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バッハ(1685-1750)

CD 平均律クラヴィーア曲集全曲 リヒテル(4CD)

平均律クラヴィーア曲集全曲 リヒテル(4CD)

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  • ★★★★★ 

    椎名春勇  |  福岡県  |  不明  |  2008年02月18日

    今日の演奏は、バッハの研究などというものに縛られて、非常に制約の多い演奏をする羽目になった。 リヒテルの演奏を超える感動を現代の演奏が表現できない理由は、まさにそこにある。 「時代の遺物」として不当に低い扱いをするのは、演奏という行為を不当に狭める言説に他ならない。 リヒテルの演奏には、神が宿っている。それだけで充分なのだ。

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  • ★★☆☆☆ 

    AUSNAHME  |  宝塚市  |  不明  |  2008年02月17日

    この演奏は全然「時代を超え」てなどいない。反対だ。これはルネサンスやバロックの音楽に対する研究が進んでおらず、バッハをちょうどベートーヴェンやブラームスを弾くのと同じように弾いていた時代の遺物である。バッハの音楽の時代様式の研究が進んだ今となっては、さすがにこんな時代錯誤的な演奏をするピアニストはいなくなった。リヒテルが今に生きていたとしても、このCDのようには弾かなかったはずだ。その意味で、「最高!」派のひとたちは、リヒテルに対して失礼だ。少なくとも、彼はその程度の知性と良識はあったと私は思う。

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  • ★★★★★ 

    ステファン高田  |  札幌  |  不明  |  2008年02月16日

    観念論的聴取は有害であり、リヒテルの演奏を捻じ曲げてしまう。 精神論をいちいち持ち出さなくても、リヒテルの凄さは分かるはずだ。 一巻の第1番プレリュードから、二巻の第24番フーガまで、一音一音ゆるぎない音で、堂々とした音楽を積み上げており、グールドやトゥレックらの演奏と比べると、音楽の捉え方のスケールが桁違いに大きい。一つ一つのプレリュード&フーガを個別に描くのではなく、有機的つながりの中でリヒテルは捉えている。それが凄い。

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  • ★★★★★ 

    Henryk Richter  |  山形県  |  不明  |  2008年02月16日

    技術的にも、リヒテルの演奏は瑕疵がありません。 クレスハイム宮の音響を意識して、敢えて訥々とした弾き方を採用し、宮殿のまろやかな響きを味方につけることに成功しています。 演奏する空間を読むという離れ業が、ここでも実現しています。 こうした配慮があればこそ、柔和で瞑想的な演奏が実現できるのです。 消費大国アメリカ人テューレックには、こうした演奏は「絶対に」出来ないでしょう。

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  • ★★★★★ 

    テュポーン  |  鹿児島  |  不明  |  2008年02月16日

    バッハをロマンチックに演奏してはいけないという法律はない。 バッハの音楽は、ロマンの光を与えることで、いっそうの輝きを増すことが出来た。 バッハに感動をもたらしたのは、リヒテルの功績であろう。 ルネサンスやバロックといった、時代考証に囚われた耳では、この時代を超えた超人的演奏の素晴らしさは感知できないようで、実に残念だ。 この演奏を低く評価するのは、どうやらスノビズムの証明でもあるようだ。

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  • ★★☆☆☆ 

    AUSNAHME  |  宝塚市  |  不明  |  2008年02月16日

    ひとは「虚心坦懐に」音楽を聴くことはない。いつも聴いている音楽に、耳が慣れていくのだ。今でこそ西洋音楽に我々の耳は慣らされているが、明治初期のほとんどの日本人は調性音楽に慣れず、斉唱も出来なかったらしい。リヒテルのこのCDが「古典的名演」だの「普遍的」だなどと感じる人は、ロマン派の演奏様式に耳が慣れてしまっているのだ。だが、バッハが自分の死後の時代のロマン派から影響を受けたことはない。彼が影響を強く受けたのは、ルネサンスやバロックの音楽であり、そうした音楽を聞き込んだ私の耳にはこの演奏は極めて不自然だ。

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  • ★☆☆☆☆ 

    ゴロンロネ  |  京都府  |  不明  |  2008年02月15日

    フーガは調性プランであるというのは音楽をやる人間にとって常識ですが、テューレックの第二巻ハ長調フーガの演奏を見てみましょう。後半部分の長大なサブドミナントからトニックへ向かう過程、またその後のフーガの終結のカデンツに向かっての和声的な動揺などで見せる緩急の自在な音楽の盛り上がりは一息にバッハフーガの構造を示してくれ、唖然とするまでの出来栄えです。リヒテルの演奏からはこういったことは「絶対に」見られません。

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  • ★★★★★ 

    月沈原  |  秋田  |  不明  |  2008年02月15日

    世界的に絶賛されている理由は、この演奏を聴けば暗黙の内に了解される。 「彼以外は音楽ではない!」と人に喝破させるだけの感動が、この演奏にはある。 その感動は、拍手喝采で迎えられる類のものではなく、聴き手から言葉を奪う類のものだ。 音楽の深遠を味わうのに、これ以上何を望もうというのか!

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  • ★★★★★ 

    りひ狂  |  愛知三河  |  不明  |  2008年02月15日

    こういう音の薄い曲でのリヒテルの演奏は、強靭な精神によるところが大きく、凄まじい気迫に圧倒されることをかつて多くの著名な聴き手が証言しているのは周知の事実。良くも悪くも魂を揺さぶられてしまう訳で、肯定派の賛辞(やれキリストだニーチェだ)は、要はそういう特性の表れではないかと。技術に基点を置く方には大げさに聞こえるかもしれませんが…。

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  • ★★★★★ 

    アンダルシアの猿  |  石川県  |  不明  |  2008年02月14日

    リヒテルの演奏は、バッハの精神を100%再現するというよりも、バッハの精神を超えて普遍的な言葉で語りかけるバッハだといえるでしょう。 リヒテル愛好家の代表さんが難解な言い回しながら指摘してくれたのは、まさにこの普遍性なのではないかと思います。 バッハ至上主義的な聴き方では、この演奏の素晴らしさは理解できません。心の耳を開いて、虚心坦懐に耳を傾ければこそ、この演奏の素晴らしさは理解できるとおもいます。

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  • ★★☆☆☆ 

    AUSNAHME  |  宝塚市  |  不明  |  2008年02月12日

    そもそも、ピアノがまだ発明されていない頃の作品の演奏にピアノを使用しているのに、これ以上「バッハの精神に忠実な演奏」はない、とは考えられない批評だ。私はピアノによるバッハ演奏を決して否定しないが、それはあくまで「ピアノにしか出来ないバッハ演奏」を評価する限りにおいてである。これは音色も強弱もアーティキュレーションも、全てが違うチェンバロのために書かれているのだ。バッハの精神を100%再現することなど、あり得ない。また、リヒテルのロマン過剰のこの演奏なら10%表現出来ているかどうかも、疑わしい。

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  • ★★★★★ 

    ほでぃのっと  |  富良野  |  不明  |  2008年02月11日

    フーガを遁走曲と翻訳したことの誤謬が、この演奏では明らかとなる。 リヒテルの音楽に従えば、フーガは音楽家のための大聖堂なのだ。 豊かな残響の中で演奏されるこの曲は、まさに神の御心を示す神聖な音楽であることを示す。 この演奏ほど、バッハの精神に忠実な演奏もあるまい。 この演奏が名演奏とされたのには、それなりの理由がある。 この演奏を聴いて、その理由をじっくりとかみ締めて欲しい。

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  • ★★★★★ 

    オスカー  |  沖縄  |  不明  |  2008年02月08日

    心洗われる名演奏です。 リヒテル愛好家の代表さんが、リヒテルをキリストの化身として受け止められる気持ちも、心情的に幾分か理解できるとおもいます。 クレスハイム宮殿の豊かな残響は、それこそ教会で演奏しているかのような気分に浸らせてくれます。 世界的に絶賛されるリヒテルの深遠なるピアニズムが、ここまで肌に感じられる演奏が、他にあったでしょうか。

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  • ★★★★★ 

    リヒテル愛好家の代表  |  埼玉  |  不明  |  2008年02月07日

    たしかにリヒテルはキリストの化身であり、ニーチェの生まれ変わりなのです。彼の演奏は近代的フェミニズムを体現してマルクス主義的資本論をピアノで具現化したものだということをこの演奏を低く評価している方々は理解していらっしゃらないのでしょう。これはカント的記号論を切実に訴えた演奏であり、てろ〜んさん、りひ狂さん、民茂樹さんたち最高評価をした方々も同じ意見をお持ちだと思います。この演奏にそれ以外の感想を持つ人間はリヒテルのことを語る資格はないのです

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  • ★★★★★ 

    てろ〜ん  |  和歌山県  |  不明  |  2008年02月07日

    リヒテルの演奏は、バッハをバロック音楽の範疇から解き放つ。 いわゆる「専門」の人たちは、バッハを我が物としたいがゆえに、リヒテルの演奏を不当に低く評価し、それがバッハの音楽を貶めているということに気付かない。 それはさておき、リヒテルのバッハは実に美しく、音が消え去ったあとの沈黙にも深い意味を残す。

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