CD 輸入盤

交響曲第3番、第6番『歴史的交響曲』 アルフレート・ヴァルター&コシツェ・フィル

シュポア(1784-1859)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
8555533
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
International
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明

シュポア:交響曲第3番、第6番
アルフレート・ヴァルター&コシツェ・フィル


モーツァルトやベートーヴェンの正統的な後継者として認識されていたドイツの作曲家シュポア。もともとは優れたヴァイオリニス卜として活動を始めた彼、最初のうちは先輩たちから強い影響を受けた作品を書いていましたが、1828年に発表した第3番の交響曲では、自信に満ちた堂々たる作風を見ることができます。これは、その前に発表された何曲かのヴァイオリン協奏曲と、2つの交響曲の初演が成功したことが大きな要因でしょう。以降、彼の作品には様々な創意工夫が見られ、1839年の交響曲第6番では、120年の音楽の歴史を振り返るという大胆な試みをしています。バロックの後期から、この交響曲が書かれた「時代」を4つに分け、それぞれの年代の作風で作られた楽章で構成されたこの交響曲、ベートーヴェンの時代におけるティンパニのチューニング問題なども含め、たくさんの興味深い事項も内包しています。時代の特徴を知り尽くした上で、若干の批判も込めて書き上げられた力作です。(輸入元情報)

【収録情報】
シュポア:
● 交響曲第3番ハ短調 Op.78 (1828)

 第1楽章: Andante grave-Allegro
 第2楽章: Largetto
 第3楽章: Scherzo-Trio
 第4楽章: Finale-Allegro

● 交響曲第6番ト長調 Op.116 (1839) 4つの異なる期間の作風による歴史的交響曲
 第1楽章:バッハからヘンデルの時代 (1720) Largo grave-Allegro moderato
 第2楽章:ハイドンからモーツァルトの時代 (1780) Largetto
 第3楽章:ベー卜ーヴェンの時代 (1810) Scherzo
 第4楽章:最も新しい時代 (1840) Allegro vivace

 スロヴァキア国立コシツェ・フィルハーモニー管弦楽団
 アルフレート・ヴァルター(指揮)

 録音時期:1991年11月12-16日
 録音場所:チェコ、コシツェ芸術の家
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)
 旧品番:8223439(MARCO POLO)

ユーザーレビュー

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19世紀初頭〜中庸期を生きたドイツの器楽曲...

投稿日:2021/11/08 (月)

19世紀初頭〜中庸期を生きたドイツの器楽曲の多作家ルイ・シュポーアだったが、どちらかと言えば、彼以前のハイドンやモーツァルトら先鞭者・パイオニアの様式への模倣や接近を見せている作品が多々ある中で、この交響曲第3番ハ短調と第6番ト長調〈歴史的〉の2作は、発表初演当時は斬新で型破りな音楽として、かなり聴衆を惹き付け魅了した様だが、21世紀今現在に聴くと、あまり新鮮な音楽には響かない、保守的な作りと内容・質感で、明快な聴きやすいメロディとによって、古典的な響きの音楽を創出・追及していると言う評価にしか留まらない価値を認める。ハ短調の第3番は、ベートーベンの死の翌年、及び、シューベルトの没年に当たる1828年の作で、第1番変ホ長調の1811年、第2番ニ短調の1820年に続く初期作品に属する成立年を持っているが、ハ短調と言う調整の意味合いが持つ悲愴感は、さほど顕著でなく、終楽章のアレグロなどは、ベートーベンのハ短調の第5交響曲のそれと同じ様に、冒頭からハ長調へと転じ、力強い響きを放ち、勇ましい推進力でもち展開する王者の様な性格を見せているが、ベートーベン以後の多くのシンフォニストの中では、軽い扱いに留まる域を出ない点を感ずる。1797〜98年頃に、ベートーベンがウィーンで書いたピアノソナタ第8番ハ短調〈悲愴〉作品13に似たスタイルを維持している特徴や構成感を呈し見せており、冒頭の第1楽章のアレグロ主部への推移前には、重厚壮麗なグラーヴェ導入部を置くなど、相互の作曲上の影響関係の強さが指摘できる。1808年にベートーベンが書いた周知の有名過ぎる第5交響曲ハ短調〈運命〉を意識している創作態度は明らかで、第3楽章スケルツオのティンパニの連打に始まる不穏な雰囲気なども、楽聖の性格を受け継いだ要素が強く前面に押し出されている。単にベートーベン風な模倣としか、後世の作曲家たちが評価しなかった理由が、こうした部分に見い出されるのだろうと窺える。当時の典型的なウィーン古典派の伝統的ソナタ形式を踏襲し、楽聖ベートーベンの和声書法からの大きな逸脱・離脱を図る次元には、まだ及んでいない。生前に強く偶像崇拝したモーツァルトのウィーン時代後期の伝統スタイルと影響を自作に取り入れ昇華しつつも、何か新しい響きや性格を帯びている様な時宜的な創作性は影を潜めている様にも感ずる。こうした模倣は、ベートーベンやシューベルトの没後以降に、多数の作曲家が絶えず試み模索した亜流スタイルの域に過ぎないものだ。かと言って、聴くに値しない凡作と言う評価が与えられるのも不当性がある。伝統的な様式や響きに準拠した作風ながらも、後のブラームス、さらには、ブルックナー、マーラーらの全く異質で巨大な交響曲の世界概念路線と比較するのも落ちが残る。シュポーアは、自作の10ある交響曲の中に、声楽や合唱を導入することこそ全く試み無かったが、純オーケストラ作品のジャンル/ガットゥンクでは、ほとんどが、地味で鳴りの悪い作品が多く残るが、これらを個性的な出来の秀作と見なすのには少し魅力さに欠ける抵抗感もあるかと思う。だが、決して枯渇されるべき内容の作品ではなく、19世紀前半当時、あのメンデルスゾーンやヴァーグナーらが、自ら指揮したコンサートで、この第3番ハ短調を得意気に取り上げて、その解釈を競ったらしい逸話も伝わっている。同じ理屈は、第6番ト長調〈歴史的〉にも共通しているだろう。作曲者自身以前の時代を生きた天才らと、最新の時代の要素を、1作の交響曲の内容と構成で混ぜ合わせ融合させると言う発想自体はユニークな目新しい意義があろうが、基本的には、保守的な響きと作りである点は、他の諸作品らと何らの特徴的なニュアンスや差違は見られない。取り立てるほどの目ぼしい特徴は、第4番ヘ長調〈音の奉献〉でやって見せた、音と詩との文学的関連性の試みとは打って変わり、より古くさい趣味に目映りする傾向の内容作品に落ち着き、意欲旺盛さはややも後退している。バッハやヘンデルを模倣した第1楽章では、バッハの〈平均率クラヴィーア曲集〉や、ヘンデルのオラトリオ〈メサイア〉からの断片的な引用が、第2楽章では、ハイドンの1790年代の12曲ある〈ロンドン・セット〉や、やはりモーツァルトの晩年期の交響曲第38番〈プラーハ〉や第39番変ホ長調あたりの緩徐楽章の響きの余韻を思わさずにはおけない。第3楽章スケルツオの効果的なティンパニの使用は、ベートーベンを限りなく意識したものだろうし、第4楽章アレグロの「最新の時代」では、シュポーアと同時代を生きたフランスのダニエル・フランソワ・エスプリ・オーベールの歌劇〈ポルティチのおし娘、マサニエッロ〉の序曲の動機などからの劇的なパロディ的引用が見え隠れしてもいる。かの大家ローベルト・シューマンは、この第6番について、「全楽章があたかもシュポーアの音楽の様に聴こえてくる」と揶揄し評した様に、あまり当時の慎重な立場をとる作曲家や評論家らの意表をひく内容物には感じ取られなかった様である。だが、大衆的には成功した部類の作に入ったのであろう。こうした点にも、既に当時、にわかに台頭しつつあったリヒャルト・ヴァーグナーの楽劇的な革新的響きや文学的要素はほとんど散見されなかった様でもある。つまらない内容の佳作と言ってしまえば、それまでだが、シュポーアらしい軽い特徴的な響きは、相変わらず表面上の各所に出て鳴っている点は、申すに及ばない。第6番ト長調〈歴史的〉は、1840年頃に成立した作品だが、同じ様に、過去のバロックや古典派時代の作品を蘇らせようと画策した作曲家は他にも存在した事実を忘れてはなるまい。1829年には、かのメンデルスゾーンが大バッハの〈マダイ受難曲〉を、プロシア王国の都ベルリンで復活上演して話題を呼んで見せ、大バッハ音楽への傾倒と関心を一般市民に啓蒙普及させる様に尽力したし、もっと後の19世紀後半には、ブラームスが彼の最後の第4交響曲の終楽章で、大バッハの、あるカンタータから着想・インスパイアされたとされるバロック時代の変奏曲形式のシャコンヌ(パッサカリアとも)を導入して古い時代への回帰と愛着・オマージュを払うことになるわけだ。ところで、この第3番ハ短調と第6番ト長調〈歴史的〉のカップリングによった2作は、マルコポーロ盤以外にも、ハイぺリオンやCPOなどを含む幾つかの他競合レーベルより、近年、デジタルで新レコーディングされたディスクが次々発売になってきているが、オーケストラの重厚な響きを、なによりも優先的に買う人であれば、このマルコポーロ盤が、なかんずくの推しなのではなかろうか。録音は、1991年11月に、東欧スロバキアの町コシチェの芸術家の家でステレオ収録されたものの様だが、今聴いても、古めかしい野暮な印象は無く、幽霊演奏の様に、聴くに絶えない不自然さも見られない。当盤を含むマルコポーロ出自のシュポーア交響曲全集は、ここ最近になり、Naxosに移行販売されたが、音質がステレオからデジタルにリマスターされたと言う話は聞いていない。近年のリバイバル・ブームの時流の需要性から、単に移行廉価販売されただけなのであろう。近年では、ベートーベンやシューベルト、シューマン、ブルックナー、ブラームス、マーラーらの傑作ばかりが顧みられ、盛んに演奏消費される傾向は、19世紀でも続く20世紀にあっても、基本的にほとんど変わらぬ傾向を見せているが、それはともかく、聴きやすいシュポーアの交響曲で何を取るか、と考えるのならば、第3番ハ短調と第6番ト長調〈歴史的〉が異論無く第一に推挙できる。弦楽器の分厚いサウンドの威圧感に加え、それに装飾的な表情を与える管楽器セクションの響きも、調和一体し、迫力ある管弦楽の醍醐味を楽しむことができるに違いない。重厚な曲想の交響曲を重厚な演奏で、と望む向きの愛好家や通には支持される内容の録音盤だと言えるハズだ。ただ、オーケストラ全体のまとまりや、その力強い扱いや鳴りの良さに比べて、もう少し、弦や管の細部の響きの各表情が室内楽の様に緻密さが強調されても不自然さは残らなかっただろう点で、星評価はマイナス1を減点し差し引いた4としてみたまでにある。何はともあれ、見付けたら購入一聴し、他盤の音源との比較を楽しむのも興味尽きなく一興の余地があるだろう。

松浦博道 さん | 静岡県 | 不明

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タイトルにある「歴史的」というのは、この...

投稿日:2021/03/22 (月)

タイトルにある「歴史的」というのは、この作品が「過去」から「現代(もちろんシュポアが生きていた時代)」までの代表的な音楽のスタイルを各楽章でなぞっている事に由来するからである。 第一楽章は対位法を駆使したバッハ、ヘンデルの時代 第二楽章のアンダンテはハイドン、モーツァルトの時代 第三楽章はベートーヴェン風のスケルツォ そしてフィナーレに当時流行していたグランド・オペラの序曲風の曲を置いている事からもわかる様に、シュポアは、この曲で音楽の歴史を振り返るふりをしながら、交響的作品より娯楽作品の方が受ける現代の風潮を皮肉っぽく表現していると言える(特に第三楽章のティンパニの扱い方はシュポア自身ベートーヴェンの交響曲第7番以降の初演に参加していたと記録が残っているようにベートーヴェンの作品に精通しており見事に模倣している)。 なお、私は、マルコポーロレーベル時代に発売された同一内容のCDを所有しており、レビューもそれに基づくものである。

吉川英治 さん | 奈良県 | 不明

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