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0 people agree with this review 2025/02/26
ブラインドテストで聴かされたら、誰も直純先生の演奏とは答えられないだろう。映画音楽やTV、CMなどの作曲家、あるいはライト・クラシックの指揮者としてしか認識されていない直純先生の真価を堪能出来る素晴らしいアルバムだ。本盤で解説を執筆されている柴田克彦先生の「山本直純と小澤征爾」(朝日新書)も合わせて読むことで、この不出世の音楽家の知られざる姿を知ってほしい!
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1 people agree with this review 2025/02/08
ラインスドルフは日本の評論家からは不当なほど低い評価しか与えられていないようだが、それはセッション録音のみで評価されているからだろう。ラインスドルフはインタビューで、レコードは繰り返し聴かれるため、何よりもスコアを正確に再現することが求められ、ライヴとは全く異なる演奏になると話していた。そのためラインスドルフのレコードは面白みや個性に大きく欠けていたが、その死後に発掘されたライヴ盤を聴くと、ラインスドルフの生み出す音楽の強さ、大きさ、そして豊かさに圧倒される。このマーラーも例外ではなく、求心力の強い圧巻の名演が繰り広げられている。こうしたライヴは世界中の放送局のアーカイヴに数多く残されているはずだ。それらが一つでも多く発掘され、リリースされることを強く望む。
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0 people agree with this review 2025/01/11
当たり外れもあるロバート・カーセンの読み替え演出だが、ヘンデルとは相性抜群だ。まさかリナルドを学園ドラマにすり替えるとは思ってもみなかった。オペラ嫌い、とくにバロック・オペラをつまらないと思っている人にこそ見て欲しい舞台だ。これを楽しんだら、是非カーセンが演出したアグリッピーナ(NAXOSからリリースされている)もご覧あれ!
0 people agree with this review 2024/12/12
グリゴリアンとヴェルザー=メストのコンビによる「サロメ」「エレクトラ」に続くザルツブルク音楽祭でのプロダクション第3弾は、意外にもプッチーニの三部作だった。プッチーニの三部作は通常「外套」「修道女アンジェリカ」「ジャンニ・スキッキ」の順で上演されるが、ここでは「ジャンニ・スキッキ」「外套」「アンジェリカ」の順で上演された。明らかにグリゴリアンをフューチャーするために上演順を変えたのであろう。そのグリゴリアンだが、歌い過ぎの兆候が既に表れており、絞り出すような発声が目に付くようになったのは心配だ。「外套」ではジョルジェッタの疲れ切った心情にリアリティを生み出しているが、「ジャンニ・スキッキ」ではラウレッタを世間ずれした女のように感じさせてしまう。「アンジェリカ」では必要以上に現世での苦悩が強調され過ぎている。しかし性格表現は抜群であり、わが子の死を知る前後の揺れ動く心理を見事に表出し、聴衆を大きな感動へと誘う。他の歌手も実力派を揃えているが、ベルカントといえない歌いぶりは好悪を分けるだろう。ヴェルザー=メストの指揮はヴェリズモに近い三部作を、古典的な様式感を感じさせるほど精緻に描写する。プッチーニの音楽が持つ豊かな情感を表現するよりは、その構造性を解き明かすような音楽作りとなっている。近年人気のロイの演出は期待外れだ。ザルツブルク祝祭大劇場特有の横広な舞台に手を焼いたようで、いつものような機知に富んだ舞台を生み出すには至っていない。ロイらしからぬプロットに忠実な演出は、ザルツブルク音楽祭の常連であろう年配のパトロンたちには受け入れやすいだろうが、どうにも物足りない。全体としては並み以上のプロダクションだが、ザルツブルク音楽祭ということを考えると星は三つくらいといったところか。
0 people agree with this review 2024/11/12
衝撃的な「オテロ」だ。円熟のムーティが描いた「オテロ」はヴェルディの作品ではなく、まるでバッハの受難曲のように描かれている。特に第3幕以降はオペラではなく、宗教曲として進んでいく。こんな「オテロ」、他では絶対に聴くことが出来ない。ヴェルディのスコアだけでなく、ヴェルディという稀有の作曲家自身に徹底的に迫ったムーティだからこそ成し得た驚異的な演奏だ。イタリア・オペラから最も遠くに位置しながらも、その本質を極めた演奏とでも言うべきか。日本でも「アイーダ」で静謐で神秘的で崇高な演奏を聴かせたムーティだが、こうした演奏にはスカラ座などイタリア勢よりも、シカゴなどベルカントの伝統がないオーケストラの方が向いているのだろう。歌手は最大限ムーティの解釈に寄り添っているが、どうしてもオペラティックな歌唱に傾いてしまう場面がある。どうせなら新人歌手を揃えて、ムーティの意思が徹底されれば更に感動が深まっただろう。とにかく、これほどムーティが深化しているとは思いもよらなかった。イタリア・オペラの極北の姿をご堪能あれ!
0 people agree with this review 2024/11/11
1970年代後半のウィーン国立歌劇場での大きな話題は何と言っても「カラヤン・フェスティバル」と呼ばれた一連のカラヤンのプロダクションだろう。中でもこの「トロヴァトーレ」は傑出した名舞台だった。あまりにも伝統的なカラヤンの演出は、読み替え演出全盛の現代では、かえって新鮮に見えるから何とも面白い。またカラヤンの演出では舞台装置を手掛けることが多いギュンター・シュナイダー=ジームセンが映像収録を行ない、舞台装置はテオ・オットーが手掛けているのも何だか懐かしい。歌手ではコッソットとカプッチッリの二人がずば抜けて素晴らしい。まさにヴェルディがメゾとバリトンをキーロールに据え、ベルカント・オペラとは異なる性格的なイタリア・オペラを創造したことが、この二人の名歌手の絶唱を聴くと実感出来る。モデル並みの容姿で人気を博したカヴァイバンスカはライヴでこそ実力を発揮する歌手だったので、正規録音は少ないが、こうしてベストフォームが映像として残されたことは嬉しい限りだ。残念なのはドミンゴだ。やはり高音が苦しく、あの「見よ恐ろしい炎を」では最後のアクートを下げているにもかかわらず、雄渾な輝きに不足している。本来はボニゾッリが歌うはずだったが、カラヤンと喧嘩別れしてしまい、急遽ドミンゴが呼ばれたわけだ。しかしマンリーコはドミンゴに相応しい役ではない。どうせならバルトリーニあたりを起用して欲しかったが、ネームバリューでドミンゴが起用されたのだろう。期待外れとしか言いようがない。そのドミンゴの不調をカバーしようとしてか、カラヤンの指揮が尋常でなく燃え盛っている。EMIでのセッション録音とは別人のように生き生きした音楽を生み出し、劇場は興奮の坩堝と化している。当たり前だが、カラヤンもライヴでこそ実力を発揮する指揮者だ。まだまだカラヤンのライヴ発掘は進んでいるとは言えないが、これからもカラヤンのライヴがリリースされることを大いに期待したい。ドミンゴがミスキャストなので減点したいところだが、これ以上の「トロヴァトーレ」の映像はないので星5つにしましょう。
0 people agree with this review 2024/11/08
絶頂期の最中に歌手を引退し、指揮者へ転向してしまった名テノール、ジュゼッペ・サッバティー二はポスト三大テノールとしても注目されていたが、何といってもベルカントの真髄を極めた美声と歌い口が本当に素晴らしかった。残念なことにメジャー・レーベルが経費のかかるオペラ・レコーディングから遠ざかりつつあった時代に活躍したため、その実力ほどには録音が残されていない。そうした中、本盤はサッバティー二のベストフォームを記録した貴重なライヴとして今後も価値は高まるばかりであろう。もちろんサッバティー二はスピントでもロブストでもドラマティコでもなく、リリコあるいはレッジェーロの声質であり、ヴェルディのオペラを歌うには必ずしも適しているとは言い難い。しかしリサイタルでアリアを歌うだけなら、その驚くべきテクニックを駆使して、圧倒的な名唱を聴かせてくれる。このライヴでもアンコールで歌われ「清きアイーダ」が凄い出来栄えを示している。こんな歌い方はラダメスをレパートリーにしているテノールには到底出来ないだろう。もちろんサッバティー二にしても、この歌い方で「アイーダ」全曲を歌い通すことなど出来るはずもない。リサイタルだからこそ可能な歌唱なのだ。オペラ・ファンならずとも聴いて頂きたい名ライヴだ。なおバックを務めるボエーミ率いる東フィルのオペラティックな雰囲気溢れる演奏もなかなかのものだ。
0 people agree with this review 2024/11/02
ワルター・ゲールについては全く知らず、このアルバムを聴いて驚かされた。ゲールはシェーンベルクの弟子だったそうだが、師と同じくユダヤ人であったため、ナチに追われ、第二次大戦前から英グラモフォン(EMI)でクラシック部門の音楽監督を務め、指揮者として数々の録音をしたそうだ。戦後はコンサートホール・レーベルにバロックから近現代の作品を指揮して録音を行なったようだ。本盤はゲールが1955年にヒルフェルスムでネーデルラント・フィルを指揮したコンサートをライヴ録音したものだ(CDにライヴのクレジットはありません)。しかもステレオ録音である。私は音質云々言えるほどのオーディオシステムを持っていないが、当時のライヴとしては画期的なほど臨場感あふれる音質で録音されているようである。しかし音質以上に凄いのはゲールの指揮だ。一部ではゲールをシェルヘンやレイボヴィッツ並みに評価する向きもあるようだが、たしかにこの「第9」を聴くとそうした評価をしたくなるのも分かる。中でも第1楽章と第2楽章における表現主義的な演奏は凄まじい。快速テンポで進みながら、随所で強烈な表情をみせる。オケが崩壊する一歩手前まで抉るような解釈を聴かせる。一転して第3楽章では夢見るような儚さと流麗な歌い口を聴かせる。そして終楽章では巨匠風な演奏で、まるで大伽藍を仰ぎ見るような巨大な音楽を聴かせる。フィナーレに向けての高揚感も大きく、誰もが感動させられることだろう。音楽ファンを自認される方には必聴のアルバムである。
1 people agree with this review 2024/11/02
これは驚くべき名演だ!沼尻竜典は玄人受けする名指揮者だとは知っていたが、これほどオーケストラ・ドライヴが上手いとは思わなかった。それほどリハーサル時間は取れなかったと思うが、冒頭からグイグイとオケを操り、即興的な表現を随所に感じさせつつ、この巨大な作品を揺るぎない構造物として現出させている。さらにオケの響きが信じ難いほど官能的であることは特筆すべきであろう。日本フィルの響きはどちらかというと堅いものだが、このオケからエロティシズム溢れる響きを引き出した沼尻竜典の至芸には圧倒される。もちろんライヴならではの高揚感にも不足はない。最高の「トゥーランガリラ」と断言しよう。
0 people agree with this review 2024/10/31
鬼才ケーゲルが残した録音の中でも傑出した価値を持つのが、このビゼー・アルバムだ。日本はもとより東独でも決して実力ほどの評価を生前は受けることがなかったケーゲルだが、その衝撃的な死後に再評価が進み、中でもこのアルバムの驚異的な演奏には誰もが息をのむだろう。ビゼーの世俗的な音楽をこれほどまでに尖鋭化し、絶対音楽として再構築されたことはないだろう。あのギーレンでも到達し得ない異化演奏の極北の姿がここには屹立している。「アルルの女」の「ファランドール」がこれほど凛とした姿で厳しい響きを纏ったことは過去にも、そして将来もないだろう。ケーゲルの到達した音楽芸術の凄まじさには誰もが圧倒されるはずだ。しかし残念なことに、せっかくSACDで音質を向上させてリリースしたのに、ストラヴィンスキーがカップリングされている。収録時間に余裕があるからといって、オリジナルのLPに他の音源を加える愚は本当にやめてほしいものだ。オリジナルの選曲で聴くからこそ演奏家や音盤制作者の意図が感じられるのであって、そこに余計な音源を加えることはアルバムの意義を大きく損なう犯罪行為とも呼べるものとして断罪したい。タワーレコードは丁寧な作りのSACDをリリースして音楽ファンを喜ばせてくれるが、こうした余計な追加カップリングはもうやめてほしい。本来なら星を100個進呈したいが、余計なカップリングのせいで星は4個に留める。
ヘンデルだけでなく、バロック・オペラなんてダカーポ・アリアばかりで、モーツァルト以降のオペラに比べると退屈なものだと思い込んでいる人が少なくないが、優れた歌手や演出家を揃えれば、圧倒的な感動に浸れることが出来ることをこのプロダクションは教えてくれる。中でも現代風な読み替えを施したカーセンの演出は見事としか言いようがない。バロック・オペラという範疇を超えて、これほど面白いオペラの舞台は見たことがない。私はクラシック音楽のファンでない知人から、クラシック入門のCDなどを教えて欲しいと言われたら、必ずこのDVD/Blu-rayを勧めている。相手からは、オペラでクラシック入門なんてと言われるが、とにかく最初の10分だけでも見てよと言って、この舞台を見せてみる。すると誰もがオペラがこんなに面白くて、しかも現代的とは思わなかったと口を揃えて称賛する。そしてクラシック音楽がこれほど魅力的だとは思わなかったと驚かれる。この面白さを知らずにいるのはあまりにも惜しいことだ。
0 people agree with this review 2024/10/28
ヤマカズ先生のマーラーは最高だ!日本のマーラー・ルネサンスを勃興させたヤマカズ先生こそ、マーラーの真髄に迫る指揮者と言うべきであろう。戦後間もない頃からマーラーの音楽を取り上げ、世間からの不評にもめげず、ひたすらにマーラーの音楽に心酔するとともに、その魅力を我々に伝えようとしたヤマカズ先生には首を垂れるしかない。この「復活」は京都市交響楽団の設立25周年を記念して演奏されたものだが、その熱い共感と深い感動に満ち溢れた演奏には今でも圧倒される。この演奏をミスが多いとか、響きが飽和しているなどと批判する評論家もいるようだが、これほどマーラーの音楽に共感している演奏はそうそう聴けるものではない。ニューヨーク時代のバーンスタインも熱い演奏を聴かせてくれたが、バーンスタインがユダヤ的な側面を強く打ち出したのに対し、ヤマカズ先生はコスモポリタニズムからのアプローチを強く感じさせる。まさに日本人にしか出来ない名演だ。しかし残念なことにヤマカズ先生のマーラーの音盤はあまりにも少ない。現在容易に入手出来るのは神奈川フィルとの第4番、N響との第5番、都響との第8番、新日本フィルとの第9番くらいだろう。新星日本交響楽団や新交響楽団とは数々のマーラーの名演を聴かせてくれた。その記録はオケやホールのライブラリーに眠っているはずだ。是非ともそれらのライヴが発掘され、リリースされることを期待したい。朝比奈先生のブルックナーと並び立つ、日本が誇るヤマカズ先生のマーラーを皆さんもご堪能下さい。
0 people agree with this review 2024/10/27
マゼールの尋常ではない解釈が随所で炸裂した演奏であり、ウィーン・フィルやフィルハーモニア管弦楽団とのマーラー「交響曲全集」とは別人のようなデモーニッシュな表現が繰り出される。バイエルン放送交響楽団とのマーラー・ツィクルスのライヴがブートレックでリリースされたことがあるが、まさにこの読響との演奏はそれを思い起こさせる。欧米の著名なオーケストラの楽員が何かのインタビューで話していたが、録音を前提としたコンサートとそうでないコンサートではマゼールの指揮が全く変わってしまうそうだ。要するに、放送や音盤として世に出されるコンサートでは規範的な演奏を目指すが、そうでないコンサートでは思い切った解釈を遠慮なく聴かせるのがマゼールのやり方なのだろう。これと同じようなことをエーリヒ・ラインスドルフも話しており、ラインスドルフもレコーディングとコンサートでは全く違う解釈を聴かせていた。おそらく、この読響とのコンサートは放送用や音盤化のために録音されたものではなく、記録用として読響やホールが残したものだろう。そのためマゼールの超個性的な演奏が奇跡的に残されたのだ。世界中のホールやオーケストラにはこうしたマゼールのライヴの記録が数多く残されているはずだ。優等生的で没個性的な演奏が蔓延る現在、こうした演奏を聴かせてくれる指揮者は減る一方だ。これからもマゼールの超個性的なライヴが発掘されることを切望する!
0 people agree with this review 2024/10/25
多くの方が絶賛されており、今更それに付け加えるコメントもありません。ただ東武レコーディングス様にお願いがあります。このマーラーの前プロではブラッハーの「協奏的音楽」が、そして別日のブルックナーの前にはグリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲とムソルグスキーの「死の歌と踊り」が演奏されていました。いずれもケーゲルの面目躍如たる名演でした。なかでもムソルグスキーはネステレンコの名唱も加わり、凄まじいものとなっていたはずです。是非ともケーゲルが指揮した二夜分のコンサートをコンプリートでリリースして下さい!切なる望みです!
0 people agree with this review 2024/10/20
ミラノ・スカラ座の「ドン・カルロ」は因縁が付きまとう。アバド治世の際はカラヤンがクレームを付け、シーズンオープニングの公演ではなく、セカンドキャストによる公演しか映像に残されなかった。ムーティ治世ではパヴァロッティが不調な上、小粒なキャスティングで満足いくプロダクションにはならなかった。そして時を経て、スカラ座が満を持して送り出したのがこのプロダクションである。ラトルとの「ニーベルングの指輪」で賛否両論を巻き起こしたブロンシュウェグが演出を任されたが、期待ほどではないにしろ、最近では珍しいほど無難な演出(まるで藤原歌劇団を思わせるような演出)で、スカラ座の聴衆からは一応の好評を得た。ハラスメントで表舞台から退場させられる前のガッティが指揮を任されているが、当時のガッティはムーティが退いた後のスカラ座の音楽監督を狙っていたこともあり、気合十分の指揮で舞台を引き締めている。歌手も当時の理想的なメンバーを揃えているが、題名役のニールとロドリーゴのイェニスは残念ながらミスキャストというしかない。チェドリンスのエリザベッタとフルラネットのフィリッポ2世が素晴らしいだけに、この二役に人を得れば素晴らしいプロダクションになっただろうに残念だ。そうは言っても、見応えのある「ドン・カルロ」であることは言うまでない。
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