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Review List of つよしくん 

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  • 7 people agree with this review
     2011/07/26

    テスタメントによるジュリーニ&BPOシリーズの第3弾の登場だ。これまでの第1弾や第2弾においても驚くべき名演が揃っていたが、今般の第3弾のラインナップも極めて充実したものであり、そしてその演奏内容も第1弾や第2弾にいささかも引けを取るものではないと言える。本盤には、ハイドンの交響曲第94番とマーラーの交響曲第1番がおさめられているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。ジュリーニは、レパートリーが広い指揮者とは必ずしも言い難い。また、レパートリーとした楽曲についても何度も演奏を繰り返すことによって演奏そのものの完成度を高めていき、その出来に満足ができたもののみをスタジオ録音するという完全主義者ぶりが徹底していたと言える。したがって、これほどの大指揮者にしては録音はさほど多いとは言い難いが、その反面、遺された録音はいずれも極めて完成度の高い名演揃いであると言っても過言ではあるまい。本盤の両曲については、いずれもジュリーニの限られたレパートリーの一つであり、マーラーの交響曲第1番についてはシカゴ交響楽団とのスタジオ録音(1971年DG)、そしてハイドンの交響曲第94番についてはフィルハーモニア管弦楽団とのスタジオ録音(1956年EMI)、そしてバイエルン放送交響楽団とのライヴ録音(1979年独プロフィール)が存在しており、これらはいずれ劣らぬ名演であったと言える。本盤の演奏は、いずれもベルリン・フィルとのライヴ録音(1976年)であり、マーラーの交響曲第1番はスタジオ録音の5年後、ハイドンの交響曲第94番はスタジオ録音の20年後の演奏に相当することから、ジュリーニとしても楽曲を十二分に知り尽くした上での演奏であったはずである。もっとも、本演奏が行われた1976年は、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代に相当するところだ。したがって、ベルリン・フィルが完全にカラヤン色に染まっていた時期であるとも言えるが、本演奏を聴く限りにおいてはいわゆるカラヤンサウンドを殆ど聴くことができず、あくまでもジュリーニならではの演奏に仕上がっているのが素晴らしい。ジュリーニの格調が高く、そしてイタリア人指揮者ならではの豊かな歌謡性と気品のある極上の優美なカンタービレに満ち溢れた指揮に、ベルリン・フィルの重厚な音色が見事に融合した剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。そして、ライヴ録音ならではの熱気が演奏全体を更に強靭な気迫のこもったものとしており、その圧倒的な生命力に満ち溢れた迫力においては、ジュリーニによる前述の過去のスタジオ録音を大きく凌駕していると考える。なお、ハイドンの第94番については、1979年のライヴ盤との優劣の比較は困難を極めるところであり、これは両者同格の名演としておきたい。録音も今から30年以上も前のライヴ録音とは思えないような鮮明な高音質であると評価したい。

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  • 4 people agree with this review
     2011/07/25

    ショーソンの交響曲変ロ長調がとてつもない超名演だ。フランスのロマン派の有名交響曲と言えば、ベルリオーズの幻想交響曲、フランクの交響曲ニ短調、そしてサン・サーンスの交響曲第3番のいわゆる三大交響曲を指すというのが一般的な見方だ。ショーソンの交響曲変ロ長調は、これら三大交響曲と比較すると現在でもなお知る人ぞ知る存在に甘んじていると言えるが、フランクの交響曲ニ短調に倣って循環形式を採用するとともに、フランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいに満ち溢れた旋律が全体に散りばめられており、三大交響曲にも勝るとも劣らない魅力作であると言えるのではないだろうか。もっとも、本盤が登場するまでは、同曲の録音はフランス系の指揮者に限られていたところであるが、ついに、フランス系以外の指揮者、それも大指揮者スヴェトラーノフによるライヴ録音が今般登場したのは、同曲をより幅広く認知させるという意味において、大変に意義深いことであると考えられる。それにしても凄い演奏だ。同曲の他の指揮者による演奏では、その演奏時間は概ね約30分程度であるが、スヴェトラーノフは何と約40分もの時間を掛けて演奏している。それだけに、冒頭からスヴェトラーノフならではの濃厚にして重厚な音塊が炸裂している。重低音は殆ど地鳴りがするほどの迫力であるし、同曲特有の美しい旋律も、これ以上は求め得ないような熱き心を込めて濃密に歌い抜いている。ショーソンの交響曲というよりは、スヴェトラーノフが得意とするラフマニノフやスクリャービンの交響曲を演奏しているような趣きがあり、いわゆるフランス風のエスプリ漂う他の指揮者による同曲の演奏とは一味もふた味も異なっていると言えるが、聴き終えた後の充足感においてはいささかも引けを取っていないと言える。スヴェトラーノフにとって本演奏は、客演指揮者として数々の演奏を行ってきたスウェーデン放送交響楽団との最後の共演になったとのことであるが、本演奏こそは、正にスヴェトラーノフ&スウェーデン放送交響楽団という名コンビの掉尾を飾るのに相応しい至高の超名演と高く評価したい。一方、フランクの交響曲ニ短調は、ショーソンよりも20年以上も前の録音であり、テンポ自体も常識的な範囲におさまっていると言える。もっとも、トゥッティにおける迫力満点の強靭な豪快さや、各旋律の濃厚な歌い方など、スヴェトラーノフの個性を随所に聴くことが可能であり、この指揮者ならではの個性的な名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。また、両曲ともに、スヴェトラーノフの強烈にして濃厚な指揮の下、最高のパフォーマンスを発揮したスウェーデン放送交響楽団による素晴らしい名演奏にも大きな拍手を送りたい。なお、録音については、その年代が20年以上も異なるライヴ録音どうしがおさめられているが、いずれも十分に満足できる良好な音質であると言えるところであり、音質面においても全く問題がないと言える。

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  • 3 people agree with this review
     2011/07/24

    凄い演奏だ。正に超個性的なガーシュウィンと言える。ジャズ音楽とクラシック音楽の境界線上にあるとされるガーシュウィンの楽曲の演奏に際しては、そうした音楽の性格を考慮して、軽快なリズム感を重視した爽快にして明瞭な演奏が多いと言える。最晩年になって、テンポが異様に遅くなり濃厚で大仰な演奏を行うようになったバーンスタインでさえ、ガーシュウィンの演奏に際しては、そうした爽快にして明瞭な演奏を心掛けていたと言えるだろう。ところが、スヴェトラーノフはそのような一般的な演奏様式など完全無視。本盤におさめられたいずれの楽曲においても、とてつもない超スローテンポで濃厚さの極みとも言うべき豪演を展開していると言える。そのあまりの超スローテンポぶりは、他の指揮者による演奏であればCD1枚におさまるものが、本盤ではCD2枚になっていることにもあらわれていると言えるのではないだろうか。そして、重低音においては大地が地鳴りするようなド迫力に満ち溢れているし、トゥッティにおける強靭な豪快さは、我々の聴き手の度肝を抜くのに十分な壮絶さだ。また、ガーシュウィン特有の軽快なリズム感も、あたかも巨象が進軍するかのような重々しさが支配しており、ガーシュウィンの音楽というよりは、スヴェトラーノフが得意とするロシア音楽を演奏しているような趣きさえ感じさせると言えるだろう。ガーシュウィンが随所に散りばめた美しい旋律の数々についても、スヴェトラーノフは、これ以上は求め得ないような熱き心を込めて濃密に歌い抜いていると言える。いずれにしても、本演奏は、他の指揮者によるガーシュウィンの演奏とは一味もふた味も異なっていると言えるが、聴き終えた後の充足感においてはいささかも引けを取っていないと評価したい。ピアノ協奏曲ヘ調においては、アメリカ出身のピアニストであるジェフリー・シーゲルが起用されているが、濃厚で超スローテンポのスヴェトラーノフの指揮と歩調を合わせて、重厚にして美しさに満ち溢れたピアニズムを展開しているのが素晴らしい。そして、スヴェトラーノフの強烈にして濃厚な指揮の下、最高のパフォーマンスを発揮したスウェーデン放送交響楽団による素晴らしい名演奏にも大きな拍手を送りたい。なお、録音については1996年のライヴ録音であり、十分に満足できる良好な高音質であると高く評価したい。

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  • 3 people agree with this review
     2011/07/24

    小林研一郎が古希を迎えたのを契機として進められているチェコ・フィルとのベートーヴェンチクルスも、ついにその第3弾の登場となった。そして、第3弾は交響曲第1番と第7番の組み合わせだ。いずれも小林研一郎ならではの名演であるが、とりわけ素晴らしいのは第7番であると言える。ベートーヴェンの交響曲の中でも第7番ほど、小林研一郎向きの作品はないのではないだろうか。70歳になって円熟の境地に達したとは言え、そこは小林研一郎。本演奏においても、トゥッティに向けて畳み掛けていくような強靭な気迫や、切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れた熱演ぶりはいささかも変わっていないと言える。第1楽章のホルンの力感溢れる響かせ方など実にユニーク。第2楽章の心を込め抜いた情感の豊かさも美しさの極み。ここでも中間部でのホルンの最強奏は効果的だ。第3楽章のトリオにおける超スローテンポによる、トランペットやティンパニを最強奏させた大見得を切った表現は濃密の極みであり、その強靭な迫力は小林研一郎の唸り声も聴こえるほどの凄まじさだ。そして、終楽章はこれまでと同様にホルンを効果的に響かせるのが見事に功を奏しており、終結部に向けての圧倒的な盛り上がりは、小林研一郎の唸り声も相まって、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧巻の迫力を誇っていると言える。いずれにしても、本演奏は正に「炎のコバケン」の面目躍如たる豪演に仕上がっていると評価したい。他方、第1番は、第7番のように、必ずしも小林研一郎の芸風に符号した作品とは言い難いことから、小林研一郎としては随分とオーソドックスな演奏に徹しているとさえ言える。これは、ある意味では円熟の名演と言ってもいいのであろうが、それでも緩徐楽章における心がこもった情感豊かな演奏は、いかにも小林研一郎ならではの熱き情熱を感じることが可能だ。小林研一郎の確かな統率の下、チェコ・フィルも持ち得る実力を最大限に発揮した最高のパフォーマンスを発揮しているのが素晴らしい。そして、本盤で素晴らしいのは、これまでの第1弾及び第2弾と同様に、SACDによる極上の高音質録音であると考える。特に第7番におけるホルンの朗々たる響きの美しさには抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。いずれにしても、小林研一郎&チェコ・フィルによる素晴らしい名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。小林研一郎のベートーヴェンチクルスは、これで第4番、第6番、そして第9番の3曲を残すのみとなった。これまで発売された演奏は、本演奏も含めいずれ劣らぬ名演揃いであるが、残りの3曲の演奏にも大いに期待したいと考える。

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  • 6 people agree with this review
     2011/07/24

    本盤には、ドヴォルザークの交響曲第8番とブラームスの交響曲第3番がおさめられているが、いずれも壮年期のカラヤンならではの素晴らしい名演だ。カラヤンは、両曲ともに何度も録音を繰り返しており、ドヴォルザークの交響曲第8番については、ウィーン・フィルとの演奏であれば、最晩年のスタジオ録音(1985年)や、ザルツブルク音楽祭での圧倒的なライヴ録音(1974年)が名演として名高いと言える。ブラームスの交響曲第3番についても、本演奏の後は、ベルリン・フィルとともに3度にわたってスタジオ録音を行っており、いずれも高い評価を得ているところだ。演奏の円熟度からすれば、これらの後年の演奏の方が優れているとも言えるところであるが、本演奏には、それら後年の演奏にはない独特の魅力があると言えるのではないだろうか。本演奏はいずれも1961年(ドヴォルザークの交響曲第8番のみ一部1963年)であるが、この当時のカラヤンは、ベルリン・フィルの芸術監督とウィーン国立歌劇場の総監督を手中におさめ、ヨーロッパの楽壇の帝王として人生の上り坂にあったところであり、その演奏には隆盛期にあったカラヤンならではの畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力に満ち溢れていると言える。ウィーン・フィルを巧みにドライブしつつ、颯爽とした曲想の進行の中に、緩急自在のテンポ設定、そしてカラヤンならではの流麗なレガートも施すなど、躍動感溢れる爽快な演奏に仕上がっていると言える。また、後年のベルリン・フィルとの演奏のように、いわゆるカラヤンサウンドに演奏全体が支配されるということはいささかもなく、ウィーン・フィルによる美しさの極みとも言うべき名演奏が、本演奏全体に適度の潤いを与えるとともに、独特の温もりのある情感を付加しているのに大きく貢献していることを忘れてはならない。録音は、英デッカによる極上の高音質録音であり、従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、数年前に発売されたSHM−CD盤が比較的ベターな音質であったと言える。ところが、昨年、ESOTERICからSACD盤が発売されたところであり、従来盤とはそもそも次元が異なるきわめて鮮明な音質に生まれ変わったところだ。現在では当該SACD盤は入手困難であるが、中古CD店でも入手できるのであれば、少々高額でも是非とも入手されることをおすすめしておきたい。

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  • 5 people agree with this review
     2011/07/23

    ドヴォルザークが作曲した協奏曲と言えば、何と言っても米国の音楽院に赴任中に作曲されたチェロ協奏曲が名高い。また、ボヘミアの民族色溢れた親しみやすい楽想でも知られるヴァイオリン協奏曲も名作であると言える。しかしながら、ピアノ協奏曲は、正直に言って魅力に乏しい作品と言わざるを得ない。ドヴォルザークの若き日の作品とは言え、親しみやすい旋律さえ殆ど存在しない凡作であり、演奏されること自体が稀な作品であると言える。にもかかわらず、レコーディングをあまり行わなかったクライバーと、これまた協奏曲の録音には常に慎重な姿勢で臨んだリヒテルが、よりによって、このような凡作のスタジオ録音を遺しているというのは実に不思議というほかはない。もっとも、そのことは裏を返せば、両雄が凡作とされている同曲に対して、スタジオ録音の意欲を湧き立たせるような魅力を見出していたということなのであろう。実際に、演奏は素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。リヒテルのピアノは、強靱な打鍵から繊細な抒情に至るまでの幅に広い表現力を駆使して、構えの大きい骨太の音楽を構築している。同曲には分不相応な堂々たるピアニズムとも言えるが、このような名演奏によって、同曲の知られざる魅力のベールをはじめて脱ぐことに成功したと言っても過言ではあるまい。クライバーの指揮も、あたかもベートーヴェンの交響曲に接するかのような真剣勝負で臨んでおり、畳み掛けていくような気迫と緊張感、そして切れば血が噴き出てくるような力強い生命力など、その強靭な迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分であると言える。「鶏を割くに牛刀を用ふ」との諺が存在しているが、本演奏などはその最たるものであり、ドヴォルザークのピアノ協奏曲の演奏としては、リヒテルとクライバーという演奏者の格としてもオーバースペック、そしてその両雄による演奏も前述のようにオーバースペックと言えるだろう。しかしながら、リヒテルとクライバーが、このような真剣勝負の大熱演を繰り広げることによって、凡作とされてきた同曲が若干なりとも魅力がある作品に生まれ変わったというのも否定し得ない事実であり、その意味では、同曲の知られざる魅力に光を当てるのに成功した稀有の名演との評価もあながち言い過ぎではないと考えられるところだ。いずれにしても、本演奏は、同曲の唯一無二の名演として高く評価したい。録音は、従来盤が今一つの音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったと言える。ドヴォルザークのピアノ協奏曲は、本演奏を持ってしても必ずしも鑑賞をおすすめするほどの魅力的な楽曲であるとは言い難いが、それでも一度聴いてみたいという方には、本演奏、そしてHQCD盤をおすすめしておきたいと考える。

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  • 9 people agree with this review
     2011/07/23

    ベームは、ブルックナーの交響曲をすべて演奏しているわけではなく、遺された録音などを勘案すると、演奏を行ったのは第3番、第4番、第5番、第7番及び第8番の5曲に限られているものと思われる。この中でも、文句なしに素晴らしい名演は1970年代前半にウィーン・フィルを指揮して英デッカにスタジオ録音を行った第3番(1970年)及び第4番(1973年)であると言える。これに対して本盤におさめられた第8番については、少なくとも従来盤やその後に発売されたSHM−CD盤を聴く限りにおいては、私としてはこれまでのところ感銘を受けたことは一度もないところだ。というのも、最大の欠点は、金管楽器がいささか無機的に響くということであろう。ベームは、例によって、本演奏においても各金管楽器を最強奏させているのであるが、いずれも耳に突き刺さるようなきついサウンドであり、聴いていてとても疲れるというのが正直なところなのだ。また、ベームの全盛時代の代名詞でもあった躍動感溢れるリズムが、本演奏ではいささか硬直化してきているところであり、音楽の自然な流れにおいても若干の淀みが生じていると言わざるを得ない。したがって、ベームによる遺された同曲のライヴ録音に鑑みれば、本演奏はベームのベストフォームとは到底言い難いものであると言えるところであり、演奏自体としては凡演とまでは言わないが、佳演との評価すらなかなかに厳しいものがあったと言える。しかしながら、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤を聴いて驚いた。これまでの従来盤やSHM−CD盤とはそもそも次元が異なる圧倒的な超高音質に生まれ変わったところであり、これによって、これまでは無機的できついと思っていたブラスセクションの音色に温もりと潤いが付加され、これまでよりも格段に聴きやすい音色に改善されたと言えるところである。加えて、音場が幅広くなったことにもよると思うが、音楽の流れも、万全とは言えないもののかなり自然体で流れるように聴こえるように生まれ変わったとも言える。したがって、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって本演奏の欠点がほぼ解消されたとも言えるところであり、私としても本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤ではじめて本演奏に深い感銘を受けたところだ。いずれにしても、本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤に限っては、本演奏を名演と高く評価したいと考える。なお、ユニバーサルに対して一言。今般のベームによる一連の歴史的な名演のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化は極めて高く評価すべき快挙であると言えるが、その対象とすべき演奏の選定に際して、ベルリン・フィルとのブラームスの交響曲第1番やモーツァルトの交響曲第40番及び第41番を選定したことについては、いずれも歴史的超名演であることから何ら問題はないと言える。しかしながら、ウィーン・フィルとの演奏を選定するに際して、本盤のブルックナーの交響曲第8番ではなく、何故にベートーヴェンの交響曲第6番及びシューベルトの交響曲第5番をおさめた一枚を選定しなかったのであろうか。当該演奏は、前述のブラームスの交響曲第1番やモーツァルトの交響曲第40番及び第41番と並ぶベームが成し遂げた歴史的な超名演の一つであり、今回のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化の対象から漏れたのはきわめて残念と言わざるを得ない。当該盤の今後のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化をこの場を借りて大いに望んでおきたい。

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  • 7 people agree with this review
     2011/07/23

    ベームは独墺系の作曲家を中心とした様々な楽曲をレパートリーとしていたが、その中でも中核を成していたのがモーツァルトの楽曲であるということは論を待たないところだ。ベームが録音したモーツァルトの楽曲は、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、声楽曲そしてオペラに至るまで多岐に渡っているが、その中でも1959年から1960年代後半にかけてベルリン・フィルを指揮してスタジオ録音を行うことにより完成させた交響曲全集は、他に同格の演奏内容の全集が存在しないことに鑑みても、今なお燦然と輝くベームの至高の業績であると考えられる。現在においてもモーツァルトの交響曲全集の最高峰であり、おそらくは今後とも当該全集を凌駕する全集は出て来ないのではないかとさえ考えられるところだ。本盤におさめられた交響曲第40番及び第41番は当該全集から抜粋されたものであるが、それぞれの楽曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。第40番であれば、ワルター&ウィーン・フィルによる名演(1952年)、第41番であれば、ワルター&コロンビア響による名演(1960年)などが対抗馬として掲げられるが、ワルターの優美にして典雅な演奏に対して、ベームの演奏は剛毅にして重厚。両曲ともに、厳しい造型の下、重厚でシンフォニックなアプローチを施していると言えるが、それでいて、全盛時代のベームの特徴であった躍動感溢れるリズム感が、演奏が四角四面に陥るのを避けることに繋がり、モーツァルトの演奏に必要不可欠の高貴な優雅さにもいささかの不足もしていないのが素晴らしい。いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると言えるだろう。ベームは、両曲を1976年にもウィーン・フィルとともに再録音しており、演奏全体としては枯淡の境地さえ感じさせるような深沈とした趣きの名演ではあるが、ベームの特徴であったリズム感が硬直化し、音楽の自然な流れが若干阻害されているのが難点であると言えなくもない。また、この当時のベルリン・フィルには、フルトヴェングラー時代に顕著であったドイツ風の重厚な音色の残滓があり(カラヤン時代も重厚ではあったが、質がいささか異なる。)、ベームのドイツ正統派とも言うべき重厚にして剛毅なアプローチに華を添える結果となっていることも忘れてはならない。モーツァルトの交響曲の演奏様式は、最近ではピリオド楽器の使用や古楽器奏法などによる小編成のオーケストラによる演奏が主流になりつつあるが、本盤のような大編成のオーケストラによる重厚な演奏を耳にすると、あたかも故郷に帰省した時のような安定した気持ちになる聴き手は私だけではあるまい。本演奏は、このように歴史的な超名演であるだけに、SHM−CD化やルビジウム・カッティングなどの高音質化への不断の取組がなされてきたが、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって、そもそも次元が異なる圧倒的な超高音質に生まれ変わったと言える。いずれにしても、ベームによる歴史的な超名演をこのような極上の高音質SACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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  • 10 people agree with this review
     2011/07/23

    昨年からユニバーサルは過去の様々な名演のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を開始しており、クラシック音楽ファンの間でも大変に好評を博しているが、基本的にはかつて発売されていたSACDハイブリッド盤の焼き直しに過ぎなかった。ところが、先月発売のフルトヴェングラーによる一連の録音と同様に、今般のベームによる一連の録音のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化は、これまで一度もSACD化されていない音源であり、それらが歴史的な名演であることに鑑みれば、ユニバーサルによる一大快挙とも言っても過言ではあるまい。多少値段が高いとは言えるが、ガラスCDやクリスタルCDなどと比較するとお手頃な価格であり、ユニバーサルには今後とも過去の様々な名演のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化に引き続き取り組んでいただきたいと考えている。ところで、本盤におさめられたブラームスの交響曲第1番であるが、これは全盛期のベームならではの名演であると言える。それどころか、ベームによる数ある名演の中でも、そして同曲の様々な指揮者による名演の中でもトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。同曲の過去の超名演としては、ミュンシュ&パリ管弦楽団盤(1968年)やカラヤン&ベルリン・フィル盤(1988年ロンドンライヴ)などがあるが、このうちミュンシュ盤は、ドラマティックであるがブラームスというよりはミュンシュの至芸を味わうべき演奏とも言えるところである。他方、カラヤン盤はいわゆるカラヤンサウンド満載の重厚な名演であるが、音質がいささかクリアとは言い難い面がある。したがって、ベームによる本演奏の優位性はいささかも揺らぎがないと言える。ベームは1970年代に入ってから、ウィーン・フィルとともに同曲のスタジオ録音(1975年)やライヴ録音(1975年来日時)を行っており、一般的には名演との評価も可能ではあるが、とても本演奏のようなレベルには達していないと言える。本演奏は、第1楽章の序奏部において悠揚迫らぬテンポで堂々と開始される。その後、主部に入ると阿修羅の如き早めのインテンポで曲想が進行していく。ベームは、各楽器を力の限り最強奏させているが、その引き締まった隙間風の吹かない分厚い響きには強靭さが漲っており、それでいて無機的にはいささかも陥っていない。第2楽章や第3楽章も、比較的早めのテンポで進行させているが、ここでも重厚な響きは健在であり、各旋律の端々から漂ってくる幾分憂いに満ちた奥深い情感には抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。第2楽章におけるミシェル・シュヴァルベのヴァイオリンソロのこの世のものとは思えないような美しさには身も心も蕩けてしまいそうだ。そして、終楽章の重戦車が進軍するが如き堂々たるインテンポによる重量感溢れる演奏には、あたりを振り払うような威容があると言えるところであり、終結部の畳み掛けていくような気迫と力強さは圧倒的な迫力を誇っていると言える。また、この当時のベルリン・フィルには、フルトヴェングラー時代に顕著であったドイツ風の重厚な音色の残滓があり(カラヤン時代も重厚ではあったが、質がいささか異なる。)、ベームのドイツ正統派とも言うべき重厚にして剛毅なアプローチに華を添える結果となっていることも忘れてはならない。それにしても、音質は素晴らしい。従来盤でも比較的満足できる音質ではあったのだが、本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤はそもそも次元が異なる圧倒的な超高音質であると言える(先日発売された、杉本一家氏がリマスタリングを手掛けたESOTERICによるハイブリッドSACD盤との優劣は議論が大いに分かれるところだ。)。ベームによる歴史的な超名演をこのような極上の高音質SACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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  • 6 people agree with this review
     2011/07/22

    本盤におさめられたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、カラヤンの死の1年前のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音である。そもそもカラヤンによるライヴ録音というのが極めて珍しい存在であるのだが、それだけカラヤンも本演奏の出来に自信を持っていたことの証左ではないかとも考えられるところだ。それにしても、1960年代から1970年代にかけてのカラヤン全盛時代の演奏に慣れた耳からすると、カラヤンの芸風のあまりの変わりようにはおよそ信じ難い気がするほどである。本演奏には、手兵ベルリン・フィルを統率して、重厚で華麗ないわゆるカラヤンサウンドを駆使して圧倒的な音のドラマを構築していたかつてのカラヤンの姿はどこにも見られない。ここには、自我を極力抑制し、ただただ楽曲の魅力を素直に引き出して、音楽のみを語らせていこうという真摯な姿勢だけが存在していると言える。これは、カラヤンの肉体的な衰えによるものなのか、それとも、カラヤン自身の芸風が大きく変化したのかはよくわからないが、ゆったりとしたテンポの中に、カラヤンがこれまでの波乱に満ちた生涯を顧みるような趣きさえ感じられるところであり、ここにはカラヤンが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地、そして枯淡とも言うべき境地が存在していると言えるだろう。このような崇高なカラヤンを指揮台に頂いて、ウィーン・フィルも持ち得る実力を最大限に発揮した、圧倒的な名演奏を展開しているのが素晴らしい。ベルリン・フィルとほぼ決裂状態にあった傷心のカラヤンを、ウィーン・フィルがあたたかく包み込むような名演奏と言っても過言ではあるまい。そして、ムターのヴァイオリンは実に個性的だ。ハイティーンの頃に、カラヤン&ベルリン・フィルとともに、ベートーヴェンやメンデルスゾーン、ブラームスなどのヴァイオリン協奏曲を演奏した時とは別人のようであり、例によっていささかも線の細さを感じさせない骨太の演奏をベースとしつつ、随所にロシア風の土俗的とも言うべき思い切った表情づけを行うなど、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした超個性的な演奏を展開している。かつてのカラヤンであれば、このような自由奔放な演奏を許容したかどうかはわからないが、本演奏においては、むしろ、ムターの順調な成長をあたたかく、滋味豊かに見守るような指揮を行っているとも感じられるところだ。いずれにしても、カラヤンとその秘蔵っ子ムターの共演はこれが最後になったところであり、その意味でも本演奏は、このコンビによる掉尾を飾るに相応しい至高の超名演と高く評価したい。録音は従来盤でも十分に満足できる音質であると言えるが、カラヤン、そしてムターによる至高の超名演でもあり、今後はSHM−CD化、そして可能であれば、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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     2011/07/21

    本盤には、シューリヒトのライヴ・コレクションの第3弾として、シューリヒトが十八番としていたベートーヴェンやブラームスの諸曲がおさめられている。本盤は、今般の第3弾の中では唯一のステレオ録音ということも多分にあるが、それ以上に演奏内容においても、今般の第3弾の白眉と言える一枚と言えるのではないだろうか。冒頭のベートーヴェンの序曲「コリオラン」の豪演からして我々聴き手の度肝を抜くのに十分だ。これほどの壮絶でドラマティックの極みとも言うべき演奏は、かのフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる名演(1943年)にも匹敵すると言えるところであり、音質面を考慮すれば本演奏の方がより上ではないかとさえ思われるほどだ。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番は、若き日のアラウによるピアノに関心が集まるが、確かに本演奏においては後年のアラウ(ディヴィス&シュターツカペレ・ドレスデンによる名演(1984年))のような威容は感じられない。しかしながら、シューリヒトによる見事な指揮によるところも大きいとは思うが、この当時のアラウとしては重厚にして味わい深いピアニズムを展開していると言えるのではないか。また、このアラウのピアノを好サポートしたシューリヒトも、フランス国立管弦楽団ともども重心の低い立派な演奏を行っている点を高く評価したい。そして、ブラームスの交響曲第4番であるが、これは圧倒的な超名演だ。シューリヒトによるブラームスの交響曲第4番は様々なオーケストラとともにいくつかの録音を遺しているが、これまでのところ随一の名演はバイエルン放送交響楽団との最晩年の演奏(1961年)であったと言える。ところが本演奏の登場によって、両者同格の名演との位置づけになったと言っても過言はあるまい。そして、1961年盤が現在では入手難という点に鑑みれば、当面は本演奏がシューリヒトによるブラームスの交響曲第4番の代表盤になったと言えるのではないか。前述の1961年盤がインテンポによる名人の一筆書きのような枯淡の境地を感じさせる端麗辛口の名演であったが、本演奏はテンポはいささか速めであるものの、どちらかと言うとむしろ濃厚なロマンティシズムに満ち溢れた名演と言える。テンポも全体の造型が弛緩しない程度に動かすなど、細部に至るまで実にニュアンス豊かであるが、その独特の味わい深さはこれぞシューリヒトの芸術の真骨頂と言えるだろう。そして、第2楽章をはじめとした同曲に特有の美しい旋律の数々も、シューリヒトは1961年盤以上に心を込めて歌い抜いており、そのロマンティシズムに満ち溢れた情感の豊かさには抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。終楽章の各変奏の描き分けも秀逸であり、その味の濃い濃密な表現は巨匠シューリヒトだけに可能な豊かな芸術性溢れる圧巻の至芸であると言えるだろう。録音は、前述のように今般のシリーズ第3弾の中では唯一のステレオ録音であり、実に素晴らしい音質であると言える。シューリヒトによる至高の超名演をこのような素晴らしい高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2011/07/20

    4年前よりアルトゥスレーベルが発売を開始したシューリヒトのライヴ・コレクションの第3弾であるが、本盤には、ブラームスの交響曲第1番をメインとして、バッハのヴァイオリン協奏曲第2番など独墺系の作曲家による協奏的作品がおさめられている。まずは、ブラームスの交響曲第1番が超名演だ。シューリヒトによるブラームスの交響曲第1番としては、スイス・ロマンド管弦楽団との演奏(1953年)やフランクフルト放送交響楽団との演奏(1961年)があるが、本演奏はそれらの両演奏をはるかに凌駕する超名演と評価したい。本演奏は、第1楽章冒頭から凄まじい迫力で開始される。その後は、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱を駆使して、ドラマティックの極みとも言うべき圧倒的な豪演を展開していると言える。第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫は強靭な生命力に満ち溢れており、第2楽章の心を込め抜いた豊かな情感など、どこをとっても切れば血が噴き出てくるような熱い情熱が漲っていると言える。このようなドラマティックな豪演としては、ミュンシュ&パリ管弦楽団による名演(1967年)が掲げられるが、本演奏は音質面のハンディを除けば、当該名演に十分に比肩し得る圧巻の迫力を誇っていると言えるのではないか。フランス国立放送管弦楽団も、シューリヒトによる炎のような指揮に必死で付いて行っており、その重心の低い音色と相まって、いかにもブラームスの交響曲に相応しい名演奏を繰り広げているのが素晴らしい。併録の協奏的作品は、何と言ってもグリュミオーのヴァイオリンを評価したい。いずれも独墺系の作曲家の作品であるが、グリュミオーのフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいのヴァオリンの音色が、演奏全体に独特の艶やかさを付加しているのが素晴らしい。シューリヒト&フランス国立放送管弦楽団も、グリュミオーのヴァイオリンを的確にサポートし、ブラームスとは全く異なる洒落た味わいの演奏を展開しているのが見事である。録音は1959年のライヴ録音であるが、比較的聴きやすい音質であり、シューリヒトやグリュミオーによる至高の名演をこのような良好な音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2011/07/19

    シューリヒトはブラームスを得意としており、交響曲をはじめドイツ・レクイエムなども数多く演奏・録音しているが、とりわけドイツ・レクイエムについては、北ドイツ放送交響楽団との演奏(1955年)、シュトゥットガルト放送交響楽団との演奏(1959年)、そして、本演奏と同一のフランス国立放送管弦楽団との演奏(1955年)がいずれも劣悪なモノラル録音であり、鑑賞に耐え得るものがなかったと言える。とりわけ、本盤におさめられた演奏については数年前にArchipelレーベルから既に発売されてはいるが、オリジナル・マスターを使用したものではなかったこともあって、前述のようにとても満足できる音質とは言い難いものであった。ところが本盤は、史上はじめてオリジナル・マスターを使用したことによって、従来盤とは次元の異なる見違えるような良好な音質(と言っても最新録音とは到底比較にならないが)に生まれ変わったところであり、これによって、これまで曖昧模糊としてよく聴き取れなかったシューリヒトの解釈を明瞭に味わうことができるようになった意義は極めて大きいものと言わざるを得ない。そして演奏も素晴らしい。おそらくは数あるシューリヒトによるドイツ・レクイエムの中でも随一の名演と言っても過言ではあるまい。同曲はレクイエムでもあり、今般、同時に発売された交響曲第1番や第4番とは異なり、基本的には荘重なインテンポを基調としてはいるが、演奏の随所に漲っている気迫と力強い生命力は、切れば血が出てくるような熱い情熱に裏打ちされていると言える。静謐さを基調とする同曲ではあるが、第2楽章の中間部など劇的な箇所も散見されるところであり、ここぞという時の強靭さには渾身の迫力が漲っていると言える。こうしたシューリヒトの熱き情熱を抱いた渾身の指揮の下、フランス国立放送合唱団やフランス国立放送管弦楽団も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。既発CDではよく聴きとることができなかった当該合唱団による渾身の合唱も、本CDでは明瞭に聴き取ることができるのも見事である。また、ソプラノのエルフリーデ・トレッチェルやバスのハインツ・レーフスも、素晴らしい名唱を披露していると言える。録音は1955年のライヴ録音でありモノラルではあるが、前述のようにオリジナル・マスターからの初CD化であり、既発CDとは次元の異なる聴きやすい音質に仕上がっていると言える。シューリヒトによる至高の名演をこのような比較的良好な音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2011/07/18

    本盤におさめられたベーム&ウィーン・フィルによるモーツァルトのレクイエムについては、2年前に次のようなレビューを記した。「モーツァルトのレクイエムには様々な名演がある。私も、かなりの点数の演奏を聴いてきたが、それらに接した上で、再び故郷に帰ってきたような気分になる演奏こそが、このベーム盤だ。テンポは、いかにも晩年のベームらしく、ゆったりとした遅めのテンポを採用しているが、例えば、同じように遅めのテンポでも、バーンスタイン盤のように大風呂敷を広げて大げさになるということはない。かと言って、チェリビダッケのように、音楽の流れが止まってしまうような、もたれてしまうということもない。遅めのテンポであっても、音楽の流れは常に自然体で、重厚かつ壮麗で威風堂々としており、モーツァルトのレクイエムの魅力を大いに満喫させてくれる。同じく重厚かつ壮麗と言っても、カラヤンのように、オペラ的な華麗さはなく、ベームは、あくまでも宗教曲として、質実剛健の演奏に心掛けている点にも着目したい。最近では、ジュスマイヤー版を採用した壮麗な演奏が稀少になりつつあるが、これほどまでにドイツ正統派の風格のあるレクイエムは、今後も殆ど聴くことはできないと思われる。本演奏については、かつてSACD盤が出ており、最高の音質を誇っていたが、現在では廃盤で入手難。しかし、本SHM−CD盤もかなりの高音質であり、この名演を味わうには、現時点では本盤が最高ということになるであろう。」演奏内容の評価については、基本的には現在でも変わりがないが、その後、ユニバーサルからシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売されたことから、当該盤について言及をしておきたい。手元にあるハイブリッドSACD盤及びSHM−CD盤と聴き比べてみたが、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって次元の異なる高音質に生まれ変わったと言える。SHM−CD盤は問題外であるが、ハイブリッドSACD盤ではやや平板に感じられた音場が非常に幅広くなったように感じられ、マルチチャンネルが付いていないにもかかわらず、奥行きのある臨場感が加わったのには大変驚かされた。紙ジャケットの扱いにくさや解説(特に対訳)の不備、値段の高さなど、様々な問題はあるが、ネット配信の隆盛によってパッケージメディアが瀕死の状態にある中でのユニバーサルによるSACD盤発売、そして、シングルレイヤーやSHM−CD仕様、そして緑コーティングなどの更なる高音質化に向けた果敢な努力については、この場を借りて高く評価しておきたいと考える。

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     2011/07/18

    カラヤンはブラームスのドイツ・レクイエムを得意中の得意としていた。スタジオ録音だけでも、ウィーン・フィルとの3度にわたる演奏(1947年、1957年及び1983年)、ベルリン・フィルとの2度にわたる演奏(1964年及び1976年)など、5度にわたって録音を行っている。これ以外にもDVD作品やライヴ録音などが存在しており、カラヤンとしてもいかに同曲に深い愛着を抱いていたのかがよく理解できるところだ。これらの演奏はいずれ劣らぬ名演であると言えるが、どれか一つを選べと言われれば、私は躊躇なくベルリン・フィルを指揮して録音した本1964年盤を随一の名演として掲げたいと考える。カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代は1960年代及び1970年代であるというのは衆目の一致するところだ。したがって、このコンビによる全盛時代の圧倒的な音のドラマの構築と言った観点からすれば、むしろ1976年盤の方を採るべきであろう。しかしながら、同曲の清澄にして敬虔な性格に鑑みれば、ベルリン・フィルが重厚にして華麗ないわゆるカラヤンサウンドに完全には染まり切らず、いまだフルトヴェングラー時代のドイツ風の音色の残滓があった1960年代前半の音色の方がより同曲の演奏に適合しているのではないかと考えられるところである。また、同曲は、清澄な中にも劇的な箇所も散見されるなど、表情の起伏がある楽曲であるが、カラヤンによる1964年盤においては、1976年盤ほどの劇的な表現を控え、いい意味での剛柔のバランスがとれた演奏がなされているのも好ましいと言える。いずれにしても、本演奏は、ドイツ・レクイエムを十八番としたカラヤンによる最も優れた至高の名演として高く評価したい。独唱陣もソプラノのグンドゥラ・ヤノヴィッツ、そしてバリトンのエーベルハルト・ヴェヒターともに、圧倒的な名唱を披露してくれているのが素晴らしい。また、ウィーン楽友協会合唱団も終身監督であるカラヤンの確かな統率の下、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の合唱を展開していると言える。録音は、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤による極上の高音質だ。合唱付きの管弦楽曲の録音は非常に難しいが、そのようなハンディをいささかも感じさせないような名録音であったことが、本盤を聴くとよく理解できる。ユニバーサルが満を持して発売を開始したシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤であるが、期待を全く裏切らないような圧倒的な高音質に仕上がっていると言える。シングルレイヤー、そしてSHM−CD仕様というのも、SACDのスペックを最大限に活かすものとして、大いに歓迎したい。本演奏については、これまでも通常CD盤、SACDハイブリッド盤、そしてSHM−CD盤などが既に発売されているが、本盤と聴き比べると、そもそも次元が異なると言える。合唱とオーケストラの分離は見事であり、繊細な弦楽による弱奏から、力強いフォルテシモに至るまで、ダイナミックレンジの幅広さを完璧に捉えきっている。合唱の各パートや、独唱なども鮮明に再現されており、ガラスCDやクリスタルCDなどを除けば、現在望み得る最高の音質を誇る至高の名SACDと高く評価したい。

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