ショスタコーヴィチ(1906-1975)

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SACD

Sym, 15, : Haitink / Concertgebouw O

ショスタコーヴィチ(1906-1975)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
KKC5335
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
日本
フォーマット
:
SACD
その他
:
ハイブリッド

内容詳細

ショスタコーヴィチの音楽にはとかく音楽外のあれこれがつきまとう。この15番は中でも軽みと深淵、両極の屈折を飄と顕わした老獪作だが、ハイティンクはそこにことさらに寄らず離れずいわば職人的自然体で音と運動を組み立てていく。その練達の手並みとサバとした生気。新鮮さと不足感相半ばする面白さだ。(中)(CDジャーナル データベースより)

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1972年の日本初演を聴いて大変衝撃を覚えた...

投稿日:2011/11/14 (月)

1972年の日本初演を聴いて大変衝撃を覚えた記憶があります。当時のソビエト連邦共和国の影響を考えると政治の影響を考えずにこの曲、ショスタコーヴィチの作品を論じるのはいかがな者かと思います。ショスタコーヴィイチの伝記・書簡を読み考えることが必要と思います。日本初演時は、共産主義政権の元での演奏であり、音楽を理解してるろは言い難い役人の指示もありあらゆる演奏に時代を考えずにはいられないと思います。その様な状況下で、演奏していらした指揮者の方方に敬意を払いたいと思います。ハイティンク氏による今回の演奏は、時代の変遷を感じさせると共に、円熟の演奏の極みを感じずには要られません。楽譜をよく読み込んだ久々の秀演だと思います。

山形の髭熊 さん | 山形県 | 不明

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ハイティンクが得意とするショスタコーヴィ...

投稿日:2011/10/30 (日)

ハイティンクが得意とするショスタコーヴィチの交響曲の待望の最新録音の登場だ。ハイティンクは、本盤におさめられた交響曲第15番を約30年前にもロンドン・フィルとともに、ショスタコーヴィチの交響曲全集の一環としてスタジオ録音(1978年)していることから、本演奏はハイティンクによる同曲の2度目の録音ということになる。ところで、ハイティンクほど評価が分かれる指揮者はいないのではないか。長年に渡ってコンセルトへボウ・アムステルダムの音楽監督をつとめ、ポストカラヤン争いでも後継者の候補の一人と目されベルリン・フィルの団員にも愛された指揮者であり、そして現在ではシカゴ交響楽団の音楽監督をつとめるという輝かしい経歴の持ち主であるにもかかわらず、ハイティンクの名声が揺るぎないものとは言い難い状況にあると言える。ハイティンクは全集マニアとして知られ、数多くの作曲家の交響曲全集を録音している。いずれも決して凡演というわけではなく、むしろいい演奏ではあるが、他の指揮者による演奏にも勝るベストの名演を成し遂げているとは言い難いのではないだろうか。このように、ベターな演奏を成し遂げることが出来てもベストの名演を成し遂げることができないところに、ハイティンクという指揮者の今日における前述のような定まらない評価という現実があるのかもしれない。もっとも、ハイティンクが録音した数ある交響曲全集の中でも、唯一ベストに近い評価を勝ち得ている名全集がある。それは、完成当時はいまだ旧ソヴィエト連邦が存在していたということで、西側初とも謳われた前述のショスタコーヴィチの交響曲全集(1977〜1984年)である。これは、ハイティンクに辛口のとある影響力の大きい有名音楽評論家さえもが高く評価している全集だ。もっとも、当該全集については、すべての演奏がベストの名演というわけではないところが、いかにもハイティンクらしいと言える。ハイティンクは、ロンドン・フィルとコンセルトへボウ・アムステルダムの両オーケストラを使い分けて全集の録音を行ったが、どちらかと言えば、コンセルトへボウ・アムステルダムを起用した演奏の方がより優れていると言える。したがって、当該全集におさめられた交響曲第15番の演奏は、いささか不満の残る内容であったことは否めないところだ。ところが、本盤におさめられた約30年ぶりの本演奏は、当該全集におさめられた演奏とは段違いの素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。本演奏におけるハイティンクのアプローチは直球勝負。いずれの演奏においても、いかにもハイティンクならではの曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、ショスタコーヴィチがスコアに記した音符の数々が明瞭に表現されているというのが特徴であると言える。したがって、ショスタコーヴィチの交響曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるというのが素晴らしい言えるところだ。加えて、本演奏には、最晩年を迎えたハイティンクならではの奥行きの深さが感じられるところであり、さすがにムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる超名演(1976年)ほどの凄みはないが、同曲に込められた作曲者の絶望感などが、淡々と進行していく曲想の中の各フレーズから滲み出してくるのが見事であると言える。このような彫の深い名演を聴いていると、ハイティンクが今や真の大指揮者になったことを痛感せざるを得ないところだ。ハイティンクの確かな統率の下、かつての手兵であるコンセルトへボウ・アムステルダムが持ち得る実力を最大限に発揮した入魂の名演奏を繰り広げているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると言える。音質の鮮明さ、臨場感など、どれも一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、ハイティンクによる円熟の名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

つよしくん さん | 東京都 | 不明

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ショスタコーヴィチ(1906-1975)

「わたしの交響曲は墓碑である」という“証言”の中の言葉によって象徴されるショスタコーヴィチの音楽と生涯への価値観の変質は、今もって盛んな議論と研究、演奏解釈によって再認識過程の最中にあるとも言えますが、作品によってはすでに演奏年数も75年に及び、伝統と新たな解釈の対照がごく自然におこなわれてきているとも言えそうです。 圧政と戦争の象徴でもあったソビエト共産主義社会の中に生き、そして逝ったショスタコ

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