やっぱり・・・ですか

2018年1月9日 (火)

連載 許光俊の言いたい放題 第256回


 正直な話、チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルの録音が、オーケストラ自身によってリリースされるというニュースを聞いても、全然心ときめかなかったのである。なるほど、録音時期は、EMIからすでに発売されている最晩年の演奏より早く、まだ枯れ切っていない演奏を聴くことができるに違いない。だが、珍しいレパートリーであるマーラーの歌曲が含まれているのを除けば、曲目はもうとっくにおなじみのものばかりだ。いくら得意のレパートリーとはいえ、新鮮味に欠けるのはいかんともしがたい。
 が、そうは言っても、いざ「死と変容」を聴き始めたら、やはり圧倒されないではいられなかった。冒頭からして、あの独特の最弱音が衝撃的だ。なんとも不思議な、まさにここからすべての音符が飛び出してくるという予感がする妖しい胎動。最弱音などという言葉は、音量を指しているだけにすぎない。音量とは別の、いっそう本質的な音楽的必然性があるのだ。
 この「死と変容」は、数あるチェリビダッケの録音の中でも、音が先行する音からおのずと導き出されるという感覚をもっともよく伝えてくれる例に違いない。音楽を作っているのではない。おのずと生じていくのである。この姿になるのである。恐るべき自明性。
 演奏時間はおよそ30分。常識をはるかに上回る遅さだけれど、遅いという感じがまったくしない。もしあらゆる音が適切に演奏されていれば、遅いとか速いという感覚は生じなくなるということだ。こう理屈で言えば簡単だが、現実にそれが成功することは、たとえチェリビダッケであっても毎回のことではなかった。
 やっぱり・・・。このところいろいろな演奏家を聴いてはいるのだが、途方もない、あまりにも独特かつ説得力がある強烈なチェリビダッケの音楽に打ちのめされたのだった。この指揮者の愛好家なら聴き逃してはならない。また、まだチェリビダッケを聴いていない人なら、これから聴きはじめるのもよかろう。30分の中に彼の芸術のエキスがつまっている。もっと長いブルックナーなどはこのあとでもよい。
 この曲に関しては、すぐれた録音がすでに発売されている。それも引っ張り出して聴き比べようかとも思ったが、止めた。そんなことはばかばかしい気がしたのだ。どっちがベターでもベストでも構いはしない。今、これを聴いてすごいと思う、それがすべてだ。音楽とは「救われる」ことである。これほどまでに愚直にそれを言った演奏はそうはない。

 マーラーを嫌ったチェリビダッケだが、「なき子をしのぶ歌」は例外なのか。オーケストラパートが簡潔で、よけいな音がないのがいいのか。ただ、ヴァントもマーラーを指揮しなかったし、カラヤンやジュリーニにしてもごく一部の曲しか演奏しなかった。ある世代までの指揮者にとって、決してマーラーは当たり前のレパートリーではなかったのだ。
 結果的に言って、実に不思議なマーラー演奏である。冒頭からして、まるでシェーンベルク、あるいは新ウィーン楽派みたいなのだ。「月に憑かれたピエロ」や「ヴォツェック」が連想されてしまうのだ。いろいろな楽器の音色が、まさにその楽器の音色だけとしてそこにある。音楽は全然なめらかに流れない。音の高さと長さと色で作られた点描。これは怪しいですよ。シェルヒェンとかクレンペラーとか、そういう指揮者たちのマーラー演奏も思い出される。もしかして、マーラー演奏の本流は、本来こっち? ワルターやバーンスタインじゃなくて? そんな気がしてしまう。オペラの舞台ではけっこうやりたい放題のファスベンダーが神妙に歌っている。
 「未完成」は、すでに発売されている録音よりさっぱりと端正である。弦楽器の受け渡しなど、いくぶんエレガントな感じすらするのは音質の特徴か。いずれにしても特に第2楽章で注意深く楽器がリレーをしているさまは聴いていて実に気持ちがいい。
 「新世界」も、案外穏健。動いていても静か。緻密なデッサンみたい。今回発売された音源を選んだ人たちは、この傾向が好きなのかもしれない。フィナーレで、普通は当たり前に音楽が高揚してしまう箇所、あえて抑えることで異様な効果、たとえるならバッハの「ロ短調ミサ」かベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」みたいな、が生まれているのが印象的。でも最後のほうは意外にもぎゅんぎゅんと行きます。で、ぐんとまた遅くしたり。そして、本当の最後はブルックナーみたいに壮大。フルトヴェングラーもおそらくそうだったのだろうが、生だと手に汗握ったに違いない。


 やっぱりSACDか。
 前からべた褒めしているラトルとベルリン・フィルのシベリウス交響曲全集は、目下のところ録音で聴ける彼らの頂点だと思っているが、SACDで出直した。同じ演奏が、音質を向上させて再登場するのはどんなものかと思うが、いざベターな音を聴くと、やっぱり、と薦めるしかない。通常のCDとは、オーケストラの微妙な表情、それどころか楽員たちの空気の伝わり方が格段に違うのだ。実際にベルリンのフィルハーモニーで聴いている感じが、CDよりもずっとする。もっとダイナミックレンジを広くとって雄大な音質で録音してくれればいいのに、とも思うが、それでもなお。
 実演で聴けば一発でわかるチェロの異様ななめらかさ、コントラバスのゆるぎない存在感、木管楽器のハーモニー感、でも逆に、ホルンの正確だけどそっけない吹き方やらのあれこれ、だが何よりも指揮棒とオーケストラがつながっている感じがはっきり聞き取れる。
 第1番でのまるで格闘技におけるラッシュのような突っ込み方。第6番冒頭のあっと驚く美しいヴァイオリンのきらめきやふくよかさ。第7番のオーケストラ全体がふわっとやわらかく膨張していくさま、そして全体が渦巻くさま。オーケストラ全体の巨大な呼吸。最後の決めの見事さ。改めて非常に楽しく聴いた。

 こういう音質の向上は、アーノンクール指揮のシューベルトについても言える。あのいささか乱暴な、戦うという感じの指揮ぶりがほうふつとさせられるのは断然SACDだ。音の出の速度や鋭さ、ハーモニー感がいっそう感じられるのだ。交響曲第6番なんて、正直言って名作と呼ぶほどの作品ではないが、オーケストラのアンサンブルのすばらしさに聴きほれてしまう。特に第3、4楽章には唖然とさせられる。こんなのんきでゆるい音楽を青筋立てておおまじめに演奏する指揮者とオーケストラ・・・。これぞプロというか、それ以上。鬼気迫る。
 現在、SACD以上に高音質のフォーマットも出てきているようだけれど、とりあえず普通のCD発売はすべて、CDとしてもSACDとしても再生できるハイブリッドにしてほしいものだ。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)


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R.シュトラウス:死と浄化、マーラー:亡き子をしのぶ歌 セルジウ・チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル、ブリギッテ・ファスベンダー

CD 輸入盤

R.シュトラウス:死と浄化、マーラー:亡き子をしのぶ歌 セルジウ・チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル、ブリギッテ・ファスベンダー

シュトラウス、リヒャルト(1864-1949)

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ドヴォルザーク:交響曲第9番『新世界より』(1985)、シューベルト:交響曲第8番『未完成』(1988) セルジウ・チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル

CD 輸入盤

ドヴォルザーク:交響曲第9番『新世界より』(1985)、シューベルト:交響曲第8番『未完成』(1988) セルジウ・チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル

ドヴォルザーク(1841-1904)

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交響曲全集 サイモン・ラトル&ベルリン・フィル(4SACD)

SACD

交響曲全集 サイモン・ラトル&ベルリン・フィル(4SACD)

シベリウス(1865-1957)

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交響曲全集 ニコラウス・アーノンクール&ベルリン・フィル(5SACD)

SACD

交響曲全集 ニコラウス・アーノンクール&ベルリン・フィル(5SACD)

シューベルト(1797-1828)

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