ショスタコーヴィチ(1906-1975)

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CD 輸入盤

ピアノ協奏曲第1番、第2番、24の前奏曲 コロベイニコフ、カム&ラハティ響、ガイドゥーク

ショスタコーヴィチ(1906-1975)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
MIR155
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
Europe
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明

まるでモーツァルトのように端正な
コロベイニコフのショスタコーヴィチ


このところ、ロシアの俊英たちによるショスタコーヴィチのピアノ協奏曲リリースが続いていますが、フォル・ジュルネ音楽祭でもおなじみのピアニスト、アンドレイ・コロベイニコフも快演で一石を投じました。1986年生まれ、モスクワ音楽院でディエフに師事し、2004年に行われた第3回スクリャービン国際ピアノ・コンクールで優勝したのを皮切りに、いくつかのコンクールに入賞しています。
 コロベイニコフのピアニズムは繊細、透明で、真珠を転がすように粒が揃っているのが特徴。このショスタコーヴィチも彼の美点が発揮されているだけでなく、ショスタコーヴィチの意外な面が発見できます。ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲は両曲とも音が薄く、線的な書法が中心ですが、コロベイニコフの粒の揃ったタッチと知的なドライヴにより、まるでモーツァルトのように端正、生命力ときらめきに満ちています。これまで、これほどモーツァルトを感じさせるショスタコーヴィチは聴いたことがないと申せましょう。『24の前奏曲』も非常に繊細で新鮮。語り口の巧さで、あっという間に聴かせてしまいます。
 ピアノ協奏曲第1番で爽やかなトランペットを聴かせるガイドゥークは1990年生まれ。この若さでボリショイ劇場管の首席奏者を務める天才です。
 もうひとつの魅力は、オーケストラがオッコ・カム指揮のラハティ交響楽団であること。ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番の第2、第3楽章での恐怖感と深みはカムならでは。さらにラハティの透明なアンサンブルも光ります。(キングインターナショナル)

【収録情報】
ショスタコーヴィチ:
1. ピアノ協奏曲第1番ハ短調 Op.35
2. 24の前奏曲 Op.34
3. ピアノ協奏曲第2番ヘ長調 Op.102

 アンドレイ・コロベイニコフ(ピアノ)
 ミハイル・ガイドゥーク(トランペット:1)
 ラハティ交響楽団(1,3)
 オッコ・カム(指揮:1,3)

 録音時期:2011年5月26,28日
 録音場所:ラハティ、シベリウス・ホール
 録音方式:デジタル(セッション)

ユーザーレビュー

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コロベイニコフのピアノは叫ばない 語らう...

投稿日:2015/11/30 (月)

コロベイニコフのピアノは叫ばない 語らう人のように歌い弾く それはシヨスタコーヴィチのピアノ語法でもある 感じ考えている人の言葉はアクセントが打たれても概ね呟くようだ 押し付けたり説得したりしない 訴えたりおもねたりしない 時に走り出す勢いも見せるが行方をくらます心配はいらない わたしが見つめ歩めば肩を並べて進んでくれる それぞれが自己を見失わない存在でいられる ショスタコーヴィチとは共に歩んできた仲だ 久しぶりにゆっくり顔を見ながら話ができた まず24の前奏曲から聴こう 清澄な空気のなかで機知に富んだ言葉が交わされる この心の軽さは何としたことだろう 協奏曲の同伴者カム&ラハティSOが伸びやかに紡いでゆく音の綾もコロベイニコフのピアノの歩みを妨げない このパロディに彩られた音楽がショスタコーヴィチの本体だから 彼との語らいは言葉を失う窮地を踏んでゆく時もユーモアと進むべき方向を見失わない 涙や笑いに装われた風貌はない どこまでも澄んだ眼差しを向ける哲人がいる 衷心より推薦する

風信子 さん | 茨城県 | 不明

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元来、ショスタコーヴィチの協奏曲やピアノ...

投稿日:2012/04/13 (金)

元来、ショスタコーヴィチの協奏曲やピアノ曲というジャンルは、政治臭さなど微塵も孕んでいないのだが…。肯定するにせよ否定するにせよ、ショスタコーヴィチといえば、自動的に政治的という要素に結びつけてしまう認識は、噴飯ものであるだけでなく、慎重に扱わないといけない危険な思考である。まして、本盤で聴くことのできるピアノ協奏曲第1番と24の前奏曲は、音楽に限らず、クリエータの創作活動に関して、何の政治的プレッシャも存在しない1930年代前半に書き上げられた作品なのであって、完全な事実誤認でもある。■それはさておき、ショスタコーヴィチが自ら演奏することを念頭に置いた上で初めて書き上げたピアノ協奏曲と、ム息子マクシムの為に書いた第2ピアノ協奏曲は(ついでに付け加えれば、チェロ協奏曲第1番も)、チャーリー・チャプリンを彷彿とさせるユーモアとアイロニー、風刺とグロテスクが展開される魅力的な作品だ。そこには、実に様々なスタイルを実験的に取り入れ、全部で七つになる楽章は引用の宝庫で、ユダヤのストリートソングからハイドン、ベートーヴェン、挙句には自作からも引っ張ってきている。■しかし、その両曲はただの警句、気まぐれな小品の域を出ないのだろうか? 86年生まれのコロベイニコフは、二十代でありながら、その安定した技量でフレーズの形と色を明確に作り上げ、疑問の余地を与えない。また、スラップスティック的な要素をあえて強調せず、むしろ作品内に散りばめられた哀愁をたっぷりと歌い上げている。かつてのカラヤンの秘蔵っ子で、今やベテランの域に達してたオッコ・カム率いるラハティ響も、見事な名人芸、情熱、繊細さを持ち、独奏者と熱狂を分かち合っている。第1協奏曲でのもう一つの独奏楽器であるトランペットも含め(この協奏曲は、まず、トランペット協奏曲を想定して発案された)、特に、速い楽章でのきびきびしたアーティキュレーションと活気あるフレージングが心地よい。一方、第1協奏曲より作品番号で1つ早い24の前奏曲の演奏は、充足し切った知性と感性の見事な融合がある。そこではあらゆる音が手元にしっかりと引きつけられており、その手元で自在に発言している。音楽的抑揚や音色の美しさを含めて、これは今日におけるショスタコーヴィチ解釈のひとつの規範であるとも言える。筆者はこれを聴いて、この若いピアニストがショパンをどう解釈するか、強く興味を持った。

MISPRISIONER さん | 東京都 | 不明

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ショスタコーヴィチもそろそろ政治的生臭さ...

投稿日:2012/03/25 (日)

ショスタコーヴィチもそろそろ政治的生臭さが取れて「古典」として扱われるようになったことを実感できるアルバム。コロベイニコフにとっては、これら二つの協奏曲は極く自然に身体化された音楽のよう。肩の力の完全に抜けた自由闊達な音楽の純粋な喜びが聴こえてくる。24の前奏曲op.34は「前奏曲とフーガ」op.87よりも若書きの曲集だけど、多様なラインと構造の遊びが面白い。総じて陽性の明るさと軽やかさがコロベイニコフの美点。ちなみに協奏曲一番ではトランペットソロも重要。昔、ティモフェイ・ドクシュッツェルという名人がボリショイにいたが、同門の超怒級トランぺッターの名演がピアノに負けていない。

marco さん | 東京都 | 不明

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ショスタコーヴィチ(1906-1975)

「わたしの交響曲は墓碑である」という“証言”の中の言葉によって象徴されるショスタコーヴィチの音楽と生涯への価値観の変質は、今もって盛んな議論と研究、演奏解釈によって再認識過程の最中にあるとも言えますが、作品によってはすでに演奏年数も75年に及び、伝統と新たな解釈の対照がごく自然におこなわれてきているとも言えそうです。 圧政と戦争の象徴でもあったソビエト共産主義社会の中に生き、そして逝ったショスタコ

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