外務省は「伏魔殿」か 反骨の外交官人生と憂国覚書

飯村豊

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784829508640
ISBN 10 : 4829508647
フォーマット
出版社
発行年月
2023年07月
日本
追加情報
:
320p;19

内容詳細

2001年、機密費横領事件で国民の怒りが外務省に向けられている中、国会で田中眞紀子外相から「伏魔殿」と名指しされ大臣官房長を更迭された著者が、ポピュリズムの嵐に巻き込まれた、この「騒動」の真相を明らかにする。そして40年間の外交官生活を振り返り「外交のあるべき姿」を熱く語る!

目次 : プロローグ 「国賊」と呼ばれた家庭から外交官へ/ 第1章 「外交と世論の関係」は永遠の課題(田中眞紀子外務大臣―ポピュリズムの嵐に巻き込まれた日本外交/ 外交を生かすも殺すも世論の動き ほか)/ 第2章 相互批判と協力が交錯する日米欧関係(フランスの「自主独立外交」を学んだ研修生時代/ ロシア人の欧米警戒心と恐怖心を学んだソ連勤務 ほか)/ 第3章 体験して初めてわかった途上国外交(最大のODA供与国からの転落/ インドネシアから日本を見る)/ 終章 「第四の開国」を求めて(東南アジアとパワー・ポリティックス/ リアリズムと幻想 ほか)

【著者紹介】
飯村豊 : 1946年東京都生まれ。東京教育大学附属駒場中・高等学校、東京大学教養学部教養学科を経て、1969年外務省入省。外務省研修生として仏ディジョン大学、ストラスブール大学に留学。海外では在ソ連(当時)大使館、在フランス大使館、在フィリピン大使館及び在米大使館、国内においては欧亜局西欧一課、調査部企画課、アジア局南東アジア一課及び官房人事課首席事務官、経済協力局技術協力課長、官房報道課長、欧亜局審議官、経済協力局長及び官房長を務めた。2001年官房長更迭後官房審議官(監察・査察担当)を経て、駐インドネシア特命全権大使、駐フランス特命全権大使、政府代表(中東地域及び欧州地域関連)を歴任。外務省以外では、ハーバード大学国際関係研究所フェロー、国際博覧会協会(BIE)執行委員会委員長、MSH(米国NGO)理事、東京大学公共政策大学院客員教授、日本・インドネシア協会副会長、フランス国立高等社会科学研究院シニア・フェロー、東京大学経営評議会学外委員・総長選考会議議長を務める。現在、GRIPS・政策研究院シニア・フェロー、日仏会館評議員、日本ハンガリー商工会議所顧問(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • KAZOO さん

    この著者については、あるところで知り合いとなっています。ちょうど田中外相がいた頃に外務省で官房長をなされていて将来的には事務次官となるのではないかと思っていましたが嫌われてしまっていたようです。その当時のことは当然ながらかなり詳しく書かれていますがそれよりも外務省がどのような組織であるのかがよくわかります。民間にいる私からは想像もできないような様々な闘争がある感じがしています。

  • 古本虫がさまよう さん

    父親は飯村繁、祖父は飯村穣。共に軍人。戦後、自宅の門には「国賊」との貼紙もよくされていたとのこと。小泉内閣の時、田中真紀子氏が外務大臣に就任したが、そのときは官房長。名指しでこの男が「伏魔殿」とやられ、「失脚」?その際、一度決定した人事を覆そうとする田中外相に対して「一事不再理」の原則もあって云々と抗弁……。「すると田中大臣は、『一事不再理』という言葉が耳新しかったのか、秘書官に国語辞典をもってこさせ、確認していました」。そのほか盛りだくさんの外交裏話あり。「平成天皇」との表記(101頁)が気になった?

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飯村豊

1946年東京都生まれ。東京教育大学附属駒場中・高等学校、東京大学教養学部教養学科を経て、1969年外務省入省。外務省研修生として仏ディジョン大学、ストラスブール大学に留学。海外では在ソ連(当時)大使館、在フランス大使館、在フィリピン大使館及び在米大使館、国内においては欧亜局西欧一課、調査部企画課、

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