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Review List of Erdinger 

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  • 3 people agree with this review
     2012/07/13

    ゲルハルト・ボッセは往年のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターとして活躍する一方、クヮルテットのリーダーとして、また、バッハ作品を主として演奏する室内オケの指揮者として令名は高かったが、このLPは最良の遺産と言って良いのではないか。演奏当時90歳にならんとしていたボッセの音楽は、実に瑞々しく清々しい。十分な相互信頼に裏打ちされた神戸室内オケの自発性溢れる演奏は、さながら泉からこんこんと名水が湧き出ずるごとくで、音楽は澱みなく前へ前へと流れ、聴き手の呼吸を実に楽にしてくれる。指揮者は音楽を引っ張るのではなく、巧みに進むべき方向へ導いて行く。動きの鈍い大編成オケを、指揮者が演出上の工夫を凝らして力業でドライブする演奏とは別次元の世界である。
    音の風景画家と言われたメンデルスゾーンの傑作交響曲だが、この演奏、油彩ではなく水彩画で、季節は春から初夏。と言っても南国のそれではなく、北国の風景だろう。柔らかな陽光が隅々まで回って陰の部分にも明るさが感じられる。明暗のコントラストが強い秋の風景ではないのである。もっと感情を露わにし、くっきりと彫琢を施した演奏にすることも可能な曲だが、そういう解釈の対極にある表現としては一級の出来映えである。
    LPのみの発売とのことだが、盤質は実に高品質。50年近くLPに親しんでいる者として、ここまで来たかという感慨を感じる。

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  • 6 people agree with this review
     2012/01/26

    マーラーの交響曲は指揮者なら誰もが録音するような御時世になって、とても全部は聴くのが追いつかないが、このマゼール指揮ヴィーン・フィルの演奏は特筆すべき出来映えであると思う。マーラーが生きた19世紀後半〜20世紀初頭の中欧、ハプスブルク帝国末期の雰囲気を感じさせてくれるからだ。マーラーの音楽は、分離派、ユーゲントシュティール等、当時の芸術様式と分かちがたく結びついており、時代の空気を共有している。マゼールとヴィーン・フィルの演奏は、そのあたりを聴き手に如実に実感させる。マーラーのいくつかの作品の初版で装丁に使われた分離派やユーゲントシュティール様式デザインの音楽版と言ったら語弊があるが、表現がきめ細かく、色彩豊かで洗練されて、適度にモダンだが伝統的な手法も捨てていない。マゼールも相手がヴィーン・フィルだからこういうアプローチが可能になったのだろう。他のオケならこういう演奏は不可能だったのではないか。
    マゼールはマーラーと同じくユダヤ系だったはずだが、血筋の共感から来る思い入れを込めた表現や、濃厚な情念の噴出を期待すると肩すかしを食う。彼の狙いはそういうところにはないからだ。しかし、第9番など、美しい響きのそこここに、第1次世界大戦が勃発して現実のものとなるカタストロフィの予感が秘められていることを、この演奏は忘れてはいない。
    録音時期は1982〜85年(「千人」だけは1989年)だが、この頃はマゼールが年齢的(50代前半)にもキャリアでも円熟期を迎え、意欲と気迫十分で、より高みを目指す野望を抱いて「白い雲を見つめつつ坂を登っていた」時期でもあった。
    マーラーの交響曲は大編成だが、練達の管弦楽法を駆使した轟然たる音響ダイナミックスで聴き手を圧倒する場面は実はさほど多くない。総奏部でなく楽器編成の薄い、いくつかのソロ楽器が室内楽風に音楽を紡いでいく部分こそが聴き所、核心部分である場合が多く、楽器が次々に交代しつつ旋律を奏でていく所など、新ヴィーン楽派、特にヴェーベルンの音色旋律に繋がる道を指し示している。そして、そうした部分におけるヴィーン・フィルの奏者たちの腕前は実に見事。フルートやクラリネット、ヴァイオリン・ソロ等のちょっと気取った艶やかな一節が、飾りのたくさんついたフェミニンなロングドレスにつばの広い帽子を被り、手には小振りな日傘を携え、小型犬を連れた女性たちが行き交う・・・・といった当時の光景を彷彿とさせ、聴き手をあの時代へといざなう。
    また、遅めのスケルツォ楽章(例えば第5交響曲の第3楽章など)の3拍子がヴィーン風に訛ってスウィングすると、忽ち舞踏会ムードが醸し出され、マーラーの前半生がヨハン&ヨゼフ・シュトラウスと重なっていたことに気づかされる。ヴィーン・フィルは他の指揮者ともマーラーを演奏し、録音しているが、何故かこういう雰囲気は出てこない。

    ただ、CDの音質に関してはいささか問題がある。録音された時期はデジタル録音の黎明期。録音機器もPCM1610systemから始まって、同じく3324system・・・・、と短期間に次々に更新されていったことが記されており、色々試行錯誤があったであろうと想像される。そして、最初に世に出た第5&6交響曲は当初LPとカセット・テープでの発売。だから、というわけではあるまいが、特に第5はLP(蘭プレス)の方が音色のグラデーションが豊富で、上記の演奏の特色は実はLPを聴いてのものだ。CDは何度か意匠を変えて発売されたが、マスタリングの更新は行われていない様子。CDの方は写真に例えると、明部は白く飛び、暗部は黒く潰れた、暖かみのない硬調なプリントのよう。ヴァイオリンやトランペットの高域は硬く冷ややかで聴き疲れする。だからCDを購入はしたものの、聴くのはもっぱらLPのみという有様。より後に録音された第1や「千人」のCDは十分に満足できる音質であるので、メーカーには、早い時期に録音された「復活」、第5、第6あたりの新たなマスタリングを是非要望したい。

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  • 2 people agree with this review
     2012/01/17

    今やこの曲はすっかりポピュラーになって、一体何種類のCDが出ているのか見当もつかないが、マゼール指揮ヴィーン・フィルの演奏は特筆すべき出来映えであると思う。マーラーが生きた19世紀後半〜20世紀初頭の中欧、ハプスブルク帝国末期の雰囲気を感じさせてくれるからだ。マーラーの音楽は、分離派、ユーゲントシュティール等、当時の芸術様式と分かちがたく結びついており、時代の空気を共有している。マゼールとヴィーン・フィルの演奏は、そのあたりを聴き手に如実に実感させる。マーラーのいくつかの作品の初版で装丁に使われた分離派やユーゲントシュティール様式デザインの音楽版と言ったら語弊があるが、表現がきめ細かく、色彩豊かで洗練されて、適度にモダンだが伝統的な手法も捨てていない。
    かつては、練達の管弦楽法を駆使した轟然たる音響ダイナミックスにまず魅力を感じたこともあったが、現在では、総奏部でなく、楽器編成の薄い、いくつかのソロ楽器が室内楽風に音楽を紡いでいく部分こそが聴き所、核心部分であると感じている。楽器が次々に交代しつつ旋律を奏でていく所など、新ヴィーン楽派、特にヴェーベルンの音色旋律に繋がる道が指し示されている。そして、そうした部分におけるヴィーン・フィルの奏者たちの腕前の見事なこと! フルートやクラリネット、ヴァイオリン・ソロ等のちょっと気取った艶やかな一節が、飾りのたくさんついたフェミニンなロングドレスにつばの広い帽子を被り、手には小振りな日傘を携え、小型犬を連れた女性たちが行き交う・・・・といった当時の光景を彷彿とさせ、聴き手をあの時代へといざなう。また、遅めのスケルツォ楽章の3拍子がヴィーン風に訛ってスウィングすると、忽ち舞踏会ムードが醸し出され、マーラーの前半生がヨハン&ヨゼフ・シュトラウスと重なっていたことに気づかされる。ヴィーン・フィルは他の指揮者ともマーラーを演奏し、録音しているが、何故かこういう雰囲気は出てこない。
    マゼールも相手がヴィーン・フィルだからこういうアプローチが可能になったのだろう。他のオケならこういう演奏は不可能だったのではないか。
    マゼールはマーラーと同じくユダヤ系だったはずだが、血筋の共感から来る思い入れを込めた表現や、濃厚な情念の噴出を期待すると肩すかしを食うかもしれない。しかし、美しい響きのそこここに、第1次世界大戦が勃発して現実のものとなるカタストロフィの予感
    が秘められていることを、この演奏は忘れてはいない。
    残念ながら、CDの音質に関してはいささか問題がある。録音された時期はデジタル録音の黎明期。録音機器はPCM1610systemと記されているが、この演奏が最初に世に出た時はCDの登場前、第6交響曲とセットで3枚組のLP(とカセットテープ)だったのだ。だから、というわけではあるまいが、特に第5はLP(オランダ製、フィリップスのプレス?)の方が音色のグラデーションが豊富で、上記の演奏の特色は実はLPを聴いてのものだ。CDの方は写真に例えると、明部は白く飛び、暗部は黒く潰れた、暖かみのない硬調なプリントのよう。ヴァイオリンやトランペットの高域は硬く冷ややかで聴き疲れする。だからCDを購入はしたものの、聴くのはもっぱらLPのみという有様。その後、CDは何度か意匠を変えて発売されたが、マスタリングの更新は行われていない様子。メーカーには、新たなマスタリングによる再発売を是非要望したい。

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  • 4 people agree with this review
     2012/01/12

    ブルックナーの交響曲の初期稿による演奏が流行になっている昨今だが、この演奏は非常に優れた出来映えである。
    複数のスコアが残されたブルックナーの交響曲の中で、第3は特に複雑で問題を孕んでいるが、それは、ブルックナーが、ベートーヴェンやブラームスなら未だスケッチ段階であるところを総譜に「仕上げて」しまったことに由来する。作家や学者の中にも、小説や論文をいきなり清書形態で書き始め、それに訂正、追加、削除を施しつつ、ある線まで行ったら、もう一度原稿にして(第2稿)、また同じことを繰り返しながら決定稿に近づけて行く、というやり方をする人がいるが、ブルックナーも同じタイプだったのだろう。だから彼は、作品が「完成」した後も手を加え続けたわけで、弟子たちや周囲の誰彼の助言、初演の失敗、演奏拒否等がなくても改訂を繰り返したのではないか。
    ティントナーの演奏は、CDを手に取った時、第1楽章だけで30分を要すると記されていてびっくりした。しかし、聴いてみると、ゆったりしたテンポで、後に削除されることになるいろいろなモチーフを丹念に辿りつつ進んで行くが、全く冗長にならない。拡張されたソナタ形式の構造も明瞭に感知できる。テンポ感が実に優れていて、あちこちに寄り道しても、本来のルートを決して外さないから、聴き手を惑わすことがないのだろう。大変な実力者である。仮にティントナーが19世紀後半にタイムスリップして、ブルックナーの交響曲の初演を担当していたら、「形式の欠如」などという批判は招かなかったのではないかと思うくらいだ。
    ヨーロッパに留学し、現地での演奏活動も経験した知人が、「CD録音の機会がなくて、日本では全く無名でも、向こうには実力のある演奏家が大勢いる」と言っていたが、ティントナーはその最右翼だったわけだ。メジャー・レーベルに見過ごされていたのは彼の不運だったかもしれないが、仮にメジャー・レーベルに録音するチャンスを与えられても、ブルックナー交響曲全集は無理だったろう。だとすると、「不運にも」マイナー・レーベルにしか録音出来なかったことが、我々にとっては大変な幸運をもたらしてくれたことになるわけで、残された遺産が今後も聴き継がれていくことを願ってやまない。

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  • 7 people agree with this review
     2011/12/30

    古刹の本堂の奥、燈明で微かに照らされ、深遠かつ神秘的な佇まいで鎮座していた仏像を、明晰な照明の下、いつもは視野に入らぬ背部も含め、全体を隅々まで目にする・・・・。想像以上の精巧な造形、匠の技に改めて感嘆する・・・・。今回のセットを聞いた感想はそんなところだろうか。出所不明の海賊版まがいの録音は努めて避けてきたので、全14枚のうち、既知の演奏はブラームス3枚のみ。そのうち、1949年収録の第3交響曲および48年収録の第4交響曲は、東芝の赤い盤から始まってELECTROLAのDacapoシリーズ、それに満足出来ずに、同じくELECTROLAのE90945、E90955に辿り着いて聴き込んでいたが、今回のLPでどうやら終着点となりそうである。(ELECTROLAにはWALP547、同548という番号もあり、それが初版らしいが未聴。)

    咳払いなどの会場ノイズも演奏と一体化して耳に馴染んでいたが、今回のLPでは楽器の音と会場ノイズが明確に分離し、両者の距離感、すなわち会場の広さがはっきり聴き取れる。残響の消え具合によって、それほど響きが豊かでなかったというティタニア・パラストの音響特性もうかがい知ることが出来る。

    演奏に関しては、ベートーヴェンやシューベルトも含めて、強奏部分以外にこそ注目すべきだろう。緩徐楽章の管楽器群、各々のピッチの良さから来るハーモニーの輝き! 今となっては世界のメジャー・オケのコンサートでも遭遇する機会はなくなってしまった・・・・。

    と、ここまでなら★★★★★、めでたしめでたしなのだが、各音楽雑誌の批評で全く触れられていない問題点を敢えて記したい。到着した梱包を開けてLPを取り出してみたらびっくり。ほぼすべての盤にヘア・スクラッチや染みのような模様がいくつもあり、外見はひと頃のアメリカ盤みたいである。大半は音に出ないので問題はないのだが、経験上、こういう外見の盤には傷やプレスミスがある可能性大。「もしや」と思ったら案の定14枚中2枚に大きな傷。やれやれである。販売店がすぐ対応してくれて、セットごと交換してもらったが、またしても傷。前回とは別の盤だがやはり2枚が駄目。どうやら何度交換しても、14枚全部が良品というセットには巡り会えそうもない。購入した多くの皆さんはどうだったのだろう。小生だけが外れクジ連発、というわけではないように思うのだが・・・・。

    LPとの付き合いも40年を超え、プチパチ・ノイズは付きものであることは十分承知している。が、緩徐楽章の聴き所でパンチのきいたティック音を数十回聞かされるのはさすがに辛い。初期LPの中古盤ではあるまいし、1枚あたり\3,750、最新の高品質重量盤を謳い文句にしているのだから、もうちょっと何とかならなかったのか。各社から発売されている高品質重量盤で、こういう例はなかったと思うが・・・・。

    もう一つ難点を挙げると、カッティング・レヴェルが低すぎないか。私の装置では、通常10時のボリューム位置で聴くところ、11時〜11時半近くにしないと十分な音圧が得られない。物理的に正しいのか否かわからぬが、経験上、カッティング・レヴェルが低いレコードはボリュームを上げて聴いても、通常レヴェルのものを通常のボリューム位置で聴くのと同じ音にはならない。音の力感に違いが出てくる。「英雄」や「グレイト」を3面にカッティングして詰め込みを回避しているのが売りであるなら、もう一段カッティング・レヴェルを上げられたのではないかと残念でならない。

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  • 1 people agree with this review
     2011/11/23

    カラヤンは1973〜82年の約10年間、マーラーの4・5・6・9番のシンフォニーを度々コンサートでとりあげた。この第5は1973年1月の録音だが、同時期に録音された「新ヴィーン楽派管弦楽曲集」と共に、手慣れた曲の再録音ではなくて、新たな挑戦という意欲と気迫に満ちた演奏である。同年8月のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音がNHK-FMで放送され、エア・チェックしてよく聴いたものだったが、オーケストラが所々指揮者の手綱を振り切らんばかりに積極的で、そのスリリングな興奮が忘れがたかった。このLPの演奏は勿論きちんとコントロールされているが、それでも各楽章、歌うところはよく歌い、荒れるところは荒れ、クラスマックスでの畳み掛けも加わって、振幅の大きな表現になっている。この録音は1975年にLPとして世に出たが、当時はオイル・ショックによる原材料の価格高騰と質の低下、レコード会社のコストダウン施策等々の影響が出たのか、欧州各社のLPは軒並み盤質が低下傾向にあった時代であった。それまで定評のあったドイツ・グラモフォンも盤が目に見えて薄く軽くなり、プチパチ・ノイズが増加し、音質も痩せて硬く、奥行きのない平面的な響きのものが多くなっていった。この録音の初版LP(DGG 2707 081)も、残念なことに盤質が不安定で、音質も今一つ満足のいくものではなかったと記憶している。今回のLPは盤質が非常に良くなると共に、全曲に渡って情報量が増え、腰の据わった安定した演奏が聴ける。低音域もよく伸びてスケールが増し、曲全体をガッチリ支えているし、ヴァイオリンの高域は初版LPとはやや違う鳴り方だが、艶やかで表情豊かに響いている。クリスタ・ルートヴィヒのKindertotenliederも、陰影に富んだ深々とした声が美しく、秀逸な演奏。CDは持っていないので比較はできないが、やはりLP時代の録音は値が張ってもLPで聴きたい。そして、LPコレクターは初版LPを愛でるのだろうが、今回のような新盤に接すると、初版LP=オリジナル、とは必ずしも言い切れまい。本来の録音をより忠実に再現しているのは新盤の方だと思えるからである。

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     2011/11/19

    ベートーヴェン生誕200年に際して実現した「夢の顔合わせ」による録音(1969年)。指揮者、ソリストの顔ぶれもさることながら、曲の魅力を初めて世に知らしめたことでも重要な意味を持つ演奏・録音だった。この演奏によって三重協奏曲作品56(「英雄」のすぐ次の作品番号)の存在を知った人も多かったのではないか。(かく言う私もその一人。)当然のことながら、各国でプレスされ、その後長くカタログに載っていたLPだから、国ごとに、あるいは時期ごとに、カッティング、プレスによる音の違いがあるが、総じて、1970年前後以降のEMI録音は、響きはフワッと豊かだが、低音域はどこか茫漠とした感が拭えず、ヴァイオリンやトランペットはキラキラ輝かしいが、時として電気楽器のような音色が聞こえて馴染めなかった。CD化されても状況は変わらなかったと思う。ところが、今回のLPは、各楽器の輪郭線が明確になって全体が引き締まり、立体感が出て来ると共に、低音域も芯がしっかりして生々しく、重心がぐっと下がって地に足がしっかりついた響きになっている。コントラバスの音程もはっきりわかる。写真で言うなら、ネガ・フィルムではなくて、ポジ・フィルムからのダイレクト・プリントのように鮮鋭度が上がり、くっきりと見通しが良くなった。(デジカメ世代には通じぬ表現で失礼。)また、レコード盤自体も高品質で、材料、プレス共に昔日の比ではない。かつて録音直後に出た英EMI、米Angel、独Electrola、仏Pathé、日Victor(確かレーベル名は「新世界」)等、どの国のプレスよりも、録音テープに記録された本来の音を再現しているのではないか。やはりLP時代の録音は値が張ってもLPで聴きたい!

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     2011/11/19

    タイトルが、故ヴェルナー・テーリヒェン著『フルトヴェングラーかカラヤンか』(音楽之友社)を念頭に置いているのは明らかだが、インタビュアーである著者の答えは予め出ていて、テーリヒェンを始めとするベルリン・フィル元団員たちの証言を楯にしてずらりと並べ、その陰から矛を繰り出そうという意図だったのだろう。しかし、元団員たちもただ者ではない。多くは「その手には乗らない」応答に終始したように読める。色々興味深い証言はあるのだが・・・・。それにしても、世の中、本書に限らず、「白か黒か」、「正義か悪か」式の割り切り方に無理矢理持って行こうという傾向が強くて辟易する。テーリヒェンはすっかりアンチ・カラヤン派のヒーローにされてしまった。しかし、先年、NHKが、保有する往年の名演奏家たちによるライヴ映像を最新技術で蘇らせたが、ある番組の中に、1957年のベルリン・フィル初来日公演の模様を元団員たちが視聴するシーンがあった。その中で、かつての自分たちの演奏を、指揮(勿論カラヤン!)も含めて一番熱っぽく賞賛し懐かしがっていたのがテーリヒェンその人であった。上記著書を読んでいただけに少々驚いたが、一方で成る程と納得もできるのである。長く続いた人間関係には、単純に仲が良かった悪かったでは済まされない、愛憎が複雑に絡み合った事情があるもの。うまくいっている時は「あばたもえくぼ」だったのが、一つ歯車が狂い出すとすべてがネガティブになり「えくぼがあばた」になることも珍しくない。互いに年をとり、柔軟性がなくなって頑なになり、寛容さも忍耐強さも失われてくれば尚更である。テーリヒェンの著述や発言はそのことを踏まえて受け取る必要があるのではないか。また、著者とテーリヒェンが崇敬してやまないフルトヴェングラーにしても、ベルリン・フィルとの関係は常に蜜月状態、運命共同体であったわけではなかったことは、ミーシャ・アスター著『第三帝国のオーケストラ』(早川書房)等、近年出版されたいくつかの書物につぶさに記されている。特に第二次世界大戦後は、1947年5月の有名な復帰コンサートにおける興奮と感動があったにしても、両者の関係はかなり微妙で考え方の乖離も小さくなかった様子。この点、日本のフルトヴェングラー・ファン諸氏の認識とはかなり相違しているのではないか。テーリヒェンの著述や発言が、必ずしもこうした事実関係を反映しているわけではないことも記憶しておくべきであろう。

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     2011/10/19

    選ばれた106点のうち105点がLPレコードであるのは驚くにあたらない。しかも、その大半が1950年代後半〜60年代の録音であることも・・・・。本書に記された、当時名をなしたプロデューサーや録音エンジニアたちは、ジョン・カルショウが述懐していたように、「自分たちは、一瞬にして消えてしまう生演奏を超えるようなものを、演奏家たちが創造するのを手助けするためにいるのであり、そして、演奏家たちが録音するものは何であれ、彼らより長生きするのである」と自覚しつつ、とにかく優れたLPを作ることに全てを投げ打って取り組んでいた人たちばかり。後のCD時代の同業者たちとは意識も熱意もまるで異なった人たちだった。寝食を忘れて・・・・、は当たり前。結婚して家族を持つことをしなかった人も少なくなかったはず。また、たとえ結婚しても、不規則でプライベートな時間の少ない生活のお陰で、離婚率も平均よりかなり高かった・・・・。それと、選ばれたLPにアメリカ盤が多いことにも注目。日本のLPコレクターや、彼ら御用達の中古レコード店の興味関心は欧州プレス盤に偏重していて、「製盤状態が粗く、高域が派手でどぎつい」アメリカ盤は相手にしないことがマニアの条件になっている感さえある。しかし、ヴェトナム戦争で深手を負う以前のアメリカ合衆国は、工業力も経済力も圧倒的優位を誇り、レコード産業も、ジャケットを含め、良質のLPを次々に市場に送り出していたことを、素直に再評価しても良いのではないか。それにしても、105点の名録音LP、その本領を発揮できる再生装置を所有し、使いこなしている人は、果たして何人位いるのだろうか?

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     2011/10/08

    初期LPレコードのイコライザー・カーブやSPレコードの回転数に関する記事が参考になった。通説ではLPのイコライザー・カーブは1954年にRIAAカーブに統一されたことになっているが、実際にはステレオ時代になっても完全な統一がなされなかったことは、既に某アンプ・メーカーがかなり以前から指摘していた。それが裏付けられたことになる。但し、市販されているイコライザー・カーブ可変機能付きのイコライザー・アンプも、ターン・オーバーやロール・オフの設定がメーカーによって異なる。結局は自分の耳を信じて調整するしかなさそうである。

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     2011/10/01

    今更コメントするまでもない名演奏。オリジナルは英Columbia盤33CX1140だが、最初はフラット盤で発売され、間もなくグルーヴ・ガード盤に切り替わった筈。イコライザー・カーブも変わったと思われるが詳細は把握していない。ベストセラー盤だったから、オリジナルの入手は容易で、価格も高くない。スタンパー番号もいくつもあり、少しずつ音色が異なるから、どれがオリジナルと特定することはできないのかもしれない。このテスタメント盤はジャケットも含めた復刻LPだが、材料も製盤技術も十分満足できる出来映え。ただ、手持ちの英Columbiaグルーブ・ガード盤と聞き比べると音質は明確に異なる。復刻盤は高域が伸びているせいか、幾分華やかな響き。しかし、ヴァイオリンをはじめとする弦楽器群のしっとりとした精妙なニュアンスはオリジナルの方が魅力的。ホルンの朗々とした厚い響き具合もオリジナルの方に分がある。とはいえ、再生装置が異なれば別の結果が出るかもしれず、復刻CDでは味わえない魅力を備えたLPである。

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     2011/09/03

    30年以上も前に、米エンジェルのセラフィム・レーベルLPで繰り返し聴いた演奏。復刻CDでは音が痩せて硬くなり、聴いていても神経が苛立つので、最近はすっかりご無沙汰になっていた。今回、Testament復刻の180g重量盤ということで期待したが、思ったほど音質の改善は見られなかった。贅肉のない引き締まった演奏だった、という記憶があるが、この復刻盤は残響が豊かになり、弦楽器群の響きはしっとりと潤いを含み、ホルンやオーボエの音色もヴィーン・フィルの特徴を一層際立たせる仕上がりになっている。従って筋肉質の演奏という印象はやや薄れた。ただ、1965年12月という時点の録音にしては、広がりや奥行きに乏しいし、強奏部分では音が飽和状態になり混濁してしまっている。ムジークフェライン・ザールの音響を制御できなかったといわざるを得ない。同じ60年代、ロンドンのキングズウェイ・ホールを使用したクレンペラーやバルビローリの録音では優れた成果を上げたものが多いので、EMIの実力はこんなものではないはず。(もっとも、私はオリジナルの英EMI盤ASD2284を聴いたことがないので軽々しく断定はできないのだが・・・・。)

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     2011/09/01

     カラス、ステファノ、ゴッビ&デ・サバタによる名演の復刻盤だが、五十数年前の録音とは思えぬ瑞々しさ生々しさを堪能した。復刻CDも過去に何回か出されており、2002年に出た初演100年記念のものが上々の音質だったと記憶するが、このLPも満足のいく出来映えである。オリジナルの英Columbia盤も当時としては優れたLPで今でも十分通用するが、聞き比べると、製盤技術や材料のクォリティ・アップの恩恵をフルに利用したこの180g重量盤は、ノイズと歪みの無さでオリジナルを凌駕する存在感を味わえる。
     勿論モノラルだが、プロデューサーのウォルター・レッグが「ステレオになる前は、距離感を出すのが今より難しかった。トスカの登場をそれらしくするために、『マリオ!』の三つの呼びかけを一つ一つ録音した−三つとも袖からだったが、一回ずつマイクロフォンに近づけていって−そして、後で継ぎ合わせたのである」と回想録で種明かしをしていた箇所も、狙い通りの効果が聴き取れる。モノラルは左右の広がりはステレオに及ばなくても、前後の距離感は思いの外それらしく表現できるものなのだ。モノラルだからといって毛嫌いすべきではない。
     私見では、最新技術によるLPなので、モノラル用カートリッジで再生するなら新しい設計の機種が望ましい。昔の重針圧のものは避けた方が無難。むしろ、ステレオ・カートリッジで片チャンネル再生の方が好ましい。

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     2011/09/01

     カラス、ステファノ、ゴッビ&デ・サバタによる名演の復刻盤だが、五十数年前の録音とは思えぬ瑞々しさ生々しさを堪能した。復刻CDも過去に何回か出されており、2002年に出た初演100年記念のものが上々の音質だったと記憶するが、このLPも満足のいく出来映えである。オリジナルの英Columbia盤も当時としては優れたLPで今でも十分通用するが、聞き比べると、製盤技術や材料のクォリティ・アップの恩恵をフルに利用したこの180g重量盤は、ノイズと歪みの無さでオリジナルを凌駕する存在感を味わえる。
     勿論モノラルだが、プロデューサーのウォルター・レッグが「ステレオになる前は、距離感を出すのが今より難しかった。トスカの登場をそれらしくするために、『マリオ!』の三つの呼びかけを一つ一つ録音した−三つとも袖からだったが、一回ずつマイクロフォンに近づけていって−そして、後で継ぎ合わせたのである」と回想録で種明かしをしていた箇所も、狙い通りの効果が聴き取れる。モノラルは左右の広がりはステレオに及ばなくても、前後の距離感は思いの外それらしく表現できるものなのだ。モノラルだからといって毛嫌いすべきではない。
     私見では、最新技術によるLPなので、モノラル用カートリッジで再生するなら新しい設計の機種が望ましい。昔の重針圧のものは避けた方が無難。むしろ、ステレオ・カートリッジで片チャンネル再生の方が好ましい。

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     2011/08/19

    LP6枚でこの価格とはウソみたいだが、私は10年ほど前、アメリカの某通販サイトで¥1,000そこそこで購入した。当時からこんな価格だったことになる。演奏家たちは、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全6曲を弾いているヤープ・シュレーダー以外、日本での知名度はゼロに等しい人たちばかりだが、演奏内容も録音も実に立派なもの。はやりの重量盤ではないが、プレスや盤質も高品質で問題なし。世界に冠たるスミソニアン博物館が関わっているので、楽器や奏法の考証は徹底的で、分厚い解説書はさながら研究書のよう。他にもモーツァルトの6枚組、SPや初期LP復刻の「往年の名演奏集」6枚組も発売されていた。予備知識なしに価格の安さに惹かれて購入したというのが正直なところだが、今では3セットとも愛聴盤になっている。アナログ・ファンには自信を持ってお薦めしたい。

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