CD

Sym.9, 10(Adagio): Maazel / Vpo

マーラー(1860-1911)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
SICC254
組み枚数
:
2
:
日本
フォーマット
:
CD

内容詳細

音楽がガラリと相貌を変える、その先触れとして仕掛けられた一瞬の響きの変化をのがさない。細部まで動きを見通した怜悧な音の姿と見せて、その変化に耳が止まった瞬間に音の内側の脈絡の中にズブと引き込まれていく。知情巧みに使嗾するギロリのマゼール流。(中)(CDジャーナル データベースより)

収録曲   

総合評価

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十数年ぶりに聴きました。以前に聴いた感想...

投稿日:2012/03/18 (日)

十数年ぶりに聴きました。以前に聴いた感想は「面白くないのう」ということで、そのためずっと聴かなかったというわけです。今回、久々に聴きなおし、全く考えを改めまして、まことに敬服の至りであります。マゼールさんのアプローチは、例えばバーンスタインのように情感豊かな没入型ではありません(これは予想通り)。大きな感動で聴く者を圧倒することはないでしょう。一方、レヴァイン(新旧)のような美麗な管弦楽作品再現型でもありません。音響美とオケの名人技で堪能させる「耳のごちそう」でもありますまい。そしてその中間ということでもありません。この演奏は、プロ中のプロによってこの曲のあらゆる秘訣が解析され、その凄みを突きつけてくる、そんな印象でしょうか。たとえるならば、天にそびえる大教会の、建築としての構造がまずは解明され、次に(あるいは同時に)内部を構成するそれぞれの部分の役割や細部の装飾の意味が明白にされるという感じでしょうか。ウィーンフィルは充分な美感を誇りつつ、指揮者のそうしたすこぶる理知的な姿勢を、自らの誇りを示しつつ、音化しております。演奏自体の物凄さ(スーパーハイレベル)にはほとほと感心し、敬服いたしました。但し、この演奏は「頭で聴く」ものであって、「ハートで聴く」ものではないな。この曲に関しては、それではやっぱり物足りないというのも正直な感想です。さっきの教会のたとえを使うなら、建築としての意味や凄さはわかったけど、「何のためにこれを建てたの?」とか「宗教ってどんな意味があるの?」とかいうような、問いかけに応えてくれるものではないのですね。10番のアダージョも同傾向ですが、こちらはもっと耽美的な傾向が強いかな。録音はいささか鮮度不足。もうそろそろ録音から30年にもなるんだもんねぇ。

ほんず内閣総理大臣 さん | 北海道 | 不明

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バルビ、バーンスタインも持ってます。しか...

投稿日:2009/12/24 (木)

バルビ、バーンスタインも持ってます。しかし、なぜかあまり評判にならないこのマゼール盤に惹かれます。バルビよりじっくりと歌い、バーンスタインほど泣かない。そこが良いのかも。しかし、9番の美、醜、死への恐怖etc.は十分に味わえます。押し付けがましいところがないからなのかな?

fukifuki さん | 茨城県 | 不明

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マゼールのマーラーは、5番と9番が抜きん...

投稿日:2007/05/08 (火)

マゼールのマーラーは、5番と9番が抜きん出て素晴らしい。感傷とかストーリーとか、そういったものと別の次元に繰り広げられる演奏は、しかし何度も聴き返したくなる魅力を持っています。こんな長い曲が、2枚のCDの入れ替えすらものともせず一貫した曲として聴こえてくるのには、いつも驚きます。私は、マーラーの9番はこの録音以外必要ないと、まったく個人的にですが思っています。

無名庵 さん | 東京 | 不明

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人物・団体紹介

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マーラー(1860-1911)

1860年:オーストリア領ボヘミア、イーグラウ近郊のカリシュト村で、グスタフ・マーラー誕生。 1875年:ウィーン楽友協会音楽院に入学。 1877年:ウィーン大学にてアントン・ブルックナーの対位法の講義を受講。 1883年:カッセル王立劇場の副指揮者に就任。 1885年:『さすらう若人の歌』を完成。プラハのドイツ劇場の

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