一般的には、弦楽五重奏曲と本盤におさめられた弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」が双璧と言うことになるのではないだろうか。シューベルトには、ウィーンの抒情的作曲家としての側面があるのが事実ではあるが、一聴すると美しい旋律の中に人生への寂寥感や絶望感が込められていると言える。特に、晩年の作品において顕著であり、前述の両傑作も、表面的には美しい旋律に満ち溢れた楽曲ではあるが、その実は底知れぬ深みを感じさせる作品であるとも言えるだろう。ただ、かつては、シューベルトを前述のようなウィーンの抒情的作曲家と捉えるという考え方が主流であったことから、「死と乙女」にしても、あまり深刻には陥らず、旋律の美しさに重点を置いた情感豊かな演奏が多かったと言える。もちろん、「死と乙女」はそもそもかなり悲劇的な様相が強い楽曲だけに、従来型の演奏であっても、その悲劇的な魅力を聴き手に伝えることは十分に可能である。本盤におさめられた、ウィーン・フィルのトップ奏者によって構成されたウィーン弦楽四重奏団による演奏も、そうした従来型の演奏様式に則ったものであり、曲想を精緻に丁寧に描き出して行くというオーソドックスなアプローチを行っていると言える。したがって、後年に、同じくウィーン出身の奏者によって構成されたアルバン・ベルク弦楽四重奏団が同曲の名演を成し遂げているが、当該名演のように、楽曲の心眼に切り込んでいくような鋭さや凄みはいささかも感じられないと言える。それ故に、こうしたアルバン・ベルク弦楽四重奏団などによる凄みのある演奏に慣れた聴き手からすると、本演奏では物足りないと感じる者もいるとは思われるが、「死と乙女」という傑作をゆったりとした気持ちで味わうことができるという意味においては、本演奏も素晴らしい名演と評価したいと考える。そして、本盤でさらに素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質録音だ。各奏者の弓使いまで聴こえる鮮明さは、とても1973年の録音とは思えないほどであり、このような名演を望み得る最高の音質で味わうことができることを大いに喜びたい。
本盤にはドビュッシーの管弦楽のための「映像」のみがおさめられている。所要時間は全体で30分程度。通常CDではとても考えられないような収録曲の少なさ、そして収録時間の短さと言えるであろう。しかしながら、本盤の驚天動地の素晴らしい高音質を聴くと、そうした収録曲の少なさや収録時間の短さについてもある程度は納得することが可能であると言える。本演奏は、今から50年以上も前のスタジオ録音であるが、今般のXRCD化によって、最新録音にも比肩し得るような鮮度の高い音質に生まれ変わったと言えるところである。ドビュッシーの管弦楽曲に特有の色彩豊かなオーケストレーションが鮮明に再現され、しかも、弦楽器と管楽器や、更には各管楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるようになったというのは、殆ど驚異的ですらあると言えるところであり、あらためてXRCDの潜在能力の高さを思い知らされた次第である。演奏内容も素晴らしい名演と高く評価したい。同曲の他の指揮者による名演、例えば、マルティノンや、近年のデュトワによるフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいに満ち溢れた同曲の名演を聴いていると、本演奏の方はいささか分が悪いとも言えるが、各曲の頂点に向けて畳み掛けていくような力強さやここぞという時の豪快な迫力、灼熱のように燃え上がる演奏における燃焼度の高さにおいては、他のいかなる演奏よりも優れていると言えるのではないだろうか。また、ボストン交響楽団の卓越した技量も特筆すべきものであり、本名演を聴いていると、ミュンシュ時代のボストン交響楽団がいかに桁外れの実力を有したスーパーオーケストラであったのかを伺い知ることができるところである。いずれにしても、ミュンシュ&ボストン交響楽団の黄金コンビが成し遂げた至高の超名演を、極上の高音質であるXRCDで味わうことができるのを大いに喜びたい。
バレエ音楽の神様と称されたアンセルメの面目躍如たる素晴らしい名演だ。ドリーブのバレエ音楽の代表作である「コッペリア」及び「シルヴィア」の長大な全曲からの抜粋であるが、有名な楽曲はほぼ網羅されており、バレエ音楽全体を俯瞰するには、これくらいがちょうど良いと言えるのかもしれない。アンセルメ&スイス・ロマンド管弦楽団の素晴らしさは、瀟洒な味わいに満ち溢れた色彩豊かな音色ということになるだろう。アンセルメの音に対する美意識は実に鋭いものがあり、どこをとっても光彩陸離たる華麗な音がしているのが素晴らしい。力強さにおいてもいささかも不足はないのだが、どのようにオーケストラが最強奏しても、前述のような瀟洒な洒落た味わいを失わないのは驚異的な至芸とも言える。本盤におけるアンセルメも、聴かせどころのツボを心得たセンス満点の美演を繰り広げており、これら両曲の最高の名演としての評価は、現在においてもいささかも揺るぎがないものと考える。アンセルメの実演を実際に聴いた方々によると、スタジオ録音されたレコードとのギャップに失望したとのことであり、アンセルメの美演の数々は多分に英デッカによる極上の名録音が寄与しているとのことであるが、実演を聴くことができない現代に生きる我々聴き手は、CDを聴いて判断するのみ。CDにおいて、これだけの素晴らしい極上の美演を堪能させてくれるアンセルメ&スイス・ロマンド管弦楽団に対しては、決して文句は言えまい。
ミュンシュはフランス人ではあるが、ドイツ語圏のストラスブール出身であることから、ドイツ音楽にも数々の名演を成し遂げている大指揮者である。したがって、フランス音楽なども数多く録音しているが、ベルリオーズの幻想交響曲などは別格として、とりわけフランス印象派とも称されるドビュッシーやラヴェルの演奏については、モントゥーやアンセルメ、パレー、クリュイタンス、マルティノン、そして近年のデュトワなどの名演と比較すると、一歩譲ると言わざるを得ないのではないだろうか。したがって、本盤におさめられたドビュッシーの交響詩「海」にしても、イベールの寄港地にしても、前述の指揮者によるフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいに満ち溢れた名演と比較して云々するのは容易なことであると言えるだろう。確かに、本演奏においては、かかる瀟洒な味わいにおいては、前述の指揮者による名演には一歩も二歩も譲っていると言えるのかもしれない。しかしながら、楽曲全体の堅固な造型や、各場面の巧みな描き分けにおいては、むしろ本演奏の方が優れている面もあると言えるところであり、とりわけ各曲の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強さや迫力においては、他の追随を許さない名演と高く評価したい。ボストン交響楽団の圧倒的な技量も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。なお、交響詩「海」については、一昨年末にアルトゥスからパリ管弦楽団とのライヴ録音(1967年)が発売され、それが壮絶な超名演であったこともあって、本スタジオ録音の価値は著しく減じることにはなったが、それでも名演の評価にはいささかも変わりがないものと考えている。そして、さらに本盤が素晴らしいのは、XRCDによる極上の高音質であろう。今般のXRCD化によって、今から50年以上も前の録音とは信じられないような鮮度の高い音質に生まれ変わったと言える。ミュンシュによる至高の名演を、XRCDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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