CD

交響曲第6番『悲劇的』 バルシャイ&読売日本交響楽団(1989年ライヴ)

マーラー(1860-1911)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
YASCD1009
組み枚数
:
1
:
日本
フォーマット
:
CD

商品説明


マーラー交響曲第6番『悲劇的』
ルドルフ・バルシャイ&読売日本交響楽団


1989年11月25日、読響定期演奏会でのライヴ・レコーディング。ステレオで収録されたマスターを、ドイツのヴァイトブリック・レーベルがマスタリングしています。
 バルシャイはマーラーをよくとりあげており、交響曲第10番については、自身の手で全曲ヴァージョンをつくるほどの入れ込みようで、読売日本交響楽団との演奏が素晴らしいものであったのも記憶に新しいところです。
 今回登場する第6番は、バルシャイのディスコグラフィでは初となるものですが、大熱演として有名なショスタコーヴィチ『レニングラード』ライヴ録音と近い時期の演奏だけに注目度も高いものと思われます。(HMV)

【収録情報】
● マーラー:交響曲第6番イ短調『悲劇的』[78:37]
 I. 23:24/ II(Scherzo). 13:16/ III. 12:15/ VI. 29:42

 読売日本交響楽団
 ルドルフ・バルシャイ(指揮)

 録音時期:1989年11月25日
 録音場所:東京文化会館(読響第267回定期演奏会)
 録音方式:ステレオ(ライヴ)
 サウンド・マスタリング:WEITBLICK

【プロフィール】
ルドルフ・バルシャイは、1924年9月28日、ソ連のラビンスカヤ出身の指揮者でヴィオラ奏者。モスクワ音楽院でヴァイオリンとヴィオラを学びますが、在学中に弦楽四重奏の演奏に夢中になったバルシャイはヴィオラ奏者として音楽家活動を開始、ボロディン弦楽四重奏団とチャイコフスキー弦楽四重奏団の創設メンバーとなり、前者には1953年まで所属してヴィオラを担当。
 その間、1949年にはブダペストで開催された世界青年学生フェスティバルで最高名誉賞を受賞しているほか、ソ連国内のコンクールでも優秀な成績を収めています。
 その後、バルシャイはレニングラード音楽院で、名教師イリヤ・ムーシンに指揮を学び、1955年、モスクワ室内管弦楽団を創設して指揮者としての活動をスタート。このオーケストラとの活動は、バルシャイが亡命するまでの20年以上におよび、バロック音楽から現代作品に至るまで幅広いレパートリーを演奏・録音、鍛え抜かれ引き締まったアンサンブルで大いに声望を高めました。
 彼らは、ソ連作曲家作品の初演も多くおこなっており、中でもかつての師であったショスタコーヴィチの交響曲第14番初演は歴史に残る演奏としてよく知られています。
 バルシャイはまた、室内オーケストラのレパートリー拡大にも熱心で、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲を「室内交響曲」としてた編曲ヴァージョンは現在も人気のレパートリーとなっているほど。
 1977年に西側に亡命したバルシャイは世界各国のオーケストラを指揮して名を高め、1991年にはナチス・ドイツによるソ連侵攻50年記念日に、ユンゲ・ドイチュ・フィルとモスクワ・フィルの合同オーケストラの指揮をして大熱演を展開(BIS)。
 2年後の1993年には、久しぶりにロシアに帰り、ロシア・ナショナル管弦楽団を指揮してベートーヴェンのミサ・ソレムニスを演奏しています。
 1994年からはケルン放送交響楽団とショスタコーヴィチの交響曲全集録音に着手し、2000年に完成、翌年、ブリリアント・クラシックスから発売されると世界的に話題となり、当サイトだけでも4300セットを超えるベストセラーとなりました。
 その後、自身の手によるマーラー10番の補筆完成版を録音したり、ショスタコーヴィチの室内交響曲集をミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団と録音するなどして健在ぶりを示していましたが、2010年11月2日、約1年の闘病生活の末に亡くなられています。

内容詳細

交響曲第10番の編曲版を作るなどマーラーには特別なこだわりのあったバルシャイが、89年に読響に客演した際の交響曲第6番のライヴ。バルシャイの作る音のバランスや音色感が独特で、表現も非常に個性的。ただし、この演奏を聴くと今の読響が随分と演奏水準を上げたことを実感する。(治)(CDジャーナル データベースより)

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マーラー(1860-1911)

1860年:オーストリア領ボヘミア、イーグラウ近郊のカリシュト村で、グスタフ・マーラー誕生。 1875年:ウィーン楽友協会音楽院に入学。 1877年:ウィーン大学にてアントン・ブルックナーの対位法の講義を受講。 1883年:カッセル王立劇場の副指揮者に就任。 1885年:『さすらう若人の歌』を完成。プラハのドイツ劇場の

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