ショスタコーヴィチ(1906-1975)

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SACD

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番『革命』、バーバー:弦楽のためのアダージョ ホーネック&ピッツバーグ交響楽団(日本語解説付)

ショスタコーヴィチ(1906-1975)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
KKC6201
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
日本
フォーマット
:
SACD
その他
:
ハイブリッド

商品説明

輸入盤・日本語帯・解説付

収録曲   

ユーザーレビュー

総合評価

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現在所有のショスタコーヴィッチ5番の膨大...

投稿日:2018/03/09 (金)

現在所有のショスタコーヴィッチ5番の膨大な数のCDの中で躊躇なく最高点。ホーネック先生の新譜は何を置いてもまず聴いてみたいと思わせる魅力が、常に新しい発見があります。本盤は聴き始めると途中で止めることがありません。毎回一気に聴き通してしまいます。第5番終楽章が終わってバーバーのアダージョが始まるのは目覚ましいクールダウンの効果があります。このありそうでなかった組み合わせは絶妙で、アルバム全体としての作り方に大変なセンスの良さが光ります。是非一度通して聴いてみて下さい。

John Cleese さん | 静岡県 | 不明

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この「ピッツバーグ・ライヴ」シリーズは毎シ...

投稿日:2017/11/13 (月)

この「ピッツバーグ・ライヴ」シリーズは毎シーズンの演奏の中から、最も自信のあるものをCD化するというのが趣旨だったはず。前作の『エレクトラ』『ばらの騎士』組曲は2016年5月の録音だった。それが2013年の録音に戻ってしまったのは、なぜだろうか。ひょっとしてグラミー賞連続受賞の某オケに対する対抗心かとも思うが、出てきた演奏は大変素晴らしいので(5番だけなら間違いなくこちらが上)、理由の詮索などはやめておこう。指揮者自身によるライナーノートは今回も詳細だが、音楽内部の解釈の話にとどめていて、「これは強制された歓喜の表現」とか「これはスターリンくたばれ!の意味なのだ」といった音楽が表現しようとするものについて一切語らないのは興味深い。第4交響曲については盛んに言われるが、この曲についてはやや珍しいマーラーからの影響をあれこれ指摘しているのは、オーストリア人のホーネックらしいが、ともかく聴衆には音楽そのものから感じてほしいということだろう。 さて、そこで肝心の演奏。第1楽章はまず気合十分の開始、中間部分はそれなりに盛り上がるが(ただし対位声部をよく響かせて抑制気味)、両端部分はすこぶる静謐な、デリカシーを重んじた演奏。第2楽章は存分にテンポ・ルバートを効かせた遅めのテンポ。アイロニカルかつ確かにマーラー的だ。指揮者自身「この曲の白眉」と言っている第3楽章は緻密かつ痛切。特に盛り上がる所は「慟哭」より「憤怒」を感じさせるほど激烈な表情で、もともと感動的な音楽だが、近年にないほど心打たれた。終楽章前半は残念ながら常識的(冒頭を四分音符=88という譜面通りのテンポでやろうという指揮者はなかなか現れないな)、しかし後半は終わりに近づくほどテンポが遅くなり、執拗に続く弦楽器の「ラ」音(ロシア語では私、俺の意味になるという話は既にご存じだろう)を強調。これなら指揮者が言葉で語らなくても、音楽の意味するところは明らかだろう。拍手はカット。その後にバーバーの「アダージョ」が続くというカップリングも絶妙だ。もともと録音優秀なこのシリーズだが、今作はとりわけめざましい解像度。

村井 翔 さん | 愛知県 | 不明

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ショスタコーヴィチ(1906-1975)

「わたしの交響曲は墓碑である」という“証言”の中の言葉によって象徴されるショスタコーヴィチの音楽と生涯への価値観の変質は、今もって盛んな議論と研究、演奏解釈によって再認識過程の最中にあるとも言えますが、作品によってはすでに演奏年数も75年に及び、伝統と新たな解釈の対照がごく自然におこなわれてきているとも言えそうです。 圧政と戦争の象徴でもあったソビエト共産主義社会の中に生き、そして逝ったショスタコ

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