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Review List of 村井 翔 

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  • 4 people agree with this review
     2014/07/19

    これと次の、最後のオペラ『金鶏』がリムスキー=コルサコフの最高傑作だと思うが、作品の真価を知らしめるにふさわしい素晴らしい上演(日本語字幕付きもありがたい)。チェルニャコフ演出は例によって舞台を現代に置き換えており、タタール人たちも昨今のテロリスト御一党といった感じだが、一見、暴力的な彼らの強さは意外に見かけ倒しなので、このぐらいで良いと思う。総じて現代化はとてもうまくいっている。悲惨な話だが、あくまでメルヒェン調で、舞台上での劇的な緊張はむしろ乏しい作品なので、演出は非常に難しい作品のはずだが、観客を飽きさせない工夫があちこちにある。第5幕ではト書き通りの大キーテジの壮麗な街並みをあえて見せないが、これもとても良い(その理由は一番最後に分かる)。歌手陣では主役フェヴローニャのみ、カリアリ歌劇場での映像に出ていたモノガローワの方が上だと思うが、イグナトヴィチも決して悪くない。他のキャスト、指揮とオケは文句なしにこちらの方が上。相手役フセヴォロド王子を演じるアクセノフも申し分ないが、特に性格的なテノールの役、グリシュカを演じるジョン・ダスザックが歌・演技ともに出色の出来。指揮のマルク・アルブレヒトは手の内に入った「お国もの」でないがゆえに、逆に非常に丁寧な音楽作りが印象的だ。

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  • 3 people agree with this review
     2014/07/19

    もちろん総譜がテンポの動きを指示している所はその通りにやっていて、終楽章最後の減速→加速の決まり具合など鮮やかの一語。でも、それ以外はそんなにアゴーギグに凝ってみせるタイプではなく、テンポは概して速めで造形はむしろ端正、アポロ的とも言える。にもかかわらず演奏はとても個性的だ。最も目立つのは、やはりイタリア人らしい非常にくっきりした旋律の歌わせ方。葬送行進曲冒頭のコントラバス・ソロは表情を殺して奏させる指揮者が多いのに対し、明確なアーティキュレーションを奏者に指示し、ひなびた感じを演出している。オーボエの皮肉な注釈にも、すこぶる鮮明な表情が付けられているし、終盤ではトランペットの対旋律の浮き立たせ方がうまい。スケルツォのトリオ、第1楽章(提示部の反復はない)展開部序盤などでの弦楽器のグリッサンドもきわめて克明。第1楽章では220小節 Etwas bewegter(幾らかより活発に)からの思い切ったテンポ・アップにもはっとさせられるが、それでもチェロはグリッサンドのままだ。葬送行進曲の中間部、終楽章第2主題など近年ではデリケートな手つきで扱われることが多い部分も、過剰に繊細ぶらず、むしろ速めのテンポで一息に歌ってみせる。バッティストーニが1番を振るのはこれが初めてだというが、逆に慣れていないがゆえの新鮮な楽譜の読みがことごとく好結果に結びついたのだろう。この曲そのものが本当に二十代の若い指揮者が振るのにふさわしい青春の名作なのだけれど。録音はやや硬質だが、東フィルも気合の入った申し分ない出来ばえ。

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  • 9 people agree with this review
     2014/07/06

    演奏自体は後述の通り、なかなか面白いし、録音も優秀だからハンブルク稿の代表的な録音として推したいところなのだが、肝心の「稿」に大きな問題がある。「花の章」入り、第1楽章の提示部反復やスケルツォ冒頭部のダカーポがないわけだから、まぎれもなくハンブルク稿なのだが、この稿の特徴と言われてきた通常版のオーケストレーションとの違いがほとんど無くなってしまっている。残っているのは第1楽章序奏、最初のファンファーレが舞台裏からのホルン(通常版ではクラリネット、かつてのハンブルク稿では舞台上のホルン)になっていること、終楽章でティンパニが通常版と違う動きをする箇所があることぐらいか。葬送行進曲冒頭もコントラバス・ソロだ。国際マーラー協会はこの版を全集の補巻として出版するらしいが、この協会の間抜けな体質がまた出てしまった。こういう楽譜があることは事実のようだが、こんなに通常版に近いものをわざわざ出版してどうするのよ。
    演奏自体はどこが面白いかと言うと、このコンビがこれまでソニーに録音してきたシューベルト、メンデルスゾーン、シューマンの録音と同じく、楽器はモダンだが、明らかにピリオド志向があること。第1楽章以外、テンポは概して速めで表情は淡白、オケは室内楽的に各パートが透けて見えるように聴こえる。ティンパニは明らかに硬めのマレットを使用、弦楽器のヴィブラートも皆無ではないが、かなり控えめであろう。1番の録音ではノリントン、ロトなど、そういう志向のディスクが既にあったが、彼らが通常の4楽章版を使っていたのに対し、ピリオド風アプローチにさらに適したハンブルク稿を使ったのがこの録音。だからこそ、通常版と違ったオーケストレーションの面白さをもっと聴かせてほしかった。

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     2014/06/14

    着々と進行する映像による全集。この後、2013/14シーズンには9番、来日公演曲でもあった7番が収録されている。この5番では一貫して速いテンポ、特に従来、かなり遅めのテンポが普通だった第2楽章第2主題(特に展開部序盤のチェロによるユニゾン部分)、第3楽章のピツィカートによるレントラー部、第4楽章全般などでも停滞感のない快速テンポが維持されていて、このコンピが最近CDリリースしたベートーヴェン、ブラームス全集と共通の志向を認めることができる。なるほど構築性を重んじた純器楽曲としてのアプローチは5番には合っている。しかし、ブラームスまでの方法論をそのままマーラーに持ち込むのは無理ではないかとも感ずる。なぜなら、マーラーの総譜ではメトロノーム表示がない代わりに、言葉による詳細なテンポの指示があるわけで、第3楽章「速すぎないで nicht zu schnell」、第4楽章冒頭「非常に遅く sehr langsam」などは作曲者の指示に逆らっているとしか思えない。たとえば、インバル/都響は物理的なテンポは速くても、表情そのものは濃厚だが、このコンピの演奏では上記のような(遅いテンポが求められるはずの)表現上の勘どころが、どうしても淡白に聴こえてしまう。
    指揮者自身による演奏についてのコメントも、4番の時に比べれば遥かに情報豊富だが、言葉で語ってしまったために、かえって読みの浅さを露呈したり、(純器楽的解釈を志向しているくせに、プログラム的なメンゲルベルクの総譜書き込みにとらわれ過ぎといった)矛盾に陥ったりしているのは皮肉だ。

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     2014/06/07

    いよいよ全集録音も追い込み。4番に続いて、もうひとつの「高峰」である第14番に挑戦。さすがに表現主義的な表出力ではクルレンツィスに及ばない感があるが、これも悪い演奏ではない。明らかにクルレンツィスに勝っているのは、打楽器の巧みな生かし方。特に金属打楽器の響かせ方がとてもうまい。モノクロームになりがちな弦合奏も(もちろんゴリゴリと弾かせる所もあるが)色のパレットが思いのほか豊富だ。つまり死だの晩年だの晦渋だのといった既成イメージをいったん棚上げして、素直に楽譜に向かい合った演奏とも言える。おかげで、この曲がとても聴きやすくなっている(なかにはこのような「軟化」を嫌う人もいるかもしれないが)。まだ三十代の二人の歌手もとてもうまい。ジェイムズはシャイー指揮『ボエーム』のミミ(その前にはバレンボイム指揮『マノン』に端役で出ていた)以上に印象的。表現の引き出しが豊富な、達者な歌手だ。ヴィノグラードフ(ジャケット表記ではバリトンだが、オペラでの持ち役から見てもバスだろう)も絶叫の一歩手前で踏みとどまる知的なコントロールの効いた歌を聴かせる。

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     2014/06/06

    演出は全くの正攻法ながら、たとえば火刑の場(HMVレビューの写真)なども場面の作り方、群衆の動かし方が非常にうまい。演出家としては頭の痛い幕切れも、それなりに納得のいく終わり方。きわめてシリアスな作りで、ヴェルディというよりも、むしろシラーの原作戯曲に近い雰囲気を漂わせる重厚な舞台だ。歌手陣も超強力。お坊っちゃまゆえ軽挙妄動型の王子様はカウフマン向きではなかろうと思っていたが、観てみて納得。少なくともこのプロダクションの重い空気には合っている。あれよあれよという間に大プリマドンナになってしまったハルテロスも素晴らしい。ピアニッシモのまま続く終幕の二重唱などは息をのむ美しさだ。ハンプソンは相変わらずのハマリ役。17年前の仏語版と比べても、まだあまり年齢を感じさせない。サルミネンはさすがに声の方は衰えを隠せないが、見た目としては確かにこのぐらいの歳の方が説得力が感じられるし、貫祿はさすがだ。(コヴェントガーデン版と同じ)ハルヴァーソン、ロイドに至るまで、全く隙のないキャスティング。これでエボリがヴァルトラウト・マイアー(さすがにもう無理か)もしくはナディア・ミヒャエルだったら最高なのだが、さすがにそれは無いものねだりか。
    唯一のイタリア人であるパッパーノの指揮も素晴らしい。仏語版を含めて三度目の今回の指揮が最も積極的で、「攻め」の姿勢が感じられるのは、オケがウィーン・フィルであるせいだろう。

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     2014/05/24

    「トルコのハーレム」は大勢のモデルやお針子たちを抱える現代のオート・クチュール、「太守セリム」はそこを仕切るカリスマ・デザイナーという読み替えは悪くないと思ったのだが、大掛かりなセットだけが取り柄で、演技を含めた個々の場面の作り方があまりにもおざなり。二百数十年前の古典芸能をオペラハウスの外へ持ち出そうという斬新な試みなのだから、もっと寛大に見るべきという声もあろうが、こんなに作りが杜撰では寛大になりようがない。このオペラ、21世紀に入ってからは、実はコンスタンツェはセリムの方を愛してしまっているという設定で濃密な心理劇を見せるジョナサン・ミラー(チューリッヒ)やクリストフ・ロイ(フランクフルト/リセウ)の演出が見られるようになったが、それらに比べると全く物足りない。現代化・非トルコ化演出としても、才気煥発なヘアハイム演出(2006年ザルツブルク)に遠く及ばない。
    オケの音は耳の中のイヤホンからしか聞こえないという悪条件にもかかわらず、歌手陣は健闘している。しかし、エーベンシュタインのペドリッロが目立つぐらいで、演奏自体も凡庸。ニールセンのブロンデはあまり愛想のない、キツ目の役作りで、もともとブロンデ出身のランカトーレとキャラが逆転してしまっているが、これもまずかろう。ダムラウが早々に降りてしまったのは賢明な判断。彼女の頭のよさを裏付ける結果になった。

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     2014/05/24

    細かいところでは、あちこち齟齬があっても、作品の「核心」だけは絶対にはずさない、またしても見事なカーセンの読み替え演出。夜の女王とザラストロは最初からグルで、すべては子供たちの成長を促し、タミーノとパミーナを結びつけるためのお芝居、イニシエーション劇だったという設定変更で、女性差別ともからんで厄介な「光=男=啓蒙」対「闇=女=無意識」という対立軸をはずしてしまった。だから「夜の女王とその取り巻きたちが地獄に落とされる」はずの最終場などは茶番に過ぎなくなるが、パミーナが(彼女に一番、嫌なことをしたはずの)モノスタートスに手をさしのべ、仲間に入れてやるというエンディングは実に感動的。暗い地下の世界を抜けた果ての緑の芝生も美しいし、モーツァルトが最も喜びそうな最終景ではないか。
    ピリオド・スタイルを十分に踏まえたラトルの指揮は、圧倒的名演とは言えぬにしても、みずみずしく、好ましい。それに小編成でもさすがベルリン・フィル。響きの美しさは比類ない。歌手陣もブレスリクのタミーノ以下、粒が揃っている。ただし、「人形のような」ロイヤルだけは、私にはまだ良さが分からない。少なくともパミーナ向きではないと思う。パパゲーノが伝統的な三枚目ではなく、孤独の影を感じさせる現代の青年になっているのは、演出家の意図でもあろうが、喜劇的効果はややもの足りぬとしても、なかなか面白い。

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     2014/05/17

    ちょうどドゥダメル/BPOのアルバムと同じ曲目になった。オケの底力という点では、バーミンガム市響がどんなに頑張っても、ベルリン・フィルにはかなわないだろうが、実は演奏はこの方が精彩がある。さしものドゥダメルもBPOとの初録音は少し構えたのか、慎重になり過ぎているように思うが、ネルソンスは思うがままにオーケストラをドライヴして、闊達な演奏を繰り広げている。『ツァラトゥストラ』は最初はド派手だが、どうも後半、尻すぼみになりがちな曲だが、この演奏では「学問について」のフーガの克明さ、特にウィンナ・ワルツになってからの圧倒的なノリの良さが印象的。冒頭もコントラバスとオルガン他の保続音がかなり強く、ppという楽譜の指定を完全に無視しているのが面白い。『ドン・ファン』と『ティル』はこれも出たばかりのホーネック/ピッツバーグ響の方がさらに個性的だが、ネルソンスの指揮も非常に輝かしい。いずれの曲も終盤の盛り上がりは白熱的だ。なお、拍手なしのライヴ録音だが、指揮者の足音など若干の演奏ノイズが聴こえる。

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     2014/04/19

    まず印象に残るのは2017年冬からミラノ・スカラ座の音楽監督に就任することになったシャイーのすこぶる闊達な指揮。1998年にスカラ座で録音されたCDと比べても、さらに緩急自在で、まさに水を得た魚とはこのことだ。演出は手堅い。印象派〜後期印象派の名画を模した映像が局面に応じて画家マルチェッロのキャンヴァスと背景に投影されるハイテク仕様が唯一の新味だが、さして大きな不満はない(斬新な読み替えを望まれる方はヘアハイム演出をどうぞ)。ヒロインのガル・ジェイムズは血色良く、結核で死にそうには見えないが、いかにもはかなげで清楚な従来のイメージよりもっと積極的な女性に作られているのは演出家の意図としても、彼女自身もこれに応じて非常に達者な演唱を見せる。今後、注目すべきソプラノ歌手の一人だろう。対するアキレス・マチャドはいかにも不器用そうなキャラ(ひょっとして地か?)。口八丁手八丁のカヴァレッティ(マルチェッロ)とは、いいデコボコ・コンビだ。カルメン・ロメウは見るからにスペイン人のムゼッタ。野性味満点のキャラで役には合っている。南欧系のキャスト、スタッフが優勢で舞台もカラフル。あまり湿っぽくない『ボエーム』と言えば、分かりやすいだろうか。

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     2014/04/18

    演出は全く感心しない。原爆を作ってしまった科学者の苦悩という読み替えの枠が所詮はメロドラマに過ぎないオペラの中身とマッチせず、取ってつけたように見えてしまう。ワルプルギスの夜(バレエは全面的にカット)のみ強引に原爆と関連づけたが、場違い感はぬぐえず、教会音楽(天使)とオペラ(悪魔)の間で引き裂かれた作曲者グノー自身の苦悩を枠に使ったコヴェントガーデンのマクヴィカー演出に遠く及ばない。しかし、演奏そのものはなかなか魅力的。普段は軽薄に聴こえてしまうファウスト役だが、カウフマンのこの役には重過ぎるほどの声(高い音はファルセットでかわしている)は、見た目は青年だが中身は老学者というこの人物のギャップをうまく表現している。マルグリートも「宝石の歌」のコロラトゥーラから最終場の劇的な表現力まで『椿姫』のヴィオレッタ並みの多彩な能力が求められる難役だが、ポプラフスカヤは大いに健闘。一方、パーペはこの種の役を演じると非常に作り物めいた、人工的な演唱になってしまう。それを良しとするかどうかで好みは分かれよう。退屈なページもなくはないオペラだけに、作品を引き締めているネゼ=セガンのシャープな指揮も高得点だ。

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     2014/04/18

    バレンボイム指揮、カシアス演出によるスカラ座リングの完結編。パドリッサ演出のバレンシア版、ルパージュ演出のメト版、いずれもハイテク映像を駆使して演出家の解釈をあまり押し出さないタイプの舞台だが、このカシアス演出が一番おとなしい。独自のアイデアが見られるのは第1幕幕切れの隠れ頭巾をかぶったジークフリートの見せ方ぐらい。最終景もベルギーの彫刻家、ジェフ・ランボー作のレリーフに丸投げというのは、いただけない。音楽を邪魔しないから最初に見るにはいい、とも言えようがシェロー、クプファー、コンヴィチュニーなど明確なコンセプトを持った各演出に比べると物足りない。指揮も演出に調子を合わせたのか、表現意欲全開だったクプファー版の頃に比べると、かなり枯れた印象。テンポは遅めで表現は重々しいが、どうもモタつき気味だ。
    歌手陣ではブリュンヒルデがステンメからテオリンに代わってしまったのが痛恨事。力めば力むほどヴィブラートが多くなって聞き苦しい。女声陣では第2のノルンとヴァルトラウテで登場のマイアーが相変わらず一番目立っている。ライアンのジークフリートは悪くない。悲劇的な彫りの深さがないという声もあろうが、演出のコンセプトでも彼は死の直前まで愚か者のまんまだから、これで構わないと思う。ペトレンコのハーゲンはラトル指揮のザルツブルク/エクサン・プロヴァンス版の時から非常に面白いと思っていた。ギラギラした悪意を前面に出すタイプではなく、少し斜に構えたクールでニヒルな悪役。こういう役作りもありだと思う。ところで、1万円超というNHK版の値段はちょっとどうなのか。日本語字幕付きとはいえ、ほぼ半額でARTHAUS版が手に入るという状況では、いったい誰が買うのかね。

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     2014/04/17

    2013年3月、ワーグナー・イヤーのメトでの『パルジファル』だが、オーケストラ・パートの素晴らしさに反して舞台上は目をおおわんばかりのティーレマン指揮ザルツブルク版とは対照的な結果になった。何よりも演出がきわめて秀逸。ほとんど具象物のない舞台で、第1、3幕はひび割れた荒野に一本の小川が流れるだけ。背景への映像の投影と群衆の効果的な動かし方で長丁場を飽きさせずに見せる。第1幕ではその小川が男性同性愛的共同体である聖杯騎士団の面々とクンドリー以下の女性たち(最初から舞台上にいる)を隔てているが(HMVレビューの下の写真)、幕切れではこの小川が開いて、脇腹の傷のような深く赤い裂け目になる。ちなみに騎士団は現代の白ワイシャツ姿だが、全く違和感なく、前奏曲では現代人達がスーツと靴を脱ぎ、ネクタイと時計を外して伝説の世界に入ってゆく様を儀式的に見せる(ベジャールのバレエなどでおなじみの手法)。第2幕は床一面に血のような赤い水が張られ、槍が林立する赤い裂け目の底の世界(HMVレビュー上の写真)。クンドリーの接吻を受けるとパルジファルも激しく出血し、ベッドの白いシーツが血に染まる(ジャケ写真)。接吻後も舞台に残る花の乙女(ダンサー)達の象徴的な動きも非常に面白い。第3幕ではもはや小川が男女の間を隔てることはなく、最後はクンドリー自らが聖杯を開帳して息絶える。つまり、珍しくほぼワーグナーのト書き通りのエンディングだが何の抵抗もなく、初演から百数十年を経て作品はついに「反ユダヤ主義」の呪いから解き放たれた感がある。
    指揮はテンポ遅く、劇的な緊張をきわだたせるというよりはデリケートな音色の織物を豊麗に織りなしてゆく。シェーンベルク、ベルクまで違和感なく振る指揮者だが、こういう演奏を聴くと、やっぱりイタリア人、ラテン的感性の人だなと思う。これはこれで大変素晴らしい。歌手陣もダライマンのクンドリーのみイマイチだが、男声陣は強力。パルジファルは全曲の真ん中でキャラクターが百八十度変わってしまう難しい役だが、さすがにカウフマンは実にうまい。もう少しリリックな声でも歌える役だが、彼の重い声は後半でのこの人物の言動に「重み」を添えている。マッテイのアムフォルタスも、いたずらに絶叫に走るのを避けて、一つ一つの言葉に的確な表情を与えた名唱。パーペのグルネマンツは久々の完璧なハマリ役。全く安心して見ていられる。

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     2014/04/06

    この大作の(おそらく)五組目の映像ディスク。しっかりした主張のある演出、攻撃的な指揮、なかなかの豪華歌手陣を擁する注目の演奏だ。演出は時代を19世紀半ばに移し、シェロー版『指輪』同様にそのような読み替えが可能であることを説得力十分に見せてくれる。たとえば、前半のトロイ戦争のくだりは、機械じかけの木馬に象徴されるように、産業革命をなしとげたヨーロッパ列強(ギリシャ軍)が後進国(トロイ)を蹂躙するという構図。確かにナポレオン3世治下のフランスもその「ヨーロッパ列強」ではあろうが、(ロンドンの批評家は誰も思い至らなかったようだが)それはまさに「大英帝国」のことではないか。この演出がコヴェントガーデンで大喝采という皮肉な結果に、スコットランド出身のマクヴィカーは密かにほくそ笑んでいるのではあるまいか。一方のカルタゴは「反近代」的なエスニックな世界。北アフリカ風の街のミニチュアを「蜂の巣のような」城壁が囲み、「女王蜂」ディドンがここを仕切っているという趣向。彼女の長いモノローグはコンヴィチュニーの『神々の黄昏』さながらに、幕の前でのプリマドンナの独演会となる。
    パッパーノの指揮は速めのテンポで鋭角的かつ力強い。ロマンティックなふくらみを多少、切り捨てたとしても魅力的だ。カウフマンの代役だったハイメルはカリスマ性には欠けるが、技術的には達者。私には『悪魔のロベール』のイメージが抜けないが、終盤の「人でなし」ぶりを考えれば、実はエネはダークヒーローなので、悪くない人選だ。ガーディナーの盤に続いて登場のアントナッチは堂々たる巫女ぶり。ウェストブロークは相変わらずパワフルだが、この役では抒情的な部分での繊細さ、声楽的には中音域の豊かさが足りない。そのためこの人物の器の大きさが表現できず、最終場もやたらヒステリックに流れてしまうのはまずい。

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     2014/03/29

    指揮者のやりたいことと作品の求めるところがぴったり一致した(ように聴こえる)非常に幸福な演奏。6番ではさほどの冴えを感じなかったインバルだが、やはり7番との相性は抜群だ。私はこの曲を、アドルノの言う通り「苦難を乗り越えて栄光へ」というベートーヴェン以来の交響曲プログラムを内側から堀り崩すような破壊的作品と見るが、インバルはラトルのようにはっきりとパロディ交響曲と聴こえるような見立てはとらない。総譜をとにかくきっちりと音にして、後は聴衆が自由に感じてくださいというスタンスだ。それでもこの演奏の彫りの深さは驚異的。2011年のチェコ・フィルとの録音では、オケのカラーゆえか、普通の意味での「ロマンティック」な路線に流れたインバルだが、都響という高機能オケを得て、再びフランクフルト放送響時代のシャープで精細なアプローチに戻ってきた(全体で4分ほど演奏時間が短い)。緩急、強弱、声部のバランス(主旋律の裏の響きや対位旋律を強めに押し出すのがインバル流だが、これはマゼールなどと同じ流儀と思う)、すべてにわたってコントラストが強く、アンプを「ラウドネス」に設定したような雄弁で(悪く言えば)やかましく、押しつけがましい演奏だが、時間当たりの情報量が途方もなく多い。7番の終楽章はマーラー交響曲中でも技術的な最難関の一つだが(2013年1月、ジンマン指揮N響は悲惨だった)、都響のあざやかな演奏は圧巻。

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