ショスタコーヴィチ(1906-1975)

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CD 輸入盤

24の前奏曲とフーガ ピーター・ドノホー(2CD)

ショスタコーヴィチ(1906-1975)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
SIGCD396
組み枚数
:
2
レーベル
:
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ(2CD)
ピーター・ドノホー


イギリスのピアニスト、ピーター・ドノホーは、サイモン・ラトルのバーミンガム時代には50を超えるピアノ協奏曲を共に演奏、2002年には彼のベルリン・フィル音楽監督就任記念コンサートにも出演するなどラトルの信頼篤い存在としても知られています。

ドノホーは1953年マンチェスターの生まれ。少年時代、チータム・ミュージック・スクールで、ピアノのほか、ヴァイオリン、ヴィオラ、クラリネット、チューバを勉強、14歳でマンチェスター王立音楽院に進み、リーズ大学でアレクサンダー・ゲールに作曲を師事、王立ノーザン音楽大学ではピアノとパーカッションを本格的に修めて1976年に卒業しています。

その間、1974年には、ジョン・プレイヤー国際指揮者コンクールで優勝したサイモン・ラトルの最初の『春の祭典』の演奏会でティンパニを担当、現在まで続く親しい交流が始まります。1974年と1975年にはブダペストのバルトーク・セミナーに参加、ゾルタン・コチシュ[1952-2016]と親交を深め、1975年には、BBCフィルのティンパニ奏者をトライアルで務めたほか、パーカッション・アンサンブルでも活躍、当時珍しかったフリーランスのパーカッショニストとして、BBCフィル、バーミンガム市交響楽団、ロイヤル・リバプール・フィル、ハレ管弦楽団などで演奏し、シンバルやジャズ・インプロヴィゼーション、ヴィブラフォン、ロック・ドラミングなども習得していきます。

しかし、ドノホーは大学での最後の1年間はピアノにエネルギーを集中、ヴラド・ペルルミュテール、ロジャー・ウッドワード、チャールズ・ローゼン、ウィリアム・グロック、セケイラ・コスタらから学び、卒業後はパリでイヴォンヌ・ロリオとオリヴィエ・メシアンに1年間師事して腕を磨きました。

1976年、ドノホーは、ブダペストで開催されたバルトーク・リスト・コンクールでバルトークの演奏により特別賞を受賞し、1979年にはロンドン・デビュー、1981年にはリーズ国際ピアノコンクールで入賞、1982年、チャイコフスキー国際ピアノコンクールで1位なしの2位を獲得し、その後、ソ連国内のほかのコンクールでも優勝して、ソ連/ロシアとの関係を深め、たびたび演奏会を開く一方、同国の音楽を積極的にとりあげて高い評価を得るようになります。

【ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ】
大作『24の前奏曲とフーガ』について、ショスタコーヴィチは以下のように語っています。「最初は対位法音楽の技術的な習作のつもりだった。しかしその後構想を拡大し、バッハの平均率クラヴィア曲集に倣って、一定の形象的内容を持つ小品の対位法様式による一大曲集にすることにした」。
1950年7月、ショスタコーヴィチは、バッハ没後200年記念祭に参加するためにライプツィヒに向かいますが、この曲集はもともとその旅行のさなかに練習曲として着想されたものでした。
その後、ソ連代表団の団長として、また、同時に開催されたコンクールの審査員として、さらに閉会式で弾かれた3台のピアノのための協奏曲の独奏者のひとりとして記念祭に参加・滞在するうちに、バッハの音楽から深い影響を受けて作品の構想が拡大したという経緯が上の言葉にも表れています。
ちなみに、このとき開催された第1回バッハ国際コンクールの優勝者は、ソ連から参加した当時26歳のニコラーエワ(ニコライエワ、ニコラーエヴァとも)で、彼女の演奏に多大な感銘を受けたショスタコーヴィチは、『24の前奏曲とフーガ』の公開初演を彼女に依頼しているほどです。

作品は、平均律における24のすべての調性を用いて書かれており、バッハと同じく「前奏曲&フーガ」というスタイルを踏襲しながらも、楽想にはロシア的な要素も濃厚に反映されているのがポイント。
そこにはロシアの古い英雄叙事詩である“ブィリーナ(語り歌)”からの影響や、ムソルグスキーから自作の『森の歌』に至るまでのロシア・ソヴィエト音楽を俯瞰するような引用なども幅広く含まれており、当初の「技術的な習作」という作曲意図とは遠くかけ離れた壮大な意図をみてとることが可能です。
バッハの『平均律』への賛意をあらわすためか、全体の雰囲気は基本的には明快なものとなっていますが、各曲の性格は多彩であり、ときに深い瞑想性・哲学性を感じさせる音楽から、いかにもショスタコらしい凶暴さを窺わせるものまで、見事なまでの対位法的統一感のもとに雄弁な楽想を展開していてさすがと思わせます。
この作品がショスタコーヴィチ最高のピアノ作品であることはまず間違いのないところで、作曲家同盟の過酷な批判(いつもながらの他愛のない理由ですが...)にも関わらず、ニコラーエワやユージナ、リヒテル、グリンベルグなどによって熱心に演奏されていたのも十分に頷けるところです。
なお、作曲は1950年10月から1951年2月の4ヶ月間でおこなわれ、約2ヵ月後の1951年4月5日に開かれた作曲家同盟の会議での席上、ショスタコーヴィチ自身により抜粋試演されて、「理想主義的」「形式主義的」と批判を受けます。全曲の初演は、それから約20ヶ月が経過した1952年12月23日、および12月28日に2日間かけておこなわれました。(HMV)

【収録情報】
● ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ Op.87


 ピーター・ドノホー(ピアノ)

 録音時期:2014年2月16-19日
 録音場所:イギリス、モンマス、ワイアストーン・コンサート・ホール
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

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「わたしの交響曲は墓碑である」という“証言”の中の言葉によって象徴されるショスタコーヴィチの音楽と生涯への価値観の変質は、今もって盛んな議論と研究、演奏解釈によって再認識過程の最中にあるとも言えますが、作品によってはすでに演奏年数も75年に及び、伝統と新たな解釈の対照がごく自然におこなわれてきているとも言えそうです。 圧政と戦争の象徴でもあったソビエト共産主義社会の中に生き、そして逝ったショスタコ

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