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Review List of 村井 翔 

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  • 1 people agree with this review
     2013/08/05

    前作『ドン・ジョヴァンニ』同様、2012年7月のバーデンバーデンにおける演奏会形式上演とその前のリハーサルから編集した録音。歌手陣は前作以上に強力だ。6人すべてが適材適所だが、まずパーションは既に二種類の映像ディスクでこの役をつとめている通り、フィオルディリージに最適な歌手。彼女の歌の清潔だがちょっと冷たい感触は、この時代錯誤なほど貞操の固い(18世紀なら普通とも言えるが、第1幕の大アリアでは明らかにからかわれている)キャラクターに実にふさわしい。情熱的なロマンティストのフェランドはモーツァルトのテノール役の中でもビリャソンに最もふさわしいし、かつてのアルフレード・クラウスなどに比べると、モーツァルト様式への適合も申し分ない。この二人の競演で、このオペラのクライマックスであるフィオルディリージとフェランドの二重唱(第29番)は聴きごたえ十分なものとなった。男に対してもはや幻想を抱かない、わけ知りのおばさんという従来のイメージよりはずっと若い役作りだが、エルトマンのデスピーナもとても達者で面白い。
    ただし、指揮に関しては前作に比べて不満が大きい。『コジ』は一面では古典的なフォルムを持ったオペラだが、その実態は非常にデリケートな心理劇であり、まさにそれがオペラ500年の歴史の頂点に位置する大傑作たる所以なのだが、ネゼ=セガンの例によってピリオド・スタイルの指揮は、このデリケートな部分を即物的に割り切りすぎているように思える。たとえば第2幕フィナーレ最後の楽段「Fortunato l’uom che prende(こう考える人は幸せ)」のテンポはこれで良いと思うが、その直前の部分は速すぎる。この部分はドン・アルフォンソに元の鞘に戻れと言われても、もはや収拾のつかなくなった二組の恋人たちの途方に暮れた様を表現しているからだ。この解釈だと先の二重唱(第29番)でオペラのストーリーは終わってしまっており、第2幕フィナーレは念押しのドタバタ劇に過ぎないように聴こえてしまう。

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  • 1 people agree with this review
     2013/08/01

    二つの「夜曲」楽章を含めて、非常にテンポの速い演奏。ほぼ一年前に録音されたノット/バンベルク響と比べても、全体で6分ほど短い。たとえばスケルツォのトリオなど、たいていの指揮者はこの種の音楽のクリシェ(定番)に従って、大きくテンポを落とすものだが、シュテンツはさほどはっきりとした落差をつけない(確かに楽譜にもそういう指示はないのだが、オーボエの主旋律とコントラストをなすフルートとヴァイオリンの走句に「ピウ・モッソ」とあるのはテンポが落ちることを自明の前提としているとも考えられる)。こうした姿勢は全曲を通して一貫していて、ロマンティックな音楽にありがちな「ため」を排して、音楽をどんどん先に駆り立てるため、きわめてモダンな、あるいは躁状態の、ハイテンションな印象を受ける。下手をすれば「せかせかした」「無機的な」演奏とも取られかねないが、なかなか挑戦的な試みではある。かつてのショルティ/シカゴのようにオケの威力で曲をねじ伏せようというタイプの演奏ではないにしても、五日間を要したスタジオ録音で、オーケストラの精度も相当に高い。

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  • 2 people agree with this review
     2013/06/18

    チョン・ミョンフンはやはりソウル・フィルを振る時が一番、自分の音楽性を素直に発揮できるようだ。これもまさしく会心の名演。遅めのテンポの両端楽章と速いテンポで意図的に軽みを狙った中間楽章のコントラストが鮮やか。さすがに現代の指揮者、遅めのテンポといってもバーンスタイン最後のDG録音のような濃厚・強烈な表現は持ち込まないが、それでも聴き手の受ける印象の強さはバーンスタインに優るとも劣らない。数十名のオーケストラが完全に指揮者の表現に同調して、まるで声を合わせるようにして嘆き、うねるからだ。終楽章冒頭の、まるであえぎ声のような両ヴァイオリン・パートの表情など圧巻。軽めに仕上げられた第2楽章でも、最後にトリオの旋律が回顧されるところで、はっとするような表情のえぐりを見せる。第3楽章はカラヤン/ベルリン・フィルの1971年録音を上回る速さだが、威圧的なベルリン・フィルと違って、ソウル・フィルからはむしろ俊敏さを感じる。しかもミョンフンは楽章末尾でさらに一段のアッチェレランドをかけるのだ。付け合わせの「ヴォカリーズ」も絶妙の選曲。『悲愴』終楽章に続けられる音楽といったら、これか「トゥオネラの白鳥」ぐらいしか思いつかない。

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  • 7 people agree with this review
     2013/06/17

    大好きなオペラ『利口な女狐の物語』にまたひとつ優れた映像ディスクが登場。ユロフスキーの精彩ある指揮と、女性演出家スティルの細やかな配慮の行き届いた演出で見応えのある舞台になった。まず動物たちの衣装が秀逸。着ぐるみではない。狐たちはふさふさの尻尾をお尻に付けるのではなく、手に持っている。雌鳥たちのエロい出で立ちはHMVレビューの写真をご覧あれ。中央には「生命の木」(その根元に狐の巣穴がある)が据えられ、ビストロウシュカは本来、出番のない居酒屋の場面でもこの木の上から人間たちの営みを見ている。これは動物と人間の世界を分断しないようにした、とてもいいアイデア。また冒頭シーンでビストロウシュカの母親を演じたダンサーが一貫して彼女の「分身」として、ダンス・シーンではビストロウシュカ役を担当する。歌手陣では渋いおじいさんになったレイフェルクス(20年前、彼の演ずるイヤーゴが大好きだった)の森番が実にいい。この役では最高の適任者かもしれない。題名役のルーシー・クロウも熱演で悪くない。欲を言えば、見た目がもう少し若く見えればなお良かったが。

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  • 8 people agree with this review
     2013/06/17

    こういう演奏になるのは、最近のこのコンビの傾向からして覚悟しておくべきだったのだろうが、ブリュッヘンもオーケストラも老いてしまった。各楽章とも前回録音に比べて大幅にテンポが遅くなり、完全な老境様式の演奏。尖鋭さという点ではトーマス・ファイの録音が極め尽くしてしまったので、別の道を探る余地があるのではないかとも思ったが、クレンペラーのような深沈たる味わいには至らなかった。加えて録音がホールトーン重視の録り方なので、金管やティンパニも全体の響きに埋もれてしまって、平板という印象は否めない。ベートーヴェンならともかく、メンデルスゾーンでこれは辛い。かつては大好きな指揮者だっただけに、いたく失望。

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  • 2 people agree with this review
     2013/06/17

    2010年6月のブルックナー・ツィクルスからの映像ディスク化第2弾。ブルックナーの交響曲中でも、きわだって非ロマンティックな第5番は普通に考えるとバレンボイム向きではないように思えるのだが、これまでの2回の録音、特にベルリン・フィル盤は惚れ惚れするような快演だった。あまり右顧左眄する余地がなく、終楽章に見間違えようのないクライマックスのある作品なので、演奏者としては表現のポイントを絞りやすいのだろう。今回の映像もベルリン・フィル盤に劣らぬ素晴らしい出来。特に今回は前半二楽章のテンポがやや速めで、軽めに仕上げることを意識しているので、終楽章の克明さが一層きわだつ結果になっている。「素朴派」ブルックナー信徒の皆さんは、これでも「あれこれ音楽をいじりすぎる」と不満を抱かれるかもしれないが、表現はきわめて見通しよく、終楽章の対位法ネットワークの中でも目的地を見失うことはない。ゴシックの大聖堂と言うよりは鉄骨とガラスで出来た現代の高層ビルのような印象。ジャケットに使われた現代のアート写真は、まさに演奏の印象にふさわしい。壮麗無比なクライマックスに至るまでの演奏の精度とスピード感、さらにニュアンスの豊富さは、やはり聴き手を黙らせずにはおかぬものがある。

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  • 4 people agree with this review
     2013/06/17

    「ティーレマン組」は今年からザルツブルク・イースター音楽祭に引っ越したので、バーデンバーデンでの最後の年の上演ということになる。ティーレマンの指揮に関しては、文句なしの素晴らしさ。彼にはやや不向きな曲かと思ったが、喜劇的な場面もそつなくこなしているし、最後の盛り上げは見事の一語。オケがシュターツカペレ・ドレスデンに代わった効果も間違いなく出ている。しかし、全体としてはどうも気勢の上がらない上演。第一の「戦犯」は面白く見せようと工夫を凝らしてはいるものの、根本的には救いがたく凡庸な演出。終盤の「宙を舞う椅子」(HMVレビューの写真で見られる)はマジで笑えるが、こんなことに金と労力を費やすのなら、アリアドネが死んで生まれ変わるというオペラの本筋をどうしてちゃんと表現しないのか? 歌手陣も主役級で水準以上なのは、コッシュ(コッホ)の作曲家だけ。フレミングはもはや衰えが痛々しい。崩れかかった歌のフォルムを維持するために歌詞が犠牲になっていて、何を歌っているのか判然としない。同じ2012年の夏のザルツブルクで同じ役(オリジナルのシュトゥットガルト版だが)を歌ったエミリー・マギーに完敗。アーチボルトは技術的な切れ味に不足はないが、さして魅力なく、可もなし不可もなしのツェルビネッタ。これなら日本で見られたダニエラ・ファリーの方が上ではないか。ディーン・スミスはどう見てもただの中年オジサン。(演出の責任でもあるが)「若い神」としてのアウラに全く欠ける。

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  • 2 people agree with this review
     2013/05/11

    これはもともとロンドン科学博物館のデジタル・インスタレーションとして制作された映像で、博物館ではマルチ・スクリーンのそれぞれにオケの各ブロック(37台のキャメラで撮影とのこと)が別々に映った映像を見られるようだ。しかし、映像ディスクでそれをそのままやるわけにはいかないので、見られるのは一画面に編集された映像。その編集があまり感心しない。基本的にメロディーを担当している楽器を映すのは定番ではあるが、無意味なアングルの切り替えが多すぎて煩わしい。演奏シーンの背景が殺風景なスタジオなのも、ちょっと興を削ぐ。サンフランシスコ交響楽団のキーピング・スコア・シリーズや、エッシェンバッハ/パリ管のマーラー交響曲全集など、良くできた先行作品をもっと研究してほしかった。サロネンの冴えたバトン・テクニックが見られる指揮者だけのアングルを「ピクチャー・イン・ピクチャー」で入れることができるほか、各楽章ごとの解説、指揮者やフィルハーモニア管首席奏者たちの「オーディオ・コメンタリー」(英語字幕が表示されるので聞き取りやすい)など特典映像は山盛りだが、コメンタリーはいま一つ面白くない。やはりヴィデオ作品としての完成度は、前述のキーピング・スコア・シリーズなどに及ばない。けれども、サロネン/フィルハーモニアの演奏自体はさすがに素晴らしい。「海王星」の末尾からそのまま続くタルボットの新作も、まあ気が利いているし、「火星」のリズム・オスティナートの徹底的な表出、「木星」の楽想に応じたテンポの伸縮などお見事。おなじみの通俗名曲が鮮やかに面目一新している。

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     2013/05/11

    このコンビによるマーラー映像ディスクの三枚目だが、第5番(NHK-BSで放送済み)、第6番も既に録画されており、映像による全集に発展するようだ。曲の性格上、派手な大芝居をうつような演奏ではないが、きわめて透明度が高くスコアが透けて見えるような解釈で、曲との相性は悪くない。コンセルトヘボウとの録音と比べても、第1楽章の多彩な楽想の描き分けなど、一段と入念になったように思う。独唱者のラントシャマーはあまり技巧を凝らさず素直に歌っているが、これはこれで悪くない。ただし、映像ディスクに限っても、アバド/ルツェルン、イヴァン・フィッシャー/コンセルトヘボウなど競合盤を押しのけて、どうしてもこれを選びたいと思わせるほどの「切り札」には欠ける気がする。マーラー自身の演奏を記録したヴェルテ・ミニョン(自動ピアノ演奏装置)をスタインウェイ・ピアノに取り付けての特典映像は、その解説ともども大変興味深い。一方、ディスク付属のリーフレットは4番という交響曲について非常に明確な解釈を打ち出しているが、シャイー御大のコメントの方はさっぱり要領を得ない。でも、あまり露骨に言葉で解釈を語られてしまうよりはいいか。

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     2013/05/05

    ミュンヒェンでマイールの珍しいオペラ『コリントのメディア』を蘇演したミヒャエルが次にケルビーニ版に挑むのは当然のなりゆきだったろうが、オリジナルのフランス語版、しかもオケはピリオド楽器、演出は完全な現代化版とは。仏語版は『カルメン』と同じオペラコミーク、つまりナンバーの間を仏語の台詞でつないでゆく形で書かれているが、台詞部分は演出に合わせて現代語の言い回しに直されている。さらに台詞は必ずしも舞台用の発声ではなく、時には囁くようにも語られるので、その聞き取りを補助するために歌手たちは小型マイクを装備している。演出はジャケ写真通りのパンク姐ちゃん風メデが彼女を拒む社会の中で孤立してゆく様を的確に見せる。子供殺害のシーンはやはりダイレクトには表現しないが、象徴的な見せ方がうまい。ケルビーニ版では金羊皮をめぐる過去のいきさつや異民族、異宗教ゆえの差別などはあまり語られず、メデ個人の悲劇に焦点を合わせた作りになっているが、演出もその方向で徹底していて、昨今の演出では定番の映像も、幸福だったであろうメデとジャソンの過去の回顧になっている。
    指揮はピリオド楽器の粗い響きを利して、もともとエキセントリックな音楽をさらに鋭利に響かせる。ミヒャエルは期待通り、いや期待以上の歌と演技で圧巻。次はマクベス夫人か? 中年オジサンになった(でもまだカッコいい)ストレイトも相手役として不足はない。ル・テクシエの悪役ぶりもなかなかの凄味。ディルセはこの版では単なる被害者なので性格表現はシンプルだが、ケルクホーフェの技巧の切れ味も申し分ない。

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  • 4 people agree with this review
     2013/05/02

    既に他の方も書かれている通り、協奏曲第2番ももちろん悪くはないけど、ここでは完全に「おまけ」でしたね。前座のワルツ第7番に続く、ソナタ第2番とバラード第4番が彼女の勝負曲。ソナタ第1楽章では冒頭のグラーヴェを音楽が止まりそうなほど遅く始め、それから第1主題の突進に転じるという鮮やかな身のこなしがまず印象的。楽器と楽譜を完全にコントロールして、見通しの良い余裕さえ感じさせたユジャ・ワンに比べると、ブニアティシヴィリの場合、何よりも表現に対する意欲がすさまじい。スケルツォ主部の畳みかけるような煽り方も凄い。彼女もよくアルゲリッチと比べられるが、先行世代と明らかに違うのは単なるロマンティストではなく、鋭利な楽譜解析力を併せ持っているところだろう。そのセンスはまるでクラスター音楽のような終楽章の弾き方に結実している。このソナタに関しては、もう完璧無類なキーシンとユジャ・ワン、そしてブニアティシヴィリがあれば十分。ホロヴィッツ、ポリーニ、アルゲリッチら「過去の名盤」は安心してレコード棚に引退していただける。ちなみに、リスト作品集のレビューで彼女は「フォルティッシモを強く叩きすぎる」と書いたが、お詫びして訂正。2011年ヴェルビエでの映像を見て、彼女はピアノ教師が嫌う「汚い音」も自分の表現の一部として組み込んでいることが分かった。そこで彼女は二年前にユジャ・ワンが弾いたのと同じ「ペトルーシュカの3楽章」を演奏しているのだが、表現の方向はまさに対照的だ。

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  • 5 people agree with this review
     2013/04/26

    マーラー・イヤーだった2010年12月のライヴ録音だが、拍手はない。チャイコフスキーの4〜6番あたりでは、こういう曲を振るにはまだ若いかなと感じさせたユロフスキーだが、マーラー1番では彼の若々しさ、生きのよさが曲の求めるところとぴったり一致している。第2楽章の位置に「花の章」を入れているが、残りの4楽章はハンブルク稿ではなく通常版(第1楽章提示部のリピートもある)。他の4楽章は管弦楽法も遥かに分厚くなっているわけだから、『タンホイザー』のパリ版みたいな不釣り合いはあるが、こういうやり方も私は支持したい。主題的なつながりから言っても(「花の章」主題はスケルツォでも変形されて現われるほか、終楽章では明瞭に回想されている)、「花の章」はやはり他の4楽章と一緒に聴かれるべきだと思う。しかも、この演奏では他の4楽章も「花の章」に合わせたかのように、あまりオーケストレーションの厚みを感じない。テンポも概して速めで、音楽が非常に機敏だ。昨今のマーラー演奏では定番となった弦のグリッサンドやホルンのゲシュトップトなど特殊奏法もきわめて克明。葬送行進曲(冒頭のコントラバスはユニゾン)のブラスバンド風の響きの作り方もうまいし、終楽章最後のテンポ操作(減速+加速)も鮮やかに決まっている。

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  • 6 people agree with this review
     2013/04/23

    2009年初頭の録音だが、なぜこれまでお蔵入りになっていたのか不思議なほどの見事な出来ばえ。第10番は見かけ以上に屈折した作品で、奇妙な味わいの第3楽章などは近年、音名象徴から愛人との「すれ違い」を描いた音楽と読み解かれているようだし、一見「勝利の大団円」風の終楽章もそう単純に合点すると、作曲者から「お前の目(耳?)は節穴か」と笑われてしまいそうだ。どこもそんなに極端なことはしていない演奏だが、各パートの隅々まで良く聴こえる優秀な録音とオケの響きの厚みが印象的。インバル/都響も非常にハイテンションな、士気の高い演奏だったが、この余裕のある運びを見せられると、やはりヤンソンスの方が一枚上手かと思ってしまう。第9番をさんざん批判された後、久しぶりの交響曲に作曲者がこめた裏の意味を色々と考えてみるには、とても良い演奏。

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     2013/04/22

    中部ドイツ(ライプツィヒ)放送交響楽団を振った前回の録音は素晴らしい出来ばえだったが、やや分離の悪いダンゴ状の録音だけは残念だった(もう入手不能らしい)。この再録音は録音は申し分ないが、端的に言えば中間楽章の順番が変わったほか、造形がより堅固なものになった。つまり、第1楽章「アルマの主題」で大きくテンポを落としたり、抒情的な歌い込みに徹底的にこだわったりといった「変態性」は後退したわけだが、それでもルイージらしさは随所にある。前回録音ほどではないが、テンポはやはり良く動く。第1楽章では展開部中の挿入部(カウベルが鳴る所)の極端な遅さがやはり印象的。スケルツォ主部は前回より速いが(第1楽章第1主題と同じ素材の音楽だが、ルイージの場合、第1楽章より遥かに速い)、トリオになるとがくっと遅くなる。終楽章も前半は比較的冷静だが、さすがに再現部以降は非常に気合の入った、乾坤一擲の名演。ここでもカウベルの鳴る部分(つまり、激しい闘争の間に挟まれた癒しの音楽)では思い切って遅くなるが、こうしたテンポの動きもすべて理に適っていて、きわめて見通しがいい。テンシュテットのようなカオティックな演奏もありだと思うが、曲としては本来、このような整然としたアポロ的な解釈を求めている音楽だと思う。

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  • 4 people agree with this review
     2013/04/01

    これが『ヴォツェック』のモスクワ初演とは驚くが、いつもながら綿密なクルレンツィスの指揮のもと、ボリショイの面々がいつものルーティン・レパートリーとは全く違った緊張感を持って取り組んでいるのが分かる。チェルニャコフの現代版演出も良くできていて、主人公は現代の企業戦士たるサラリーマンだが、最初の場の「大尉」は軍隊フェチのおじさんとのロール・プレイとするなど、的確に読み替えられている。ジャケ写真の通り、方形に区切られた集合住宅が舞台で、その一室で殺人が起こっても、他の人々の暮らしは何の変化もなく続いてゆく。マンションの一角に設けられた深夜のバーで演じられる第2幕第5場(ここにいないはずのマリーも出てくる)、死んだ母親と(この演出では)心神喪失状態の父のいる室内で子どもが無邪気にテレビゲームを続ける最終場などは元の設定以上に秀逸。ただし、マンション内に「沼」を作るわけにはいかないし、「赤い月」を昇らせるわけにもいかないので、さすがに第3幕になると読み替えがちょっと苦しい。ビエイト演出ではちゃんと描かれていた「階級」「身分」の差がなくなってしまったのも、やはりまずかろう。グラマラスなマリーはやや大味だが、主役ニグル以下、歌手陣もおおむね好演。

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