ベートーヴェン(1770-1827)

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CD

バーンスタイン/最後の演奏会 レナード・バーンスタイン

ベートーヴェン(1770-1827)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
UCCG4083
組み枚数
:
1
:
日本
フォーマット
:
CD

商品説明

バーンスタイン/最後の演奏会
文字通り最後の演奏会となったタングルウッドでのライヴ録音。

・ブリテン:歌劇『ピーター・グライムズ』作品44〜4つの海の間奏曲
・ベートーヴェン: 交響曲第7番 イ長調 作品92

 ボストン交響楽団
 指揮:レナード・バーンスタイン

 録音:1990年8月、タングルウッド(ライヴ)
 デジタル録音

内容詳細

文字通りクラシック界の巨匠・バーンスタインの最後の演奏会となった、タングルウッドでの1980年のコンサートを録音。病をおしての演奏が感動的な作品。(CDジャーナル データベースより)

収録曲   

総合評価

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バーンスタインは、最期の年の夏、札幌で第...

投稿日:2012/09/20 (木)

バーンスタインは、最期の年の夏、札幌で第1回PMFで、若い音楽家を教えて、共に過ごしたが、もう体調を崩し、コンサートは途中帰国した。その後、故郷、タングルウッドで、やはり、若い音楽家と、共にいた。このライヴは、最期となった演奏会の記録。ブリテンは、平和主義者が取り上げた、平和主義者の音楽、ついでに、ゲイ同士であった。冒頭から、この世のものでなくなりかけている。マーラーの様な諦感も感じられる。楽聖の音楽は、もう指揮出来なくなった状態のバーンスタインの強烈音楽との格闘。バーンスタインは、最期まで音楽家、創造する人であった。指揮、教育活動出来る状態でないと悟ったバーンスタインは、間もなく引退。直後、死の報が、知らされた。バーンスタインの人生は、音楽活動そのもの、それが出来なければ、生きている価値が無い、と言う人生だった。そして、シリアス、重要なメッセージ、感情、祈りを、音楽に託し、表出、伝えられる20世紀の偉人であり、多くのものを残し、今も、生きづいていると信じる。

sunny さん | 兵庫県 | 不明

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ブリテンからして兆しを感じる。彼方にある...

投稿日:2012/06/30 (土)

ブリテンからして兆しを感じる。彼方にある美。俗にまみれてこそ顕れる清明。終楽章など曲に身を任せていると平衡感覚が奪われてくる。私だったら指揮台から転げ落ちている。立っていられない。プレヴィンが振った場合はもっとスタイリッシュだった。足下は揺らでいなかった。バーンスタインはこの曲にまで生き様を投影している。自己陶酔というより自己投影。圧倒的な個だからこそ独りよがりにならない。人を惹き付けて止まない。もんどり打ってこそ人は解決に至る。弱さと強さの計り知れない共存。ブリテンでそんなことを描いてみせるこのじーさん、やっぱりすげぇ・・・。ベートーヴェン、1楽章:もはや疾走する必要はない。音楽というものは自らを奏でる。それを実証すれば良い。2楽章:特別なことは何もしなくていい。ただ人にはそれができない。許されてもいないのかもしれない。存在意義とは?に対して答え続ける苦悩。ただ、あるがまま。それが許される瞬間がここに提示されている。”献身”より遥かに高次の”忘我”。3楽章:なぜ交響曲は(一般的に)4楽章構成なのだろう。”忘我”を超えた先に改めて人として問われる。命の燃焼が求められる。ベートーヴェンが求めている。”聖”でも”神”でもない”人”こそを。4楽章:始まってしまった・・・。最初はまだ上体で指揮をしている姿が目に浮かぶ。2分15秒過ぎから動けなくなってくるのが手に取るようにわかる。時折、気を取り直したようにはなるが、やはり思うように動けない。オケは明らかに戸惑っている。ボストンともなれば指揮無しでも演奏できるだろう。でもこれはバーンスタインなのだ。涙があふれてくる。たどたどしい。ごつごつしてる。でこぼこだ。でもね不安になんか全然ならない。だってかっこいいんだよ!この音の流れを共存していられることへの感謝が涙となってあふれてくる。これこそが”人とは?”という問いへの答えなのだろう。バーンスタインなのだから。

みたけ さん | 不明

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本盤におさめられたベートーヴェンの交響曲...

投稿日:2011/08/18 (木)

本盤におさめられたベートーヴェンの交響曲第7番とブリテンの4つの海の間奏曲は、バーンスタインによる生涯最後のコンサートの記録である。死の2か月前の演奏でもあるということもあって、本演奏にはただならぬ雰囲気が漂っていると言えるだろう。ニューヨーク・フィルの音楽監督時代のバーンスタインは、いかにも陽気なヤンキー気質の爽快な演奏を繰り広げていた。ところが、ヨーロッパに拠点を移し、ウィーン・フィルを恒常的に指揮するようになってからは、テンポは異常に遅くなりとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。とりわけ、1980年代に入ってからは、かかる特徴が顕著であり、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏が目白押しであったように思われる。このような芸風の著しい変化は、バーンスタインによる体力の衰えが原因なのか、それともバーンスタインの音楽の捉え方がより深化したのかは正直なところよくわからない。バーンスタインには熱烈なファンも多いことから、かかる芸風の変化を持ってバーンスタインは真の巨匠になったと評価する者もいることも十分に考えられる。しかしながら、他方では、かかる常識はずれのテンポにとても付いていけないと感じる聴き手が多いのも事実である。その意味では、本盤の演奏は両曲ともに、かかる晩年の芸風が顕著にあらわれており、とてつもない遅いテンポと重苦しい雰囲気に演奏全体が包まれていると言えるだろう。ましてや、バーンスタインの体調の悪さも多分にあると思うが、ボストン交響楽団にも戸惑いが見られ、アンサンブルなども大幅に乱れるなど、バーンスタイン、そしてボストン交響楽団によるベストフォームにある演奏とはとても言い難いと言えるところだ。したがって、本演奏を凡演として切り捨ててしまうのは容易ではあるが、私はむしろ、死の2か月前、体調も最悪であったにもかかわらず、渾身の力をふり絞って本演奏会に臨んだバーンスタインの直向きさに強く心を打たれるのである。そう思って本演奏を聴くと、いかに本演奏が渾身の大熱演であったのかが理解できるところだ。本演奏は正に、死を間近に控えたバーンスタインが最後の力を振り絞って成し遂げた魂の音楽であると言えるところであり、その渾身の直向きさが我々聴き手の肺腑を打つのである。このような魂の音楽に対しては、大仰で重苦しい演奏であるとか些末なアンサンブルのミスなどとは無関係であり、ただただ虚心になって最晩年のバーンスタインによる渾身の大熱演を鑑賞するのみである。いずれにしても、本演奏は、特にマーラーの交響曲や歌曲において偉大な名演を成し遂げてきた大指揮者バーンスタインの最後の演奏としては痛々しさを感じずにはいられないが、バーンスタインが人生の最後に成し遂げた魂の音楽として、未来永劫に語り伝えたい演奏と高く評価したいと考える。

つよしくん さん | 東京都 | 不明

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ベートーヴェン(1770-1827)

1770年12月17日(16日?):父ヨハン、母マリアの次男としてドイツのボンに誕生。 1778年:7歳でケルンでの演奏会に出演。 1781(1782?)年:クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事。 1800年:交響曲第1番を宮廷劇場で指揮。 1804年:交響曲第3番『英雄』を発表。 1805年:交響曲第5番『運命』、交響曲

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