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【中古:盤質AB】 マーラー:交響曲第9番、R・シュトラウス:『死と変容』 シノーポリ&シュターツカペレ・ドレスデン

マーラー(1860-1911)

中古情報

新品ジャケット
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:
AB
特記事項
:
2枚組み,ケースすれ
:
HMV record shop オンライン

基本情報

ジャンル
カタログNo
PH07004
レーベル
Europe
フォーマット
CD
その他
:
輸入盤

商品説明

(こちらは新品のHMVレビューとなります。参考として下さいませ。中古商品にはサイト上に記載がある場合でも、封入/外付け特典は付属いたしません。また、実際の商品と内容が異なる場合がございます。)

トロけるような官能と陶酔
シノーポリ&ドレスデンによる
マーラー9番&シュトラウス『死と変容』

ドレスデン・シュターツカペレ・エディションの1枚。2001年4月20日、ジュゼッペ・シノーポリは『アイーダ』の演奏中に心臓発作で倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。ドラマチックな最期を遂げた彼を語る上で、まず真っ先に思い起こされる究極のレパートリーといえば、当時の手兵フィルハーモニア管と作り上げた全集録音(85〜94年)と、続くドレスデンとの『大地の歌』(96年)で知られるマーラーをおいてほかにないでしょう。
 スタジオ盤より3年あまりを経ての第9交響曲。1992年以来首席指揮者を務めたドレスデン国立歌劇場管とのライヴは、極端なテンポ・ルバートを基調とした主情的なアプローチがいっそうの深化を遂げ、えもいわれぬ耽美的世界が繰り広げられています。
 トロけるような官能と陶酔。93年録音との端的な違いの顕れとしては、第1楽章がおよそ5分、アダージョも2分以上と、すべての楽章の演奏時間が拡大した結果、全曲が10分も長くなっていることが挙げられます。
 いっぽう、当楽団ととりわけゆかりの深いシュトラウスはシノーポリが世を去る3ヶ月前のもの。いくつかのオペラや『英雄の生涯』『アルプス交響曲』など主要な管弦楽作品を録音している当コンビですが、『死と変容』はこの顔合わせでは初めて。なるほど『シュトラウスのオケ』ドレスデン。こちらも匂い立つような色気がそこかしこに充満して、浄化の動機が歌われるあたり時に退廃的な美を醸し出して替え難い魅力です。ちなみにこの演奏はスタジオ盤(廃盤)よりも2分ほど速くなっています。
 いずれにしてもシノーポリのアクの強さもさることながら、“どこまでも精緻で表情も濃厚”、このオケの底知れぬポテンシャルにはまったく驚かされます。
 ここに聴く内容から想像するに、シノーポリ&ドレスデンはまだまだ恐ろしく凄絶な音楽をやってのけたであろうはずで、突然の死が惜しまれてなりません。(キングインターナショナル)

【収録情報】
・マーラー:交響曲第9番ニ長調 [92:08]
 シュターツカペレ・ドレスデン
 ジュゼッペ・シノーポリ(指揮)

 録音時期:1997年4月6−8日(ステレオ)
 録音場所:ドレスデン、ゼンパーオーパー(ライヴ)

・R.シュトラウス:交響詩『死と変容』Op.24 [26:27]
 シュターツカペレ・ドレスデン
 ジュゼッペ・シノーポリ(指揮)

 録音時期:2001年1月10、11日(ステレオ)
 録音場所:ライプツィヒ、ゲヴァントハウス(ライヴ)

【参考データ(実測値)】
マーラー演奏時間
・シュターツカペレ・ドレスデン(1997)
 32:51+16:54+14:12+28:11=92:08
・フィルハーモニア管(1993)
 28:05+15:08+13:14+25:50=82:17

【評論家レビュー】
連載 許光俊の言いたい放題 第99回より

ドレスデンというと、どうしても端正で、バランスがよく取れていて、それゆえマーラーの絶叫、憤怒、突進、耽溺が交錯する音楽とは相性が悪そうに思える。実際、これほどの名オーケストラでありながら、マーラー録音は異様に少ない
 ところが、だ。このマーラー、実にいいのである。なるほど、金管楽器がバリバリ、弦楽器がキンキンやっているわけではない。このオーケストラらしく、音色は全体として溶け合う方向だ。ワーグナーの「トリスタン」や「パルジファル」あたりを連想すれば、このマーラーがどんなものか、想像できるのではないか。ワーグナー風、あるいはブラームス風とでも形容したくなる美しさを持っているのだ。絶望とか懐疑とかの生々しい噴出ではなく、柔らかでロマンティックなのだ。そのロマンティック度合いも、たとえば同じマーラーの第5番アダージェットみたいなトロトロのネトネトでなく、濃厚でいながら上品さを失わない。絶妙である。
 それなりのクラシック・ファンなら、この曲はもうよく知っているだろう。だが、そんなあなたも知らなかった、気づかなかった独特の美しさが次々に出てくる。官能的なねっとりした味もあれば、東ドイツ時代の音楽みたいな感じもする。第2楽章での木管など、たまらなく懐かしい匂いがする。癒し系とも言えるだろう。シノポリは確かにあれこれ変なことをしている。が、このオケでやってみると、これでもかと突出しないのも意外である。
 フィナーレも期待にたがわぬ美しさ。いや、それ以上だ。弦楽器が分厚く、重厚で、密な響きで心ゆくまでたっぷりと歌う。その音色のなんというすばらしさ。感情の強さ。それと矛盾するような危なげのなさ。強い表現でありながら、あくまで美しくあり続けるのだ。そして、ヴァイオリンの高音部は恍惚とした天上の音楽みたい。これほどまでに陶酔的な演奏はワルターとウィーン・フィル以来かも。ああ、これは生で聴きたかった。たぶんありとあらゆるこの曲のCDの中でも、この演奏が一番好きだと感じる人が多いのではないだろうか。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 

収録曲   

ディスク   1

  • 01. Andante comodo
  • 02. Scherzo. Im Tempo eines gemtlichen Lndlers. Etwas tppisch und sehr derb
  • 03. Attaca Rondo. Burleske: Allegro assai. Sehr trotzig

ディスク   2

  • 01. Finale. Adagio. Sehr langsam und zurckhaltend

総合評価

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 じつに味わい深い第九交響曲である。シノ...

投稿日:2023/01/01 (日)

 じつに味わい深い第九交響曲である。シノーポリは、1993年12月のフィルハーモニア管弦楽団との全集版のセッション録音では、平均的なテンポを採用していた。しかし、わずか3年あまり後の1997年4月のSKDとのライヴ録音では、全楽章でテンポを遅く設定した。特に第1楽章の演奏には32分53秒をかけている。これは、マゼールとフィルハーモニア管弦楽団による2011年のライヴ録音の35分38秒に次いで、現在でも史上2番目にゆったりとした演奏である。全曲の演奏時間も92分22秒であり、最長演奏時間の部類に属する。 1993年の録音は、若干硬さが感じられたが、 1997年のライヴ演奏は、音楽表現の熟成度が増しており、じつに味わい深い。以前、このHMVのレビューで、村井教授は、SKD 盤について、「すでに『あちら』に行ってしまった人が人生を回顧するかのごとき印象だ。」と評されていた。村井教授の演奏評はいつも的確であり、共感できる。しかし、私は、シノーポリの第九交響曲は、SKD盤のほうを好んで聴いている。  第九交響曲は、やはりヴァイオリンの両翼配置が効果的だ。 SKD盤の第1楽章の冒頭の呈示部の演奏は理想的であり、心にすっと入ってくる。第46小節 (03:25) 以降のリタルダンドをかけた圧倒的な頂点の築き方、第71小節(05:25)以降の弦とホルンの掛け合いの切ないまでの美しさなど、聴き所も満載である。展開部の第2部の第163小節(11:46)からの molto espress Allmahlich fliessender と指示されたオーボエの「溜め」のある表現も絶品である。また、Schon ganz langsam と指示された第406小節(28:31 )以降のコーダでは、人生を回顧し、その人生に別れを告げる深い情感が表現されている。  第3楽章の中間部のニ長調によるエピソードにおいて、第394小節(07:28)以降の Mit grosser Empfindung では、第1ヴァイオリンが極端にテンポを落とし、チェロが優しく続く。この大胆ともいえる表現には、外連味はまったく無い。まさしく大きな感動に包まれている。  第4楽章の第49小節(06:19)以降の高揚感もみごとである。第56小節(07:29)の lang gezogen 以降の各音の伸ばし方も理想的だ。シノーポリは、 1990年11月25日のフィルハーモニア管弦楽団との演奏会では、この小節は指揮棒をあっさりと振っていた。だが、このSKD盤からは、音楽表現をより深めようとするシノーポリの強い意志が感じられる。第4楽章の終盤では、特に総譜の最後の4ページを残して、音楽はすでに異次元の響きを帯びている。第134小節(18:26)の第1ヴァイオリンの上行のポルタメント、 第147小節(21:17)の第2ヴァイオリンの下行のポルタメントをはっきりと聴き取れる。総譜の指示は、前者はpp、後者はppp だから、一般的な演奏ではほとんど目立たない。ポルタメントを際立たせた音楽表現上の明確な意図によって、聴き手は異次元空間を浮遊するような不思議な感覚におそわれるのである。  シノーポリは、抜群の知性を背景にした緻密な分析力と情熱的な表現力を兼ね備えた稀有な指揮者であった。1990年11月には、東京芸術劇場の開館を記念する Mahler Zyklus として、フィルハーモニア管弦楽団とともに、歌曲と 『嘆きの歌』 を含めて、すべての交響曲を、16日間で10回の公演で演奏しきった「つわもの」であった。シノーポリは作曲家でもあるため、交響曲第10番のクック版をどのように評価していたかは分からない。しかし、1987年に録音されたフィルハーモニア管弦楽団との全集版の第10番 『アダージョ』 は、聴き手を戦慄させる驚愕すべき名演奏である。そのため、私はシノーポリが指揮するクック版第10番を熱望していた。  シノーポリは、長生きをしていたなら、名実ともに指揮界の巨匠として、さらに多くの優れた演奏を聴かせてくれたであろう。あるいは、彼自身の作曲作品も数多く生まれたかもしれない。いかにもインテリゲンチャらしい険しい表情、一方で気さくな人懐っこい笑顔、演奏後の聴衆の熱烈な拍手に応えて何度でもステージに出てきてくれたシノーポリの姿を、私は今も鮮明に記憶している。

宗仲 克己 さん | 東京都 | 不明

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シノ―ポリさんは、学の人で、それだけ、探...

投稿日:2016/10/09 (日)

シノ―ポリさんは、学の人で、それだけ、探究心深く頭の良い人でした。一方、音楽では、実は、情の人、熱血漢でもありました。フィルハーモニアとは、セッション。こちらは、人間が聴きにやって来るライヴ、オケは、伝統の音を持つシュターツカペレ・ドレスデン。じっくり、たっぷりと、このオケの美音と共に歌い尽くしています。深み、怖ろしさよりは、美しさ、やはり、耽美的な演奏ですが、これはこれで、素晴らしい。機能的にも充然と、言っていいでしょう。’60年代のバルビローリ・ベルリンフィル、ジュリーニ・シカゴの70年代の美しい演奏にはない、時代を超え追い求めているものがある。’90年代マーラー9番の総決算、代表的遺産。シュトラウスは、チェリビダッケ・ミュンヘンに匹敵する様な名演。

sunny さん | 兵庫県 | 不明

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シノーポリのマーラー・Rシュトラウスの耽...

投稿日:2011/02/15 (火)

シノーポリのマーラー・Rシュトラウスの耽美的な演奏に素直に感心しました。やはり、SKDはただものではありませんね。

KS さん | 兵庫県 | 不明

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人物・団体紹介

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マーラー(1860-1911)

1860年:オーストリア領ボヘミア、イーグラウ近郊のカリシュト村で、グスタフ・マーラー誕生。 1875年:ウィーン楽友協会音楽院に入学。 1877年:ウィーン大学にてアントン・ブルックナーの対位法の講義を受講。 1883年:カッセル王立劇場の副指揮者に就任。 1885年:『さすらう若人の歌』を完成。プラハのドイツ劇場の

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