ジュリーニ&ベルリン・フィル・ライヴ録音シリーズ
Tuesday, January 5th 2010
バルビローリやカラヤン、セル、クレンペラーなど、ベルリン・フィルのライヴ音源をCD化して好評のテスタメント・レーベルが、今度はカルロ・マリア・ジュリーニとのライヴ・レコーディグをリリース。【本拠地でのステレオ録音】
ジュリーニとの演奏6タイトルは、すべてベルリン・フィルの本拠地であるフィルハーモニーでの演奏会を収録したものです。自由ベルリン放送(現ベルリン・ブランデンブルク放送[RBB])とドイチュラントフンク(現ドイチュラントラジオ[DeuschlandRadio])という2つの放送局がレコーディングした音源ということもあってか、年代の古いものでも音質は安定していて良好で、明晰なステレオ・サウンドによって、ジュリーニならではのゆったりと美しい演奏を味わうことができます。
SBT1434ドビュッシー『海』、ラヴェル『マ・メール・ロワ』『左手のためのピアノ協奏曲』 ジュリーニ得意の『海』と『マ・メール・ロワ』にはすでに他の録音も存在し、スケールの大きさと独特のジェントルな美しさが人気を博してきましたが、今回はオーケストラがベルリン・フィルということで、合奏の魅力はもちろん、ソリスティックな妙技にも注目が集まるところです。 ベルギーのピアニスト、ミシェル・ブロック[1937-2004]を迎えた『左手のためのピアノ協奏曲』はジュリーニのディスコグラフィ初のレパートリー。ブロックは1960年のショパン・コンクールで、審査員のルービンシュタインがポリーニよりも高く評価し、個人的にアルトゥール・ルービンシュタイン賞を授与したことでも有名な存在。 【収録情報】 ・ラヴェル:バレエ『マ・メール・ロワ』組曲 ・ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲 ・ドビュッシー:交響詩『海』 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮) ミシェル・ブロック(ピアノ) 録音時期:1978年1月10日 録音場所:ベルリン、フィルハーモニー・ホール 録音方式:ステレオ(ライヴ)
SBT2 1435ロッシーニ『スターバト・マーテル』、ガブリエリ、ジェミニアーニ 『スターバト・マーテル』は、キリストの受難を嘆き悲しむ聖母マリアへの同情と神への祈りを込めてロッシーニが50歳のときに書かれた作品。演奏によっては妙に軽い場面も出てくる曲ですが、ジュリーニは有名なフィルハーモニア盤でも重みのある独特のカンタービレによって、音楽の沈痛な美しさを見事に引き出していました。今回の演奏では、エルンスト・ゼンフ室内合唱団(現エルンスト・ゼンフ合唱団)を率いており、さらなる敬虔な美の追求が期待されるところです。 一晩のコンサートをそのまま2枚のCDに収録ということで、導入となる1曲目と2曲目には、ブラス・ファンにもおなじみの曲、8声の金管アンサンブルによるジョヴァンニ・ガブリエリの「ピアノとフォルテのソナタ」と「第7旋法によるカンツォーナ」が収められ、3曲目には、フランチェスコ・ジェミニアーニのト短調の合奏協奏曲が収録されています。 金管合奏で開始され、哀しみに彩られた美しい弦楽合奏でメインの『スターバト・マーテル』への心の準備をするという、まるで教会での演奏を思わせるようなプログラミングは、イタリアの音楽史を辿りながらも、通常、「イタリアの音楽」という言葉からすぐに思い浮かぶイメージとは正反対の精神の落ち着きと深い感動を呼ぶいかにもジュリーニらしいものです。 【収録情報】 ・G.ガブリエリ:サクラ・シンフォニア第1巻〜「ピアノとフォルテのソナタ」(8声) ・G.ガブリエリ:サクラ・シンフォニア第1巻〜「第7旋法によるカンツォーナ」(8声) ・ジェミニアーニ:合奏協奏曲 ト短調 Op.3-2 ・ロッシーニ:『スターバト・マーテル』 ナディア・ステファン=サヴォヴァ(S) ユリア・ハマリ(Ms) ヴェリアーノ・ルケッティ(T) ルッジェーロ・ライモンディ(B) エルンスト・ゼンフ室内合唱団 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮) 録音時期:1978年9月13日 録音場所:ベルリン、フィルハーモニー・ホール 録音方式:ステレオ(ライヴ)
SBT1438シューベルト交響曲第4番『悲劇的』、ドビュッシー『海』ほか 軽快に仕上げたロッシーニ『セミラーミデ』序曲に始まり、重厚なタッチで描いたシューベルトの『悲劇的』、そしてメインのドビュッシー『海』と、ジュリーニが好んで取り上げたフランクの『プシュケとエロス』というユニークな組み合わせ。共通するのは、どれもジュリーニが得意にしていた曲ということで、カラヤン時代のベルリン・フィルに客演するにあたって、得意のレパートリーで臨んだ気概が伝わる演奏内容となっています。 公演の二日後のDie Welt紙に、ヨアヒム・マッツナーは「ドラマそして究極の感性」と題してこう書いています。 「ひとつのメロディーの中でかくも劇的な緊張感と感性を共存させることのできる指揮者をジュリーニ以外に私は知らない。彼の指揮がいかに貴族的で巧妙であろうとも、全てのメロディックなフレーズは3次元的で、対位旋律は単なる付加的なパートではなく、その名にふさわしくきちんと強調された。音楽がその頂点に至るときですらジュリーニの手は基本的に控えめな様子を見せるが、音が不鮮明になったり目立ちすぎたりすることはない。究極の柔軟性、透明感、そして色彩感にあふれるこのジュリーニよる『海』の表現は、ベルリン中のホールを見渡しても二度と聞くことのできない素晴らしい出来事だった」 【収録情報】 ・ロッシーニ:歌劇『セミラーミデ』序曲 ・シューベルト:交響曲第4番D.417『悲劇的』 ・フランク:交響詩『プシュケ』〜プシュケとエロス ・ドビュッシー:交響詩『海』 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮) 録音時期:1969年2月13日 録音場所:ベルリン、フィルハーモニー・ホール 録音方式:ステレオ(ライヴ) |
JSBT2 8436ブルックナー交響曲第8番 ジュリーニのブルックナー8番はいくつか録音が残されていますが、どれも壮大なスケールで描かれた名演として有名。このベルリン・フィルとの演奏の3ヵ月後にはウィーン・フィルを指揮してドイツ・グラモフォンにセッション録音(87:32)していますし、前年の1983年には、フィルハーモニア管弦楽団を指揮してコンサート(85:20)をおこなっており、さらに翌年の1985年にはワールド・フィルハーモニックの公演(83:08)で指揮しています。 ベルリン・フィルとの演奏は85分13秒と、前年のフィルハーモニア管との演奏とほぼ同じタイミングで、解釈も同一なので、オーケストラの違いがポイントとなります。もっとも、ウィーン・フィルの演奏もワールド・フィルの演奏も解釈は同一なのですが、前者はセッションでのため遅くなり、後者は若いオケということもあってか後半で速くなってしまっているようです。 【日本語解説書より】 「Berliner Morgenpost」紙で、クラウス・ガイテルは、ジュリーニの芸格を際立たせているのはその高潔さとし、こう記しています。 「ジュリーニは自らが指揮する作品から静かに一歩引いたところに自分を置く。この指揮者は全く重責を担っているようには見えないし、まして主役を買ってでるような素振りは一切ない。その集中力は目前の大曲に注がれ曲全体を包み込むかのようだ、、、紡ぎ出される交響曲第8番の演奏は、第1楽章のオーボエとクラリネットによる哀しげな呼びかけから最終楽章の金管の光り輝く咆哮まで、壮大で艶やか、細部まで喜びに満たされた」 【収録情報】 ・ブルックナー:交響曲第8番ハ短調 WAB.108 [ノヴァーク版] ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮) 録音時期:1984年2月11日 録音場所:ベルリン、フィルハーモニーザール 録音方式:ステレオ(ライヴ)
JSBT8437ブルックナー交響曲第7番 ブルックナーの交響曲は、ジュリーニの芸風の大きな特徴である「歌」の見事さを堪能できるレパートリーですが、中でも第7番は作品が備えたメロディアスな性格もあってか、既出のウィーン・フィル盤(1986/67:52)、フィルハーモニア盤(1982/61:49)ともに素晴らしい演奏内容を示したものとして有名。 今回のベルリン・フィル盤の演奏時間は63分51秒。実演ということで、フィルハーモニア盤の時間配分に近いものとなっており、ウィーン・フィル盤ほど遅くなっていないのがポイントです。 【日本語解説書より】 当日の演奏についてアルブレヒト・デュムリングはDer Tagesspiegel紙でこう述べています。 「その真に“ロマンティック”な演奏は旋律の流れを絶え間なくつなぎ、再現部の始まりなど大きな節目においてのみ断ち切られた。ただし例外もある。スケルツォ楽章のトリオでは周到にテンポが変更され、さらにフィナーレではそれまでの楽章の連続性とは劇的な対照をなす分断が表現された」 【収録情報】 ・ブルックナー:交響曲第7番ホ長調 WAB.107 [ノヴァーク版] ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮) 録音時期:1985年3月5日 録音場所:ベルリン、フィルハーモニーザール 録音方式:ステレオ(ライヴ)
JSBT2 8439ドヴォルザーク:交響曲第7番、チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ほか ジュリーニが得意とするドヴォルザークの交響曲第7番には、ロンドン・フィル(1976)とコンセルトヘボウ管(1993)による録音があり、両者ともに優れた演奏として有名です。ほかに1969年のニュー・フィルハーモニア管とのライヴ録音も出ていますが、こちらはオケのコンディションに少々難があるため、今回、1973年という時期におこなわれたベルリン・フィルとの演奏が良い音質で登場したのは朗報といえます。 確信に満ち洗練された歌い口とがっちりした構築の凄みは、やはりこの時期のジュリーニならではのもの。ベルリン・フィルの重厚無比なサウンドとの相性も良く、稀有なドヴォ7の名演が誕生することとなりました。 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、ジュリーニのディスコグラフィでは初登場のレパートリー。チョン・キョンファの情熱的な独奏を重量級の伴奏で支えた素晴らしい演奏です。また、ムソルグスキーの『ホヴァンシチナ』前奏曲もフィルハーモニア管とのモノラルのライヴ録音しかなかったので、今回のステレオ録音の登場は歓迎されるところです。 【日本語解説書より】 クラウス・ガイテルは「Die Welt」紙にこう記しています。 「ジュリーニは誠実かつ真摯に、曲に交響的な重厚さを与え、ありがちな徒な効果の一切を却下した。そのため『ホヴァーンシチナ』前奏曲には静穏と艶めく美しさが添えられた」。 ドヴォルザークの交響曲第7番についても「曲の形式を力強くまとめ上げるエネルギーを示し、揺るぎない土台に支えられた活力とインスピレーションに満たされた演奏」を披露。ジュリーニの意図については「細部の完全性を積み上げて全体を作るのではなく、その逆の手法がとられていたようだ。最終的に作品全体の出来が細部の価値をも左右する」 【収録情報】 ・ムソルグスキー:歌劇『ホヴァンシチナ』前奏曲(モクスワ河の夜明け) ・チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品35 ・ドヴォルザーク:交響曲第7番ニ短調作品70 キョンファ・チョン(Vn) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮) 録音時期:1973年5月10日&11日 録音場所:ベルリン、フィルハーモニーザール 録音方式:ステレオ(ライヴ) |
【解説書より抄訳】ベルリン・フィルとの10年間の活動を振り返って、ジュリーニは素晴らしかったと語っている。
「ベルリン・フィルが世界の音楽界において卓越した地位を占めていることは誰もが知るところです。このオーケストラは素晴らしい個性を持ち、私は彼らと共に音楽を作り上げる幸運に恵まれました」
このインタビューを行った時点ですでに、ジュリーニが指揮するオーケストラの数は多くなかった。
「共演するオーケストラとは互いに良く知り合っています。オケからオケへと転々とはしません。演奏者とは音楽的にとどまらず、人間的にも関係を築きます。互いに親しくなることはとても重要なのです」
音楽を紡ぎだす醍醐味は何かという質問はジュリーニにとっての聖句を引き出した。
「音楽は偉大な奇跡であり神秘。たった一つの音符でさえ奇跡と神秘を秘めているのです。その音符は突如現れ、生まれた瞬間に去っていってしまう。指揮していようと、演奏者として音を出していようと音楽に関るすべてに魅了されるのです」
多くのスタジオ録音も残したジュリーニであるが、レコーディングに関しては常に懐疑的であった。1979年にドイツの定期刊行誌「Fono Forum」の取材でインタビューを行った際、ジュリーニは
「ある作品を録音するのは、その曲が私の中で熟成し、私の経験に照らしそれができると思えた時です。事を急いではなりません」
と語っている。また、(スタジオ録音よりも)コンサートホールやオペラハウスにおける演奏が好ましいとも述べている。録音には完全性という利点があるものの、この強みが障害に転じぬように用心しなければならない。
「完全性を目指せば、生きた演奏が失われるリスクを冒すことになります。演奏の自然な息づかいやコンサートホールの聴衆との密着性が失われるのです。聴衆の反応がない録音においては、生きた演奏と緊張感に特に注意を払う必要があることは言うまでもありません」
同じインタビューにおいて、ジュリーニは指揮者の役割についても語っている。自身を主役ではなく、他の演奏者と共に音楽を作り出す楽器を持たない演奏者と捉えていた。指揮者は指令塔として100人もの演奏者に向き合う時、傲慢になったり自信過剰に陥るきらいはないのかという問いに対して、ジュリーニは何のてらいもなく次のように答えた。
「モーツァルトやベートーヴェン、バッハといった、この世界と人類を豊かにしてくれた天才たちと対峙していること、そして自分は愛と献身を持ってこうした天才たちに仕える一人の人間に過ぎないことを思い知っていれば、そうした了見は無意味になるのです。また私は自分自身を指揮者という突出した存在と考えたことはありません。私は一人の演奏者です。若い時にはオーケストラの団員として随分演奏し、カルテットのヴィオラも弾きました。常に私は演奏者の中の一員であり、輪の外に一人で立っているのではないと考えてきました」
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【ジュリーニ/作曲家別検索】
【ジュリーニ・プロフィール】美しい名前と洗練された容姿、そしてヒューマンな人格の持ち主だった稀有の名指揮者、カルロ・マリア・ジュリーニは、1914年5月9日、南イタリアのヴェローナ近郊、バルレッタという都市に、北イタリア出身の裕福な両親の息子として誕生しました。
ジュリーニは5歳のときに旅回りのヴァイオリン弾きに魅せられ、父親にねだってヴァイオリンの学習を始めます。地元の音楽学校に学んだ後、1930年にローマの聖チェチーリア音楽院に入学、ヴィオラと作曲を専攻。在学中から同音楽院管弦楽団のヴィオラ奏者も務め、ブルーノ・ワルターやオットー・クレンペラー、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーといった名指揮者たちのもとでの演奏を経験。卒業後、聖チェチーリア国立アカデミーで指揮法をベルナルディーノ・モリナーリに師事し、指揮者への道を志すこととなります。
【1940年代】
第二次世界大戦中の1942年、ローマで知り合った実業家の娘、マルチェッラ・デ・ジローラミと結婚。その後、イタリア陸軍に従軍し、パルチザン掃討のためクロアチアに赴きますが、そこでの経験が彼を平和主義者に変え、強固な反ファシストの考えのもと、ローマに戻ったのちに軍隊から離脱、ポスターなどで手配されるものの、妻の叔父の家にある秘密の部屋に9ヶ月間潜伏して終戦を迎えます。
その後、ローマが開放された1944年6月、記念演奏会で聖チェチーリア音楽院管弦楽団を指揮してデビュー。ブラームスの交響曲第4番ほかを指揮した公演は大成功を収め、プレヴィターリの後任として、ローマ・イタリア放送交響楽団の指揮者に起用されます。
1946年、ローマ・イタリア放送交響楽団の音楽監督に就任。
1949年、7月にマリピエロ、ミヨー、ペトラッシの作品をローマ・イタリア放送交響楽団と演奏。
【1950年代】
1950年、ミラノ・イタリア放送交響楽団に移ります。この頃からヨーロッパ各地の音楽祭を中心とした客演活動を盛んにおこなうようになります。
1951年、ミケランジェリとモーツァルトのピアノ協奏曲で共演、さらにミラノ・イタリア放送交響楽団との演奏会形式オペラ上演では『アッティラ』、『二人のフォスカリ』、『ブルスキーノ氏』を取り上げています。また、ジュリーニの指揮したハイドンの『月の世界』を聴いたトスカニーニが演奏を絶賛、これを機にトスカニーニから指揮について教えを受けてもいます。
1952年、スカラ座にデビュー、この年にはジュリーニ初のレコーディング・セッションとなるケルビーニのレクイエムをEMIに録音。
1953年、フランクフルトで、ヘッセン放送管弦楽団(現フランクフルト放送交響楽団)に客演してグリュミオーのヴァイオリン独奏でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を指揮。同年12月7日には、スカラ座のシーズン初日でカタラーニの『ワリー』をテバルディの主役で上演し成功を収めます。
1954年、ヴィクトル・デ・サーバタの後任として、スカラ座首席指揮者に就任し、ロッシーニ『セビーリャの理髪師』『シンデレラ』、ヴェーバー『オイリアンテ』、グルック『アルチェステ』などを指揮。
1955年、セッションでロッシーニ『アルジェのイタリア女』、ペルゴレージの『奥様女中』をEMIに録音。さらにフィルハーモニア管弦楽団を指揮してヴィヴァルディの『四季』をEMIに録音。オペラ上演では、5月28日のマリア・カラスとの『椿姫』が話題になったほか、グラインドボーンに客演した際の『ファルスタッフ』も大評判となります。
1956年、スカラ座首席指揮者を辞任。フィルハーモニア管弦楽団とのレコーディング・セッションに熱心に取り組み、ビゼーの『子供の遊び』、チャイコフスキーの交響曲第2番『小ロシア』、ストラヴィンスキーの『火の鳥』、ムソルグスキー『禿山の一夜』、ラヴェル『マ・メール・ロワ』、ボッケリーニ:シンフォニア、ハイドン:交響曲第94番『驚愕』などをEMIに録音。オペラ上演では、1月29日、スカラ座でのマリア・カラスとの『椿姫』や、同じくスカラ座で2月16日におこなわれた『セビーリャの理髪師』などがありました。
1957年、フィルハーモニア管弦楽団を指揮して、名演の誉れ高いフランクの交響曲ニ短調を録音。同じ7月にファリャの『三角帽子』も収録され、9月にはシュタルケルとのシューマンのチェロ協奏曲とサンーサーンスの第1番を録音します。
1958年、フィルハーモニア管弦楽団を指揮して、シューマンの交響曲第3番『ライン』[マーラー版]&『マンフレッド』、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』第2組曲ほかをセッション・レコーディング。オペラ上演では、ロイヤル・オペラ100周年記念上演をヴィスコンティの演出による『ドン・カルロ』で指揮して評判となります。
1959年、フィルハーモニア管弦楽団を指揮して、『フィガロの結婚』全曲、『ドン・ジョヴァンニ』全曲、チャイコフスキー:交響曲第6番『悲愴』、ロッシーニ:序曲集をセッション録音。
【1960年代】
1960年、フィルハーモニア管弦楽団を指揮して、ブラームスのピアノ協奏曲第1番をセッション録音。ピアノ独奏はクラウディオ・アラウ。また、トリノでは、モーツァルトの40&41番を指揮しています。オペラでは、コヴェントガーデンにて『セビーリャの理髪師』を上演。
1961年、フィルハーモニア管弦楽団を指揮して、ドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』、ブラームス:ハイドン変奏曲をセッション録音。コンサートでは、同じくフィルハーモニア管と、『悲愴』、『展覧会の絵』、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ルービンシュタイン)、ショパンのピアノ協奏曲第2番(ルービンシュタイン)などを演奏。オペラでは、コヴェントガーデンにてヴェルディの『ファルスタッフ』を上演。
1962年、フィルハーモニア管弦楽団を指揮して、名高いドビュッシー:海、夜想曲、ブラームスの交響曲第1番、第2番、第3番、ピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏はクラウディオ・アラウ)、悲劇的序曲、ドヴォルザーク:交響曲第8番などをセッション録音。コンサートでは、ブラームスの交響曲第2番とヴェルディ聖歌四篇ほかをとりあげたボストン響への客演がありました。
1963年、コンセルトヘボウに客演して、ヴェルディの『ファルスタッフ』を演奏会形式上演。フィルハーモニア管弦楽団とのコンサートでは、ヴェルディのレクイエムや、ドヴォルザークの交響曲第8番を演奏。
1964年、フィルハーモニア管弦楽団を指揮して、ヴェルディのレクイエムをセッション録音し、さらにロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのコンサートでも演奏。また、TV放送コンサートで、モーツァルトの40番と、ムソルグスキーの展覧会の絵、ファリャの三角帽子を演奏。オペラでは、コヴェントガーデンにて、ヴィスコンティ演出によりヴェルディの『トロヴァトーレ』を上演。
1965年、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮してモーツァルトの交響曲第40&41番を、デッカにセッション録音。オペラではローマで『セビーリャの理髪師』を上演。また、ミラノでは、ハイドンの交響曲第104番とモーツァルトの交響曲第40&41番を指揮しています。
1966年、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮してラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』と『スペイン狂詩曲』を、EMIにセッション録音。コンサートでは、同じくニュー・フィルハーモニア管とベートーヴェン『ミサ・ソレムニス』、モーツァルトのレクイエムを演奏。オペラでは、ローマとフィレンツェで『リゴレット』を上演しています。
1967年、シカゴ交響楽団を指揮してシューマンのピアノ協奏曲(ルービンシュタイン)をRCAにセッション録音。コンサートでは、同じくシカゴ交響楽団とドヴォルザーク交響曲第7番、ブラームス交響曲第2番、モーツァルト交響曲第39番、ケルビーニ:レクイエムなどを演奏したほか、ローマで、モーツァルトのグラン・パルティータ、シューベルトの交響曲第4番、ロッシーニのスターバト・マーテルをとりあげています。オペラでは、コヴェントガーデンにてヴェルディの『椿姫』を上演。
1968年、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮してブラームスの4番、ベートーヴェンの田園、エグモントを、EMIにセッション録音。コンサートでは、セント・ポール大聖堂でのベートーヴェン:ミサ・ソレムニスのほか、エジンバラで、シューベルトのミサ曲第6番と交響曲第4番を演奏。この年、シカゴ交響楽団首席客演指揮者に任命されます。
1969年、シカゴ交響楽団を指揮してブラームスの交響曲第4番、ストラヴィンスキーのペトルーシュカ、火の鳥、ベルリオーズ『ロメオとジュリエット』抜粋をEMIにセッション録音。コンサートでは、ボストン交響楽団に客演して、シューベルトの交響曲第4番、ブラームスの交響曲第4番、ムソルグスキーの展覧会の絵、ハイドンの交響曲第94番などを演奏したほか、ロイヤル・アルバート・ホールで、ブリテン:戦争レクイエムを、ローマでベートーヴェンのミサ・ソレムニスをとりあげています。
【1970年代】
1970年、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してベートーヴェンのハ長調ミサを、ロイヤル・オペラを率いてヴェルディの『ドン・カルロ』をEMIにセッション録音。オペラでは、ローマでモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』を演奏会形式で上演。
1971年、シカゴ交響楽団を指揮してベートーヴェンの交響曲第7番、マーラーの交響曲第1番をEMIにセッション録音。
1972年、ロンドン交響楽団を指揮してベートーヴェンの交響曲第8番、第9番をEMIにセッション録音。コンサートでは、セント・ポール大聖堂でのバッハ:ロ短調ミサが話題に。
1973年、ロンドン交響楽団を指揮してブラームスのピアノ協奏曲第1番(ワイセンベルク)をEMIにセッション録音。コンサートでは、チェコ・フィルにベートーヴェンの第九で客演。この年、ウィーン交響楽団の首席客演指揮者に任命されます。
1974年、ウィーン交響楽団を指揮してブルックナーの交響曲第2番をEMIにセッション録音。ほかにウィーン交響楽団とのセッションとしては、放送用のスタジオ録音で、J.シュトラウスの『皇帝円舞曲』がありました。コンサートでは、ボストン交響楽団に客演して、ブルックナーの交響曲第2番、ヒンデミット:画家マティス、ヴィヴァルディ:四季、ヴェーベルン:パッサカリア、ロッシーニ:スターバト・マーテルを演奏、ニューヨーク・フィルではブルックナーの交響曲第9番、チャイコフスキーの交響曲第2番、モーツァルトの交響曲第38番、ブラームスのピアノ協奏曲第1番(フィルクシュニー)を指揮しています。
1976年、シカゴ交響楽団を指揮して『展覧会の絵』をドイツ・グラモフォンに録音、以降、シカゴ響とのコンビで、マーラーの交響曲第9番、シューベルトの交響曲第9番、ドヴォルザークの第9番『新世界より』を相次いでレコーディング、EMIからのブルックナーの交響曲第9番と併せて大きな話題となりました。
1978年、ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任、直後に録音したベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』は、そのユニークなアプローチで注目を集めました。ロス・フィルとはその後もベートーヴェン『運命』、シューマン『ライン』、チャイコフスキー『悲愴』、ブラームス:交響曲第1番等を次々とレコーディングしています。
1979年には9年ぶりのオペラ録音となるヴェルディの『リゴレット』を、ウィーン・フィル、カプッチッリ、ドミンゴなど豪華なメンバーでレコーディング、絶賛を浴びています。
【1980年代】
1982年、ロス・フィルとのヴェルディ:『ファルスタッフ』で、実際の舞台上演としては十数年ぶりにオペラを指揮、ロスアンジェルスとロンドンで公演をおこなっています。この時期にはロンドン夏の名物「プロムス」にも登場、ブルックナーの交響曲第7番、同じくブルックナーの交響曲第8番で2年連続で指揮台に立っています。
1984年、夫人の病気のためロスアンジェルス・フィルの音楽監督を辞任、以降はヨーロッパに活動を限定して、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、バイエルン放送交響楽団など選り抜きの名門オーケストラに客演、それらの公演の多くはライヴ収録(または公演前後のセッション)されてドイツ・グラモフォンから、1989年以降はソニーからリリースされています。また、スカラ座フィルを指揮したベートーヴェン交響曲ツィクルスも話題を呼びました。
【1990年代】
80年代後半に引き続き、限られた名門オケへの客演活動を継続しますが、夫人の病状の悪化にともなって、その回数を徐々に減らしてゆきます。
1990年、ウィーン市の名誉ゴールド・メダルと、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の名誉リングを授与されます。
1991年12月5日、モーツァルト200回忌のための「レクイエム」を、法王ヨハネ・パウロ2世臨席のもとヴァチカンにおいて指揮。
1994年には、ロシアのサンクトペテルブルグ・フィルハーモニー管弦楽団へ客演、ブラームスの交響曲第2番と第4番を指揮して大成功を収めています。
1995年、マルチェラ夫人が死去。指揮活動が激減します。
1998年10月、すべての公的活動からの引退を表明。以後、若い音楽家たちの指導に当たることがあったとされていますが、指揮台に立つことはついにありませんでした。
2005年6月14日、イタリア北部のブレシアにて逝去。享年91歳でした。






